短小物語集
赤い蝋燭と渋谷
笛地静恵
 珍しく予定が早くすんだ。時間が、ぽっかりと空いた。山の手線に乗っている。まもなく渋谷。そういえば、しばらく降りていない。通過するだけだ。最近は、どうも仕事にやりがいが感じられない。限界を感じている。少しは、若者の街の空気に触れて、英気を養おうと思った。発車直前に、身体がドアをすり抜けていた。
 銅像のある西口。びっくりした。ビルが夜空に高く聳えている。電飾は盛大に明るい。対照的に影が暗い。広い通りを歩いている女の子が、みんな異様に大きい。夕暮の光に、長い長い影を引いている。ただの長身ではない。普通の二倍から三倍ぐらいはある。
 呆然とたたずんでいた。頭上を制服の大きな足に跨ぎこされる。翻る紺色のスカート。強風が発生。下着は、見放題。学校帰りの女子生徒たちが、すべて雲つくような大女たちになっている。時間が早い。大人の女達の数は、相対的に少ない。
 渋谷は、昔から日本の流行の発信地だった。変化が激しい。ついこの前までは、睫毛を一メートルほどの長さに、延ばしていた。その前は、黒人に変身。妖怪の山姥だったこともある。吸血鬼の時も。いつ頃のことだったか、忘れてしまったが、頭からタケノコを生やすというのもあった。あれは隣の駅の話だっただろうか。
 ファッションの可能性は、遺伝子改良による人体の変身が、規制緩和によって日本でも可能になってから、飛躍的に増大した。今回は、ただ大きいだけだから簡単だ。それほどに、奇抜なファッションはしていない。むしろ女子高生や中学生が、普通の制服姿で巨人になった方が、衝撃の度合いが大きいからだろうか。渋谷駅まで普通のサイズで来る。デパートのトイレなどで変身。そんなところだろう。
 どうして、次々に奇抜な格好に変身をするのか?誰に聞いても、分からないだろう。渋谷だからとしか、答えようがない。
 良く見ると、みんなひとりではない。男の子と一緒。最初は、分からなかった。足元からだと、見上げる形になる。盛り上がった隆起の陰になっている。
 赤信号の交差点の向こうで、携帯電話の会話に夢中になっている女子高生がいた。彼女のセーラー服の制服の胸の谷間から、男の子の小さな端正な顔が、ちょこんとのぞいている。正面を向いている。草花系の男子と言うやつだろう。きれいな顔をしていた。毛髪を花ビラのような色に染めている。おとなしく、じっとしている。熱くはないか。左右の乳房の重量は、かなりのものだろう。
 信号が、青に変化した。彼女が、歩き始める。胸が、ゆさゆさ揺れる。肉球に圧迫されないか。心配になった。しかし、彼は、おとなしい。人形のようにじっとしている。表情にも変化がない。苦しそうな様子もない。かといって、嬉しそうでもない。女子生徒は、携帯に集中している。もしかすると、彼の存在さえ忘れ去っているのかもしれない。
 足元も、見ていない。危うく彼女の黒のローファーに、踏みつぶされそうになった。間一髪。脇に避ける。すれ違う。巨体の移動で、風が巻き起こる。突風が、発生。中年男の重い体が、ゆらりと傾く。飛ばされそうになる。革靴の底にぐっと力を入れる。辛うじて踏みとどまった。
 他にも、多数の巨大な女の子たち。大股で。風を切って。我が物顔に闊歩していく。この身長差だと、どうしても、スカートの中が見えてしまう。恥ずかしいので、下を向いて歩くことになる。渋谷は、名前の通り谷の底にある。駅から四方八方へ上り坂の道が続く。それを、うつむいて歩く。それでも、スカートの暗闇の中で発光する、蛍光色のパンティは、視野の隅に、はっきりと捉えていた。
 109前の交差点は、特に人だかりがしていた。最近、流行のアイドルなのだろうか。怪獣のような巨人がいる。109のビルと同じぐらいの背丈。渋谷という都市に出没するであれば、限界の大きさかもしれない。人気の女性アイドルが、突撃ライブをしている。悲鳴と絶叫が、聞こえてくる。熱狂していた。小さな男の子たちを、ビキニのような上下に、びっしりとつけている。鮫に群がるコバンザメの大群のよう。テレビのニュースで、見たことがあるような気がする。関心がないので、意識せずに通り過ぎていたのかもしれない。
 混雑を避けて方向を転換。道元坂の方に上がっていく。行きつけにしていた、人魚の肉を食わせる店《赤い蝋燭》。まだそこにあった。赤い提灯。赤い蝋燭が灯っている。色々と思い出のある場所。懐かしい。
 世界的な人魚漁の禁止の流れがある。もう店自体がなくなっているかもしれない。そう思った。が、かろうじて開店してくれていた。二階建てが、五階建てに改装。摩天楼のように。暗くなりかけた空に、四角い影が聳える。ビルも膨張している。これが渋谷のエネルギーだ。一階が女性用のキャンドル・ショップ。もともと蝋燭屋だった。二階が男性用。三、四、五階が女性用。案内されて二階のカウンター席につく。
 今日のおすすめ品が、黒板に白墨で書いてある。オノミ(尾びれの付け根の霜降り肉)が入荷している。希少な部位。一頭でわずかしか取れない。珍味。とろけるような脂身が、大好物。さっそく注文。他に、人魚の赤肉の竜田揚げも。筋の部分のコリコリとした歯ごたえが楽しいから。刺身を酢味噌で食べるのも良い。が、今回は遠慮した。それらを肴に、辛口の日本酒を飲む。ぼんやりと渋谷の雑踏を眺める。何もしない貴重な時間。人魚の刺身が好きだった昔の「女」のことを、ふと思い出していた。珍しく、しんみりする。
 店から出る。自分で考えているよりも、酔いが回っている。足元が、ふらふら。女の子の大木のような生の太ももに、ぶつかってしまった。
 「おじさん、こんなところで、何しているの?」
 「あたしたちと、遊びましょうよ!」
 二人の巨大な女子高生に前後を挟まれていた。狙っていたのだろう。やばい。これも渋谷の裏の顔だった。逃げようと思った。が、両側から、左右の手首を掴まれていた。足が宙に浮く。もの凄い怪力。抵抗できない。母親と幼児ぐらいの力の差がある。まして、二対一。多勢に無勢とは、このこと。暗い路地に、連れ込まれる。
 キスをされる。大きな口に頭部全部が吸い込まれる。ただ暗黒。空気は、彼女の口の中の匂い。コーラを飲んできたのだろう。その臭気。舌に顔をざらりと舐められる。首に、上下の歯が当たっている。ギロチンの刃のようだ。ぞっとした。このまま、噛み切られるかと思った。窒息感を覚える。酸素不足でふらふらした。こちらの反抗心を削ぐ作戦なのだろう。成功していた。
 制服のスカートの中に、顔を突っ込まれていた。辺りは、紺色の薄闇に浸されている。匂い高い暗闇。包まれている。「さあ、遊びましょ?」腰を前方に突き出してきた。遠慮しない。パンティも履いていなかった。羞恥心を感じていない。黒い陰毛の茂み。顔に、じゃりっと。毛先が、鉄の線のよう。顔の皮膚に突き刺さる。要求は明白。陰核が、小さなペニスのように勃起。覚悟を決めた。舌を出そうとした。
 「あたしの知りあいに、何をしているの?」
 鋭い声がした。玉のように澄んだ声だった。それなのにドスが効いていた。「その制服だと○○女子学院の子ね。すぐに分かるわ。学校に通報してほしい?」
 二人は、捨て台詞を残して退散していった。
 「ありがとう。助かったよ!」ハンカチで顔を拭いていた。自分の脂汗以外の水分に、濡れていたからだ。「よかったわね。奴らには、身ぐるみ剥がれるところだったわよ」「どこのどなたか、分かりませんが、危ない所を助けてもらいました。ありがとうございます」「うふふ、あなた、本当に、あたしのことが分かっていないのね?」
 顔を見上げていた。明るい声の調子に記憶がある。遥かな高みから。下界を見下ろす大きな瞳と目と目があった。力がある。心が読まれそうな気がした。表情から、すぐに分かった。昔、つきあっていた「女」だった。ルーナとかいう名前だった。どうせ源氏名だろうが。オカマバー『古井戸』では、プリンセスともよばれていた。どことなく気品があるからだった。
 しかし、そのころは、幼女が流行していた。
「彼女」も、五歳児ぐらいの姿に変身していた。幼稚園児の服を着ていた。「女も、小学生になって、赤いランドセルを背負ったら、終わりよね」そう、うそぶいていた。その後、お笑いタレントと結婚したと、風の便りに耳にした。別れたのだろうか?今のルーナは、ハーレムの乙女か。アラビアンナイト風の奇抜な服装。身長は、自分の三倍はある。
 ミニスカートの膝小僧と、こちらの顔がようやく対面するぐらい。あの二人組は、二倍体ぐらいだった。自分たちよりも、大きな相手だったから、諦めたのだろう。
 すぐには、分からなかったわけだ。人魚の店《赤い蝋燭》の前で、偶然に姿を見かけたという。
 「あなたに、人魚の刺身の味を教えてもらったのよねえ。いまでも、たまに食べたくなるの」
 肉の繊維が、人魚は牛や豚よりも細やかなのよね。ルーナは、どこかで聞いた風な論評を加える。知人の中年男の酔っぱらいの後を、つけてきたのだ。それならそれで、もう少し窮地に陥る前に、助けてもらいたかった。どうせ恩を着せられるような危険な事態になるまで、事態の推移を見守っていたのだろう。
 「何よ、その顔?」心を読まれたようだった。「助けてあげたのに、うれしくなさそうね?」
 しかし、ここは、素直に感謝すべきところだ。ルーナの赤いハイヒールは、こちらの内臓脂肪の溜まった、柔らかい腹部など、くしざしにできるぐらいに、とんがっていた。その後は、ホテル街に向かった。常夜灯が並んでいた。
 『ホテル雁の子』に入った。建物も部屋も、最近の巨女仕様に、改善がなされていた。対応が早い。どんどん流行を取り入れていくのが渋谷の特徴。真紅に統一された部屋。白い全裸。女体のかたちをした生き物。海中の人魚のようにうねる。
 二人の立場が、以前とは逆になっていた。前は、亀頭の先端部を口に含むだけで、目を白黒させていた。今は、完全に勃起した一物を根元まで呑み込まれる。睾丸まで食べても、余裕を持った笑みを浮かべている。
 ルーナの肉の巨木の幹に、両手両足で蝉のようにしがみついた。鋼鉄のように固い。愛撫してやった。自分の背丈の三分の二ぐらいの大きさがあった。鈴口にも指を入れて、入念に刺激する。性感帯は分かっている。二つの巨乳が、波のように揺れた。
 ルーナは両性具有者だった。睾丸の間に膣口がある。挿入は容易。滴る愛液。快感の場所を、ペニスで愛撫。盛大な潮を吹いた。征服欲を満足させてくれた。
 次に訪れた時には、渋谷は、どんな新しい顔を見せてくれるのだろうか?ルーナのかつては貧乳だったが、今は豊満な巨乳の谷間で眠りについた。
 仕事上の難問を解決するアイデアを、ひとつ思いついた。また来ようと思った。