短小物語集
鎖の国
笛地静恵
 我が国が、極東地域での名誉ある永世中立国の地位を確立してから、はや四百年が過ぎようとしている。途中、何度かの国難の時を迎えた。が、そのたびに、御神君以来の幕府は、剣の力で歴史と伝統を守ってきた。西洋の最新の兵器で武装した幕府軍は強壮だった。容易に他国の侵略を許さなかった。武士は戦さの専門家だったからである。それでも、四口と呼ばれた四つの港では、門戸を開いた。諸外国の動向の調査も、おさおさ怠らない。決して、世界の潮流から取り残されているわけではないのだ。
 俺は、幕府の勘合貿易の船員を勤めている。体重が軽い。帆船の木の細い先端部まで這って行って、帆に絡んだ紐などを、やすやすと解くことができた。猿飛と呼ばれ調法された。犬丸と言う列記とした名前もある。髷を結っている。代々、四口の一である対馬口の港の網元の家の三男だった。一族は、多額の納税によって名字帯刀を許された。十五歳の時に、家を飛び出した。兄に顎でこき使われる生活に嫌気がさした。海の上で、三年を過ごした。猿飛犬丸と名乗っている。
 その南蛮の島の港では、どういうわけか、下級船員の上陸が許可されなかった。燃料と、食料と、水を調達し、翌朝には出航する。もともと予定にない島だった。台風で航路から大きくそれたのである。急いで物資を届けなければならない島々が待っている。だが、港町の紅灯が、若い俺の血を読んでいた。もう三か月も、女を抱いていない。気が狂いそうだ。我慢できない。陽根が脈動している。懲罰房入りは、覚悟の上である。錨の鎖を伝って桟橋に降りた。船を抜け出した。剣は置いてきた。
 昼間に、荷物を船に運び上げている時も、顔色の悪い港湾労働者の男たちの姿は、見かけた。が、女たちは一人も姿を見せなかった。どこにいるのか?言葉が分からないので、質問もできなかった。空が夜でも明るい。喧噪が、熱帯の星座に響く方角に向かった。酒のあるところには、女がいる。経験から分かった。
 そこに、女がいた。天然瓦斯の街燈の下。檸檬色の洋装の女が、大輪の向日葵のように立っている。端正な美人。きつい印象。上は、乳房の形を隠すのではなくて、強調するような薄物。下は、裾が傘のように開いている。西洋風の破廉恥な衣装。丈が短い。長い素肌の脚が、露わになっている。皮の赤い靴。踵が高い。
 金髪碧眼の巨人だった。男は、普通の身体付きである。俺の身長は、その女の太ももの途中あたりまでしかなかった。真下に立つと、中の三角下着を覗くことができるだろう。突き出た胸や広い腰は、明らかに女。熱帯の夜の果実の甘い香りがした。香水か。西洋の女は、濃い体臭を隠すために、よくつけている。通りの暗い角に、挑発的な服装をして、一人で立っている。そのことからしても、明らかに男に一夜の春を売る職業の女だった。
 巨人の話は、船員たちから耳にしたことがある。自分が遭遇するとは、思ってもいなかった。ほら話だと思った。女は、俺を見下して笑った。子どもだと思われたのかもしれない。この体格差では、仕方がないことだった。
 俺は、勇気を振り絞った。金があることを示せばよい。船員の麻の制服の内懐から、金を取り出した。船に乗っていると使い道がない。給金が貯まる。聳える胸に向かって、右手で高く持ち上げた。蝶を誘う花弁のように。札束をひらひらと振った。同時に、前の島の砂浜で偶然に見つけた、美しい傷一つない宝貝も贈り物にした。
 左手の宝貝の方が、意外にも女の気を引いた。女は、それを指先に摘まんだ。街燈の灯の下で凝視した。完璧な品物であることが、分かったのだろう。気のなさそうだった表情が、ぱっと明るくなった。後になって、島々では、高価な貨幣として流通していることを知った。口元に笑みが浮かんだ。前歯が、夜目にも白く煌めいた。それまでよりも、若く見えた。『ドリンク?イート?』そう聞かれた。これぐらいの異国の言葉は、意味が分かる。飲むと食べるだ。腹はいっぱいだ。『ドリンク!』自信を持って答えた。酒が付くということだろう。この島での男女の性交の作法を知るのは、後のことである。
 女は、俺の手から札束を取った。交渉成立だった。一枚一枚数えている。『エリカ』自分を指さして、そういった。名前なのだろう。それから、高い鼻をすんと鳴らすと、俺の指先を、その手でつかんだ。万力のような物凄い力である。そのまま、母親が子供を連れて歩くように、島の裏通りを半ば引きずられていった。エリカが、大股でゆっくりと歩いているのに、こちらは小走りにならないと、おいつけなかった。
 エリカは、まだ通りに明かりを零している屋台の店で、乳酪の氷菓子を買った。髪製の大きな杯型の容器に入った。でっぷりと太った老婦人と、現地の言葉で、笑いながら会話をした。彼女もまた巨人だった。女だけが巨大な島なのかもしれない。巨人の男は見ていない。早口過ぎて分からなかった。どうやら俺のことが、話題になっているらしい。エリカが、大きく手を振って大げさに否定した。顔を顰めている。見下すような顔で、豪勢に嘲笑された。二人ともが、鼓膜が痛くなるような豪勢な大声だった。「あんたの、子どもかい?」おそらくそれぐらいの意味の、軽い冗談であったのだろう。老婦人が、俺を見下ろして、子どもにするような甘ったるい笑顔で、手を振った。無視することにした。
 エリカの部屋に入った。真紅の部屋だった。天井も壁も床も赤い。家具は、鏡台と寝台とその脇の小さな箪笥しかなかった。何れも籐製である。簡素な部屋である。緑の観葉植物が鮮烈な対比をなした。氷菓子が、エリカが服を脱いでいる間にも、置かれた鏡台の上で、溶けかかっている。俺も女にならって脱衣した。熱い日だった。窓は覆いが掛かって、開け放されている。外から覗かれる心配はない。
 エリカの白い女神のような女体が、おもむろに動いた。籐の寝台に横たわった。巨大な肉体を、ゆさゆさと揺らした。が、存外、不快というのでもなさそうだった。敷布には、取り外して捨てられるように、熱帯の大きな緑の葉が使われた。準備ができているのだった。白い乳酪の容器を傾けて、とろとろと、自分の巨大な乳房にかけていった。乳房の中央の乳首に狙いを定めているようだ。それが、触れると自分でしていることなのに、小さな声を上げた。顔は大人だったが、年齢は若いのかもしれない。俺と同じぐらいだろうか?箸を落としても、おかしい年齢だった。半球形の山腹を白い筋を引いて、四方八方に流れ下っていく。それから腹部にも、もっと下の黒い茂みにも掛けた。氷菓子の冷たさに、エリカは何度も快活な悲鳴を上げている。
 俺は、巨大な女の肉体に乗った。エリカが、まなざしだけで、そうするように求めた。眼光が強い。白い女体が、夜になっても衰えない熱波と、脂肪の重みで、とろけそうになっている。重そうに、寝そべっている。甘い液体を、ぺろぺろと丁寧に舐めとっていった。牛乳に卵と砂糖が入っている。甘い。『ドリンク』というのは、こういう意味であったのだろう。旨かった。音を立てて飲んでいった。一人で納得した。小さな舌での全身の愛撫は、徐々にエリカの巨体を萌えさせていった。ついには悶えさせた。くびれた腰をくねらせている。陸に上がった人魚のように暴れている。俺は跳ね飛ばされそうになった。巨大な籐の寝台から、落ちそうになった。が、荒海で鍛えた勘で、辛うじて柔らかい肉の舟の上甲板に踏みとどまった。
 やがてエリカは風呂場で、仁王立ちになった。その股間に、俺は立った。ちょうど、女の性器に、爪先立ちになれば、かろうじて舌が届くぐらいの高さだ。俺はそうした。割れ目の茂みには、小便の刺激的な安母尼亜の臭気が、むうっとこもっている。雨浴器を浴びるように、要求しようかとも思った。が、ここで止めるのも、もったいない気がした。そのまま、口を動かした。両手でエリカの逞しい大木のような、白い太ももを掴んでいた。固い。筋肉質だった。体重を支えて重心を保った。エリカは、目を閉じて静かにしている。気持ちが良いのだろうか?止められもしないので、そのまま、行為を続けた。
 もう我慢できないというように、「ああ!」と大きな声を出した。狭い雨浴器のある浴室の壁に反響した。鼓膜が痛い。俺の髷を結った後頭部に、両手をあてがっている。すごい力だった。エリカが小腰を屈めた。割れ目が広がった。顔の前面が、がぼりを飲み込まれた。俺の左右の耳辺りまでが、女の匂い高い内部にあった。音が遠くなった。粘膜が頬に張り付いた。
 それから、エリカの割れ目から、強い力で水流が噴出した。熱い液体が、ほとばしった。愛液は、頭上から雨のように、ざあざあと降りそそいだ。顔から首、胸、腹、そして、俺の男根の先端からも、温かい液体が、ぽたぽたと床に滴った。止まらない。熱帯の驟雨だった。全身が、頭の天辺から爪先まで、濡れ鼠になった。もともと水分の多い女だったが、これは異常だった。液体の安母尼亜臭に気が付いた。エリカが、すうっと腰を上げた。粘膜が、ぐちゃりと湿った音をたてて顔からはがれた。俺の頭上に、まっすぐに立った。こうなると、口が届かない。頭上から何か叫んでいる。切羽詰まった口調だった。『ドリンク! ドリンク!』そう繰り返している。そういうことだったのか!?女は、男のように肉の筒がないので、前ではなくて真下に小水が飛ぶ。俺は、エリカの足の間に跪いた。甘露を浴びながら、大きく口を開いた。匂い高い尿は、舌の上に、しぶきをあげた。あそこで、『イート』と言ったら、どうなったのだろう!?戦慄した。だが、これが、女が男を受け入れたという印であるらしい。ある種の動物の求愛の承認と同じだった。
 猛暑なのに、部屋の天井の扇風機は壊れて止まった。二人で、冷たい雨浴器の水を浴びた。しかし、すぐに互いの体温で汗だくになった。それならば、離れていれば良いものを、すぐに肌と肌を、くっつけたくなる。悪循環だった。それでも、エリカを逝かせた。自分も、すべての精を搾り取られた。
 目が覚めたのは、もう太陽が高い時刻だった。船に乗り遅れる。慌てて起き上がった。藤の寝台から飛び降りた。しかし、そこから、先に行けない。首が締まった。息ができない。俺の首には、犬にするような首輪がしっかりとはまっている。鉄の鎖がついている。
 エリカは、俺がひどく気に入ったようである。真紅の部屋に飼われることになった。どのみち船は、俺を置いて出航してしまっただろう。この次、いつ寄港するかも分からない。この島には、予定外の入港だったのだ。
 俺は、今でも島にいる。寝台の下には、真鍮の皿が置かれている。俺の食べ物は、エリカの残飯だった。それを、食うのだ。やがて、エリカが子どもを産んだ。黄色い肌に黒い髪をしている。間違いない。俺の子だ。この島から逃げられそうにない。