RiRiRiRiRi……。
携帯電話のコール音が鳴り響く。
男の持っている携帯だった。空気が乾燥しているせいだろう、辺りによく響いた。

 コールを聞いて、男は身構える。
携帯を取り出すと、私に背を向けて通話を始めた。
「はい。そうです。はい。住所もそれであってます。はい……」

 どうやら取引先とやらとの電話らしい。
しきりに頭を下げ会話する様子は、恰好を除けば
こちらに情報を与えまいとしたのか、へこへこと頭を下げながら通用口から外に出て行った。

 やるなら今しかない。
焦らす必要もないし、得もない。
縛られた両手をあげ、背筋を伸ばす。

「んーっ」
 
 一際気合を入れて、背伸びをした。
1回だけじゃ多分ダメ。
少し大きくなったくらいじゃ、この手を縛っているテープをちぎるなんてこと出来はしない。
2回、3回と大きく伸びをした。
狙い通り、体はみるみる大きくなる。
しかし不思議と、腕回りも足周りも痛みを感じなかった。
そういえば、身につけているものは一緒に大きくなるのを忘れていた。

 ひとまずは安全を確認したところで、成長を見届けることにした。
意識してみると、みちみちと肉が音を立てているように聞こえる。
男が帰ってくる様子がないので、のんびりと体を眺めていると、徐々に雲行きが怪しくなってゆく。
これは、必要以上に大きくなっているのではないか……?

 確か保健室で測った時は173cm。
その次は188cm。
元の身長が168cmだから、今回の背伸びで2mちょっとで済む予定だったのだ。
そう、男を張っ倒して逃げるのにちょうどいいくらいを予定していたわけで、
このままでは建物から出れなくなるかも……。

 気付けば、私の頭は天井にぶつかって、照明の割れる音がした。
広さはまだ余裕があるけれど、このままじゃ立ちあがることが出来ない。
成長が止まるころには、肩甲骨が天井にぴったりくっついていた。
窮屈で、首が痛い。

「ちょっと失敗したかな」

 案外大きな声だったのか、天井近くのガラスはびりびりと揺れた。
ドアの閉まる音が聞こえたので、そちらをゆっくりと振り向いてみた。

「お、おい、おい、おい」

 狙い通り男を呼べて、いい具合に怖がらせることもできたみたいだ。
尻餅ついて、後ろ手で地面を掻き毟って、おいおいとうわ言の様に呟いている。

「本当はもっと大きくなるつもりだったけど、あなたくらいならこれで十分よね」

 ついでに、自分で狙って大きくなったように刷り込みもしてみた。

「ひとつ、お願いしてもいいですか」

「な、何を」

「私を買いに来るって人に、あいつは逃げたって言ってくれませんか」

「そんなこと出来るわけねぇだろ!ここ一番の取引なんだぞ!今のお前を見せればもっと値が上がる!」

 目から耳から、出すもの出して怯えている男から出るとは思えない発言。
欲に眩んだ人間とは本当に交渉できない相手だったのか。

「命あっての物種とかって言いません?素直に逃げたほうが良いかと思いますけど」

「う、動くな!俺をどうにかしたら、どうなるかわかってんだろうな!」

 私だって、こんなとこでこんなチンピラ手に掛けて罪を背負うなんて御免だ。
手足が縛られたままなのもあって、手加減が出来るとも限らない。
とりあえず、ここから逃げてこの先をの事をゆっくり考えたいものだ。
男は大して抵抗しなさそうなので、堂々と逃げることにした。

「交渉はもういいわ。とりあえず私は逃げるから、怪我しないように避けてね」

 通用口からは当然出られそうもないので、正面のシャッターから出ることにした。
立って逃げるにも、天井は破れそうにないし、両足が自由ではないので無理だ。
不格好ではあるけれど、地面を這って移動した。
私が地面に手を突くたびに、辺りが少し揺れるのが分かる。
工具が落ちて一際鋭い音が響く。
短い距離ではあったけど、慣れない移動方法と、擦れる脹脛の痛みで少し時間がかかった。

 シャッターを目の前にして、とりあえず爪を下に差し込んでみた。
古くてずれが生じていたらしい、隙間には余裕があった。
軽く指を曲げてみるが、鍵に阻まれて持ちあがらなかった。
ガタガタと揺すってはみたが、さすがに外れないようだ。

 鍵を見てみると、なんだ、内側から普通に開けられるものだった。
閊え棒をつけるだけの簡単な物だから、ツマミを回せば外れるはずだ。
しかし、ツマミが小さすぎてうまくまわすことができない。
爪を引っ掛けようにもするっと滑ってしまう。
何度か解錠を試みてみるが、どうもうまくいかない。
ヤケになって、両手をぶんと振り下ろした。
狙いを外した指先は、鍵の横を通り過ぎた。
ガツンと大きな音を立てて、閊えをしていた棒をへし折った。
金属を寸断した指先の力に、驚きと後味の悪を感じた。
器物破損とかで補導されるかもしれない。この工場はまだ使用されている痕跡もある。


「ちょっと手が滑っちゃった。時間もないしこれ以上気にしてられないか」

 命あっての物種というものだ。これで捕まったら情状酌量とか言うものに期待しよう。
気前よくもう片方も破壊して、シャッターを持ちあげた。

 工場から這いずり出し辺りを見回すと、大量の廃棄物が目に入った。
簡単にいえば、粗大ごみ関連のごみ処理施設みたいだ。
先ほどの工場は、粗大ごみとして出された物の中で、再利用可能な物を取り扱う場所だったのだろう。
遠目には若干だけど、見覚えのある建物があった。
所謂隣町というものなので、正確には覚えていない。
とりあえず、私が攫われた場所からそう遠くないようで、ほっとした。

 さて、と気を取り直した私は、近くにあった鉄材を利用して手足を縛っていたテープを切った。
ちょっと跡が残っている。今度見つけたらあの男にデコピンの一つでもお見舞いしてやろう。
しかしこれからどうしたものか。
まさかこのまま家に帰れるわけでもないし、ここに居座っても取引先とやらが来てしまう。
かといって、このあたりは山に囲まれているから逃げるには町の方しか……。
いや、この体で町に逃げるのは無理か。おとなしく山にこもって元に戻る方法でも探そう。
私は、自由になった手足で処理場の鉄柵を跨ぎ越し、山の中へと向かった。