※ぼのでもグロでも破壊でもなく、淡々とリアル系。



 「 兄と妹 」



折角の休日前夜。
アパートの一室で、間もなく11時になろうかという時分、俺の心は憂鬱だった。

今朝来た、実家の親からの一報。それがどうしようもなく俺を鬱にする。
用件だけを一方的に伝えて電話が切られた後、俺はただ呆然と立ち尽くしてしまった。

 *

 ピンポーン

部屋の呼び鈴が鳴る。
今日は宅配便が届く予定は無く、新聞の勧誘もこんな時間には来ないだろう。
友人が来る予定も無いし、訪問販売なんて一度も来たことは無い。

…つまりは、電話の要件がやってきたということだ。

俺は重い足取りで玄関に向かうとゆっくり扉を開いた。

そこには誰もいなかった。
代わりにあったのは壁。

…いや、これは壁ではない。
ひらひらと揺れるそれはスカートだ。
目の前にはミニスカートがあり、そこから二本の足が地面に向かって伸びている。
視線を上に向けていけば白いブラウスが視界に入り、更にそのずっと上から顔が俺を見下ろしていた。
長いツインテールが風に靡く。

「お、おす…」
「…うん…、久しぶり…」

顔を引きつらせながらそう言うのが精いっぱいだった。
そこに立つ人物も、顔を伏せがちに俺を見下ろすばかりだった。

暫く、二人の間に沈黙が訪れる。
冬の夜の冷たい風がその間を吹き抜けていった。

「人に見られたくないから早く部屋に入れてほしいんだけど…」
「わ、悪い…」

俺は慌てて部屋にその人物を招き入れた。
俺が部屋の奥に引っ込むとその人物も動いた。
玄関の扉は高さ2mほどあり、俺ならばどんなに背伸びしたところで頭が当たることなど無いのだが、その人物は体を窮屈そうに折りたたんでドアを潜り抜けてきた。
入り口も、そのまま通ると肩が引っかかってしまいそうで、体を少し斜めにして入ってくる。

「イタっ」

潜り抜けた後、頭を天井の電球にぶつけたようだ。
先日、俺が脚立を使ってようやく取り替えたばかりの電球だ。

客は玄関に腰を下ろして履いてきたブーツを脱ぎ始めた。
ブーツはその客のひざ下までの高さだが、俺がそのブーツを履いたら脚全体がすっぽり収まってしまうだろう。

俺は先に部屋の奥へ進む。
部屋は1LDKで、一人で暮らすには広すぎるくらいだ。
寝室に使っている和室が一つに、普段の生活に使うリビングが一つ、他にはトイレや風呂場がついている。
俺はリビングで待っていた。

やがて玄関から続く廊下から客が顔を出した。
四つん這いになりハイハイでやってきた。
天井に頭が着いてしまうので普通に立つことができないのだ。

俺は部屋にあったテーブルなどを脇に寄せ、できたスペースに客がペタンと座り込む。
ふぅ、と息を吐き出していた。
座っているのに、頭の高さは俺の目線の高さまで届いていた。

「随分と急な話だったな…」

俺は立ったまま話しかけた。
座ると、見下ろされてしまうからだ。
客が答える。

「わたしも、最初はどこかのマンションでも借りてくれるのかと思ったのに、家賃がかかるからお兄ちゃんのアパートで一緒に暮らせって言われて…」

その客、妹はブツブツと呟いた。

そんな妹を兄である俺がチラチラ見ているのを妹が気づく。

「…なに?」
「ん…いや…、また…でかくなったのか?」
「わたしだって好きで大きくなってるんじゃないわよ」

妹はプイと横を向いてしまった。

妹は巨人症という病気だった。しかも一般の原因である腫瘍などが原因ではない原因不明のものだ。
小学生くらいの頃から身長が異常に伸び始め、現在18歳になり身長は途方も無いものになっていた。
俺が実家を出てからの3年の間にも、伸び続けていたようだ。
自分の身長にコンプレックスを感じ中学校に行かなくなった時点で、当時高校生の俺の身長175cmを超えていたのだ。
この部屋の天井の高さは2m40cmくらいだが、俺ではかすりもしないその天井の高さも、妹には低すぎてまともに立つことすら叶わないらしい。
先ほど玄関で見た立っていた妹の姿が思い浮かぶ。
俺の目線は妹のスカートの高さだった。あの時、妹は屋根に頭をぶつけないよう上半身を少し傾けていた。

「…今、身長どれくらいか訊いてもいいか?」
「……………316cm…」

少しばかりの間を置いて妹が答える。
顔はますます不機嫌そうになった。

「そっか…」

俺も、それ以上何も言えなかった。


   *


妹が俺のいるアパートにやってきたのは、このアパートの近くに一般には認知されない病症などの相談に乗ってくれるところがあるからだ。
これからは毎日そこに通うとのことだった。

だが俺は、この部屋の中にひとり住人が増えた以上に圧迫感を覚えていた。
心にもやもやとしたものが渦巻く。
これはコンプレックスだ。
妹が自分の身長にコンプレックスを感じるように、俺も妹と自分の身長の差にコンプレックスを感じていた。
妹の不本意とはいえ、簡単に追い抜かれていった俺の身長。目の前に聳え立つ妹の威圧感に俺のプライドは崩れ去った。
3年前、家を飛び出たのは上京したかったからでも一人暮らしがしたかったからでもない。妹の傍にいたくなかったからなのだ。
だが、今回こういうことになり、俺の心はズンと沈み込んだ。
これからは妹と二人暮らしをすることになり、嫌でもその存在を意識してしまう。妹の大きさの前に自分の卑小さを感じてしまう。
俺は鬱になった。

「…とりあえず、今日はもう遅いし寝るか。お前の部屋はこっちに用意してあるから」
「…うん…」

俺はふすまを開いて部屋を指さす。妹は小さく頷いた。
もともとは俺の寝室だったが、いかに兄弟と言えど、寝たり着替えたりを一緒にはできない。もう子どもではないのだ。

「風呂はどうする? 入るならその間に荷物は移動しておくけど…」
「ううん、今日は電車とか乗って疲れたからもう寝る。荷物もこれしかないし」

妹の手には小さなカバン。
それは俺が見ても小さなもので、妹の手に持たれると余計に小さい。

「え? これだけか? 着替えとかもっと無いのか?」
「今日は必要なものだけ持ってきたから。替えの服とかは明日の昼間届くと思うけど、それでもそんなに量ないし」

妹の服はすべて特注のオーダーメイドである。当然、妹の着られるような服など市販されていないからだ。
オーダーメイドは金がかかりいくつも用意できず、妹は服を何着も持っていなかった。
女の子なのにオシャレができないとは。兄はちょっと妹に同情した。

妹がハイハイで寝室に移動したら兄はふすまに手を掛けた。

「じゃあ閉めるからな。電気のスイッチはそこだから」
「うん、ありがと」
「…それじゃおやすみ…」
「うん、おやすみ…」

俺はふすまを閉めた。

突然始まった距離を置いていた妹との二人暮らし。
俺は、天井を見上げた。
天井は立った俺が手を伸ばしても届かないが、妹は座ったまま手が届いてしまう。
大きな差だった。妹は大きく、そんな妹の前で兄の俺はなんて小さいんだろう。
考えるほど兄は落ち込んでしまう。
わかってる、あいつが悪いんじゃない。あいつだって好きで大きくなったわけじゃないんだ。
だがそれでも、俺より妹の方が背が高いという現実は変わらない。

「はぁ…」

これからいったいどんな生活が始まるんだろう。
俺はため息をつきながらソファを改造したベッドに横になり布団をかぶった。

電気が消えて暗くなった部屋の中、まだ、隣の部屋から妹の寝息は聞こえない。



  つづく