「 兄と妹2 」



翌日の朝。
寝慣れないソファで寝たせいか体が痛む。

布団をどけて体を起こし伸びをする。
ふぅ…。時計を見て見れば6時。カーテンの隙間から陽の光が差し込んできている。

あくびをしながら隣の部屋へ続くふすまを見る。開けられた様子は無い。
あいつはまだ起きてないのか…。

俺は立ち上がり、顔を洗うべくキッチンの水道に向かった。
冷水で顔を洗えばぼんやりした頭も一気に覚醒する。

タオルで顔を拭き、トースターにパンを突っ込んでインスタントコーヒーを入れる。
それを持ってソファに腰掛け、テーブルの上のリモコンを手に取ってテレビを点ける。
画面に出てきたニュースでは昨日一日の出来事がハイライトで流れている。

…だが、どんなにすごい出来事も凶悪な事件も、俺に大した衝撃を与えなかった。
そんなことよりもっと重要な出来事があったからだ。

これからを思うと頭が重くなる。
ずっとコンプレックスを感じながら生活していかなきゃならないのだろうか…。

 チン!

そうこうしているうちにパンが焼き上がり俺はそれを取るため再び立ち上がった。


   *


朝食を食べ終わったあと、何をするでもなくソファに腰掛けテレビを見ていた。
ふと目を時計に向ければ針は7時を指そうとしていた。
しかし未だ妹が起きる気配はない。
俺は今日は休みだし、あいつも学校に行っているわけではないので遅刻するといったことはないのだが、妹が来るのは急に決まったので、昨日できたことは部屋の片付けだけで俺の着替えなどを移動させる余裕は無かった。
着替えは向こうの部屋のタンスの中なのだ。
あいつが起きてくれないと着替えることも出来ない。

仕方がない、起こすか。
俺は立ち上がり、ふすまの前へいくとノックをした。

 コンコン

表面に板の貼られているふすまは高い音を立てて鳴った。

「おい、朝だぞ」

 …

しかし返事は無い。
コンコン。もう一度ノックしてみる。が、やはり返事は無い。

「……はぁ」

俺は少しだけふすまを開けて声を掛けた。

「起きろ。7時だぞ」

カーテンが閉まった薄暗い部屋の中に声を投げかけるも反応は無し、ただ、布団が上下するだけだった。

「……ったく」

俺はふすまを完全に開けて部屋に入った。
まだ換気をしていなかったので部屋の中には女の子の独特な匂いが満ちていて一瞬違和感を覚えた。
たった一晩でここがもう俺の部屋ではなくなったのを実感した。

そして開いたふすまから光が入り明るくなったことで気づいた。
妹は昨日の服のまま布団をかぶり丸くなって眠っているのだが、それでも、体のほとんどが布団からはみ出てしまっていた。
足と頭が完全に外に出ている。
妹の体は、普通の布団では丸くなっても覆いきれないのだ。

んん、もっと大きな布団買わなきゃダメだな。まだ寒いし、これじゃ風邪をひく。
俺は寝ている妹の横によると再び声を掛ける。

「おい起きろ。いつまで寝てるつもりだ」

だが妹は小さく唸ると寝返りを打って兄から顔を背けた。
寝ている妹が無意識のうちに起きるのを拒絶しているときの反応だ。これは昔から変わらないな。

俺は妹の顔に近寄るとその頬をペチペチと叩いた。俺の顔よりも一回り以上大きな顔をだ。
妹は身長が異常に伸びているというより、体がそのまま大きくなっていると言った方が正しい。
俺の手は妹の頬よりも小さく、その範囲内に収まってしまう大きさだった。

「ん…むぅ…」

妹が顔をしかめ、うっすらと目を開ける。

「やっと起きたか」

俺が呟くと顔が俺の方を向いた。

「…お兄ちゃん…?」

虚ろな瞳が俺の顔を捉える。
まだぼんやりしてて状況が呑み込めていないようだ。

だがすぐに目が見開かれ、妹は慌てて体を起こした。

「えぇ!? なんでお兄ちゃんがいるの!?」
「あっ! バ…!」

俺が止める間もなく、妹は立ちあがった。

 ズドン!

天井に思い切り頭をぶつける。
妹は座り込んで頭を押さえた。

「いったー…」
「バカ! 他の住人もいるんだぞ!」
「うぅ…ごめんなさい…」

頭を押さえたまま涙目で謝る妹。

「でもなんでお兄ちゃんが部屋の中にいるの?」
「お前がいつまでたっても起きてこないから起こしに来たんだよ」
「そ、そうだったんだ…。てっきり何かされるのかと思った…」
「するか」

そうだ。そんなこと絶対にしない。
本当なら近づきたくすらないのだから。

「昨日久しぶりに電車に乗って…。で、疲れたからぐっすり寝ちゃったんだね」

頭をさすりながら妹は言った。
そりゃそうだ。妹にとって電車は狭すぎる乗り物だ。この部屋の中と同じように座って入らなければならない。
バスやタクシーなどにいたっては利用することもできないだろう。
人の目に触れるのを嫌う妹はだからこそ真夜中の終電で俺のアパートまで来たのだ。
それでも、コンプレックスのある妹が公共の乗り物を利用すると言うのは相当な苦労だっただろう。

「…まぁいい。朝、食べるか?」
「うん、パン一枚焼いて」
「ああ。その間に顔洗って来い。洗面所はそっちだ」

俺が部屋を歩いて出ると、その後ろから妹がハイハイで這い出てくる。
フローリングの床を妹が進むと床がズンズンと震えた。

俺はハイハイで洗面所に進んでいく妹の後ろ姿を見届けたらトースターにパンを放り込んだ。


   *


顔を洗ってきた妹はテーブルの横にペタンと女の子座りで座りトーストにかじりついた。
妹の手はトーストがすっぽり収まってしまう大きさがある。トーストを摘まみ、それを二口ほどで食べ終えた。
それを見て俺は言う。

「相変わらず小食なんだな」
「うん。あんまりお腹空かない。動かないからかな」

体が大きくなり始めてからでも妹の食事の量は依然と変わらなかった。
今ともなればそれでは明らかに足りなそうであるのに。
俺の見上げる先で、妹は小さなカップを慎重に摘まみ中のコーヒーを飲み乾した。

「ふぅ、やっぱりお兄ちゃんの淹れるコーヒーはおいしいね」
「インスタントだ。俺が作ってるわけじゃない」
「でもホントにおいしいよ。お母さんが作ると甘かったり苦かったり作るたびに違うんだもん」

妹が「まったくもう」と言った感じで言う。
昔から俺が作るコーヒーはおいしいと言ってくれて俺はそれがうれしかったんだが、今は昔ほど喜べない。
妹の存在そのものを煙たがっているのか。
俺は今ソファに腰掛けているが、直に床に座り込んでいる妹よりも視線が低いのだ。
今の妹の座高は1.7mを超える。立った俺の身長とほとんど同じだった。

見下ろされているのに耐えられなくなった俺は立ち上がった。

「着替えてくる」

そう言い残し和室のふすまを閉めた。