短小物語集
神の罠
笛地静恵
 世界の支配者が、神々と巨人から人間に移り変わる時代の話です。
 ヤマトの国のヒデリとホミズの兄弟は、天の神によって地上に使わされた神が、人間の女に産ませた子どもたちでした。半神半人という存在でした。
 ヒデリは、極東の島国ヤマトの第一の王でした。口から炎を吹き出して、すべてを焼き尽くす力がありました。莫大な富を有していました。金と銀を産出する鉱山があったからです。鉱石は自らの火で精錬して鉄器を作っていました。強力な軍隊を持っていました。
 国土の平和を求めていましたので、彼の治世は「ヒデリの平和」と呼ばれていました。都では、泥棒も殺人も少なく、道に貨幣が落ちていても、それを拾う者がいないという噂さえありました。
 兄のヒデリは、金持ちでしたが、弟のホミズは貧しかったのです。自分の持っている物は、すべて、貧しい民に与えてしまっていたからです。
 ある年の暮。食べる物も、なくなってしまったホミズは、兄のもとへ無心にいきました。
ヒデリは、自分が食べていた牛の肩身の骨付き肉を、弟に投げ与えました。
 「これでもやるから、巨人の国へでも、どこへでも、行ってしまえ」
 馬鹿正直な弟のホミズは、牛の肩身の骨付き肉を自分の船に乗せて、北の巨人の国に出かけて行きました。
 旅の途中で、針が喉に刺さって苦しんでいる鮫を助けてやりました。
 イヒカという老人とも、出会っていました。光っている井戸の中から、はいだしてきました。
 「やつがれは、イヒカと申します。お見知りおきを」
 彼には、尾がありました。わけを話すと、老人は竹で編んだ籠を作って、小舟としてくれました。
 「やつがれが、小舟を押し流しましたら、そのまま進むことです。そのうちに、鮫があなたの舟を導いてくれるでしょう。北に向かう、よい潮にぶつかるでしょう。その流れに乗れば、岸辺に沿って魚の鱗のように並ぶ宮が、見えてきます。そこが、巨人たちの国です。その王が、ワタツミです。彼が、牛の肉を欲しがったら、石の臼とならば、交換すると言ってやりなさい。ワタツミは、釣りが得意なので、地獄の底から臼を釣り上げたのですが、その価値が分かっていないのです」
 イヒカは、イヒヒと笑っていました。また井戸の中に帰っていきました。
 ホミズは、巨人の国の岸辺に辿りついていました。魚の鱗のように連なった岸辺の家々から、巨人たちが出てきました。牛の肩身を珍しがっているのです。彼らの主食は、海豹や白熊でした。内陸の大きな動物である牛の肉は、たいそう珍しかったのです。巨人ワタツミも、その中にいました。
 ホミズは、老人に言われる通りに交渉しました。石臼を手に入れていました。
 ヤマト国に帰ると、兄のヒデリ王に、その石臼を贈ったのでした。
 旅の老人の話では、一回転にひとつだけ、なんでも望みの物を、挽き出すということでした。しかし、臼には、魔法が掛かっていました。どんどんどんどん大きくなっていきました。
 どんなに力のある男でも、臼を一回転させることさえできなかったのです。止まれと言う願いをかけることもできませんでした。ヒデリにも、ミズホにも、できませんでした。
 石臼は、今では、ヤマト国の都の高殿と、肩を並べるぐらいに、巨大になってしまっていました。
 臼の影が、ヒデリの黄金の屋根に落ちて、その輝きを陰らせていました。重すぎて、今ある場所から、移動することもできなかったのです。
 ホミズは、またある時にヒデリ王の代理として北のアイヌ国を訪問していました。
 そこで、二人の女奴隷と出会いました。巨人族の娘でした。
 巨人たちの肌は、ホミズが黄色いのに対して白かったのです。髪の毛も、黒に対して金色。瞳は、茶色に対して青かったのです。身体も、彼の二倍はありました。二人のむき出しの胸は、誇らしく高く張っていました。彼の目線は、二人の乳房の下半球を見上げるぐらいでした。名前をソーニャとターニャといいました。
 ホミズは、二人をヤマト国に連れて行こうと思いました。巨人族の女たちであれば、巨人の国で手に入れた、石臼を挽く方法が、分かるかも知れないと思ったからです。もし、臼を挽くことができれば、少なくとも彼女たちは、飢えないで済むでしょう。高殿の倉庫には、作物が貯蔵されていることを、彼は知っていました。それに、初めて見る二人の美しさに、魅せられてもいたのです。
 彼女たちとの、竹を編んだ小さな駕籠のような小さな船での肌を寄せ合った航海は、楽しいものでした。
 黄色い小さな人よ。
 彼女たちは、ホミズをそのように呼びました。
 巨人の国の愛し方を教えてあげるわ。
 ヤマトの女たちよりも、二人の四つの乳房は、大きく重かったのです。左右から肉の臼にはさまれて、挽かれていました。二人の壺は、深く熱かったのです。金色の毛に隠された、二つの壺に交互に焼かれていました。
 二人を等しく満足させることは、ホミズにはひどく難しい作業でした。
 小さいけれども、固いわ。
 たっぷりと時間をかけて、愛してやりました。
 充実した時間が、流れていました。
 鮫が、船を曳いてくれました。漕ぐ必要もなかったのです。
 ホミズは、ヤマト国の港に着いた時には、褒美として、自分の牛の歯の首飾りを、鮫の背びれにかけてやりました。
 二人の巨人族の娘は、都の比較輝く黄金で屋根が葺かれた、高殿の前の広場に連れていかれました。
 その中央に臼が置かれていました。すると、二人の身体は、どんどんどんどん大きく大きくなっていきました。見上げるような巨人に変身していました。左右につき出た、この国で最も大きなタカギという木の枝から作られた棒に、取り次いでいました。
 ゆっくりとですが、臼は重い音を立てて、動き始めていました。
 ヒデリ王は、黄金と平和と幸福を祈っていました。臼は願いを叶えてくれました。
 純粋な金と銀が、きらきらと大地に零れました。しかし、その量は、一日にほんのわずかだったのです。
 巨人族の娘たちでも、一日に十二回しか臼を回転させることが、できなかったからです。
 ヒデリ王は、ホミズの反対にもかかわらず、巨人の娘たちに一睡もさせず、臼を挽かせ続けました。その手首と足首には、ヒデリが鋳造した鉄の輪が嵌っていました。巨人の力をもってしても、引きちぎることができなかったのです。
 歩きながら目を閉じて眠っているような状態でした。あるいは、一人が棒に凭れて仮眠を取っている間に、もう一人が、自力で動かしていたのかもしれません。
 ホミズにも、ヒデリいう黄金と平和と幸福が、金と銀のことだということが、ようやくわかってきました。二人を罠に掛けたも同然でした。罪悪感がありました。
 巨人族の娘が、生きていられたのは、ホミズが、澄んだ井戸の水で、二人の乾いて罅の割れた唇を、兄のホテリが眠っている間に、交互に二人の身体をよじ登って、湿らせてやっていたからでした。自分の乏しい食料を割いて運んでやっていました。
 ヒデリ王は、石臼で挽き出した黄金で、大宴会を開いていました。何もかも満ちたりていました。ホミズでさえも、酒の酔いに、つかのまの落ち着かない眠りを、味わっていました。
 さしもの娘たちも、ホテリ王の残忍非道の仕打ちには、怒ったのです。その隙に、乙女たちは、「石臼の歌」を歌ったのです。巨人の国の王ワタツミを召喚していました。
 彼は、海の波とともにやってきて、ヒデリ王は、火を噴いて応戦しましたが、それも大海の大量の水に消されてしまいました。ついに殺されてしまいました。
 都も、海底に沈んだのです。ホミズは、鮫の背中にしがみついて、辛うじて難を逃れることができました。背びれには、彼の上げた牛の歯の首飾りがありました。
 巨人の国の王ワタツミは、その船に石臼とソーニャとターニャを乗せていました。しかし、彼もまた欲にかられてしまいました。
 北の奥地の国では、塩が、なかなか手に入らなかったのです。主に南の中つ国の山岳地帯の岩塩を高価で購入していました。北方の国の奥地の都へ、大河を通路にして、ワタツミの塩を運搬していました。
 ワタツミも、女たちに船の上で、休みなく塩をひかせました。けれども、塩を積むと、船は傷みやすくなるものです。ワタツミは塩の交易で巨利を得ました。が、ある日、大暴風雨に遭遇していました。塩の重みに傷んでいたのでしょう。もろくも、沈んでしまいました。ホミズも知らないことでしたが、ワタツミも、ニンゲが巨人の女に産ませた子どもでした。腹違いの兄弟であったのです。
 石臼も、波の荒い北の海底に沈んでしまいました。巨人の乙女たちの行方も知れなくなりました。
 ホミズは、次のヤマトの国の王になっていました。神々も、巨人も、その姿を消していっきました。人間の時代になった世界には、幾多の戦争がありました。
 都では、一枚の硬貨をめぐって、泥棒や殺人がおこっていました。ホミズは、かつて食物を分け合った貧しい男たちと、戦場を駆け巡っていました。
 海賊にも、出かけました。鏡のように凪いだ海の表には、大きな渦ができていました。海は、ごぼごぼと泡立っていました。
 船乗りたちの話によれば、石臼の穴に流れ込む海水のために、大きな穴が開いているのだということでした。ホミズは、深い裂け目を見つめていました。一匹の鮫が、水の急斜面を海底へと吸い込まれていきます。その背びれには、彼の牛の歯の首飾りがありました。ホミズは、船べりに足を掛けて、ためらわずに頭から飛び込んでいました。
 それ以来、彼の姿を見た人間は、ひとりもいません。
 世界の支配者が、神々と巨人から人間に移り変わる時代の話です。