※短くなってしまったが、うまくやれば話が広がるかもw



  『3倍弟』



 ズズン ズズン

重々しい足音と共に床がグラグラと揺れる。
それは、あいつがそばにいる証拠。
俺はテレビから視線を外し部屋の入口の方を見た。
すると思った通り、そちらからそいつが歩いて来ていた。
そいつは、俺がソファから顔を出したのを見るとパッと顔を輝かせて小走りになった。
揺れと足音が一段と大きくなり、同時に、見えるその姿も大きくなってゆくような気がした。
そいつは俺のいるソファの前まで走り寄るとソファに座る俺を、電気の明かりを遮りながら真上から見下ろしてきた。

「お兄ちゃん、ただいま!」

にっこりと笑うその頭には黄色い帽子。
背中にはランドセル。
今年小学2年生になる、身長3m50cmの弟である。
通常の3倍。赤くはない。

「…おかえり」

俺は弟の作る影に包まれながら言った。


  *


自分の部屋にランドセルと帽子を置いた弟はリビングにやってきて専用の座椅子に腰掛けた。
通常のソファなどは弟が使うには小さすぎるし脆すぎる。
弟の身長の半分の幅もないソファ。腰掛ければ、その650kgになる体重で足をへし折ってしまうだろう。
だから座椅子なのだ。
脚を開いて投げ出し座っている弟。俺は、その脚の間で弟の体にもたれかかるようにして座っている。
俺の左右には短パンから伸びる太く巨大な脚。それは、兄である俺の脚の長さよりもはるか遠くまで伸びていた。
その最果てには靴下を脱いだ、長さ54cmにもなる素足。俺の倍のサイズである。
俺が普段履いてる靴が、こいつの靴には一足並べて入れられる。逆に俺の靴には、弟は足の指くらいしかいれられないだろう。
そして脚は伸ばされているのでその54cmにもなるデカい足はつま先を上に向けて立てられているわけだが、そのつま先の高さは、床に座っている俺の肩の高さよりも高かった。
俺の座高とほとんど同じ高さというわけだ。


  *


夕食を終え、弟がその片づけをしているとき、事件は起きた。

「きゃー! ゴキブリー!」

弟が叫んだ。
見れば確かに、キッチンの床に黒いものが見える。
ゴキブリ…。人間を恐怖のどん底に叩き落す魔王である。確かにあまり見たくない。
触りたくない。仕留めたいが丸めた新聞紙などで潰した後、その跡を見るのもいやだ。
対ゴキブリ用のプランを考え一瞬固まった俺。
その瞬間に、弟は片足を振り上げるとそのゴキブリの上に思い切り踏み下していた。

 ずずうううううううううううううん!!!

家が揺れた。
俺は床にひっくり返っていた。
恐ろしい衝撃が、あの片足から発せられた。

起き上がりながら見た視線の先に、ゴキブリの姿は見つけられなかった。
代わりに、先ほどまでそのゴキブリがいた場所に今は巨大な足が置かれている。
弟の右足である。
体長高々5cmのゴキブリが、長さ54cmの足を踏み下されて、逃げる余裕などないだろう。
そしてあれほどの衝撃が起きる足の下敷きになって、生きていられるはずも無い。
もし生きていたら俺はもう二度とゴキブリと戦おうなどとは思わない。

ふと気づく。
弟が、ゴキブリを踏みつけたときからまったく動かないのを。
そっとその顔を見上げてみると、弟は今にも泣きそうだった。

「……お兄ちゃん…、ゴキブリ踏んじゃった……」
「……」

目に涙をため、口はきゅっと結ばれている。
どうやらとっさの行動だったらしい。
反射的に踏みつけてしまったようだ。
むしろよく泣くのを堪えていられると思う。
俺だったら発狂してる。

「…どうしよう…」

言いながら弟はその右足を持ち上げ、俺に見せつけるように俺の方に向けた。
いややめてくれ。見せないで。俺の顔の上に翳さないで。グロ注意。

「…洗ってやるから風呂行くぞ」

言って歩き出した俺の後ろを、弟はケンケンで着いてきた。
家が揺れる…。


  *


風呂場の弟用の椅子に弟を座らせ、俺はその前の床に跪いた。
俺が手を差し出すと、弟は俺の手の上に右足の踵を乗せた。
ドスッ。おっも!
俺は腕がつりそうなほど力を込めて弟の足をその高さに維持すると足の裏を(なるべく見ないようにしながら)シャワーで流し、たわしで擦り、石鹸で洗った。
ざっくりとした洗い方だが、これで大丈夫だろう。
薄目で見た弟の足の裏には、なんの後もなかった。
一安心である。

「これで大丈夫だろ」
「ありがと、お兄ちゃん」
「しっかしデッカイ足だなー」

俺は、椅子に座って床に下されている弟の足を見た。
両足そろえて置かれているその足は全長54cm幅24cm。両手を使っても持ち上げられないかもしれない。

「そうかな?」
「そうだろ」

椅子に座った弟の横に回った俺は弟の足の横に自分の片足を置き、その片足の前にもう片方の足を置いた。

「見ろ、俺の足の丁度2倍くらいあるぞ」
「ホント―だ。お兄ちゃんの足ってちっちゃいんだね」

ちっちゃいとか言われるとややへこむが、実際弟のそれと比べたら小さいんだから仕方がない。
立っている俺の方が、椅子に座っている弟よりも背が低い時点でいろいろ負けている。


  *


そのまま弟をお風呂に入れ、俺も入ってすぐに就寝の時間になる。
俺は弟の部屋を訪れていた。

「来たぞ」
「えへへ、ありがと」

ベッドに腰掛けるパジャマ姿の弟が微笑みながら出迎えた。

「そろそろひとりで寝られるようにならないとな」
「で、でも怖いんだもん…」

大きな(弟からしたら小さな)クマのぬいぐるみを抱きしめながら言う弟。
ぬいぐるみは弟の強靭な腕に力いっぱい抱きしめられて原形を失うほど変形している。
今にも首と胴体が引きちぎられ頭部はその巨大な手の中で握り潰されそうだ。
クマを拘束するほど巨大で強大なくせに、いったい何を怖がると言うのか。

ベッドに近づいて行った俺を、ぬいぐるみを横に置いた弟が抱き上げベッドの上に乗せる。
俺が横になると弟も横になり、俺の体に腕を絡みつかせてくる。

「暑いんだが」
「ダメ…?」
「ダメとは言ってない」

こんなもの、今日に始まった事ではない。
最初はいつか俺もあの熊のように変形するのではないかとビクビクしていたが、弟の動きの繊細さは驚きだった。
抱きしめてくる腕の力も、まるで羽毛布団のように柔らかく心地よいものだった。
ただ、やはり夏は暑い。

「じゃあおやすみ」
「うん。おやすみ、お兄ちゃん」

弟は答えるように俺をキュッと抱きしめた。