クラッシュ!(前編)
ポイゾン・ペン・作
笛地静恵・訳
【作者注記】この作品には、暴力的で過激な性的描写が含まれている。不愉快になられる
のならば、読むべきではない。諸君は、すでに忠告を受けた。個人の自主的な判断による、
適切な行動を取られることを望む。著作権について。ご希望のままに、この物語を掲載や
集成して頂いて構わない。その際には、この【作者注記】が、必ず同時に掲示されなけら
ばならない。ただし商売によって利益を得る場合や、それに類する場合はこれを固く禁じ
る。(作者)

1・ディアナ・トロイ
 何かが、おかしかったのです。宇宙船U.S.S.エンタープライズのカウンセラーで
あるディアナ・トロイは、コンピューターの画面を流れる膨大な情報に、ぼんやりと目を
遊ばせていました。
 たしかにデータの数値は、船全体としてのストレスのレベルが、戦時の態勢から平時の
状態に復帰していることを示していました。心理テストの結果は、どの乗組員も、ノーマ
ルな数値を示していました。しかし、この乗組員の場合だけは、その下降があまりにも急
激であったのです。本当のところ、ディアナ自身は、その異常に気が付きもしませんでし
た。コンピューターの方から、注意を喚起してきたのでした。
 問題があるのは、医師のビバリー・クラッシャーだったのです。言うまでもなく、この
船の医療部長であるビバリーその人です。ディアナ自身は、彼女のストレスが、ノーマル
な数値に戻ったことを、むしろ歓迎していたのでした。しかし、専門家としての経験が、
無意識的にですが、警報を鳴らしていたのでした。漠然とした不安がありました。
 ドクター・クラッシャーが、年若い異星人の少女との同棲生活を、不幸な戦闘で突然に
終了することになってから、まだそれほどの時間はたっていませんでした。彼女は戦争を
継続する惑星の上に、作戦の失敗から、単身でとり残されてしまったのです。長い間、安
否が心配されていました。
 エンタープライズの乗員が、もう一度、惑星の表面に降り立った時には、相手は亡くな
っていました。異星人の性別が女性であったことが、ビバリーを性的にも感情的にも、苦
境に立たせていたのでした。
 ディアナは、一人の友人として、ビバリーの助けになれたらと切望していました。しか
し、ほんとうの願望は、友人以上の関係を持つことでした。船のカウンセラーとしての服
務規定には、「どの乗組員とも、全く平等の関係を維持すること」という項目が含まれてい
ます。乗員のセクシュアリティの健全さは、任務の支障のない遂行のために、必要なもの
でした。それが原因で、生死を分ける場合さえあったのですから。
 たとえば、「Pon Farr」の状態になったバルカン星人は、周囲のすべての者にと
って、両刃の剣のような存在でした。デルタン星人は、セクシャルな関係を拒否されると、
病気になったり、時には死んでしまったりすることさえあるのです。失恋は、彼らにとっ
ては、生命を脅かすほどの重大事件なのでした。
 ディアナは、船のカウンセラーとして、精神的なカウンセリングの方法だけではなくて、
もし必要であるならば肉体的なそれも、同等の治療手段として、ためらわずに実践してき
ました。時には、セクシャルな問題の治療のために、ホロデックも並行して活用してきま
した。いつもと言うわけではありません。が、時には、カウンセラーの方から、一歩を進
ませることもありました。個人的で、セクシャルな関係に進んでいくこともあったのです。
 理論的には、ビバリーの問題の解決方法は、まったく単純でした。ビバリーのために、
レスビアンのセクシャリティーの関係を、再構築させてやれば良かったのです。同一のジ
ェンダーの関係については、この何世紀に渡って、地球でも何の差別も存在しなくなって
いました。ディアナは、何回かのセッションの機会に、異星人との別離で受けたビバリー
の心の傷を癒すために、レズビアン・セックスの方向に導いていこうと、苦心していまし
た。
 しかし、今のところ、結果は全くの失敗でした。過去に一度だけ、肉体的な接触にまで
至ったセッションがあったのです。それまでは、ビヴァリーの方から、拒否されていまし
た。ディアナの方から、自分の気持ちを告白しました。二人は、全裸で抱き合うところま
でいきました。しかし、ディアナは、ビヴァリーの拒否の精神的な波動を、ほとんど肉体
的な苦痛として、鞭のように受け止めなければならなかったのです。ビヴァリーは、自分
の感情的な反応を恥じらっていました。セックスは、ひどくぎこちなくて、不自然なもの
になっていきました。愛の行為も機械的で、快感を得るまでには至らなかったのです。
 その時以来、セッションもストップしていました。二人の女性の関係は、妙に形式的で、
ぎこちないものになっていきました。聡明なピカード艦長にも、すでに気が付かれていま
した。ディアナのビヴァリーへの行動も、ためらいがちになっていました。すでに個人的
な問題には、止めておけない状態になっていました。ディアナは、副長のライカーの個室
にまで、アドバイスを求めにいきました。しかし、職業的な守秘義務もあって、肝心の部
分については、沈黙を守らなければならなかったのです。せっかくの二人だけの対話も、
要領を得ないものに終始してしまいました。
 そして、時が立つうちに、ディアナとビヴァリーの二人の関係には、彼女の考えてもい
なかった「亀裂」が生じ始めていました。全く望んでいなかった結果でした。もちろん表
面的には、ビヴァリーは、笑みを絶やしませんでした。ディアナも繊細なテレパシー(共
感能力)の所持者でした。決定的な衝突に至ることは、慎重に避けられていました。ビヴ
ァリーは明らかに、自分の問題を単独で解決しようとして、孤軍奮闘していたのでした。
それがカウンセラーを、より一層不安にする原因でした。現在は、ビヴァリーの感情のス
トレス・レベルを示す数値が、急速に上昇していました。それは、近い将来に、何らかの
感情的な暴走を予感させるものであったのです。
「コンピューター」
 ディアナは、命令していました。
「患者名:クラッシャー、ビヴァリー。ここ一週間の、行動とスケジュールについて、調
査しなさい。特に感情震度3以上の、ストレス・レベルの変化のあるものについては、す
べてを報告しなさい。出力は、音声でお願いするわ」
「了解。調査中」
 短い間がありました。
「ホロデックの使用と、ストレス・レベル3以上の低下の相関関係は、92パーセント以
上。そして、7パーセント以上の確率において……」
「ご苦労さま。調査終了」
 ディアナは、コンピューターのスイッチを切っていました。
 ホロデックでした。興味深い結果でした。ある乗組員が、精神的な不安定の解消のため
にホロデックを使用するのは、別に珍しいことではありませんでした。しかし、ビヴァリ
ーの使用記録には、極秘のロックがかけられていたのです。ホロデックの特殊な利用につ
いては記録されて、船のカウンセラーのディアナに、定期的に報告されることになってい
ました。それを知っていて、セキュリティを掛けたのです。
 突然の疑惑の黒い暗雲が、ディアナの心に沸き起こってきたのでした。
「いいえ、彼女が、こんなことをするはずはないわ」
 声に出していました。それは、何というのでしょうか……。非専門的な行為でした。極
秘のロックとは、つまり、自分以外の船の乗組員全員に、知られたくない秘密を持つとい
うことなのです。それを、たかが個人的なホロデックの利用記録に掛けるというのは、ど
ういうことなのでしょうか。疑念が沸き上がっていました。
 この疑念を晴らす方法は、本当は一つしかありませんでした。直接にビヴァリーに会っ
て、話を聞くことです。それができない以上は、外堀から埋めていくような間接的な対策
しかありませんでした、椅子から、美しい身体をすらりと起こしていました。ホロデック
に向かいました。
 ホロデックに彼女が付いたときには、そこは無人でした。小さな安堵感がありました。
差当って、自分がしようとしていることの意味を、誰にも説明する必要がないからです。
閉ざされた入り口のドアの前に、しばらく佇んでいました。それから、壁のタッチパネル
に指を触れました。そして、ビヴァリー・クラッシャーのホロデックのシナリオ・リスト
を呼び出していました。ほとんどの場合は、それは三次元に投影された、どこかの風景で
した。ピクニックにふさわしい花の季節の草原。穏やかな湖の岸辺。雪を戴いた高い山頂
等々。他のどんな場合であっても、心理学的には、観察と研究の対象となるべきものでし
た。
「コンピューター。全シナリオ・リストを表示しなさい」
「アクセスできません」
 すみやかな返答がありました。
 心底、驚いていました。
「誰の権限によってなの?」
「船の医療部長、ドクター・ビヴァリー・クラッシャーの権限によります」
「理由は?」
「医学的な理由からです」   
 そう。彼女は、そんなことまでしているのね。一回、深呼吸をしました。
 船の医療部長には、艦長からの直接の命令がない限り、情報を秘匿する権限が与えられ
ています。しかし、それは医学的に、緊急を要する場合に限ってのことです。ある特殊な
状況下のことでした。しかし、そのような権限を、自分のホロデックの使用記録の隠蔽に
利用することは、明らかに権限の乱用でした。越権すれすれの行為でした。それだけで、
職務を失いかねないことなのです。
「コンピューター。私は、カウンセラー:トロイ、ディアナです。声紋を照合しなさい」
「カウンセラー:トロイ、ディアナ。声紋照合終了。確認しました」
「心理学的非常事態を宣言します」
 彼女は、こんなことはしたくなかったのです。ある乗組員が、精神的に極めて不安定で
あるため、船の乗組員全員の危機となる、心理学的な情況が、発生しているという意味で
す。
 もちろん、自動的に記録されて、艦長にも報告される事態です。この宣言は、ディアナ
以外には、艦長のみによってしか解除できません。しかし、他に方法がありませんでした。
彼女はこの行動について、ピカード艦長から、速やかな説明を求められることでしょう。
 カウンセラーに、他のすべての乗組員の心理状態を把握する、最高度の権限が与えられ
るのです。たとえ医療部長であっても、例外ではありませんでした。
「心理学的非常事態宣言が、受理されました」
 コンピューターは、あくまでも冷静に報告していました。
「ビヴァリー・クラッシャーの、すべてのシナリオ・リストを公開しなさい。医学上の極
秘データも含みます」
「シナリオ『アルファ・クラッシャー』。リスト終了」
 たった一つだけ?これこそが、彼女が探索の目標とするシナリオに、違いありませんで
した。
「コンピューター。シナリオ『アルファ・クラッシャー』を、ロードして実行しなさい」 一
瞬の間がありました。
「シナリオをロードしました。実行します」 ホロデックのドアが滑りながら開いていき
ました。カウンセラーは、そこに何が待ち受けているにせよ、固い決意をして一歩を踏み
出していたのでした。
 ドアが背後で閉まっていました。
 ……何か異星の風景のような気がしていました。彼女の立っている大地は自然のもので
はない、人工的な無数の直方体の構造物で埋め尽くされていました。ほとんどのものは、
足首までの高さすらなかったのです。それでもいくつかは、ふくらはぎの真ん中あたりま
では届くでしょうか。空は地球のような青い色をしていました。頭上の遥かな高処にまで
広がっていました。しかし、地平線は、かすかにですが湾曲しているのが見て取れました。
地球よりは、小さいサイズの惑星であることを示していました。
 ディアナは、一歩を踏み出していました。直方体の構造物には触れないように、細心の
注意をしていました。しかし、柔らかい地面が、足の下で沈んでいきました。細かくひび
割れていきました。最善の努力をしていたつもりでしたが、ブーツの足が、構造物のひと
つに触れてしまいました。それは粉々に砕けてしまいました。塵の雲がもわりと沸き上が
っていました。倒壊の様子は、ほとんどスローモーションのようにして、見えていました。
 ディアナは、混乱していました。これは彼女が予想していた、どんな光景とも、似てい
ませんでした。ここは、いったい、どこなのでしょうか?
「コンピューター。私は、どこにいるのかしら?」
「惑星地球。東京。西暦で1975年の世界です」
 それは、間違った情報ではないかと思いました。ディアナは、その時代の地球について、
ほとんど知るところはありませんでした。しかし、そこがこんな奇妙な場所でないことぐ
らいは分かりました。
 とてもかすかな音が、不意にディアナの耳にも聞こえてきました。遠い潮騒のような。
大群衆の歓声のような。しかし、音量は、ほとんど聞こえるか聞こえないかの境目のよう
な、小さなレベルでしかありませんでした。
 まだ混乱してはいましたが、彼女は静かにしゃがみこんでいました。奇妙な構造物にで
きる限り目を近付けて、観察してみました。地面全体が、微妙にぶれながら揺れ動いてい
るような気がしました。昆虫のように小さな物体が、絶え間なく蠢いているのです。耐え
きれない程に、激しいショックが彼女を襲っていました。しかし、彼女は、なんとか自制
心を保持していました。これが単にシュミレーションであり、コンピューターが作り出す
仮想の世界に過ぎないことを、自分に納得させていたのでした。
 少なくても、特別に危険なことなど何もないのです。でも、なぜビヴァリーは、このよ
うに奇妙なシナリオをデザインしたのでしょうか?不思議でした。そして、より重要なこ
とは、なぜ、このシナリオを、絶望的なまでに、隠そうとしたのでしょうか?それによっ
て宇宙船エンタープライズでの、今までの輝かしいすべてのキャリアを、失うかもしれな
いような危険を犯しているのです。
 疑問の答えは、膝をついて足元の微生物をさらに詳細に調査している間に、頭に閃いて
いたのでした。最初は、それらは単に小さな点の集合にしか過ぎなかったのです。しかし、
ディアナはその大きな瞳の視力の焦点を、その点の中でも、特に大きな物に合わせようと
努力していました。
 大きなものは自然なものではなくて、人工の物であることを、突き止めていました。小
さな車輪のついた物体。自動車ではないでしょうか?その発見が、彼女の混乱した心に焦
点を結ばせたのです。より小さな点がなんであるかに気が付いたのです。それらは人間な
のです。
 発見のショックは、心身の平衡を失わせるに、十分なものでした。尻餅を付きそうにな
っていたのです。自分の体重を支えるために、片手を慌てて地面に付いてしまっていまし
た。瞬時に、ミニチュアのスケールの人間たちが、数百人を単位として、自分の手のひら
の下で、潰れていくのを感じていました。手のひらに、体重を乗せてしまっていたのです。
地面が、無数のひび割れを発生させながら、四方八方に割れていきました。ディアナは熱
い物に触れたように、反射的に片手を持ち上げていました。そこにはすでに、小さな赤い
染みの点が無数についていたのです。地面が、彼女の手の重みに柔らかくへこんだ場所に
も、その赤い染みは付いていました。
 絶叫が、ディアナの喉から吐き気を伴って、噴き出していました。周囲の空間のすべて
が、今ではパニックと恐怖の感情で、満たされていました。彼女の共感能力のある心が、
それらのすべてを捉えてしまっていました。ちっぽけですが、百万を単位とする人間の心
が、恐怖のあまりに狂っていくのです。
 彼女は立ち上がりました。その動きだけで多くの建築物が、ブーツの下で破壊されてい
くのを感じていました。思わず一歩、後ずさっていました。ブーツの踵で、さらに二つの
比較的に大きいほうの建築物が、倒壊していきました。今では、彼女にもそれが、この世
界では特に高層の大きなビルディングであることが、理解されていました。周囲ですべて
の阿鼻叫喚が、強度と密度を高めていました。
「やめなさい!」
 ディアナは、絶叫していました。両手で両方の耳を塞いでいました。
「やめて!シュミレーション終了!」
 ……すべての喧騒が、即座に掻き消えていました。ただ、ホロデックの何もないがらん
とした空間が、残されているだけでした。ディアナは、たっぷり一分間というもの、その
場所に放心したようになって座り込んでいました。胸の動悸を鎮めようとしていました。
すべてが、あまりにもリアルでした。彼女は、まだ片手の下になった小さな血塗れの肉塊
の、ぷちぷちと潰れていく感触を、覚えていたのでした。
 これが、ビヴァリーの作ったシナリオなのです。ストレスのレベルが、急速に低下した
原因でした。ディアナは、このシナリオを努めて冷静に分析しようとしていました。
 OK。このシナリオは暴力的でもあるし、残虐でもあります。しかし、彼女はこのよう
なファンタジーが、それほどに特異なものではないということも、良く知っていました。
心理学的な用語のいくつかが、心の中に浮かび上がっていました。マクロフィリア。巨人
愛好症。ゴッド(神)コンプレックス。死体愛好症。次の言葉を想起するためには、彼女
の鍛えぬかれた精神さえ、若干のためらいを見せていました。人肉愛好症。
 もしビヴァリーが、彼女とこの体験を共有してくれれば、それについて議論することも
可能になることでしょう。不健康なものとして、隠す必要はないのです。逆に、このよう
な激烈なファンタジーを、心に秘めて表出しないでおくと、それは力を強めていってしま
うのです。強迫観念にまで、成長してしまうかもしれません。ディアナは、自分が新たな
行動に出るべき時なのを、確信していました。 
 さらにしばらくしてから、彼女はようやく自分の二本の足で立ち上がることが出来るよ
うになりました。ディアナは無意識に、ブーツの踵についた埃を指先で、ぱたぱたと叩き
落としていました。ホロデックから出ると、まだよろよろとする足元で、壁に手をついて
体重を支えながら、なんとか自室に戻って行きました。もし背後を、肩越しに振り返って
いたら、ホロデックの中央で、Qが微笑みながら佇んでいる姿を、目にすることが出来た
ことでしょう。
クラッシュ!
(前編) 了