最終章 序


 長い長い物語への滞在を終えて、英雄は一人公園のベンチに座っていた。
 気づけば、ここに座らされていたという方が正確で、ここに戻ってくるまでの一部始終を英雄は覚えていなかった。
 それは、今までのような香りによる記憶操作の賜物では無く、純粋なる疲労が頂点に達したが故の忘却で、それに気が付いた時、英雄は自身の消耗ぶりに呆れたような声を出した。


「あいつら……どこまで人を酷使したんだよ」


 呟きながら英雄はポケットを探る。
 直ぐに探し当てたスマホで自身の友人へと連絡を取る。
 いくばくかのコール音の後、彼の友人である黒石君が電話に出た。


「何? ヒデっち」
「例の物語、読んだか?」
「ん? ああ。アレ? 一応読んだけど?」
「んで、感想は?」
「こっちの文化にディープに浸かってないヒデっちが、あんなフェチズム満載の小説勧める事には驚いたよ?」
「あー。別に勧めた訳じゃないんだがな」
「ふーん。それならそれでなお驚きだね。あまりにも似合わないから、三回も読み返しちゃったよ」
「で? 感想は?」
「ああいうのが好きな人は好きなんじゃないの?」
「お前は?」
「俺、別にサイズフェチズムに傾倒してないから何とも言えないなぁ」


 その言葉に英雄は小さくそうかと返した。
 そんな彼の口調に黒石は小さく笑う。
 そして、彼の様子を問いかけた。


「どしたの? スタミナお化けのヒデっちが随分と疲れたような声を出してさ」
「ご明察。疲れてるんだよ。だから、用件だけを言ってるんだ」
「それで、感想をいきなり聞いたわけだ。……でも、なんで感想?」
「なに、文字書きの意見を聞きたいだけだ」
「まあ、所詮は二次創作作家の意見ではあるけど、どんな意見を聞きたいのさ。面白かったかーとか、そう言う意見ではなさそうだけど」
「ああ」


 英雄は頷きを返すと公園に設置してあった自販機に歩み寄る。
 器用に片手で財布から小銭を取り出すと、炭酸ジュースを一つ購入する。
 財布を直し片手で蓋を開けると、それを一気に飲み干して、再び彼に問いかけた。


「その物語に登場する主人公を倒す手段を教えて欲しい」
「は? えっと、ヒデっちが?」
「まあ、仮定の話だよ」
「仮定にしても意味不明なんだけど。そもそも、サイズフェチ小説の巨大娘を倒すって、コンセプト崩壊もいいところなんですがそれは」
「仮定の話だっての」
「いや。仮定の話でも脈絡が無さすぎてビビる。もっとこう、かみ砕いて説明してよ」
「かみ砕いてか。無理な話だ。荒唐無稽が過ぎるからな」
「いや、ヒデっちの存在だって十分荒唐無稽な存在じゃん」
「そうでもない。自分の非力さを実感してるところだ。……それで?」
「それでって言われても、なんだっけ? あの物語の主人公を倒す手段だっけ?」
「ああ」


 英雄の言葉に黒石は電話の奥でため息をついた。
 中々に無茶で、同時に意味不明な話を持ち掛けられたものだと思う。
 だが、彼は英雄に頼られている現状を、嫌だとは思っていなかった。
 だからこそ、彼は少しだけ考えて、彼にアドバイスした。


「……それで、どうにかなるのか?」
「さあ? でも、ヒデっちならそれで何とかしそうだけどね」
「そうかい。……悪かったな、無茶な話に付きあわせて」
「別に、ヒデっちと創作系の話が出来て面白かったし、俺は別に構わないよ。それで?」
「それで、とは?」
「とぼけないでよヒデっち、この後俺に何をさせたいのさ?」
「わかるか?」
「まあ、ヒデっちの頼みがこの程度で済むはずないからなぁ」
「良く分かってるじゃないか」
「ま、これでもヒデっちとの付き合いはそこそこ長いし、分からないでもないよ」


 そう言って苦笑する黒石の言葉に英雄は破顔した。
 そして、彼に頼みごとを伝える。
 すると黒石は、電話の奥で渋ったような声を出した。


「えっと、本気?」
「頼む」
「頼まれても、フツーに犯罪なんですけど」
「それでも頼む。お前にしか頼めない事なんだ」
「……もう。ひどいなぁヒデっちは、いつだって無茶ばっかり頼む」
「その分の埋め合わせはするさ」
「はいはい。期待せずに待ってるよ。……でも、良いのかいヒデっち」
「あ? 何がだよ」
「物語の終わりのお約束は知っているだろ? 俺は二次創作作家だから、その辺の根底にあるものは揺るがせないぜ?」
「ああ」
「ならきっと、物語に登場したヒデっちはひどい目に合うけど、それでも良いの?」
「ああ」
「そっか。なら、まあいいや。では、震えて待っててくれ、最低の二次創作を見せてやるからさ」
「ああ。楽しみにしてるぜ、クロっち」
「こっちも楽しみにしてるよ、ヒデっち」
「は……何をだよ」
「ははは。ヒデっちが俺に連絡してるって事は、切羽詰まってるって事だろ? だったら、事が起こるのはもう間近。下手すりゃ、明日の学校で起きるんじゃないかと思う訳だ」
「……かもな」
「そしてその起きた出来事を華麗にヒデっちが解決する。いやぁ、それを間近で見れるなんて楽しみな話だ」
「……楽しみねぇ。まあ、楽しめるような事ならな」
「それじゃあ、俺作業に入るから」
「ああ。直ぐに出来るように準備しといてくれ。やる時期は……まあ、見ればわかるだろうさ」
「わお。ヒデっちがそう言うなんてマジで怖いことになりそうだ。……いや、全く何が起こるか分からないんだけど、ってか、俺のやる事の意味も良く分かってないけどー」
「それでも、付き合ってくれるお前に感謝だよ、クロっち」
「はは。良いさ。偶には君に頼られるのも悪くはないからね」
「それじゃあ、頼む」
「あいよー」


 その言葉を最後に通話が切れた。
 その通話が終わると同時に英雄は最初にいたベンチに座り、大きなため息をつく。
 仕込みは終わった。
 後は、この仕込みが上手く言ってくれることを祈るのみ。


「細工は流々と言ったところですか? 英雄さん」
「シュバルツか」


 そんな彼に歩み寄って声をかけたのは黒猫だった。
 相変わらず神出鬼没な友人に苦笑を向けると、英雄はそのひざ元を空ける。
 その誘いに乗ってシュバルツはベンチの上に飛び乗ると、自身の定位置だと言わんばかりに英雄の膝に座る。
 そして、英雄の顔を見上げると、彼に問いかけた。


「それで、勝算はあるんですか?」
「……ないよ。いつだって、勝算があるから動くわけじゃない」
「逃げてしまえば楽なのに。それを選ばないんですね、英雄さんは」
「ああ。逃げてどうにかなるような問題じゃないからな」
「それでも、命は掬えますよ?」
「救えないなら、意味がない」
「そうですか。それは、とてもありがたいことです」


 そう言うとシュバルツは猫らしくニャーと鳴いた。
 そんな彼の頭を英雄は優しく撫でる。
 そんな彼の手をシュバルツは受け入れて、なされるが儘になった。


「月来に報告するかい? シュバルツ」
「主よりの命は受けていませんので」
「は。存外に不忠ものだなシュバルツ」
「はは。主が怪物に成り果てるのを見たくはないという忠節の証ですよ、これは」
「成程ね。お前はまさに忠臣だよシュバルツ」


 そう言って英雄はシュバルツの毛並みを堪能するように彼の毛を撫でた。
 やわらかな感触に癒されて、立ち上がる気力がわいてくる。
 シュバルツを置いてゆっくりと英雄は立ち上がった。
 そんな彼にシュバルツはたった一言だけ送る。


「ご武運を英雄さん」
「ああ。ありがとよ、シュバルツ」


 そう言って英雄は自分の家へと帰って行った。
 その姿をシュバルツは見送るのみ。
 疲れた様子を見せながらも、それでも揺るがず歩むその姿は、どこまでも英雄のそれだった。
 勝負は明日。
 全てが終わるのか、それとも。
 未来を見通す目を持たないシュバルツは、それでも確かな希望を英雄に託したのだった。





To Be Continued