第12話 〜 今日は10000倍 〜


某国某州。
ある者は会社へ、ある者は学校へ、ある者はデートへと、いつもとなんら変わらぬ日。
誰も彼もが平和な日常をエンジョイしていた。

しかし、それは突然訪れた。

誰かが海を指して叫んだ。
いったい何があるというのか。周囲の人間は指差された方を見る。
そこにはいつもと変わらぬ海があった。
青い空、青い海、多くのタンカーや漁船が行き交い、たくさんの人々がビーチ戯れている。
だが、ちょっと待て。
あれはなんだ?
海の上、水平線の向こうに見えるあれはなんだ?
姿格好を見ると日本人の女の子の様だ。日本人でない我々から見てもその人懐こそうな顔には愛着が湧く。
制服らしきものを着ているところを見ると、学校からの帰宅途中だろうか。
いや、違う。そうじゃない。そんな事じゃないんだ。
問題は明らかに別のところにある。
何故だ。何故水平線の向こうにその姿が見える?
CGか? 映画の撮影か?
馬鹿な。これは現実だ。フィクションじゃあない。
あの少女は、日本人の娘は、とてつもなく大きいのだ。
理解しがたい現実が目の前にある。何度まばたきしても目の前の光景は変わらない。夢じゃないんだ。
そういえば前に日本が超巨大少女に蹂躙されたとニュースで言っていたが、まさかあれがその少女なのか。
だとすると大変だ。少女はまっすぐこの国に向かってきている。
このままでは日本の二の舞になるのではないか。
と言う事は壊滅的な被害を被るということだ。
逃げなくては!

巨大少女の姿を認めた人々は我先にと内陸に向かって避難して行った。


 * * * * *


「今日もいい天気」

妹は散歩に出た。
大きくなると澄んだ空気が吸えて気持ちがいい。
14000メートルともなるとその味もまた格別である(?)。
そういえば兄の話では1万倍まで大きくなれれば海を歩いて渡ることも出来るそうだ。(時間その他もろもろはご都合っス)
丁度いい。
折角だから試してみるとしよう。

…という思い付きからしばらく、妹は大海原を徒歩で横断していた。
海面は太ももを濡らす程度だ。靴と靴下は脱いで手に持っている。
歩き始めてからちょっとの間は青い海しか見えなかったがやがて水平線の向こうに陸地のようなものが見えてきた。
初めての外国までの散歩ですこしドキドキしていた妹だが、ふと自分の進行方向の海上にたくさんの小さな黒い塊が浮いているのに気付いた。

「なんだろう」

歩み寄り顔を近付けてみてみるとそれは軍艦の艦隊であった。
その数、実に70は下るまい。圧倒的な数だ。
だが妹から見れば小指くらいの大きさの船が群れを成しているに過ぎない。
取るに足らない大きさだ。
先ほどから近付けた顔面に攻撃を受けているが痛みなどまったくない。

「ふぅ」

少し息を吹きかけてみた。
それだけで彼らからの攻撃は中断され、大半の船が大きく揺れ、少数の船が転覆した。
あまりにあっけなさ過ぎる。
相手してやっても良いが、今は少しでも早く目の前の異国に辿り着きたい。
面倒だし、彼等は無視することにしよう。
妹は顔を離し上体を起こした。
すると今度は正面から飛んでくる砂粒のような集団が視界に入ってきた。
足下にあるのが艦隊だとすると、目の前のこれは戦闘機なのだろう。
蚊よりも小さい羽虫の群れだ。
数十は集まっているのだろうが小さすぎて黒い靄にしか見えない。
よく見ると四方八方からその集団は近付いてくる。
急ぎたい時に限ってなんでこうも集まってくるのか。

「もう、邪魔だな〜」

とりあえず妹は顔の前に来ていた一段を片手でなぎ払った。これで50超の機体が墜ちる。
手首から指先までの長さ1600メートル、幅700メートルの巨大な手である。
たかが10〜20メートルの戦闘機などゴミの様なものだ。
かたまって飛んでいれば100機落としておつりが来る。
彼らもその手にぶつかる瞬間その大きさの意味が理解できただろう。
あの手は、自分達が離着陸する空母よりも大きいのだ。
自分たちの戦闘機はあの少女の手のひらの上から飛び立つことが出来るのだ。
まさに釈迦の手の上の孫悟空。いや、この大きさの差はそれよりもはるかにひどい。
まぁ彼等は悲観する間もなく砕け散ったので惨めな気持ちになる事もなかった。
それだけでも彼等は幸せだったと言えるのではなかろうか。

次に妹は左から来ていた一団に対して息を吹きかけた。
羽虫の一段は、砂でも散らすかのようにサーッと消えてしまった。
彼らも手で払い落とされた隊員たちと同じく思考の余地は与えられなかった。

正面と左の位一団を相手にしていたら右から来ていた一団は随分と接近していた。
ミサイルをガンガン撃ちながらどんどん近付いてくる。
もう目と鼻の先の距離だ。
この距離では手で払うことも息を吹きつける時間もない。
ならこれでもいいだろう。
妹は口を開けた。
羽虫の集団はあまりの展開に思考が止まり、方向転換出来ぬまま、自らその巨大な口腔へ飛び込んでいった。
そして妹は口を閉じた。それだけだ。
別に咀嚼も何もしなかった。どうせ彼等が生き残る事など出来はない。

キョロキョロ辺りを見渡してみたが主だった編隊は皆潰したようだ。
あとは小隊がぶんぶん飛ぶばかり。
そのひとつにデコピンをかましてみたがあまりにもあっさり落としてしまった。
これなら彼等はいないも同じだ。
これ以上相手をしてやる必要も無いだろう。
妹は正面に向き直った。

この一連の行動の最中に妹の頭の後方から接近した一団がいたのだが、
ゆらゆらと揺れる妹のポニーテールになぎ払われ、哀れ髪に引っかかるゴミとなった。

妹は前進を再開した。
足元の船隊などどうでもいい。
その通りである。
彼等はその巨大な太ももの作り出す大波に呑まれるか、その肌に激突されて砕けるのみだった。
戦闘開始から1分と経たずに艦隊と戦闘機隊は全滅した。


 * * * * *


陸にいた人々は逃げた。逃げて逃げて、逃げ続けた。
頼みの軍隊は我々の逃げる時間すら稼いではくれなかった。
巨大少女はどんどん近付いてくる。
あの巨大な太ももが一歩前に進むたびに大津波が発生し、すでに海岸沿い建物は浸水してしまった。
まるで映画の中にいるかの様だ。これほどの体験はそうそう出来るものではない。
しかし我々の役どころはただのエキストラでしかない。
嬲られ、踏み潰されるだけの出演だ。スタッフロールには名前すら載らないだろう。
もちろんそういう映画は我々だって見た事がある。
名前も大した演出も無く、ただ逃げ惑うだけの存在。
たまにある行き過ぎた表現には滑稽だと嘲笑さえした事もある。
だが今なら映画の中の彼等の気持ちが分かる。
こんなにも、こんなにも生き残るために必死だったのだと。
もう彼等を笑う事など出来ない。
しかし彼等と我々には決定的な違いがある。
それは現実かフィクションかだ。
映画の中の彼等が死んでも、彼等を演じる現実の人が死ぬわけではない。
だが我々は死ねばそのまま死ぬ。
もう一度など無い。リセットも巻き戻しも無い。
現実なのだ。現実に死ぬのだ。
我々はみな涙を流しながら逃げ続けた。

何人かの呆けた人は、逃げることすら忘れてただぼーっと迫り来る超巨大少女を見つめていた。
その巨大な太ももで海を割り、雲のかかった顔は笑顔だった。
どんどん近付いてくる。だがあまりの大きさに距離感が全くつかめない。近いのか遠いのか。
しかし顔に雲がかかっているというだけで大体の大きさを予想する事は出来た。
そして頭がそれほどの高さにあり、海は太ももを濡らす程度。
海上に見えている部位だけで、雲まで届くということだ。
あり得ない。何故あり得ている。分からない。すでに考える意味がない。
すると何人かは気付いた。
太ももを濡らす程度だった海が、今では膝を濡らす程度になっている。
海底が浅くなってきているのだろう。近付いて来ている証拠だ。
それに伴い目の前の少女もどんどん大きくなっていく。
我々はそれなりに内陸にいるはずだが、海上にいる少女を見上げていた。
見上げるための首はどんどん上を向いていく。
海は足首を濡らす程度になっていた。打ち寄せる津波も一段と大きいものになっている。
そしてなにより彼女の歩行が引き起こしているのであろうズウウウウウン、ズウウウウウンという重々しい揺れが大地を揺るがしていた。
やがて海面からその五指が姿を現し始めた。つまりそれは彼女にとってその程度の水深しかないことを意味している。
我々からみればそれはかなりの沖合いなのだが。
ザブザブと海を歩いて渡ってきた超巨大少女はすでに上陸目前だ。
水深は彼女の指の高さもない。
広大な範囲が彼女の作る巨大な影に包まれている。
多くの人間がこれで終わることを望んだ。
彼女はただこの国に近付くだけで何もしないと。このまま帰ってくれるだろうと。
なんの根拠も無い希望に望みを託していた。
無論そんなものは実現しない。
海から放たれた巨大な足が陸地の上空に侵入してきた。
大量の水しぶきが内陸の津波の被害に遭っていなかった家々を押し流す。
そして…。


 ズウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウン!!


 ズウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウン!!


両の足が陸地を踏みしめた。
長さ2300メートル幅800メートルの素足の右足は、そこにあったビーチと民家と人々を踏み潰し、左足はビルと工場と車を踏みにじった。

超巨大少女は上陸を果たしたのだ。


 * * * * *


「ん〜、着いたぁ〜」

大きく伸びをする妹。
天に向かって伸ばされた手が途中にあった雲を割った。
視線を落としてみれば少し先の地面には1㎝も無いような小さなビルがひしめき合っている。
今の自分から見て1㎝ということは実際の高さ100メートルということになるのだろうが、
14000メートル超の自分から見ればあまりにも小さなおもちゃだ。
歩み寄り、足の小指と高さを比べてみたが大差ない。
そのままその小指で小突いたらあっという間に粉々に砕けてなくなった。

「ふふ、ちっちゃーい」

ビル群に降ろされた足はその指でさえ周囲のビルより抜きんで高く、妹の足指の高さを超えるものはいくつもない。
妹はその内のひとつに狙いを定め足を近付けていった。
やがてそのビルは開かれた親指と人差し指の間に捕らえられ、中にいた人々は窓の向こうに現れた肌色の壁に目を奪われた。
巨大な指に陽光を遮られ下層部は薄暗い闇に包まれ、またビル周辺は足から滴った大量の海水による水害を被っている。
故にビル内の人々はその激流に阻まれてビルから逃げることが出来なかった。
そしてそうこうしている間にも事態は進行していた。
ビルを間に捕らえた指が急速に迫ってきたのだ。まるで押し潰さんとせんがばかりに。
人々は悲鳴を上げながら逃亡をはかった。あの激流に身を投じるものまで現れた。
だが全員がそうして逃げ切る前に指はビルの壁面に触れていた。
壁にヒビを入れ、ガラスを砕き、指はビルに衝突した。
窓際にいた者はその衝撃で吹き飛ばされ室内の壁に叩きつけられ気を失った。
だが、指はそれ以上侵入してこようとはせず、ビルに大きく食い込んだままその動きを止めた。
200メートル以上あるこの高層ビルは、文字通り指の間に捕らえられたのだ。

「潰れてないよね?」

妹としてはそっと指の間に挟んだつもりだが、ビルなんて脆すぎてほんの少し加減を誤ればあっという間に潰してしまう。
先ほど小指で粉砕したビルがいい例だ。
だが妹が確認したとおり、指の間に挟まれたビルは若干変形しながらもその形を保っていた。
高さ数百メートルはあるはずの高層建築物であるビルが自分の足の指の間にチンマリと挟まれている様はなんとも滑稽で、
また、小さな優越感が湧き上がるのが感じられた。

「今、指に少し力を込めればクシャって潰れちゃうんだよね。でもそんな簡単に潰しちゃったら詰まらないし…」

指の間にビルを挟んだまま妹は考えた。
そしてしばしの間を置いた後、笑顔でビルを見下ろしたのだ。

その間も、捕らわれたビルの内部の人々は気が気でなかった。
いつこの巨大な指が動き出すとも知れないのだから。
だがそのわずかな時間が彼らに希望を与えていた。
足から滴り落ちる水の量が減って水の流れが大分緩やかなものになっていたのだ。
それを見た人々は下層部へ行きビルの脱出をしようとしていたのだが…。

 スゴゴゴゴゴゴ…!

突然ビル全体が激しい振動に見舞われた。
なんの前触れもなくこんな地震が起こるはずがない。ならば原因はあの巨大な指でしかない。
壁面のヒビがより一層深くなる。
指に力が込められているのだ。
このビルを潰すつもりだろうか。
だが考えたところで自分たちに出来る事は頭を抱えてうずくまるくらい。
立っていることも出来ない振動で、逃げることも出来なかった。
だが、依然振動が止む気配はないが、何故か指が迫ってくる気配も無い。
その後、突如上方への浮遊感とともにビルが傾いた。
机やら人やらが下方に向かって転がっている。
いったい何が起きているのか。

「えへへ、大成功〜」

笑顔で言う妹。
足は持ち上げられ、その指先にはあのビルが挟まれていた。
妹は足指でビルを地面から引き抜いたのだ。
土台部分と下層部は崩れ地面に落ちてしまったが、上層部はなんとか形を保ち、指の間で安定していた。

「でもちっちゃくて…加減が難しいなぁ…」

当然ではある。
200メートルあると言ってもそれは高さに限った話であり、その幅は約7、80メートルほどしかないのだ。
8ミリほどの砂細工を足指の間に潰さぬよう挟んで持ち上げるというのは微妙な力加減が必要である。
そのため指はプルプルと震え、その振動でビル内は強烈な振動に襲われていた。
そして意識もその行為に、その部位に注がれ、他のことへの注意は散漫となる。
片足立ちになって、持ち上げた足の指先に意識を集中していた妹はバランスを崩した。

「あっ! ああ…!」

ぐらりと体勢を崩し倒れそうになった妹は、バランスを取るために無意識のうちにビルを挟んでいない足、
地面に着いていた足でピョンと一歩踏み出した。

 ズドオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!

全体重を乗せた片足が着地した際に生み出した衝撃波はそこにあったビル群をあっという間に吹き飛ばし、そこに大きなクレーターを作った。

「あっ、あっ、あっ!!」

 ズドオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!

 ズドオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!

 ズドオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!

それでもバランスを取りきれなかった妹はピョンピョンと前に向かって跳ねていく。
周辺の建物はその振動と衝撃波で残らず瓦礫と化した。指の間のビルも既に粉々にすり潰されていた。

「あ、あ! も、もうダメ!」

 ズウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウンンン!!!

その後、なんとか体勢を立て直そうとした妹だが、ついにはバランスを取りきれず盛大に尻餅をつくこととなった。
それまでの振動に辛くも生き残っていた人々は、天から山よりも大きな巨大な尻が落ちてくるのを見た。
数千メートル以上の上空から雲も大気も押しのけて落ちてくるスカートに包まれた巨大な尻は、隕石と見間違う迫力であった。
やがて少女の尻は、そこにあった山も川もビルも家々も車も人々も全てを押し潰し、地面をも吹き飛ばした。
生み出された衝撃は、半径数十キロメートルの範囲を瓦礫の舞い散る無人の荒野と廃墟へと変えていた。

「イタタ…」

辺りを覆う、高さ数千メートルまで舞い上がった砂煙の中からぬうっと巨大な腕が現れ、荒れ果てた大地に手を着き、
もう片方の手で核爆弾の噴煙に匹敵する砂煙をあっさりと払いのけ、妹はゆっくりとその巨体を起こした。
周囲を見渡してみたが、そこに広がるのは赤茶けた大地のみ。
先ほどまでのビル群や住宅街など跡形もなかった。

「あ〜あ。ま、いっか」

街の一つや二つ消えたところで問題は無い。
狭い日本と違ってこの国にはもっとたくさんの街があるのだから。
新しい街ですることを考え、妹はにんまりと笑みを浮かべた。

とりあえずは靴を履くとしよう。
ハンカチで脚に付いた水気と汚れを拭いた後、靴下を穿き、持ってきたローファーを履いた。
靴と足をかみ合わせるために、立ち上がり、靴のつま先で地面をトントンと蹴る。
この行動で起きた振動で周辺の瓦礫は30メートル以上も宙に放り出されたという。

そして妹は歩き出した。
素足の時と違い、ローファーでは家やビルを踏み潰しても何も感じなかった。
大陸を進行する途中、いくつかの街を横断したのだが、サクッと言う感触すら乏しい。
ふと振り返ってみれば、ビルや道路で灰色に見える街の中にはローファーの後がくっきりと残されている。
足跡の周辺ではビルが足跡とは反対の方向に向かって倒れていた。
衝撃波で倒されたのだろうか。
そしてその足跡は自分が歩いてきた地平線の彼方まで左右交互に続いている。
この足跡ひとつひとつの周辺では何万人という人々が慌てふためいていることだろう。
自分のたったひとつの足跡に何万人…。クスッ、小さすぎる。
妹は自分のローファーに目を落とした。
彼らから見て巨大なこのローファーは、妹から見て卑小なたくさんのビルを踏み潰している。
もしも彼等がこのローファーを持ち上げるとしたら、いったいどれほどの人数が必要なのだろうか。
何万人では足りまい。何十万、何百万、へたをしたら小さな国の国民全員を引っ張り出すくらいの人数が必要かもしれない。
何百万人もの屈強な男たちが、たかが女の子の片足分のローファーを持ち上げるために汗水を流し、命を懸けるのだ。
身体中の筋肉が痙攣し、必死の思いで持ち上げられているそのローファーも、
自分が靴を穿くために足を滑り込ませば簡単に地面に着いてしまうだろう。
そして、無数の男たちを踏み潰したことなど気付きもしない自分は、彼等を靴の裏に貼り付けたまま何気なく学校へと向かうのだ。
笑ってしまう。
だが例え何百万人集まろうと持ち上げられるかどうかは疑問だ。
今の彼等の身長は大体0.2ミリ弱。
そんな彼らから見るローファーは長さ約2500メートル、幅も1000メートル近くあり高さも500メートルほどはあるだろう。
ほとんど山のようなものだ。
人間に山を持ち上げるなんてことができるはずが無い。
逆に考えると自分は山を履いて歩いていることになるのか。

と、思考に浸っていた妹の目に止まるものがあった。
それは高さ150メートル程のビルのようだ。
周辺に高層建築物がないために、そのひとつだけが一際目立っている。
妹は、そのビルに向かって手を伸ばした。


ビル内の人々は大パニックに陥っていた。
山よりも巨大な手がこのビルに向かって降りてくるのだ。
人々は我先にとビルを降りていったが、彼等が一階層下るよりも手が下りてくるほうが速かった。
巨大な人差し指と親指が現れ、このビルを左右から挟みこむ。
ビル全体がミシミシと悲鳴を上げた。
妹からしてみれば、さきほど足の指でやったことよりはるかに簡単なのでそこに迷いなど無かった。
あっさりと地面から引っこ抜かれたビルは1万メートル上空まで連れ去られそのビルほどの大きさの巨大な目に覗き込まれた。
まるで湖のような大きさの目がしげしげとビルを観察している。
だがこの時にはすでにビルないの人々は突然の気圧の変動、ここに来るまでの強力なGで全員死亡していたが。


「中の人は何しているのかな」

妹はすでに無人となったビルに向かって独り言を呟いた。
それにしても、分かっていたことだが、高層ビルのなんと小さいことか。
自分の指の爪の長さとほぼ同じくらいだろうか。
その自分の指先の間に窮屈そうにはさまれたビル。
滑稽を通り越してあきれてしまう小ささだった。

 クシャ

妹は指でビルをすり潰した。
指をこするとビルの破片がさらさらと地面に降り注いでいく。

そして指からすべての破片が落ちると妹は足元の街のことなど気にもせず再び歩き出した。


 * * * * *


それから暫くして。
妹は靴を脱ぎ、靴下の状態で歩いていた。
ローファーでさくさく進むのも悪くは無いのだが、やはり感触がないというのはさびしい。
いつもは素足なので今回は靴下で歩いてみることにした。

街を踏み潰したときの感触は素足で感じるものよりも小さいが、
指の間や土踏まずなどの隙間が埋まるため踏みつけた場所を余すところなく潰すことが出来る。
それに面白いのは小さな家や車が、靴下の網目の隙間を通り抜け肌に触れてプチっとなるのがより一段と感じられるのだ。
先ほどつい面白くなって街一つを完全に踏み潰して回ってしまった。
瓦礫すらもなくなり完全に灰色の更地になった街を見てちょっとやりすぎたかなと思う。
が、周囲を見渡せば同じ様に街である灰色の地面がちらほらと点在していた。
やりすぎなんてことはない。
もっともっと好きなことが出来る。
もっともっと楽しむことが出来る。
やりたいことはみんな試してやろう。

思いっきり走り回ってやった。
高さ300メートル以上の高層ビル群が道の石ころの様に宙に放り出されていた。
雲は蹴散らされ、自分に引っ張られた空気が暴風になって地面の上のものを引っぺがしていった。
富士山よりも高い山を簡単に飛び越えてやった。
着地に失敗して山の上に尻餅をついたときもあった。
その山は潰れて逆に盆地になった。
等間隔に灰色のビル群が点在しているところがあったので、ビル群の上をケンケンパして渡った。

地面に足を着くたびに靴下の穴の間から小さな家や車が飛び込んでくるのが分かる。
多分、靴下の中に砂粒が入るのと同じ感覚。
でも砂は潰れたりしない。
この潰れて弾ける感覚は、これが家や車だからこそ味わえる感覚なんだ。
世界でただひとり、自分だけが味わえる感覚なんだ。
心の中に優越感がむくむくと沸いてくる。

誰もあたしを止められない。

 ズウウウウウウウウウン!!

止められやしない。

 ズドオオオオオオオオオオオオン!!

一歩一歩わざと力を込めて地面を踏みしめた。

あたしはただ歩いてるだけ。
簡単に潰れるみんなが悪いんだ。
小さいみんなが悪いんだ。

 ズシイイイイン!

悔しい?
やめて欲しい?
ダメだよ。あたしはもっともっと遊びたいの。

 ドシイイイイン!

自分たちは何も悪い事はしてない?
こんな事をされる理由はない?
うん。そんなことはどうでもいいの。ただあたしが楽しければ。

 ズウウウウウン!

小さなみんなが作った街を踏み潰すのはとっても楽しいよ。
何十年もかけてやっと作り上げたんだよね。
それでも、あたしの一歩分の楽しみにしかなれないの。

 グシャアアア!

このビルもそう。
きっと何年もかけて作ったんでしょ。
でもあたしが踏み潰すのには0.1秒もいらないんだ。

 ズシン!!

こうやってあたしが一歩歩くだびに何万人って人が潰れてるんだよね?
今日は何歩歩いたかな。
いったい何百万人踏んじゃったのかな。

 グリグリ!

悔しいんでしょ?
やめて欲しいんでしょ?
じゃあ止めてごらんよ。

 バキバキバキ…

ほらほら。
早く止めないとどんどんお友達が潰れていっちゃうよ。

 ズドオオオン!

あ、この小さいのは学校かな。
でもあたしの足幅よりも小さいね。
そんな小さなところじゃ何も学べないよ。

 グシャリ!

ここは住宅街だね。
1ミリもない小さな家がビッシリ。
こんなの足の親指だけでも十分だね。

 プチプチッ!

わぁ広〜い!
ここは牧場かな。
きっとたくさんの動物たちがいるんだろうな〜。
でもごめんね。
ここを歩くからね。

 ドオオオオオオン!

あれ?
もしかして今踏んだのは野球ドームかな。
どうしよう…。お兄ちゃんが今日の試合楽しみにしてたのに…。

 メキョ…!


と、気が付けば随分と歩いていた。
後ろには自分の起こした無数の大災害の跡。
そして上を見れば太陽も結構高い位置に上っていた。

「ふぁ〜…」

ビルさえも簡単に飲み込める大口で欠伸をする妹。
海を渡ったりなんだりと、ちょっと疲れた。
虚ろな瞳で周囲を見渡すと、少し歩いたところに芝生のような緑色の地面がある。
近寄って見てみると、それは山のふもとに作られた、森と半融合した広大なゴルフ場の様だ。
自分の身体が入るほどの広さは無いが、ビルや荒野の上に横になるよりは服も汚れないだろう。
妹は近くにある小さな山を枕代わりにしてそのゴルフ場の上に横になった。
やがて周囲には規則的な寝息だけが轟いていた。


 * * * * *


100ホール以上もある広大なゴルフ場をベッド代わりに眠っている超巨人。
仰向けになり、両の手はおなかの上に置かれ、片方の脚は投げ出され、もう片方の足は膝を折り曲げ山の様にそそり立っている。
巨人はこの街に来てすぐ眠ってしまったので、このゴルフ場周辺はまだ大きな被害は被っておらず、故に多くの住民が避難できていなかった。
これまでの情報も眉唾物であったが、現物を見ると、それがいかに非現実的な存在か理解出来る。
黒いニーソックスを履いている折り曲げられた脚。それが山よりも大きいのだ。
遠くの街からは、山脈の向こうに更に大きな脚の山として見えていた。
周辺には雲が漂っている。
馬鹿な。アレが人間の脚か。
人々は、目の前の非現実的な光景をよく理解したうえで、現実が理解できなかった。
なんだよあれ。これからどうなるんだよ。

が、理解出来ないものは巨人の存在だけではなかった。
一部の集団がその巨人に向かって行ったのだ。


 * * * * *


「で、でかい…」

ひとりの男性が巨大な脚を見上げながら言った。
彼、もとい彼等は、説明するまでも無いがこの手の性癖を持つ人間である。
妹が眠ったのを見計らって近くまで寄ってきたのだ。
投げ出された長く巨大な脚は街を二分し、往来の出来ぬ超えられない壁として存在している。
足は踵を下にして立てられているのだが、当然だが周辺のいずれのビルよりも高い。
踝の高さにも達していない。
今の妹の足は単純計算で100メートルのビルの23倍の大きさなのだから。
その100メートルのビルの最上階までエレベーターで上るとしたら大体数十秒はかかるだろう。
ではこの巨人の足の高さをエレベーターで昇るとしたらどれほどの時間がかかるのだろうか。
100メートル階層までのエレベーターの詳しい時間は分からないので仮に1分としよう。
それだけでも23分はかかる計算だ。
23分かけてやっと、あの足のつま先まで行けるのだ。
たかが少女の足を登るのに、文明の利器を使用しても23分かかる。
自分たちは、どれだけ小さいのだろう。

心地よい屈辱感に包まれていた男を、仲間が現実に戻した。

「おいおい、妄想に浸るのもいいけどよ、今は目の前の本物に触れようぜ」
「ああ、悪い」

数名の男たちは空を仰いだ。
そこには黒いニーソックスに包まれた巨大な指が、つま先が鎮座している。
今彼等は立てられた足のつま先の前にいるのだ。
周辺のビルは既に瓦礫と化し、自分たち以外に人がいるとは思えない。
すべてこの巨大なつま先がやったのだろう。
大きい。
小指でさえビルより大きい。
この指と比べたら、自分たちは砂粒にも劣る小さな存在だ。微生物以下かもしれない。

「じゃあとっとと行こうぜ。急がないと巨人が起きちまうぞ」
「うむ。みんな、準備はいいか?」

男が見渡せば、周囲の数名が力強く肯いて答えた。

「よし…、行くぞ!」

彼等は、この巨大な足に登るためにやってきたのだ。



ニーソに触れることが出来るほどまで近付いた一同。
100メートル以上ある指先の前は薄く影になり、少女の足の甘い匂いが漂っていた。
だがこの匂いも、今は最高の媚薬であり麻薬だ。
自分たちに力をくれる。
正面にはニーソの壁。
と言っても、自分たちから見れば巨大すぎるニーソは、繊維1本1本が巨大な綱のようなものだ。
その合間を抜けて、簡単に内部に入ることが出来る。
男たちはその繊維の綱を手に取った。
目指すは100メートル上、指の上である。
命綱などない。己の身体にすべてを託す。
何故登るのか? そこに巨大少女のつま先があるからさ。



小一時間も経っただろうか。
彼等はやっと巨人の指の上に到達しようとしていた。
たかが100メートル超のクライミングだが、命綱などなく、またたまに身震いをするその断崖を登るのは生半可なことではない。
巨人の指が少し動くだけでそれは揺れ幅10メートルを超える大地震なのだ。
靴下の繊維と自分の体をしっかりと連結し、即席の命綱を根限り握り締めなければあっという間に高度数百メートルの空宙に放り出されてしまうだろう。
たかが少女の身震い、無意識に動かされた指先の動き一つに命運を左右されるとは…。
心地良い。これこそ我々が望んでいた感覚。
不可侵にして無敵の存在。これこそが巨大娘の真髄。
頂上付近に近付くと段々と勾配も緩やかになり随分と上りやすくなった。
先頭を行く男は後ろを振り返り、一人も脱落者が出ていないことに安堵する。
後から上ってくる者に手を貸し、一人、また一人と頂上に到達する。

そして彼等は頂上に立った。
紺色の靴下の平原の向こうは高さ数百メートルの断崖。
その平原の向こうには生き残っている高層ビルがちらほら見えるだけで、あとは青い空だけが視界に広がっている。
もちろん、これは少女の指の上を頂上として見た光景だ。
振り向けばそこにはこの指など問題にならないほど巨大な脚の山が見える。
脚は途中で雲を貫き、その雲の向こうには日本の霊峰富士の如く聳える少女の膝がある。
自分たちの立っているところなど、少女にしてみれば足下に過ぎない。
我々にとっての頂上など、指の動き一つで超えてしまえる高さなのだ。

「苦労して上ったというのに、まだまだ先があるな…」
「だけどこれ以上時間をかけると…」
「分かってる。巨人が目を覚ます前に下に降りよう」

彼等が帰路に着こうとした瞬間だった。

突然世界が変わった。


強烈な重力が発生し彼等をまるで蛙の様に足場へと押し付け、それに伴い足元の繊維が一瞬にしてより太くなり、
数人の仲間が大きくなった繊維の隙間に落ちていった。

「ッ…!?」

時間にして0.1秒にも満たない。本当に一瞬の出来事だった。
何かが起こった。

「な、何が起こった!?」
「おい…、さっきまで見えてたビルがないぞ?」
「ほ、本当だ…。ぐっ…、そ、それになんだか…息苦しい…」
「何人か隙間に落ちたぞ! それに隙間が大きくなってる!?」
「俺たちの立ってるこの繊維もだ…。まさか…!?」

男は指先の方へと走った。
それは先ほど上ってきたときよりもはるかに長い距離。
予感がだんだんと現実味を帯びてくる。
そして彼は、指の先から絶壁を見下ろした。

そこには、先刻よりも遙かに高くから見下ろされる光景が広がっていた。


「き、巨人は、更に大きくなったのか…」

先ほど彼等が見ていたビル等は、遙か下の方へと移動していた。
小さい。飛行機から見下ろした様なそれは、まるでミニチュアのそれの様だ。

さっきと同じ様に振り向けば、そこには先ほど以上に巨大な脚の山が鎮座している。
あの貫かれていた雲など、完全に散らされ、もう跡形も残っていなかった。
彼のもとに仲間が駆け寄ってきた。

「ハァハァ、く、苦しい、い、いったいどうなっちまったんだ!?」
「…巨人が、巨大化したんだ」
「なんだって!?」
「見ろ、この光景を。街があんな下にある。推測すると…先ほどまでの10倍の大きさだ」
「10倍…。ちょっと待ってくれよ。さっきまででも10000倍の大きさだったんだぜ!? じゃあ今は…」
「ああ。今の巨人は俺たちの100000倍くらいの大きさだろう…」
「10万倍って…! そんな、俺達はどうなる!」
「先ほどまでのこの指の高さは200メートル弱…。なら今は2000メートル弱ということになる。
 苦しいわけだ。空気だって薄くなる」
「2000メートル…。たかが指の高さで2000メートルだと?」
「どうすんだよ! 2000メートルなんて降りられないぞ!!」

吹きぬける風が痛い。
そうだ。2000メートルといえば山の高さに匹敵する。
なんの対策もしていなければ、その気温と気圧、自然環境すべてが牙をむく。
しかし降りようにもそのためには2000メートルの断崖を命綱無しで降りなくてはいけないのだ。

「おい!」
「…俺達が指を下り終わるまで、巨人が起きないとは思えない。
 そして起きて歩き出せばこの指は時速何十万㎞の速度で動き出し、今よりも遙か上空に上ることもあるだろう…」
「それじゃあ…」
「——ああ…」



「もう俺達は助からない…」


 * * * * *


「う〜ん…」

目をこすりながら上体を起こした妹。
やっぱり昼寝は良い。特にお日様の下での昼寝ともなればその心地よさも格別だ。
目をこすり終え欠伸をしながら目を開いた妹だが、眠る前と見える景色が少し違う。

「あれ?」

雲が自分の足下の高さを漂い、高層ビルを抱えた街が砂粒の集まりの様に小さくなっている。
自分が寝転がったゴルフ場など尻の下で完全に押し潰されていた。

「また寝てる間に大きくなっちゃった」

もう一度欠伸をすると、ゆっくりと立ち上がり辺りを見渡した。
無数の街が自分の周りにあるが、ここまで大きくなってしまうとそれらを踏み潰しても何も感じられずあまり楽しくは無いのだ。
最寄の街を靴下を履いたつま先で踏み潰してみたがそこに街があったなどとは感じられなかった。
ただ地面を踏みしめただけ。
恐らく無数のビルがこの靴下の縫い目を抜けて足指に触れたのだろうが砂粒ほどの大きさのビルが触れたところで意味は無い。
先ほどまでとは違い、今の大きさでは触れた車や家がプチプチと潰れる感触を味わうことはできないのだ。
ビルは指に触れた瞬間サラサラと砕けただの砂に戻ってしまうからだ。
小さな彼らにとっての砂粒なんて、自分から見ればどれほどの小ささなのだろうか。
あまりにも小さすぎて比較するものが思いつかない。
あたしにとっての砂粒であるビルに出入りする小人にとっての砂粒…。
100メートルのビルがあたしから見たら1mmとしてそこに出入りする小人は0.02mm。
小人にとっての砂粒の大きさは1mmとして10万分の1は0.00001mm。
0.00001mm…。
よく分からない。
どれだけ小さいのかもわからない。
でもいいや。どうでも。
この大きさになっちゃったら後は踏み潰して遊ぶことしか出来ないし。

「さぁて、どうしようかな」

ただ踏み潰すにしても何か趣向は凝らしたいところ。しかし特に良い案はない。
なら名案を思いつくまでの暇潰しにと、とりあえず街を踏み潰しながら散歩することにした。

 テクテク

たくさんの街が潰れていることだろう。
だけど何も感じない。ただ歩いているだけという感じ。
例えるなら砂浜を歩いている感じだろうか。いや、砂浜の砂粒の感触さえない。
これは、そう、まるでケーキの上を歩いているような…。
妹の考え得る一番柔らかくふかふかなもののイメージはケーキであった。
真っ白い生クリームと赤いイチゴで彩られたまぁるいケーキ。

「あぅ…おいしそう…」

思考の内容はいつの間にか別のことを考えていた。
妹の口の端から垂れたよだれの一滴が足下にあった小さな街を壊滅させた事は言うまでもない。
そーんな妄想に思いをめぐらせながら歩いていた妹だがふと立ち止まった。
そういえばさっき転んで尻餅を着いた時、まるで水面の波紋の様に土砂の津波が広がっていった。
近くの街は尻を着いた瞬間に発生した衝撃波で吹き飛んでしまったが少し離れた街は衝撃波ではなく土砂の津波に飲み込まれ消えた。
あれはなかなか綺麗だった。面白かったし。
もう一度試してみよう。
妹は後ろに向かって倒れ、盛大に尻餅を着いた。
その瞬間まずは強烈な衝撃波が発生し、周囲の街を吹き飛ばした。
あとは津波の発生を待つだけだ。
予想通りの展開に笑みを浮かべる妹。
—だが、一つだけ誤算があった。
それは1万倍の大きさだったからこそできたのだ。10万倍の今では起こる結果はまるで違う。
強烈な衝撃波は発生した。やがて土砂の津波も発生するだろう。
だがその前に、今回は幅40キロメートル以上もの超巨大な尻が衝突したのだ。
衝撃の波が街を消し飛ばすよりも前に、地伝いに伝わった振動が街を一瞬で塵にしていた。
そしてその衝突のエネルギーは妹の体重と大きさも加味されて強大なものであった。
単純な計算で大きさは先ほどの10倍。
しかしその質量は100倍だ。重量もそれ相応に増す。
街を振動で塵にした。
それは尻が地面に着弾してから、次の災害のステージに進むまでのほんの、ほんの一瞬の間の出来事でしかなかった。
コンマ数秒。すでに周囲は更地になっていた。
そしてその巨大な尻は着弾してもその勢いを衰えさせることなく、周囲の土砂や街や山を吹き飛ばしながら沈下していった。
何千メートルも沈下してようやくその巨大な尻は止まった。
今度は発生した衝撃波がすべてを吹き飛ばす番だ。
捲り上がった大地が衝撃の波に押され、周囲に聳える標高5000メートルの山脈さえも飲み込むほどの巨大な土砂の津波を作り出した。
妹はその光景に目を奪われていたが先ほど見たような綺麗さは無かった。
巨大過ぎる津波が飲み込む街は小さすぎてつまらない。というより良く見えない。
その津波の発生源の中心にいる自分からはその津波の向こうは見えないのだ。
土砂の波はどんどん自分から離れて行き、その後には茶色いむき出しになった大地だけが残された。
その津波が広がっていく様はまるで花が開くようであった。
自分を中心に蕾がどんどん大きく花弁を広げていく。
津波が街を飲み込む光景は見ることが出来なかったが、もっと良いものを見ることが出来た。

「きれい…」

大地に妹を中心とした大きな花が咲いた。

花が咲ききったとき、州がひとつ消滅していた。


 * * * * *


その後、立ち上がった妹はお尻をはたくと散歩を再開した。
ここは狭い日本と違って大地に自然が多く、森や山がたくさんある。

「日本には富士山の他にこんな大きな山ないしな〜」

頂上付近に雲がかかった山をかかとで押し潰しぐりぐりと地中にねじ込む。
足をどけてみればもう山などどこにもなく、ただ掘り返された土砂だけが周囲の街を押し流していた。
無数のビルが自分が気まぐれで起こした土石流に飲み込まれていく様が妙に印象に残った。

だが天然の山では小さ過ぎて土石流の発生から都市を飲み込むまでがあまりにも短い。
こういう遊びはタメがあるから面白いのだ。
それならどうするか。

「…」

もっと高い山を作ろう。

妹は別の都市に歩み寄ると膝を着き都市の横に土を盛り始めた。
都市周辺は荒野のようだ。土がふんだんにある。
幸い地面は硬くないので素手でも作業は順調に進んだ。

 ***

都市の人間は絶え間ない地震と恐怖に狂い上がっていた。
雲よりも高い位置から山よりも大きな手が大地を掘り返しこの街の横に集めているのだ。

 ズウウンズズズズズズウ!!!

グラグラと大地が揺れる。
また手が下りてきたんだ。
今度は街に大分近いところに降ろされたらしい。
ここからでもその光景が良く見える。

この距離からみたその手は本当に巨大だ。
あの指のなんと長いことか。
雲を貫いて大地に突き立てることも出来るだろう。
あの爪のなんと広大なことか。
街の一区画以上の面積があるだろう。

降りてきた手が大地に触れた。
しかしそこで止まらない。留まりはしない。
まるで何にも触れていないかのように、それが泡であるかのように易々と地面に指を滑り込ませてゆく。

地面が揺れる。
倒壊する建物すら出始めている。
やがてあの巨大な手は大地をごっそりと掬い取ってあの作られた山へと運んでいった。
手の上にあった土砂は、天然の山の体積と同じくらいあっただろう。
つまりは山を片手に乗せてしまえるということだ。
手が土を持ち去った後、そこには奈落に通ずるのではないかと言うほどに深く、広大な大穴が残された。
街の周辺の地形は、この数分間で数万年かけても及ばないほどの天変地異に見舞われたのだ。
手は山の上に土を落とすとそれを固めた。

 パン! パン!

その振動で山に近い高層ビルは倒壊してしまった。
ビルの倒壊に巻き込まれなかった人もその突然の爆音に吹き飛ばされ生き残ったビルや地面に叩きつけられた。

これらの作業は何度も何度も繰り返され、気が付けば街の周辺には深さ数千m幅数千mという地球の地殻、自転にさえ影響を及ぼしそうな大穴がいくつも現れ、一方で標高3万メートルにもなりそうな超巨大な山が作られていた。
その巨大な山の向こう、更なる高所から満足そうにこちらを見下ろす巨大な少女。

「できたー! よぉし、いくよーっ!」

巨人は再び大地から土を掬い取ると今度はそれを手で握り始めた。
それはまるで砂場の子どもが土団子を作るかのような。ホクホクとした笑顔でおままごとをする女の子のような。
だが違うだろう。
我々から見ても、あの巨人がそこまで子どもには見えない。
それにこれから起こる事はとてもおままごとで済まされることでもない。

やがて巨人は山の頂上付近に土団子を置き、

「いきま〜す!」

手を離した。

その瞬間、地上のどんな物体よりも速い速度で下り落ちてくる直径8000メートルの超巨大な土団子。
それは道を違えることなく真っ直ぐにこの街へ向かってくる。
あの巨大さもあいまってそれは一瞬にして目の前に来ていた。
山のふもとのビルが、あの土団子と比べても砂粒だ。
これではビルなどなんの意味もなさないだろう。軌道をそらすことも。威力を削ぐことも。
この街のすべてが、ただあの土団子に潰されるに過ぎない存在なのだ。

ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…ゴゴロ…ゴロゴロゴロ…!!

街の住民の誰かの予想通りビルは何の抵抗もなく潰された。
それ以下の大きさのものは、ビルの様に地面にその欠片を残すことすら、許されなかった。

 ***

土団子は街を蹂躙し、その半分を過ぎたあたりで停止した。
ここでふと気付く。
自分は団子で街を押し潰したいのではなく自分の起こした土の津波、土石流で街が飲み込まれてゆく様をゆっくりと観察したかったのだ。

「間違えちゃった。もう一回…」

妹は街の上で停止した団子を遠くへ放り投げると再び地面から土砂をすくい上げ山の上からばら撒いた。
山一つ分の土砂の巨大な土石流はすでに廃墟になりかけている街に追い討ちをかけに行くように山を下ってゆく。
団子の蹂躙にも耐え生き残っていた人々はビルほどもある無数の大岩が自分たちに向かって降り注いでくるの見て、
傷ついた身体を引きずりながら山の反対側へと逃げていった。

妹はその様子をじっと見つめていた。
自分の落とした砂はサラサラと山の斜面を下り街へと近付いていく。
頂上付近に振り落としたので麓に辿り着くまで少し間があったがそのお陰でじっくりとその様子を見つめることができた。
斜面を下る大量の土砂は陽光に照らされキラキラと光りまるで流れる水面の様だ。
やがて土砂は街へと辿り着いた。
大量の建物や車が砂に飲み込まれていくのが想像できた。
自分の目からでは小さすぎて細部まで確認することは出来なかったが。
砂はまるで街の色を塗りつぶすように奥へ奥へと侵攻していった。

あっという間に街の大半は砂に飲まれた。
飲み込まれなかった区画も度重なる振動と飛来する岩石によってめためたに破壊され未だに無事な建築物は元の何割にも満たない。
土砂が完全に停止したのを見届けると、妹は、街の砂に飲み込まれなかった区画を踏み潰し次なる街へと歩いていった。


 * * * * *


あれからいくつの街を踏み潰して回ったことだろうか。
辺りを見渡してみればほとんどの街や村に巨大な足跡が付いている。
だが街を潰して歩くのはもう飽きた。何か別の面白いものは無いだろうか。
キョロキョロと周りを見ながら妹は無意識に街の蹂躙を続けた。

しばらく行くと目の前に大きな街があることに気付いた。
これまでの街と比べてもかなり大きく、恐らくはこの国でも最大級の街なのだろう。
街の全てを潰すのは時間がかかりそうだ。

しゃがみこんで様子を見てみれば無数の高層ビルがビッシリと敷き詰められていた。
その中でも一際大きなビルが一つ、妹の目に止まった。
大きいといっても妹から見れば5mmといったところか。
だがその実500メートル。
普通の人から見れば天にも届かん高さだろう。
妹はこの巨大な都市に踏み入り、そのビルへと近付いていった。
そしてビルの前に跪き、そのビル周辺の建物を手や指で皆払いのけた。
あっという間にそのビルの周辺数キロメートルは無人の荒野となった。
そのビルをそっと摘み上げ、もう片方の手の人差し指の腹の上に置いた。

「あはっ! かぁわいい〜!」

人差し指の上にちょこんと乗せられた500メートルのビルはまるで米粒の様に小さかった。
その小ささには愛くるしさすら感じられる。
あまりに可愛すぎて…。

 パクッ

食べてしまった。
500メートルのビルなど妹の歯の大きさにも及ばない。
一瞬の内に砕けて唾液と共に飲み込まれた。

「ゴクン。あはは、やっちゃった〜」

妹はお腹を撫でた。
もしもあのビル人がいるとしたらそれは何百人、何千人と許容できるだろう。
しかしたかが数千人ではただの一口。つまみにもならない。

「ふ〜っ」

口をすぼめ街に息を吹きかけてみれば無数のビルがパタパタと倒れてゆく。
あるビルなど地面から剥がされはるか遠くへ吹き飛ばされてしまった。
次にビルの密集している場所を見つけ人差し指の腹をゆっくりと押し付ける。
1、2mmのビルは指に触れた瞬間にはかなく崩れていった。
最後、妹は拳を握り天高く振り上げるとその街に振り下ろした。
8キロメートル超の大きさの拳は街に触れると巨大なクレーターをつくり、街のまだ無事だった他の全てのビルを倒壊させた。

立ち上がって街を見下ろしてみれば、灰色の街の模様が綺麗な茶色いクレーターで侵食されていた。
まるで月食の様にはっきりと丸く吹き飛ばされたのだ。

「あ〜、すっきり」

ふぅ ため息を一つ。

「ん〜…、そろそろお家に帰ろうかな」

ゆっくりと首をめぐらせ日本の方向を確認する妹。
その途中でふと目に止まるものを見つける。

「?」

少し離れたところだが、そこは地面が見渡す限り真っ白に染まっているのだ。
なんだろうと近寄ってみれば、まるで雪原の様な大地が10万倍の自分から見ても広大な範囲に広がっていた。
ゆっくりと足を踏み入れて見ればその白いものはフワリと自分の足から離れてゆく。
なるほど、これは雲だ。
凄まじいほどに大量の雲がこの地域を覆っているのだ。

「わぁ! きれ〜い」

妹はソックスをはいた足で雲海の中を歩いてった。
雪原に足跡を残すように雲に穴が出来てそこから大地が覗く。
振り返れば船が通ったあとのように雲の波が左右に分かれている。
これは楽しい。そしてなんて幻想的なんだろう。
妹は雲の平原をスキップで横断していった。

だが暫くして自分の足が湿ってきていることに気付き、手でその雲に触れてみるとその雲が雨雲であることが分かった。

「これぜーんぶ雨雲なんだ…」

一面を覆う雲。
しかしなんて広大な範囲を覆うのだろう。
もしかするとただの雨雲ではないのかも知れない。

「あ、これがお兄ちゃんの言ってた『ハリケーン』なのかな」

ジッと目をこらして足元の雲を観察してみると、その雲がかなりの速度で流れているのが見えた。
恐らく地上ではこの雲はとんでもない猛威を振るっているのだろう。
しかし人が自然災害を止める事は出来ない。
なら自分が止めてあげよう。
妹はキョロキョロと辺りを見渡し目的のものを探した。

「…」

だがいくら見渡せど見えるは雲の平原そればかり。
どこにも『台風の目』は見つからなかった。

「日本の台風にはちゃんと目があったけど、外国の台風には目がないのかな」

以前妹は巨大化して台風の目に入り、台風の向きと逆回転して台風を打ち消すという荒業をやってのけたのだ。
しかし目の前の台風には目が見えない。
広大な範囲を覆うこの嵐は複数の竜巻によって構成されていて日本の様にはっきりと台風の目は形成されていなかったのだ。(ご都合理論)

「どうしよう…」

目がなければあの方法は使えない。
目を探すにしてもこの嵐を端から駆逐するにしても時間がかかり過ぎて被害は増すばかり。
ならばどうするかと思考をめぐらせた妹はそれから数秒後に解決策を思いつく。

「いっくよー」

その瞬間妹は凄まじい光に包まれた。
この光は、妹の大きさが変わるときに発せられるもの。
しかし、大きさを変えていったい何をしようというのか。

そしていつもの通りあっという間に光は消えた。
そこには妹の姿が……ない。
前にも後ろにも、右にも左にも、上にも下にもどこにも妹の姿は見えない。
妹はどこへいったのか。
その時である。

「大成功ー! やったー」

あまりの音量に地球が震えた。
その地軸がずれるほどに。

「あー…、あの台風はこの大陸の半分を覆っちゃうくらい大きいんだね。それならこの解決方法で大正解」

世界中の人間が耳を抑えた。
山は崩れ、海は荒れ狂い、人々は地面から投げ出されていた。
その時、恐ろしいことが起こった。
なんと世界から空が消失したのだ。
その大陸にいた人間は誰しもが首をひねり考えた。
何故急に陽光が途絶えたのだ?
何故急に夜になったのだ?
何故急に空が黒く染まったのだ。
誰も理解は出来なかった。

答えは、大陸の上空が妹の足で覆われたからである。

靴下に包まれた長さ23000キロメートルの巨大な足裏が大陸の上に現れたのだ。

「今の大きさは1億倍。くすくす…今のあたしはこうやって片足で大陸を覆えちゃうくらい大きいんだよ」

なんと妹は1億倍の大きさに巨大化していた。
その巨大な足裏は大陸全体を覆ってあまりある。土踏まずから先だけでも十分なくらいだ。
しかし、何故そんなに大きくなる必要が…。

「ちょっとずつ潰すのは面倒だからね、丸ごと潰しちゃうことにしたの。これなら時間もかからないでしょ」

なんと、妹は台風を潰そうというのだった。
超巨大な足裏がゆっくりと降りてくる。
大陸の人々は右へ左へまさに右往左往して逃げようとしていた。
しかし長さ23000キロメートル、幅8000キロメートルの足の下から逃れられるはずなど無い。
この大陸よりも大きいのだから。
日本の北海道の上から沖縄の下まででも3000キロメートルほどなのだ。妹の足幅にも遠く及ばない。
今の妹の感覚からすると日本は最長約3㎝。足の親指ひとつで、簡単にその大半を潰してしまえる。
妹は大陸の人々に放しかけた。

「待っててね。今台風を消してあげるから」

それは同時にこの大陸の消滅を意味するのだが。
ぐんぐんと降りてくる足裏。
大気は押しのけられ、別の大陸に突風として襲い掛かった。
そもそも今妹はどうやって立っているのだろうか。
1億倍ともなると地球に立つことすら難しいはずなのに。
そんな疑問、今はどうでもいい。
今考えるのは、どうやって逃げるか——……それも無理な話か。

やがて巨大な足は大陸に触れた。
その上の国を、街を、家を、車を、すべての人々を呑み込んで。
足は大陸に触れたあとも沈下することをやめず、大陸はあっという間に海の底へと沈んだ。
その後、足はまるで止めを刺すかのようにぐりぐりと踏みにじるとやがてゆっくりと持ち上がっていった。
靴下から大量の海水がまるで海をひっくり返したかの様な怒涛の勢いで滴っている。
そしてそこには、遠く月からでも見ることが出来るであろう巨大な足跡が出来た。
今その足跡に滝の様に海水が流れ込んでいる。
やがてこの足跡は海水に満たされると海の底に沈むだろう。
そして皆気付くのだ。
地球から、大陸が一つ消えたことに。

「これでよし。さぁ、かえろ〜」

 フッ

妹の超巨大な身体が一瞬にして消えた。まるで最初からいなかったかのように。
恐らくは家に帰ったのだろう。今頃は兄と談笑でもしているのではないだろうか。
世界に平穏が戻った。
ひとつの大きな国を犠牲にして。
間もなく地図も書き換えられることだろう。
よく出来た地図は海底の深度まで載っているからそれを見た人は気付くはずだ。
地図からひとつの大陸が消えていることと、その周辺の大陸と比較しても巨大な足跡型のクレーターに。


 おわり