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祝・ヴァージョン・アップ記念
黄金の足の魔女・3
笛地静恵
 ゆんぞ様に捧げます。

 私は、安達ガ原百合香(あだちがはらゆりか)。阿佐ケ谷の幽霊が出るいう奄フあるマンションに、一人で住んでいる。まもなく二庶l歳になる。マンションは、いまでは悪評のせいで、ほとんど無人に近くなっていた。ワンルーム・タイプの部屋である。全体に老朽化と、荒廃が進んでいた。階段の通路に、近くの公園から飛んできた、落葉が枯れて積もっていた。この前の、強風の台風の時の、置き土産だろう。血のように赤いハイヒールで踏んだ。枯葉が、乾いた血のように脆くも崩れた。私は、別に気にもしなかった。静かでいい。それに幽霊の何分の一かは、おそらく私に責任がある奴らだった。

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 その頃は、ある外資系の貿易会社で重役秘書をしていた。同時通訳の仕事に神経をすり減らしていた。同性の上司との間で、異常な恋もしていた。悩んでいた頃である。生き馬の目を抜くような仕事は、のんびりした私の性格にあっていなかった。営業成績のグラフだけが、人間の価値の評価であるような会社の体質に、飽き足らなくなっていた。ストレスで、食欲がなかった。一日に必要な栄養素の入ったゼリーと、ビタミンC等々のサプリメントだけで生きていた。こんな生活が長くは続くはずがない。いずれは、身体を壊すのではないかと思えた。追い詰められていた時期だった。

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 南青猫山の、アンティーク・ショップ街を休日に、ひやかしてあるくのが、私の日課になっていた。青猫山学院大学の学生時代から、馴染みの場所だ。とくに何を買うのでもない。お金がいらないことも、気に入っていた。『同情するなら、金をくれ!』と思っていた時代である。彼氏もいなかった。あることから、男性不審になっていた。古いものに、囲まれていることだけで、何となく安心するのだった。それは、私が、外国為替相場の一挙一動に神経をすり減らすような現場に、いたせいなのかもしれない。時は現在と未来だけで、めまぐるしく流れすぎていった。私は追い詰められていたのだ。何か大きな転換が、生活に必要だった。

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 ショーケースの中に、帆船の精密モデルや、人形や壷という他の骨董品と一緒に、赤いハイヒールが置いてあった。最初は、そんなに趣味ではないと思った。形は良かったが、色がもう少しだけ、赤味が強ければ良いと思った。赤は難しい。ほんの少しの差で、好きにも、キライにもなる色だった。ぼやけているような気がした。しかし、サイズには魅力があった。見ただけで私の小さな足にも、合うような気がした。

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 私は小柄な方だった。友達には、百五庶Oセンチメートルと言っているけど、本当は百五純Zンチを切っている。体重も、三曙ワキログラム前後を、うろうろしている。最近の、発育の良い少女たちは、小学校の高学年でも、私よりも大人びた体付きの子は、何人もいた。足のサイズも小さい。二処黹Zンチである・自分の雰囲気に合う大人びたデザインの靴を、捜すことが難しかった。ショー・ウインドウの中にあるのは、明らかに手作りの一品ものだった。大量生産の靴ではなかった。気品があった。

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 骨董屋『時間堂』の、ご主人に頼んで、ケースから出してもらった。もう顔馴染みなのである。すぐに言うことを聞いてもらえる。相当に高齢の老人である。白い顎髭を長く延ばしていた。魔法使いのような風貌だった。

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 鼻眼鏡をかけている。時計の修理用のレンズになっているらしい。この店は、古時計がメインの骨董屋だった。奥の作業台で、いつでも時計を分解しては、細かな歯車を並べて修理している。私を見上げる、彼の奥の優しい目が、大きくなって、光っていた。角度によって、青く見える時がある。混血なのかもしれない。

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 白いシャツに、ニッカボッカーの身体は、まるで子供のように小さい。私でも並んで立つと、目線が彼よりも少しだけ上にあった。彼は、私を、見上げながら、ショーウンドウの中に手を延ばして、靴を手渡してくれた。

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 軽かった。中に1942の数字が、金文字であった。制作された年代なのだろう。古いものなのだ。半世紀をすぎている。そんな風には見えない。何の革なのか。艶があった。割れてもいなかったし、やつれてもいなかった。「STOCKHAUSEN」と「Inge」と、2つの単語があった。どこかのヨーロッパの都市名と、製作者名だろうか。よく分からなかった。大量生産ではなくて、靴職人の丁寧な手作りの、一品物のような気がした。赤い革のつなぎ目が分からない。高度な技術だった。かなりのピンヒールだった。どきどきする刃物のような、銀色の先端が、薄暗い店内でも光っていた。どんな金属なのだろう。磨耗していなかった。昨日作られたナイフのように新鮮な色だった。

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 私は、美術工芸品としてのアンティークは許容する。が、日常生活に使われていたような品物までを、購入するような趣味はなかった。まして、どこの誰か分からない昔の人が履いた靴だ。普段ならば、自分の物にするような真似は、絶対にしなかった。汚いもののように思えていた。しかし、今回は、例外だった。靴が、私に履かれるのを忠実な犬のようにじっと待っていたような、懐かしささえ覚えていた。

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 私は、右の靴を脱いだ。薄いストッキング一枚だけの足を滑らせていった。吸い込まれるような妙な感覚があった。温い沼に、足を踏み込んだような感覚だった。不快なものではなかった。それは、まるで誂えたように、しっくりと足にあった。柔らかい。足が靴に、そっと抱き締められているような気がした。左も履いてみた。それから、背筋をまっすぐにのばしてみた。視線が高かった。世界が広がったような気がした。老人の禿げ頭の天辺を、優に見下ろせた。虚しい、つかのまの優越感に浸っていた。どうせ店を出れば、私には巨人族の男女に、見下ろされるのだったけれども。

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 狭い店内を小股に歩いてみた。ヒールはかなり高い。それなのに、身体が揺れなかった。重心の位置が、適正なのだ。気に入っていた。老人は、珍しく媚びるような、恥ずかしそうな笑みを、唇が薄くて、血の色の透けるような、女性のように赤い小さな口元に浮かべていた。上目使いに私を見ていた。

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「この靴は、特別製なんですよ。もし安達ガ原さんがお気に入れば、正札の二割引きにさせて頂きますが……」
 彼が、私に買ってもらいたい気持ちでいるのが、手に取るように分かった。そうなると、もうこっちのものだった。値引きの交渉をしていった。あまり、物欲しそうな顔はしなかった。が、靴を足元から脱ぐ気持ちには、ついになれなかった。五割引で交渉を成立させた。まだ安価になりそうな気がしていたが、妥当な金額だった。手に入れた。安い買物だった。そのまま大股に店を出た。古い靴は(と、いっても、まだ数回しか履いていなかったが)主人に処分をお願いした。

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 私が、この靴の持つ魔力に、気が付いた日のことは、今でも鮮明に覚えてる。購入して、一週間とは経っていなかった。日曜日のことだ。南青猫山の骨董街から、青猫山大学の前を通って、新渋谷の駅の方に坂を下りようとしていた。病院の前の、歩道橋の下辺りだったと思う。

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 ある種の男性は、私の少女的な小さな姿態に、興味と関心を示す。うるさく付き纏って来るのだ。その日も、大学生ぐらいの男が、私を軟派しようとしていた。五月蝿かった。そんな気分ではなかった。

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 徐々にだが、脇道に誘い込まれているのがわかった。危険な感じがあった。この路地の奥には、駐車場があった。ルノーのスポーツ・カーがある。それで、ドライブしないか。そんな話だった。どこに連れていかれるのか。海や山という話があった。口は旨かった。楽しそうだった。しかし、彼の本当の目的地は、わかっていた。

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 残念だが、せっかくの、赤いハイヒールのヒールの高さも、彼らに対しては無力だった。簡単に見下ろされていた。若い男の肩幅の広い身体で、太陽の光が隠れていた。腋臭を感じた。堪え難かった。咽せていた。大丈夫かい。腕を取られていた。私は悲鳴を上げていた。

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 ファストフードのハンバーガー・ショップに入った。Mというこの店は、今では、日本中のどこにでも、あるのではないかと思う。ありふれた味だった。ジャンク・フードとまでは言わないが、あえて食べたい味だとは思わなかった。一回、こんなものかと分かれば助ェだと思っていた。日曜日の店内は、混んでいた。

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 私は、左のポケットの中の小人を、左手で握り締めていた。声を出させてはならない。特に、豆のように小さな顔面を、手のひらで包み込んでいた。注文は、何をしたのか覚えていない。ごく普通のセットもので、チーズ・ハンバーガーとポテトチップに、苦いだけのコーヒーだった。店員の楓ハ的な笑みが、不気味に見えた。人間といよりもロボットのようだった。

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 私は、トレイを片手に、よろよろと階段を登っていった。これも普通は入らない喫煙席の方の階の、いちばん隅の壁際の席についた。そちらの方が、空いているような気がしたからだ。一人になる必要があった。眼前で、人間が縮小したという、駐車場での信じられない事件の意味を、反芻する必要があった。少なくとも、自分が狂っていないということを自分に証明してやる必要があった。身体は冷たいのに、足元がぽかぽかと暖かかった。それが、わずかに、私の理性を保ってくれていた。そのぬくもりの内部に抱かれていたかった。私自身が小さくなって、赤いハイヒールの中に、身を隠してしまいたかった。私は、非日常的な空間にいた。

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 それでも、交差点に面したビルの三階には、日常的な光景が広がっていた。私のすぐ後の席では、営業マンのようなスーツ姿の男が、スポーツ新聞に目を通してた。読んでいるというよりは、単に暇つぶしをしているだけのように見えた。灰皿に吸い殻が、山のように積み重なっていた。もう長い間、そこに座っているのだろう。ミルク入りのアイスコーヒーが、氷も溶けて薄まっていた。上の方は透明な液体になっている。かすかに茶色に染まった液が、白濁して沈殿していた。どいうわけか、片方の革靴を脱いでいた。汚れた黒い靴下の足の裏が、私の方を向いているのが気になった。

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 背中では、制服姿の女子高生の四人組が、片手に煙草を蒸しながら、もう片方の手の中の、それぞれの携帯電話の画面と、にらめっこしていた。奇妙な風景だ。一緒にいながら、あなたよりも、見えないメールの相手の方が、大切なのよ。そう言い合っているような気がする。孤独なのは、自分だけではないのだという気がした。ヒールが暖かい。

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 私も、彼らに背を向けていた。ポケットの中の小人の男を、手の中に強く握り締めたままで、取り出した。動いている。まだ生きているのだとわかった。急いで、ハンバーガーの上に乗せた。半分だけ溶けたチーズが、ちょうど良い、接着剤になってくれた。それで少しだけ安心していた。

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 ピクルスはキライなので、指先で摘んで取り除いた。彼の上から、緑のレタスの葉を、布団のように被せた。パンを乗せた。厚くてふっくらとしたパンの直径も、6センチぐらいの彼の身体を、ちょうど良く外界から隠してくれた。ぴったりのサイズだった。

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 彼の、小さなAHODASのスニーカー(1センチ5ミリほどしか、なかったろう)の足は、そこからはみ出て、ぱたぱたと魔黷トいた。息が苦しいのだろう。

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 私は、急に激しい空腹を覚えた。考えれば、今日初めての食事だった。朝食は取らない習慣だった。口の中に、透明な水のような唾が、滾々と泉のように湧いて出てきた。自分が信じられなかった。彼を、食う気なのだとわかった。熱い靴が、血行を促進し、食欲を強めているのかもしれなかった。口元を、ハンバーガーの方に寄せていった。あんぐり。口を大きく開いた。彼には、のどちんこまで、覗いていたかもしれない。

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 私の口臭が、彼の不快の原因にならないか。そんな妙なことが、気になった。恋人と、初めてのキスをする時のようだった。心臓がドキドキ。鼓動していた。でも、もうトイレで歯磨きをするような、気持ちのゆとりは残っていなかった。眼前に小さいが、本物のAHODASのスニーカーがあった。最新のデザインに、見覚えがあった。

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 土足で歩いてきた靴だ。汚いものに思えた。しかし、これだけ小さくなれば、泥も砂も石も小さくなっているだろう。それに、今の私のおかれた状況からの至上命令としては、彼の存在を、この世界から、抹殺しなければならない。食べるというのは、良いアイデアに思えた。消化してしまえば、良いのだ。明日になれば、便になって出てくれるだろう。その時には、もう人間の形は、残っていないだろう。愉快な気分だった。

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 向かって右足の靴から、唇の間で、摘んで脱がせようとした。力の加減が分からない。白いシューズが、赤く染まっていた。血ではない。私の口紅が写ったのだ。ようやく歯で噛んで、脱がせることに成功した。しかし、苦労している間に、どうやら、足首の骨を、骨折か捻挫かさせたらしい。小さすぎて扱いが難しい。小人はあまりにも華奢だった。舌で舐めていた。足を、しゃぶっていた。私の勃起した乳首ぐらいの大きさなのだ。乳房は小さいが、乳首は乳輪から大きく高く延びるのが、私の胸の特徴だった。会社の上司に吸われるのが好きだった。膣の奥が、じんじんとしびれて濡れてくるのがわかった。

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 途中で、ポキンという軽い音がした。舌を足の周囲に回転させた。あの時だろう。彼の足が、変な普通ではありえない角度と方向に、曲がっていた。よほど痛かったのだろう。元気な方の左足が、私の赤い口紅を塗った上唇を、ポンポンと、軽く何度か蹴飛ばしていた。痛くはない。可笑しかった。笑ってしまった。彼の足に唾を飛ばした。

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 スニーカーが、舌の上に落ちていた。かすかに、ゴム臭い。さすがに噛んで味わうのは、何としても嫌だった。苦いだけの濃いアイスコーヒーで、そのまま喉に流し込んだ。そんなに、抵抗感はない。錠剤一粒ぐらいのものだった。それに、舌の上の乗せているだけで、溶けて柔らかくなっていくような気がした。唾液の中にも含まれるという、消化酵素の影響だろうか。口直しに、油が濃厚に沁みた、ポテトチップを摘んでいた。手のなかのハンバーガーが踊っていた。生きているのだ。可笑しかった。女子高生たちに見せたらどうだろうか。驚くだろうか。

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 左側の方は、簡単に、スポンと軽く取れた。慣れたのだろう。同じように処理をした。赤い靴下の足が、可愛らしかった。先端にキスをした。吸引力が強かったのだろう。靴下が脱げて、口の中にシュルッと入ってきた。かりっ。足首を、前歯で挟んで噛み切っていた。簡単に切れていた。舌の上に足首が落ちていた。それから汁が、口の中に思いがけないような勢いで、迸ってきた。

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 大量の出血のショックで、小人の身体が、ビクンビクンと動いていた。それをパンの上から両手で押さえ込んだ。断末魔の、苦悶の阜サであったのかもしれない。しかし、ともあれ、旨かった。

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 生きている新鮮なハンバーガーなど、めったに食えないだろう。外資系の企業のエグゼクティヴの中にも、世界で食べた様々な料理の、時には悪食を自慢する、自称グルメの人はいる。が、私の食べた特別料理を、口にしたことはないと、断言できる。

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 血には高級な赤ワインのような、豊潤なアロマとコクがあった。ちゅうちゅう。吸っていた。彼の動きは、急速に弱まっていった。もう生きてはいられなかっただろう。残念だ。もう少し楽しませてもらいたかった。私の突然の、激しい喉の渇きが、癒されていた。もう一滴の血も、出てこないというところまで、私は止めなかった。母親の乳首に、吸い付いた赤子のように。

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 ぐったりとして、動かなくなった身体。ハンバーグと一緒に、ゆっくりと食っていた。もぐもぐ。むしゃむしゃ。かりぽり。かりぽり。二本の脚の方から、食っていった。膝を越えた。ぽりぽり。細い骨の感触が、抵抗感になっていた。腰骨は、さすがに噛みごたえがあった。男性の性器を食っていると思うと、何か身体が燃えた。いつのまにか足先から上半身の胸元までが、ほんわりと暖かくなっていた。乳首がブラの中で痛いほどに勃起していた。左右から、両手を食っていった。はりはり。骨が砕ける。旨い。唇の端から垂れたよだれを、手の甲でぬぐった。

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 服も、卵の殻の内側の薄い皮膜のようなものだった。ほとんど気にならなかった。砂を噛んだような気がした。舌の上に乗せた。口に出して見た。光っていた。砂粒のような、ベルトのバックルだった。しばらく考えてから、もう一度口に入れた。飲み込んでいた。

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 内臓は、どろりとしていた。チーズと良く合っていた。苦みを緩和してくれていた。もう首の下まで、食っていた。頭部は、残りのパンと一緒に、口の中に放りこんだ。梅干しの種のような感触だった。脳味噌が、とろりと甘かった。
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 本当は、大嫌いだったピクスルまで口の中に入れた。酢漬けの刺激が、口の中の血の味を清らかに洗い流してくれるような気がした。


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 今日のハンバーガーは、かつて食ったことがある、どんな有名ホテルのレストランの高級なステーキよりも、旨かった。私の貧弱な語彙では、天上の美味とでも形容したい味を、阜サする手段がない。それは、単純にいうと、塩味が絶妙に効いていた。ワインで長時間煮た、仔牛の肉のような味がした。しかし、どちらも、その味わいの百分の一も阜サしていない。生きた人間の味は、今までに食べた、どんな肉の記憶とも、似ていなかった。ごく少量であったためもある。私は、もっと食べたいと思っていた。

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 満足のあまり、大きなため息をついていた。近くの営業マンが、その声のあまりの大きさの故に、新聞を置いていた。私の顔を驚いたように、まじまじと眺めていたぐらいである。恥ずかしかった。バッグを持って、女子トイレに立った。

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 しかし、生身の人間の男を、食ったからかもしれない。急に、腹部が、きゅうきゅうとなった。腹が痛くなった。血液が、全部、胃に集中しているような気がした。他の消火器が、働いていないような気がした。トイレで水のような便をした。何回もした。気が付くと、顔に脂汗が浮かんでいた。全身にかいた汗が、冷たくなっていた。

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 緊張のあまり、下痢をしてしまった。

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 そうして、便器に座っている間にも、徐々に落ち着いてきた。白い贅肉のない滑らかな腹部を撫でてみた。私へ臍の真下の数センチのところに黒子がある。そこを、突いてみていた。彼は、もう少し上だろう。割れ目に指先を滑らせていた。中指を挿入していた。出したり入れたりしていた。

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 隅のトイレで、オナニーをした。快感があった。隣で人の気配がする。気配でナプキンを交換しているのだと分かる。若い女の子たちが鏡の前で、ごく普通の世間話をしている。誰が、誰を好きかというような、どこにでもある平凡な話だ。

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 その間にも、一人の大学生が、私の胃の中で消化されている。ハンバーガーと、ポテトチップと、アイスコーヒーと一緒に、胃液に塗れている。私の胃壁の筋肉に、揉みくちゃにされている。もう、半分以上、白骨化しているのではないだろうか。私は一人の人間を、いま、地上から、もっとも屈辱的な方法で、抹殺しようとしているのだ。死刑を実行しているのだ。

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 彼は私に、実害を与えるようなことを、別に、まだ何もしていなかった。軟派に誘っていただけだ。彼にも、友人も、家族も、もしかすると、彼女さえもいたことだろう。でも、彼が今、どこにいて、どうなっているのか。関係者の誰も、知らないのだ。証拠の湮滅という意味でも、完璧な殺人方法なのかも知れない。凶器は、私の胃なのだ。隠蔽作業は完全だった。激しく興奮していた。

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 トイレから出た。営業マンの姿はなかった。女子高生四人組だけが、つまらなさそうな撫薰ナ座っていた。携帯は、机の上に置かれていた。別にすることもないのだ。若い彼女たちの新鮮な肉体の皮膚は、どこもかしこも、張り切っていた。短すぎるスカートから延びた太腿の肉は、ムチムチとして柔らかそうだった。制服の白い胸元のブラの中には、二つの乳房が、二個の果実のようにプリンプリンと詰まっていた。

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 私は、彼女たちのテーブルに、おずおずと声をかけた。
「あのう、すみませんけど……」
 なんだ、このアマ?
 そんな怪訝そうな撫薰ゥせられた。視線は険しかった。荒んだ生活が作った、荒んだ撫薰オていた。しかし、私は自分の小柄な外見が、他人に警戒心を起こさせないという長所を、知悉している。
「急に、嵐閧ェ空いちゃったんですけど、カラオケでもしませんか?」
 私は、ごく気軽に、話を持ち掛けていた。自分でも、信じられなかった。赤いハイヒールが、大丈夫、あなたならばできるわというように、熱く炎えていた。励ましてくれていた。
「カラオケ代は、私が持ちますけど……」
 一人の顔がほころんだ。
 私の餌が、釣り針に食い付いたのがわかった。ひどく腹が減っていた。とても、我慢できそうになかった。

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 やがて私は、四方を、自分よりも頭ひとつ長身の女子高生達に、取り囲まれていた。新渋谷駅への坂道を、下っていた。山手線の反対側には、カラオケ・ショップがあり、その向こうには、ラブ・ホテル街がある。ホテル・リスベートという行きつけの場所もあった。

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 青猫山学院大学の英文科卒業で、外資系企業の社長秘書という私の経歴も、彼女たちの夢を引き寄せていた。高校では、シンクロナイズド・スイミング部をしているという。ゆくゆくは、海外の大会に遠征もしたい。全員が、筋肉質の引き締まった長い脚をしているわけだ。その割りには、熱心な練習をしているようには、とても見えなかった。一人が、少し年上の小さなお姉さんに、熱烈に夢を語ってくれていた。話すと、無邪気な少女たちだった。私は、にこやかに、卆のない応対をしていた。

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 目だけは前を歩く、やや太めで大柄な体格の女子高生の、二つの充実した苴フ隆起に、吸い寄せられていた。もったり。もったり。それは脂肪の重みのために、短い制服のスカートの内部で、左右にゆったりと揺れていた。洗っていないのだろう。長く艪ワで延ばした茶髪からは、不潔な饐えたような臭気もした。それすらも刺激的だった。ごくり。唾を飲み込んでいた。赤いハイヒールが、鋪道の敷石の上で楽しそうに、かつかつと鳴っていた。餓える。餓える。そう聞こえた。
(黄金の足の魔女・3 了)
【作者後記】この作品は、すでに公開中の、『黄金の足の魔女』の設定資料のようなつもりで、自分の楽しみのためにだけ書いたものです。「メイキング・オブ・なんとか」というのが、DVDの付録についていることがあります。ああいうものです。「3」としましたが、本当は「0」です。こっちが原点にありました。ゆんぞ様の掲示板が、ヴァージョン・アップすると知りました。記念の意味で、特別に公開いたします。笛地静恵の創作の舞台裏です。ゆんぞ様の、ご苦労に捧げます。(笛地静恵)