『化特隊』シリーズ・3
『化特隊』の一番長い日・1
笛地静恵
【注記】この作品は、完全なるフィクションです。登場する団体、職名、氏名その他にお
いて、万一符合するものがあっても、創作上の偶然であることを、お断わりしておきます。
(笛地静恵)


 平成関東大震災が発生した。日本の首都は完全に壊滅したかに思えた。

                 *

 そこに登場したのが、単位時間辺りで、熟練した労働者の二十倍のパワーを発揮する、
汎用人型工業用ロボット『モンロー』である。大量の巨大ロボットが、首都圏に溢れた。
それに呼応して、『モンロー』を使用した凶悪犯罪も増加していた。加えて、日本でも使用
を許可され始めていた、オシリス薬の存在があった。違法で粗悪な薬を、遊び半分で服用
した若い女性達が、巨人化していた。人食い怪獣となって、日本全国で暴れだしたのであ
る。「巨女獣」と呼ばれ、恐れられていた。

                 *

 これらに頭を痛めた警視庁は、女性警察官のみの、『化学特別装備女子警察隊』を編成し
て、難事件の解決に当たらせていた。略称、『化特隊(かとくたい)』である。

 
1・十二月二十四日 午後五時 『化特隊』本部

 伊井田キャップは、『化特隊』本部ビルの司令室の窓から、長身の上半身を大きく乗り出
していた。双眼鏡をのぞいていた。平成関東大震災の被害から、だぶ復旧してきた市街は、
すっかりクリスマス一色だった。さすがに稼働している『モンロー』の姿も、ほとんど見
えなかった。派手な電飾が、あちこちのビルにきらめいて見えた。雪雲が低く垂れ篭めて
いた。夜半から雪になるだろうという、天気予報があった。

                 *

 『化特隊』本部ビルは、上になるほど、大きくなる逆三角形の妙な設計のために、ビル
の真下の道路を見るためには、相当に危険な姿勢を、覚悟しなければならなかった。今で
は、『化特隊』第二小隊のキャップに昇進した蒲口が、自分の席から、はらはらしながら伊
井田の様子を眺めていた。地上五十メートルはあるだろう。

                 *

 『化特隊』のビルのまわりには、いつものように、あわよくば隊員の姿を撮影しようと
して、カメラ小僧たちがたむろしていた。いつもよりも人数が多い。彼らへのサービスと
して、とくに人気のある、オレンジ色の制服のミニスカートの似合う美脚の未来を、外に
出している。空気には、制汗スプレーのさわやかな匂いに、一年ぶりの窓の拭き掃除に熱
中する、十六歳の少女の体臭がブレンドされた、実に甘い芳香が漂っていた。

                 *


 隊の評判を上げるためだ。人気取りというのも、隊長の大事な任務だった。『化特隊』は、
その数々の不始末から、辛辣なマスコミから、日本の警察の「お荷物」や「税金ぐらいの
キャバクラ」とも酷評されていた。数々の成果の方は、上げて当然なのだ。暴走した『モ
ンロー』や「巨女獣」の数さえ、カウントされていなかった。

                 *

 あるビルの角に、こちらからは見えにくい角度で、黒い乗用車が停車していた。その脇
に立って、こちらをうかがっていた、黒服の双眼鏡の男と視線があった。未来のファンに
しては異質な雰囲気があった。向こうも、伊井田の姿に気が付いていた。慌てて、車に逃
げ込んだ。逃げるように走りさっていく。

                 *

 『化特隊』ビルの窓ガラスを、この前の事件の不始末から、未来が巨大化して掃除して
いた。追わせようかと思った。すぐに捕まえて来てくれるだろう。しかし、止めにした。
もう少し泳がせておこう。伊井田は、おいしいものは、いちばん最後まで残してから、食
べる主義だった。厚い唇が歪んで、恐ろしい表情になっていた。窓の外に巨大だが、美し
い未来の顔があった。瞳孔の直径だけで、三十センチはあった。大きな瞳が光っていた。
目元の涼しい美しい少女だった。

                 *

「キャップ。何を笑っているんですか?」
 隊員だけが伊井田にとっては、それが得意満面な表情であることを判別できた。
「ちょっとね」
 伊井田は、それだけをいった。
「そこの隅!鳥の糞がついてるわよ。もっと、しっかりと磨きなさい!」
 細くて長い指を延ばして注意していた。
「は〜い!」

                 *

 『化特隊』第一小隊は、すでに休暇を貰って帰宅している。一人だけ残されて、仕事を
しているのだ。が、未来の声には緊張感はなくて明るかった。この仕事の後で、久しぶり
に四日間という長期の休暇が、待っているからだった。未来の実家だけが、第一小隊の隊
員の中では都内にあった。

                 *

 『化特隊』も、警察の『ハロー・オシリス・プロジェクト』という隊員の勧誘作戦が、
軌道に乗ってきていた。何よりも全国の少女たちが、同世代の『化特隊』の真剣な活躍を
評価してくれていた。興味と関心を持ってくれるようになってくれた。それが、大きかっ
た。全国のオーディション会場は、いつも満員の盛況だった。二十名の大所帯になってい
た。

                 *

 それを第一小隊と第二小隊の二つに分けた。事件があれば呼び出される、自宅待機であ
る。。が、原則として交替制の勤務になっていた。休みが全くないという激務からは解放さ
れていた。伊井田が、隊員に積み重なった疲労が、ミスの原因になっていると本庁に力説
したからである。それだけに、これ以上に、凡ミスが許されない厳しい目が、政府からも
本庁からも世間からも注がれていた。

                 *

「はあ〜っ!」
 未来の暖かい息で、司令室の冷たくなっていた窓ガラスが、直径三メートルぐらいに渡
って、丸く白くなった。彼女の大口の直径も、それぐらいはある。赤い洞窟のようなもの
だった。上顎から舌に、縄のように太い唾が何本も垂れていた。奥には暗黒の喉の穴が見
えた。白い歯が、ストーンサークルのように光っていた。窓は、締め切ってあるのに、十
六歳の少女の、口の中の甘い匂いが、室内に漂っていた。未来は手を激しく動かしていた。
大型のテントの生地を使った、窓吹きの圧力に、ガラスが、がたがたと鳴った。巨大な『化
特隊』本部ビル全体が、その手の力に地震のように振動していた。伊井田は、転びそうに
なっていた。
「まったく。力の加減を知らないんだから!」
 文句を言っていた。蒲口が笑っていた。

                 *

「蒲口さん、後をお願いするわね。二人が仕事を終わったら、帰していいわ。ほんとうに
きれいになったかどうか、厳しくチェックしてね。要領だけは、いい子だから……」
 伊井田は、バーバリーのコートに手をのばしていた。制服の上に羽織った。それは、長
身の彼女に、ぴったりと似合っていた。
「第二小隊に、お任せください。キャップは、これからどちらへ?」
「伊井田さんでいいわ。あなたもキャップでしょ?」
「ああ、すみません。どうも、なれなくて」

                 *

 蒲口は、自分の新しいポジションに明らかに緊張していた。辞令を貰ってから、まだわ
ずか二週間目だった。新制の第二小隊は、できるだけ市民に威圧感を与えないように、身
長百四十五センチ以内の小柄な少女たちで、結成されていた。日本の警察の上層部らしい
配慮である。その代表が、蒲口キャップである。それでも、小柄な少女たちが巨大化すれ
ば、みんな優に五十メートルは越えるようになるのだった。

                 *

「だんだんで、いいわ。ちょっと榊原班長に会ってくる。直帰するかもしれない。連絡は
するわ」
「了解。行ってらっしゃい」
 伊井田はコートの裾を翻して、司令室から大股に出ていった。自動ドアが、ウィーンと
なっていた。ぴこーん。ぴこーん。ぴこーん。間断ない機械音が、馴染み深く蒲口を取り
巻いていた。

                 *

 伊井田は、整備班副班長のシゲルさんと議論になっていた。
「エエッ。どうして『ジェット・ビーグル』の修理を、一機だけ篠原精密機械工業に任せ
るんですか?あたしらだけで、できますよ。信頼して下さいよ!」
「こまったわねえ〜」
 伊井田は黒髪を指先でかいていた。
「伊井田さん。理由を説明してくれネエカ?」
 整備班長の榊原が、静かに声に出した。
「まあ、カン……なんですけどね」  
 伊井田は、長い髪を何度も指で梳っていた。榊原の黒メガネの奥の目が、鋭く自分の心
の奥まで、見通しているような気がした。
「シゲル、『ジェット・ビーグル』初號機を、整備台から、発射台に移動しろ!」
「エエッ、だってオやっサン!!」
「ウルセエ、つべこべいうと、蹴っ飛ばすぞ。言われた通りにやれ!……その代わりに、
伊井田さん、パイロットは出せねえよ!こっちも人出不足でな」
「いいです。自分で操縦できますから」

                 *

 伊井田の操縦する『ジェットビーグル』初號機は、『化特隊』ビルの屋上から、冬の重い
雲の空に、垂直に上昇して吸い込まれるように消えていった。未来が、不思議そうに大き
な手を振っていた。あのシャープな操縦は、キャップのものだった。しかし、どこに行く
のだろうか。何も聴いていなかった。スケールの大きなキャップは、実家に、あれで帰宅
するとでもいうのだろうか。だとすると、ズるっこだった。彼女は、これから年末の混雑
した電車に、乗らなければならなかった。

                 *

 だいたい、仕事は済んでいた。もともと逆三角形のビルというオーバーハングの最悪の
労働条件の下で、窓拭きの職人たちは良い仕事をしていた。ほとんど汚れていなかった。
キャップが、自分を外に出した意図が飲み込めていた。未来は、周囲の道路に集合した、
彼女の無数のファンたちに、振り向いてやっていた。地上三十メートルの高度の三十五メ
ートルのヒップを、わざともじもじと振ってやっていた。後ろ姿しか撮れなかっただろう。
意識的に、大き目のお尻を後に突き出してやっていたから。バックの際どいショットは、
撮れただろう。キャップの厳命で、公開用の下着を身につけていたけれども。

                 *

 『化特隊』の本部ビルをバックにした、オシリス薬で巨大化した制服の隊員のショット
は、めったにとれないだろう。普通は現場に直行して、そこで巨大化して活躍しているか
らだ。貴重な写真になるだろう。未来の知っているかぎりでは、安寿田隊員や、あの伝説
の藤牧子隊員がいた時代の、隊の一般への紹介用のパンフレットの表紙に乗っているだけ
だった。しかも、安寿田隊員は合成のはずだった。藤隊員だけの生写真は、貴重なものだ
という。ファンの間では、高額のプレミアムがついて取引されていた。

                 *

 大きく。オレンジのミニスカートの両足を、どっかと開いていた。オレンジのブーツが、
道路に不法駐車している、自動車を踏み潰さないように、細心の注意をしていた。乗用車
一台分よりも明らかに大きなブーツだった。弐トントラック一台分の容積があるかもしれ
ない。明るい笑顔になっていた。亞夷子は、それは、もともと日本の法律に違反している
のだから、気にする必要はないという主義だった。特に悪質なものから、遠慮なくブーツ
の錆びにしていた。内部に星が書いてあることを、未来だけが知っていた。

                 *

 『化特隊』ビル一階の、『化特隊』グッズ売り場。そこでの、毎月の3Dプロマイドの売
れ行きでは、いつも亞夷子とニ、三位を争っていた。首位の藤牧子隊員は仕方がないが、
亞夷子には負けたくなかった。本部ビルの屋上に、片手の肘をずしんと乗せていた。体重
を少しかけて、寄り掛かっていた。ミシッ。いやな音がした。ビルの中の蒲口キャップ、
それに榊原班長やシゲルさんたち整備員が、驚いていることだろう。彼らはクリスマス返
上で、普段、彼女たちと同様に酷使されている、『ジェット・ビーグル』の機体を優しく整
備しているはずだった。サービスで、オレンジの制服の胸元を、磨いたばかりの強化ガラ
スの窓に、むぎゅうっと押しつけていた。未来は、長身のために胸が小さく見える体型だ
った。が、実は結構、量がある。脱ぐと凄いのだ。『化特隊』本部ビルを、恋人であるかの
ように抱擁していた。忙しい通行人たちも一瞬だが、このスペクタクルな光景に、足を止
めていた。カメラ付き携帯を、身長六十メートルの美少女に向けていた。

                 *

 未来は本当は、季節物のサンタクロースの扮装で出たかったのだ。が、隊長に「遊びじ
ゃないのよ。罰なの!」と、きつく叱られていた。奥乳部湖の一件が響いていた。トリコ
ロールのビキニのトップの金具の紐を、少しだけ緩めていた。伊井田キャップの鋭い目に
は、ばれてしまっていたのだった。マークされていた。

2・午後七時 ノイエ・シブヤ 

 未来は、ノイエ・シブヤに繰り出していた。部屋にいた。仲間の美夏クランシーを、携
帯で呼び出したのだった。実家に戻る前に美夏と、忘年会をするつもりだった。二人とも、
バーバリーのコートの衿を立てて歩いていた。カラオケで盛り上がる予定だった。
「帰らないの?」
「帰るわよ。大圏航路のシャトルの切符が、取れなかったの。明日は戻るわ。グランマ(お
ばあちゃん)に会いたいもの」
 美夏は、ハワイのオアフ島出身だった。マサチューセッツ工科大学の電子工学科を、優
秀な成績で卒業した才媛だった。ニューヨーク市警に『化特隊』が出来る。その研修を目
的として来日している。美夏は、大のおばあちゃん子だった。未来とおでん屋で飲みなが
ら、グランマに会いたいと涙ぐんでいたこともあった。

                 *

 身長百五十センチメートルと小柄だった。一時は、現在の蒲口キャプテンの元で勤務し
ていたこともある。他の日本の平和ボケした少女たちの、良い教師役だった。いつでも戦
闘態勢に入れるように緊張していた。
 さっきも、
「クリスマス。おめでとう!」
 と、赤い薔薇を差し出した未来の喉元に、どこに隠し持っていたのか、「スパイダー・シ
ョット」が突き付けられていた。美夏に奇襲は不可能だった。

                 *

 二人は、シブヤの歩道に刻印された、藤牧子隊員のブーツの足跡の上に立っていた。五
星工業の暴走『モンロー』の『エクバーグ』と戦った場所だった。その時の記念に、足跡
が特殊プラスティックで保存されて、舗装されているのだった。観光スポットの名所にな
っている。ノイエ・シブヤに来るとだれでも一度は、ここに来るのだった。縦十メートル。
横六メートル。テニスコートが取れそうだった。

                 *

 ブーツの靴底は、地面から全体として一メートルは下にあった。数段の階段を、下りて
いかなければならなかった。体重で、これだけめりこんだのだった。特に踵のヒールの部
分の穴は、二メートル以上の深さがある。暗い井戸のようだった。底が見えない。恋人た
ちが、携帯のカメラで記念写真を撮影していた。未来も、シブヤのビル街の向こうの、雪
雲の重く垂れ篭めた空を見上げていた。そこに、巨人となった藤隊員が、立っているよう
な気がしたからだ。このような時、自分たちの巨大さを、痛いほどに強く実感させられる
のだった。

                 *

「あのう、すみませんが」
 優しそうな会社員風のメガネの男が、美夏に声をかけていた。未来はナンパかと期待し
た。が、実際は、彼女との記念写真を、撮ってくれませんかというお願いだった。
「いいですよ」
 美夏は、気楽に請け負っていた。
 幸福そうな年上の恋人達の姿を携帯に収めた。

                 *

 OL風のメガネの彼女の方が、美夏に気が付いたようだった。目が丸く大きく見開かれ
た。未来はまずいと思った。普通は、気が付かない。みんな、『化特隊』の隊員は、いつも
巨人であるような印象があるかららしい。普通の身長でいると分からないのだ。彼女は、
カンがいいのだろう。
「ええ!あの、あなた?」
 美夏が唇に静かに、指を一本立てていた。彼の方が、その意味をいち早く了解していた。
 プライヴェートな時間を、大切にしたいという意思表示である。
「いつも、ご苦労さまです。感謝しています。がんばってください!」
 彼が静かな声で、美夏に握手を求めてきた。結局。未来も混じって、四人は固い握手を
交わした。藤牧子隊員の足跡から出た恋人たちは、シブヤの雑踏の中に紛れて消えていっ
た。彼らにとっては『化特隊』は、「お荷物」でも「キャバクラ」でもなかった。
 未来は美夏の悲しそうな憂いが、顔から消えているのが分かった。
 
                 *

 その後はカラオケで盛り上がった。未来は最近のヒット曲を、クランシー美夏は、ビー
トルズ・ナンバーを熱唱していた。
 新しい『化特隊』のマーチまであった。
 『化特隊』娘が、イエイ!イエイ!イエイ!イエイ!
 ワンダバダバ
 ワンダバダバ
 シブヤの夜が、更けていった。

3・午後九時 篠原精密機械工業本社

 その頃、伊井田は『ジェット・ビーグル』初號機を、篠原精密機械工業の格納庫に格納
し終わったところだった。タクシーを呼んでもらって帰ろうと思った。富士山の青木ケ原
樹海を切り開いたここまで、来てくれるとしての話だ。なければオシリス薬で巨大化して、
東京までマラソンをして帰るつもりだった。身体を動かすのが好きだった。しかし、彼女
の到着を待ち構えていた篠原明日馬社長に捕まってしまっていた。

                 *

「せっかく、来たんですから。どうぞ、あれをご覧になっていってくださいよ」
 後発でありながら、五星工業などの先輩各社を抜く業績を『モンロー』産業において上
げていた。この二代目だという若社長が、やり手だということは分かるのだ。が、どうも
好きになれない性格だった。『モンロー』暴走の原因のひとつが篠原が、開発を急いだ、O
Sにあるのではないかというのは専門家たちの一致した見解だった。書き替えに継ぐ書き
替えで、その場をしのいでいるという印象があった。遣り手の商売人という印象なのだ。

                 *

「あなたのところから、派遣されている隊員達も、いい仕事をしていますよ」
 たしかに共に優秀な隊員だった。泉隊員は、この社長の現在の恋人だった。色仕掛けで、
引き抜かれたも同然だった。
「泉は、休暇で北海道の実家の酒屋に帰っています。今頃は、オヤジと大酒を飲んでいる
でしょうな。それとも、愛犬のアルフォンスと、遊んでいるでしょうかな?」
 泉とクランシー美夏との、おでん屋での暴走事件は記憶に新しい。

                 *

「私も、泉と正月を過ごしたいものです」
 篠原社長が嘆いていた。
 そうか。この軽薄な声が、好きになれないのだ。タテマエかホンネか判断がつきかねた。
子供の頃に見ていた、『うる星やつら』というアニメの主人公の男の声にそっくりなのだ。
ラムちゃんに感情移入していた少女は、優柔不断な彼が、大っ嫌いだったのだ。それを思
い出すのだ。篠原社長にしてみれば、関係のない反感だっただろうが。

                 *

「そんな恐い顔をしないでくださいよ。成果はあがっているんですから」
「ああ、すみません。考え事をしていたもので」
 伊井田は、感情が素直に顔に出るたちだった。眉間に、しわでも寄せていたのだろうか。
彼女は、この顔で損をすることが多かった。
「分かります。そのお年で、『化特隊』隊長という重責を勤められている。敬服しますな。
少しでも篠原精密機械工業の技術力で、バックアップしたいと思っているんですよ。篠原
の社運を掛けた、『イシス計画』ですからな」

                 *

 篠原側の思惑もあるだろう。首都圏復興という需要があったから『モンロー産業』は、
これほどの短期間に、これほどの急成長を見せたのだ。しかし、新東京の完成が見えてき
た現在、さすがに篠原の破竹の進撃の業績にも、陰りが見えてきていた。『モンロー』の次
の手を打つ必要があった。ここは、篠原と隊員の安全を守りたいという『化特隊』双方の
思惑が、一致したというところだった。篠原と伊井田は、指紋、瞳孔、声紋などなどの、
いくつものセキュリティを通過して、地下に下降する高速エレベーターの中にいた。富士
山の溶岩台地の地下には、直径五百メートル。長さ十五キロメートルの巨大空洞が存在し
ていた。篠原は、その一部を使用しているだけだ。この場所が、いかにして誕生したのか
は、まだ原因が判明していない。

4・ 午後十時 篠原精密機械工業本社 地下秘密工場

 地下三十五階で下りた。實山実蔵(じつやまじつぞう)という、実に実直そうな名前の
工場長が出迎えてくれる。
「ようこそ、榊原さんはお元気ですか?」
 『化特隊』の榊原整備班長と、警察の車両整備部で同期だった。
「元気ですよ。シゲルさんを、叱り飛ばしています」
「そうでしょうな。オッホホホホッ」
 上品に笑ってから、篠原明日馬社長に真顔になって答えていた。
「ちょうど『イシス』の搭乗実験が、ひとつ終了するところです」

                 *

 司令室の向こうに、巨大な銀色のロボットが聳えていた。身長は、百メートルはあるだ
ろう。巨大な『化特隊』の少女隊員達を、普段から見慣れているはずの伊井田にさえ、『イ
シス』の巨大さは、圧倒的な迫力を持って迫ってきた。肩のあたりに乗っている人間が、
虫のようにしか見えない。胸の二つの隆起は、小山のようだった。『イシス』のボディライ
ンは、明らかに美しい女性のものだった。搭乗員の一人の女性のスタイルを、やや理想化
したものということだった。宇宙人のレオタード姿のようだった。縁に白い線を施した赤
いラインが、型から胴、太腿まで、身体の左右に、シャープにサンダーボルトをデザイン
したように流れている。頭部の卵形の目が、昆虫のような容貌を与えていた。鼻も口もな
い。胸の隆起の谷間のカラータイマーが、印象的だった。青い宝石のような深い輝きのあ
る光を湛えていた。動力源となる『相対性巨体化理論』の史上初の実用化計画だった。意
識エネルギーを物質エネルギーに転換させるということだ。

                 *

「『イシス』装甲を解除します。」
「『イシス』装甲を解除します。」
「総員退避してください」
「総員退避してください」
 冷静な女性の声の録音テープのアナウンスが、繰り返されていた。赤い回転灯が危険を
告知していた。『イシス』のボディに連結されていたり、接近したりしていた機械が、離れ
ていった。

                 *

 ウ〜ウ〜ウ〜。
 サイレンが鳴っていた。ものものしい雰囲気だった。避難の全工程だけに、十五分間ほ
どが経過していた。ここだけで五十人以上の人間たちが、作業しているだろう。伊井田は、
實山からコーヒーをご馳走になっていた。インスタントだと思っていたら、豆からいれた
本格的なものだった。グァテマラだった。篠原明日馬社長は仕事の都合で退席していた。
静かになったので、伊井田は、よりいっそうくつろいでいた。

                 *

 やがて、中年の男性の落ち着いて響きのある渋い声がした。伊井田が、弱いタイプの声
だった。
「業務連絡。退避作業完了」
「了解。『イシス』装甲を解除してください」
 實山が、マイクに口を寄せていた。
 伊井田には、聞き覚えのある澄んだ声が答えていた。
「了解。『イシス』の装甲を解除します」
 こちらからは見えないイシスの背中に、白い光の線が、ピーッと音を立てるように入っ
ていった。モニターの画面で、伊井田も確認していた。

                 *

 バクン。爆弾が破裂した音のようだった。イシスの背中が、天使の羽のように、ガル・
ウイングのように左右に開いた。シュウシュウ。白い煙が上がっていた。空気中に、甘い
匂いがした。若い少女に特有なあの匂いだった。女子校の体育館の匂い。中から、美しい
巨大な少女が、背中から出てきた。イシスの内部に逆手を掛けて体重を支えている。体操
の選手のようにしなやかな、動きだった。まず上半身だ出てきた。それから『イシス』の
脚の内部から、長靴を脱ぐような動作で、片方の足ずつゆっくりと抜き出していた。床に
両足ですっくと下り立っていた。身長五十五メートルの肉体だった。それが『イシス』の
脇だと、子供のように華奢に見える。壮大な天の蝉の変態のようだった。

                 *

 全身に、網タイツのような生地の、レオタードを着ている。ヌードよりも、くっきりと、
少女の美しいボディラインを強調していた。かろうじて乳首と股間の部分だけに、黒い丸
のような生地の厚い部分があるようだ。網の内部には、冷水が循環している。体温を低下
させる装置だった。宇宙服と同じ原理だった。しかし、少女は頭から爪先まで、シャワー
を浴びたように、ぐっしょりと濡れていた。空気の匂いからしても、自分の汗なのだろう。
クレーンから巨大な制汗スプレーを取った。脇の下と肩のあたり。それに、周囲の空間に
も散布していた。匂いが迷惑をかけていないか気になるようだった。不愉快なものではな
い。むしろ芳香だったが。

                 *

 少女の声が、雷鳴のように地下工場に轟いていた。司令室のガラスが、ビリビリと振動
していた。 
「だあめだ、ジッチャン!」
「ジッチャン」というのは、實山実蔵のニックネームだった。
「サウナに入っているみたい!」
 美少女は『イシス』の隣の、巨大なガントリークレーンが釣り下げたボトル取った。6
400000リットルの冷やした水が入っている。人間ならば、五千人を一日分養う水を、
一瞬で飲みおわっていた。

                 *

「ふらふらして倒れそう!」
 しかし、声は元気そうだった。
「クーラーを、もっと強くしてもらわないと!乗ってらんない!自分の体温で、蒸し焼き
にされちゃう!」
「ご苦労さまでした。ゆっくりと休んでください」
 實山が腰を屈めて、マイクに口を当てるように、労いの言葉をかけていた。
                 *

「お久しぶり!良いダイエットになりそうね?」
 伊井田キャプテンも、古い隊員の奮闘を讃えていた。
「来てたんですか?キャプテン!」
 司令室のガラス窓の向こうから、巨大でも美しい顔が、伊井田キャップを嬉しそうに覗
き込んでいた。
 藤牧子隊員だった。
『化特隊』シリーズ・3
『化特隊』の一番長い日・1 了