ゲームは楽しく、それは時代を越えても変わらない。
地球という母なる大地を飛び出し、アマギアス銀河連邦の一段となり、人類の生存圏が宇宙に広がったとしてもその事に変化はなかった。
むしろ、先に宇宙というステージに進んだ者たちの技術。
それらを、貪欲に取り込んだ結果生まれた、VRゲームは地球圏のみならず、アマギアス銀河連邦に所属する多くの宇宙人たちを魅了し、今では地球における一代産業として成り立つほど。
しかし、そんな背景に興味はない。
あるのは、この楽しいゲームにのめりこむ事が出来る幸せ。
それのみを享受することだ。
多田野祐介という少年には、それだけがもはや世界の全てだった。
「やるねぇ、グリント」
「キシシ、テメェもなユウスケ」
祐介が行っているゲームの名前はギャラクシアスという。
宙間戦争を題材にしたゲームで、アマギアス銀河連邦数百万の星々で楽しまれている戦争ゲーだ。
戦争ゲーと言っても、その内容は多岐にわたる。
星と星との間で行う宇宙戦。
星へと降下して制圧する上陸戦。
降下してくる敵から星を守る防衛戦。
それらの戦争行動がリアルタイムで絡み合うこのゲームは、ある種もう一つの歴史を刻むゲームと言っても過言ではない。
プレイヤー人数は京の位を越え、NPCを含めた登場キャラクターの数は最早数える事さえ出来ないほど。
噂によればこのゲームのデータを処理するために、星を一つ丸ごと改造しているとまで言われる程の莫大な数の人間が、このゲームをプレイしている。
そんなゲームのプレイヤーとして、祐介は今日も自らの愛機に乗って宇宙を駆けていた。
クラン、無課金連合。
ギャラクシアスにおける数多ある同盟の一つで、入団条件は無課金である事のみ。
目的は、この銀河の統一。
そんなクランの一員として、祐介は今日もゲームを楽しんでいる。
今回の戦いは輸送物資の護衛。
凡そ、三千対七千の小規模な襲撃戦に、祐介は同じクランのメンバーグリントと共に参戦していたのだ。
数の上では圧倒的な劣勢を強いられていたが、この戦場に祐介とグリントの二人がいたことが相手方には運の尽きだった。
このゲームにおいて圧倒的な力量を誇る大エース。
その称号を持つ者が二人。
その力があれば、数千程度の数の差などあってないようなもの。
それを証明するかのように、彼らはミッションの目的である護衛を完遂し、敵軍が引いていった後の戦域で、暢気に通信をかわしていたのだ。
「それにしてもタイプエイプが雀蜂なんざ二つ名を持ってるってのには納得がいかなかったが、その名に偽りなし、猛烈に活かす戦いだったぜ、ユウスケ」
「は。タイプインセクターに認めてもらえるとは光栄の極みだね」
「どうだい? この後もう一戦」
「はは。そいつはナイスな提案だな」
そう言って祐介は近場の戦場リストを開こうとした。
そんな彼の元に一つ通信が入る。
それを見て、祐介は小さくため息をつくとグリントに向かって頭を下げた。
「悪い。後輩からのラヴコールだ」
「雀蜂の後輩って言うと、戦乙女か?」
「その称号。アレに似合うとは思えないんだけどな」
「キシシ。ナチュラルアマギアスとタッグを組めるなんて、すげぇうらやましいじゃねーかよ」
「望むなら、紹介するけど?」
「いや、結構だ。お邪魔虫はさっさと去るぜ」
キチキチと笑い声を響かせてグリントはあっという間に戦域を離脱していく。
それを見ながら、祐介はため息をつくと呼び出しのあった星へと向かって空間転移システムを起動させた。
太陽系の遥か彼方、アマギアス銀河連邦の中心地にほど近いその星に、無課金連合の本拠地がある。
その本拠地に入場許可を持つ者は、無課金連合の中でも古参か実力者に限られ、祐介はその後者に当たっている。
そもそもこのゲームはサービス開始より40年近い年月が経っている。
純粋な地球人、日本人の高校生である祐介では逆立ちしたところで、古参勢には入れない。
つまりの星に入星出来るのは、その実力が認められたからだ。
この星に入ることを認められた高揚は、今でも忘れられない。
自身の愛機をタラップにおいて、呼び出された場所へと歩いて向かっていると、その通路に少女の姿があった。
タイプエイプス。
すなわち、地球人と同じタイプの宇宙人の恰好。
祐介が、この世界観を壊さないためにパイロットスーツを着用しているというのに、その少女はブレザータイプの学生服に身を纏い、棒付きの飴を舐めながら、腕時計型の携帯端末を弄っている。
そのいつも通り過ぎる姿に、祐介はため息をつきながら彼女の側に近寄ると、声をかけた。
「……待たせたか? アイシア」
「……遅いっすよ先輩。私が呼んだんなら、すぐに駆け付けて欲しいっす」
「これでも、戦利品の分配が終わった後にすぐに駆け付けたんだけどな」
「どーせ雑魚潰した戦利品なんて大したことなんでしょうし、私との約束を優先してくださいよ。十五分も待ちぼうけ喰らったんですけど」
「知るか、そもそも約束した覚えはないね」
「してますよ先輩。先輩は後輩の面倒を見る代わりに、後輩は先輩に追従する。このクラン……ってか、この星の新入りの務めだって言ったの先輩じゃないっすか」
「そりゃ言ったがな、もう一年もたつ。卒業してもいいころだとも言ったぜ、俺は」
「ふふーん。私が卒業する気が無ければいつまででも一緒にいてくれるとも言ったの、忘れてませんからね」
「……そうかい。物好きな奴だ」
言いながら祐介は少女を引き連れて、本拠地に設置されている小さなバーへと足を運んだ。
そんな彼に付いてくるようにアイシアはその綺麗な金髪を揺らしながら祐介の後をついていく。
バーにたどり着くと祐介は乱暴にバーの一席に腰を下ろした。
注文するのはアイスミルク。
アイシアはそれに習って、オレンジジュースを注文すると祐介に向き直った。
地球人の祐介から見ても、整った顔立ち。その顔に微笑を浮かべてアイシアは楽し気に祐介に問いかけた。
「で、で? これから何をするんっすか?先輩? 上陸戦? 防衛戦? それとも襲撃戦? あ、それとも私の模擬戦に付きあってくれるとか?」
「今日は、防衛戦で目標額稼げたし、ここでのんびりしようかと思ってたんだけど?」
「えー。ゲームに来てるんっすから、ゲームしましょうよゲーム。一緒に無課金連合の版図を広げましょうよー」
そう言いながら祐介に顔を寄せてくるアイシア。
その美しい顔立ちに祐介は小さく生唾を飲み込んだ。
それ程の美貌。怖いくらいに好みに合致する少女から向けられる好意に、それでも祐介はその提案をバッサリと切った。
「目標クレジット溜まったから、今日は店を巡るんだよ」
「えー。アーマードのためにまたクレジットつぎ込むんっすか?」
「おう。愛機に金をつぎ込むのは男として当然の選択だ」
「目の前の可愛い女の子につぎ込むってのもありっすよ?」
その言葉に祐介は鼻を鳴らした。
確かに、アイシアという少女は美少女だ。
長い腰まで伸ばされた金髪。切れ長な、美しさと可愛さを両立させる瞳。通った鼻筋、色白の肌に朱色の唇。
スタイルだって抜群だ。
ブレザー越しでさえ、主張してやまない二つの果実。
その胸元とは正反対に絞られてくびれたからだ。
たっぷりと詰まったおしり。
それら全てが思春期の祐介を惑わせるに足る非のつけようのない美少女。
それが、アイシアという少女だ。
しかしながら。
「あほか。女とアーマードでアーマードを取らないアーマード乗りがいるかよ」
「ぶー。女の子相手にあっさりそう切っちゃうところ、先輩サイテーです」
「お前に嫌われても、俺のギャラクシアスライフに悪影響はないしな。いや、むしろ付きまとわれない分、メリットまである」
「むー。そう言われても絶対付きまとうのはやめませんからね先輩。先輩は私をけちょんけちょんにした責任を取ってもらわないといけないんですから」
「三年も前の話をまだ持ち出すのか、お前」
「いや、今でも私をけちょんけちょんにするじゃないですか」
「そりゃ、お前が弱いからだろ?」
「うーん。この歯に衣着せない言い草。さっすが先輩、好きですよ」
「はいはい。俺も好きだよ」
「おお、なんと二人は相思相愛だったんっすか。なら、愛し合う二人は結婚しなくちゃですね?」
「結婚システムとかいう、デメリットの方が多い要素を使うのはNGで」
「何でっすかぁ」
バッサリと祐介に切り捨てられてアイシアは机の上に突っ伏した。
豊かな乳房がテーブルで形を変える様を祐介は見ないように目を逸らすと、注文していたミルクを少し飲む。
そんな彼に向けて、突っ伏しながらアイシアが予定を聞いた。
「そう言えば、先輩、明後日暇っすか?」
「あ?……まあ、暇と言えば暇だが?」
「カンゴルグ星の旅行券手に入れたんですけど、そこでオフ会しません?」
「え? 普通にしないけど?」
「何でっすかー!?」
「いや、何でも糞も、オフ会とか怖いし。生まれ育った星以外の星に行くとか御免だし」
「こんな美少女が誘ってるんっすよ?」
「いや、ゲームのアバターで美少女誇られても、その、困る」
「これ、素の顔だって何回言えば信じてくれるんっすか!!」
そんなことを言われてもと祐介は苦笑した。
そんな祐介の態度にアイシアはギリギリと歯ぎしりしながらも、もう一度椅子に座る。
そして、媚びるように祐介を誘った。
「ねぇ、お願いっすよせんぱぁい」
「えー。だってお前とオフ会してる間、ギャラクシアス出来ないし」
「今なら本物のアーマード乗れる体験会もあるらしいっすよ?」
「う……そいつは魅力的だな」
「……生身の私に会えるよりアーマードに乗れることに心動かされるとは、ちょっとだけショックっす」
「ばっかお前、巨大ロボットに乗れるとか男のロマンだろうに」
「ギャラクシアスのトッププレイヤーなら、銀河防衛軍にだって入れるでしょうに」
「いや、その、まじもんの戦争がしたいわけじゃないし」
「ふーん。そんなもんっすかねぇ。……って、そんな事よりもどうっすか? 明後日から三日間。私と一緒にアーマード乗り放題の旅行っすよ?」
その言葉に祐介は唸るしかできなかった。
結局、祐介はそのアイシアの言葉に負けた。
渋々ながら、初めての宇宙旅行を決める。
この時代に高校生にもなって宇宙へ出たことがないというのは、割と珍しいが彼の家があまり裕福ではない事を考えると、それもやむを得ない一面があった。
旅費全額アイシア持ちという言葉が、彼の背中を押したことは否めない。
とにかく、指定された宇宙港へ向かうと、そこには銀色に輝く宇宙船があった。
球体のようなギャラクシアスでもよく見る汎用型の個人用宇宙船。
搭乗手続きを終えて、出星手続きを終えると、あっという間に彼は宇宙船に乗り込んでいた。
初めての宇宙にワクワクするが、そんなワクワクを感じる間もなくあっという間に大気外にでて、ワープ航路が開かれると、そのままワープする。
到着まで凡そ二時間。
揺れも、無重力も感じる事無く外宇宙へ飛び出した祐介は、その余りにあっさりとした様子に少しだけ拍子抜けした。
ピコンとモニターが開く。
そのモニターを見れば、そこには見慣れた少女の姿が映っていた。
「ヤッホー先輩。初めての宇宙旅行はどんな気分っすか?」
「あんまり感慨が無かった。むしろ、お前が本当に顔弄ってなかったことの方が驚いている。下手すりゃ、中身男じゃないかと思ってたくらいだからな」
「えー。まだ、信じてくれてなかったんっすか」
「はは。悪い悪い。でもまあ、これで信じる事が出来たぜ。お前は確かに女だったんだな」
「そこからっ!?」
モニター越しに何時も道理のやり取りを行う祐介とアイシア。
目の前の少女の顔を見ていると、まるでギャラクシアスの中にいるかのような錯覚を受ける。
しかしながら、事実としてここは宇宙にあるワームホールの中であり、現在彼は宇宙にいる。
それを証明する事は誰にもできないが、それでも祐介は初めての宇宙に少しだけ感動した。
「……ありがとよアイシア」
「……はは。お礼なんて良いんですよ先輩。これも私の我儘なんすから」
「それもそうだな」
「そこで納得されるのは納得できないなぁ」
「それよりも、どれくらいで付くんだ?」
「んー、超光速ワープで二時間位っすかね?」
「超光速って言う割に、結構かかるんだな」
「宇宙の広さ舐めんなって事っすよ先輩。むしろ、その程度で到着する星をえら……いえ、あった星を見つけてきた私に感謝してくださいっす」
「そんなもんかねぇ」
言いながら祐介は宇宙船に設置されていたベッドに横になった。
それを見たアイシアがモニター越しに焦った声を出す。
「あ、この先輩、旅行の楽しみである旅の会話をすることもなく寝る気だ!! こんなに可愛い後輩放っておいて」
「悪いのか?」
「悪いですよ!! 二時間くらいお話ししてましょうよー」
「二時間も何を話すよ」
「そりゃ、デートの予定とか、新婚旅行の予定とか、どんな結婚式がいいかとか」
「恋人とでもしろ」
「先輩としたいんっすよぉ」
そう言いながら祐介に向かって縋りつくようなポーズを取るアイシアを祐介はあっさりと無視してベッドに据え付けてあった毛布を着込む。
ギャーギャーとうるさいアイシアの事を完全に無視して眠りを決め込むとそのままあっさりと眠りに落ちた。
だからこそ、彼は見逃した。
横になる祐介を見守る彼女の口元に、僅かな笑みが浮かんだことを。
カンゴルグ星にたどり着いた祐介はさっさと宇宙船より降りる。
ただっぴろい宇宙港。
その先の建物に歩いていくと、案内のアンドロイドが先を示してくれる。
その指示に従うように歩いていくと、そこには空を走るエアカーが用意されていて、乗り込むと自動運転で目的地へと運ばれる。
流石はハイテクのロジーを集めた星。
などと、観光マップを広げながら感心していると、目的地へと付いた。
アーマードの格納庫。
ワクワクしながら、いつもの戦闘服に着替えると、案内のアンドロイドに連れられて、見慣れた機体の側へと近づく。
そんな時、彼に通信が入った。
「先輩」
「なんだ? 俺は今からアーマード初体験で忙しいんだけど」
「えー。もうすぐ着くんで、出迎えて欲しいって思ったんですけど」
「しょうがねーな。アーマードに乗り込んで出迎えてやるよ」
「そうっすか。なら、それでいいっす」
「? 随分と素直だな。お前の事だ、一緒に乗りたいとか駄々こねると思ったんだが」
「ふふ。まあ、先輩がカンゴルグに来てくれただけで、私的には大体目的は達成してるっすからね」
「はぁ?」
いまいち要領の得ない彼女の言葉。
まあ、それを一々気にする必要もないだろうと祐介はアーマードに乗り込んだ。
ギャラクシアスと同じ光景が目の前に広がる。
アーマードを動かせるという興奮と共に、祐介はカンゴルグの空へと飛び出した。
天高く舞い上がる全長四十メートルもの機動兵器。
その操作性も、感じるGの感触もその全てがゲームのままで、いつも通りの感触で、同時に新鮮だった。
舞い踊るように機動する。
蜂のように踊り狂う。
急加速、急停止、旋回、反転、そして自由落下。
あらゆる機動の感触を確かめながら、祐介はアイシアの事を思いだす。
そろそろ到着する時間。
そんな彼女を迎えるために、空へと目を向ける。
すると、確かに其処には見間違う事なき宇宙船が下りてくるのが見えた。
しかしながら……
「でかいな、おい。俺の奴の300倍くらいの大きさがあるんだが」
全長600メートルに及ぶ巨大な宇宙船。
人には個人用の宇宙船を送りながら、自分はあんな豪華な宇宙船を使う。
その彼女の在り方に少しだけ頬をかく。
しかし、まあ、祐介はあくまでも彼女に招待された身。
文句を言うのは筋違いかと、浮かんだ文句をかき消すとそのまま地上に降りていく宇宙船の後を追った。
宇宙船の扉が開く。
そこからアイシアが下りてくる。
その様子をみて、祐介は今度こそ言葉を失った。
「……なっ!?」
「あはははは。どうしたんっすか、先輩。私の美貌に見惚れでもしましたぁ?」
「いや、いやいやいやいや」
壊れたラジオのように祐介は否定の言葉を垂れ流した。
その理由は明白。
アイシアの大きさを目の当たりにすれば誰でもこうなる。
自身が乗るアーマード。
その大きさは約四十メートル。
アーマードの中では小ぶりなサイズの機動兵器ではあるが、並のビルよりもはるかに大きい。
その兵器が玩具にしか見えないサイズ。
遠近感が狂ったのか、それとも祐介の眼が狂ったのか。あるいは、狂っているのはこの世界か。
引きつった悲鳴のような声を、祐介は意識せずに漏らしていた。
「ふふふ」
「っ!?」
伸ばされた手をギリギリのところで回避する。
咄嗟の反応だった。
伊達や酔狂でギャラクシアスにおけるエースは名乗っていない。エースに恥じぬ回避行動。
それを見て、アイシアは少しだけ頬を膨らませて、それでも直ぐににこやかな笑みを浮かべる。
「逃げないでくださいよ、先輩」
「……いや……逃げるだろ普通」
「そうっすか? こんなに可愛い後輩から逃げるなんて、酷い人っす」
「そんなことは、もう少しまともなサイズで言ってくれ。……なんだよ、その大きさ」
「んふふー。そう言えば先輩には私のフルネームを教えてませんでしたっけ?」
「フルネーム?」
「では、ここで改めて。私の名前はアイシア・アマギアス」
その言葉に祐介は息を呑む。
アマギアス。
銀河連邦の名を冠する者はこの宇宙に置いてただの一種族しか存在しない。
アマギアス連邦の創立者が星族。
巨人種、アマギアス。
「顔に似合わず巨大兵装ばっかり使うと思ったら……」
「そう言う事っス。巨大兵装が好きなんじゃなくて、それ以外使えないだけっす。私らサイズの兵器群は数が少なくて。その辺は何とかしてほしいっすよねぇ、ギャラクシアスも」
「アマギアスなんてチート種族当然だろうが」
「ま、そうっすね。でも、そんな事よりも先輩」
「……なんだ?」
「下りてきてくださいよー。下りてきてくれないと、先輩で遊べないじゃないっすかぁ」
「よし。絶対に下りて行かない」
「おっと。口が滑ったっす。冗談っすよ、冗談」
「嘘だ。絶対にお前には近づかないからな」
軽口を叩きあう二人。
しかしながら、祐介はアイシアの手の届かない高さで滞空していた。
彼女の手の届く範囲になんて近づいたら、何をされるか分からない。
はめられた。
その感情が祐介を覆い尽くしている。
そうある以上、距離を取るのは当然の事だった。
しかし、そんな祐介の態度を見てもアイシアは浮かべた微笑を消したりはしなかった。
ゾクリと祐介の背筋に冷たいものは走る。
恐怖か、或いは嫌な予感か。
それを判別する前にアイシアは祐介に向かって言葉を紡ぐ。
「あー。良いんっすかー? そんな態度を取っちゃって」
「何が言いたい?」
「ふふ、べっつにー? ただ、立ってるのも疲れたし、少しばかり座ろうかなーって」
「座る?……って、おいっ!!」
アイシアの言葉祐介は気が付いた。
彼女は宇宙港の中央に立っている。
その巨体を、その美貌を見せつけるように。
その足元には祐介が乗ってきた小型の宇宙船があった。
そして、彼女は宣言通りにゆっくりと腰を下ろそうとする。
ゆっくりと、それこそ見せつけるように。
ゆらりと揺れるスカートが、影となって祐介の乗ってきた宇宙船を覆い隠す。
重そうな胸元を片手で支え、もう片方の手を地面につけようとゆっくりと伸ばす。
ゆっくりと、ゆっくりとまるで焦らすように彼女の腰が地面におりて。
轟音が響いた。
彼女がおしりを下ろした場所はあっさりと彼女の重さに負けて陥没する。
ぺたりと、腰を下ろしたというその行動だけで大地がきしみを上げ、コンクリートで苞されていた宇宙港にひびが入る。
当然だ。
アーマードの計器が観測する彼女の身長は三百メートルを優に超えている。
その体重は軽く見積もっても三十万トンを遥かに超える。
そんな質量が大地に叩きつけられて、耐えられる道理がない。
「あ……ああ……」
「あはは。あはははははは。どうしたんっすか先輩。そんな、絶望的な声を漏らして」
「お、お前……、俺の宇宙船……」
「あはは。そんな顔しなくても大丈夫っすよ先輩。ほら」
そう言いながら、アイシアは自らの股間に手を伸ばした。
そして、その場所から手を引き抜くと、祐介に見せつけるようにスーパーボールサイズの宇宙船を祐介に見せつける。
どうにかこうにか無事な宇宙船を見て、祐介は小さく息をついた。
「ふふ。でも、この宇宙船がどうなるかは、先輩次第っすよ」
「……あ?」
「先輩。一緒に遊びましょうよー」
「え?」
「一緒に遊んでくれないなら私、この宇宙船をどうしちゃうか分かりませんよー?」
そう言いながらアイシアは宇宙船をつまむ指先に、僅かに力を籠めた。
外宇宙の脅威にさえ耐える宇宙船が僅かにたわむ。
それを見て取って祐介は真っ青になった。
にやにやと笑みを浮かべているアイシアに向かって大声で叫ぶ。
「わ、分かった!! 直ぐにそっちに行く。だから、それだけは辞めてくれ!!」
「はーい。それじゃあ、先輩、こちらへどうぞ」
「く、くそっ」
悪態をつきながら祐介はアーマードをアイシアの側へと寄せた。
自身よりはるかに大きな彼女の側へわざわざ近づくのは自殺行為に等しい。
それが分かっていても、帰る手段を人質に取られれば、祐介にはどうしようもなかった。
これまでの彼女との関係を後悔する。
もっと優しくしてやればよかったのか。それとも、彼女との付き合いを持ったこと自体が間違いだったのか。
恐る恐ると言った様子で近づく祐介のアーマードへ、アイシアが再び手を伸ばした。
「ひっ!?」
「……なんで、逃げるんですか、先輩」
再びその手をかわしてしまう。
そんな祐介の乗るアーマードを睨みつけながら、アイシアは不機嫌にそう言った。
「い、いやだって、ほら……ギャラクシアスでの癖だよ」
「ふーん。……まあ、一度だけなら許します。でも、次は有りませんよ?」
そう言ってアイシアは祐介に見せつけるように宇宙船をこれ見よがしに持ち上げた。
彼女の瞳のサイズ程度のそれが、さらに軋んだように見える。
それに恐怖しながら、今度こそ祐介はアイシアの手に掴まることを選んだ。
メキリと握りこまれるだけで、機体がきしみを上げる。
そして、彼女は祐介の乗る機体の背後に据え付けられたブースターを当然のむしり取った。
「や、やめ……」
「あはは。嫌ですよ、先輩」
次は腕、次は足、次は頭。
祐介の乗る機体はあっという間にダルマにされた。
それを祐介はコクピットの中で見ているしか出来なかった。
外部カメラが全て砕かれ、外部の映像が中に入ってこなくなって、電源が落ちる。
なのに、ギシギシと軋む機体が、外の状況を伝えてきて、祐介は息を呑んだ。
メキリ、ギチリ、ベキベキベキベキ。
頑丈に作られているはずのコクピットの悲鳴が、自らの命の消えるまでのカウントダウンにさえ聞こえてくる。
そして、遂に、コクピットにも亀裂が入った。
外の光が入り込む。
そこから見える外の景色は真紅に染まっていた。
それが、彼女の紅い瞳の色だと気が付いた時、祐介は恥も外聞もなく絶叫していた。
「うわあああああ!!!」
「あははははは!!」
狂ったようなアイリスの笑い声がコクピットを揺るがす。
コクピットに入った亀裂に彼女の爪が突き立って、その傷を広げていく。
無理やりにこじ開けようとしているのが、中から分かる。
その光景は余りにも凄絶で、祐介は逃げ場のないコクピットの中で必死に後ろへと下がろうとする。
しかし、密閉されたコクピットの中に逃げ場所などない。
亀裂が広がり、遂に前コクピットの前半分がはぎとられて、残酷な光景が祐介の眼前に示された。
彼のいる場所は地上よりもはるかに高い場所にある。
百メートルを遥かに超える高さ。
それは、アイリスの手のひらの上だった。
彼女の手のひらの上で、ゆっくりと自分を守る外骨格を引きはがされて、中の自分が引きづり出された。
その事に、祐介は震えが止まらなかった。
顔が上げられない。
現実逃避とわかっていながらも、祐介はコクピットのレバーをガチャガチャと動かす。
しかしながら、その手ごたえはまるでなく。
荒く呼吸を重ねる祐介に注がれている視線におびえるのみ。
「あはぁ。先輩。ついにご対面ですね」
「あ……ああ……」
怖い。
恐怖に囚われて祐介は上を見上げることは出来ない。
見上げてしまえば認めざるを得なくなるから。
あるいはみなければ、この現実が変わってくれるのではないか。
そんな淡い期待を、アイリスは手のひらを僅かに傾けるだけで破壊した。
コクピットから投げ出される。
彼女の手の上で転がされる。
転がり落ちた祐介は、真上にある彼女の顔を真正面から見てしまった。
自分の遥か彼方の上空に浮かぶ、彼女の紅い瞳。
その瞳が、自分自身を射抜くように見据えているその現実を無理矢理直視させられて、もはや言葉が出てこない。
地上百メートルオーバーの上空で、彼は間違いなく彼女の視線に射抜かれて囚われた。
「先輩。それじゃあ、お話をしましょうか」
「あ……アイ……リス?」
「くふふ。ふふ。あはっ。あはははは。はぁ……はぁ……」
哄笑が響く。
その笑い声の音圧さえ今の祐介にとっては致命的だ。
凄まじい爆音に耳をふさぐ事しか出来ず、彼女の手のひらの上で転がる。
その光景まで、アイリスにとっては愛おしい。
そんな彼の元へと彼女は更に自分の顔を近づけた。
近づいてくる見慣れた顔。
だが、その顔は今まで見知っていたサイズの二百倍。
顔を構成するパーツ一つでさえ、自分自身の体躯よりはるかに大きい事を理解して、祐介は再び絶叫した。
「うわああああああ!!!!」
「はぁ……はぁ……そんなに怖がらないでくださいよぉ先輩。そんなにかわいいところを見せられちゃうと、我慢できなくなっちゃうじゃないですかぁ」
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」
「あははは。何を謝っているんですか先輩。先輩は何一つ悪い事なんてしていないのに。あは……あはははは」
狂ったようにご機嫌な彼女の笑い声が響き渡る。
その声を聴いて祐介はただひたすらに謝るだけだ。
許してくださいと。何もしないで下さいと。助けてくださいと。
だが、そんな彼の願いは彼女には届かない。
アイリスは許すはずはなかった。何もしないはずが無かった。そして、助ける気なんてこれっぽっちもなかった。
何せこの状況の全ては、彼女が望んだものなのだから。
ぺろりと、アイリスは小さく舌なめずりをした。
その光景を見て祐介は小さく悲鳴を上げる。
その様子をみて、彼女は祐介に向けてゆっくりと舌を伸ばし、彼の全身を舐め上げた。
逃げようとして逃げる事なんて出来なくて、その舌先に抵抗しようとして、無様にその舌に潰されて。
アイリスは祐介の味を堪能する。
ジワリと、自らの下腹部に熱が宿るのを感じ取る。
彼を舌先で感じただけで、この快感。
自身の愛する先輩が手のひらの上で震えている。
その優越感にアイリスはその美貌に恐ろしいまでの笑みを浮かべて見せた。
「お願いです。俺を家に帰して」
「あは。嫌です」
そして祐介の心からの願いをたった一言で切って捨てる。
切り捨てられた祐介は、絶望の感情を浮かべる事しか出来なかった。