第11話 〜 今日は100倍から 〜


 カリカリ…

鉛筆を走らせる音だけが響く教室で兄こと俺は授業を受けていた。
今は英文書き取りの時間。
誰もが黙々と文字を書き連ねている。

だが、それは突然やってきた。

巨大な指が窓ガラスを破り教室に侵入してきたのだ。
窓際にいた何人かはその衝撃で机ごと教室の中ほどまで弾き飛ばされ、残りの者はガラス片の雨に晒された。
指はある程度内部に侵入すると天井を押し上げ始めた。
ミシミシと音が鳴り始め、パラパラと砂が落下してくる。
生徒達は脱出を試みようとしたが、天井が歪んだせいかドアが開かない。

 メキメキメキ…

天井にひびが入る。
だがそれよりも先に天井と壁をつなぐ場所から大きく割れ、天井が持ち上がっていった。
あとは速かった。
持ち上がったかと思った天井はあっさりとどけられ、その向こうからは巨大な少女が見下ろしていた。
もちろん兄には一目で妹だと分かった。
だが今まで自分を巻き込んでこんなにも大事を起こした事はない。
いったい何が起こったのか。
妹は教室の天井部分、学校は5階建てで兄の教室は4階、つまり天井部分と5階の教室を手に持ったまま兄のいる教室を覗き、
兄の姿を見つけると笑顔になった。
ただし、いつもよりはるかに冷酷な笑みであったが。
持っていた5階部分を投げ捨てた妹は兄に向かって言葉を投げる。

「クスクス、お兄ちゃん元気?」
「元気、じゃないだろ! なんて事するんだ!」
「だって天井があったらお兄ちゃんの顔が見えないでしょ。邪魔だったからどけたの」
「ふざけるな! お前何しに来たんだ!?」
「別に理由なんて無いよ。お兄ちゃんの顔を見に来ただけ」

俺はにっこりと笑う妹の笑顔に寒気を覚えた。
なんだ? 何がどうした?
確かに色々やり過ぎる奴ではあったが、こんな事をする奴ではなかった。
俺が起きていることを必死に理解しようと思考をめぐらせていたら、妹がこの教室より大きな顔を近づけてきた。

「こんにちは、お兄ちゃんのクラスメイトのみなさん。あたし、お兄ちゃんの妹です」

誰一人動こうとする者がいない。
みな我を失ってしまっているのだ。

「ふ〜ん、小さくて良くわかんないけど、女の子とかみんなオトナの身体してるんだね。
 もしかしてお兄ちゃんがあたしとエッチしてくれないのもその辺が原因なのかな」

言いながら女生徒の一人を摘みあげる妹。

「や、やめろ!」

俺は叫んだ。
だが妹は俺を見下ろすだけでその指を放そうとはしない。

「なんで止めるの?」
「なんで止めるって……お前いったい何する気だ!?」
「何もしないよ。ただ見るだけ」

妹はその女生徒を見つめた。
女生徒は身体を前後から固定されている。
自分の身体とほぼ同じ大きさの瞳に見つめられ、女生徒は悲鳴を上げた。

「うるさいよ」

 ベキッ

女生徒を摘んでいる指に少し力を入れた。
するとどこかの骨が折れたのか、身体が甲高い音を立て同時に彼女は襲ってきた激痛に絶叫した。

「ああああああああああああああああああ!!」

そんな女生徒の叫びなど無視して、妹は女生徒の観察を続けた。

「それなりにかわいいと思うけど、あたしと比べたら全然だね。そんなんじゃお兄ちゃんには釣り合わないよ。
 胸だって今はあたしの方がずうっと大きいし」

言いながら妹は、その女生徒を制服越しに胸に押し付ける。

「どう、お姉さん? 年下の女の子の胸に押し付けられるのは。本当なら自分より胸の小さい女の子のその胸に押さえ付けられる気分はどう?」

グイグイと服の向こうの胸がめり込むほどに押し付けられ、女生徒は息をすることも出来ない。
自分の体積の何倍もある巨大な乳房が凄い力で自分を押し返してくる。
俺は叫んだ。

「やめろーッ!! それ以上やったら死んじまうだろうが!!」
「なぁに? もしかしてこの娘、お兄ちゃんの恋人なの?」
「べ、別に恋人ってわけじゃないが…」
「そう。ならいいよね」

いいよね?
問いただす前に、妹は胸に押し付けていた女生徒を口の前に持ってきて、

「あ〜ん」

 パクッ

食べた。

 モグモグ…

妹が口を動かすたび、その最初の数回だけであったがポキッペキッと何かが折れるような音がした。

「な…!」
「ふふ、お兄ちゃんのクラスメイト、なかなかおいしかったよ」
「馬鹿野郎!! お前、なんてことを!」
「いいじゃん、たくさんいるんだから。そうだ、お兄ちゃんにも食べさせてあげるよ」

言うと妹は女生徒をもう一人摘み上げ、指先でこねくり回した。
女生徒はバキボキと音を立て、大量の血を噴き出しながら、あっという間に肉団子へと変えられてしまった。
妹はそれを兄の元へ持っていった。

「はい、どうぞ」

兄の目の前には女生徒の血で真っ赤に染まった妹の巨大な指とその間に摘まれた小さな肉の団子があった。
真っ赤な団子の中から白い眼球がこちらを見つめている。

「う…ッ!」

兄はすぐに口元を押さえたが、こみ上げるものを抑えきれず、胃の中のものを吐き出した。
見たくも無い現実が、先ほどまで確かに生きていたクラスメイトが肉団子に変えられ、それが自分の目の前にある。
駄目だ。考えを振り払ってもまぶたの裏に焼きついたその光景がいやでも思い出させる。
兄は両膝を着いた。
その瞬間、他の生徒達が時間を取り戻したように動き出した。
皆が悲鳴を上げて扉を蹴破り教室から脱出していく。他のクラスの生徒も一緒に。

「ダメだよ。誰も逃がさないから」

妹は、昇降口から出てきた生徒を25メートルのローファーで踏み潰し、そしてそのままつま先を昇降口に突っ込む。

 ズドーーーーーーーーーン!

同じく昇降口に来ていた生徒達は突っ込んできた電車よりも巨大なローファーに吹っ飛ばされ壁に叩きつけられた。
学校全体が大地震に見舞われる。
たくさんの下駄箱が砕け、中から無数の靴が飛び出てきた。
それらの靴と比較しても、突っ込んできた靴のなんと大きいことか。
彼等の穿く靴では、妹の足の小指すら入らないのだ。

「逃げたらどうなるか分かった? 分かったら中で大人しくしてること」

しばらく待ってみたが誰一人校舎から出てくる気配は無かった。

「さて、お兄ちゃん?」

兄はといえば、先ほどの出来事でかなり憔悴してしまっていた。
こんな暴力的な光景は空前絶後なのだから。
這い蹲ったまま床を見つめている。

「なんでそんなにつらそうなの?」
「お…、お前の所為に決まってるだろ!」
「あたしの所為?」
「なんで、なんでこんな事するんだ! どうかしたのか!?」
「ん〜ん(首を横に振る)。ただほら、どうせあたしを止められるものなんてないんだから、好き勝手やろうかなって思ったの。
 そしたらいろんな物が楽しく見えてきたんだよ。ほら」

妹は校庭の隅にあった体育倉庫を鷲づかみにして手に持って見せた。

「これをあそこのビルに投げつたらどうなるかな? それを考えるだけでぞくぞくするよ」
「ば、や、やめろ!!」
「やめな〜い。えい」

兄の言葉を無視して妹はそれを投げた。
時速数百キロの速度で投げられた倉庫は内容物をばら撒きながら真っ直ぐビルに向かって飛んでいった。
そして、命中。
倉庫はビルの壁面に大穴を開けた。
それは大きなオフィスビルだった。おそらくたくさんの人が仕事に心血を注いでいただろう。体育倉庫がが命中するまでは。
だが破壊はただ穴を穿っただけにとどまらない。
ビルに当たった瞬間砕けた体育倉庫の破片と中身の用具等が榴弾の役割を果たし、ビル内部をごっそり破壊したのだ。
やがて内部を崩され重心のずれたビルはゆっくりと人のごった返す道路に倒れていった。

「あはは、倒れちゃった」

そんな光景を笑いながら見ていた妹。
無論、そのドサクサで逃げようとした生徒には巨大な鉄拳による制裁を送ることも忘れない。

「お兄ちゃん、次は何してほしい?」
「やめろ! もうやめてくれ! 頼むから!」
「お兄ちゃんの頼みか〜。どうしよっかな〜」
「なぁ、こんな酷い事はやめよう! みんな嫌がってる!」
「みんな? なんで他の人のこと気にするの?」
「な、なんでって…、同じ人間だろ! お前と同じ人間だろ!!」
「違うよ」
「…え?」
「あたしとお兄ちゃんは人間だけど、他の人は違うの」
「ふ、ふざけるなよ…! じゃあいったいなんだって言うんだ!」
「う〜ん…、ゴミかな」
「ご、ゴミ…!?」
「うん。ほら」

妹はローファーの裏を見せた。
そこには先ほど潰された生徒が靴裏の溝を埋める様にこびり付いていた。

「あたしのローファーが汚れちゃったんだよ。こんなのゴミで十分じゃん」
「な…あ…」
「でもね、こいつらはただのゴミと違ってひとつだけいい所があるんだ〜。それはー…」

片手を2階の教室に突っ込み、中からひとりの生徒を取り出した。

「食べられることだよ」

妹は捕まえた生徒を開けた口の上に持ってきて、その恐怖心を煽った。
生徒はといえば涙と鼻水を流し必死にもがいていた。
口の中から巨大な舌が出てきて彼を舐めまわす。
まるで一個の生き物の様な動きで彼の全身を舐め尽した後、舌は彼を舌先に乗せたまま口の中へと消えて行った。

「やめろーーー!!」

兄は砕けた窓際まで走り寄り叫んだ。
そんな兄の姿を見て妹は笑顔で顔を近付ける。

「出せ! 今、口に入れた生徒を出せ! 食うな!!」
「大丈夫。まだ食べてないよ」

兄に中が見えるよう妹は口をあんぐりと開けた。
そこには巨大な舌から逃げ回る、小さく哀れな生徒の姿があった。
壁面や歯に押し付けられたり舌で放り投げられたり、まるでピンボールの玉の様に口の中を跳ね回っている。
だがやがて、巨大な奥歯と奥歯の間に捕らわれてしまった。
彼は覆いかぶさる歯を両腕で押し返そうとしている。
しかし段々と歯は降りつつあった。彼の肘が段々と曲げられていく。歯を押し返すことが出来ないのだ。
その間、妹はずっと笑顔であったが、何を思ったのか、歯の間の彼からは見えない顔の横で俺に向かって手を開いて見せた。
だがすぐにその親指が折られた。

なんだ?

次に小指が折られた。

まさか、カウントダウン!?

次に薬指が折られた。

「お、おい! よ、よせッ!」

次に中指が折られた。

「だめだ! これ以上何もしないでくれ!!」

そして人差し指が折られた。

「やめろーーーーーーーーーーッ!!!」


 ガチン!


 ブシュゥッ


奥歯と奥歯の間から、鮮血が飛び散った。

「あ…ああ…」

再び歯が開かれたとき、そこに彼の姿はなく、代わりに真っ赤な肉片が歯にくっついていた。
それも、すぐにあの巨大な舌に舐め取られてしまったが。

「やっぱりこんな風に噛んじゃだめだね。全然食べた気がしないや」
「やめろ…。もうやめてくれ…」
「ん? お兄ちゃん元気がないよ? あ! じゃああたしが面白い事やってあげる!」

再び校舎に手を突っ込み誰かを捕らえてきた妹。
今度は指先に女教師を捕らえている。化学の先生で眼鏡が似合うという話だ。
女教師を摘んだ手を兄の目の前に持ってきた。

「いくよ」

妹は女教師の腕を掴むと、その腕をクイッと引っこ抜いた。

「ほら、取れちゃった」

「ぎゃああああああああああああああああああああああああ」

女教師が断末魔に等しい悲鳴を上げる。
腕をもぎ取られた肩口からは大量の血があふれ出ている。

「どうだった? お兄ちゃん」

キラキラした目で兄を見つめる妹。
しかし兄はもう答えることが出来なかった。
言葉を忘れてしまったのだ。

「え〜、そんなに面白くなかったかな〜」

言いながら妹は叫び続ける女教師を飲み込んだ。
そして兄を左手の上に乗せる。

「お兄ちゃん、そんな悲しい顔しないで。こんな連中代わりはいくらでもいるじゃん」
「か、帰りたい…。うちに帰りたい…」

うわ言の様に呟く兄。
畳み掛けるように一度にたくさんの人の死に関わってしまったのだから。
それもその惨たらしい死なせ方しているのは自分の妹なのだ。

「帰る? そんなに調子が悪いの? 分かった。うちまで送っていくよ」

妹はゆっくりと立ち上がると家の方に向かって地響きを立てながら歩き始めた。
学校に残された人々はあの地獄の様な時間が終わった事を察して歓声を上げた。

「た、助かったぞー!!」
「バンザーイ! バンザーイィッ!」

ところがである。

「あ、帰る前におしっこ済ましとこ」

妹は再び学校に戻ってきた。
そしてしゃがみ込み、パンティをずり下げ、己の性器をさらけ出した。
その銃口を天井の無くなった兄の教室に定め、下腹部に力を入れた。…ところで止まる。

「そうだ。ふふ、お兄ちゃん、あたしのおしっこが出るとこ、すぐそばで見せてあげるよ」

手のひらに乗っていた兄を摘み上げ、自分のクリ○○スの上に降ろす。

「しっかり捕まっててね。落ちたら死んじゃうかも知れないよ」
「やめてくれ…! もう、もういやだ…!」
「それじゃあいくよ〜」

やがて妹の股間からひとすじのおしっこが教室の中に放たれ始めた。
それは椅子や机を押し流し、開いているドアに向かって放たれると廊下の中を洪水の様に走っていった。
途中、他の教室に侵入し、隠れていた生徒や教師を飲み込みながら下の階へと下っていく。
兄の教室がある階以降では窓と言う窓から尿が噴水の様に飛び出ていた。

「面白ーい」

妹の笑顔ははじけた。
兄はといえば、自分のしがみついているその突起部分のすぐ下から放たれている鉄砲水の勢いに息を呑んでいた。
もしも今手を放せば、あの激流に飲み込まれ一瞬でズタズタに引き裂かれるだろう。
振動で振り落とされぬよう、しっかりとしがみつきなおした。

「ひゃん!」

すると妹の身体がビクリと震えた。
兄は掴まりなおしていたお陰で振り落とされる事はなかったが、瞬間的に下半身に込められた力は尿の放出力を格段に上昇させた。

 ズゴゴゴゴッゴオゴゴオゴッ!!

勢いを増した尿は壁や床に穴を開けた。
更に妹が途中で身体の向きを変えたので、尿はまるで荒削りなウォーターカッターの様に、学校を砕いていく。
生徒達は、先ほど兄が危惧したとおり、その尿に触れて粉々に砕けてしまった。
飛び散る水滴でさえ、彼等の頭部を吹き飛ばせる威力なのだ。
勢いの衰えぬ尿は、何枚もの壁を突き破り校舎を貫通して対面の住宅地へと襲い掛かった。
家など紙で出来ているかのようにあっという間にバラバラに砕かれていく。
地表に触れ、勢いをなくした尿は黄金の川となって住宅街を駆け巡った。
哀れなペットたちは、迫り来る尿に気付きながらも、鎖につながれている所為で逃げることが出来ず、尿の底へと沈んでいった。

 チョロロロロロ…

出し尽くされた尿は、水滴が校庭に穴を穿ったのを最後に止まった。
あたりはアンモニア臭の漂う地獄と化している。
校舎の中や周辺ではたくさんのどざえもんが倒れていた。

「ふぅ〜」

ブルリと身体を震わせる妹。
だがその揺れに、あの尿の排出される振動に耐え続け体力を使い果たした兄は耐えられず、恥丘から振り落とされてしまった。

「あああああああああああああ!!」

だが、その尿でぬかるんだ地面に落ちる前に妹の巨大な手によってすくわれた。

「もう、しっかり捕まっててって言ったのに。うっかり屋さんだぞ」

妹は兄を胸ポケットにしまうと立ち上がり、廃墟と化した学校を後にした。


 * * * * *


 ズウウウン! ズウウウン!

家や車を踏み潰し、一直線にうちへと向かう妹。
兄は妹の胸ポケットの中でぐったりとしていた。
巨大な胸の揺れが嫌でも精神を現実に引き戻し、気を失うことも出来ないのだ。

「ふんふ〜ん♪」

鼻歌を歌いながらその様はまるで散歩かデートの様だ。
しかしその足の下では一歩進むごとに家が最低でも2軒は踏み潰されている。
巨大なローファーに踏み抜かれた家は周辺に撒き散らされた瓦や破片が残るのみで後は皆地面の中に圧縮されてしまっていた。

「サクサクしてて気持ちいい」

家の大きさは小さな小箱の様なもので、妹の踝と同程度。
妹の体重を乗せられればどんな頑丈なつくりであろうと耐えられはしない。
住宅街の家々が次々と妹の足の下へと消えていく。

「ねぇお兄ちゃん見て見て。家や車がおもちゃみたい」
「なんで…、なんでこんなことするんだよ…。いったいどうしたんだよ」
「もうお兄ちゃんったら。さっきも言ったでしょ、誰もあたしを止められないんだから何やったって許されるんだよ。
 だから何やったっていいんだよ」

妹は乗り捨てられた車を摘み上げ、それをポケットの兄に見えるように捻り潰した。

「やわらかーい。あ、こねてたら丸くなっちゃった」

車一台分を圧縮された鉄球はまるで消しゴムの削りカスの様に指で弾き飛ばされた。
その光景を見ていた兄は最早悟らざるを得なかった。

妹は完全に人類の敵となった。
これまでも相応の大災害を巻き起こしてきた妹だがそこに悪意は無かった。ただ純粋に興味のみで動いていたと言ってもいい。
もちろんその方が始末の悪いという者もいたがそれでも曲りなりにはコントロールすることが出来ていた。
だが今の妹は破壊することそのものに愉悦を覚え、また自分を止められるものがない事が、それを行うことに拍車をかける。
なんでもできる。
破壊をする事になんの抵抗もなく、それが同じ人間であることなど全く意中にない。
兄であるこの俺の言葉ですらあいつを止める事はできなくなった。

「そんな…」

俺は、乳房で押され前に突き出た胸ポケットから、楽しそうに笑う妹の顔を見上げた。


 * * *


既に何十棟を踏み潰したことか。
妹の通ったには無数の巨大な足跡と倒壊した建物の瓦礫がある種の規則性を持って展開していた。
これは自分がやったのだ。意識してやったわけじゃない。ただ歩いただけなったのだ。
妹の心の中にむくむくと優越感がわき上がってくる。
今まではあまり感じていなかった。気にしていなかったというのもある。
だけど今は気付いた。
あたしが一歩進むだけで家が潰れる。そうすればきっと大勢の人が困る。
でも誰もあたしを止められない。
そう、止められないんだ。誰も。誰も。



 ドカーン!!



「きゃ!」
「うわっ!!」

突然妹の顔面の前で爆発が起こり、驚いた妹は数歩の後退のあと盛大に尻餅を着いた。
俺はその飛行機の墜落にも似た大振動の中、揺れる乳房の直撃を喰らいポケットの中をピンボールの様に跳ね回った。
そんな俺を他所に尻餅の所為で巻き起こった家の瓦礫の混じった砂煙を払いながら妹はゆっくりと上体を起こした。

「もーう! なんなの!?」

妹の視線の先には数十の戦車が展開していた。
騒ぎを聞きつけた軍隊が駆けつけ、その内の一台が妹の顔面に向かって大砲を放ったのだ。

「あぶないじゃない! お兄ちゃんに当たったらどうするつもり!?」

立ち上がった妹は腰に手を当て戦車隊を見下ろした。
そこから見る彼等は本当に虫の様に小さい。その小さな虫たちがやや後退を始めている。
あたしの大きさに驚いちゃったのかな? でも残念。許してあげないよ。
妹は四つんばいになり戦車隊に迫っていった。そして片手の人差し指を伸ばし、彼らに近づけていく。
もちろん彼等からの反撃はあったが不意打ちでもない豆鉄砲なんて当たっても大した意味も無い。
人差し指で戦車を捕らえるとそのまま地面にめり込ませる。あっという間だ。
ペシャンコになって埋葬された戦車。きっと中の人も同じことだろう。
まだまだ戦車からは反撃がある。ふふ、そんなことをしても意味が無いのは分かってるだろうに。
妹は次々と戦車を地面に沈めていく。ズン! ズドン!
電柱なんかよりもはるかに太い指は生物的な動きでなめらかに戦車を捕らえ愛おしそうに表面を撫でた後ゆっくりと地面に沈めた。
あるときは拳を振り下ろし、またあるときは民家を掴み上げ戦車の上に落とした。
ものの数分で手の届く範囲に戦車はいなくなった。残りの戦車達は遠巻きにこちらを見守っている。

手と膝についた家の破片を払い落としゆっくりと立ち上がる妹。

「あ〜あ、随分と残り少なくなっちゃったね。そんな人数だと心細いんじゃない? でも大丈夫—…」

せせら笑う妹はその巨大なローファーを彼等の上に振りかざした。

「寂しくないよう、一人残らず踏み潰してあげるから」

だが、足を振り下ろそうとした妹の背中に無数のミサイルが命中した。
高高度を飛ぶ戦闘機による攻撃であった。
妹の反撃を受けぬよう十分な高さからのミサイルによる爆撃である。

「ずるい! 降りてきなさいよ!」

妹は足元の戦車達を鷲づかみにすると空の戦闘機に向かって投げた。
だが宙を自在に飛ぶ戦闘機に人間の投げたものが命中するはずもなく、戦車達は遙か彼方へと飛んでいった。

戦闘機の攻撃はまだ続いている。
的が巨大であるため高高度であってもロックさえしてしまえば狙いを外す事はない。
次々とミサイルが命中していく。
妹は胸ポケットに手を当て、そんなミサイルの弾幕から兄を守っていた。
兄は妹の運動による振動とミサイルが着弾する衝撃でほとんど船酔い状態である。

「この! この〜!」

手を振り回したり飛び跳ねたりと試行錯誤する妹だが、500メートル以上上空を飛ぶ戦闘機が相手では、
高々身長140mが何をしたところで手の届くはずも無かった。
そうやって戦闘機を追い掛け回しているうちに周囲の家々は踏みにじられて皆廃墟になっていた。
その間もミサイルは命中し続けていた。

「むぅー!!」

妹のストレスが頂点に達する。
あのうざい虫けらを叩き落として踏み潰してやりたい。
何度も何度も踏みにじって粉々のカスにしてやりたい。
あんなチビにバカにされるなんて許せない。


大きく、大きくなりたい。もっと大きくなりたい。


 ペチッ

「ん?」

頬に何かが当たった。
あたった部分に触れそこに残っていたものを手に取ってみるとそれは何かの破片の様だった。

「あっ!」

それが何であるか気付くと同時に今自分が置かれている状況も見えてきた。
足下にあった無数の廃墟が遠い。先ほどよりも小さく見える。
雲が近い。遠くも見える。

「あたし、大きくなれたんだ」

嬉しい。これであいつらを叩き落とせる。
見れば彼等はまだ自分の腰くらいの高さを飛んでいた。皆一様に自分から遠ざかっていこうとしている。

「逃がすはずなんてないじゃん。みんな潰して———」

と、気付く。
兄はどうなった?
慌ててポケットに中を覗いてみたが、そこには誰もいなかった。

「お兄ちゃん!? 嘘…、落としちゃったのかな…」

巨大化の途中で落としてしまったのだろうか。
例えその前であっても100メートル以上の高さから落ちて生身の人間が無事で済むはずがない。
辺りを探して回りたいが、下手に動けば万が一に無事だった兄を踏んでしまうかも。

「どうしよう…、どうしようお兄ちゃん………ひゃん!」

突然、何かがおなかをくすぐった。

「もしかして…!」


 ***



兄こと俺。

突然周囲の制服の繊維が巨大化した。
それが妹の巨大化を意味することにはすぐに気付いたがそれが自分にもたらすことの意味には気付けなかった。
もたれかかっていた繊維が巨大化し、相対的に大きくなった制服の生地の穴を通り抜けてしまったのだ。
セーラー服を通り抜け現れたのはブラに包まれた巨大な胸。
だがポケットの底付近の穴を通り抜けたので、そこにあるのはブラの下方に当たる部分で勾配は130度超。
つまりぶら下がる事は出来てもその上には乗ることが出来ない。
九死に一生を得た俺だが、高度千数百メートルに宙吊りになってしまったのだ。
妹のブラに掴まって宙吊りになるというのも大変屈辱的なことなのだろうがその辺は慣れているので問題はない。
問題なのがやはりその高さ。落ちれば死ぬ。
ブラの内側に入ることが出来ればまだしも、あいつの動きに合わせて激しく揺さぶられ掴まったこの状態を維持するのが精一杯だった。

「なんとかあいつに俺のことを伝えないと…」

などと考えていた矢先だった。

「お兄ちゃん!?」

突然、世界の半分を覆う白い壁が急速に引っ張られそれと同時に自分の捕まっているブラも激しく動いた。
飛行機がぶつかった時に発生したエネルギーでも足りないだろう。
それほどの運動エネルギーにあっけなく手を振りほどかれた俺は奈落へ向かって落ちていった。

「わああああああああ!」

このままでは地面に激突して死ぬ。
俺は妹のお腹に向かって宙を泳いだ。
本当なら繊維にしがみつけるセーラー服の方に向かって泳ぎたかったのだが、今セーラー服は妹に引っ張られて数百メートル向こうだ。
この短期間に到達できる距離ではない。
ならお腹の方に泳いでスカートにしがみつくしかない。

ここまで来て気付いたのだがあいつはセーラー服の下はブラのみでそれ以外の衣服は着ていなかった。
巨大化すれば高度の大気に触れるはずだが寒くはないのだろうか。

そうこう考えているうちに目的とするスカートのゴムにあたる部分が見えてきた。
あそこに落ちるかあの周辺に掴まることが出来れば、とりあえず地面までの落下は防げる。
既に数百メートル落下しており、その衝撃はどれほどのものか想像もつかない、が、やるしかない。
先ほどから自分のすぐ真横を肌色の壁が高速で移動している。
何秒間も高速で落下しているはずだがその景色は変わらない。改めてその大きさを知ることとなった。

やがて迫ってきた紺色のスカート。
今の大きさならスカートの淵にも降り立てるはずだ。
恐ろしく速度がついているが大丈夫だと思う。
兄としての経験を信じろ。これまでだってもっとヤバイ経験をしてきたじゃないか。
あいつの茶碗の上に落ちて食事に巻き込まれたときを思い出せ。
胃の中に落ちたときと比べたら軽い軽い。

 ズドンッ!!

俺はスカートに脚を上にして突き刺さった。
繊維の穴に見事に入り込んでしまったようだ。
数百メートル落下してこれだけの描写で済むとはさすが俺。
なんとか身体を引き抜きスカートの淵の上に立ってみる。
すぐ後ろには妹のお腹。正面に見下ろせしは高度数百メートルの絶景。風が寒い。

とりあえず気付いてもらわないことには始まらん。
俺は妹の腹によるとその部分を撫で上げた。

「ひゃんっ!!」

予想以上の効果だった。
その揺れのお陰で俺は再びフリーフォールを開始した。
スカートから振り落とされればもう掴まるものなどない。
妹のスカートから転落死。明日の1面はかたいな。

数秒間の落下。
地面への激突は思っていたよりも早くやってきた。

「いたッ!! …あれ、まだ地面には遠いはず…ていうか痛くない?」

そこは、妹の手のひらの上だった。
周囲は肌色の平原。背後には五本の柱。そして上空からは心配そうに眉根を寄せた妹がこちらを見下ろしていた。

「大丈夫お兄ちゃん!?」
「なんとか…。いきなりでかくなるなよ」
「だってあのチビ共ずっと高いところ飛んでるんだもん」

チビ共…。
さっきまでは妹の突然の暴挙に混乱していたが今は大分落ち着いてきた。
前の妹なら本当に怒っているときでもない限り人間をチビ呼ばわりはしなかったはずだが。

「なぁ、本当のとこさ、いったいどうしたんだよ。前のお前はそこまでひどいことはしなかっただろ?」
「もう、さっきも言ったでしょ。誰もあたしに逆らえないんだから何をやっても許されるんだよ。何してもいいんだよ」
「別にいいじゃないかそんなことしなくても。今までどおりでも十分だっただろう?」
「ダ〜メ。チビ共はみんなあたしの言いなりにならなきゃいけないの。あたしはこんなに大きいんだから」
「しかしだな、あまり過激な事は…」
「お兄ちゃん、さっきからうるさいよ」

「え…?」

妹の口から放たれた意外な言葉。
俺は思わず妹の顔を凝視してしまった。
妹の両の目は細められ、まるで見下すように…。

「さっきからうだうだうだうだ…。あたしのやることがそんなに不満なの?」
「な…」
「あんなチビ共どうしたって別にいいじゃん。お兄ちゃんだってチビのくせにいちいち口を挟まないで」
「なんだと!?」
「大体いつも偉そうだよ。力じゃ全然あたしにかなわないくせに兄ってだけで威張ってさ」

おかしい。
これは明らかにおかしい。
あいつがこんなことを言うはずがない。

「それとも何? お兄ちゃんはあたしが嫌いになったの? だからあたしのやってることが面白くないんでしょ」
「好きとか嫌いとかじゃなく、人を殺すのが面白いわけないだろ!」
「フンだ! じゃあいいよ、あたしもお兄ちゃんを嫌いになるから。嫌いなものは…——」

妹は俺の上に人差し指を近づけてきた。
そして…。

「——…潰しちゃお」

 ズドン!

人差し指を俺の乗っている手のひらに押し付けた。
間一髪横へと回避した俺だが、その振動にさらに地面の上を転がされる。
…今のには、まるで遠慮がなかった。
本当に、潰すつもりだった。
指がゆっくりと持ち上げられていく。

「はずしちゃった。じゃあもう一回…」

 ズン! ズン!

俺目掛けて次々とつき立てられる指。
本気なのか? 本気で俺を潰すつもりなのか!?

「や、やめろ! 死ぬ、死んじまう!」
「早く潰れてよ。あんたみたいな虫けら、あまり長く手に乗せてたくないんだから。…あ、そうだ」

突然、地面の地形が変わった。
中央に向かって大きくくぼんだ。実際には妹が片手をおわんの様にしたのだ。
俺は転がるように手のひらの中央に落ちていった。
そしてその窪みの中央に落ちて、全身を襲う痛みと疲労に耐えながら身体を起こそうとしたら、頭上には指が掲げられていた。

「のろまだね。はい、終わり」

指が迫ってくる。
この擂鉢を上って逃げることなんて出来ないし、逃げても手のひらの上だ。
いったいどうしたんだ。何故こんなことになった。
何であいつがこんなことを。
既に視界は指に埋め尽くされた。

 ズン!

「ぐぅ…!」

潰されてはいない。だがその巨大な力に挟まれ身体がミチミチと悲鳴を上げている。潰れるのも時間の問題だ。

「すぐに潰しちゃったらつまらないもんね。せっかくだし、潰す前に少し遊んであげるよ」

妹は指と手のひらの間で俺をコロコロと転がし始めた。

「あはは、消しゴムの消しカスを丸めてるみたいだよ」

ぐるぐると世界が回る。
凄い吐き気が俺を襲うが、それ以上に身体中の痛みが酷い。

「どお、お兄ちゃん楽しんでる? えい、えい」

グイ グイと手のひらに押し付けられる。
その度に身体中の血液が逆流するほどの圧力に見舞われる。
血管が破裂して身体中から血が噴き出しそうだ。

 ボキィ!

「グ…っ」

どこかの骨が折れたか。
そんなことにはまるで構わず、妹は指を押し付けるのをやめなかった。
その度に身体のどこかが甲高い音を立てる。
悲鳴を上げたいが、押し付けられたこの状態では悲鳴を上げるだけの満足な呼吸もできなかった。

「ん? なんか動きが鈍くなってきたね。そろそろ限界かな」

指がどけられた。
その向こうには愉悦と優越感に浸り、目をとろんとさせた妹の顔があった。

「それじゃあ今度こそお別れだね。バイバイ、今まで楽しかったよ」

再び指が迫ってくる。
だがそれの纏う雰囲気が違う。
確実に、確実に潰す気だ。俺はケガの所為もあって微動だにすることが出来なかった。
何より、妹に裏切られたことがショックだった。涙が出てきた。
視界が埋め尽くされた。もう終わりだ。
俺の心は闇に包まれていった。

 *

 *

 *

 *

 *

「待ちなさい!」

俺の心の暗闇は唐突に破られた。
気付けば俺を潰さんと迫っていた指も動きを止めている。
何があった?
俺は何とか首だけを動かして声のした方を見た。
手のひらはくぼんでいてほとんど空しか見えなかったが、それでもその声の主の姿は確認できた。

「…え?」

そこに立っていたのは妹だった。
凛とした瞳でこちらを見つめている。眉根がよっているのは怒りからか。
目算ではあるが恐らくは1000倍の大きさ。

だが…何故だ?

何故、妹がもう一人いる?

新しく現れた妹はもとからいる妹の手のひらの上の俺に目を向けた。

「お兄ちゃん大丈夫!? ごめんね、あたしがもっと早く来てれば…」

妹は悲しそうな顔をした。
だがすぐに怒りをあらわにして、俺を手に乗せている妹に向き直った。

「よくもお兄ちゃんを…許さないんだから!」
「な〜んだ、もう来ちゃったんだ。これからがいいところだったのに」
「それ以上お兄ちゃんに酷いことしてみなよ! ブッ飛ばすよ!」
「あー、いいのかなぁ? あたしの手の中にはお兄ちゃんがいるんだよ?」

再び俺の方に指が迫ってくる。

「うっ…」
「ふふ、お兄ちゃんを潰されたくなかったらじっとしてるんだね」

一人目の妹は俺に向き直り、指を差し出しながら言う。

「ゴメンねお兄ちゃん。お兄ちゃんを潰そうなんて…さっきまでのあたし、どうかしてたみたい。潰しちゃったらもう遊べないのにね。
 でもなんだか興奮して頭の中真っ白になって、とっても楽しかったよ。
 もうひとりのあたしになんか邪魔させない。あの子は今、お兄ちゃんを潰されたくないから動けないもん。

 …だから、もうちょっと遊ぼうよ…ねぇお兄ちゃん…」

酷薄は笑みを浮かべる妹。
狂気を交えたその瞳は、獲物を弄ぶ動物のそれに近かった。
兄の命よりも、自分の愉悦。
そこに感じる快感のみを求めている。

そして指が兄に触れた。

 グリグリ

「ぐぅ…!」

また指で押し付けられたり転がされたり、今また何本目かの骨が折れた。
折れた骨が周りの肉を傷付ける。
苦痛で漏れる声は声にならない呻き声だけだった。

「ぁぁあ…!!」
「クスクス…、こうやってお兄ちゃんをいじめるのは初めてだけど、結構いい声で鳴くんだね」

 ボキボキボキ…

「ああぁあああああああぁぁぁぁ!!」



「酷い事したらブッ飛ばすって言ったでしょ!!」



もう一人の妹が駆け出した。
足元の家々を踏み潰しながら猛然と一人目の妹に向かって走る。
そして走りながらそこにあった低層のビルを掴み上げ、一人目の妹に向かって投げつけた。
一人目の妹は兄に気を取られ、投げられたビルへの対処が遅れ、慌てて兄の乗っていない方の手で叩き落とした。
兄にはそのビルの中にまだ大勢の人が残っていたことと、
その人々が妹の手で叩き落とされ宙で砕け散ったビルからはらはらと落ちていくのが見えた。
一人目の妹がビルを払い終えたとき、二人目の妹はすでに一人目の懐まで接近していた。

「えーい!!」

体重と速度を乗せた拳が一人目の妹の顔にミートする。
妹は大きく吹っ飛ばされ、無数の家々を潰しながら大地を転がっていった。
この衝撃で、兄は宙に放り出された。

「うわあああああ!」

 フワッ

だが地面に激突する事はなかった。
俺は再び妹の、だが先ほどまでとはまるで温かみの違う手のひらに掬われたのだ。
暖かく、優しく、まるで綿の上に落ちるようにフワリと受け止められた。そう、いつものあいつの手だった。

「大丈夫お兄ちゃん!?」

この広大な手のひらの上を埋め尽くすほどに巨大な、しかし泣きそうな顔が現れた。

「ごめんね、ごめんね、もう一人のあたしがお兄ちゃんに酷い事して…」
「ゲフッ! …そんなことよりお前、いったい何がどうなってる…?」
「あいつは悪いあたしなの。良いあたしと別れて生まれた、とっても悪いあたし」
「ブゥかお前は。…とにかく、悪玉のあいつを放っておけば世界は滅茶苦茶にされるぞ…グゥッ!」

 ズキン!

身体中が激痛の信号を送ってくる。

「お兄ちゃん! …大丈夫、あいつよりも大きくなって、踏み潰しちゃえばいいんだよ」
「大きくって…お前大きさ自分でコントロール出来ないだろ?」
「うん。でも大きくなりたいって願うとちゃんと大きくなれる時が多いんだ。だからやってみるよ」

砂煙の向こう、身体に降り積もった家の破片や家丸ごと一軒を払い落として悪玉妹が立ち上がった。

「いったいなーもう! こうなったらあんたから潰してやる!」
「やってみなさいよ」

キッと悪玉妹を睨みつける善玉妹。
睨み合う身長1400メートルの妹達。
これは…夢か?

「お兄ちゃんは隠れててね」
「隠れるってどこに? 第一こんな身体じゃ満足に動くことも…その割にはペラペラ喋ってるけど」
「大丈夫」

 ペロリ

巨大な舌で舐められた。
するとみるみるうちに身体のケガが治っていくではないか。

「おお凄い! ってか何? 本当に夢なわけこれ」
「じゃあ隠れててね」
「だから隠れるってどこに…」
「ここにだよ」

妹は口を開けてそこを指差した。

「…」
「(レロレロ舌を動かす)」
「…口の中だとぉ!?」
「うん。口の中なら安全でしょ?」
「何がどう安全なんだ! 飲み込まれたらK.O.じゃないか!」
「大丈夫だよ。呑んじゃったらすぐに吐き出すから。それに服のポケットとかだと大きくなったとき繊維の隙間から落ちちゃうし」
「それはまぁ確かに…」
「じゃあはい」

ひょいと摘まれた俺はあっという間に口の中に放り込まれた。

「のぅ!」
「待ってて、すぐ終わらせるから」

兄を口に仕舞い終えた善玉妹は、拳を振りかぶって走ってくる悪玉妹を見据えた。

「えい!!」

善玉妹は山をも砕く巨大な拳を受け止め、悪玉妹と組み合った。

「お兄ちゃんを返しなさい!」
「絶対に渡さないもん!」

一進一退。
お互いに一歩も譲らない。
彼女等の足元の家々はことごとく倒壊していった。
善玉妹は素足だった。彼女の足が振り下ろされるたび、彼女の足の指の大きさほどもない家が数十もその下に消えて行った。
悪玉妹はローファー。彼女の足が地面を踏みしめるたび、周辺の家々が10メートルは宙に放り出された。
人々は二人の巨人の少女の足下で右往左往していた。
逃げようにも道はすでにぼろぼろで車を走らす事は出来ないし、ましてこの振動では立って走る事も満足にかなわない。
そんな彼等の上に巨大な素足かローファーが降臨し彼等を踏み潰す。

距離を取る二人の巨人。
その時公園を踏みしめた悪玉妹は足元のビルを掴み上げると善玉妹に投げつけ、善玉妹はそれをビル内部にいる人ともども片手で払い除けた。
砕かれたビルから無数の人がビルと同じ様にバラバラになって地面に降り注いだ。
学校を踏み潰していた善玉妹は避難しようと道路を走っていた無数の車を鷲づかみにして悪玉妹に投げつけ、悪玉妹はそれを払おうともせず受け止めた。
無数の車とそれに乗っていた人々が悪玉妹の頬や身体に当たって砕け散った。

砂を巻き上げるように地面を蹴り上げる善玉妹。無数の家々が巨大な素足によって宙に放り出され悪玉妹に降りかかる。
悪玉妹はその砂煙を突き抜けて善玉妹に体当たり。その巨体を突き飛ばした。
彼女達の感覚で数メートル突き飛ばされた善玉妹はうつ伏せになるように地面に激突。避難中の一団がその巨大な胸に潰された。
胸に付いたゴミを払い落として立ち上がった善玉妹は足元の家を木の葉の様に舞い散らせながら助走をつけ悪玉妹にとび蹴りを放つ。が、
悪玉妹はこれをひらりと回避。そのまま着地する善玉妹。
加速のついた善玉妹の体重を受け止めた地面はクレーターの様に大きく窪み周辺の家はあっという間に吹き飛ばされた。
だが善玉妹は着地すると同時にくるりと身体を回転させ、その長い足で悪玉妹の顔を蹴り飛ばした。俗に言う後ろ回し蹴りである。
善玉妹の足は途中の雲を散らしながら、踵で悪玉妹の頬をヒット。
速度と遠心力と重量を合わせれば隕石にも匹敵するその一撃を受けて悪玉妹は、先ほど体当たりで突き飛ばされた善玉妹の倍以上の距離を吹っ飛ばされた。
住宅街に着地、そのまま滑るように無数の家々をすり潰し5キロメートルも行ったところでようやっとその身体を安定させた。
瓦礫を払い落としながら立ち上がる悪玉妹。ペッと吐き出された血の混じった唾は3軒の家を押し潰した。


 ***

ちなみに兄は妹の舌や歯や唾液と戦いながらその天変地異に晒されていた。
妹が何か行動するたびに表面の肉がビクンと痙攣し兄を跳ね除け、妹が呼吸するたびに外に吐き出されそうになったり喉の奥に吸い込まれそうになり、
妹が悪玉妹の攻撃を耐える為に飲み込む唾に巻き込まれ一緒に呑みこまれそうになったりしていた。
そして先ほどからは奥歯の裏に身を隠しそれらの災難から身を守っていた。

「何が安全だ…。外と大差ないじゃないか…」

全身をびしょびしょに濡らしながら言う兄。下着さえも妹の唾液で濡れていた。
別に性的な意味で気にはしないが、水と違って粘着質なので余計身体にへばりついて運動能力を低下させることを恐れていた。
その時、唾液を纏いぬらぬらと光ってうねる巨大な舌が襲い掛かってきた。
歯に挟まった食べかすを気にするような無意識の動きだったのだろう。
舌先に捕らわれた兄は口内をジェットコースターの様に振り回されたあと内壁に押し付けられ気を失った。

 ***


再びにらみ合う妹達。
そんな妹達は自分達の身体にぺちぺちと当たる物があることに気付いた。
それは自分達を囲む数百の戦闘機から放たれているミサイルであった。
一度は撤退した自衛隊であったが体勢を立て直し今度こそ巨人を倒さんと再び攻撃を開始してきたのだ。

 ペチペチペチペチ

妹の身体中で火花や白煙が上がる。頬や足など素肌にも着弾しているが妹達はお互いを睨み続けるのみでそれを気にした様子も無い。
たかがミサイルなど藪蚊に刺されたほどにも感じないのだから。
地面を蹴り、接近し合う妹達。途中何機もの戦闘機がその巨体に激突され大破した。
手を振りかぶる善玉妹。しかしそれよりも早く悪玉妹の平手が振り抜かれ、甲高い音を立てた。

 パァン!

平手は途中で幾つかの戦闘機を巻き込みながら善玉妹の頬を打ち、善玉妹は地面に倒れ込む。
その時、待機していた陸上部隊が妹の下敷きになって潰されていた。

顔面の周辺を飛ぶ戦闘機を片手で払い除けながら善玉妹に近寄る悪玉妹。
そして立ち上がろうとしていた善玉妹を背中から踏みつけ地面に押し付けた。

「あぅっ!」

長さ230メートルのローファーが善玉妹の背中をぐりぐりと踏みにじる。
悪玉妹は腰に手を当てながら言った。

「どお? 地面に這い蹲る気分は」

にやりと笑う悪玉妹。
家々を押し潰して両腕を立て立ち上がろうとする善玉妹だが背中を押さえ付けられて身体を起こす事が出来ない。

「無駄な抵抗だね。そろそろ楽にしてあげようか? あ、でもまずはお兄ちゃんを返してもらわないと…」

とその時である。
悪玉妹の顔面に特大のミサイルが叩き込まれ盛大に爆発した。
無論この程度で傷つく悪玉妹ではないが、先ほどからチマチマと無意味なことを…、いい加減うざったく感じてくる。
ギロリと周辺を飛んでいる戦闘機を見渡すと悪玉妹は雷鳴の様な声で叫んだ。

「邪魔だよ!!」

その爆音に晒され近くを飛んでいた戦闘機は空中で大破。
コックピットの風防が割れ、パイロットは鼓膜を破られ耳から血を噴き出して絶命した。
手を振り回して戦闘機を追い掛け回し低空を飛んでいるものは上から踏み潰した。
はたき落とし、挟み潰し、ある戦闘機は妹の翻したスカートに当たって砕け散った。
生き残っていた陸上部隊も次々と踏みにじられ、再度出撃してきた自衛隊は妹が叫んでから1分とかからぬうちに全滅した。

「チビのくせに生意気な事するからだよ。どうせあとでお兄ちゃん以外は皆殺しにしちゃうんだから黙って待ってればいいの!」

煙を噴きながらまるで蚊取り線香に近付いた蚊のように落ちていく戦闘機や、
巨大なローファーの足跡の中で煙を上げる残骸を見ながらフンと鼻を鳴らす悪玉妹。

 ズン!

「?」

悪玉妹が振り返るとゆっくりと身体を起こす善玉妹の姿が見えた。
ビルを踏み潰し立ち上がった善玉妹は悪玉妹に向き直る。
悪玉妹はせせら笑いながら善玉妹に話しかけた。

「え〜、まだやるの?」
「負けないもん。お兄ちゃんはあたしが守るの」
「あたしだってお兄ちゃんは守るよ? 他の人間は殺すけど」
「ダメ! 人がみんないなくなったらお兄ちゃんが悲しい思いをしちゃう」
「大丈夫だよ。あたしがいるんだから。世界中の人間全部よりもあたしの方が良いに決まってる。他の人間は邪魔なの。あんたもね!」

善玉妹に向かって走る悪玉妹。
こちらに向かって走ってくる悪玉妹を見据えながら、善玉妹は心の中で念じた。

(お兄ちゃんの為にも守りたいの……だから…大きく…大きく……)

拳を振りかぶる悪玉妹。
その拳が善玉妹の顔面に触れようかという瞬間だった。

(大きくなりたい!!)

 ボン!

空気が爆発した。
悪玉妹はその衝撃で数千メートル吹き飛ばされる。
高さ数千メートルの砂煙が舞い、周辺のビルや家の瓦礫が雨の様に別の街の上に降り注いだ。
立ち上がった悪玉妹が見たものは、更に10倍、計1万倍の大きさに巨大化した善玉妹の姿だった。

「やったぁ! 大成功!」
「!?」

悪玉妹は足を止め善玉妹を見上げた。
1000倍の少女が見上げる10000倍の少女。
善玉妹の長さ2300メートルの素足が住宅街を踏みしめている。
家の大きさなど善玉妹からすれば1ミリ弱。指の高さと比べても砂粒のようだ。
その超巨大な指がかすかに動き、周辺の家は残らず倒壊した。
善玉妹は足元の小さな巨人の少女に話しかけた。

「これであんたなんか簡単に潰せるよ。だってあなたはたった1400メートルの小人さんだもんね」

善玉妹は片足を持ち上げ、悪玉妹の上にかざした。
悪玉妹の身長よりも大きなその足裏からは住宅街一つ分の家の瓦礫が降り注いでいる。
悪玉妹には足指の指紋に家一軒が丸ごと挟まっているのが見えた。
その足に陽光が遮られ悪玉妹の周辺は足の作り出す陰に包まれた。
踏みつけられればただではすまない。
だが、悪玉妹の口元には笑みが浮かんでいた。

「くすくす…、あんたの負けだよ」
「え…?」

 ボボン!

善玉妹の巨大化の際に放たれた砂煙よりも遙かに大きな煙が巻き上がった。

「あぅっ!」

その爆風で吹き飛ばされる善玉妹。
雲よりも高い位置まで巻き上げられた砂煙は風に乗って遙か遠くの国にまで届くことだろう。
風が煙を吹き散らし、そこから現れたのは善玉妹の10倍、つまり10万倍の大きさの悪玉妹だった。
自分を見上げる善玉妹を見下ろしながら悪玉妹は言う。

「残念でした〜。これであなたはたった14000メートルの小人さんだね」

悪玉妹の長さ23キロメートルの足を内包した巨大な靴が街を踏みしめている。
街一つ。県の大半をその片足の靴の下に圧縮しながら悪玉妹は口を開いた。

「あたしはあなただから知ってるよ。あなたは10万倍までしか大きくなれないんでしょ? 今までもこれ以上大きくなれたことないもんね」

10万倍の悪玉妹と1万倍の善玉妹。
その対比は人と人形の様だった。
悪玉妹はしゃがみこむと善玉妹を掴み上げ、再び立ち上がった。
14000メートルの少女は高度10万メートルに持ち上げられたのだ。

「はじめから10万倍の大きさになってればこんなことにならなかったのに。
 あたしが10万倍になれること知ってたくせに1万倍の大きさで止まるからこういう目に遭うんだよ、おバカさん」

悪玉妹は人差し指でペチンと善玉妹の頭を弾いた。

「きゃっ!」

悪玉妹は続ける。

「今から巨大化しようとしたら握り潰すからね。さぁ、お兄ちゃんを返して」
「いやだもん。お兄ちゃんはあたしのものなの」
「ふふ、元気なお人形さんだね。早く返しなさい。でないと首を引っこ抜くよ」

太さ1400メートルの指が善玉妹の頭を摘む。

「ほぉら早く返して。力加減が難しくて頭を潰しちゃいそうなの。どうせこれ以上大きくなれないんだからさっさと諦めなよ」

だが突然、善玉妹はにっこりと微笑んだ。
その善玉妹の態度に悪玉妹は訝しげな顔で言った。

「何よ」
「…あなたは、何で大きくなるか考えたことある?」
「ないわ。だっていつの間にか大きくなるようになってたし、わからなくても別に困らないもの」
「あたしはね、こうやって大きくなるのはきっとお兄ちゃんが大好きだからだと思うの。
 お兄ちゃんが好きで好きでたまらなくて、でも普通の大きさだとそういう気持ちが溢れてきちゃう…。
 だから溢れないように身体が大きくなるの。お兄ちゃんを好きな分だけ、身体が大きくなるんだよ」
「何それ。だからなんだっての?」
「あなたはお兄ちゃんに酷い事をした…。お兄ちゃんを大切に思ってないんだからもうそれ以上大きくなる事はできないの。
 でもあたしはお兄ちゃんが大好きだから、大切だから、もっともっと大きくなれるんだよ」
「ふ〜ん、そんなのあなたの勝手な思い込みでしょ。そんな簡単に大きくなれるんならとっとと大きくなってみなさいよ。
 大きくなる前に握り潰してあげるから」
「無理だよ…。あたしのお兄ちゃんへの想いは、誰にも止められないもん」

その瞬間、善玉妹がまぶしく光りだした。
悪玉妹は即座に手に力を込めようとしたが、手の中で発生した爆発の様な衝撃に手を弾かれてしまった。
辺りが光に包み込まれる。
悪玉妹は数百キロメートル吹っ飛ばされて地面を転がっていった。


しばしの時をおいて、悪玉妹はゆっくりと顔を上げた。
だが、現実を認識出来なかった。
二本の巨大な肌色の柱。
おそらくは善玉妹の脚だろう、それが天からこの地上へと続いており、
なんとそれはこの日本を跨ぎそれぞれ日本海と太平洋の海底を踏みしめていた。

遙か遙か彼方には巨大な肢体。
善玉妹は腰に両の手を当て前のめりになり笑みを浮かべながらこちらを見下ろしている。

「はい、大きくなったよ。握り潰せなくて残念だったね」

愉快そうな妹の笑い声が世界中に轟いた。

「そんな…」
「今のあたしの大きさは1400キロメートル、100万倍の大きさだよ。すごーい、ここからだと日本中が一目で見られる。
 日本って思ってたよりもずっと小さい…。北海道はもっと小さくて両足では立てないね。四国なんて片足も入らないよ」
「ず、ずるい! あんただけそんなに大きくなるなんて…」
「お兄ちゃんを大切にしないからだよおチビさん。あなたから見たら富士山って3センチメートルくらいでしょ。
 でもあたしから見たら3ミリくらいなの。もう小さすぎてどこにあるかもわからないよ」

言いながら善玉妹は片脚を上げ、本州中央辺りに踏み降ろした。
それだけで日本中が大地震に見舞われ、埼玉他いくつもの県が妹の足の下に消えた。

「もしかして今踏んじゃったのかな? 全然わからなかったけど、ちょっと見てみて」

ゆっくりと持ち上げられた足。
悪玉妹はその様と、その下にあったものを半ば強制的に凝視させられた。
超々巨大な足裏にはひとつの県が丸ごとへばりついていた。ポロポロと剥がれ落ちているゴミはそれぞれがひとつの街だろう。
悪玉妹は視線を足裏から、その足が置かれていた場所へと移す。
そこには何も無かった。すべてが無くなっていた。すべてがあの足裏に押し潰され消えてしまったのだ。
富士山でさえ何の痕跡もなく平らにされていた。善玉妹がちょっと足を降ろしただけで。
いや、本当なら足裏全てを使う必要も無いだろう。足指ひとつで足りることだ。
親指を少し動かせば潰せてしまう。小指でも可能だ。小指でもその高さは10キロメートル近くある。富士山の倍以上だ。
小指で小突けば富士山は簡単に砕けてしまうであろう。
観光旅行に行って富士山を背景に写真を取るとしよう。
しかし今の善玉妹は、富士山を前面に置き善玉妹を背景にしなければ富士山と一緒に写ることが出来ない。
映ったとしても富士山の背景は青い空ではなく肌色の壁。
善玉妹はただの肌色の背景としてでしか富士山と写真を撮ることが出来ないのだ。
そしてその肌色の背景となっている部分は妹の足の小指の半分にも満たない高さなのだ。
富士山をかなり遠方から写せば小指の爪くらいまでは一緒に写真に納まることも出来るだろうか。
その後、用の済んだ富士山はその小指によって踏み潰され、哀れ小指の裏にこびりつくただの汚れに成り下がるのだ。
現実に今、この広大な足裏のどこかにへばりついていることだろう。
それとももしかしたら、本当にもしかしたらこの超々巨大な足跡のどこかでその雄姿を保っているかもしれない。
善玉妹の土踏まずの下に入っていれば潰されてはいないかもしれない。
もっとも、「少女の足に踏まれたが土踏まずの下だからその形を失わずに済んだ」、
などという屈辱的な仕打ちを受けたその日本の象徴の姿を雄姿と呼べるかどうかは別だが。
しかしそうであるならば、富士山は今日もその頂上に冠の様に雲を頂きながら、少女の土踏まずの下で勇ましくそびえていることだろう。


 ***

現在の兄。
気絶から目覚めたはいいものの世界は一変していた。
暗く湿っていて生暖かい。
というよりも先ほどまで唾液の嵐の中を泳いでいて完全に疲弊していたのだ。
今、自分が居るのは歯茎の歯の付け根辺りだろうか。
妹がさらに巨大化したのはわかった。だが、この大きさは…。
兄は自分がもたれかかっている白い、恐らくは歯であるそれを見上げた。
あいつの歯の大きさを8ミリメートルくらいとして、として…。
見上げてみたものの、巨大過ぎてその全景を測ることができない。
が、なんとか周囲の景色と比較することで大体の予想を立てることができた。

「は、8000メートル…」

あいつのこの健康的な歯は、富士山の二倍以上の大きさがあった。
そしてそれは綺麗に横一列に並んでいる。
あいつの歯は世界に類を見ない巨大な山脈となっていた。

「山脈を口の中に持つとは…」

その時、再び兄に唾液の津波が襲い掛かり、兄は唾の大海原へと放り出された。

 ***


「さぁお仕置きの時間だよ。お兄ちゃんを傷つけたんだから、覚悟してよね」

善玉妹は悪玉妹をつま先で小突き、地面へと押し倒す。
そしてその上から片足を乗せた。

「や、やめて! 重いよ!」

 メリメリメリ…

善玉妹の体重に悪玉妹の身体が地面にめり込み始める。同時に悪玉妹の下の県は消滅した。

「どこまで耐えられるかな? もしかしたらあなたが潰れるより日本が沈没しちゃう方が早いかもね」

 ゴゴゴゴ…!

日本の沿岸各所は津波に飲まれ水没した。
妹の体重に、沈下が始まっているのだ。
悪玉妹は必死に抗っているが、長さ230キロメートルの足とそれに伴う重量など、到底押さえられるものではない。
押し返そうとしていた両の腕も疲れ、遂に悪玉妹は善玉妹の足裏にへばりつく格好で踏みつけられた。

「いやぁ!」
「ダメだよ、そんな簡単に潰れちゃあ。もっともっとあたしを楽しませて」

 メキメキメキ…

悪玉妹の身体中の骨が軋み出した。
それを感じた善玉妹は足をゆさゆさとゆすり、悪玉妹は身体中の肉が千切れる様な激痛に襲われた。
善玉妹の足の動きに合わせて日本中が震度を測るメーターを振り切る地震に襲われ全ての建築物が倒壊した。
同時に巨大な津波が日本を中心として発生し周辺の国々を洗い流した。
日本海側で発生した津波の雫が太平洋側に届くほどの地震と津波なのだ。その規模は計り知れない。

「ああぁあぁぁぁ!! 痛い、痛いよーーーっ!!」

悪玉妹は泣いていた。
直径500メートルもの大粒の涙が頬を伝って地面に染み込んだ。

「辛い? 苦しい? しょうがないなあ。じゃあ楽にしてあげるよ」

善玉妹は悪玉妹の上に乗せていた足を上げた。
悪玉妹はすでに顔を動かすほどの力しか残っていなかった。

上げられた足は遙か大気の層の上空で、善玉妹の感覚で20センチほどで停止した。
善玉妹は、自分の足跡の中で横たわり自分を見上げているもうひとりの自分を笑顔で見下ろして、言った。

「バイバイ、おチビさん」

「いやああああああああああああああああああああ!!」



足が振り下ろされた。
























「待てッ!!!」

「えっ!?」

 ズドオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンンンンンンン………!!!!!!!!

突然の妨害に目標をそれた足は、日本海側の県を三つほど踏み抜いた。
押しのけられた海水が日本中を洗い流し全ての山を平たく削り取る。
足は巨大なクレーターを穿ち、本州中央にはぽっかりと三日月の様に穴が開いた。
同時に巨大な振動は地球全体を揺るがし世界中の活火山を噴火させた。
また地球の反対側の国では妹の起こした振動を真下から受けたことで、国中のあらゆるものが宇宙へと放り出された。


善玉妹を妨害したのは兄だった。

「どうして邪魔するのお兄ちゃん!?」

この間、妹の口の動きに合わせて100万倍の大きさの歯や舌が動き、
兄は数万メートルの距離を跳ね飛ばされ回ったわけだが、なんとか気力で会話を続けた。

「…わざわざ、殺すこともないじゃないか」
「どうして? こいつはお兄ちゃんに酷いことをしたんだよ!」
「そうだけど…、こいつはお前と別れて生まれたもうひとりのお前なんだろ。だったら俺の妹なんだ。例え間違いでも、妹を死なせたくはないよ」
「お兄ちゃん…。でも…」
「頼むよ」
「…うん」
「ありがとな。じゃああいつの傍に連れてってくれ」

善玉妹は跪くと口から兄を取り出し、悪玉妹の目の前に連れて行った。
太さ14キロメートルの人差し指がほとんど同じ大きさの悪玉妹の頭の前に差し出され、兄はその上から悪玉妹の顔を見下ろした。
悪玉妹は涙で顔をぐずぐずにしていた。
そんな悪玉妹に兄は話しかける。

「…大丈夫か?」
「うっ…うっ…、お兄…ちゃん…」
「なんで、世界中の人間を消そうなんてこと考えたんだ?」
「ぐす…だって…お兄ちゃんと…二人だけの世界に…したかったんだもん…。
 あたしは…本当のあたしから生まれた偽者だから…本物には勝てないから…誰もいない世界で…二人っきりになりたかったんだもん…」
「そっか…。でもな、そんなことをしても俺は嬉しくないよ。俺はたくさんの人がいるこの世界が好きなんだ。
 だから、たった二人きりだと寂しいな」
「えぐっ…うっ…ゴメンなさぁい…」
「いいよ。そのかわりもうこんな事はしないでくれよ。お前も俺の大事な妹なら約束は守るように」
「…うん。…ぐす…」
「よしよし」

兄は、10万倍の妹の額に降ろしてもらうとその額を優しく撫でた。
それに抗議するように唇を尖らせながら100万倍の妹が言う。

「もう、もうひとりのあたしばっかりずるい! あたしもあたしも!」

100万倍の妹が頭を差し出した。
とは言っても、既に足の指の高さだけでも2万メートルになる大きさである。
人類がどれだけ背伸びをしても届くはずがない。

「じゃああたしも寝転がるからそうしたらやってくれる?」

寝転がったとしても高さ数十万メートルである。
その高さの額の上に乗せられれば、大変今っさらではあるが太陽風や紫外線、
さらには高低差バリバリの気温などもろもろの大弊害が待っている。
いくら全知全能の兄とは言え、無事でいられるかどうか。多分無事だろうけど。

「…いや、身長1400キロメートルのお前が横になると日本の大半が下敷きになるわけだが…。
 頭を北海道に置いたとしたら足は九州くらいまでになるだろ」


10万倍妹は兄をその手に摘むとゆっくりと上体を起こした。

妹2「ごめんねお兄ちゃん…。あたし、お兄ちゃんに酷い事して…」
兄「今後気をつけてくれればいいよ。じゃあこれからは3人で暮らすことになるんだな」
妹1「いいよ。でもお兄ちゃんは二人のものだからね」


こうして、妹の豹変に始まる騒動は幕を閉じた。
これからはより楽しい生活が待っているだろう。日本はほとんど滅びたが。

その時、兄は目の前がぼやけてきた。

兄「あれ? なんだろう…」
妹1「夢から覚めるんだよ。もう朝なんだね」
兄「そうか…やっぱりこれは夢だったのか…」
妹2「お兄ちゃんとはここでお別れだね。あたしは夢の中だけの存在だから…」
兄「またすぐに会えるよ。今夜あたりにさ」
妹2「…うんっ」

目の前が一段とぼやけてきた。

妹2「じゃあねお兄ちゃん」
兄「ああ、またあとでな」



そして兄は目が覚めた。

薄いまどろみの中、気が付けばいつものベッドの中だった。
先ほどの夢もまるで本当の事の様にはっきりと覚えてる。
これからは毎日寝るのが楽しみになりそうだ。
兄はうきうき気分のままベッドから出ると部屋の窓を開けた。

「…ん?」

兄は疑問符を浮かべた。
窓の向こうには広すぎる庭と家を取り巻く森。
そしてその先には家やビルなどの街並みが広がっているのがいつもそこから見る景色だった。
だが今、目の前には何も無く、地平線の果てまでただ一面が茶色くひっくり返されたような土に覆われているのみだった。

「…」

兄の頬を一筋の汗が流れた。

まさか…。

兄はリビングに降りるとテレビの電源を入れた。
しかしどのチャンネルもノイズを走らせるばかりで有力な情報を送ってこない。
ならばと海外のチャンネルへ接続を試み、それは成功した。

そこに映し出されたのは荒廃した世界の現状だった。
無数の倒壊したビル。崩れた山。大水害で家屋を流された国。億を超える難民の行方。
世界中のチャンネルへ接続してみたがどれも同じ様なことを伝えている。

その時、あるチャンネルが衛星から撮影した日本を映し、それを見た兄は唖然とした。
日本本州中央日本海側に出来たクレーターのような巨大な穴。そしてその周辺に作られた巨大な足跡。
ボコボコになった日本の全景だった。

兄の頬を大量の汗が流れた。

「まさかまさか、あれは夢じゃなかったのか…?」

と、兄が呟いたときだった。

 ズン ズン ズウン!
  ズン ズン ズズン!

地面が規則的に揺れ始めた。
それも二つ分。

兄は家を出て空を見上げた。
そこには…

「お兄ちゃ〜〜ん!」(×2)

二人の妹が兄を見下ろしていた。

兄「ゆ、夢じゃなかったのかよ!」
妹2「えへへ、夜まで待てないから遊びに来ちゃった」

妹2の手が迫ってくる。
兄の周囲はその影に覆われ、そして……。




「はっ!!」

兄は再びベッドの中で目が覚めた。

「な、なんだ…あれも夢か…」

「お兄ちゃ〜〜ん!」(×2)

「はっ!!」


** END **



夢オチです。ちゃんちゃん。