18禁です。
過激な表現が含まれているので注意してください。



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   〜 魔王クラナ 〜

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これは一人の人間と魔王の物語。





アークシード王国。

豊かな自然に囲まれた美しい国。
小高い山々を背に置き、お陰で人々は争いとは無縁と言ってもいい程に平和な生活を送っていた。

しかし、逆にその所為で着々と力を付ける諸外国に後れを取り、王宮の抱える目下の悩みは国力の増強であった。
また山々に囲まれたこの狭い土地では長年の平和で増えた国民を許容できなくなってきてもいる。

問題は山済みだった。


更に数ヶ月前から、同じ日に数十人の人間が同時に行方不明になるという事件が続発していた。
同じ村の人間が同時にいなくなるかと思えば、まったく別の場所の人間がいなくなる事もあった。
関連性は無い。老若男女も関係無い。行方不明になった人間には蒸発する理由も無かった。
唯一の共通点らしきものといえば行方不明となったのがいずれも人目に付かぬ場所・時間で、
何者かの意図が働いているのだろうという事だけだった。

国民達の不安は膨れ上がり、国はかつての穏やかな様など見る影も無く衰退していった。
王宮の調査機関も動いてはいたが今になってもこれといった結果は出てきていない。



そんな様を見かねて一人の男が事件を調べだした。
男の名はダイン。
王宮警護の騎士の一人だった。
調査機関の調査に不満を感じた彼は独自の調査を開始したのだ。


 *****


「う〜ん…」

王宮の図書館。
俺は集めた資料を分析していた。
すると出てくる出てくる、調査を始めたばかりの資料からでも色々な事がわかった。
集団で失踪した人々は皆この王宮と城下町から離れた村に住んでいてほとんど村人全員が行方不明になっている。
そして少数の人間が国中で同時に失踪したのは大きな街だ。薄暗い裏通り。火事等の事件と同時。
つまりどちらもほとんど人目に付かない状況。ここまでは調査機関の結果と同じ。

だが、更に調査を進めていてわかったのは行方不明になった人の大半が———と考えをまとめようとした時、

「よっ、調査は進んでるか?」

声のした方を振り返ればそこには友人のリックスが立っていた。
リックスは両手に持っていたコーヒーの片方を差し出し、それを受け取った俺はひとすすりして、大きく息を吐いてから言った。

「…ああ、王宮の調査機関がいかにずさんな調査をしていたかわかったよ」
「そうか…。で、何か事件解決の手がかりになりそうな事は…」
「まだそこまでは。でも少し調べただけでこれだけの事がわかったんだ。もう少し調べれば何か有力な情報も出てくるかも」
「そうだな。早く解決しないと国民の不安は増すばかりだ。俺に手伝える事があったら言ってくれ」
「ああ、その時はよろしく頼むよ」

じゃあ と手を振りながら友人は部屋を出て行った。
俺は再びコーヒーをひとすすりして考える。

「(少し調べただけでこれだけの事がわかったのに…。調査機関は何をやっていたんだ。
  しかし、個人の理由で蒸発したんでない以上やっぱり何かの事件に巻き込まれたんだろうか。
  だとしたら何に…。大した人攫いも盗賊も魔物もいないこの国で何に巻き込まれた?)」

俺はこの辺りに生息していそうな魔物や根城にしている盗賊のリストを洗っていた。
すると、おそらく連日の調査の無理がたたったのだろう。俺はいつの間にか眠ってしまっていたらしい。
ふと気が付いたと思ったら既に日が暮れんという時分だった。

「しまった。早く戻らないとまたどやされるぞ」

ガタリと席を立ち、資料を特定の棚に戻そうとしたときだった。
ノックと共に扉が開かれひとりの兵が現れた。

「お前がダインだな?」
「ああ、そうだけど」
「そうか。…大きな声では言えんのだが、国王陛下がお呼びなのだ。すぐに来てくれ」
「陛下が?」

国王陛下がこんな夕暮れ時に一介の騎士の俺を呼び出すなんて…、いったい何の用だというのだろう。
俺はその兵士の後をついて玉座の間へと向かった。


 *****


夕の闇の包まれ蝋燭の炎がゆらゆらと揺れている。
普段は神々しくもある玉座の間も、揺らめく影には魔さえ感じられそうである。
その玉座に腰掛けるはこの国を統括せしアークシード王。
壮齢の容姿と顔に刻まれた皺は国の主たる貫禄を醸し出し、身に纏う衣は国の豊かさの象徴するかの如く荘厳凛々しい作りであった。

玉座に腰掛ける王の横。一歩引いたところに立つは大臣。
緩やかな衣服に伸ばされた髪と度の効いた眼鏡が知的な印象を思わせる。
髪と同様に伸ばされた髭を手で梳かす様は彼に年齢以上の歳月を感じさせるだろう。


やがて二人の待つ玉座の間の大きな扉がゆっくりと開かれ、そこから現れた兵士が敬礼の後に要件を告げた。

「王宮警護隊所属、騎士ダインを連れて来ました」
「ご苦労。さがってよろしい」
「はっ」

兵士は再び敬礼した後部屋を後にし、入れ替わりにダインが部屋に入る。

「ダイン・シュレーフド、ここに。この様な時分に呼び出されるとはいったいどの様な御用向きで?」
「うむ…」

国王が横に控える大臣に目配せすると、コクリと肯いた大臣が前に進み出た。

「実は、この数ヶ月続発していた例の集団失踪事件、あの事件の犯人を特定する事に成功したのです」
「そ、それは本当ですか!?」
「うむ」

ゆっくりと息を吐き、一呼吸を置いて国王が口を開いた。

「本当だ。調査機関からの報告によると事件の犯人は東方の最果てに住む魔王の仕業であるとの事だ」
「ま、魔王…ですか?」
「ええ、その最果てに住まう魔王が我が国を落としめる為に事件を起こし、国民の混乱を狙っているのです」
「我々としてもこのままその魔王にいいようにされるわけにはいかぬ。
 騎士団の全軍を結集し魔王を打ち倒さんと思うのだが、貴様には全軍より先に発ち偵察に行ってもらいたいのだ。
 そして可能ならばその首を討ち取ってみせよ。ダインよ、やってくれるな」
「はっ、し、しかし、魔王などという者の仕業であるとは俄かには…」
「貴様は私の言葉を疑うのか?」
「そのような! ですが、私も独自に調査したのですが魔王の関与などとは微塵も…。それに私一人では満足に敵見をする事も…」
「これは国の最高の調査機関からの情報であり、間違いなどありえん。
 他の兵士は討伐軍に入れる者以外は街の警護に当たらせなくてはならない。
 まわせる人材は貴様しかおらんのだ。これは決定だ。異論は許さん」
「あなたはこの任を引き受けるか否かを選んでください。ですが、これは国の命運を左右するやも知れぬ大任。
 我々はあなたが適任と判断して選抜したのですが、それを断るとはどういう事かおわかりですか」
「う…、わ、わかりました。身に余る配慮謹んでお受けいたします。事件解決を望むのは私も同じ。
 その使命見事果たしてご覧にいれましょう」
「うむ、期待しているぞ」
「ああそれと、魔王の存在が悪戯に公になると兵の混乱を招いてしまいますのでこの任は内密に。
 全軍の準備が出来次第こちらから使者を送ります。時は一刻を争います。あなたの活躍に期待していますよ」
「はっ! ありがたき幸せ。早速出発の準備に取り掛かります。では失礼」

立ち上がり、一礼ののち部屋を後にするダイン。
しかし…魔王だと? なぜそんなものが…。ダインの心に大きな疑問が残る。
いや、疑問なんて考えてる場合じゃない。早く事件を解決しないとまた大勢の人々が犠牲になるんだ。
頭を振って疑問を払った俺は兵士寮の自分の部屋へと向かった。


 *****


兵士寮。
既に日もどっぷりとくれ梟のものらしき鳴き声が夜闇の中に響いている。
俺は自分の部屋で旅支度をしていた。

「東方の最果てか…。いったい何日かかるだろうか…」

どれ程の旅路になるかわからないが、多すぎる荷物は邪魔にしかならない。
水と食料は最低限持って、あとは自給自足でいくか。

小さくまとめられた荷物。
そして手に取ったのは1本の剣。
その刃に映る自分の顔を見ながら思う。

「魔王…。まさかそんなものがいるなんて…。でも何で魔王がこの国を…? それもこんな回りくどい…」

と、その時である。

 コンコン 部屋の戸が叩かれた。

「どうぞ」

返事の後開けられた扉から入ってきたのはリックスだった。

「リックス? どうした、こんな夜中に」
「いや、未だにお前の部屋の明かりが消えてなかったからどうかしたのかと思って…」

と、リックスの目に入ったのはまとめられた荷物だった。

「なんだ? でかけるのか?」
「…ああ、陛下と大臣から直々に任務を授かってね。暫くは帰れないよ」
「そんな長旅になるのか。なんだったら隊長から大臣に頼んで俺も一緒に行ってやろうか?」
「いや、俺は大丈夫だよ。それよりも俺がいない間、街の事件の方よろしく頼むぞ」
「そっか…。わかった、任せろ。で、お前はどこに行くんだ」
「…。東方の最果てさ。そこに用があるんだ」
「東方? 前に聞いた話だとあっちの方は険しい岩山ばっかりでなんも無いそうだぞ」
「(ボソボソ…)成程…。魔王が根城にするにはうってつけか…」
「ん? どうかしたか?」
「ああなんでもない。じゃあ俺はもう行くよ。
 一応これも事件を解決するための任務だからさ。早く行けばそれだけたくさんの人を助けられる。」
「そうなのか。気をつけていけよ。街の方は俺に全部任しとけ」
「ああ、じゃあな」

カツン とお互いの拳を合わせ軽い挨拶を済ます。
そして街を出た俺は闇に包まれた道を東に行くのだった。

その時、窓ガラス越しに俺の旅立ちを見ていた人間がにやりと笑ったのに俺は気付かなかった。


 *****


街を出て、既に7日が経った。
既に道らしい道も無く、俺は只管に山を登り降りしていた。

凶暴な動物や魔物も多く出てくるようになった。
この相棒が無ければここまで来る事も出来なかっただろう。
俺は腰の剣を見おろす。

小高い丘に登って周りを見渡してみれど一面鋭い岩山ばかりで魔王の住処らしきものは見えない。
もっと、東の地にあるのだろうか。

俺は更に険しくなるであろう道を目指して再び歩き出した。


 *****


あれから更に7日と7日が過ぎた。
砂漠を越え、谷を越え、しかし広がるは大自然の驚異。生物の住める場所ではなかった。

すでに魔物すら姿を見せなくなった。
もうボロボロになった相棒の刃を思えばありがたいが、お陰で食料はとうの昔に底をついた。

行けども行けども人外魔境。
されど魔王の姿は影も形も見えず。しかしここで諦めれば民を見捨てる事になる。それだけは許せなかった。


 *****


あれから幾日が過ぎただろうか。
いつの頃からは周辺の地形は一変していた。
これまでは雄大に聳えていた山々が、ここでは砕け抉られたただの大岩の化していた。

大木がまるで竜巻にあったかの様に地面から引き抜かれていたかと思えば、その横では巨大な幹の途中から真二つに折れているものもある。
そして地面に穿たれた無数の大穴はこれまで以上に歩く事を困難にさせた。

体力さえも底を尽き、木の皮を食べたりして食いつないでいた俺にはその倒れた木々はありがたかったが。


「まだか。まだなのか、魔王は住処は…」


俺は棒の様になった足を引きずり、相棒である剣を杖代わりにして、その険しい坂道を登っていた。
ごろごろと大岩が転がり、その様、もしかしたら地獄への入り口なのではないだろうか。そんな想像が頭をよぎる。


「ハァ…、ハァ…」


精も根も尽き果てて、それでも前へ。
この坂の頂上も見えてきた。だが、それを越えればまた険しい道が続いているのだろう。
地獄への入り口…。あるいは正しかったかのかも知れない。
この無限地獄は、いつまで続くのだろうか…。

そして、ついに上りきったその頂上で、見渡せしは見飽きた岩山の山脈。ではなかった。

そこに在ったのは城。城下町すらすっぽりと納まってしまう程の巨大な城であった。
その禍々しさは間違いなく魔の王のもの。だが、壮大な全景には神々しさすら感じられてしまう。

俺は、その城を見つめて立ち尽くしていた。
感極まるとはこういうのを言うのだろうか。

「…ついに、ついに見つけた…。これで、皆を助ける事が出来る…」

俺はフラフラと城に向かって歩を進めた。
極限の精神と肉体、そして長く苦しい旅路の末にようやく目的の場所に辿り着いたという感動が足下への注意を疎かにさせたのかもしれない。

 ガランッ

「ッ…!?」

上りきった坂の向こうは切り立った崖だったのだ。
足を踏み外した俺はその岩肌を転がり落ちていった。

「うわああああああああああ!」

長い長い転落。
むき出しの岩に身体をしこたまぶつけ、地面まで辿り着いたときには気を失いかけていた。
霞む視界。地面から見上げるぼやけた城は崖の上から見たときより遙かに大きく見えた。

「やっと…やっと辿り着いたのに…」

ボロボロになりまともに動かす事も出来ない身体。
すでに、手足が繋がっているかどうかすらわからなかった。
震える手を城に向かって伸ばす。

(ダメだ…意識が遠くなってきた…。こんなところで…)

その時、地震だろうか。地面が揺れ始めた。

 ズゥン… ズゥン…

揺れは段々と大きくなる。
近付いて来ているのか…?

(なんだ…。いやそんな事よりも…俺にはやるべき事が…)

手を伸ばし、城へと、城へと、近付くために。
だが…。

 ドサ…

伸ばされていた手がパタリと地に落ちる。

彼が気を失うのと、彼が巨大な影に包まれたのは同時だった。


 *****


「ぐっ…!」

全身を駆け巡る激痛という嫌な気付け薬のお陰で目を覚ました。
重いまぶたをゆっくりと開けて辺りを見渡してみればそこはあの荒れた岩山と荒野の大地ではなく、薄暗い空間だった。

「ここは…」

身体は白い布団の上に寝かされているのか。
満足に身体を動かす事は出来ないが、首を巡らせるだけなら可能だろう。

首を横に動かしてみる。
察した通りこれは布団の様だ。見た事も無い素材だが…。

そして目線を遠くへ移す。
そこには巨大な何かがあった。これはなんだ。
城壁に設置された敵見の櫓よりも高いまるで塔の様なそれは透明の物質で出来ており中には…液体が入っているのか。

「くぅっ!」

痛みを堪えて身体を起こす。
より一層広くなった視界に飛び込んできたのは、そこが広大な空間であるという情報。
恐ろしく広い。街の一区画はありそうだ。
その果てには天まで届かんという巨大な壁。それらはこの空間の四方を囲んでいる。

「ここは、部屋…なのか?」

更に視線を移して見えたのは壁にかけられゆらゆらと炎を灯した燭台。

燭台?

ここからあの壁まで、どれ程の距離がある?
遠い。手を触れる事なんて出来ない。
では何故あの燭台はこんなにも近くに見えるんだ。

ハッとして振り返る俺。
そこには先程の透明な塔。
目を凝らす。今得た情報からそれが何であるか察する。

それは、巨大なビンであった。
看板の様に大きなラベルに書かれている文字は読めなかったが、俺の傷と、俺の寝ている布団の様なもの。恐らくはガーゼ。
それらから察するにこれは薬だ。薬の入ったビンなのだ。
こんな、こんなに大きな。

「俺はいったい…」

その時だった。


「目が覚めたようだな」


巨大な声がこの広大な部屋に響き渡った。
同時にあの、気を失う直前に感じた規則的な地響きが大地を揺るがす。

振り向いてみればそこには巨大な、巨大な、天を突かんばかりに巨大な人間が立っていた。
なぜか見えるのは上半身だけであったが、それでも、俺にとって高見櫓ほどに大きなこのビンを片手で持ち上げてしまえるほどの巨体が
そこにあったのだ。
巨人は遙か高みからその巨大な両目で俺の身体を見回したあと再びあの巨大な声で話しかけてきた。

「薬を使ったとはいえ、もう身体を起き上がらせる事ができるとは。日頃からよく身体を鍛えていたのだろう」
「お、お前はなんだ! お前が…俺を助けてくれたのか?」
「そうだ。ククク…まさかこんな辺境に人間がいるとは思ってもみなかったがな」

いいながらその巨人はそこにあった相応に巨大な椅子に腰掛けた。
その振動で再び地面が揺れた。

(なんて大きいんだ。あの城よりも大きなものは椅子だったのか。という事は今俺が寝ているこの地面は、テーブルか?
 全てが…大きすぎる)

「グッ…!」

突然の痛みに思考が中断される。

「無理をするな。身体中の骨がボロボロだったのだぞ」
「そんな重傷だったのか…。ありがとう。心から感謝する」
「気にする事は無い。私が勝手にやっただけだ」
「それでも俺は助かった。俺はダイン・シュレーフド。アークシード王国の騎士だ」
「私の名はクラナ。魔王クラナ・シュルド・ベリアルだ」
「ま、魔王!?」

突然の言葉にぎょっとして顔を見上げる。
その魔王と名乗った巨人はにやにやと笑って俺を見下ろしていた。

「どうした? 顔色を変えて」
「…ほ、本当に、お前、魔王なのか?」
「嘘をついた覚えは無い。魔王だったらなんだ?」
「ぐっ…」

しばしうつむいて悩んだダインだったが、意を決したように顔を上げると横においてあった剣を手に取り布団を跳ね除け立ち上がって、
抜き放ったその刃の切っ先を魔王に向けた。

「魔王よ! 国王陛下の命により、お前を倒す!」

苦渋だ。だけど民を救うためには…。
だが魔王はその歪めた口の端を戻そうとはしなかった。

「クク…突然だな。私はお前を助けたのだぞ」
「わ、わかっている! 感謝しているし、俺だって本当はこんな事したくない…。命の恩人に刃を向けるなんて…。
 でもこれが国王陛下の命令だ! 魔王! その命、貰い受ける!」
「なかなかの忠義だな。いいだろう…」

魔王は立ち上がると、俺のいるテーブルに近付いてきた。
地面がグラグラと揺れる。
そしてテーブルに身体が触れるのではないかというほどに近付いてきたとき、そこにいる俺からは壁が現れたにも同意だった。
半身から上を見上げているにも関わらず、上を見上げるためには天を仰がなくてはならなかった。
上を、上を、見上げてもまだ頭は見えない。そして途中、前に大きくせり出した巨大な胸に遮られその顔を仰ぎ見る事はできなかった。
まるで山の様に壮大な二つの乳房。俺はその二つの山がつくる影に入ってしまっていた。

「(ってそんな事を考えてる場合じゃないだろ!)」

ブンブンと頭をふって雑念を追い出すダイン。
そんなダインの様を見て魔王は再びその口の端を歪めた。

「どうした、私の胸など見上げて。まさか王国の騎士はまだ母の乳が恋しいのか?」
「ば、馬鹿にするな!!」
「クックック…、別に恥じる事もあるまい。男なら女の乳房に興味を示すのも当然の事だ。なんなら触ってもいいぞ」

言いながら魔王は上半身を倒し、胸を近づけてきた。
ダインから見れば山が降りてきたにも相当する。
その端は断崖のこのテーブルの上の大地。魔王からみれば大した事はなくともダインからしてみればそれなりの広さだ。
しかしそのテーブルも、あの巨大な乳房のひとつを乗せる事も出来ないだろう。
押し付ければ、変形した乳房はテーブルの外へとはみ出るはずだ。
つまり、逃げ場はない。
このままあの乳房に潰されるか、あの断崖から落ちるか。

どちらを取るか迷っている間に乳房の作る影は一段と濃くなっていた。
目の前に、天井に、乳房が迫る。触れる事が出来るのではないかという距離。
だが、何も出来ない。出来たのは悔しさに歯をかみ締めるだけ。


…。


しかし、乳房はそれ以上降りては来なかった。
訝しんでいるとその乳房は空へと上っていき、彼の視界にはまた広い空間が広がった。

「なんだ、触らなかったのか。かなりの奥手とみえるな」
「ふざけるのも大概にしろ! 遊びでそんな事をやるんじゃない!」

ダインの言葉に、魔王は噴き出した。

「ハハハハ! 生真面目な奴め。その様では女を抱いた事も無いんだろう」
「…いい加減に…」
「フフ…。だが…今ので少しはわかったのではないか」
「…何?」
「仮に私は、ただ前に屈むだけでお前を殺す事が出来るのだ。そのお前が私を倒すなど、出来ると思うのか?」
「う…」
「思い上がるな人間。お前達虫けらが何をしたところで、魔王たる私には傷の一つをつける事も出来ん」

そして何となく魔王はそのテーブルに手を置き、真上からちっぽけな人間を見下ろしながら続けた。

「無駄な事は止めて自分の国に帰るがいい。今度だけは見逃してやる」
「虫けら……無駄な事だと…?」
「む…」

その小さな人間の言葉にそれまでには無い気迫が篭っている事に魔王も気付いた。
ダインは剣の柄を握り締めると、テーブルに置かれたその巨大な手に向かって走り出した。

「人間が虫けらだと!? 多くの国民を救うために剣を振るう事が、なんで無駄なんだ!!」

目の前にある自分の身長ほどの太さを持つ巨大な指。
ダインはそれに向かって思いっきり剣を振り下ろした。


 ギィン!


刃は跳ね返され、その反動に耐え切れずダインは盛大に尻餅を着いた。
指には、一筋の傷も付いていなかった。

「そ、そんな…」
「…」

あっけに取られたダイン。
すると今斬りつけた巨大な指が動き出し、ダインをテーブルの遙か向こうへ弾き飛ばした。

「うわああああ!!」

遙か奈落への墜落。その凄まじい速度もあいまって、地獄の底の様な黒い大地、磨きぬかれた滑らかな黒石の床が迫ってくる。
落ちればこんな身体などバラバラに砕けるだろう。
ミンチか、それとも黒石の床に咲く赤い血の花にでもなるか。
冷静だった。
抗いようの無い絶対的な死が、ほら、もう目の前に迫っている。

だがダインはその黒石の床ではなく、突然その床との間に割り込んできた肌色の物体に衝突した。

「グハァッ…!!」

もともと傷だらけだった身体が更なる衝撃で激痛という悲鳴を上げる。
痛みを堪え、きつく閉じていた目を開き辺りを見渡してみる。
そこは、巨大な掌の上だった。

上には無表情で見下ろす魔王の顔。

やがて俺はあのテーブルの上に戻された。
激痛に耐えかね、俺は布団の上に座り込んだ。
そんな俺を見下ろしながら魔王は言った。

「これでわかったか、お前達人間と私の力の差が」

魔王は指を1本立て、それをダインの前に差し出した。

「お前が力を込めて剣を振るっても私の指には傷ひとつ付かなかったが、私の指は軽く突き飛ばすだけでお前を殺す事が出来るのだ。
 それこそ、この指をただ乗せるだけでもお前はその重さに耐え切れず潰れてしまうかもしれんな」
「…」
「わかったら帰る事だ。人間如きがこの私を倒すなど不可能なのだ」

魔王は指を納めると背を向け、巨大な椅子、玉座に向かって歩き出した。

「…それでも…」

魔王は歩を止めた。
ゆらり、軋む身体を支えながらダインは立ち上がる。

「それでもお前を倒さなきゃならないんだ!
 お前の手にかかったたくさんの人々のためにも!
 そして、これ以上の国民を手にかけさせないためにも!」
「何? どういう事だ?」

振り返る魔王。
ダインは狭いテーブルを走りぬけ、そして、跳んだ。

「!?」
「はああああああ!!」

魔王目掛けて宙を行くダイン。
しかしその剣が魔王に届く事なく、ダインは奈落へと落ちていった。

 ストン

だが落下の終わりは思っていたよりも早く訪れた。

「まったく…お前は私を打ち倒したいのではなかったのか。自ら死に向かって飛び降りるとはそうとうな莫迦だな」

そこは掌の上だった。
指を入れれば、あのテーブル程の広さはあるだろう。

「くぅ…」
「さて、それよりも気になる事を言っていたな。私がお前の国の人間を殺しているだと?」
「し、しらばっくれるな! この数ヶ月の集団失踪事件はお前の仕業なんだろう!?」
「知らんな。人間が何処で生まれ何処で死に絶えようと興味は無い。まして私が手を出した覚えなど見当も付かん」
「そんな! 調査機関の調べでは事件の黒幕は東方の最果てに住まう魔王の仕業だと…」
「知らんものは知らん。何故私がお前の国の人間を殺さなければならないのだ。
 お前達は自分達で勝手に殺し合う愚かな生き物ではないか。
 そんなお前達を100匹も殺す暇があったら昼寝でもしている方が得だとは思わないか?」
「に、人間はそんな愚かじゃ…」
「ふん、まぁいずれにせよお前の国に手を出した覚えはない。私以外の魔王の仕業かも知れんが、そんなものは私の知った事ではないな」
「…」

魔王の掌の上でダインはうつむいた。

 そんな…それじゃあいったい誰の仕業なんだ…。

ダインの乗っている手の形はそのままに、魔王は椅子に腰を下ろした。
自分の掌の上で落ち込む小さな人間。

 フン

魔王は鼻で笑った。

「しかし、お前の国の人間はどれだけ無能なんだ。私を殺す為にたったひとりの人間しか送って来ないとは」
「い、いや…そういうわけ…」
「ん?」

ハッと口を押さえるダイン。
そんなダインを巨大な赤い瞳がギロリと睨む。

「なんだ、何か隠しているのか?」
「…」
「くく…、だんまりはないだろう。先程まであれほど言葉を交し合っていたではないか」
「そ、そういうわけじゃ…」
「まぁお前が何を隠していようと私には大した問題ではないがな。それにその連中もたった一人の人間で20日も時間を稼げたんだ。
 それ以上に望む事もないだろう」
「は、20日だと!?」 
「そうだ。私がお前を拾ってからそれくらいになる。
 拾ったときはもうダメかと思ったが、まさかたったの20日で意識を取り戻すとはな。
 その人間が私を殺すと言い出したときは、偶然の恐ろしさを感じずにはいられなかったよ」
「20日…。そんな…それじゃあ軍は…」
「やはり何か隠していたな。話せば楽になるぞ。それに人間がいくら知恵を絞ったところで私を殺す事など出来まい」
「し、しかし…」
「くくく、忠義を貫くところは流石騎士といったところか。
 しかしそれならば命の恩人の問いにだんまりで答えぬというのは騎士らしからぬのではないか」
「う…」

ニヤリと笑みを浮かべる魔王。
悩むダイン。

(魔王に作戦を話すわけにはいかない…でも彼女は命の恩人だ…それに事件の事は知らないとも…)

う〜ん。

悩んで悩んで、それでも悩んだ。
騎士としても陛下と大臣の期待を裏切るわけにはいかない。
しかし魔王が言ったように命の恩人の問いひとつにも答えないなんて無礼にもほどがある。
だけど…。

う〜ん。

掌の上で小さな人間がその小さな頭を抱えている。
そんな様を、魔王は頬杖を付きながら笑みを浮かべて見守っていた。

その時であった。

「む…」

魔王は突然顔から笑みを消すと部屋の入り口の方をジッと見据えた。
するとなにやら重々しい音が響いてきた。

 ズン… ズゥン… 

続いて地面が規則的に揺れだした。
音も大きくなっている。

 ズゥウン… ズゥゥウン…

揺れはどんどん大きくなっていく。
掌の上のダインもその揺れに気付いた。

「な、なんだ、地震か!」

グラグラと大地が揺れている。
テーブルの上の薬ビンがカタカタと音を立てた。

音と揺れは更に大きくなっていく。
まるで近づいてくるみたいに…。

その時、突如動いた足場にダインは転がされてしまった。

「うゎ…!」

そして傾いた掌の上をコロコロと転がり、やがてどこかへと落ちてしまった。

「つぅ…傷が…。いったい何を…」

と自分がいる場所がやけに薄暗い場所である事に気付いた。
どこだここは。
暗いながらも自分の周りにあるものが先程まで乗っていた掌と同じ肌色である事はわかった。
つまりは魔王の身体の上なのだろう。が、ここはいったい。
周囲には高い肌色の壁。足下は肌色の地面。
手で触れてみたが柔らかさも掌と変わりは無い。少し掌よりも温かかった気がしたが。

「ここは…」
「ククク…」

ダインが訝しんでいると上から押し殺したような重々しい笑い声が聞こえた。
見上げれば、この二つの肌色の壁よりも上からあの魔王の顔が見下ろしていた。
え? 魔王の顔。顔と繋がる首。そして首と繋がる俺の立っている場所…。
ま、まさか…。

「クク…なかなか似合ってるぞ。どうだ? 私の胸の谷間の居心地は」
「なっ…なにいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!?」

胸の谷間? ここが?
じゃあ俺がさっき触ってたこの二つの壁は…。
ボンっと爆発するような音を立ててダインの顔が真っ赤になる。

「お前の手の動きもなかなかよかったぞ。思わず揉みしだきたくなるほどにな。
 無いと思っていたのだが、実は女の経験があるんじゃないのか?」
「ばっ、ばっ、ばっ…馬鹿野郎! 女が、む、胸の間に男を置くなんて…。すぐに出せ!!」
「悪いが事情があってすぐに出す事は出来ん。暫くそこでおとなしくしていろ」

パチンとウインクをする魔王。

「へ…?」

ダインはあっけに取られた。
そして魔王はキュッと胸を寄せた。

ズン と二つの巨大な乳房に挟まれ身動きの取れなくなったダイン。
とっさに顔を出す事は出来たが、首から下は胸の間に埋まってしまった。
睨み上げれば、笑いを堪えている魔王の顔があった。
だがダインが文句を言う事が出来なかったのは、その巨大な魔王の顔がすぐに笑みを消し正面にある部屋の入り口を見据えたからだった。

 ズゥウウン…! ズシィイイン…!

その間にも揺れと音はどんどん大きくなっていた。
何となく、魔王と同じ様に入り口の方を見るダイン。


そして…。


「やっほー! クラナちゃーん、いる〜?」

巨大な声と共に、入り口からこの魔王ほどに巨大な少女が現れた。

「あ、いた〜♪」
「当たり前だ、ここは私の城だぞ。相変わらずだな、エリーゼ」
「えへへ、久しぶりー。300年ぶりくらいかな」
「そうだな…。私がここに居を構えて以来だからそれくらいになるか」

笑顔のまま近付いてくるエリーゼと呼ばれた巨大な少女。
マリンブルーのストレートヘヤーがさらさらと揺れ、身に纏う恐ろしく面積の小さい布は踊り子の衣装の様だった。
歩を進める為にくびれた腰を支点に大きなお尻がふりふりと左右に振られ、豊満な乳房は上下に弾んでいる。
正に絶世の踊り子。観客の視線を釘付けにして決して放しはしない究極の魅力であった。
ダインは思わず顔を赤くしてしまった。

そういえば、このクラナって名乗った魔王も…。
と首だけ動かしてその顔を見上げる。

膝まで届くであろうワインレッドの長髪。赤と黒を基調とし、控えめながらも露出を強調したドレス。
そして目の前の巨人にも劣らぬ豊満な乳房。
二人のその体躯は人間の100倍以上の大きさがあるが、それを除けば二人とも人間と変わらない容姿だった。
むしろ凄まじいほどに美少女と言っていい。

「(ってまたそんな事を考えてる場合じゃないだろ!)」

ブンブンと首を振るダイン。
そんなダインを他所に二人の会話は続けられる。

「—…で、今日はどうした? 何か用か?」
「ううん、通りかかったからちょっと寄っただけ。
 あ、そうだ! 海の向こうの人間の巣にね、おいしい葡萄がたーっくさんあるんだって。クラナちゃんも一緒に食べに行かない?」
「いや、私はいい。人間の作った物に興味無いし、何よりあまり人間に近付きたくないんでな」
「クラナちゃんて昔から人間が嫌いだよねー。嫌いなら殺しちゃえばいいのに」
「私が手を下すまでもなく奴等は自分達で勝手に殺し合うだろう? なら放っておけばいいさ」
「ふーん、そっかなー」

あまりにも普通に交わされる会話。
しかしその内容から、どちらも人間を殺す事に何の罪悪感も感じていない事はわかった。
特にエリーゼと呼ばれた少女——おそらく彼女も魔王なのだろう——は進んで殺しにかかるようだ。
先程の会話によるとこれから他大陸の国を襲いにいくそうだが…。その国の人間は一人も生き残る事はできまい。
止めろ! と叫びたくなったが、さっきクラナの指1本に殺させかけた自分が叫んだところで何の意味が無い事に気付く。
ダインは、やがて数千の命を奪うであろう巨大な少女を黙って見上げた。
そして更に近付いてくるエリーゼ。

「でもさー、人間が嫌いならなんでこんな人間の巣の近くに住んでるの? あたしみたいに、小さな島の人間を皆殺しにしてそこに——」

と、エリーゼはクラナの胸の谷間、そこに動くものがいる事に気が付いた。
ダインは固まってしまった。
あの魔王と目が合ってしまったのだから。

ダインを見て凝固していたエリーゼだが、やがて満面の笑顔を咲かせて言った。

「な〜んだ、クラナちゃんも人間で遊ぶんじゃない! 興味が無いふりしちゃってー。あたしにも貸してー」

巨大な手がクラナの胸の谷間にいるダイン目掛けて迫ってくる。
その指のひとつひとつに付いている爪でさえ、ダインと同じくらいの大きさだ。
あんな巨大なものに迫られたら逃げられるはずが無い。まして今は巨大な胸に挟まれ身動きすら取る事が出来ない状況なのだ。

ダインは迫り来る手を見つめている事しか出来なかった。
そしてその指先がダインに触れる直前の事だった。

 パシィン!

横から現れた同じくらいに巨大な手が迫っていたその手を弾いたのだ。

「いたーい! 何するのクラナちゃん!」
「こいつは私の客人だ。無礼な真似をするな」

(客人? この俺が?)

先ほど剣を向けられた相手を客人と呼ぶのか?
俺はお前を倒すためにここに来たんだぞ?
抱いた疑問の答えを求めるように俺はクラナの方を振り返った。
クラナは依然エリーゼを見据えていた。

「お客さん〜? 人間なんかが?」
「そうだ。幾つもの山と谷を越え長い旅路の末この城を訪れてくれたのだ。私の話し相手にもなってくれたしな」

クラナはニヤリと笑って俺を見た。

「うぇ〜人間とお話か〜、なんか嫌だなー」
「そんなの私の勝手だ。というわけで今は客人もいる。その葡萄狩りにはお前ひとりで行ってくれ」

片手をヒラヒラと振るクラナ。
明らかに追い出しムード丸出しである。

「ん〜、まぁそうやって何か趣向を凝らして遊びたくなるときもあるよね。その遊びに飽きたら一緒に遊ぼうね。じゃあね〜」

言うとエリーゼは踵を返し地響きをたてて部屋から出て行こうとしたが、入り口に差し掛かったところでクラナが呼び止めた。

「あ、待てエリーゼ」
「なぁに?」
「お前…、ここから西方にある人間の国に何かしたか?」
「へ?」

それはエリーゼの呟きだったか、ダインのものだったか。
ダインはクラナの顔を見上げた。

(俺のために…訊いてくれたのか?)

だがエリーゼはすぐに首を横に振った。

「ううん、何もしてないよ。あたしがここら辺に来たの300年振りだもん」
「そうか…。呼び止めてすまなかったな」
「いいよいいよ。それじゃね」

そしてエリーゼは部屋から出て行き、やがてはその地響きも聞こえなくなっていった。
後には魔王クラナと俺だけが残された。

「フン…」

とクラナが息を吐くのと同時に寄せられていた胸もどけられ、突如解放されたダインは胸板にぶつかったあとお腹の方へと転がっていった。

「うわぁぁぁぁぁあ!」

長い転落。
だが突如現れた穴に落ち、やっと止まる事はできた。

「いてて…。ここは……へそ?」

そう、ダインの身体がすっぽりと入ってしまうようなその大きな穴はへその穴であった。
遙か上空。
唯一光の差し込む穴からクラナの巨大な顔が見下ろしていた。

「なんだ、随分と積極的ではないか。胸よりもへその方が好きだったか」
「ばか! 好きで落ちたんじゃない!」
「ククク…そら、更に下ればお前も男になれるぞ」
「え…」

ここよりもした?
おとこになれるって……。

!!

「い、いい加減にしろ!! 女だろ!? もっと自分を大事にしろよ!!」
「アーハッハッハ! まったく、お前みたいにからかいがいのある人間は初めてだ」

突然横の闇が破られたかと思うと巨大な手が現れた。
手はダインをつまみあげるとゆっくりと服の外へと出て行った。

ダインは再び掌の上からクラナの顔を見上げていた。

「ったく…、女ならもっと言動に気を使えってんだ」
「ほう? 魔王の私を女として見られるのか?」
「魔王だろうがなんだろうが女は女だろ!」

クラナはジッと掌の上の人間の小さな瞳を見た。
その目は揺らぐ事なくまっすぐに自分の目を見ていた。
知らず内にクラナの口の端も歪んでいた。

「ふん…さて、話の腰が折れてしまったが、どうだ? 何を隠しているか教える気になったか?」
「あ…! うーん…」

再び悩みだすダイン。

「クク…悩むな悩むな。聞かなくても大差無い事だ。喋りたくないのなら無理に喋らずとも…」
「…。いや、話すよ…」
「ん? 急に心変わりしたな」
「お前は俺の命を何度も助けてくれた。最初崖から落ちてぼろぼろになった俺を助けてくれたし、俺があのテーブルから落ちたときも。
 そしてさっき、あのエリーゼって奴が俺に向かって手を伸ばしてきたときも、俺を助けてくれたな。
 それに、お前は俺の街の事件の事は知らないって言っていたし、エリーゼにその事を訊いてみてもくれた。
 こんなたくさんの恩があるんだ。ならやっぱり恩は返さないと、騎士の名が泣く」
「いいのか? 私は嘘をついているかも知れないぞ」
「そんな酷い奴だったら、20日も俺の事を看病してくれたりしないだろ」
「フフフ…そうきたか。まぁいいさ。じゃあ聞かせてくれ、お前がここに来た理由、お前が知ってる事を」

言いながらクラナはダインをテーブルの上に降ろす。

「ああ」

肯いて、ダインは語り始めた。


ダインはまず、数ヶ月前から発生している集団失踪事件について話した。
一つの村の人間がほとんど全員いなくなった場合と国中で少数の人間が同時にいなくなった場合がある事。
いずれも人目に付かない状況であった事。国の調査機関があまりにずさんな調査しかしていなかった事。
それを調べていたら国王と大臣に呼び出され、事件の黒幕が東方の最果てに住む魔王の仕業であると教えられた事。
そして自分がその魔王の偵察、可能ならば討伐するよう命じられた事。自分のあとに完全武装の騎士団が到着するはずであった事。
その騎士団が未だに到着しない事。

そして最後に…行方不明になった人の大半が、今の強引なまでの国力の増強に反対していた事を話した。

クラナは頬杖をつき最後までダインを見据えたままその話を聞いていた。


 *****


そしてダインが語り終えてから暫く、クラナが口を開いた。

「なるほどな…。これだから人間は嫌いなんだ。大した知恵も無いくせに浅はかな事ばかり…」
「…」
「…で、お前はどうするんだ? 私が何を言うまでも無く、もうお前の中で結論は出ているのだろう?」
「でも…」
「自分を偽るな。真実はどう足掻こうと変えようのないものなのだ」
「だけど、そんな…まさかそんな事が…」
「お前の国には村中の人間を連れ去るような大きな人攫いの組織はない。
 人はいなくなったが金品が残されている場合もあるので盗賊の仕業ではない。
 魔物は国中で少数の人間を同時に襲ったり一つの村の人間だけを襲ったりと面倒な事を出来るだけの知能は持ち合わせていない。
 で、行方不明になった人間の大半が今の国のやり方に異を唱えていた。
 そしてその調査を始めたお前が邪魔になったから国の外に放り出した、と。
 フン…これ以上に無いくらいにわかり易いな。唯一わからないのが何故そんな事をする必要があるか、だが」
「なんで…なんで王宮がそんな事を…」
「さぁな。人間のやる事は卑小過ぎて私にはわからん。
 だが、もしもこの考えの通りなら今もまた多くの人間が犠牲になっている事だろうな。
 しかし、死体のひとつも出てこないのは妙だ。いったい…。」

とクラナが思考を巡らせていたとき、ポツリとダインが呟いた。

「…。俺は…」
「ん?」
「俺、国に戻る」
「…本気か? お前は既に国から捨てられた人間だぞ」
「…それでも、俺は騎士なんだ。国を守る義務がある。国が間違った方向に進もうとしてるならその間違いを正さなきゃならないんだ」
「…。ククク…まったく、人間にしておくにはもったいないほど誠実な男だな、お前は。だが戻るにしてもその身体でか?」

ダインは自分の身体を見下ろす。
全身は包帯でぐるぐる巻きだった。
身体中はまだボロボロだ。本当なら歩く事すら危うい。

だけど…。

「…いや、行く。こうしてる間にもまた犠牲者が出てると思うとじっとしてなんかいられない。無理でも、行かずにはいられない」
「フフ…流石だ」
「俺を床に降ろしてくれ。あと、出来るなら水と食料をくれないか」
「水と食料くらいいくら用意してやっても構わんがその身体では国に戻る事など叶うまい」

ゆっくりと椅子から立ち上がるクラナ。

「私が街の近くまで連れて行ってやろう」
「え!?」
「私の足ならば半日とかからん。ボロボロのお前を歩かせるより、遙かに早く着く」

ダインの前に差し出された手。

「さぁ乗れ。時間が無いんだろう」
「…」

だが、ダインは動かなかった。

「どうした?」
「…お前はなんでそこまでしてくれるんだ?」
「何?」
「さっきエリーゼって奴が言ってたよな。お前は人間が嫌いだって。近付きたくないって。
 お前も言ってたけど、魔王からすれば俺達人間なんて虫けら以下なんだろ。
 じゃあなんでその人間の俺にここまでしてくれるんだ?」
「…」

クラナはダインの小さな瞳を。
ダインはクラナの大きな瞳を見つめる。
どちらも揺らぐ事の無い視線。
少しの沈黙を置いて、クラナが口を開いた。

「そうだな…一言でいうならば、気に入った、というところか…」
「気に入った?」
「そうだ。誠実で、真摯で、真っ直ぐな心の持ち主。そんなお前が、な。
 この私がまさか人間にそんな感情を抱くとは夢にも思わなかった」
「や、止めてくれよ。恥ずかしいだろ」
「照れるな照れるな。どうせ女にこんな風に言われた事などないんだろう?
 ああそうだ、なんだったらお前の貞操ももらってやるが?」
「う、うるさい! と、とにかく、急いでいこうぜ!」
「クククク…わかり易い奴め」

クラナはダインを摘み上げ手のひらに乗せる。
そしてゆっくりと歩き出した。


 *****


長い廊下を抜け、入り口へ。
薄暗い部屋の中から突然陽の光の下に出たのでダインは目が眩んだ。
スタスタと歩くクラナ。
かつてダインが足を滑らせ転落した崖を一歩で踏み越えズンズンと進んでいく。
足元の岩や木などはクラナの靴に触れた瞬間砕けるか踏み潰されていた。

「なるほど…、ここいら一帯の地面がボコボコだったのはこういう事か…」

クラナの足が地面を踏みしめるたび、地面も岩盤も関係なくその巨大な足跡を残す。
横断された森はまるで竜巻に通過されたかのように木がなぎ倒されていた。

「それにしても速いな…」

ダインにとって、まるで空の様な高さから周囲を見回しているにも関わらず、見える景色は飛ぶように後ろに過ぎ去っていく。
今クラナの歩いている場所は、俺が城に到着する何日前に通った場所だっただろうか。
広大な砂漠も、荒れ果てた荒野も関係ない。
そこがなんの変哲も無い地面の様に、ただ踏みしめるだけの場所として歩いている。
見上げたクラナの顔には何の気負いも無かった。
本当にただ歩いているだけ。俺があれだけ苦労して通った砂漠も、こいつにとってはただの道とかわらないんだ。
と、そこで気付く。
ダインのすぐ後ろにはクラナの巨大な胸が位置しているのだが、クラナが歩を進めるたびにそれが軽快に弾むのだ。
音が聞こえてきそうだ。
やはり男であるダインは何となく見つめてしまっていた。
そんなダインにクラナが話しかける。

「なんだ、やはり興味があるのか?」
「え!? い、いや…」
「正直な奴め。…そら—」

 むぎゅう

ダインはクラナの胸に押し付けられた。

「むぐ…!」
「どうだ? 服越しだとまた違う感触だろう」
「…! …ッ…ップハァ!! や、止めろ! お前…こんな…!」(赤面)
「街に着くまで暇だろう? それまで女の胸の揉み方を教えてやる」

それからのダインはクラナの胸に押し付けられたり擦られたりされたい放題だった。


 *****


2時間程は経っただろうか。
周辺の風景も様変わりし、見える大地も荒れ果てた荒野ではなく緑豊かな土地にかわっていた。

クラナの掌の上のダインは、自分では一歩も歩いていないのに既に疲労困憊していた。

「どうした、動かなくなって。至福の時が終わって気が抜けたか?」
「ハァ…ハァ…、お、お前…、女が…こんな…こんな事して…いいと…思ってるのか…!?」
「クク…、私は人間を胸に押し当てただけだ。それの何が悪い」
「このやろ…! そんなんで…将来とか…大丈夫なのかよ…?」
「将来? 男関係の事か? なら心配はいらん。魔王に男はいないからな」
「! なに!?」
「そもそも魔王とは単純に魔の王の事を言うのではなく、魔族の中でも抜きん出た力を持つ種族の事を言うのだ。
 魔王だからと言って軍勢を率いていたり王として君臨しているわけではない。
 その強大な力が災いしてか、いつの頃から魔王には男が生まれなくなったのだ。簡単に子を成す事が出来ないようにな」

もしそうでなかったならば…。
とクラナはダインを見下ろしにやりと笑った。

「今頃はそこらじゅうに魔王が溢れかえっていた事だろう」
「…」

ダインの顔は蒼白になる。
そこらじゅうに魔王?
あのエリーゼみたいな奴が溢れかえっていたら人間なんてそれこそあっという間に絶滅する。

「強すぎる力を持てば必ずどこかで代償を払っているのだ。
 我々が女しかおらず簡単に子を成せないのも、広い視野で見れば世の均衡を保つためなのだろう。
 この世は、上手くバランスが取られているという事だ」
「そ、それじゃあ…お前達はいつか絶滅しちまうじゃないか。女しかいないのに、いったいどうやって子ども作るんだよ」

ジッとクラナはダイン見つめる。
ダインはその瞳に込められた気迫に圧され唾を呑んだ。
ふとクラナはくすりと笑う。

「…いや、童貞の坊やにはまだ早い話だったな」
「な、なにぃ!?」
「もっと女の経験を積む事だ。ちゃんと男になったらその時は教えてやろう」
「い、言わせておけば…! じゃあお前はそういう経験あるのかよ!」
「もちろんだ」
「…え?」

あまりの即答にダインはまともな返事が出来なかった。

「嘘だ」
「…へ?」

突然の否定。呆然とするダイン。
にやりとダインを見下すクラナ。

「って、てめぇ! 人をおちょくるのも大概しろ!」
「ククク…騙される方が悪いのだ。その辺の空気も、読めるようになるんだな」

悔しそうに座り込んだダイン。
山中に魔王の笑い声が轟いた。


 *****


陽が随分と高い位置に上った。
そろそろ正午なのだろうか。
景色は更に穏やかなものになっていた。
もうすぐ、国までの距離の半分くらいになるな。

「…ちょっと、休憩しようか」
「もう疲れたのか? 自分では歩いていないくせに」
「違うよ! お前、城を出てから何時間も歩きっぱなしじゃないか。そろそろ休んだらどうだ」
「私を貧弱な人間と一緒にするな。たかが数時間の歩行では息のひとつも切れんぞ」
「でも…」
「…フ、まぁ、それもいいか。そろそろ昼餉の頃合いだしな」

クラナは進む方向を少し変え、暫くすると大きな湖が見えてきた。
四方を山に囲まれ、緑色の草原と森に包まれた楽園の様な場所だった。

「この辺りでいいだろう」

膝を着いてしゃがんだクラナは、手の上のダインを地面に降ろす。
ダインはフラフラと数歩歩く。
湖畔から見るその景色が絶景としか言いようがなかったから。

「すごい…きれいだ…」
「ここは周囲を山に囲まれているからな。人間にはそう簡単に来る事はできん場所だ」

ダインが水面を覗き込むと澄んだ水に自分の顔が映りこむ。
その水をすくい上げるとごくごくと喉を潤した。

「おいしい…。いいところだな、ここは」
「ああ。お前達人間の手に侵されていないから水も汚れんのだろう」
「うう…、悔しいけどその通りだよ。さて、何か食べるものは…」

と、横を見れば小さな森。
木の実くらいはあるだろうか。ダインは森に近付いていった。
その時、クラナがポツリと言った。

「気をつけろよ…」
「え?」

ダインがクラナを振り返った時だった。
突然、森の中から大きな虎の様な動物が襲い掛かってきたのだ。

「!?」

それに気付いたダインが腰の剣に手を伸ばすよりも早く、その動物の牙が迫る。

 ズゥウウウウン…!!

だがそれよりも早く、巨大な手がその動物を地面に押さえつけた。
振動で尻餅を着くダイン。
フンと鼻で笑ったあとクラナが口を開いた。

「だから気をつけろと言ったのだ。この辺りの動物は自然が豊かな所為で通常よりも大きく成長しているのだぞ」
「だ、だったらそれを先に言えよ! そうだとわかってたら森に近付かなかったのに…」
「クク…だがそのお陰でこうして昼餉にありつけるのではないか」

言いながらクラナその動物を摘み上げ、ダインの前に吊るして見せた。
ダインから見れば二階建ての家よりも大きな虎だが、クラナの手と比べると子猫よりも小さな小動物だった。
首根っこを掴まれぶらぶらと揺らされている。

「さて、お前は生のままでは食えんだろう?」
「ああ…。ちょっと待ってろ。今、火を起こす道具を…」
「道具などいらん」

 ボゥッ!!

突然、クラナに摘まれていた虎の身体が発火した。
凄まじい温度だ。王宮の大踏鞴よりも強力な炎がその虎の身を包んでいる。
真っ赤な炎に遮られその姿を見る事は出来ないが、その灼熱の中に揺らぐ影がそうなのだろう。
影は地獄の業火の様な炎に焼かれ暴れていた。想像出来ないほどの苦痛に苛まれているのだ。
その影を掴んでいるクラナの指も当然炎に包まれているのだが、当のクラナは平然と笑みを浮かべていた。

「もういいか」

クラナが呟くとその凄まじい炎はまるで蝋燭の炎が吹き消されるようにフッと消えた。
そこから現れたのは香ばしい匂いのする虎の丸焼きだった。

「…」

ダインは言葉を失っていた。
たった今自分をしとめようと襲い掛かってきた巨大な獣が、瞬く間に調理されてしまったのだ。
あの虎の爪にかかれば自分など容易に引き裂かれていただろう。俺の生死を簡単に左右する鋭い刃だった。
その虎が、あっという間に…。
改めて魔王という存在に畏怖を感じていたダインにクラナがそれを差し出してきた。

「そら、お前の分だ」

クラナの指につままれていたのは1本の虎の足だった。
受け取ろうとしたが、その虎の足だけでも自分より大きかった。

「お、大きすぎて持てないよ…」
「こんなものも持てないのか。やれやれ、手間のかかる奴だ」

クラナはその足を更に小さくちぎって差し出してきた。
受け取ったそれは、それでも棍棒の様な大きさだったが。
とても、食べきれる量ではなかった…。

「…。もぐもぐ…」

とりあえず、食べられるだけ食べるとしよう。
ダインは手に持った棍棒に食らい付いた。
それを見届けると、クラナも手に持っていた虎の丸焼きにかぶり付いた。
適量を口に納めた後、丸焼きは噛み千切られた。
その手に残っていたのは虎の下半身らしきものだけだった。


そして暫しの休憩の後、この楽園を後にしたのだった。


ちなみにダインの食べ切れなかった残りはクラナがぺろりと平らげた。


 *****


そしてまた暫く、二人はアークシード王国のすぐ傍まで来ていた。

「この山を越えればお前の国だ。送ってやれるのはここまでだな」
「いや、十分だよ。ありがとう。じゃあ降ろしてくれ」

ところが手は下る気配が無い。
首をかしげたダインはクラナの顔を振り返った。
大きな二つの目が静かにダインを見下ろしていた。

「クラナ?」
「…本当に行くのか?」
「え?」
「追放した邪魔な男が真実を悟って戻ってきたとあれば王宮も黙ってはいないだろう。すぐにその首を落とされてもおかしくはない。
 そうなるとわかっているのなら、このまま国に戻らずともいいのではないか? 私は、お前を死なせたくはないのだ」

双眸に宿る不安。
それは喪失への恐怖。
何者も抗う事の出来ない絶対者たる魔王にあるまじき感情。
ダインにもその気持ちは痛いほどに伝わった。

「クラナ…でも、俺…」
「…いや待て、何も言うな。クク…私ともあろう者が何を言っているんだ。魔王である私がたかが人間との別れに感傷を覚えるなどとな」
「…ハハ。ああ、その通りかもな」
「さて、そろそろ行かねばお前の足では日が暮れてしまうだろう。それでなくとも今は全身ボロボロなのだからな」

膝を着いたクラナの手からゆっくりと地面へ降ろされるダイン。
ダインを降ろし終えたクラナは再び立ち上がった。
その様をダインはじっと見つめていた。

「…こうやって足下から見上げるのは初めてだけど、やっぱり凄いでかいな…」

地面を踏みしめる巨大なブーツは片方だけでも兵の宿舎ほどに大きい。
その上には、実物を見た事は無いが、オーロラの様に揺らめくロングのスカート。
オーロラの上には先程えらい目に遭った巨大な肢体。
そして更に上には自信に満ちた笑みを浮かべる魔王であり少女のものでもある美しい顔。
その目はルビーの様に赤く輝いている。

「では、私も行くとしよう」
「ああ、じゃあな。色々世話になった」
「気にするな。私もお前と会えて良かったと思っている。お前は私が認めた唯一の人間だ。
 これからも私の信頼を裏切るような人間にはなるなよ」
「約束するよ。この剣に誓って」
「それと、次に会う時までにちゃんと一人前の男になっていろよ」
「う、うるさい! 最後までお前は…」
「ハッハッハッ! ではさらばだ。また会おう、騎士ダインよ」

魔王はくるりと身を翻し東方へと歩を進めた。
その動きに伴って美しいワインレッドの長髪が赤い翼の様に広がり陽光を煌かせながら風に靡く。
そしてクラナは規則的な地響きをたてながら山々の向こうへと消えて行った。
クラナが見えなくなっても暫くその方向を見つめていたダインだが、やがて王国に向かって歩き出した。


 *****


夕刻。

国境に着いたダインは詰めていた兵に事情を話し城下町の王宮まで案内される。
兵の宿舎。
慣れ親しんだ廊下を通って奥の王室を目指す。

その途中だった。
突然横から友人が走ってきたのだ。

「ダイン!」
「リックス」
「ダイン! お前、本当にダインなんだな!」
「そうだよ。悪いな、少し長旅になっちまった」
「よかった…。調査機関の連中から、お前は死んだって知らせがあったもんだから…」
「…。そうか…。あれから事件は?」
「もう酷ぇよ。お前がいなくなってからまた3つの村から人が消えちまった」
「そう…か…」

握った拳が震える。

「俺は陛下のところに行ってくる。今回の任務の報告をしなきゃならない」
「でもお前、ボロボロじゃねえか! なぁ、任務ってなんだったんだよ。俺にも言えない事なのか?」
「悪い…。でもすぐわかるから、もう少し待っててくれ」
「ダイン…」

そして去っていくダイン。
リックスには、その友人の背中がとても儚く見えた。


 *****


玉座の間。

突然駆け込んできた大臣の言葉に国王は驚きの声をあげた。

「へ、陛下! 大変でございます! 東方に出た騎士のダインが戻ってきました!」
「なんだと!? あの険しい東方の最果てから生きて戻ったと申すか!」
「は、はい。陛下…どういたしましょう…?」
「む、むぅ…」

唸る国王。
その時、扉の向こうから見張りの兵から声がかけられる。

「失礼します。騎士ダインが陛下との謁見を望んでいますが、いかがいたしますか?」
「う…」
「へ、陛下…!」
「よ、よかろう。通せ」

 ギィイイイ…

大きな石造りの扉が開かれる。
敷かれた絨毯の上を通って、ダインが姿を見せる。
陛下の前まで来たダインは跪いた。

「遅くなって申し訳ありません。騎士ダイン、ただいま戻りました」
「う、うむ。よくぞ戻った。難しい任務、ご苦労であった」
「はっ。…陛下、質問したい事があるのですが」
「な、なんだ?」

国王と大臣は動揺を隠せていなかった。
人外魔境へと追放したはずの男がまさか生きて帰ってくるとは思ってもみなかったのだから。
ダインはそんな二人を見据えながら言葉を続けた。

「陛下…。私が発った後、騎士団の軍を送られるとの事でしたが、一人も兵が送られてきていないのはどういう事ですか?」
「お、思いのほか準備に時間がかかってな。数千の兵士ともなるとすぐには用意出来なかったのだ。
 そ、それに、また例の事件が発生して、そちらに兵を割かねばならなかったのだよ」
「そうでしたか…」
「う、うむ。そ…それよりも、ダインよ、何故戻ったのだ? 貴様には東方の魔王の偵察と討伐を命じていたはずだろう?
 まさか逃げ帰ったと申すか? もしもそうならすぐにでも牢に入れてくれるぞ!」

ここぞとばかりにまくし立てる国王。
そう、『東方の最果てに魔王が住んでいる』とは国王と大臣のでっち上げた出鱈目なのだから。
居ないものは偵察も討伐もする事は出来まい。
東方で居もしない魔王を延々と探し続けさせるつもりだったのだが、こやつめ戻ってきおった。
こやつには任務を放棄し逃げ帰ったものとして逃亡罪を着せてやろう。そうだ、それがいい。
国王はニヤリとほくそ笑んだ。

そんな国王に、ダインは静かに告げた。

「…いえ、陛下。私、その東方の魔王に会って参りました」
「な、なんだと!」

驚愕のあまり国王は玉座から立ち上がった。
大臣も目を見開いている。
まさか、まさか魔王が実在しただと!? そんな馬鹿な!

「き、貴様、嘘を申すな! 牢に入れられたくないからと口から出任せを言っているのだろう!」
「とんでもございません。3度の七日七夜に渡る旅路の末、その最果てに魔王の居城を見つけました。
 しかし魔王は我等の国の事など皆目見当もつかぬ様子。
 そればかりか死に瀕していた私を救ってくれ、この国の傍まで送り届けてくれたのです」
「で、出鱈目を…!」
「出鱈目などではございません! でなければ私はこうしてここに戻ってくる事など出来ませんでした」
「ぐぬぬ…」

黙り込む国王。
その横から大臣が話しかけてきた。

「魔王を会ったのですね、騎士ダインよ。では何故その首を取ってこないのですか? あなたの使命には魔王の討伐もあったはずですが?」
「魔王は私の力が及ぶような相手ではありませんでした…。そればかりか刃を向けたこの私の命を何度も救ってくれたのです」
「情の話など聞いておりません。倒す事があなたの使命だったのです」
「出来ませぬ、そんな…。騎士として恥ずべき行いをした私を魔王は許してくれた。その相手に再び刃を向けるなど…」
「ではあなたは敵前逃亡と任務放棄ですね。場合によっては極刑に処される事もあるでしょう」

おお! と国王が顔を上げる。
そして豪快な笑い声をあげると強気な口調で大臣の言葉を継いだ。

「うわははは! その通りだ反逆者よ。我々は倒せと命じたのだ。
 ならばどのような事情があるにせよその任務を全うするのが騎士というものではないか!」
「陛下! 大臣! 今、我々に課せられているのは魔王を倒す事ではなく、国民を苦しめるこの事件を解決する事ではありませんか!
 魔王の仕業と決め付ける前に、しっかりと調査すべきなのです!」
「黙れ黙れ! これは我等が王宮の調査機関が出した結論なのだ。国民の失踪するこの事件は東方の魔王の仕業と断定されたのだ!」

強硬に魔王の仕業と言い張る国王。
ダインの握られた指は手に食い込み血を滴らせていた。
震える声が口から漏れる。

「…やはり、そうなのですか…?」
「何?」
「この事件は、やはり王宮の仕業なんですか! だからその様に魔王の仕業と頑なに決め付けるのでしょう!」
「ば、馬鹿な事を! 何を根拠にその様な! それ以上の暴言は貴様の首を刎ねる事になるぞ!」
「調査機関がまともに動いていなかったのも王宮の管轄化だからですね!
 私が調査したところによると、被害に遭っている国民の大半が今の王宮に不満を訴えている人々でした。だから…」
「ええい! 黙れ黙れ黙れ!! 大臣! 兵を呼べ! こやつの首を…」
「国王陛下!!」

怒渇。
国王の怒声をもかき消してダインの声が響き渡る。
怒りに顔を歪める国王だが、それ以上声を荒げる事ができなかった。

「ぐぬぬ…おのれ…」
「へ、陛下…いかがなさいます…」

国王の耳に大臣が囁いた。
暫し唸っているだけだった国王だが、突然狂ったように笑い出した。
訝しむダイン。
そんなダインを他所に国王は笑い続けた。

「フフ…フハハ…フハハハハハ!! そうか! 貴様、魔王の下僕と化したな! 我が国を陥れんとする魔王と結託したのであろう!!」
「!? 何を…!?」
「おお! 陛下、流石でございます!」
「我等を謀ろうとしたのだろうが、そうはいかんぞ!
 貴様等の小賢しい策略など跳ね除けて、我が国の国力を更に増強し、諸外国を排したあとは貴様等魔王の番だ!」
「へ、陛下…! あなたは…」

と、ダインが立ち上がり国王に詰め寄ろうとしたときだった。

バンッと勢い良く開かれた扉から兵士がなだれ込んできた。

「陛下、何事ですか!? 先程から何者かの怒声が響いておりますが…!」
「おお、良いところに来た! そこにいる騎士ダインは魔王と結託した反逆者だ! 即刻牢に閉じ込めよ!」
「ははっ!!」
「国王! この…」

国王に掴みかかるダイン。
だが兵士達がダインの身体を押さえ込み、ダインは地面に突っ伏す。

「国王!! 貴様…! 貴様ーーッツ!!!」
「さぁ早くその騒々しい男を連れて行くのだ」

大臣の一声に、ダインはずるずる引きずられ扉の向こうに消えて行った。

やがて兵もいなくなった玉座の間で、二人は息をついた。

「ふぅ、やれやれ危ないところでしたな」
「全くだ。たかが一介の兵士無勢がでしゃばった真似をしおって」
「しかしまさか東方の最果てに本当に魔王がいたとは…」
「うむ…。だが、案ずる事はあるまい。我々には『アレ』があるのだ」
「そうでしたな…」
「まずは明日、あの男を城下の広場で公開処刑に処す。その後、軍と『アレ』を率いてその魔王の討伐へと出る。
 外国の連中は後回しにしても問題あるまい」
「そのように…」

二人は玉座の後ろに設けられた通路へと歩いていく。

「ああそれと、今夜は『確保』の方はいかがいたしましょう」
「そうだな…いや、今夜はよかろう。最近は立て続けに事件が起きて、国民どもも更に神経質になってきておるからな。
 今夜は残っている分だけでなんとか宥めすかせておけ」
「かしこまりました」
「フッフッフッフ…。やれやれ、早く諸外国を制圧しなくては。このままでは国民が皆いなくなってしまうぞ」
「まったくでございます…」

国王と大臣の笑い声が、通路の闇の奥へと消えて行った。


 *****


 ガタン!

牢屋に放り込まれるダイン。
入り口は巨大な鍵で施錠され簡単に開ける事は出来ないだろう。
もっとも両手足が拘束されているこの状態では、例え鍵を開けられたとしても何処にも逃げる事など出来ないが。
ふう…。壁にもたれかかって息をつく。

「やれやれ…、やっぱお前の言うとおりにしておけばよかったかな…」

暗い牢屋の天井に浮かぶのは今日会ったばかりの魔王の顔。
恐ろしく、禍々しく、巨大で、勇ましく、美しい、世に君臨する絶対の覇者。
しかし纏いたる風は邪悪ではなく、その堂々たる様はまさに王の名に相応しい。
今頃はもうあの城に戻っているのだろう。

「…いや、俺は自分を貫くとあいつと約束したんだ。
 それに、まだ終わったわけじゃない」

薄暗い牢屋の中、眼光鋭く前を見るダイン。
その目に映るは牢屋の壁などではなく誓いへの扉。

浮かべられた笑みは覚悟の証。


 *****


翌日。

式典などではパレードが行われる事もあるこの国立記念広場には多くの人々が集まっていた。
その広場の中央にははりつけにされたダインの姿。
周囲を兵士に囲まれ、そのダインの前、国王自らが前に進み出て高らかな声で言う。

「これより、重罪人ダイン・シュレーフドの処刑を行う。
 この者、我が王宮に所属する騎士でありながら今国中を騒がせている怪事件の黒幕たる東方の魔王と結託し、
 我が国を破滅させようとした」

 ザワザワ…

取り囲む国民達の間に動揺が走る。

「更には事件を企てたのが我等王宮の者であると吹聴し、王宮の信を下げ、そなた等が王宮へ助けを求めぬよう根回しもしていた。
 故に最近は王宮も満足のいく対策を取る事ができず、無念にも3つもの村が奴等の手にかかってしまった」

怒号と雑言が飛び交う。

「ふざけんなてめぇ!! この人殺しが!」
「ウチの人を返して、返してよぉ!!」

投げられた石がダインの額から血を流させた。
手足は拘束されていてその血は拭う事が出来ない。もともと拭うつもりもないが。
守れなかった…。それは事実。王宮にいた者として彼等を守る事が出来なかった。
流れ出る血も、浴びせかけられる言葉と石も、それは自分が背負うべき罰だった。

そして国王は腕を広げ、周囲を見渡し宣言した。

「よって! 本日正午丁度に、この者を処刑する事とする!
 然る後、災厄の根源たる東方の魔王を討つために、我等が騎士団の全軍が出立する! 異論のある者はおるか!!」


 ワァァァアアアアアアアア!!!


それは歓声と罪人への怒号の入り混じった音の津波であった。
大地が何万と言う国民の声に震えている。
大地の震えは大地の怒り、国民の怒りだった。
劈くような轟音が何万もの呪詛の念を乗せてダインの鼓膜を揺さぶる。
ダインは、ただ歯を食いしばる事しか出来なかった。

「正午まで待つ必要なんかねぇ! すぐに殺しちまえ!」
「首を刎ねるだけじゃあ生ぬるいぞ! 八つ裂きにしろ!」

怒号は更なる怒号を呼び、発せられる言葉もより過激なものになっていく。
その様を見て国王はにやりと笑う。
そして大臣がダインの前に立ち、はりつけにされたダインを見上げながら話しかける。

「さて、重罪人ダイン・シュレーフドよ。いかに許されぬ罪を犯した咎人と言えど、寛大な処置をもって慈悲をかけるのが決まりです。
 あなたに暫し口を利く時間を与えましょう。何か言い残す事はありますか?」

「慈悲なんかいらねぇ!」
「ああ、大臣様のなんとお優しい事か…」

口々に非難を発する民衆を、国王が手を上げて諌めた。
先程まで大歓声に包まれていた広場はやがて静かなる沈黙に包まれていった。
ポツリ…。ダインが口を開く。

「俺は…」

一拍の間。
国民全ての耳がその言葉を聞き取ろうとその小さな声を求めた。

「俺は、騎士として王宮に仕えている事を誇りに思ってた。
 国民の為にある王宮に仕えている事ほど嬉しい事は無いと、心の底からそう思ってた。
 でも今回の事件では、その王宮が動いていなかった。たくさんの国民が苦しんでいるのに…。
 だから俺は独自に調査を始めた。そうしたら国王から任務だと言われ東方の最果てに行かされたんだ」

皆が固唾を呑んでダインの言葉を聴いていた。
それはその罪人の言葉の中に真実を見たからなのか、あるいは遺言ぐらい聞き届けてやろうという同情からか、
それとも語り終えたときに一笑に伏せてやろうという嘲りのためか。

国王と大臣は余裕の笑みを浮かべてそれを見守っていた。
ダインの語りは続く。

「そこまでの道のりは長く険しいものだった。
 巨大な動物や魔物に襲われ、あるときは雨で増えた川の鉄砲水に晒され、またあるときは険しい山の土砂崩れに道を塞がれたりもした。
 そしていつしか水も食料も無くなって、俺はうっかり崖から足を滑らせ、転げ落ちたんだ。
 ボロボロになった身体…。だが薄れ行く意識の中で最後に見たのはそこに聳える巨大な城。そこで…」

思い浮かべるは魔王の顔。
肯き、ダインは笑顔で言った。


「俺は魔王と出会ったんだ…」


ざわつく国民達。
魔王? 先程国王も言っていたが魔王だと?
あれは事件の黒幕を比喩で表現したのではなく、本当に魔王なのか?
そんなものが実在するなんて、この国はどうなるんだ。
国民達のざわつきが大きくなる。

構わず、ダインは続ける。

「魔王はボロボロの俺を介抱してくれた。俺の命を救ってくれたんだ。
 俺は魔王に訊いた。何故俺の国に手を出すのかと。
 だが魔王は手を出してなんかいないと、人間の国になんか興味無いと言っていた。
 では誰が…。俺はそこで真実に辿り着いた。
 いなくなった人間は、みんな今の強行的な国の体制に不満を持っていたんだ」

更にざわつく国民達。
流石の国王達も慌て始める。

「仮に魔王が嘘をついていて、本当は手を出していたとしても、消えている人間はみな王宮に不満を持つ者達! これはどういう事だろうか!!」
「だ、黙れ! それ以上の発言は許さん!」

国王が制するもダインは止めない。

「騙されるなみんな! この事件の黒幕は王宮だ!」
「ええい、黙らんか!!」

拘束されているダインの首が二つの槍の先で絞められる。

「ぐっ…!」
「戯言を申すな罪人が! 魔王の下僕たる貴様の言葉になど、誰も耳をかさんわ! 第一、事件の黒幕が王宮だという証拠がどこにある!」
「…ッ!」
「これ以上は時間の無駄だ! 今すぐ、重罪人ダイン・シュレーフドを処刑せよ」


構えられた槍が、ダインの胸元を狙う。


 *****


ざわつきながらも一連の流れを見守っている国民達。
その中の一組の会話。

「な、なぁ、あいつの言ってる事は本当なんじゃないかな…」
「はぁ? 何言ってんだお前は」
「だってよ、事件が起こっても王宮はたいして動いてくれないし、
 それに村人全員が失踪した村の一つじゃあ、反王宮運動も起こってたって聞いた事があるんだ…」
「バーカ。そんなの、それこそあいつの言う事に騙された連中がやってたんだよ。
 そういう連中が村人全員でどこかに隠れて失踪したフリをして国を混乱させようとしたのさ。
 王宮が下手に動かなかったのも、あいつらの思うつぼになるのを防ぐためだろ」
「だけどよ…」
「くどいな。なんだろうとよ、あいつが死ねば終わりだぜ。
 そうすれば騎士団が東方に巣くってるあいつらの親玉を倒してこの事件はめでたく解決ってわけだ。ハハハハ!」

一人高笑いする男。
ゆらり。その背後から近付いた影は拳を振りかぶるとその顔面を思い切り殴り飛ばした。
男は盛大に吹っ飛ぶ。
鼻の骨が折れたのだろう。大量の鼻血を流し、ピクピク痙攣していた。
殴り飛ばした男は言う。

「くだらねえ事ほざいてんじゃねえ! 次言ったらぶっ殺すぞ!!」

殴り飛ばした男、リックスは唾を吐いて広場中央に向かって走り出した。


民衆を掻き分けながら走るリックス。
掻き分けれども掻き分けれども人の波は絶えない。
息が切れる。
昨日の夜から国境の警備に当たらされていたリックスは今朝ダインの処刑の話を聞き、死に物狂いで走りこの広場まで駆けつけてきたのだ。
そして更に幾人もの国民を掻き分けた先、ようやく視界が開ける。
まだ距離はあるが、広場の中央、そこで今にも槍を突き立てられんとしているダインの姿が見えた。
駆け出したリックスを、民衆がそれ以上近寄らないよう見張っていた兵士達が止める。
暴れるが、振り払う事が出来ない。

「この…放せよ! ダイン! ダイーーーーーーーーーン!!」

あらん限りの声で叫ぶリックス。

「リックス…!?」

はりつけにされたダインにもその声は届いていた。
兵士達もその声に槍を持つ手を止める。
国王が言う。

「どうした? 早く殺せ」

しかし、兵士の手は動かない。
兵士はポツリと呟いた。

「…できません」
「なんだと!?」

国王は驚愕の表情を浮かべる。
それはダインも同じ事だった。

「どういう事だ貴様! 重罪人を処刑する事ができんと申すのか!?」
「この人は…ダインさんはそんな人じゃありません…。
 いつも俺達の事を気にかけてくれていて、困ったときはすぐに助けてくれた人なんだ…」
「お前…」

ダインはその兵士の顔を覗き見る。
何度か見た事のある顔は、涙でボロボロになっていた。

「ええい役立たずめ! おいお前! お前がやれ!」

国王はもう一人の兵士に怒鳴りつける。
兵士はビクリと身体を震わせながら槍を持つ手に力を込めた。

「…」

だが、すぐにその切っ先を下ろした。

「ぬぅ! 貴様もか!」
「何も…何もすぐに処刑しなくてもいいのではありませんか? まずは事件の解決を優先し、その後で適切な処置に…」
「黙れ! 兵士無勢が私に意見するな」
「しかし国王陛下—…」

ところが兵士の言葉は途中で遮られた。
ばたりと倒れる兵士。
後ろに立っていたのは黒い鎧を着た騎士。
その手には血塗られた刃。
倒れた兵士の周りに赤いものが広がる。

黒鎧の騎士は静かな声で言った。

「陛下。反逆者の始末、済みましてございます」
「おお! お前は親衛隊の…」
「私が呼んでおきました」

後ろから声をかける大臣。
その後ろには今ひとりの兵士を手にかけた騎士と同じく、黒い鎧を着た騎士がずらりと並んでいた。

「…」

無言でその光景を見ていたダイン。
兵士が、目の前で殺された。
王宮に勤めていた兵士が。

…仲間に。

「なんて事するんだお前らぁ!!」

縛られた手足でもがく。
ブシュウ…! 縛られている箇所から血がにじむ。
もとより完治していない身体だ。無理がたたって他の箇所の傷も開いている。
それでもダインはもがく事をやめない。

「そいつは王宮の兵士なんだぞ! お前等の仲間なんだぞ!! それなのに、なんで殺した!!」
「馬鹿め。そやつは私の命に背いた反逆者だ。親衛騎士よ、そのもう一人の兵士もやれ!」
「御意」

スラリ 兵士の血の滴る剣が振り上げられる。
剣を向けられている兵士は恐怖で動く事が出来なかった。
叫ぶダイン。

「やめろぉおっ!! お前、逃げろ! 逃げるんだ!!」
「う…うぅ…」

後ずさる兵士。
そして意を決して逃げ出そうと振り返ったそのときだった。

 ドスゥ!

胸から背中に、剣が深々と突き刺さる。
別の親衛隊の騎士がそこに立っていた。

兵士は大量の血を吐いて だらん と力なくうなだれた。
親衛騎士は剣を振って彼の身体を投げ捨てる。
兵士の身体がごろりと転がった。

「…て、てめぇらああああああ!!」


ダインの憤怒の声が轟く


 *****


周囲から見守っていた民衆達に動揺が走る。

「お、おい! あいつら仲間を殺しやがったぞ!」
「どうなってるんだよ!」

「…」

目の前で起きた光景に、リックスの食いしばった歯茎からは血が出ていた。

「ええい! 放せ! 放せよお前等!!」

数人の兵士に押さえつけられては身動きをとる事も出来ない。
が、突然その兵士達がばたばたと倒れていった。
見れば兵士達の後ろにはスコップやら金槌やらを持った人達が立っていた。
そして倒れている兵士達の頭には大きなタンコブ。

「あんたら…」
「わしらの事はいい。早くお前さんの友人のところに言ってやれ」
「俺達も今度の事件は色々おかしいと思ってたんだ。狙われてんのも小さな村ばかりだしな」
「私の友人がいた村で全員が行方不明になってたのに、王宮がたいして調査しなかったのはこういう裏があったのね」

その人達だけではなかった。
今やいたるところで国民が武器を持ち立ち上がっていた。
それに参加している兵士の姿も見える。
皆が真実を理解した。

今、ここは王宮と国民との戦場になったのだ。

ゆっくりと立ち上がるリックス。

「すまねぇなじいさん…」
「なに、わしもまだまだ長生きしたいんでな。お前達にがんばってもらわんと次はわしのところにお迎えが来てしまうかもしれん」
「ふふん、ああ、まかせろ。いやになるくらい長生きさせてやるぜ」

リックスは広場中央に向かって駆け出した。


 *****


広場中央。

周囲から聞こえるのは無数の国民と兵士との戦いの音。
大臣は悲鳴のように国王に尋ねた。

「い、いかがいたしますが陛下…」
「ぬぅ…愚かな民共め…すぐに鎮圧しろ! 抵抗するなら斬り捨ててもかまわん!」

「ははっ!」

親衛隊以下兵士達が駆け出していく。

「黒曜!」

黒曜と呼ばれた親衛隊の騎士。
最初に兵士を殺した騎士だ。

「はっ。ここに」
「この男を始末しろ。こやつが生きていては国民どもがいつまた同じ様に暴れだすやもしれん」
「御意」

すらりと抜かれる長剣。
黒光りするそれは死神の鎌だった。

「ぐ…」

ダインは身動きが取れない。
ゆっくりと近寄ってくる死神から、逃げる事が出来ないのだ。

振り上げられる鎌。
それは命を刈り取る死の刃…。


 ギィン!!


その刃が弾かれる。
割り込んだのは両手に刃を構えたリックスだ。

「リックス!」
「なんとか間に合ったな…」

ダインを磔にしているロープを切る。
周りに目を向ければ、無残に転がる兵士の死体。

「酷ぇ事しやがる…。最低のクズだぜ、てめえら」
「…」

黒鎧の男は何も答えず、ただ剣を構えなおした。
降ろされたダインはよろよろと立ち上がる。

「ハァ…ハァ…、済まない」
「気にするな。それに俺に手伝える事があったら言えって言っただろ。このくらい楽なもんだぜ」

言いながら手に持っていたもう1本の剣をダインに手渡すリックス。
ボロボロの身体だが、息を整えてダインは剣を構えた。

「ああ、それとな、お前が出て行ったあと俺も事件の事調べてたんだがよ、
 村人が失踪した村に小さな紋章の欠片が落ちてたんだ。なんの紋章かわからなかったんだが…」

とリックスは黒鎧の騎士の胸に着いている紋章を見た。

「…今わかったぜ。…当たりだな」
「そうか…残念だ」

 ズン!!

黒鎧の騎士が振り下ろした刃が地面に穴を穿つ。
二人は間合いを取り、剣を構えなおした。

「お前身体中傷だらけなんだろ。後ろで休んでろよ」
「そういうお前こそ随分息があがってるじゃないか。それに…、ひとりで倒せる相手じゃないだろ!」

黒い鎧の騎士・黒曜に走り迫る二人。
対する黒曜はその太い腕で恐ろしい破壊力の斬撃を繰り出し迎え撃った。

 ズバンッ!!

大木さえも真っ二つに叩き斬らん勢いの剣をすんででかわし、二人の剣が黒曜の鎧を斬る。

 ガキン! 

  ガキン!

が、その鎧には傷ひとつつかない。
体勢を立て直し、再び間合いを取る二人。

「ちっ…! なんて硬さだ。手が痺れちまった」
「鎧の隙間を狙うしかないか…」
「へっ…! 悪いが息があがっててそんな細かいとこ狙えないぜ…」
「俺もだ。身体に力が入らない。…血が足りなすぎる」

 ズン ズン

歩み寄ってくる黒曜。
その身体が放つ威圧感は、万全ではない二人には大きすぎる圧迫感をもたらしていた。

「逃げた方がいいんじゃねえか。このまま戦っても殺されるだけだぜ」
「…。…いや、逃げないよ。約束したんだ、自分を貫くってな。こんなところで逃げちゃいられない」
「約束? 誰とだ?」

ダインはにやりと笑って答えた。

「魔王とだよ」

「なに!?」

走り出すダイン。
黒曜も剣を構えダインに向かって走り出す。
膨れ上がる殺気は、対する者の息を止めてしまいそうなほどに鋭かった。

そして、お互いが相手を自分の間合いに捕らえた。
横薙ぎに払われる黒曜の剣。それをダインは剣の腹で受け止めようと剣を立てた。
触れる刃と刃。
だが…。

 バキィイン!!

真二つの折れ砕けるダインの剣。
剣速もそのままに黒曜の剣は目の前の敵の首を刎ねるべくなぎ払われた。

 ズバァン…!!

「…!」

だがそこには誰もいなかった。
意表を突かれた黒曜は剣速に振り回され体勢を崩す。
その時、背後から声がした。

「ハァァァアアア!!」

いつの間にか後ろに回りこんでいたダインが黒曜の背中を蹴る。
体勢を崩されているところに、後ろからの蹴りを受けた黒曜の巨体はグラリと前に向かって倒れた。
そこに…。

「恨むんなら多くの人間を手にかけた自分と、その鈍くて馬鹿でかいてめぇの身体を恨むんだな!」

倒れこむ黒曜の下に潜り込んでいたリックスが、無防備になったその部位に剣を突き立てる。
鎧と兜の隙間、首へと。

 ズシュゥ…!

肉が裂ける感触と骨を絶つが剣越しに伝わる。
身を捻って倒れ落ちる黒曜の下から脱出したリックス。

 ズズン…

黒曜の巨体が倒れこむ。
その所為で喉に刺さっていた剣は首を貫いて背中側へと飛び出した。
黒い鎧が血で赤く染まっていく。

息を整えて二人は立ち上がる。

「へへ…やったぜ」
「だけどまだこれで一人だ。早くなんとかしないとここにいる全員が殺される…」
「そうだな…だけどどうする?」
「…。とりあえず国王を抑えない事にはこの騒ぎもあの事件もおさまらない。まずは国王を…」
「!? 国王の奴、いねえぞ!?」

辺りを見渡してみたが、国王の姿はどこにも無かった。
大臣も一緒にいなくなっている。

ふと、ダインの視界の端にあるものが映った。

「! リックス、見ろ!」
「ありゃあ…戦車じゃねえか!」

戦車。
馬によって引かれる武装した馬車だ。
その機動力と戦闘力は歩兵百人分に匹敵する。

広場のあちこちで戦車が人々を撥ねて回っている。
その中でも一際大きな戦車の上に国王の姿があった。

「フハハハ! 反逆者どもを蹴散らせ! 血祭りに上げろ!」

人々が次々と戦車に撥ねられ物言わぬ身体に成り果てていく。
そうでなくとも兵士や親衛隊に追い詰められ苦戦しているのに。

「ちぃ! 行くしかねぇぞ、ダイン!」

走り出すリックス。
ダインも少し遅れて走り出した。

ふと、クラナの言った言葉を思い出すダイン。

「人間は殺し合う愚かな生き物…か。その通りだよ、クラナ…」

自嘲気味に笑うダインだが、その数秒の思考の所為で、横から迫っていたそれに気付けなかった。


 ドン!


突然世界が回った。
空が下に、地面が上に。
わけのわからない数瞬。
やがて地面に叩きつけられ、その瞬間、身体中が思い出したかのように激痛を訴え始めた。

「がはぁッ!」

こみ上げてきた血反吐を吐き出す。
何が起こった…?
何とか首だけを動かして、辺りを見てみる。
すると横の方に走り去っていく騎馬兵が見えた。
戦闘騎馬。
体当たりで兵をなぎ払う特攻兵だ。

「あれを食らったのか…」

遠くからリックスの呼ぶ声が聞こえる。
身体を動かそうと試みるが、まるで全身の骨が砕けたかのような激痛が襲ってくる。最悪、その表現も比喩ではないだろう。
それでも震える身体を動かし、その戦闘騎馬の方を見る。
騎馬兵はくるりとターンをしてくるところだった。
もう一度、俺に体当たりを食らわせるつもりなのだろう。
リックスが走ってきてくれているが、とても間に合いそうに無い。

騎馬が目の前まで迫る。


そして…。


 ドン!!


くるくると宙を舞う。

まるで木の葉のように。

人間がこんな簡単に空を飛べるなんて…。

長い長い間の飛行の末、広場の端の民家へと突っ込んだ騎馬兵とそれを乗せていた馬。



「あれ…? 飛んだのは…俺じゃ…ない?」

呆然とするダイン。
目の前には見覚えのある黒いブーツ。
まさかとダインが見上げた先からは、あの美しくも巨大な顔が笑みを浮かべながら爛々と輝く瞳で見下ろしていた。

「ふん…随分な格好だな、ダイン」
「クラナ!!」

現れたのは巨大なる魔王クラナ。
その突然の出現に民衆、兵士、親衛隊関係なく呆然としてしまった。
城よりも、時計塔よりも遙かに巨大な者が突然この広場に現れたのだ。
広大な広さを持つこの広場も、奴と比べるとなんと狭い事か。
石畳を踏み抜くその足は民家など比べ物にならないほどに大きかった。
その足のつま先に着いている血は、先程蹴り飛ばされた戦闘騎馬のものだろう。

「な、な、な、なんだ…あれは…!」

国王も大口を開けて呆けていた。

「で、でけえ…」

リックスも立ち止まってその巨体を見上げていた。
そんな全員を無視してクラナはダインへと語りかける。

「だからあの時、国に戻らぬ方が良いと言ったのだ。そうしていたならば、そんな目には遭わなかっただろうに」
「へへ…そう言うなよ…。これでも…がんばった方なんだぜ」
「ああ、約束どおり、自分の意思を貫き通したのだな。それでこそ私の認めた男だ」
「でもお前…なんでここに…?」
「なに、お前の国の連中にはひとつ借りがあったのを思い出してな…」

クククク…。
重々しい笑い声が響きわたる。

クラナは自分の足よりも小さな家々が敷き詰められた城下町と、目の前の宮殿、そして足元の広場を見回し、厳かに口を開いた。

「卑小なる人間どもよ! 良くもその浅はかな策謀でこの私に濡れ衣を着せてくれた!
 数百人の民が消えただと? 私がその気になれば、この国の人間など瞬く間に皆殺しにしてくれるわ!
 冥府の底にて、その罪を償うがいい」

シン…。

あの騒ぎなどまるで嘘であったかのように静まり返る広場。
誰しもが固まったかのように動けなくなっていた。

そんな中で一人だけ、国王だけが声を発した。

「黙れ魔物め! ここをどこか心得てか!? 由緒正しき栄光の王国アークシードだぞ!
 そして貴様はその王国の王の前にいるのだ!! 身の程をわきまえて立ち去るがいい!!」

「ほう…、この私に対して身の程をわきまえろとは…クク、最近の人間は身の程のわきまえ方を知らんようだな」

怒る国王を嘲笑で返す魔王。
馬鹿にされた国王の顔がどんどん赤くなる。

「ククク…、だが貴様も名乗ったのだ。礼儀にのっとり、私の名前も教えてやろう」

フンと鼻を鳴らし、再び周囲を見渡してからクラナは名乗りを上げた。

「我が名はクラナ! ここより東方の最果ての地に君臨せし魔王、クラナ・シュルド・ベリアルだ!!」


 ドォオオン!!


発せられしその雷鳴の様な轟音の声に街中の窓ガラスがビリビリと震えた。
部屋の中では棚が倒れ、脆い家はガラガラと倒壊した。
広場にいた人間は皆耳を押さえて倒れ伏した。

「ま、魔王…ほ、本当にいたんだ…!」
「逃げろ! 殺されるぞ!!」


 うわあああああああああ!!


人々は蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
王宮の兵士さえも武器を投げ出して走り出す。

唯一、ダインとリックスと国王と親衛隊だけがそこに残った。

「腰抜けどもめ…。魔王から逃げられるとでも思っているのか」
「く、クラナ…おま…—」

「何をやっているか、殺せ! あの化け物を討ち取るのだ!」

ダインの声を掻き消して、国王の怒号が響き渡る。
その号令に従い、親衛隊の騎士と戦車達がクラナへと迫る。
その様を見下ろし、呟くクラナ。

「下等な虫けらが…。死なねばわからんようだな…」

フン、口元が歪む。
人間を相手にするには何千年ぶりだろうか…。
ふとクラナは足下を見下ろし、そこに立っている人間に話しかける。

「おい、そこの人間」

 ビクッ!

そこに残っている人間はリックスのみ。
リックスは巨大な魔王に見下ろされ固まってしまった。

「ダインの仲間だな。死にたくなくば、ダインを連れて離れているがいい」

「え?」

意外な言葉。
魔王が俺達を気遣うような言葉を?

疑問は抱いたが、リックスはその指示に従う事にした。
ダインに駆け寄り、その肩を抱いて立ち上がらせる。

「大丈夫か?」
「ああ…済まない」
「だけどよ…なんで魔王が俺達の事気に掛けるんだ?」
「それはな…——」
「どうした。さっさと行かねば踏み潰してもしらんぞ」

ビクリと震えるリックス。
だがダインは笑ってそれを制した。

「大丈夫だよ…クラナはそんな事しない」
「ふん」

鼻を鳴らす魔王。
歩きながらリックスはダインに問う。

「お、お前等っていったい…」
「はは、さぁね。さぁ、本当に踏み潰される前に離れよう」

そして広場の端までダイン達が下がったのを確認するとクラナは自分に向かってくる黒い鎧を着た人間達を見下ろした。
ぞろぞろと列をなして向かってくる様はまさに蟻のようだった。

「本当に虫けらだな貴様ら。いいだろう、私と虫けらの力の差を思い知らせてやる。さぁ、好きなように攻めるがいい」

腕を組み、仁王立ちするクラナ。
走り寄った騎士達はその靴に向かって剣を振り下ろす。

 ガン!

   バキン!

  ガイン!

    ギン!

数十人の騎士が競わんばかりに何度も剣を放っている。
巨大な二つの靴を取り囲み、何度も何度も。

しかしどれだけ斬りつけても、その靴には傷一つつかない。
王宮屈指の親衛隊の剣でも、大木を真っ二つになぎ払う剛の者の剣でも、その滑らかな表面に裂傷の一つもつける事が出来ないでいた。

 ハァ…! ハァ…!

屈強な男達も息を切らし始める。
ついに最後まで剣を振るっていた騎士がその場に倒れこんだ。
クラナは欠伸をかみ殺し騎士達に言う。

「まだ始まらんのか? 微動だにせずただ立っているというのは疲れるのだが」

なんだと!?
我々は今必死に攻撃していた。それこそ、剣が折れるほどに。
なのに奴は、それに気付いてすらいなかったのか!?

そんな騎士達を見下ろしていたクラナだが、以降どれだけ待っても騎士達が動き出さない事に食傷を覚える。

「…。…フン」

クラナは片足のつま先を横に滑らせた。
つま先周辺にいた騎士はその巨大な靴に激突され大きく吹っ飛ばされた。
戦闘騎馬にも勝る威力だった。騎士の何人かはうずくまったまま動かなくなった。
その瞬間、あの無敵の親衛隊達が我先にと逃げ出し始めたのだ。
そんな騎士達をクラナは冷酷な笑みを浮かべて見下ろす。

「誰が逃げ出して良いと言った? 魔王に逆らいし愚か者はみな土に還してくれる。…文字通りにな」

スッと上げられた片足が前を走っていた数人の騎士の上に掲げられる。
騎士の周りの陽光は遮られ巨大な影に包まれる。上には漆黒の靴底。
死神の鎌よりも強力な、魔王の足であった。
それがゆっくりと降りてくる。

「う、うわぁぁぁぁああ!」

逃げられない。
逃げられるはずが無い。
人間如きには…。

 ズゥウウウウウウンン!!

巨大な足が数人の騎士ごと石畳を踏み抜いた。
その揺れは他に逃げ出していた親衛隊の足を取った。
その場にいる全員が地面に投げ出されたのだ。

ゆっくりとその足がどけられたら、土がむき出しとなったその足跡の中に幾つかの赤いシミがあった。
頑強な黒い鎧も魔王の靴の前には何の意味を成す事もなく、粉々にすり潰されていた。
騎士だったそれらは、まさしく踏み潰された虫のそれと同じだった。

「クク…貧弱な連中だ。もう少し楽しませたらどうだ?」

そしてクラナはまた次の騎士を踏み潰した。
また次の騎士を。
そのまた次の騎士を。
逃げ惑う親衛隊は次々とその靴と地面の間に消されていった。

 ズシィン!!

   ズシィン!!

広場は大地震の連続に見舞われていた。
倒壊する建物すら現れている。
いくつかの戦車が横転していた。
そしてその揺れに足を取られた騎士をクラナが見逃すはずも無かった。

 ブチュ!

  クチャ!

 プチ!

踏み潰された瞬間、靴底から赤い鮮血が飛び散り地面を彩る。
横転した戦車は馬ごと踏み潰し、騎馬兵は踏み潰したり蹴り飛ばしたり。
上に乗っている人間を振り落として逃走する馬もいたが、クラナはその馬さえも踏み潰した。
魔王の笑みがより残酷なものとなる。

「ハハハハ! 虫けらども! 靴越しにお前達が潰れる感触が感じられるぞ! なかなか元気良く弾けるじゃないか!
 もっと! もっとだ! もっと私を楽しませろ!! アハハハハハ!!」

嬉々として人間を踏み潰して回るクラナ。
その笑みは人間を殺す事に快感を覚える正真正銘に魔王のものだった。
地面に穿たれた無数の巨大な足跡の中には元騎士だった赤いシミが幾つも点在している。
すでに騎士の大半が赤いシミとなってしまっているが、それでもクラナは止まる気配がない。

 ***

その振動に揺さぶられながら、ダインとリックスは呆然とクラナを見上げていた。

「お、おい、ダイン…。お前、本当にあんなのに命を助けられたのか…?」
「…」
「ダイン?」
「…」

リックスの問いはダインの耳には入っていなかった。

「クラナ…」

正直な話、クラナは違うと思ってた。
あのエリーゼとか他の魔王とは。
口では人間を蔑んでいたり脅したりしていたけれど、実際に人間を殺したりはしないと。
殺すにしても、こんな楽しそうに人を殺したりしないと思ってた。
今もまた追い詰めた騎士をひとり踏み潰した。
その顔は、とても楽しそうだった。

「…やっぱり、お前も魔王なんだな…」

ダインは、広場を蹂躙し次々と騎士を駆逐していくクラナを見つめていた。

 ***

ひとりの騎士が民家の中に隠れた。

「なんだ? 鬼ごっこの次はかくれんぼか」

クラナはその家の前に跪くと家の屋根に手をかけた。

 ベリッ!

屋根は簡単に剥がされ、中の部屋を巨大な瞳が覗き込む。
だが、騎士の姿は何処にもなかった。

次に一階の窓に指がかけられると二階部分が取り除かれた。
騎士はキッチンの隅で頭を抱えて丸くなっていた。

「もう終わりなのか? つまらんな」

 グシャリ

一階部分のみとなった家ごとその頭を抱えていた騎士を踏み潰す。
立ち上がって他の騎士を探したが何処にも騎士の姿はなかった。

「そう、かくれんぼは全員を見つけなくてはならないんだったな。いいだろう、しっかりと隠れていろよ」

言いながらクラナは足下にあった家の上に足を掲げた。
そして…。

 グシャア!!

踏み潰した。
足をどけ、瓦礫の中を確認するクラナ。

「ハズレか。次は…」

 ズシン!!

また別の家を踏み潰す。
足をどけると今度は瓦礫の中に赤いシミがあった。

「今度は当たりだったな。さぁ次はどこに隠れているんだ?」

それは獲物を嬲るような目。
クラナは次々と民家を踏み潰してく。
時には3つ以上の民家が同時に潰された。
民はすでに逃走しているから、そこにいるのは騎士だけのはずだが…。
気が付けば、広場周辺の民家はダイン達の辺りのものを除くほとんどが潰されていた。

「もう全部踏み潰してしまったか? まだ愉しみ足りないのだが…」

瓦礫となった城下町を見下ろしながらクラナは言った。
その様子を見守っていたダイン達の横の家から一人の騎士が飛び出してきた。

「む!?」
「てめぇ…!!」

二人は身構えた。が、騎士はすでに戦意を喪失していた。

「た、助けてくれ! 頼む! お願いだ!!」
「う…」
「…よく言うぜ。てめぇもさっきまで民間人を殺してたじゃねえか。自分だけ助かろうなんて虫が良すぎるんじゃねえのか!?」
「そ、それが命令だったのだ! 私のした事は謝罪する! だからどうか! どうか…」

二人の前に跪き頭を垂れる騎士。
ダイン達は顔を見合わせた。

すると辺りにクラナの声が響き渡る。

「なんだ、まだ生き残っている奴がいるではないか」

クラナはこちらを見つめていた。

 ズン! ズゥン!!

瓦礫を踏み砕きながらこちらに向かって歩いてくる。
足下がぐらぐらと揺れる。
騎士は発狂せんばかりに叫んでいた。

 ズゥウン…!!

クラナが俺達を足下に捕らえる。

「お前達が最後だ。じっくりと味わわせてもらおう」

え…?

お前達…?

ダインはクラナの顔を見上げる。
愉悦に浸るその目。恍惚の表情。
虫けらの人間を踏み潰す快楽に満ちた魔王の顔。

巨大な足が持ち上げられた。
それは騎士を、リックスを、そしてダインをその影の中に納めていた。

「お、おいダイン! 俺達も踏み潰されるぞ!」
「そんな…」

真上から巨大な靴の裏が迫ってくる。
その靴裏はすでに赤黒いシミで塗りつぶされており、無数の人だったものの成れの果てがこびりついていた。
その靴が自分を踏み潰そうと迫ってくる。

「クラナ…」

 ゴゴゴゴ…

視界が靴裏で埋め尽くされる。
靴裏が自分達の後ろにある家の屋根に触れた。
瓦が瓦礫の雨となって落ちてくる。
騎士は頭を抱えて叫んでいる。
リックスは脱出の術を探して辺りを見回していた。
ダインはただその靴裏を見つめていた。

クラナは、俺もあの靴裏のシミにするつもりなのか。

「…そんな…」

すでに靴裏は触れる事が出来る距離だ。
リックスも頭を抱えて屈み込んだ。

ダインは、大声でその名を呼んだ。


「クラナーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」


 ゴゴゴゴゴゴゴゴ………ゴゴ!

靴裏は止まった。
ダインの髪が靴裏のシミに触れて濡れていた。
後ろの家は既に倒壊して瓦礫になっている。
リックスはきつく閉じていた目を開いて辺りを見渡す。
騎士はうずくまり震えたままだ。

やがてゆっくりと靴裏がどけられた。
世界に光が戻ってきた。
靴がどけられたあとそこから見えたのは泣き出しそうに眉根を寄せるクラナの顔だった。
そんなクラナの顔を見るのは初めてだった。

「クラナ…」

クラナはゆっくりと跪くと、ぽつりぽつりと喋りだした。

「すまぬ…ダイン…。久々に得る快楽に高揚し、我を忘れていたようだ。まさか、お前を踏み潰そうとしてしまうとは…。
 すまない…本当にすまない…」

赤く輝く瞳から一粒の涙がこぼれ、ダインの上に降り注いだ。
クラナの顔は後悔と悔恨の念で塗りつぶされていた。
そこにあるのは先程までの殺戮の魔王の顔でなく、自分のしでかしそうになった事象に対する自責の念に潰されそうな儚い少女の顔だった。

「…」

ダインは軋む身体を動かしてクラナの靴の元まで歩いていった。
そしてその靴を撫でながら優しい声で言う。

「大丈夫だよ…。俺はまだ生きてる。悔やむ事なんて何も無いさ…」
「ダイン…。お前…」
「さぁ、早く自信を取り戻せ。魔王が人間に慰められてたら格好がつかないぞ」
「そうか……そうだな…。私とした事が、まさか人間に慰められるとは。恥ずかしいところを見られてしまったな」
「さんざん俺をからかった罰だよ。言いふらされたくなかったら、もう俺の事をからかったりしない事だな」
「人間が。たかがひとつ弱みを握ったくらいでいい気になりおって。今度は1日中胸の間に挟んでやろうか?」
「そ、それはちょっと…。俺が悪かった…」
「フン、わかれば良い」

ニヤリと笑うクラナと頭を掻くダイン。
リックスは不思議そうな顔で二人を見守っていた。

その時、顔を上げた騎士が、目の前に跪いているクラナを見て悲鳴を上げる。

「ひ、ひぃいいい!!」

ギロリとそれを見下ろすクラナ。
騎士はずるずると後ずさっていく。
その跡が湿っているのは失禁してしまったからだろうか。

クラナは暫くその騎士を見つめていたがやがてつまらなそうに首を振りながら言った。

「虫けらが…。最早お前等など眼中に無い。何処へなりと消え失せるがいい」

ひっ! 震えていた騎士だが、やがて瓦礫の向こうへと走り去っていった。
だが…。

 ドカアアアアアアアアアン!!

突然飛来した砲弾は逃げていた騎士に命中すると大爆発を起こした。

「な、なんだ!?」

ダイン達は砲弾の飛んできた方を見た。
そこには移動砲台が数台設置されていた。
その向こう、大型戦車の上から国王が叫ぶ。

「愚か者め! 敵を目前にしながら逃亡するとは何事だ! 敵前逃亡は極刑ものだぞ!」
「国王! てめぇ!!」
「魔王とその下僕どもよ! いい加減に死ぬがいい!! 撃てぇ!!」

 ドォン!

  ドォン!

砲台から次々と火薬満載の砲弾が発射されてくる。
それらはダイン達目掛けて飛んできて…。

「う…」
「くそっ!!」

だがその二人を巨大な掌が覆い包む。
その手に砲弾が着弾するも、中の二人は無事だった。

「大丈夫かお前達」
「クラナ! お前、手は!?」
「私があの程度のおもちゃで傷つくはずが無かろう。しかし、またくだらんものを用意したものだ」

 ドガアアアアン!!

  ドカアアアアン!!

砲弾は次々とクラナの身体に着弾しているが当のクラナは砲弾を払おうともしていない。
だが、弾幕は止む事なく放たれ続けている。

「面倒だな…。あの程度のもの潰すのは簡単だが、お前達を放っていくわけにはいかぬし…」
「…すまん…」
「ハハハ、気にする事はない。面倒だが、やりようはいくらでもあるのだ。見ていろ」

クラナは空いている手の指を砲台に向ける。
二人は指の間からその光景を見ていた。

 ボウ!!

突然、砲台が発火した。
砲身や他の穴からゴウゴウと炎が噴出している。

「あ、あれは虎を丸焼きにした…」

ダインは先日クラナが湖畔で見せてくれた光景を思い出す。

メラメラと燃える炎。
砲台の中から悲鳴のようなものが聞こえるが…。
やがてその砲身や台が溶け始めた。
ドロリ 真っ赤になった鉄は内部に向かって溶けるように消えていった。
炎が消えたとき、そこに残っていたのは薄汚れ歪な形になった溶けた金属の成れの果てだった。
もちろん、内部にいた人間の痕跡なんてかけらも残っていなかった。

「ふむ、少し火力が強すぎたか」
「…」

二人は、あの重装甲の移動トーチカがあっさり破壊された様子に戦慄していた。

「ダイン…、あれって王宮の持つ最強の兵器だよな…」
「そう…だったかな…」

そんな二人の呟きを他所に、気付けば全ての砲台が炎を吹き上げていた。

「…」

国王の前で赤々と燃える全ての砲台。
その向こうから立ち上がった巨大な魔王が見下ろしてくる。

「万策尽きたようだな。まぁ虫けらなりに良くやったというところか」
「ぐぬぬ…」
「言い残す事などあるまい? 貴様は…そうだな、私がこの手で直々に八つ裂きにしてやろうか」

クラナの手が国王に迫る。
影に包まれる国王。
国王は最後までその手を睨みつけていた。
その手がゆっくりと閉じられていく…。



その直前だった。
王宮の中から大臣が顔を出した。

「陛下! 例のものの準備が整いました!」
「! そうか!」
「例のものだと?」
「フハハハハハハハハ!! 魔王! 最早生きて戻る事など出来ないと思え!」


 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!!


突然、大地が激しく揺れ動き始めた。
大量の瓦礫が宙を舞い始める。

「な、なんだ!?」
「地震…なわけねえよな!」

二人は降り注ぐ瓦礫から身を守っていた。
その時、

 ズキン!!

「ぐっ…!」

この揺れでダインの身体中が悲鳴を上げる。
最早立っている事はできぬ身体。寝ている事さえ危ういのだ。

「ダイン! しっかりしろ!
「もう動けない…。リックス、お前は逃げろ…」
「馬鹿野郎! 誰がそんな事許すかよ!」

 ガラン!!

その時、一際大きな瓦礫が転がってきた。
それはあわや二人に激突するという直前で現れた巨大な手によって砕かれた。

「大丈夫か? この揺れ…、またくだらん事をするつもりらしいな」

気が付けば国王と大臣の姿は無かった。

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…!!

揺れはまだ続いてる。
国を取り囲む山々では土砂崩れが起こっていた。
家々が崩れ始める。

その時、王宮の後ろの大山から、特大の炎が放たれた。

「む…!」
「な、なんだ!?」

炎は国の端まで届き、避難していた人々を焼き尽くす。

「ぎゃああああああ!!」

一帯が山ほどに巨大な炎に包まれ、人々は一瞬で消し炭になった。
集団失踪事件など、問題にならないほどの人間が死んだ。

さらに大山からは炎が放たれ続けている。
その度に国のどこかで大量の人が死んでいった。

「い、いったい…何が…」

リックスが呟いたときだった。
その大山のいたるところから炎が噴き出し、山が爆ぜる様に砕けた。

そして中からは、巨大なドラゴンが姿を現したのだ。

「ど、ドラゴン!!」
「馬鹿な!!」

驚愕の表情を浮かべる二人。
山を砕き現れた巨竜。
その背に翼こそ無いものの、その巨体は全長600メートル以上ある。
クラナよりも大きかった。

突如、国王の声が響き渡る。

「フハハハハ!! 見たか!! 我等が持つ最終兵器の姿を! その力を!!」

王宮より出てきた国王。

「国王…、こんなもの…どうやって…」
「フフフ、あれは大山の地中にて眠っていたドラゴン。長い月日をかけて養分を蓄えさせ、遂に完全な復活を遂げたのだ!」

王の言葉に答えるように、天空に嘶く巨大な竜。
大気が、大地が、森が震える。
ドラゴン。それは完全なる生物。何者の抗う事も許さない最強の存在であった。

その口からあの特大の炎が放たれ彼方へと着弾する。
城下町に匹敵する程に大きな街が、あっという間に火の海になった。
嘲るように言うクラナ。

「貴様らは、国力を強くしたいのではなかったか? 民を焼き殺し、国土を何も恵まぬ焦土に変えて、いったい何がしたいのやら」

フフン と鼻で笑うとゆっくりと立ち上がるクラナ。
獰猛な牙と爪。頑強な鱗。長い首、長い尾。世界を焼きつくせし獄炎。竜。
それを見据えながらも笑っていた。

ダインとリックスの顔は蒼白になっていた。
そんな二人にクラナが話しかける。

「良かったなダイン。これで最後の謎が解けたぞ」
「え…?」

クラナを見上げるダイン。

「数ヶ月前から起きていた大勢の人間が消える事件。その消えた人間はどこへ行ったか…。
 今、そこの虫けらも言っていたな。あれを蘇らせるのに長い月日と大量の養分を必要としたと」

「……ま、…まさか……」

驚愕の表情を浮かべるダインを見下ろしながら、クラナは不敵な笑みを浮かべ言った。


「そう、その人間達は、アレのエサにされていたのだ」


「…そんな……」
「なんだとおおおッ!?」

二人は国王を見る。
国王はニヤリと笑い、手を広げて言った。

「フハハハハ!! 気付いたか! その通り!
 このドラゴンを蘇らせるためには大量の養分が必要だったのだが…、なにぶん今我が国は人口が多すぎてな。
 ドラゴンの為に回せる食料など無かったのだよ。だからな…」
「てめぇ!! そんな事のために、国民を何百人と犠牲にしたのかよ!!」
「増えすぎた人口を減らせば我等の食料も増え、同時にこのドラゴンという素晴らしい兵器を手にする事も出来る。
 まさに一石二鳥ではないか」
「!! 腐ってやがる…。てめぇは心の底から腐ってやがるぜ!!」
「さぁ話は終わりだ。汚らしい魔王とその下僕どもめ。私はこれから忙しいのだよ。
 国民のほとんどを焼き尽くしてしまったので、これから諸外国を制圧し、こやつの養分を確保しなくてはならないのでな」
「…他の国の人間まで、そいつのエサにしようってのか…」

ダインは震える身体を起こし、リックスの手から剣を奪い取ると国王に向かって走り出した。

「この野郎があああああああああああああああああ!!」

笑みを浮かべたままの国王。

 ズン!

突然クラナが地面を踏み、その振動でダインは地面に転がる。

「無駄だ。お前ひとりで竜に抗えるはずもなかろう」
「うるさい!! あいつを叩き斬ってやらないと他の国までも…」
「だからお前では無理だと言っているのだ」

 ズズン!

クラナが前に踏み出る。

「私がやってやる」
「…え?」

ダインは思わずクラナを見上げる。
その光景、脳裏に浮かぶはあの湖畔。
突如襲い掛かってきた虎とそれに相対する自分。
その巨体の前には、自分など、その剣など、全くの無力であった。
その敵の存在のひとつひとつが、自分を軽く殺せるだけの力を秘めていた。

今のクラナは、その時と同じ状況だった。
巨大な敵と相対する卑小な自分。
いや、相手は竜だ。虎の様な獣ではないのだ。完全なる生命体、竜。
あの時よりも遙かに危険なのだ。

「や、やめろ! クラナ!」

悲鳴のような声で静止するダイン。
クラナは笑いながらダインを見下ろした。

「どうした? 何をやめる必要がある」
「戦っちゃいけない! 逃げろ! 殺される!!」
「ククク…たった今立ち向かおうとしていた奴の台詞ではないな。
 心配するな。たかが肥大しただけのトカゲごときに私やられるわけがなかろう」
「だめだ! だめだクラナ!!」
「フン、やかましい奴め」

クラナはしゃがみこみ、人差し指でダインの身体に触れる。
ダインは自分よりも大きな指先が、自分の頭を優しく撫でるのがわかった。

「私を誰だと思っている? 魔王クラナだぞ。何者であろうとも私に敵う奴などいない」
「クラナ…」

立ち上がるクラナを見上げるダイン。
その動作が、まるでクラナが手の触れる事の出来ない遠くに行ってしまうかのようで、心に妙な喪失感が生まれた気がした。

「まだ不安に感じるか。…いいだろう、ならば不安など二度と感じぬよう、私の力をその目に焼き付けろ」

更に前へと進むクラナ。
クラナの感覚であと数歩も歩けばあのドラゴンの眼前だ。そこで立ち止まる。
横にある王宮で国王が叫ぶ。

「フハハハハ! 脆弱なる魔王め! 我がドラゴンの力をじっくりと味わわせてやる!
 その後、ゆるりとその身体を食らわせてもらおう! 貴様1匹の身体だけで、人間数千人分のエサができるわ!」
「そんな遊んでる時間はないな」
「なに…?」

ニヤリと笑みを浮かべるクラナ。

「ダインの目に、私の力を焼き付けなければならないのだ。その為には、そのトカゲを一瞬で叩き伏せるのがいいと思うのだが…、
 ……なんなら貴様が瞬きでもしている間に、終わらせてやろうか」
「!! このケダモノめが! やれぃ!!」

国王の声が響くとドラゴンの口に赤い炎が溢れる。
一度に街ひとつを焼き尽くし、数千人の人間を殺す事の出来る灼熱の息吹。
それを見上げるクラナには動揺のかけらも見られないが。
その息吹が放たれた。

 ゴオオオオオオオオオ!!

凄まじい紅炎がクラナ目掛けてほとばしる。
周辺の酸素を一瞬で燃焼させるような超高温。
焦熱地獄を生み出す炎の中の炎。

クラナは笑みを浮かべたまま片手を上げ、なんとその炎を受け止めた。
顕現された地獄の炎はその手に触れると周囲に四散していく。
国王の目が驚愕に見開かれる。
ダインとリックスも言葉を失っていた。
弾かれた炎は瓦礫の上に降り注ぎ周囲を炎の渦と化していった。

やがて、そのあふれ出ていた炎の息吹も勢いを失って枯渇する。
最強の存在、ドラゴンの獄炎を片手で防ぎきった魔王。
国王は立ち尽くしていた。

「な……なんだ…と……!?」
「たかが吐息のひとつで私を殺せると思っていたのか? この程度の炎では火傷する事も出来んぞ」
「お…おの……」
「クク…だが安心しろ。一つだけ、予想外な耐えられないものがあった」

何?
火傷すら負わない魔王が耐えられないもの?

国王も含めその場に生き残っている3人は首をひねった。
クラナはその片手をひらひらさせながら言う。

「吹き付けられる息が臭くてな、鼻が曲がりそうだった。ちゃんと歯は磨かせていたのか?」

その嘲りにゆでだこの様に真っ赤になる国王。

「お…、お、お、お、おのれえええええええ!! 竜よ!! その爪で引き裂け!!」

掲げられる巨大な腕はクラナの胴体ほどに太い。
その先に付いている鋭い爪は家よりも大きかった。
うねりをあげて振り下ろされる巨大な爪。

 パシリ

クラナは片手でその爪を受け止める。
そしてもう片方の手でその腕を掴むとその腕を思い切り捻った。

 ベキィイ!!

甲高い音が国中に響き渡る。
巨大な竜の腕はありえない方向に曲がっていた。
その激痛と、折れた腕では支えられない体重に、ドラゴンはその場に倒れこむ。
クラナは倒れた竜に近寄り、その首を踏みつける。

 ボギィッ!!

首の骨が折られた。
ドラゴンは血の泡を噴いて痙攣している。
足を降ろし、国王を見下ろすクラナ。

「こんなものか…。最強の生物が聞いて呆れるわ。そうは思わんか?」

そんな…。
私の…私のドラゴンが…最強のドラゴンが…。
国王は膝を着き呆けていた。

「ど、ドラゴンを……あ、あっという間に……」

固まったリックスの口からやっと漏れる言葉。
ダインも心の底から驚いていた。
これが…魔王か。
だがそれよりも、安堵の方が勝っていた。

「よかった…クラナ」

ふぅ、息を漏らすダイン。


ドラゴンは虫の息であったがまだ生きていた。
それを一瞥してから国王を見下ろして言うクラナ。

「さて、こんな大きなゴミが転がっていたら邪魔だろう? 私が取り除いてやる」

取り除く…?
国王は虚ろな瞳でその巨大な魔王を見上げた。

するとクラナの身体が輝き始める。
そこにいる誰もが光を遮るために目を閉じた。

「な、なんだ!?」
「クラナ!!」

確認しようにも、この光では目を開く事が出来ない。
ダインは目を閉じたままその名を叫んでいた。

やがてその光も収まり、視界が取り戻される。
目を開くダイン。
しかし、そこにクラナの姿は無かった。
まさか消えてしまったのか?
周囲を見渡してもその姿は見えない。

「そんな……、クラナ…! クラナーーーーーーーーーーッ!!」
「なんだ?」
「へ…?」

クラナの声。
しかし良く通るはずのその声がやや篭ったように響く。
いったい何処に。
再びあたりを見渡すがやはり姿は見えない。
ん?
あれは…?
目線の先、この城下町を取り囲む山脈の向こうに巨大な黒いものがあった。
それは山々よりも遙かに高く空へと続いている。
更に上を見るとゆらゆらと揺れる赤と黒のオーロラ。
更に更に更にと上を仰ぎ見ると遙か天空、雲の上からクラナの顔が見下ろしていた。

「どうした? ダイン」
「え…?」

ダインは再びあの山脈の向こうの黒いものを見る。
あれは…靴?
ならあのオーロラは…服?
ダインは叫んだ。

「なにいいいいいいいいいいいいいいいいいッ!?」
「そう騒ぐな。いちいち驚いていたら男の価値が下がるぞ」
「で、でもお前、その大きさ…」
「フフ、お前に私の力を見せ付けるためだ。視界を埋め尽くしてしまえば、いやでも目に入るだろう」

ニヤリと笑うクラナ。
その紅い双眸はまるで二つの太陽の様だ。
リックスと国王は最早茫然自失であった。

「さて—…」

とクラナは横たわる小さな巨竜を見下ろす。

「まずはゴミ掃除だったな…」

しゃがみこむクラナ。
それは3人にとっては空が落ちてくるような現象だった。
そして片手を伸ばしそのドラゴンを摘み上げる。
先程よりも遙かに巨大な手。
ダインの視界はその指だけで埋め尽くされてしまった。
小さなドラゴンをその指に摘んだままクラナは立ち上がった。
巨大な指に摘み上げられたドラゴンは折れた首で必死にピーピー鳴いていた。
その様を巨大な瞳で眺めながらクラナは言う。

「哀れな竜よ。恨むなら貴様を蘇らせた小賢しい人間を恨むがいい。
 人間さえいなければ、貴様はこんな目にも遭わず地中でゆっくりと眠り続けていられただろうにな」

言うとクラナは顔を上に向け、ドラゴンを口の上に持ってきた。
そしてその小さな竜を口の中に落とすとそれを呑み込んだ。

 ゴクリ

それは下の3人にも聞こえるほど大きな音だった。
その光景、最強のドラゴンが丸呑みにされる様を見ていたダイン。
ダインの視線に気付いたのかクラナが見下ろしてきた。

「なんだ? 豆鉄砲でも食らったような顔をしているぞ」
「お前…、ドラゴンなんか呑みこんで…」
「案ずるな。たかがトカゲの一匹、つまみにもならんわ。
 クク…奴め、私の胃の中で暴れているぞ。相当に苦しいのだろうな。胃液の海でもがいている姿が目に浮かぶ。
 ん? 今、炎を吐いたぞ。そんな事をしても胃の動きを活発にさせるだけだろうに」

ククク…と酷薄な笑みを浮かべながらお腹を撫でるクラナ。
ゴクリと唾を飲むダイン。
胃液の海。

「俺から見たら、今のクラナの胃なんてまさに海だろうな…」

ダインは広大な胃の中に落とされた自分を想像して身震いをした。



「さぁ、残るは貴様だけだな」

ギロリ。
国王を見下ろす。
国王はビクリと身体を震わせると慌てて立ち上がった。

「今の貴様は虫けらにも劣る塵芥だ。私の靴の、どこに付いたかもわからん小さな肉塊にしてやろう」

山の向こうにあった巨大な靴が城下町の上に掲げられた。
靴の影は街と王宮、城を包み込んであまりある。
靴のかかとが、ダイン達の前に降ろされた。
その後、靴はゆっくりと前に倒されていく。
既に王宮の上空は靴裏で埋め尽くされていた。
ふらつき、倒れながらも王宮の中に逃げ込む国王。
走りながら自分の右腕を呼ぶ。

「だ、大臣! 大臣は何処へ行った!」

返事がなければ姿も見えない。
天井からガラガラとその欠片が落ちてくる。
その時、王宮の3階部分以上は靴に押し潰されていた。
轟音にその声がかき消されそうになりながらも国王は叫び続けた。
天井に巨大な亀裂が入る。2階が潰されたのだ。
落ちてくる巨石を避けながら、国王は必死に走り続けた。
すでに王冠すらも無くし、ボロボロになった衣からは威厳など微塵も感じられなかった。

「大臣! 大臣ーーッ!! 貴様ならなんとか出来るのであろう!? ドラゴンの復活も、貴様の考え———…」

国王の頭上に、天井と共に巨大な靴裏が現れた。


 ズズゥゥゥゥゥゥゥゥゥウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウンンンンンンンン!!

国王はその轟音の中に消えた。


 ***


ダイン達の眼前に踏み降ろされた靴。
二人はその轟音と突風に耐えながら王宮の最後を目にした。
踏み降ろされた靴がゆっくりとどけられる。
靴がどけられたあと、そこにはあの神々しい王宮の姿など欠片もなかった。
あのドラゴンの現れた裏の山脈も無い。
そこあったのは、長さ数千メートルにも及ぶ広大で真っ平らな盆地だった。
二人の目の前から広がるそれは周囲の山を鋭角に削り潰し、そこからは地平の彼方まで臨む事が出来た。
その巨大な穴を覗き込むダイン。
深さは100メートル以上ある。その断面には無数の地層が見えた。
視線を少し先に。
周囲がむき出しの土色に染まる中、灰色の砂でてきた模様。
あれが、王宮の成れの果てだろうか。

「国王…」
「ふん! だがこれでもう…王宮の連中に国民が手をかけられる事もない…」
「いや、まだだ」

気を落ち着かせかけた二人を制したのは天を突かんばかりに巨大なクラナ。
その姿がまた光に包まれる。
先程の様に強烈な光ではないので、二人ともその光景を見る事が出来ていた。
光に包まれたクラナの姿がだんだんと小さくなってゆき、やがて元の大きさまで戻る。
それでも十分に大きいのだが。
小さくなったクラナにダインが問う。

「クラナ…、まだって…?」
「フン」

鼻を鳴らしたクラナは周囲の瓦礫をギロリと睨みつけると、ある一角に目を定め、そこに手を突っ込んだ。
その手に掴まれて姿を現したのは大臣だった。

「だ、大臣!」
「てめぇ! 生きてやがったのか!」

クラナの指に摘まれて苦しげな顔を上げる大臣。
リックスが進み出る。

「この外道が…!
 いったい何百人をあの化け物のエサにしやがった いったい何万人をあの炎で殺しやがった!! お前なんか…人間じゃねぇ!!」
「その通りだ」

突然リックスの言葉を肯定するクラナ。
何…?
ダインは尋ねた。

「どうしたクラナ、突然。その通りって…」
「ダインの仲間…リックスとか言ったか? クク…なかなか鋭いな。そう、お前の言うとおり—…」

再び鼻を鳴らし、指に包まれた大臣をつまらなそうに見て、言う。

「こいつは、人間ではない」
「何ッ!?」

二人の目が見開かれる。

「フン」

その瞬間クラナの指から電光が爆ぜ、大臣の身体を包み込む。

「ぎゃあああああああああ!!」

雷にも匹敵する強大な電撃を受け大臣が悲鳴を上げた。
その姿が、どんどん人ならざる者のそれへと変わっていく。
ドス黒い肌。身体の各所から出た突起物。噴き出す血は汚い緑色であった。

「な…」
「なんだと…!?」

電撃が止んだあと、その指の間でぐったりしていたのは、明らかに人ではなかった。
魔族。
人間に仇なす闇の住人。

「これがこいつの正体だ。小賢しい弱小魔族でな、くだらない甘言や妄言で人間を惑わし破滅させる事を好む。
 …大方、今回の騒動もこいつの進言だったのだろう」
「こいつが…黒幕…」

ダインはクラナの指に挟まれた傷だらけの魔族を見上げた。
その魔族はボロボロになった身体を震わせながら自分を捕らえている魔王の顔を憎々しげに見る。

「お…おのれ…。東方の最果てにいたという魔王は貴様だったか…クラナ・シュルド・ベリアル…」
「魔王がいた事がそもそもの誤算だろうが、よりにもよって私だったのが更なる誤算だったな。
 他の魔王であれば、そこに来たダインを殺してそれで終いだったはずだ」
「人間に手を貸すのか……魔王が…落ちぶれたものだ…」
「違うな。ダインだから貸したのだ。他の人間だったら、私であっても殺していただろう」

震えながら魔王を睨みつける魔族。
それを見下す魔王。

「まぁいい。とにかく貴様のくだらない悪巧みもこれで終わりだ。このまま捻り潰してやってもいいが…」

魔族を摘む指に力が込められる。
押し返そうとするが、魔族の力を持ってしてもその指はびくともしなかった。
その指の力が突然緩められる。

「それでは納得出来ん奴がいるのでな。貴様の始末は、そいつに任せるとしよう」

言いながらクラナはその魔族をダインの前に放り投げる。

「え…?」
「お前がやれ。お前の国の人間が何万と死んだのも、すべてはそいつが原因だ。お前の好きなようにけりをつけるがいい」

目の前には身体の半分が潰れかけたボロボロの魔族。
光の無い双眸が憎しみを込めて自分を見上げている。

こいつが…みんなを…。

「リックス…」

ダインは後ろに控える友人を見た。
友人は黙って肯いていた。

「…お前がやってくれ。俺の分も、任せる。…みんなの仇を取ってくれ」

肯き、再び魔族を見下ろすダイン。
柄を握り締め、剣を振り上げる。

身体中が悲鳴を上げている。骨の軋む音が聞こえる。
痛みに気を失いそうだ。力が入らない。

二度は無い。この一振りで、すべてを終わらせる。

「はああああああああああ!!」

 ズンッ!!

その黒い胸にボロボロの剣が突きたてられた。

「ぎゃあああああああああああああ…!!」

断末魔。
魔族は傷口から緑色の血を噴き出しながら息絶えた。
やがてその屍は霞の様に消えてしまった。

パタンと倒れるダイン。


全てが、終わった…。


 *****


陽が傾いている。
西に消え行く太陽が紅く燃えていた。

日に照らされ伸びた倒れかけの建物の影の中、ダインは瓦礫にもたれかかっていた。

身体が動かない。

魔族に止めを刺したあと、まるで糸が切れてしまったかのように動かなくなった。
指の一本すら動かせなかった。

「まぁ、あの重傷であれだけ動けたのが奇跡なんだけどな…」

フフ…。かすかに笑うダイン。
その横に立つリックスは沈んだ声で言う。

「ダイン…」
「後悔なんかしてないよ。俺は何万もの人々を助けられなかったんだ…。これは俺が背負っていく罰なんだよ」
「それなら俺だって…」
「お前にはまだやる事が残ってるだろ。生き残った人々をもっといい土地に連れて行かないと…。この国はもう…終わったんだ…」

無数の瓦礫…。
焼き尽くされた大地…。
ここは最早、人の住める地ではなかった。

「ならダイン、お前も一緒に!」
「俺はいいよ。俺は、クラナと一緒にいく」

言いながらダインは山にもたれかかり腕と足を組んでいる巨大な魔王を見た。
鼻を鳴らす魔王。

「ダイン…」
「頼むよ。これを頼めるのはお前しかいないんだ。手伝える事があったら言えって言ったのはお前だろ?」

笑うダイン。
それにつられてか、沈んだ表情をしていたリックスも笑った。

「…わかったよ。男に二言はねぇ。約束は守るぜ」
「悪いな、リックス」
「よせよ水くせぇ。…じゃあ俺はもう行くぜ。あれだけの人間が住める土地なんて簡単には見つからないだろうからな。長旅になるぜ」
「気をつけてな」
「おいおい、ボロボロのお前に言われたくねぇよ」
「ハハ、そうだな」
「あばよダイン。また会おうぜ」
「ああ、それまで…達者でな」

立ち去っていくリックス。
ダインは夕日に染まる友人の背中を見えなくなるまで見つめていた。

リックスが見えなくなったのを確認してクラナは話しかける。

「…本当に良かったのか? あの男と一緒に行かなくて」
「ああ。俺はクラナと一緒に行きたいんだ。帰る国ももう無いし、もう少しお前といたいよ。連れてってくれるよな?」
「私としては願ってもない事だが…。人間が自ら進んで魔王の元に下るなど聞いた事もない」
「だろうね。俺も人間が魔王のところに行ったなんて話し聞いた事無いよ」
「フン。まぁいい。では戻るとするか」

ゆっくりと立ち上がるダインに近寄るクラナ。
ダインの身体がその大きな影に包まれる。
立ち上がろうとしてダインは身体が動かない事を思い出す。

「ごめん…」
「そう落ち込むな。今まで気力のみで動いていたボロボロの身体が緊張が解けて動かなくなっただけだ。少し休めば動けるようになる」

ダインの身体を摘み上げ手に乗せクラナは歩き出した。
目指すは東方の最果て、魔王の居城。
到着する頃には、もう陽は暮れてしまっているだろう。
クラナの手の上からなら、いい星空が見えそうだ。

ダインは自分をその手に乗せる魔王の顔を見上げた。

「どうした?」
「ううん、なんでもない」

ルビー色の大きな瞳がくりくりっと自分を見る。
笑ってそれに答える。

「おかしな奴め」

クラナも笑った。


そして一人の人間と一人の巨大な魔王は、遠く最果ての地へと消えて行ったのだった。


 *


 *


 *


 *


 *

「ところでダイン。城に着くまで暇だろう? 今度は胸の間に入れてやる」
「や、やめ…! ………むぐっ!」


ちゃんちゃん。








 *** おまけ ***


数年後。

この最果ての地に魔王が住んでいるという噂を聞きつけた自称勇者達がその首を取り名を上げようとやってきた。
勇者達の前には巨大な扉。城と、地獄への入り口。
扉だけでも強大な威圧感を誇っている。

だが、恐れる事はない。
我等全員でかかればたかが1体の魔王如き容易く仕留めてくれる。

勇者達のリーダーが前に進み出て、叫んだ。

「世に仇なす魔王よ! 我等は世の人々の為、貴様を打ち倒すためにここに来た! いざ、門を開けられよ!!」

シン…。

なんの返事も無し。

おや? と勇者達が首をかしげたときだった。

 ズン…

大地が揺れた。
来たな、魔王め。

勇者達は武器を構えた。

 ズン… ズン… ズシン… ズシン…! ズシン! ズシン! ズシンズシンズシンズシンッ!!

グラングランと揺れる。
勇者達は地面に投げ出されていた。

「地震か! それにしては随分と規則的…。…ていうかテンポが速くなってる…?」

リーダーは地面に突っ伏したままその扉を見上げていた。


 バァン!!!


すると突然、扉は勢い良く開かれ中から巨大な魔王が姿を現した。
なりは人間の娘のものだが、その体躯、その威圧感。まさに魔王のもの。

「出たな! 魔お……」

立ち上がったリーダーが言葉に詰まったのは、遙か高みの魔王の顔が、もの凄い怒りに染まっていたからだった。
眉は吊り上げられ、頬は赤く染まり、見下ろす目は視線を合わせるだけで相手を昇天させるだろう凄い怒りが込められている。
心なしか、額に青筋が浮かんでいるような…。

魔王は地獄の底から響くような唸り声を震わせながら言う。

「貴様ら………せっかく……せっかく今、ダインといいトコロだったのに………!」

プルプルと震える魔王。
勇者達は腰が引けてしまった。

魔王が叫ぶ。

「許さん! 許さんぞ貴様等!! 骨の髄まで…魂の髄まで焼き尽くしてやる!! そこになおれ!!!」

 ボン!!

魔王の手に灯る巨大な炎。
それは小さな太陽だった。

「ひ、ひいいいいいいいいい!!」

勇者達は悲鳴をあげた。
太陽を持った手が思い切り振り上げられ、それが勇者達目掛けて投げつけられようとした…そのときだった。

「待て! クラナ!」

何者かの声。
その声に振り下ろされようとしていた手が止まる。
魔王が言う。

「止めるな! こいつら…一番いいトコロで邪魔を…!」
「だからってそんなの叩きつけたら死んじまうだろうが。それに人間が攻め込んできたらまず俺が相手する約束だろ」
「しかし…」
「すぐに終わらせるから。そしたら続きをやろうな」
「そ、そうだな…。わかった、お前にまかせる。その代わり早く終わらせろよ! 一瞬だ! 私がまばたきしてる間に終わらせろ!」
「はいはいわかったよ」

勇者達は何がなんだかわからないまま魔王とその姿が見えない者の会話を聞いていた。
すると魔王の足下、スカートの中から誰かが下りてきた。

身体中がベトベトの粘液まみれの男は頭を掻きながらこちらに近付いてくる。

「…ったく、中に俺を入れたまま走らないでほしいよ。久々に死ぬかと思った…。あーあ、身体中ベトベトのままだし…」

その粘液まみれの男は髪に付いた糸を引く粘液を取り払いながらなにやらグチをこぼしている。
リーダーはとりあえず剣を構えて男に話しかける。

「き、貴様らがこの地に住まう魔王の一派だな…」
「そうだよ。俺はダイン。あっちはクラナだ」

ダインは親指で後ろのクラナを指差す。
なんだ、この男は…。
リーダーは目の前の粘液まみれの男を見る。なんか妙な匂いもするし。

「と、とりあえず貴様等がこの地に住まう魔王である事は確認した! 世のため人のため、討ち取らせてもらう!」
「世のため人のため、ね。じゃあ俺は俺とクラナの為に剣を振らせてもらうよ」

ダインは腰から粘液まみれの剣を抜く。刀身がヌラヌラと光っている。

「げっ…鞘の中まで入ってたのか…。錆びないだろうな…」
「ゆくぞ!!」

切りかかるリーダー。
それをそのヌラヌラの剣で受け止めるダイン。

 キィン!

お互いの剣が火花を散らす。
更に二度、三度、刃が交わるたびに無数の火花が散る。

 ガィン!

幾度目かの一撃を機に二人は間合いを取る。
口を開くリーダー。

「貴様、なかなかやるな」
「当然。昔は王宮警護隊騎士団のひとりだったんだから」
「王宮警護…。それほどの者が、何故、魔王の下にいる?」
「人間って奴に嫌気がさしてね。それにその国ももう無いし、なら魔王の下に身を寄せてもいいかなって思ってさ」
「惜しい男だ…。それ程の腕ならば、世のため人のために大きく貢献できただろうに…」
「かもね。でも今だって人の役には立ってるよ。
 俺がこうやってあんた達を追い返せば、あんた達はクラナに殺されなくて済むだろ?」
「ほう? 魔王の手下が俺達の事を心配するのか?」
「まぁね。やっぱ人が死ぬのは見たくないしな」

とイライラした様子で指を動かすクラナが話しに割り込む。

「ダイン! いつまで待たせるつもりだ!」
「わ、悪い…。やれやれ…それじゃあ決着をつけるとするか」
「フフ、貴様もなかなか大変なようだな、魔王の手下、いやダインよ。だが決着を着けるのは少し待ってくれないか?」
「? 何故?」

リーダーはにやりと笑ってダインを見る。

「久々に良い腕をしている男に会った。俺も久しぶりに名誉の事など忘れよう。今はもう少し、貴様と剣を交えていたい」

言いながらリーダーは剣を構える。

「いいね。俺もあんたみたいに強い人は久しぶりだよ。クラナには悪いけど、もう少しだけ楽しもうぜ」

応えるようにダインも剣を構える。
そして…。

 ガィン!!

再び剣劇の音が山中に木霊する。

その音はいつまでもいつまでも、日が暮れるまで止む事は無かった。




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  〜 魔王クラナ  完  〜

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