土日を過ぎれば月曜日が来る。
 いかに疲れていようとも、時の動きに間違いはない。
 どれほど、学校に向かう事に嫌な予感を感じていても、英雄に学校を休むという選択肢は無かった。
 学校に到着して授業を受ける。
 その状況で英雄は嫌な予感をひしひしと感じていた。
 注目すべき、或いは警戒すべき少女の姿がない。
 月来香は、不登校になって以来、久方ぶりに学校へ来ていない。
 その事にますます不信感を募らせながらも英雄は淡々と授業を受けていた。


「お気に入りの子が来ていなくて不満かい? ヒデっち」
「そう言うのじゃねーよクロっち。それよりも、頼んだことは?」
「無論、仕込んだ。あんなことをさせる意味は良く分からないけど、君の頼みを無下にはしないさ」
「助かる。それで? どういう仕込みをしたんだ?」
「物語の根幹を覆すには、そうであって当然である理由がいる。二次創作とは言え創作だ。創作にはそうなって当然だという納得が必要になる。その納得を俺は付け加えただけだよ」
「納得?」
「ああ、そうさ。あるいは共感と読み替えてもいい。共感し納得させて初めて二次創作は二次創作たる。理由づけとでも言うべきか、あるいはらしさとでも言うべきなのか」
「良く分からないな。俺はそう言うのに詳しくはない。もっと簡単に言ってくれ」
「そうか。なら直接的に言おう。物語に神話をぶつけた。それだけの事だ」
「神話」
「おう。神の時代の英雄なんて名前を持つ君にはふさわしいだろ?」


 そう言って黒石君は笑った。
 その言い草に英雄は肩を竦める。
 理屈は理解できなかったが、それでも彼が全力を尽くしてくれたという事を疑うつもりは無い。
 大きな欠伸をして、机に突っ伏す彼の姿を見ながら英雄も黒板へと向き直った。
 三時限目の授業が始まる。
 先生の退屈な授業を聞きながら、英雄は警戒を続けていた。
 後ろの席では寝息が聞こえる。
 突っ伏した黒石君の物だ。
 英雄の頼みを形にするために徹夜をしてくれたのだろう。
 そんな彼に感謝の念を抱きながら、英雄は自身が抱く嫌な予感に僅かに身震いした。





 いかなる不安を抱こうとも時間は刻一刻と過ぎる。
 午前中の授業も終わり、英雄は屋上にて昼食を取っていた。
 普段は誰かと食事を取る彼にしては珍しく、誰に声をかけるでもなく一人で。
 それは、嫌な予感が脳裏を駆け巡るからこそだ。
 刻一刻と増してくる嫌な予感に、英雄は焼きそばパンを頬張りながらも嫌な汗を流していた。
 晴れやかな昼の空の下で、フェンスに手をかけて外を見る。
 学園の外の道をいくつもの車を流れていくごく普通の景色。
 その平和な景色の尊さを何故か今感じている。
 だからこそ、その異変は劇的だった。
 ゾクリと何かしらの感覚、凄まじい眠気が一瞬だけ英雄を襲う。
 何が起きたのか、理解できぬままに立ち眩みをこらえて、もう一度顔を上げると、そこには信じがたい光景が広がっていた。
 平和な光景はそのままに、されどあり得ない物がそこにはあった。
 少女がグラウンドに立っている姿だ。
 ただ、少女がグラウンドに立っている。
 その姿に、されど英雄の背筋には冷たい汗が流れた。
 あり得無い光景に言葉を無くす。
 少女の事を見たことがあった。
 その少女の姿を見知っていた。
 されど、彼女がここにいる事はあり得てはならない光景だった。
 巫女服のような衣服に身を包み、獣耳と狐のしっぽを携えた少女。
 そしてその大きさは人間のそれではない。
 全長にしておおよそ七十メートル。
 あってはならない大きさの少女が、そこにはあった。


「ふむ、これが香の通う学園か」


 少女、みたまの声が世界に響き渡る。
 独り言のようにつぶやかれただけのそれは、されど轟音となって校舎を震わせた。
 その轟音をもってこれが夢の類ではない事を理解する。
 それと同時に、この状況があまりにマズいことも同時に悟る。
 あり得無い光景に額より汗を零した英雄は、それでも目の前の少女に声をかけた。


「狐。なんだこれは?」
「ほ。そこにおったか英雄。いや、探す手間が省けた」
「質問に答えろ。何が、どうなっている?」
「ふむ。生意気な男じゃ。このような状況にあってなお我をと対等であるかの様な物言い。……だが、今ばかりは許そう。今の我は中々に機嫌がいい」
「お前の機嫌に頓着するつもりは無い。ただ、俺の質問に答えろよ、狐」
「はは。よかろうとも英雄。この状況についてだったな」


 そう言いながらみたまは英雄のいる屋上へと顔を寄せた。
 大気が圧迫される様な感覚を受けて、英雄の目の前に自身の五十倍サイズのみたまの顔が浮かぶ。
 並大抵の男なら、その場で逃げ出しておかしくない程の威圧感。それを受けながらも英雄は表向きは平静を装って、彼女へと問いかけた。


「そうとも、何故お前がここにいる。しかも、そのサイズで」
「くく。知れた事。それを香が望んだからこそ」
「月来が? あいつが何を望んだというんだ」
「無論、この世界の征服を」
「は……あの女が? 嘘をつくなよ狐。アレは、存外肝っ玉が小さい女だ。そんな大層な事をしでかせるものかよ」
「ほほ、随分な言いようじゃなぁ。だが、事実。香はこの世界への侵略を決めた。手始めにこの街。そして、ゆくゆくは世界を自らの手中に収めるために」
「ふん。そうかよ。ならば聞こうか狐。お前、どれだけアイツをそそのかした?」
「ふむ。そそのかしたとは随分ない言い草よな。妾は香の事をそそのかした事実はそれほどない。むしろ、この状況を生み出したのは貴様じゃろうて」
「……俺が?」
「応ともよ英雄。お主が香を焦らし、葵の箍を外し、その結果がこの惨状。思い当たらぬ節がないという訳でもあるまいに。……いや、或いは思い当たるからこそ目を背けるのかのぅ。……最も妾がこの状況を望まなかったと言えば、嘘になるかもしれんが」


 みたまの言葉に、英雄は小さく舌打ちをした。
 嫌な予感とはこの事を示していたのだと理解したが故の舌打ちだった。
 そんな彼の姿を見てみたまはくすくすと笑う。


「思い当たる節はある。冗談めかして言っていやがったが、存外に月来の奴、俺に執着していたんだな」
「それはそうじゃろうな。貴様は一目で分かるほどの英傑じゃ。その英傑を手の内に入れながらも、心は手に入れることは出来ぬ事を香は即座に悟っていた。何せあ奴は我ら妖狐に近しい性質を持つ。そんな女を、お主のような英雄が受け入れるはずもない。肉体的に責め抜いても、精神的に追い詰めても貴様は香の物にはならぬだろう。その事実が香をどれ程打ちのめすか、お主には分かるまい。如何に打ちのめされても悠然と笑う事が出来るお主にはな」


 みたまの言葉に英雄は肩を竦めるだけで回答とした。
 図星だったからだ。
 英雄には香の気持ちなんぞ分からない。
 手に入らないものを、手に入らないと諦める事が出来ないのが英雄という男である。
 たとえその確率が、天文学的数字にまで落ち込んでも、諦める事をしない男であるが故に、諦めて嘆く彼女の心理は理解できない。
 ただ、彼が理解できるのは月来香という少女が、人間であることを止めたという事実だけ。
 人であることを止めて、人でない怪物に成り果てる事を良しとした事実のみ。
 それが、彼にとっては余りにも悲しい。
 だが、そんな状況にあってなお、英雄の眼には燦然と希望が輝いている。
 こんな状況に成り果てても、彼は未だ何かを信じ続けていた。


「オーケーだ。何が起こっているか把握は出来た」
「そいつは重畳。それでは、ここで死ぬ覚悟はできたか、英雄?」
「おや? 良いのか? あいつら目的は俺なんだろう?」
「その通りではある。世界を手に入れるためという建前を上げて、香は葵と共に怪物に成り果てた。世界を手に入れるために物語による浸食を成し果てたが、その目的を香たちははき違えてはいる」
「そして、はき違えたままの方がお前には都合が良いってわけか?」
「うむ。世界征服になんぞ興味は無いが、目的を見失って倫理観を壊していくあ奴らの姿には興味がある」
「だろうな。お前はそう言う質の悪いものだ。そして、だからこそ俺が邪魔なんだろう?」
「そうじゃな。お主を物理的に手に入れてしまえば、世界征服なんぞ棚に上げて貴様を使い潰し続けるじゃろう。世界征服はあくまで建前、あの二人の真なる目的はお主自身だろうからな」
「だから、俺を殺す。成程、理に適っている」
「理解できたのであれば、ここで死んでくれるかの? 英雄殿」


 そう言って笑うみたま。
 だが、殺す宣告をされてなお、英雄は悠然と笑みを浮かべている。
 そして、その笑みを浮かべたままに小さくため息をついた。


「世界を犯す物語か。ふん。輝ける物語とは一体どこへ行ったのやら」
「グリムグリッターが真実の世界に成り代わる。如何なる物語にも成し得なかった偉業。これを、輝ける物語と言わずして何という」
「それは詭弁だぜ狐。そして忘れるな。物語は所詮は物語にすぎないという事を」
「は。負け犬の遠吠えか?」
「その負け犬の遠吠えにさえ恐れをなすのがお前ら狐だろうに」
「良く言った。ならば、ここで潰れて死ぬがよい」


 英雄の言葉にみたまは瞳を細めて指をかざす。
 人一人を殺すに十分すぎるその一撃は、轟音を立てて屋上へと着弾し、その場所へ風穴を開けた。







To Be Continued