『化特隊』シリーズ・2
巨女獣出現!
笛地静恵
【注記】この作品は、完全なるフィクションです。登場する団体、職名、氏名その他にお
いて、万一符合するものがあっても、創作上の偶然であることをお断わりしておきます。
(笛地静恵)


 平成関東大震災が発生した。首都の機能は、一時は完全に壊滅したかに思えた。首都機
能の移転が、真剣に議論されていた。が、各地方自治体は、不毛な議論を展開しているだ
けだった。

                 *

 その間に登場したのが、単位時間辺りで、熟練した労働者の二十倍のパワーを発揮する、
汎用人型工業用ロボット『モンロー』である。大量の巨大ロボットが、首都圏に溢れた。
それに呼応して、『モンロー』を使用した凶悪犯罪も増加していた。

                 *

 これに頭を痛めた警視庁は、女性警察官のみの、『化学特別装備女子警察隊』を急遽、編
成した。略称、『化特隊(かとくたい)』の誕生である。

                 *

 「化学特別装備」とは、当時、日本でも使用が認可された、オシリス薬のことである。
女性の肉体のみを、巨大化させる特殊な薬品である。そのために、必然的に「女子警察隊」
になった。
 
                 *

 長身の伊井田キャップは、頭を痛めていた。それが持ち前の、いつでも胃が痛いような
不愉快そうな表情が、一段と苦みばしっていた。眉間にしわがよっていた。厚い下唇を、
前歯で噛み締めていた。室内の制服の青いブレザーの肩を回して位置を直していた。白い
ブラウス。白のミニスカートから、しなやかに長く羚羊(れいよう)のように美しい足が
のびていた。それを、何度も組み替えていた。黒く長い髪を細く長い指先で、無意味に何
度も梳っていた。落ち着かなかった。

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 人事異動の多い職場である。かつては六人であった『化特隊』も、十五名の大所帯に変
化していた。二つの理由があった。オシリス薬の進歩があった。鍵に融通性が生じて来た
のだ。それにあう、エクソンの鍵穴を持った遺伝子の範囲が、二倍に広がったためである。

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 ただし、日本にも諸外国からの非合法のオシリス薬が、密輸入されるようになっていた。
それを服用した女性が巨大化し、暴れるようになっていた。粗悪な不純物の多いオシリス
薬は、巨大化した女性の理性を吹き飛ばして、怪獣化する。いわゆる「巨女獣」の出現で
ある。その取り締まりも『化特隊』の任務だった。今のところ事態に対応できる能力のあ
る組織は、日本には、ここしかなかった。

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 自衛隊の内部に、極秘でオシリス部隊の設置が検討されていた。巨大化した女性自衛隊
員が専用輸送機で現地に飛んで、パラシュートで降下する。伊井田が知るかぎりでは、ま
だ計画の段階を出ていなかった。本来は警察官である『化特隊』の彼女たちの肩に、巨女
獣の侵略からの国土の防衛という、過剰な期待と負担が、伸し掛かっていた。対応しなけ
ればならない事件の範囲は、首都圏の『モンロー』犯罪の他に、全国の「巨女獣」の対策
にまで広がりを見せていた。

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 政府がしてくれたのは、まず低年齢化による人数合わせだった。『化特隊』のみ女性警察
官の採用年齢を、現行の十八歳から十三歳以上にまで押し下げたのである。これによって
女性中学生から、遺伝子の適性検査さえパスすれば、入隊の資格を得ることができた。

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 ただし、児童福祉法その他によって、十五歳以下の少女については、夜九時以降の勤務
が禁止されていた。どうせいちゅんじゃア?ワリャア!『モンロー』や『巨女獣』の暴走
事件は、夜には起きないとでも言うのだろうか?伊井田自身が巨女獣になって、暴れまわ
りたい心境だった。

                 *

 『化特隊』はオコチャマ化していった。伊井田キャプテンの役割は、中・高校生の学校
の先生のようなものになっていた。早く他の楽な仕事について隠居したかった。が、彼女
に代わって、この椅子に座れる人材が育っていなかった。今しばらくは、この状態が続き
そうだった。君津警察庁長官からも直々に頼まれていた。

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 十五名の、面倒を見なければならなかった。いや十五名ではない。伊井田自身が混乱し
ていた。大食いの井出は、本庁の配属になった。北海道出身で酒飲みの泉も、独特な迫力
があった安寿田も、最高の美少女だった藤牧子も、もういないのだった。あの頃は、良か
ったと思う。どうも隊員が小粒になっているような気がして、仕方がないのだった。

                 *

 いや、小粒というのは、身長のことではない。今では、最古参になった身長百四十五セ
ンチメートルの蒲口よりも、たいていの隊員は、身長が二十センチメートル以上は高かっ
た。巨大化した時には、七メートル分のアップである。それなりの迫力はあった。しかし、
肝心の犯人逮捕で、へまが多すぎた。路上に不法駐車中の高級外車を踏み潰したり、つま
ずいてビルに倒れこんで高層ビルを全壊させたりしていた。あの男性のことしか頭にない
ような、色っぽい藤牧子だって、これほどの質と量のミスはしなかった。処理しなければ
ならない「始末書」の書類が、伊井田の机の上には、山になっていた。さらに新たな事件
が発生していた。

                 *

 伊井田は、気分を落ち着かせるために、指を折っていた。興奮しているのだろう。指が
震えていた。十一名。間違いない。今、現在は、十一名だ。それが、彼女が自分の手足の
ように使いこなせるはずの、今日の『化特隊』の人数だった。

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 ぴぴぴぴぴぴ。壁のライトが点滅した。電子頭脳の記憶装置のテープが回転していた。
本庁からの入電の紙テープを、蒲口が解読していた。時代錯誤だとは思っていない。セキ
ュリティの問題を、クリアーすることを考えると、昔風の装置も、なかなか馬鹿にできな
かった。解読の情報は、蒲口の頭の中にのみ存在する。それに両親の影響で、子供の頃に
『ウルトラマン』を見て育ってきた伊井田は、このレトロな雰囲気が大好きだったのだ。
ぴこ〜ん。ぴこ〜ん。ぴこ〜ん。この持続する機械音にも意味はない。意識が排除してい
て耳にも入っていない。でも、必要な気がするのだ。

                 *

「キャップ、本庁から入電です。奥乳部に巨女獣が、二体出現です。奥乳部湖で、ビキニ
で暴れています。このままでは、奥乳部第四ダムに、被害が発生する恐れがあります。も
し壊されれば、麓の村村に、大洪水が襲来する恐れがあります」
「了解!」
 でも、どうすれば良いのか。夜勤で、当直の隊員は、蒲口と自分しかいない。ここを無
人にしてしまって良いのか。深夜の奥乳部湖で泳げれば、素敵かもしれないが。

                 *
 
 ウイーン。音を立てて、自動ドアが開いた。本当は無音にできるのだが、これも彼女の
趣味でわざとそうしている。
「ア〜ア。疲れた」
「疲れたビ〜」
 実にのんびりとした口調で、亞夷子(あいこ)隊員と、未来(みき)隊員が帰還して来
た。十六歳の高校一年生である。なんとか夜間の勤務が、可能な年齢だった。『モンロー』
四体を、夜食前に軽くスクラップにして来たのだ。一体が、彼女たちの給料の二年分に当
たる機体だった。それを破壊するのに、十五分とかからなかった。恐れを知らぬ、果断で
迅速な少女たちの処理だった。この『モンロー』の暴走事故で、首を切られる社員は、何
人いるだろうか?そうした心配は何もしていなかった。

                 *

 伊井田は、二人の姓を覚えるのを放棄していた。あまりにも隊員の変化が早い。記憶で
きないのだ。
「亞夷子、未来。疲れていて悪いけど、これから、奥乳部湖まで飛んでくれない。巨女獣
が、二体発生したの」
「エ〜ッ!」
「マジッスカ〜?」
「あたしたち、まだ晩飯も、食っていないんですよ〜」
「食わしてくれ〜。フラフラで〜す〜」
 軽い。実に軽い口調だった。しかし、この二人は現在の『化特隊』では、出色の組だっ
た。潜在的な能力では、安寿田・藤組に匹敵するかもしれなかった。

                 *

 「そこを、なんとか、お願いよ。ノリ弁当を三つあげるから」
 伊井田は手を合わせた。キャップに、ここまでやられては仕方がない。
「は〜い」
「了解」
 食い意地の張った二人は、しぶしぶ立ち上がった。
「食事は、『ジェット・ビーグル』号の中で取って頂戴」
 机の上には、みんなの夜食用のノリ弁当が重なって置いてあった。彼女たちは、三つず
つを手に取っていた。どうも勤務が多忙になると、食欲にストレスの解消法を見いだすと
いう傾向が、少女達にはあるようだ。そのために、みんな『化特隊』に入隊すると、激務
のはずなのに太ってしまうのだった。

                 *

 「それから、制服の下に、水着を着用のこと。ヌードは厳禁よ」
 藤牧子先輩以来、『化特隊』の露出への世間の目は厳しかった。期待が、大きくなってい
ると、言い換えてもいい。スタイルの良かった藤先輩に、追い付き追い越すのは、たいへ
んなことだった。あの大人気の『オシリス美少女警察官!犯人百人メッタ切り!』のAV
ビデオは、二人とも隠れて鑑賞したことがあった。亞夷子と未来は、それぞれの思いを胸
に、更衣室のロッカーに向かっていた。

                 *

 政府が、苦しい組織にしてくれた二つ目のことが、『化特隊』本部ビルの屋上に、垂直離
着陸上昇機『ジェット・ビーグル号』を設置してくれたことである。これで日本全国どこ
へでも、一時間以内に駆け付けることができる。十七歳の亞夷子と未来の二人には、夜勤
もこたえていなかった。自動操縦にして、機内で健康な胃袋で、ノリ弁当をパクパクと平
らげていった。

                 *

 亞夷子は、弁当の蓋の裏についていた、ご飯粒を、白い前歯で刮げ取るようにしていた。
その様子がおかしいと、未来に笑われていた。
「アレー、だってエ、あたしイ、オカ〜アサンからア、ご飯は、お百姓さんが、苦労して、
作ったものだからア、一粒も残すなっ、ていわれて、るん、ですよオ〜!」
 その独特な、リズム感のある、早口のラップのような方言に、お茶のペットボトルを口
の上に立てて、ごくごくと飲んでいた未来が、ぶうっと吹き出していた。

                 *

 未来は、オシリス薬の、『フラッシュ・スプレイー』を点検していた。間違えて、食事の
カレーライスのスプーンが、胸ポケットに入っていたことがある。だいたいオシリス薬っ
て何なのだろう。日本人押井律蔵博士の発明である。『化特隊』の養成学校で研修の時に講
義を受けた。相当に難しい。世界でも、その理論を、本当に理解しているのは、同じく日
本人のホルス薬を作った天才羅川亞門博士だけだと言われていた。理数系が苦手の未来が、
かろうじて理解しているのが、オシルス薬が人間の女性の遺伝子そのものに働き掛けるこ
とである。遺伝子は、人体の設計図である。それが巨大化を指示するのだった。

                 *

 人間の細胞の中には、なぜか二種類の遺伝子が存在する。ひとつが細胞核であり、もう
ひとつがミトコンドリアDNAである。この二つがヒトゲノムである。オシリス薬は、こ
のミトコンドリアDVAのエクソン(情報が書き込まれている部分)に働き掛ける。次に、
細胞核DNAの全くイントロン(情報が書き込まれていない白紙の部分)だと思われてい
たところに、新しい遺伝子情報が書き込まれる。ミトコンドリアDNAは、代々の女性の
みに遺伝される。それが、オシリス薬という鍵に合致する鍵穴である。だから、女性だけ
しか巨大化できない。できるのも一定の型のミトコンドリアDNAを持っている場合のみ
である。人間には、三十三人のイブがいたということが、現在までの研究で判明している。
その内の二人のイブの子孫のみが、オシリス薬によって巨人に変身できるのだ。ある科学
者グループは、このイブが、地球外から飛来した巨人の女性ではなかったのか、という仮
説を出している。面白いことだ。それならば『化特隊』は、宇宙人の子孫が、地球人を守
るために戦っていることになるのではないだろうか。

                 *

 オシリス薬の理論は、もちろんこれだけではない。なぜ、彼女たちが着ているビキニま
で巨大化できるのか。遺伝子理論では、まったく説明がつかない。押井律蔵と羅川亞門は、
『相対性巨体化理論』というものを構想しているそうだ。オシリス薬もホルス薬も、物心
相関(プシコイド)現象であるというのだ。人間の精神が、物質に影響を与えるというこ
とである。唯物論と唯心論を弁証法的にアウフヘーベンする、物心論という新しい哲学を
提唱している羅川鷹子などの哲学者もいる。この辺りになると、未来にはまったく理解で
きない領域になる。でも、精神力で巨大化するのならば、伊井田キャップの変身する時に
は「ジュワッ!」と声を出すことという規則にも、一定の根拠があるということになる。
あれは気合いを掛けているのだ。
「そろそろ着くわよ」
 亞夷子が操縦桿を握っていた。着陸準備を開始していた。

                 *


 『ジェット・ビーグル号』が、強力なエンジンから着陸のために噴射する、明るく太い
三本の炎は、理性が飛んでいる巨女獣にだって、気付かれているだろう。奇襲には、あま
り意味がなかった。正面からいくしかなかった。一山だけ向こうに着陸した。『ジェット・
ビーグル号』の操縦席で、オレンジの制服を脱ぎ捨てていた。無人地帯だが、隊規で制汗
スプレーを使用していた。

                 *

 亞夷子は、三つの頃からクラシック・バレーを習っていた。しなやかな身体の柔らかさ
には自信があった。それに耐水性のある、黒いレオタードを着ていた。銀色の羽のような
模様がついている。『白鳥の湖』で、悪魔役を踊ったときの衣裳だった。未来の方は、トリ
コロールのビキニだった。彼女の明るい性格にマッチしていた。

                 *

 銀色のフラッシュスプレーに入った、オシリス薬のカプセルを頭上に高く持ち上げた。
「ジュワッ!」『化特隊』の伝統にならっていた。なんとなく、伊井田キャップの趣味なの
だということが、分かってきている。森の木々が、膝ぐらいまでの雑草になっていた。霜
が下りたように白くなっていた。オシリス薬が、彼女たちの身体を巨大化するエネルギー
に、空気中の温度を使用したのだった。月光に銀粉のように、ダイヤモンドダストが舞っ
ていた。足元に犬ぐらいの『ジェット・ビーグル号』の白い機体があった。操縦席のガラ
スにも氷の結晶が煌めいていた。雑草の霜と見えるのは樹氷だった。水分が結氷している
のだった。二人とも、身長六十メートル以上の巨体に、変身していた。

                 *

 乳部の奥深い山々も、二人には、地面のなだらかな隆起のようなものでしか、なくなっ
ている。その影に蹲っていた。山の木々は、雑草のようなものだった。巨体の下で、ばき
ばきとつぶれていった。レオタードの生地を透かして折れた幹が、かすかに肌を刺すよう
な、チクチクする感触があった。冷たかった。気持ちが良かった。

                 *

 山の頂上から、向こう側をのぞいてみた。奥乳部湖の鏡のような表面には、銀色の月光
が、静かにきらめいていた。奥乳部というのは東西に大きな山を持つ、谷間になるのだと
いうことがわかる。双子山が映っていた。そこに、二人の若い巨女獣がいた。水を跳ねと
ばして、遊んでいるようにしか見えない。ビキニということだったが、二人とも、トップ
レスだった。脱げてしまったのだろう。かなりの巨乳であることがわかった。抱き合って
いる。性欲が高まっているのだった。お互いの身体を、貪り食うような愛情表現だった。
歯と爪で、切り裂かれた素肌から、赤い血が幾筋も流れていた。実際に、食ったのかもし
れない。未来は悪い予感がした。

                 *

 亞夷子も未来も、それぞれが個性のある美少女だった。長身である。巨女獣よりも頭半
分は大きいだろう。しかし、胸がないことは、それなりに気にしているのだった。戦闘意
欲が沸き起こっていた。

                 *

 伊井田キャップからの情報によれば、地元の女子高生二人がキャンプに来て、解放感か
らノイエ・シブヤ辺りで、外国人のバイヤー(密売人)から購入したインチキ・オシリス
薬を、遊び半分で使用したものらしい。しかし、奥乳部湖は、ダムによって塞き止められ
てできた人造湖だった。野放しには、できない。

                 *

 事実、二人の動きで起こる大きな波が、ダムの上をバシャバシャと越えていた。ダムの
職員の避難は、全員が完了していた。今夜のキャット・ファイトのショーの観戦者がいな
いのが、少し残念だった。観光地でないのが救いだった。幸運にも湖畔に、店のようなも
のはまったくなかった。ただコンクリートの道が、奥乳部湖を取り囲むように、細い灰色
の紐のようにして、山腹に走っていた。何箇所も、巨女獣達の衝突によって引き起こされ
た山腹の崩落によって、分断されていた。かなり大規模に緑の森が、湖水の中に雪崩落ち
ていた。山の茶色い地肌が、剥出しになっている場所もあった。復旧には、相当の費用と
時間がかかることだろう。

                 *

 巨女獣の出現を通報してくれた、男子大学生の釣り同好会の連中と、連絡が取れなくな
っているという。GPS携帯にも、反応がなかた。救助を、急がなければならなかった。
奥乳部湖に、男だけで釣り糸を垂れにきて何が楽しいのだろうか。未来には、暗い趣味だ
と思えた。彼女は湖水で釣った魚を、すぐにテンプラにして食べた時の旨味を、知らなか
ったのだ。

                 *

 未来はきれいな目を、じっと闇に凝らしていた。湖畔に、汚れたハンカチーフにしか見
えない布が、落ちていた。テントだった。その周囲の砂の地面が、蹴散らされていた。足
跡が残っていた。逃げられただろうか?それとも、踏み潰されてしまっただろうか?それ
とも?最悪のシナリオが、脳裏に閃いた。ノリ弁のシャケの脂が、未来の、引き締まった
筋肉質の腹部の中の胃に、重く感じられていた。

                 *

 巨女獣に変身すると、空腹になるのだった。ここまでは、正規のオシリス薬でも同様で
ある。しかし、この後が異なる。特に、肉が食いたくなるのだった。激しい飢餓感らしい。
不完全な変身で、不足したタンパク質やアミノ酸を、肉体の全細胞が無意識に補充しよう
とするということだった。巨女獣に手に入る、もっとも簡単な肉とは、人間である。人食
いの怪獣である。全国で、悲惨な被害が多数発生していた。急がなければならなかった。
ダムの破壊と、下流への逃亡の双方に対応することはできない。

                 *

 未来は、亞夷子に尋ねた。
「どっちにする?」
「あたし、右!」
 分かるような気がする。貧乳の亞夷子には、右の方が、若干、胸が大きいように見えて
いるのだ。
 その観察は、当たっているだろう。
「じゃ、私が左ね!」
 未来は、山の隠れ場所から、飛び出していた。亞夷子も続いた。足元から、一本が数メ
ートルもある木々が、雑草のように、軽々と何十本と空中に舞い上がっていた。

                 *

 巨女獣は、普通の意味での理性を持っていない。人間の意識は、飛んでしまっている。
視線が定まっていない。唇の端からは、よだれが垂れ流されていた。この状況だと、脳細
胞が溶けているかもしれない。普通の人間サイズに戻っても、社会生活への復帰は、難し
いかもしれなかった。日本へのテロリストの攻撃の手段として、わざと粗悪なオシリス薬
が持ち込まれているという専門家の分析もあった。未来には本当のところは分からなかっ
た。当面の相手を処理することだけが、重要だった。

                 *

 攻撃のパターンは、単純だった。いわゆる知恵を使ったものではない。殴る。蹴る。噛
み付く。引っ掻く。爪と歯は、恐くない。本物と偽物の厳然たる相違があった。『化特隊』
の、純度百パーセントの精選された正規のオシリス薬を投与された肉体は、鋼鉄の強さが
あった。巨女獣では、傷を付けることもできない。彼女たちの爪は剥げて、歯は折れる。
やりたいだけやらせてやる。しかし、力は、火事場の馬鹿力という奴だった。筋肉に、理
性による制限という限界がない。身体を壊しても構わない。捨身の攻撃だった。強敵だと
言えた。組みつかれると危なかった。

                 *

 未来の攻撃は、長い脚を生かしたローキックだった。それで脚の骨を砕いて、歩行不可
能にする。しかし、今夜の巨女獣の移動速度は早かった。まるで、彼女の攻撃をからかう
ように、右に左に敏捷に足が砂の上を滑っていた。剥出しの乳房が、ぼいんぼいんと揺れ
ていた。伊井田キャップからの情報に、地元の女子校のバレーボール部所属というものが
あった。身体が習い覚えた、コートの中でのブロックやレシーブの脚の動きが、活用され
ているのだった。

                 *

 亞夷子は閃いた。森の端で湖水を十分に吸って、大きく成長した杉の木を、片手で引き
抜いていた。根に土が付いてきた。茶色に玉のようだった。十五メートル程の長さがある
だろうか。高く飛び上がった。トリコロールのビキニの肉体が、地上二百メートルまで跳
躍した。月光が湖畔に黒い影を落とした。高空から、巨女獣に枝を思いっきり強く投げ付
けていた。巨女獣が、木が飛んで来る方向に身体を向けた。ぐっと腰を入れていた。両肘
を絞めた。前に腕を伸ばした。つまり足の動きが止まった。巨女獣が、枝を上手にレシー
ブしていた。同時に、未来の3200000キログラムの全体重を乗せた踵落としが、巨
女獣の頭部に炸裂していた。顔面から砂地に突っ込んでいた。頭蓋骨陥没。気絶していた。
その隙に、手足を強靭な超合金のロープで縛った。目にも止まらぬ早業だった。一丁上が
りだった。

                 *

 未来が戦った巨女獣の胃の中からは、不幸にも三人分の成人男性の、胃液でボロボロに
消化されてはいたが大学名がかろうじて読める、そろいのアノラックを着たままの、白骨
化した小さな遺体が発見された。一人は、カーボンの釣り竿ごと飲み込まれたのだろう。
奥歯の間に挟まって、それだけが、針もついたままに残っていた。オシリス薬の効果が切
れるときに、巨女獣の体内にあったものは、同様の比率で縮小されるのだった。

                 *

 亞夷子の戦いは、もっと凄惨だった。彼女は巨女獣と、殴り合いの喧嘩をしたのだった。
どのような戦い方でも、正面から受けて立つというのが、彼女の方針だった。相当に気が
強いのだった。亞夷子は、鋼鉄の肉体である。巨女獣の拳骨の骨が複雑に骨折していた。
皮膚が裂けて、折れた骨が突き出ていた。相手が、痛覚が鈍くなっている。脂肪ぶとりの
腹に、ボディブローを何発も叩き込んでいた。殴られていることを、あまり感じていない
のだった。乳房が、ゆさゆさと揺れていた。笑われているような気がした。短気な亞夷子
は、頭にきていた。相手の乳房を拳骨で殴り付けた。ぼよん。嫌な感触があった。女性間
の正規の試合では、禁じ手だった。よほど痛かったのだろう。胸を抱くようにして泣き叫
んでいた。

                 *

 巨女獣もさすがに頭に来たのだろう。思いっきり左腕を突き出してきた。巨女獣の血に
濡れた腕の皮膚に、亞夷子は自分の長い腕を滑らせるようにした。リーチには自信がある。
ストレートを、顎にたたき込んだ。相手の力が加算される。倍の力が発揮できた。クロス・
カウンターというボクシングの技だった。マンガで読んでから、使ってみたかったのだ。
成功した。鼻の頭を真っ赤にしていたが、亞夷子も、この戦果には満足していた。ぱんぱ
ん。手を叩いて立ち上がっていた。しかし、詰めが甘かった。

                 *


 捕縛用のロープを取り出そうとした隙に、巨女獣は立ち上がっていた。奇声を発して泣
きながら、湖水に飛び込んでいた。叶わないと思ったのだろう。逃げ足は早かった。黒い
レオタードの亞夷子も後を追った。トリコロールのビキニの未来も続いた。そして、逃げ
る巨女獣に、二人とも同時に追い付いていた。水中で無茶苦茶に暴れるのを、なんとか両
側から取り押さえた。ロープを掛けていた。

                 *

 水面に顔を出した。気が付いた時には、もう遅かった。身長六十メートルの巨大少女た
ちは、三つ巴となっていた。そのままの勢いで、奥乳部第四ダムに激突していた。総重量
10000000キログラムの肉の固まりだった。未来の肘には、ダムのコンクリートは、
ウエハスを破るような脆い感触だった。

                 *

 ようやく上空に到着した、某テレビ局のヘリコプターに搭乗していたカメラマンは、決
定的瞬間の撮影に成功していた。水中のキャット・ファイトの間に、自分のビキニのトッ
プがはぎ取られていたことに、未来はまったく気が付いていなかった。彼女の美しい乳部
が、月光に白く照らされていた。

                 *

 下流の村村の被害は甚大だった。こうして、伊井田キャップの苦虫を噛み潰したような
眉間のしわは、より一層深くなるのだった。
『化特隊』シリーズ・2
巨女獣出現! 了