クラッシュ!(中編)
ポイゾン・ペン・作
笛地静恵・訳
2・ビヴァリー・クラッシャー
 ディアナは、ホロデックのドアの前に佇んでいました。この二日間は、たいへんな日々
を過ごしていました。
 第一にピカード艦長の審問がありました。例の「心理学的非常事態宣言」に関してです。
ディアナは、艦長がビヴァリーのシナリオについての、自分の判断を信頼してくれ、それ
以上の詰問をしようとはしなかったことに、深く感謝していました。彼は、「宣言」を記録
から末梢することにも賛成してくれました。彼女の心の内では、たいへんな重荷になって
いましたから。「今度のタウ=アレクト4星での任務が終了するまで、ビヴァリーのことは、
すべてを君に任せる」とまで言ってくれたのです。
 第二にビヴァリーと顔を合わせるたびに、内部に強い緊張が走っていたのでした。
 ホロデックの前で、彼女は責任感の重圧に、押し潰されそうになっていました。しかし、
ありがたいことには、ビヴァリーがこちらに大股にやってくるまで、ほんの短い時間しか、
待つ必要はなかったのです。彼女はすでに、レモンイエローのビキニの、小さな生地の水
着に着替えていました。上等なシルクの光沢がありました。ディアナが、そこにいること
に気が付いた瞬間には、険しい表情を見せていました。ゆっくりと立ち止まりました。二
回、深呼吸をしていました。ディアナは、テレパシー能力によってビヴァリーの怒りの念
を、鞭のように素肌に感じていたのでした。
「ディアナ」
 ビヴァリーは彼女が良く知っている、あの社交的な笑みを浮かべようとしていました。
しかし、失敗していました。頬の筋肉が痙攣していました。
「そこで、何をしているのかしら?もし、あなたが来ると分かっていたら、ピエール広場
に面した、モンマルトルのカフェの席を予約しておいてあげたでしょうにね……」
 ディアナは、ドクターの内部に沸き起こる怒りの鞭を、再度、素肌に感じていました。「ビ
ヴァリー……、私は、あなたに……そのう……警戒して、もらいたくはなかったのよ。あ
なたの、感情のストレスの変化に、少し……アブノーマルな点が見つかっていたの……。
あなたの「シナリオ」をチェックさせてもらったわ……。私が何を見付けたか、もうお分
りね?」
「ああ、何てこと……!」
 ビヴァリーの長くすらりとのびた両手が、目に見えて震えていました。拳骨を握り締め
ていました。恥辱の感情が、火のように全身から迸っていました。ディアナの精神のシー
ルドにぶつかって、火花を発していました。暴力的といって良い程の、ショックを受けて
いました。頬を平手で殴打ているような感覚がありました。
 ディアナは、船の医療部長の腕を取ろうとしていました。
「私に、触らないで!!」
 ビヴァリーは、叫んでいました。彼女の恥辱と屈辱感は、千本の光の矢のようでした。
ディアナには、仏陀の背負う後輪のようにも見えました。
「……何の、権限があって……」
「ごめんなさい。ビヴァリー……、でも、私には、その権限が与えられているのよ」
 興奮する医療部長に、医師としての職務を思い出す間を与えていました。 
「あなたも、服務規程で知っているように、船のカウンセラーとして、私には、その権限
が与えられているの。あなたも、この船の医療部長として、誰よりも良く理解しているは
ずだわ」
 繰り返していました。
「中に、入りましょ。誰か来るかもしれない」
 ホロデックのドアは、軋みながら開いていきました。二人の女性は、中に入りました。
ディアナが先で、ビヴァリーが後に続きました。ディアナは、背後の女性の極限にまで達
した興奮を、背中に突き刺さる熱い短刀のように感じていました。それは、極限にまで圧
迫された暴力への欲求でした。今こそ、絶望的になったビヴァリーが、自分を曝け出して
くれる時でした。本当の助けを必要とする時でした。
「コンピュータ」とディアナ。
「シュミュレーション:『ガンマ=アルファ=トロイ』を実行しなさい」
 ホロデックの何もない壁が消えていました。突然に、二人の女性は、あのウィーンの心
理学者ジグムント=フロイド博士の、薄暗い書斎の内部にいたのでした。ソファに染み込
んだ、シガレットの煙の匂いまでが、忠実に再現されていました。ディアナは、木のがっ
しりとした揺り椅子に、腰を下ろしました。大きな頑丈な作りの、木の机の後になってい
ました。
 ビヴァリーはというと、ソファの端に居心地悪そうに、小さなビキニにかろうじて包ま
れた、大きなヒップを乗せていました。顔の表情は、長い赤毛の影になって見えませんで
した。長い間がありました。ビヴァリーの方から話しだしていたのです。
「私は、たしかに、このごろ、少し、おかしかったのよ……。この場所では、何か弁解の
言葉を、述べるべきなのかしら?」
 ディアナは、何もかも心得ているという、いつもの患者にしてみせる職業的な笑みを、
一度は拵えようとしていたのでした。
「ビヴァリー、あなたのしていることは、別におかしなことではないわ。私たちは誰でも
自分だけの、秘密の欲望という「シナリオ」を持っているものよ。強く、生き生きとした
ファンタジーは、人生を豊かなものにしてくれるわ。問題は、私たちが、それを隠そうと
する時に生じてくるの。ファンタジーは、より暗黒の力を得て、より歪んだものになって
いくわ。それらは、私たち自身を打ち負かすほどの力を貯えてしまう。あなたは、いつか
らこの「シナリオ」を、初めていたのかしら?」
「……私は、こんな話を、あなたに本当にしたいのかどうかも、分からないのよ……」
 ビヴァリーは、ディアナと目と目を合わそうともしなかったのです。
「……初めは、偶然のミスに過ぎなかったの……。私は、古代の二十世紀の東京への旅行
のシナリオを作っただけだった……。でも、どこかで、ちょっとした、間違いをしでかし
たらしいの……。縮尺が変だったわ。すべてが、とても、ちっぽけになっていた……。お
かげで、私は、自分が、途方も無い巨人になっていることを感じた……。私は、すぐに、
それを消去しようとしたの、本当よ……。でも。一方で。これは、ちょっと。面白いかも
しれないと。思ったわ。それで。その東京で。……遊んでみたの。ちょっとだけね。……
気に入ったわ……。とってもね。でも、その後で、私は、その世界で。自分が……しでか
した事を。隠さなければならないと思ったの……、特に、あなたにはね。自分が、そこで
して来たことに、直面したくなかったから……」
 ディアナは、うなずいていました。
「そうだったの。……ビヴァリー、一つ提案があるわ。……私も一緒に、その「シナリオ」
を体験させてくれないかしら。そうすれば、私も、あなたのしていたことを、もっと理解
できると思うわ」
 ビヴァリーは、ようやく顔を上げていました。明らかに、困惑していました。
「おお、それは、できないわ。それは、……とても……、個人的な内容なんですもの」
「これまでは、私は、あなたに自分をカウンセラーだと、考えてもらいたかったの。でも、
今は、一人の友人としてお願いしているのよ」
 ディアナは、一度は、性交渉を心理学的な療法の一つとして、強要しようとさえしたの
でした。しかし、そんな頑なな方法によっていては、彼女たちの友情すら生き残れないと
いうことを、実感していたのでした。
「覚えていてちょうだい。あなたは、いつでも好きなときに、「シナリオ」の進行を停止で
きるわ。OK?」
 ビヴァリーは、彼女の瞳を見つめていました。そして、頷いていました。ゆっくりと。「い
いわ」
 ディアナは、意識して笑顔を作らなければなりませんでした。彼女は、居心地の良いフ
ロイド博士の椅子から、とうとう立ち上がったのでした。
「準備はいいかしら?」
 医療部長は、こっくりと頷いていました。ソファから小さなビキニに包まれた大きな尻
を、重そうに持ち上げていました。
「さあ、行きましょ」
 ディアナの胃は、ぎゅっと縮こまっていました。これから直面しなければならない、試
練のことを考えていたのです。それでも、意識して、肉体の緊張を緩和しようとしていま
した。心理学の専門家としての笑顔の仮面は、フロイド博士の書斎に置いていくのです。
「コンピュータ。シナリオ『アルファ・クラッシャー=トロイ』をロードして、実行しな
さい」
 フロイドの書斎は、雲散霧消していました。速やかに、足元に直方体の建物が密集する
ミニチュアの都市が、出現していました。ディアナは、前回よりも建築物が、わずかに高
くなったような気がしました。地区が異なるのでしょうか。
 しかし、ディアナの心を捉えたのは、力強いセクシャルな波動でした。ビヴァリーが興
奮しているのでした。なんとか表面に表さないように、苦労していました。ビキニの姿が、
いつにもまして、ひとまわりもふたまわりも、大きくなったように、ディアナには思えて
いました。
 ディアナと比較すれば、ビヴァリーは、大女でした。身長で頭一つ分、肩幅で1.5倍
の大きさがありました。小さなビキニだけなので、いつもの青と黒の二色の制服姿よりも、
より大きく感じられるのかもしれません。ビキニのトップは、大きな乳房を乳首の周囲し
か、覆い隠していませんでした。
 肩幅が広いので目立ちませんが、ビヴァリーは、かなりの巨乳なのでした。そして、ビ
キニのボトムは、腰骨の下になるぐらいに細くて、かろうじて陰毛を、見えなくしている
だけでした。筋肉質の下腹部の皮膚までを、顕にしていました。
 ビヴァリーは、この都市の風景を見ただけで、マタタビを与えられた猫のように、もう
急速に興奮しているのでした。たぶん、ちっぽけな市民たちに対しても……。
 しかし、そこにはコンピュータが創造した、仮想の風景以上のものがありました。ディ
アナは、突然、本能的な原初の憤怒の爆発を、彼女の周囲の世界全体から、感じたのでし
た。それは、彼女をこの世界から排斥するほどの、拒否の力を持っていました。
「おお、ビヴァリー、何か?おかしいわ!?」
 ディアナは、意志の力を振り絞っていました。なんとか二本の脚で、真っすぐに立って
いようとしていました。しかし、重心が揺らいでいました。制服の片方のブーツを、車と
人間で混雑した交差点の中央に、踏み下ろしていました。
 突然、怪物的なといってよい苦痛と、本能的な恐怖の複合した感情が、ディアナの心の
中に、血の真紅の、大輪の薔薇の花のように一輪、咲いたのでした。その赤の鮮烈さに、
鋭い数千本の赤い針で刺されるような苦痛が、大脳に襲来していました。眩暈がしました。
彼女は白い首を反らせていました。両手で頭蓋骨を挟むようにしていました。絶叫してい
ました。
「ディアナ、ディアナ、どうしたの?何か調子が悪いの?」
「オ前ノ苦痛ノ原因ハ、くらっしゃーニアル!」
 どこかすぐ近くで、Qが苦痛を振り払うような動作をしていました。イタイノ、イタイ
ノ、トンデケ。
 突然、あれほどの痛みが消え去っていました。ディアナは、両膝をついていました。同
じようなコンクリートの、何階建てかのアパートメントが並んだ都市の一区画が、膝の骨
の下に押し潰されて全壊していました。
「いいえ、私は……、もう大丈夫。本当に……」
 彼女は、額を手の甲で、軽く叩くようにしていました。顔には、困惑したような表情が
張りついたままでした。
「何が悪かったのか、分からないの……。たぶん、心理的な恐怖のフィードバックのルー
プに、填まり込んでしまったのかもしれない……。私は、この世界に入り込んで、自分が
恐怖を感じるのじゃないかと、不安で仕方がなかったの。だから、自分の感情に飲み込ま
れてしまったのね。そうに、違いないわ」
「苦痛ノ原因ハ、くらっしゃーニアル!」
 どこかから、そんな声が聞こえました。
 そうよね。ドクター・クラッシャー以外に、苦痛の原因なんて、存在するはずがないわ。
仮想世界が、苦痛を感じるはずはないもの。私は、この世界を創造したビヴァリーを認め
たくない。拒否しようとした。でも、受け入れなければならない。この矛盾が、苦痛の原
因だわ。
 ビヴァリーは、心配そうにディアナを見つめていました。カウンセラーは、額に大粒の
油汗を浮かべて、まだ青白い顔をしていましたから。しかし、一方では、ディアナは徐々
にですが、本来の健康的な肌の艶と血色を取り戻していました。無理してでも、あの魅力
的な明るい笑顔を、作ろうとしていました。
「ディアナ、ここには心配するようなことなんて。何もないのよ」
 ビヴァリーは、安心させようとして、そう言っていました。
「心配スルヨウナ、理由ハ、何モナイ」
 ディアナは熱くなった脳髄の中が、気持ちの良い冷たい薄い霧で、満たされていくよう
な気がしていました。彼女のテレパシー(共感能力)は、エンタープライズの乗組員の感
情の、バックグラウンド・ノイズのようなざわめきを、いつも捉えていました。それも、
遠ざかっていきました。音量を弱めるように、ほとんど聞こえなくなっていました。
 彼女が強力に感応している唯一の感情は、ビヴァリーのものでした。すぐそこにあるも
のでした。ビキニと素肌の関係のように、決して全部を隠し切ることはできないセクシャ
ルな感情でした。不思議な苦痛と恐怖の爆発は、どこかに行ってしまっていました。もう
何の跡形もありませんでした。ディアナは、再度、ここがコンピュータの作り出した仮想
現実という空間の内部であることを、明白に認識しようと努力していました。これから、
起こる試練に耐えるためには、それがどうしても必要になるのです。
 ディアナは、ビヴァリーの差し出す片手を取りました。それに体重を託すようにして、
なんとか真っすぐに、立ち上がろうとしていました。彼女のブーツの下で、物が壊れてい
く気掛かりな音がしていました。あえて無視しました。
 なにしろ彼女が倒れただけで、この都市の尺度では、十を越える区画が、すっかり壊滅
してしまっていたのです。いまさら、僅かな破壊を加えたとしても、大勢に変化はありま
せんでした。瓦礫のあちこちから、白い煙が煙草のそれのように、細く螺旋状に立ち上っ
ていました。
「ワァオウ!」
 ビヴァリーは、ディアナが一瞬で、この世界にもたらした破壊の光景を、見下ろしてい
ました。
「これって、ファンタスティックだわ!」
 ビヴァリーから発するセクシャルな興奮の波動は、大きな波のようなものにまで盛り上
がっていました。ディアナは廃墟を見下ろして、軽い眩暈のようなものを感じていました。
飛行機で都市の上空を飛行すると、下界はこのように見えるはずでした。それを肉眼で、
両足を地面について観察しているのです。そこは近いようで、ひどく遠い世界でした。
「これを見てちょうだい」
 ビヴァリーの顔には、いたずらっぽい少女のような笑みが浮かんでいました。彼女は腰
の重心を低くして、地面の虫を探すアヒルにでも変身したように、周囲を歩き回っていた
のです。その素足の下で、あっけなく無数の建物が、壊れていきました。何か自分が探し
ていた獲物を見付けたようでした。
 ディアナを呼んでいました。彼女はビヴァリーの破壊の跡だけを踏むようにして、追い
掛けていきました。それでも、ブーツの下からは、どうしようもなく物が壊れる音がして
いました。その不協和音が、落ち着かない不愉快な気分にさせていたのです。
 ビヴァリーが指差しているのは、ある種の公共の広いスペースでした。公園でしょうか。
水と緑がありました。そこには非難してきた大群衆が、犇めいていました。
 ビヴァリーは、その大群衆の頭上数センチの位置で、足の裏を固定するようにしていま
した。ディアナに、「あなたに、この行為が直視できるの」、と無言で挑戦しているようで
した。彼女は出来るかぎり、目を逸らすまいとしていました。
 もう一度、いたずらな幼い少女のような笑みを浮かべていました。そして、ビヴァリー
は、その片足で地面を踏み潰したのでした。グロテスクな赤いぐちょぐちょとした肉塊が、
彼女の形の良い長いすらりとした足の指の股から、押し出されていました。
「Yesssss!」
 ビヴァリーは、その両眼を固く閉じていました。少女から大人の女の表情に、一瞬で変
化していました。媚薬を飲まされたような急変ぶりでした。素足の裏を、公園の土が剥出
しの地面に、何度も擦り付けるようにしていました。
「AAAAAH」
 片手を、シルクの柔らかいビキニの水着のボトムの、生地の前に差し込んでいました。
内部で指を動かしていました。股間を激しく摩擦していました。
 ビヴァリーから放出される本能的で動物的な欲望の強度は、驚くべきものでした。実際、
ディアナは、まったく意図することなく興奮し始めていました。その感情は、途方も無く
強力だったのです。このような強力で緻密な感情を、バルカン星での「Pon Farr」
の時以外には、感じたことがありませんでした。ディアナは、なんとか自分を保とうと努
力していました。
「あなたが、今、何を感じているのか教えてくれないかしら、ビヴァリー?」「力よ!!」
 ビヴァリーは、喉に痰が絡むような擦れた声で、即座に答えていました。
「彼らを見てご覧なさいな。ちっぽけで小さな人間たち。みんなが恐れているのよ、私た
ちを。この私を。数十万人。数百万の人間達が。そして、私は、彼らの誰一人の命につい
ても、まったく責任がないの。気に掛けて上げる必要もないわ。ジャックたちの時のよう
に、生死や安全を、心配してあげる必要は何もないのよ。(訳注:ジャック・R・クラッシ
ャー。ビヴァリーの亡夫。2354年、ピカード指揮下の、U.S.S.スターゲイザー
での任務遂行中に殉職。)彼らに出来ることは何もないわ……。ただ、私に踏み潰されるこ
と以外にはね!」
 彼女は、そう言いながら、逃げ惑う人々を集団を数百人を単位として、その足の裏の親
指の付け根の肉球あたりで、次々に踏み躙っていきました。
 ビヴァリーは、いきなり手足の力が抜けてしまったように、倒れこんでいきました。そ
のビキニの半裸の身体の下で、十を越える都市の区画が、平らに破壊されていったのです。
「私が、何を感じているのかですって?欲望よ!性欲よ!彼らの愛撫を、全身で感じたい
の!彼らを、私の身体の中でも感じたいの。彼らの小さな身体が、私のあそこの中で、次々
に、ぷちぷちと潰れていくのを感じていたいの!ああ、そうよ。私は、彼らの熱くて湯気
を立てるような身体を、全身で感じたくて堪らないのよ!!!」 
クラッシュ!(中編) 了