「てい!」

突然部屋に入ってきた妹の手により、兄は100分の1へと縮小された。
あまりの出来事に唖然としていた兄をその手で摘み上げる妹。

「お兄ちゃんのヤマが外れて追試になっちゃったじゃない。だからお兄ちゃんにはおしおき」
「…は?」

言うと妹は履いていた黒のニーソックスを脱ぎ、その中に兄を投げ入れた。
兄にとって数十mの暗黒の穴を落下してゆく。
上には光の差し込む穴とその向こうに見えるにやりと笑う妹の顔。

ドサ。
たがて底へと墜落した。
やわらかい生地のおかげで怪我はない。というか怪我なんてさせられたらたまらない。
バランスの悪い足場の中なんとか上体を起こし周囲を確認。
薄暗い空間。
妹の、靴下のつま先部分まで落とされたようだ。
若干、酸味のある臭いが鼻を刺激する。
ふとこの厚手の靴下の生地の向こうから妹の声が聞こえた。

「どう? 反省してる?」
「…ってコラ。もともとお前の勉強不足が悪いんだろ」
「ふーん…」

靴下のつま先に耳を近づけてその声を聞いていた妹は靴下の入り口をぎゅっと握り締め…

「お兄ちゃんがもっとちゃんと教えてくれればよかったのよー!」

ギューーーーン!
と振り回し始めた。
プロペラのごとく回転する靴下。
風を切る音とともに兄の悲鳴が戦ぐ。

「ぎゃーーーー!」

十数秒後、だらんと吊るされた靴下に再び耳を近づけて問う妹。

「反省した?」
「…」

兄は大気圏脱出するシャトルのようなGを受け気を失いかけていたりした。
兄の反応が無いのを反省の色無しととった妹は鼻を鳴らす。

「ふん、じゃあいいよ。もうお兄ちゃんには頼らないから。しばらくそこで反省してて」

妹はその靴下に足を入れ再び履きなおした。

くらくらする頭を振ってなんとか意識を回復させた兄は上方から何かが迫ってくるのに気づいた。
この靴下の空間を押し広げながら入ってくるもの。
それは、持ち主である妹の足以外にあり得ない。
閉鎖された空間に逃げ場など無く、ぶらぶらと揺れ動く空間に足を取られ、最底辺のつま先の位置から動くことができなかった。

そして遂に、布でできた薄暗い洞窟をぐいぐいと押し広げて、妹の巨大な足が現れた。
その足の指の一本一本が、今の自分の身長よりも長い。
動きの激しさに底辺をごろごろ転がるしかなかった兄は、迫ってくる巨大な指を見つめることしかできなかった。
ぐい。
巨大な中指が、靴下の底で仰向けになっていた兄の体を押し潰す。
指先と靴下の間に挟まれてくの字に曲がる体。
だが指はすぐに遠のいた。
すると今度は布が兄の体を挟み込む。
どうやら靴下の向こうから手の指で挟んだらしい。
靴下越しに摘まれたまま兄は移動させられ、やがて親指と人差し指の間に挟みこまれた1m以上の太さのある指と指の間。
多少の隙間はあるが窮屈であることに変わりは無い。
兄がそこに納まると締め付けていた靴下は緩められ、手の指が離されたことを表した。
そして足は今度こそ靴下にしっかりと納まった。

兄を安全な場所に置いて靴下を履き直した妹は自分の部屋へと歩いていった。


妹の部屋。
椅子に座り机に向かう妹。
机の上には教科書とノートが広げられ、妹は今日帰ってきた答案用紙を見ながら追試のための勉強を始めた。

その妹の靴下の中では兄が奮闘していた。
靴下に包まれた足の指の間。
とにかく強烈な臭いだった。
一日中靴と上履きと靴下に包まれていたのだから当然なのだが、特にここ足の指の間は汗が蒸れて酷い。
鼻をつまんでも口で息をするときにその生暖かい空気が肺に、わずかな酸味が舌に嫌悪感を抱かせる。
目もまるでたまねぎを切っているかのように刺激され涙が出て大きく開いていることができなかった。
とにかく一秒でも早く脱出したくて暴れて見せたが指の牢獄は堅く、あまり強く暴れると指がもぞもぞ動いてそれを抑制する。
暴れる兄を抑えようと妹が指を動かすのだ。
兄が全力で暴れてもびくともしない指が少し動いただけで兄は動けなくなってしまう。
なので兄は妹が勉強を終えるまでの長い時間、この場に縛り付けられたままだった。



夕刻。
ようやくテストの復習を終えた妹は大きく伸びをした。

「あー終わったー…。なんか明日はうまくいきそうな気がする」

数時間の猛勉強。普段なら絶対にしないのだが、追試にしくじれば赤点なのだから必死である。
で、ふと時計に目を移してみれば結構な時間だった。

「あわわ、もうこんな時間!? 見たいテレビあるのに…。早くお風呂入っちゃお」

あわてて立ち上がった妹はクローゼットから着替えを引っ張り出し風呂場へと掛けていった。
このとき、数時間の勉強を経て、妹は自分の靴下の中に兄がいることはすっかり忘れていた。



風呂場。
脱衣所で服をポイポイと脱ぎ捨ててゆく妹。
着ていたワイシャツやら下着やらを洗濯機の中に投げ入れる。
そしてニーソックスのつま先を摘むとそれもするりと脱いで洗濯機の中へ。
ガラリ。
風呂場の戸を開いて中へと入る。
戸が閉まり妹の姿がその向こうに消えた脱衣所で洗濯機は回っていた。



パシャン!
突然顔に水がかかり、あまりの臭いと暑さと湿度で気絶していた兄はハッと目を覚ました。
が、目に映る景色はあの薄暗い靴下の中ではなかった。
白く広い空間。大量の水が降り注いでいる。
先ほどまでとは似ても似つかぬ風景だが、妹の足の指に挟まれているのは変わらないようだ。
ここは…。
と、周囲を見渡してみればいくつかの見覚えがあるものが目に入ってくる。
洗面器。手桶。シャンプーの容器。
上を見上げれば竜のように大きなシャワー。
ここは、風呂場。
なんと妹は兄の存在を忘れて風呂に入ってしまったというのか。
それはさすがに冗談抜きでマズイと、兄は妹の指の間からの脱出を図った。
そのときである。

 キュッ シャーーーーーー

シャワーの出る音。
兄の頭上、今は白い空間の中にそびえる妹の脚しか見えない(椅子に座っているようだ)が、そのはるか上から、滝のように凄まじい大豪雨が降り注いできた。
大量の湯が兄の体を叩く。
さらには床で弾け飛んだ水滴が再び兄へと降り注ぎ、それらの水飛沫はまるで水の中にいるような密度で息をするのも困難だった。
指に挟まれて逃げることのできない兄はその洪水のようなシャワーの中、ひたすらに口を守り、かろうじて呼吸をつないだ。

 キュッ

シャワーが止んだ。
妹の「ふー」という気持ちよさそうな声が轟いたが、その足元の兄は服も体もびしょぬれになり粋も絶え絶えである。

「さ、お風呂入ろ」

湯船に浸かる前に体を洗えとあれほど…とちょっと待て。このまま湯船に浸かられたら指の間に挟まれた自分など間違いなく湯船の底。
呼吸もできなければ水圧による破裂だって考えられる。
待て、早まるな。
だが兄が止める間もなく妹の巨体が動き出した。
ズズンと湯船に向かって一歩足が踏み出され、兄の挟まっている足が、そこに浸かるために持ち上げられた。
凄まじい上昇速度とG。目の前の壁が高速で下方へ移動したあと、そこには湖ほどの広さのある湯船が広がっていた。
深さは数十m。沈んでしまったら、たとえ指から開放されても水面までは戻ってこれないだろう。
ぐぅん!
足が湯船に向かって飛ぶ。
ちゃぽんと飛び込めば、そのまま一気に水底まで沈むだろう。

「まったく、お兄ちゃんももっと優しく教えてくれればいいのに」

妹ののんきな声が風呂場にこだまする。
しかし指先に兄を捕らえた足は高速で湯船に向かって突き進んでいた。
着水の衝撃を予想し兄は目を閉じる。
海に墜落するようなものだった。

そして足が湯船に突っ込む瞬間、

 ガクン!

突然足が止まり思い切りつんのめる兄。
恐る恐る目を開けば目の前には湯気の立つ湯面。
妹の指先がまさに触れるのではないかという距離。
だがその妹はこの状態のまま固まってしまっていた。
何が起きたのかここからでは顔をうかがうことができずそれを知ることはできない。
指先から一滴の水が湯面に落ちた。

「あ……お、お兄ちゃん 靴下の中に入れたままだった……」

兄を靴下の中に入れていたこととその靴下を洗濯機に入れたことを思い出し蒼白になる妹。
硬直を解き慌てて駆け出し風呂場の戸を開けて脱衣所へと飛び出した。
その兄は自分の指に挟まったままだとは気づかずに。

洗濯機のふたを開け、ぐるぐると動く中から濡れた洗濯物を引きずり出す。

「これじゃない…これじゃない…!」

引っ張り出すも引っ張り出すもそれは靴下ではない。
妹の周りにはびしょぬれの衣服が散乱していった。

 ドサ! ドサッ!

濡れた巨大な服が兄の周囲に落ちる。
水を吸い込んだそれの重さは下手をすると家すらも押し潰す重量(兄的に)。
直撃して、無事で済む理由は無い。

「うわぁ! こ、こら! 俺はここにブ!」

遂に兄の上にも洗濯物が落ちてきて兄の言葉は途切れた。
真っ白なそれがパンティであるなど小さな兄には気づけない。

「うそ…うそ…お兄ちゃん…ッ!」

半泣きになりながら洗濯機をあさる妹は遂に目的のニーソックスを見つけた。
しかしそこからは布にしみこんだ大量の水が滴っておりこれが水の中に数分間沈んでいたことを如実に物語っていた。
人間が、この洗濯機の中の凄い流れの中で、数分間も息をせずにいられるものか。
震える手に持った靴下。中を確かめることができなかった。

パンティの下敷きになっている兄は声を張り上げていた。
触覚で気づかないならば聴覚に訴えるしかない。
だが被さる濡れた布のせいで満足に声が通らず、洗濯機の音がさらにそれを阻害する。
しかしそのか細い声は、妹の耳まで届いた。

「お兄ちゃん!? そこにいるんだね!!」

ただ 手を伸ばしたのは靴下の中に。足元ではなかった。
妹の手が靴下へと突っ込まれる。ニーソなのでかなり奥が深い。
ぐいぐいと腕をねじ込んでゆく。
風呂から出て素っ裸、肌も濡れたまま水に浸かっていた靴下に触れ、周囲には濡れた洗濯物が飛び散る。
下手をすればこのまま風邪を引いてしまう。だが、そんなこと妹の頭の中にはなかった。

手が靴下の奥へと到達する。
だが、指先に濡れた靴下の生地以外の感触は受け取れない。
幻聴。妹の心の絶望の色が濃くなる。

だが、声は聞こえ続けた。
かすかな、本当にかすかな声。

「お兄ちゃん! どこにいるの!?」

足元を見下ろす妹。
周囲には洗濯物が散乱している。
この、いずれかに兄が…。
やたらと動いては踏んでしまうかも。
妹は散らばっている洗濯物を慎重に持ち上げてひとつひとつ注意深く調べていった。
この間、もじもじと動く妹の足の指にぐにぐにとこねられた兄は声を出すことが困難になりつつあった。
巨大な指は兄の体をメリメリと締め上げ兄の口からは鈍い悲鳴が漏れていた。

「あ゙あ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙………死ぬぅぅぅ」

巨木のような指はそこにいる兄を容赦なく締め上げる。
青い顔をしている兄が必死にその表面をペチペチ叩いたが、切羽詰った妹はそれに気づいていなかったのだ。
そんな 無意識のうちに兄を締め上げている妹は次々と洗濯物を手に取って中を確かめていく。

すでにほとんどの洗濯物が確認を済ませ洗濯機に戻されたが未だ兄は見つからなかった。
妹は泣き出したいのを必死に堪えながら兄を探し続けた。
手が震える。洗濯機を動かしてからすでに10分は経つ。
声が聞こえたので洗濯機の中にはいないことはわかっているが、水を吸い込んだ洗濯物の間に挟まれていたら一大事だ。
今の兄にとって濡れた洗濯物がどれほど危険なのかは理解している。
濡れたタオルなどに包まれてしまえばそれは水の中に沈められるのと変わらないのだ。

兄は死んでいた。
ぽっかりと開いた口から霊が飛び出ている。
それがキュポンと口の中に引っ込むと兄は息を吹き返した。

「はっ…死ぬかとおも…いや、死んでたー…」

妹がしゃがんだときから指の間にかかる圧力が増し、兄は体から魂を押し出されていた。
指の檻は相変わらず固く、前にも後ろにも上にも下にも動けない。
というかこれ以上締め上げられたら今度は魂だけじゃなく中身まで一緒に出そうだ。
兄は、妹の指の間でモザイクの必要なものになった自分を想像した。

ふと兄は、この白い洗濯物の向こうから妹の微かな声が聞こえてくるのに気づいた。

「…ごめんね……ごめんね…お兄ちゃん…」

嗚咽を堪えるように小さな声だった。
妹はとうとう堪え切れず泣き出していた。
頬を大粒の涙が流れ、それが床に落ちる。
自分がへんなことをしたばっかりに…。妹の心を闇が覆い始める。
それでも手は動き兄を探し続けていた。

「…」

兄はじっと下っ腹に力を溜めていた。
こうなったのが妹のせいとは言え、自分のことで妹を心配させてしまっている。
そんな自分に腹が立った。
窮屈な指の間。肺も腹も押さえつけられているが、その限界まで大きく息を吸い込んだ。
実に十秒間と言う長い時間息を吸い込み続け、そして吸い込んだ息を、すべてひとつの言葉にして解き放った。

「ここだぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああ!!!」

渾身の一声は濡れた分厚いパンティの生地を通り越し妹の耳にもはっきりと届いた。
兄の声を聞いた妹はハッと目を見開き、声のした方を見た。
それは下方、そこにあるのは、自分のパンティのみ。
これは最初に確認したから、その中にいるはずは無いのだが…。
妹は恐る恐る手を伸ばし、そっとパンティを持ち上げた。
するとその下から、自分の足の指に挟まれた兄の姿が出てきた。

「お兄ちゃん!!」
「…よっ…久しぶり…」

声と共にすべての魔力を解き放ちMP0となった兄は足の指にもたれかかり力無く手を振った。
妹はすぐに足の指を開きそこから兄を摘み上げる。
そして手のひらに乗せ目の前まで持ち上げた。

「お兄ちゃん……よかった……」
「ハハ…まぁなんとか」
「ごめんね…あたしが変な事言ってお兄ちゃんを小さくしたから…」
「もういいよ」

一応自分にも非があるわけで。それにこんな視界を埋め尽くすほど大きな泣き顔を見せられたら怒るものも怒れない。
妹の手のひらの上でポリポリと頭を掻く兄。

「とっとと風呂入りなおしてこい。俺を戻すのはあとでいいから」
「お兄ちゃん…」
「…それにしても、もう少し落ち着いてタオルとか巻いたりすりゃよかったのにな」
「……あ…」

妹は自分の体を見下ろして固まった。
髪は濡れたまま。服の類はひとつも纏っておらず、すべてが丸出しだった。
当然、兄からもすべてが丸見えだった。

「……お、お兄ちゃんのバカーーーーッ!!」

手を握り兄を握り締めた妹は思い切り振りかぶり兄をふかふかなタオルの山に投げつけた。
ミサイルのような速度でタオルにボフッと突っ込んだ兄は全身の悲鳴を聞きながら風呂の戸をガシャンと閉める巨大な妹を見送った。
やれやれ。
兄は苦笑した。


  *
  *
  *


翌日。
妹はベッドに横になっていた。
口には体温計を咥え、頭にはタオルを乗せている。
ピピッ! 体温計の音が鳴った。

「39度。完全に風邪だな」

タオルの上に座っていた小さいままの兄は妹の咥えた体温計の示した温度を読み上げた。
体温計をしまった妹はハァとため息をつく。

「あ~あ、折角勉強がんばったのに追試受けられなくなっちゃった…」
「俺の体も元に戻せないわけだ」
「体調が良くならないと無理…」

再びため息をつく。

「全部お兄ちゃんのせいなんだから」
「はいはい、今度はちゃんと勉強教えるよ」

タオルの上から降りた兄は妹の額に手を沿えそっと撫でた。
それを感じた妹はにっこりと笑った。