小さな情事(2)
ポイゾン・ペン 作
笛地静恵 訳
 金曜日 

 私の日記さんへ。
 ダディーの世話をするのは、考えていたのよりも、はるかにはるかに、たいへんなこと
でした。ほとんど重病人の介護をするようなものでした。

 今朝も、もちろん水と食べ物を、用意しなければなりませんでした。それとともに、専
用のトイレも、設置してやらなければ、ならなかったのです。夜のうちに、彼は我慢でき
ずに、私の靴下の蒲団に、おもらしをしていました。トイレで洗って、自分の部屋に干し
ました。もう一足の靴下を、宝石箱に入れました。

 ちょうど使い終わったばかりの、生理痛(私のこれが重いのも、母親譲りなのよね)の
薬の入っていた、十二錠入りの硝子の小瓶を、便槽としました。全く手ごろな大きさでし
た。口元から、お尻が落ちないように、蓋の金物が内側に曲がるようにしました。ドライ
バーの先端で叩くと、簡単に穴が開きました。登校前の、朝のわずかな時間にやったにし
ては、自分ながら見事な出来の工作でした。ダディーは、すぐに使用してみました。砂金
が零れるような、サラサラという澄んんだ響きがしました。中身を、また、トイレに流し
にいきました。


 マムに気が付かれないように、とても注意深くやらなければなりませんでした。幸いに
も彼女の方も、出勤前の準備で忙しい時だったのです。私は、すっかり時間が遅くなって
しまいました。

 彼女を送り出してから、慌てて化粧台に向かって、上半身を屈めていきま
した。その時、左の耳たぶから銀のイヤリングが外れて、化粧台の上に落ちてしまいまし
た。ダディーの脳天を、危うく直撃するところだったのです。彼はひどく怒りました。あ
なたが、とても信じられないぐらいにです。

 それでも、私は我慢して、本を一山、化粧台のうえに重ねて置きました。学校に行って
いる間に読んでもらうつもりでした。暇な時間を、少しでも潰してもらうためにです。


 ダディーが言ったのは、本のページをめくるのは、重労働で疲れてしまうということで
した。本など、全然、読む気になれないというのです。なぜテレビを付けていってくれな
いのかと、怒りだしたのです。彼の言葉には、本当にむかついてきていました。掌を化粧
台に、力一杯、バシンと音を立てて叩きつけました。傷みも、気になりませんでした。後
になって真っ赤になっていましたが。

 ダディーの身体が、3センチは空中に飛び上がりました。尻餅を付いて落下しました。
彼にも、私の怒りが、はっきりと分かったようです。もともと白面の端正な顔を、さらに
青白くして、シャンプーの大きなボトルの陰に隠れました。私はボトルを動かすと、彼の
身体を握り締めました。顔の高さにまで持ち上げてやりました。出来るかぎり穏やかな口
調で、どうして私の家にはテレビがないのかということを、諄々と説明してやりました。

 しかし、その後で、私は、さらにひどい情況に追い込まれてしまいました。それという
のも、彼がひどく恐がってしまい、私の手の中で、おしっこを漏らしてしまったからです。
おかげで、とうとう完全に遅刻してしまいました。まあ、ともかく、今夜にはテレビが戻
ってきます。それで、この問題にはけりがつきます。

 これは、私とあなたの秘密にしてね。日記さん。

 ダディーを、これほど恐がらせることが出来たのは、私には素晴らしい体験でした。私
のことを、こんなに恐がってくれる人がいるなんて……。そんなこと生まれてから、一度
もなかったことなのです。今回の事件に関わるすべての情況を考えても、自分に何が出来
るか今だに分かっていません。

 警察が、今日の午後遅くなってから、ダディーの足跡を聞きに立ち寄りました。もちろ
ん、宝石箱の中までは、調べようとはしませんでした。ダディーは、病院に行きたいと、
何度も繰り返しています。しかし、今のところ、それについては、見合わせるつもりでい
ました。もう少し彼の世話を、みてやるつもりなのです。

 ダディーに直接に明言したように、この部屋から出ていきたければ、二本の足でドアか
ら自由に歩いて出ていけば、良いだけのことなのですから。

 アンドリューは、今日もまた、私をダンスに誘ってくれませんでした。もう一週間しか
ありません。だから、彼は急がなければならないのですが。

 土曜日

 私の日記さんへ。

 今日、ダディーの衣服を、古着屋さんに持っていきました。ダディーは、そんなことは
するな、といいました。けれど、マムや警察の人に、私の部屋で、それらを見付けだして
もらいたくは、なかったのです。最初は、すててしまおうかと思いました。しかし、誰か
が、それをもう一度着ることが出来るでしょう。リサイクルの考え方です。授業で習いま
した。服のポケットから、中に入っていたものをすべて取り出しました。いわゆる「足が
着く」状態には、なりたくなかったのです。現金もかなり入っていました。でも、使うつ
もりは全くありません。それは、なんていうか、とても悪いことだからです。

 ポケットの中には注射器と、ビニールの袋に小分けされた、白い薬がありました。トイ
レに流すことに決めました。ダディーにも、立ち合ってもらうことにしました。

 ダディーと一緒にトイレに入り、鍵を締めました。下着を足首にまで下ろして、便器に
座りました。彼を、両足の間の白い便器の縁に乗せました。真正面にくる位置です。静か
に用を足しました。自分の小便で、白い薬を流したのです。自分たちの家族の幸福を破壊
した元凶を、絶対に許せなかったのです。薬とダディの両方を、辱めてやりたかったので
す。ダディーは、本当に烈火のごとく怒りました。


 私の内腿を足で蹴り、手で殴っていました。大事な娘に暴力をふるったのです。でも、
彼の力はとても弱いのです。くすぐったいだけでした。弾力のある筋肉の反動で、足を滑
らせて便器のなかに落ちそうになっただけでした。彼は絶叫していました。口汚い言葉で
罵っていました。でも、彼の声は、とても小さいのです。言っていることの意味は、ほと
んど聞き取れませんでした。トイレのサイフォン・ジェットの水流の音の方が、大きかっ
たのです。

 でも、トイレを出てからも、あまりにもうるさいのです。宝石箱のなかに入れて蓋をす
ると、鍵を掛けました。


 金具は、華奢で繊細な作りでした。三日月形の金具を釘にひっかけるだけの、単純な作
りでした。が、ダディーの力では、中から空けることはできなかったのです。一時間後、
出ても良いわ、と言いました。頭を下げて謝罪しました。私も、恐がらせて御免なさい、
と謝ってあげました。とても、すっきりする体験でした。
 
 テレビが戻ってきました。でも、週末には、自分の部屋に移動することが出来ませんで
した。ダディーには、月曜日まで楽しみを、待ってもらわなければなりません。今夜の彼
は、おしゃべりをしたい気分ではないようでしたけれど、ちょっとした一挙手一投足にも
注意を払い、びくびくしているのが手に取るように分かりました。

 日曜日

 私の日記さんへ。
 今日は、日曜日でした。学校の女友達二人と、他一名といっしょに、駅前のモールをぶ
らぶら散策して過ごしました。ダディーを一人で家に残しておくことは、できませんでし
た。マムとふたりっきりで家においておくようなリスクをおかしたくはなかったのです。

 それで彼のことを、Tシャツのポケットに入れて、出掛けることにしました。生地の粗
い編目をすかして、外を見ることが出来るといっていました。彼の方は誰にも見られる事
無く、潜んでいることが出来ます。ダディーは、外出したくないといっていました。私は、
説得することが出来ませんでした。待ち合わせの時間に遅れそうになったので、最後には、
力付くで頭を下して、ポケットのなかに突っ込みました。彼は、これが気に入らなかった
ようです。

 ともかく、私は外の空気を吸って、気分を転換する必要があったのです。女友達が抱き
付こうとするたびに、二回も身を退かなければなりませんでした。彼も私の動悸を感じた
ことでしょう。何しろ、心臓の真上に居るのですから。女の子たちの胸と胸の間で、ダデ
ィーを押し潰したくは、なかったのです。前にも書きましたが、私は、けっこうすごいん
です。

 マムは、ドーナツを買うためのお小遣いを、手渡してくれました。私達は、ドーナツを
食べながら、長いことおしゃべりをしました。あの駈け落ちした女の子は、ニュー・ヨー
クにいるらしいという情報を耳にしました。なんてロマンティックなんでしょう。アンド
リューと駈け落ちできたら……。ああ、でも、そんなことはできないでしょう。親子二人
だけで、助け合って生きていかなければならない、マムがいるのです。

 誰も見ていない隙に、ポケットにドーナツの屑をぱらぱらと落としてやりました。散歩
の途中、ずっとダディーの動きを胸に感じていました。暖かくて重い感じです。小さな鼠
でも、忍び込ませているような感じでした。その辺りで身動きするたびに、くすぐったい
のと、気持ちが良いのとで、妙な気分でした。乳首がブラの中で固くなり、生地を擦って
いました。ダディの背中を前に押すようになっていました。先端がすれて、ひりひりする
ような感覚がありました。

 明日は、アンドリューがダンスに誘ってくれることを、祈らずに入られません。

 月曜日

 私の日記さんへ。

 今日、アンドリューがダンスに誘ってくれました。とても素敵なんです。背が高く、ハ
ンサムな人です。黒い牛革のジャケットを着ていました。私の肩に、彼の両手が置かれて
いました。クラスの誰もが、嫉妬の目で見ていました。ダンスまで、まだ四日もあります。
待ちきれないぐらいです。

 今日、ダディーがとても悪いことをしました。私は、お仕置きをしなければなりません
でした。家に帰ってくるとすぐに、彼は両足を化粧台の上で踏みならしました。地団駄を
踏みました。しかも、片手の拳骨を振り上げて、威嚇するような動作までしたのです。早
く病院に連れていけと命令するのです。ねえ、信じられますか?どうして、苦労して世話
してやっている私に、こんな風に命令する権利があると言うのでしょう?
 
 彼は、今日は、テレビも手に入れたのです。自分の部屋に、テレビを運び入れました。
アンテナを繋ぎました。もちろん、彼にチャンネルを変えることは出来ません。好きなチ
ャンネルを、付け放しにしておいてやりました。これをマムが出勤し、自分は登校前の忙
しい限られた時間に、やったのです。他の身の回りの世話も、全部きちんと、やってあげ
ました。それなのに、彼はありがとうの一言も言わなかったのです。

 癇癪玉を爆発させるのを、無視することに決めました。大人が子供の我侭を無視するの
と同じやり方です。赤いマニキュアを、爪に塗り始めました。ダンスに着ていくドレスと、
色のバランスを見ておこうと思いました。すると、ダディーが化粧台の上を走ってきたの
です。マニキュアが入った開いたままのボトルに、体当たりしたのです。結果は、ひどい
ものでした。

 化粧台のうえに、赤い血の池ができたようでした。できるかぎり、ティッシュで拭き取
ろうと努力していました。化粧台はマムの嫁入り道具だったものを、譲り受けたものなの
です。手元の新しいハンカチで、拭うようにしました。でも、どうしても染みが残りそう
でした。ダディーは手助けしてもくれなかったのです。そればかりか、マニキュアの池の
なかに素足で歩いていき、化粧台の表面に、赤い小さな足跡を、ぺたぺたといくつも付け
ていったのです。さらに何本かの化粧品の壜を、蹴り倒しました。私は床に、緊急避難さ
せなければなりませんでした。

 これは彼自身の、失態でした。まるで子供のように振る舞ったのです。それで私も、彼
のことを一人の供として、扱うことに決めました。彼を左手で持ち上げました。(今回は、
それほど優しくしてあげませんでした)あの手製の 「貫頭衣」を、右手の指先で摘んで、
頭から引き抜きました。もう三着作っていました。交替で洗濯しては、新しいものを着せ
てやっていたものです。

 あなたも、彼の叫び声を、耳にすることが出来たと思います。私は、右手の赤いマニキ
ュアを塗ったばかりの人差し指の爪先で、彼のお尻をぴんと弾くようにしたのです。はっ
きりとした、パチンという、小気味いい音がしました。地獄のような痛みだったに違いあ
りません。身を捩って、私の左手の指の中から、抜け出そうと必死に藻掻いていました。
しかし、私は彼の胴体を、左手の指の中に、きつく握り締めていました。

 たぶん十回以上は、お尻に折檻をしたと思います。それを止めたときには、彼は泣いて
いました。そして、左手の掌の上で、両手両足を、ぐったりとさせていました。そのまま
宝石箱のなかに入れると、鍵を締めました。今夜は、貫頭衣も着せてやりませんでした。
大人らしく振る舞うことを学んだら、返してやるつもりです。

 水曜日

 私の日記さんへ。

 今朝になってダディーを、宝石箱の中から、取り出しました。具合がひどく悪そうでし
た。初日に私が付けた胸と背中の青痣は、すでに色が褪せてきていました。しかし、今は、
それらもまた大きくなっていました。

 私は、殴られたりすると、たとえば目の周りに青痣が出来るということは、漫画などで
見て知っていました。しかし、自分が彼のお尻にしでかした事の結果を見るまでは、それ
が、本当にそうなるのだということは、思ってもみませんでした。恐るべき状態でした。
他の部分も、前よりもずっと悪い状態になっていました。

 しかし、彼は今度のことでは、十分に反省しているようでした。それというのも、私が
取り出したとき、なによりも先に彼がしたことは、化粧台の上に両膝を付いて、額を擦り
付けるようにして、自分を傷つけることがないようにと、哀願することだったからです。

 登校する前に、グラスに入れる氷の立方体の固まりを一つ、与えておいてやりました。
彼の身体の半分はありました。冷たさが、痛みを和らげてくれたようです。背中を乗せて、
気持ち良さそうに、目を瞑っていました。とても静かで、従順になっていました。

 夕方に帰宅したときには、ダディーは、たいそう良くなったように見えました。いくつ
かジョークを飛ばすほどの、余裕も見せたからです。たいした回復力でした。ゴキブリの
ようです。小さいということにも、何かしら取り柄はあるものです。二人ともあの体罰に
ついては、何も言いませんでした。そのことが、私を快活な気分に、してくれていました。

 彼は今ではとても寛いで見えます。貫頭衣も着ています。しかし、私が少しでも急な動
きをすると、飛び上がるようにして、こちらを見ます。

 私は紙の上で、自分が彼にとってどれぐらいの大きさに見えるのか、ちょっと計算して
みました。身長180センチぐらいだったダディーが、6センチになっています。単純に
30倍だということで良いでしょう。すると私の身長は、165センチ×30倍=495
0センチです。49、5メートル。

 ワアオッ!

 私は、身長が約50メートルにもなるのです。彼が私のことを恐れたとしても、何の不
思議もありません。私は神様より、大きくなったような気分です。

 ダンス迄は、まだ三日もあります。ダディーが縮小したように、この時間を、簡単に短
縮する方法は、ないものでしょうか。

 水曜日

 私の日記さんへ。

 マムがダディーの弁護士から、今日手紙をもらいました。明らかに、失踪したと考えら
れています。弁護士は、彼が再び戻ってくる日まで、自動的に毎月の養育費を、私の口座
に振り込むことを約束してくれました。しかし、ダディーがそれほどにお金持ちだったの
なら、どうして毎月の送金があれほど遅れたのでしょうか。そのことを、率直に質問して
みました。

 すると彼は、私のマムをひどい言葉で罵ったのです。再び折檻するつもりになりました。
もう一度、自分がお仕置きをするつもりだと、はっきりと言明しました。彼は頭を下げて、
命乞いをしました。ごめんなさい。もうしません。そういいました。しかし、謝っても、
もう遅すぎたのです。

 こいつめ。

 しかし、しばし考え込まずには、いられませんでした。いくらダディーが丈夫だといっ
ても、お尻を指で折檻する訳にはいかないでしょう。今度こそ、骨までぐじゃぐじゃに潰
してしまいそうでした。肉体的には傷つける事無く、しかも、精神的には厳しい罰を与え
てやる方法はないものでしょうか。その時、一つのアイデアが閃いたのです。思わず吹き
出すぐらいでした。その時には、それがどこから来たのか、全く分かりませんでした
  
 彼のことを、本当に優しく摘み上げてやりました。効果を高めるために、 「もうお世
話は、これでお仕舞いにするわ」と言い添えました。貫頭衣は、剥ぎ取るように脱がせま
した。もう、それがいらないということを示すために、布を床に捨てました。

 掌中で、膝を抱えて丸くなるまで身体を転がしました。口元に持ち上げると、ぱくりと
飲み込んだのです。そうね。あなたにも悲鳴がはっきりと聞こえたと思うわ。彼の声は、
いつも本当に小さいのに、この時だけは、鼓膜に篭もってはいましたが、直接に響いてき
たからです。

 始めは、唇も閉じていました。真っ暗だったことでしょう。本当に食べるられると、考
えていたと思います。彼の身体が舌の上を、もにょもにょと滑るのを感じていました。味
わっているように感じたでしょうか。でも、本当は口の中で、さらに奥の方に入っていく
のを、何度も防いやっていたのです。

 舌先で、ぐるぐると回してやったりもしました。そのたびに彼は、私の白い歯の、上下
の柱のように立ち並ぶ列の裏側にぶつかったり。顎の上側にはりついたり。頬の肉の袋に
入ったり。手足をぶつけたり。いろいろとしていました。


 何かが、喉の奥の扁桃腺を、サンドバッグのように殴ったような気がしたこともありま
した。きっとダディの足が蹴ったのでしょう。ひどくおもしろく感じられていました。

 途中で気が付いて、唇を口笛を吹く時のように開いて、新鮮な空気を補給してやりまし
た。窒息させたくはなかったのです。自分が、ちっぽけな人間を口の中に入れているとい
うのは、ひどく奇妙な感覚でした。ダディーの頭部の髪の毛が、上顎を擦るのが、ひどく
くすぐったいのです。その感触が、全身の肌を、駆け回るようでした。


 ごくんとひと呑みにすることもできます。他の何かを食べるのと同じことです。簡単で
した。たとえば、林檎の一片を飲み込むより、柔らかいだけ容易かも知れません。誰も、
彼がここにいることを知らないのです。

 ほんの、ひと呑み。

 ごくり。

 それだけで、ダディーというやっかいなお荷物を、永久にこの世界から消してしまえる
のです。その可能性を、長い間、真剣に考えていました。

 彼の身体を舌で無意識に、玩んでいました。もごもごさせていました。ねっとりとした
唾が、舌の上と下、口蓋の内部に溜まっていました。けっこう長いこと、そうしていたの
だと思います。でも、結局は彼のことを吐き出しました。大量の唾と一緒にです。掌にか
ーっ、ぺっと。

 痰を出すときに、誰もがするようにです。

 なぜって、そうしなければ、自分がこの時、一人の人間の死刑をあやうく実行しそうに
なったからです。人間の舌には、口の中に入ってきたものは、食道から胃に、自然に送り
込もうとする働きがあるようです。喉の奥に滑り込んだときには、間一髪でした。

 彼の全身は、私の唾液で、頭から爪先まで、濡れそぼっていました。泡が浮いていまし
た。口から出てきたままの形で、掌の真ん中に静かに横たわっていました。

 まるで、ピンクの小海老のように丸くなっていました。彼の身体が、皮膚の上で激しく
震えているのを、感じることが出来ました。肩が小刻みに動いていました。泣いていたの
です。私は、一本の指先で、彼の背中を、何かの種類のペットであるかのようにつついて
みました。相手が、こわがりのハムスターであるかのようにそっとです。

 その途端に、叫びだしました。その悲鳴は、宝石箱の中にもどしても、まだしばらく続
いていました。

 ダンスの日まで、二日もあります。あの緑のドレスを、着ていくつもりでした。マムが
布から選び、デザインし、さらにミシンで仕立ててくれたものです。彼女は、料理もそう
ですが、本当に手先の器用な人なのです。心からマムのことを尊敬しています。彼女がい
てくれるだけで、十分なのです。

 今日は、このドレスに合うマニキュアを新しく買ってきました。試してみるとぴったり
の色でした。ドレスを胸にあてると、とても素敵に見えました。自分ではないようです。
ああっ。

                           小さな情事(2) (了)