黄金の足の魔女・1
笛地静恵
 闇の中に、白い足がある。足臭が、空気も染めてしまう毒瓦斯のように漂っていた。巨
大な足の回りに十人足らずの、虫のように小さな肌色の女達が、距離をおいて群がってい
る。みんなが全裸だった。重い大きな乳房が揺れている。大きな尻の谷間やビーナルの笑
窪にも、影がたまっていた。みな若くて、淫らといってもい、肉体美の持ち主たちだった。
もし、この場所に男たちが入れば、飛び付いていただる。白い足には、皮膚に吹き出した
宝石大の汗の粒が、ダイアモンドのように無数に鏤められていた。きらきらと光っていた。
奇妙に、幻想的な美しい光景だった。崇高な足の美しさと、悪臭の対比が、超現実的なま
でに鮮烈だった。

                 *

 脱ぎ捨てられた真紅のハイヒールが、ブラウンの色のウッド・カーペットの床の上に横
倒しになっている。床は布のカーペットから、リフォームしたものだった。その頃から、
このワンルーム・タイプのマンションの部屋に出入りしていた。百合香に、ザブザブと洗
える、ウォッシャブルのラグを敷いている。ペットを室内で飼っている家庭に、人気のあ
る商品だった。彼女の靴の裏に付着してきた小石が、数個、岩のようにごろりと転がって
いた。

                 *

 右足の靴は足を入れる方が、私の方を向いている。左足の方は、私には遥か彼方のベッ
ドの端で、直立した格好のままだ。ベッドは、私には都市の区画一個分の長さがあった。
向こうの交差点に、車が注射しているような光景だった。奇妙な前衛彫刻のオブジェのよ
うに、聳えていた。ピンヒールの下の空間は、私ならば背筋を延ばした状態で、簡単にく
ぐり抜けることができた。石が何個か、いまなお底に張りついているのが分かった。

                 *

 今日の朝から夜までの、長い一日。仕事の間に、百合香の生足が緊張のあまり流した、
冷汗、脂汗。それらのすべてを含む。私たちにとっては数十リットルの大量の汗。雑菌に
よってあるいは発酵。あるいは腐敗。血のような生臭さだ。

                 *

 中の銀色に塗装された空間からは、なお、むっとする悪臭。空気の中に。ねっとりとし
た透明な粘着力のある、毒グモの吐く糸のようにして。漂い出ていた。這い出していた。
強烈な刺激だった。私たちは、みなが涙と鼻水を垂れ流しにしていた。私も口からは、苦
いよだれが溢れていた。嘔吐しそうだった。たかが、女の足臭に、何を大げさなことだと、
思うかもしれない。しかし、無理もないのだ。百合香と私たちでは、生きている世界が違
うのだから。この部屋は、残酷な人喰いの巨人女が支配している。野蛮な弱肉強食の世界
なのだった。

                 *

 彼女の白い足は全長が、身長が百八十センチメートルを越える、最近の発育の良い女性
としても長身の部類に入る私の、優に二倍以上はある。横倒しになったハイヒールの内部
には、私たちならば、五、六人が簡単に入れるだろう。乗用車一台分の容積があった。横
倒しになったその姿は、交通事故の現場に横たえられた真紅の事故者のようだった。

                 *

 本当を言えば、彼女が巨人なのではない。私たちが、小人なのだ。彼女に縮小されたの
である。なぜ、百合香が、そのような特殊な能力を持っているのかと言えば、彼女の持っ
ている、赤いハイヒールの魔法のせいだということだった。偶然に、南青山の骨董店で発
見したのだという。少なくとも、本人は、そう主張していた。

                 *



 彼女、安達ガ原百合香は、現実には外資系企業の有能な社長秘書だった。今夜も、遅く
なって部屋に帰ってきた。マンションの重い鉄のドアが、ガチャリと開いた。ワンルーム・
タイプのマンションの小部屋である。壁は、ベージュの壁に、オレンジと赤と二色のスタ
イルカーテンがかかっている。百合香は、もともと清楚な女性で、家具や調度も豪華では
ないが、自分なりの趣味があって統一されていた。何度も遊びにきた。感じの良い部屋だ
った。今は、この場所が、私にとっての全世界だった。

                 *

 信じられぬほどに、巨大な人間が部屋に侵入してきた。ベージュのビジネススーツ姿で
ある。遥か遠くに見えるのに、大股で急速に接近してきた。ずしん。ずしん。ウッド・カ
ーペットの平原が振動した。真紅のハイヒールを脱ぎ捨てた。どし〜ん。どん。それが床
に落下するたびに、爆発したような衝撃があった。私たちが立っているウッド・カーペッ
トの地面にまで、衝撃が走った。

                 *

 彼女がベッドに座る前に、スカートの中の真紅の下着がのぞけた。ちらりとだけ顔の表
情が見えた。不機嫌そうだった。眉間に皺を寄せていた。床に、白い脚を長く長く、投げ
出していた。パンティストッキングを履いていない。生脚が、スカートの裾から伸びてい
た。しばらくは、放心状態のように動かなかった。鑑賞の時間は、充分にあった。床のス
テンドグラスのライトが、まろやかな陰影を与えていた。白い大理石のようだった。あく
までも相対的にだが、足首が引き締まって、細くなっている。その部分の直径でも、私の
背丈ぐらいはあるだろう。豊かな太腿から、骨の目立たない膝を経て、下肢へと伸びてゆ
く脚線美を鑑賞できた。小学生の頃から、一輪車が得意だったそうだ。地域の大会で優勝
したと耳にしたこともあると聴いている。鍛えられていた。無駄な脂肪はなかった。しか
し、筋肉質の武骨な感じはしない。あくまでも女性的な、優雅さを失わなかった。その脚
が、私たちの感覚では、全体で十五メートル以上も闇に伸びている。肉の橋のようだった。

                 *

 その上を渡って、上半身まで渡って行けるだろう。事実、百合香には、そのような危険
な命懸けの遊びを、何度もさせられた。落ちると失格である。私たちにとっては、地上数
メートルからの転落である。打ち所によっては、命がなかった。肉の橋は動く。くすぐっ
たがって揺すぶられると、振り落とされそうになった。しがみついていた。体毛は、ほと
んどない。信じられぬほどに美しい大自然の美の景観だった。私は現世で、ことさら同性
の脚だけに、フェティシズムを抱いたことはない。が、この部屋に来てからは、その形態
の美に信仰に近い崇敬の念を抱くようになった。

                 *

 今夜の百合香は、疲れていらっしゃるように見えた。激務だったのだろう。私には現在
の仕事は向いていないと、何度もぼやいていた。同時通訳が疲れるらしい。英語は堪能だ
った。ノイエシブヤにある青猫山大学の英文科の出身である。留学の経験もあった。しか
し、自分の誤訳の一語のために、莫大な利益の発生する商談が、一瞬にして破談になる危
険性を秘めている。「緊張のあまり、胃が痛いことがあるの」そうもらしていた。

                 *

 安達ガ原百合香との出会いは、都内の某所にあるフィットネス・クラブだった。私は、
そこのインストラクターをしていた。彼女は私の教える、筋肉トレーニングのコースの生
徒だったのだ。赤いレオタードで登場してきた彼女は、赤い花のように美しかった。小柄
である。身体の計測データでは、身長は150センチメートル。体重は、37キログラム
だった。小学生の少女のように見えた。私よりも頭一つは小さい。

                 *

 百合香とは、練習後に近くの喫茶店で会話を楽しむようになった。それが、いつか酒の
席になり、カラオケになっていった。盛り上がってしまい、終電の後の時間になった。彼
女は、自分のマンションに泊まるようにと誘ってくれた。酒で上気した顔は、ネオンサイ
ンに映えて美しかった。彼女の小さな手が私の大きな手を握った。その湿った感触に、秘
めた感情が滲んでいた。彼女の瞳が私のスーツの盛り上がった胸元を注視していた。予感
があった。彼女も、私たち百合の一族なのだった。後で聞くと初体験の相手は、中学生時
代の一輪車部の先輩であったらしい。今の少女たちは、ずいぶんとませているものだ。

                 *

 マンションの部屋に入った玄関で、力まかせに引き寄せた。胸に抱いた。キスをした。
互いにヒールも脱いでいなかった。その頃は、ピンクのカーペットが敷かれていた。その
上に、二人で倒れこむようにして横になった。私は彼女の小さな体を、欲望のままに扱っ
た。人間が、人間としての尊厳を失うまでに、折り曲げられ、捻られ、変形していった。
百合香は、拒まなかった。私のどんなに残酷な、強大な力まかせの扱いにも、応えてくれ
た。両脚を力任せに大股開きにさせて、膣の内部を子宮の入り口まで舌を挿入して舐めて
やった。その肉体は、淫蕩で、露骨で卑しかった。私は、それに溺れ、恍惚とした。酩酊
した。

                 *

 私たちは、百合香に与えられた部屋の中の寮から、おずおずと外に出ていた。彼女の仕
事用のスチール・デスクの下である。テーブルの上には、モバイルのコンピュータが乗っ
ている。観賞用のアロエの鉢植えもあった。緑のアクセントを付けていた。スチール製の
移動可能な、ベージュのキャビネットがある。三つの引き出しが、ついているものだった。

                 *

 その脇に、三階建てのビルがあった。人間にはオモチャのような大きさだ。怪獣映画の、
特撮用のミニチュアの建物のようである。が、本物である。細部まで、克明に作られてい
るのがわかる。安達ガ原百合香によって、縮小された建物だった。元は、ある大手都市銀
行の独身寮のようである。持ち主の銀行が潰れてからは、廃ビルになっていたものらしい。
そこに、私と同様に、二十分の一のサイズに縮小された人形のような美しい女達が、常時
十人は住んでいた。百合香が自分の鑑識眼で、コレクションして来た者達である。

                 *

 彼女は、巨乳が好みだった。人は自分に無いものを、相手に求めるというのは真実であ
るようだ。百合香本人には、口が裂けても言えないことだ。サイズの差によって彼女は乳
首だけで、私たち小人の女性を押し潰せる。が、現実には洗濯板に梅干しという形容が、
これほどぴったりの、20歳代前半の妙齢の乙女というのも少ないだろう。私への興味と
関心も、レオタードの生地を内側から破れんばかりに押し上げていた、この乳房の充実に
あったのだろう。

                 *

 彼女は私の胸を口に含んで、玩ぶのを好む。その時だけ、私は彼女の腕の中で、幼女の
ような体型に戻ることを許される。炎えてしまう。私も百合香の乳首を口に含む。彼女は
自分の身体の一部を巨大化させることもできるらしい。体型と比較しても、その乳房は巨
大に過ぎた。その谷間に挟まれていることもある。美しい女体に抱かれて、天国にいるよ
うな気分になる。

                 *

 しかし、百合香の舌による情熱的な愛撫を拒んで、気分を害したある金髪の女性がいた。
戻してくれと、英語で泣き叫んで罵っていた。「そうなの?そんなに、元の姿に戻りたい
の?いいわ、そうしてあげる!」ブロンドの彼女の身長は、小人のままだった。乳房だけ
が、元の大きさに戻されてしまっていた。自分の、小山のような肉塊の下敷きになって、
圧死していた。残酷な、恐怖の遊びの現場を見ていた。

                 *


 中には、テレビで有名な、アイドル女優も混じっていた。謎の失踪事件として、マスコ
ミを賑わしたこともある。シンクロナイズド・スイミングのペアもいた。風呂に浮かべて、
胸の前で可愛い妙技を楽しむのだ。風呂場には、ステレオ装置の音楽を、ワイヤレスで受
信して聞ける、高性能の耐水性があるスピーカーが設置されていた。私たち全員には、ビ
ルの内部に個室が与えられている。実際の収容人数は、一人一部屋にしても、三十人には
なるだろう。かなりゆとりがある感じの生活空間だった。大浴場も、食堂も、キッチンも、
ロビーもあった。変圧器のついた電気も、細い管で屋上の貯水タンクに水道もひいてある。
下水を取る管もあった。誰いうともなく、「百合香寮」と呼んでいた。私たちは「百合の一
族」と呼ばれていた。

                 *

 私たちには、広大な「百合香寮」の建物だった。しかし、百合香は両手で、ひょいと持
ち上げてしまう。気分次第で、自由に場所を移動するのだった。当然、内部は、大地震の
直撃にあったような惨状を呈する。後始末が、たいへんだった。ビルは通常、このような
手軽に持運びが効くようには、作られていないのである。あちこちにガタが出ていた。ド
アや窓が閉まらなくなっていた。上下水道の配管は水漏れがした。徹底的に修理した。小
人の仲間に、プロの配管工だという者がいたのは、幸運だった。バイトで覚えたのだとい
う。彼女は、仕事着で屋根裏に潜って、あちこちを強化してくれた。道具や材料は、百合
香がホームセンターなどから調達されていた。縮小すれば万引きは容易だった。足もつか
ない。

                 *

 スチール・デスクの上に、モバイルと並んで置かれていたこともある。明かりの灯った、
寮の部屋の小さな窓からの光景が、癒しの効果がある。幻想的だというのだ。ライト・ア
ップのオブジェにされていた。部屋の窓から、美女の巨大な笑顔が、のぞいていた。私た
ちの生活の細部を観察していた。全員にオナニーのショーを、一度に実行するように命令
されていた。いろいろな気紛れがあった。そのたびに落ち着かぬ不安な気分に、させられ
たものだった。

                 *

 私たちは、ご主人さまである百合香のベッドの足元に、近付いていった。そうする決ま
りなのだ。茶色の窓のない二階建のビルのような、スツールを迂回していった。屋上に、
朝食のお茶の道具であるポットとカップが、出しっぱなしになっていた。このごろハーブ
ティーに凝っているような。ローズヒップのティーを飲んでいた。百合香は、朝は軽くし
か食べない習慣だった。「飼育市」の男性の小人を、軽く数匹だけ摘んで、出掛けていく習
わしだった。ガムのように、くちゃくちゃと噛んでいた。ベッドの壁の脇を通った。彼女
の素足に心地よいように、シーグラス(天然草)のラグが、敷いてある場所に辿り着いて
いた。

                 *

 とうとう百合香が、動いた。思い立ったように座り直した。両足の平を、床に付けてい
た。足の裏が、やや黄色く見えている。姿の見えない外国人の上司に、百合香は、今日の
仕事の報告を、携帯電話で流暢な英語でしているのだった。どうやら何かの仕事で不始末
があったようだ。契約が不成立だったようである。見えないが、携帯電話に頭を下げてい
るのだろう。そのたびに、白い足が薄闇の中で、白い恐竜のもののように揺れていた。空
気に風が起こっていた。

                 *

 ドイツ製のベッドの内部の、ハード・タイプのボンネル・スプリングが、彼女の体重に
反応して、敏感に動いていた。ぎしぎしと軋んでいた。私が買わせたものだった。ハード
なプレイには、それに応えてくれるベッドが欠かせなかったからだ。百合香が困った様子
でいる。普段は、苛められている一方の、私たちだ。その立場からすれば、本来は、爽快
な内容の会話であるはずだった。しかし、戦戦兢兢としていた。仕事上の揉め事で、不愉
快になった彼女が、私たちを相手に、どんなに残酷なゲームを企てるか。今までの経験か
ら、充分に予想できたからだ。それを止めることは、この「百合香寮」に幽閉されている、
女達が全力を合わせても、とてもできないことだった。力が違いすぎるのだ。人間が、恐
竜に戦いを挑むようなものだ。

                 *

 彼女は、巨大に過ぎた。たとえば、ベッドに座って、携帯電話で会話している。その肉
体は、上半身が、ほとんど見えない。下半身の肉の塔のような足の膝の部分までが、辛う
じて私たちの視線に入っているだけだ。膝から上は、ベッドの障壁の影になって、見るこ
とも出来ない。床まで垂れた、ジャガート織りのタオルケットは、日中の光で見ると薄い
赤なのだ。が、部屋の電気を付けていない、うす暗がりで見ると、灰色の皺の寄った魁偉
な岩壁のようだった。厚手なので、織りが浮き出ている。凹凸に影が溜まっていた。複雑
な陰影が刻まれていた。

                 *

 百合香は、明るい部屋が嫌いだった。床に置かれたステンドグラスのランプだけが、唯
一の光源だった。私たちの二倍の背丈がある。透明な四阿のように見える。「中近東からモ
ロッコ風のインテリアを、この夏は取り入れてみたの」。百合香がいっていた。四方八方に、
ランプの枠組みの影がのびた。しかし、部屋の空間の広大さからすると光源としては、あ
きらかに小さすぎた。世界は、薄暗かった。

                 *

「フィイ!」
 百合香が口笛を吹いた。私たちは、彼女の足元のシー・グラスのラグの縁に整列してい
った。その場所が指定されていた。広大な部屋のどこにいても、一分以内に、召集の口笛
には答えなければならない。私たちには、百合香によって、一人一人に花の名前が付けら
れている。番号もある。その順番で、並ばなければならないのだ。遅れたものには、恐ろ
しい罰ゲームが待ち受けていた。人数は、いつも最大で十一人だった。この人数は、百合
香が、ワールド・カップの間だけの、サッカーのにわかファンだったという、単純な理由
だけから決定されたものらしかった。

                 *

 私たち自信が、互いを簡単に番号で呼び合っている。この部屋に来た時点で、シャバで
の人間の名前は捨てたのだ。百合香のオモチャとしての新しい人生を、辛うじて生かされ
ているのだという思いが、全員に共通していたためである。私も、一時は、彼女の恋人だ
ったという過去は、捨てている。百合香は、小柄で可憐な少女のような容姿から、軽い欲
望のはけ口のつもりだった。摘み食いには、ちょうど良いと思ったのだ。しかし、実際は、
女を食らうことが好物の鬼女だったのだ。女郎蜘蛛の罠に捕まった蝶は、私だったのだ。

                 *

 百合香の巨大だが美しい顔が、ベッドの向こうから、私たちを見下ろしていた。マット
面までの高度だけでも、私の身長の6倍はあるだろう。百合香は年齢の割に童顔である。
二十代中旬だが、化粧をしていなければ、十代の始めにしか見えないだろう。眉が濃く、
くっきりとしている。意志の強さを示している。瞳は黒く大きい。光を放つようだ。鼻筋
は通っている。遥か高みにあるのに、呼吸の風を素肌に感じた。赤い口の中の唾液の香も
した。夕食にしたのだろう。トマトソース味のスパゲティだろうか。私の前髪が、風に揺
れていた。下腹部の密生した陰毛にも、床からの風をさわさわと感じた。私は、体毛が濃
いほうだった。

                 *

 百合香の方は、ワインレッドのビジネス・スーツを着たままだった。お気にいりの、赤
いハイヒールに色調を合わせていた。だんだん赤色が、濃くなる傾向にある。魔法の根源
だというヒールが、人間の血を吸っているようだった。赤の色が、見るたびに鮮烈で深い
ものになっているからだ。

                 *

 靴以外には、脱衣もしていなかった。スリムな体型だが、意外にグラマーである。出る
ところは出て、引っ込むべき部分は引っ込んでいる。レオタードの彼女の肉体は、甘く熟
した果物のようにおいしそうだった。栄養の吸収の良い低カロリーの得意な食材による、
ダイエットの効果だった。体脂肪率は低いだろう。現実の世界で、女たちが、あまり気が
付かないのは、彼女が小柄だからである。私は知っているのだ。抱いたことがあるから。
小学生の高学年でも、安達ガ原百合香よりも、大きな女子生徒は何人もいるだろう。比較
する相手の人間の女性がいないと、彼女のボディラインの迫力は、仕事着の上からでも際
立っていた。肉感的だった。自分の意志で、体型の一部を変形しているのかもしれない。
人間を小人に縮小できる彼女の能力からすれば、それぐらいは簡単なことだっただろう。

                 *

 6号の姿が見えなかった。彼女は、まだこの百合香の部屋という、別世界に来たばかり
の、新入りである。方向感覚が鈍かった。さ迷っているのを見付けて、「百合香寮」に連れ
戻したことがある。どこかで、迷子になっているのだろう。広大な迷宮のような場所だっ
た。心配になっていた。最近、精神の状態が不安定になっていた。

                 *

 「6号!!!」
 百合香が怒りのあまり、咆哮した。私たちは、大音量に両手で耳を押さえて、床に這い
つくばった。音の大きさに圧倒されていた。脳震盪のようにふらふらした。
「これから、六十数えるわ。その間に出てきなさい。出ないとひどいわよ!」
 百合香は、ゆっくりとカウントダウンをしていった。
「六十!」
 終了した。広大なウッド・カーペットの平原は、しんと息を飲んで緊張していた。果て
まで張り詰めていた。静まり返っていた。

                 *

 タイム・オーヴァーだった。
「あなたたち、6号を連れてきなさい。もし、発見できなかった時は、分かっているわね?」
 百合香の声には、明らかに苛立ちがこもっていた。私の胴体ぐらいの太さがある足の親
指が、もぞもぞと蠢いていた。危険な兆候だった。全員を踏み潰すと言っているのだ。私
たちは、部屋の四方八方に散っていった。だいたい捜索の場所は分かっている。小人の隠
れることができる場所は、何箇所かに決まっているのだ。

                 *

 6号は、冷蔵庫の裏側で発見された。「いたわ!」あの声は、5号のものだった。ワンル
ームタイプのマンションのキッチンの区画にある。私も入ったことがある。私には犬ぐら
いの大きさの、ゴキブリの干涸びた死骸があった。苦手なのだ。悲鳴を上げて逃げ出して
きた。いまでもあるだろう。

                 *

 6号は、全身に綿埃を、雪のようにまといつかせていた。小太りの、中国系のアメリカ
人だった。丸顔に、豚の尾のようなくるんと巻かれた口髭を生やしている。中国料理のコ
ックだという話だった。アメリカでは、大きなホテルのコック長だったという話だ。が、
真偽の程は、誰にも分からない。小さな目からは、感情が読み取れない。肉饅頭のような
白い巨乳を、両手に抱き締めていた。

                 *

 精神的に、不安定になっていた。無理もない。百合香に、料理のレシピを教えた恐怖の
晩からだ。その時の食材が、小人達だったのだ。

                 * 

 休日の百合香の趣味は、料理である。一輪車も得意だと言っていた。玄関の脇に立て掛
けてある。実際に乗っているのを、見たことはない。たまの休日は、料理に時間が費やさ
れていた。お風呂の後は、素肌にワインレッド色の吸湿性のある、綿のバス・ドレス一枚
である。シャンプー仕立ての濡れたままの洗い髪を、同色のヘアバンドで止めていた。リ
ラックスされていた。笑顔が、少女のように幼く見えた。

                 *

 私の身長の、三倍の直径のあるガラスのボールに、「飼育市」の男の小人数十名と、玉葱
と、溶き卵、それに6号の指示通りに日本酒を、大匙で四杯入れた。塩を、小匙で三分の
一。胡椒少々。

                 *

 すりこ木の長さは、私の身長の四、五倍はある。木製の電信柱のように見えた。ボール
の下には、濡れ布巾を敷いて安定させていた。優美子様は、たしか乙女座のA型だった。
几帳面な性格なのだった。すりこ木の上を百合香は、左手のひらで押さえた。それから、
右手で途中を持って、回転させていった。ごりごり。悲鳴を上げて、逃げ惑う。ごりごり。
どこにも逃げられない。数センチの屈強な筋肉質の男性の小人たち。ごりごり。数十人。
ごりごり。阿鼻叫喚の地獄だった。無慈悲に、すりこ木の棒の先端で、形がなくなるまで、
良く練った。

                 *

 ごりごりごりごりごりごりごりごり。

                 *

 他の材料と混ぜたのだ。ごりごり。ガラスの透明なボールの、急斜面を上って、脱出し
ようとしては、転落していった。ごりごり。6号は、人間が無慈悲に無価値に磨り潰され
ていく、地獄の阿鼻叫喚を、キッチンのテーブルの上の至近距離から、目撃してしまった
のである。ごりごり。

                 *

 ごりごりごりごりごりごりごりごり。

                 *

 6号としては、もちろん丸(がん)の肉には、鶏を使うつもりだった。百合香を喜ばせ
るつもりで、この飛鳥鍋という珍しい料理を、進言しただけなのだろう。

                 *

 しかし。
「あら。肉ならば、新鮮なものがあるわよ!」 
 百合香の明るい返事だった。
 キッチンの床下収納庫の蓋を移動していた。そこには、また秘密の別世界があった。百
合香の部屋には、「百合香寮」のように、さまざまな次元の世界が同居しているのだった。
(黄金の足の魔女・1 了)