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 〜 魔王クラナ 〜


 第10話 「目が痒い」

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それはエリーゼと遊んでいるときの事だった。
エリーゼがしきりに目を擦り始めたのだ。

 ダイン 「どうした?」
 エリーゼ 「目が痒いの〜」

ゴシゴシと目を擦るエリーゼ。
手に乗せられているダインはその動きに合わせて乗っている手も揺れているのを感じていた。
玉座に座っていたクラナが近付いて来てエリーゼの顔を覗きこんだ。

 クラナ 「目にゴミでも入ったか? それとも花粉症か?」
 ダイン 「花粉症、あるんだ。魔王にも」
 エリーゼ 「痒いよ〜……ねぇダイン、掻いて」
 ダイン 「掻けるかーッ!」
 エリーゼ 「お願い掻いてー!」

駄々をこねるエリーゼは無意識のうちに手を握りダインはその拳の中に閉じ込められた。

 ダイン 「ぐぅ…っ! だ、大体目を掻くなんてそんなこと…」
 エリーゼ 「やだぁ! 掻いてーッ!」
 ダイン 「(メリメリメリ…)ぐ…は…。そ、そんなこと…言ったって……く、クラナぁ…」

握られた拳の中から蚊の様な声を絞り出すダイン。

 クラナ 「ふん…。まぁ大丈夫だろう。ダイン、掻いてやれ」
 ダイン 「え?」

拳が開かれ、掌の上からクラナの顔を見上げる。

 ダイン 「そ、そんなこと…大丈夫なのか?」
 クラナ 「お前が触ったところで潰れるほどやわな目玉ではないだろう。難だったら剣も使え」
 エリーゼ 「やったー! クラナちゃんありがとう!」
 ダイン 「く、クラナ…ッ!」
 クラナ 「そう怒るな。恐らくゴミか何かが入っているのだ。エリーゼに延々と目を擦らせるより、お前に取らせたほうが早い」
 ダイン 「そ、そうなのか…」

ダインはエリーゼの顔を見上げた。
それに気付いたエリーゼはにっこりと笑った。

 ダイン 「…わかったよ」
 エリーゼ 「わぁい! はいダイン、乗って」

ダインの前にエリーゼの人差し指が差し出された。
その指先に飛び乗ると、指は文字通りエリーゼの目の前までダインを運んだ。
そこにはとても大きな青い瞳の目玉があった。
この至近距離では背筋に薄ら寒いものも覚える。

 エリーゼ 「じゃあダイン、お願いね」
 ダイン 「…」

目の前の瞳には自分の顔が映っている。
ダインはおっかなびっくり指から身を乗り出すと眼球の白い部分に触れた。
それは生暖かい粘膜の様なものに包まれていた。
だが、そのときだった。

 エリーゼ 「あーん、くすぐった〜い」

 パチン

ダインの手の動きにむず痒さを覚えたエリーゼはついまぶたを閉じた。
だがダインにとってそれは腕を岩戸に挟まれたようなものだった。

 ダイン 「い、イタタタタタ! お、折れる折れる折れる折れる! 潰れる!!」

とっさにエリーゼが頭を動かしたためダインはエリーゼの指先から離されてしまっていた。
つまり今はまぶたに腕を挟まれぶら下がっている状態だった。

 エリーゼ 「あ、ごめんね!」

ダインの惨状に気付いたエリーゼはパッと目を開いた。
しかしそれは命綱でもあったダインの腕を解放し、数十mの自由落下を意味していた。

 ダイン 「え…? あ、あああああ!」

地面へと落ちていくダイン。
途中、エリーゼの胸でバウンドし放物線を描いて落ちていく。

 ドサ

クラナに拾われた。

 クラナ 「大丈夫か?」
 ダイン 「いたたた…た、助かったよ…」
 クラナ 「まったく…。エリーゼ、もっとよく考えてから行動を起こせ」
 エリーゼ 「あぅ…ごめんねダイン」
 クラナ 「それでまだ痒みは感じるのか?」
 エリーゼ 「うん」
 クラナ 「ふぅ…。ダイン、もう一度だけやってやれ。今度は私も手伝う」
 ダイン 「…わかった」

クラナの指先に乗せられ再びエリーゼの目の前に行く。
そしてエリーゼの目はクラナの空いている手でグイっと開けられた。

 エリーゼ 「クラナちゃんこわいよ〜」
 クラナ 「これなら閉じたくとも閉じられまい。ダイン、こいつの目が乾く前にやってしまえ」
 ダイン 「あ、ああ…」

キョロキョロと動く目玉に手を伸ばすダイン。
自分より大きな目玉はそれだけで恐怖を覚える。
ダインは白目に触れ掌でさすってみる。

 エリーゼ 「あ〜ん、くすぐったいよ〜…」
 ダイン 「た、頼むからまぶた閉じないでくれよ…。で、この辺か?」
 エリーゼ 「ん〜ん、もっと下の方」
 ダイン 「下の方って…」

それは下瞼の裏に手を入れるということだった。
流石にためらわれる。

 ダイン 「…」
 エリーゼ 「どうしたの?」

キョロリと青い瞳がダインを捉える。
そして二の足を踏むダインにクラナも話しかけた。

 クラナ 「大丈夫だ。がんばれ」
 ダイン 「…よし!」

目と瞼の間にズルリと手を滑り込ませる。
中は暖かくそれでいて涙で濡れていた。

 エリーゼ 「あ、その辺かな。痒いの」

痒みとダインの手の動きが気になるのだろう。
しきりに目玉が動く。
実はダイン、さっきから目と下瞼の間に引きずり込まれそうになっていた。
堪えながらに必死に手を動かす。
掻くといっても指を動かす程度では意味が無いだろうと手を振り回しているのだ。
ブンブンブンブン!
爪を立て動き回らせる。
これを自分の身体でやったらそこらじゅう蚯蚓腫れになるだろうな、とか思いながら。
その時だった。

 ダイン 「うん?」
 クラナ 「どうした?」

ダインの手に何かが触れた。
手に収まるくらい小さな何かだ。
お互いに濡れていて触感ではよくわからない。
…動いている?
かすかにだが、確かにそれは動いている。
ダインはそれを手に収めると腕を引き抜いた。
クラナの掌の上に戻されたダインは自分の掌の上のものを確かめる。

それは、小さな鳥だった。

 ダイン 「と、鳥!?」
 エリーゼ 「ふぇ?」

クラナとエリーゼも覗き込む。
たしかにそれは鳥だった。
もぞもぞと羽を羽ばたかせようとしているが粘膜が絡みついて翼が開けないでいる。

 ダイン 「なんで鳥が…」
 クラナ 「…エリーゼ、歩くときもう少し前に何があるか気にしながら歩けないのか」
 エリーゼ 「だってーこんな小さな鳥が飛んでてもわからないよー」

クラナ曰く、飛んでたところをエリーゼの目に激突され気絶し粘膜に捕らわれてしまったが先刻意識を取り戻し動き出したからエリーゼに痒みを与える事となったのだろうと言う話。
鳥にしたら迷惑な話だ。

 ダイン 「このままじゃかわいそうだから放しに行こう」
 クラナ 「そうだな」

ダインを手に乗せたまま立ち上がったクラナはゆっくりと外に向かって歩き出した。

 エリーゼ 「ああ、待ってよー!」

エリーゼも慌てて立ち上がり二人の後を追った。


 *

 *

 *


扉を開けて外に出る。
地面に降ろされたダインは鳥の絡まっていた粘膜を丁寧に取り除くと手を掲げ鳥が飛び立つのを待った。
暫くすると羽が乾いたのか鳥は翼を動かし始め、やがてふらふらしながら空へと飛んでいった。

 ダイン 「ふぅ…これでよし。でもなんであんな小さな鳥がエリーゼの目の高さなんか飛んでたんだろう」
 エリーゼ 「えへへ、実はあたしここに来る途中に転んじゃったんだ。その時に入ったのかな」
 クラナ 「ますます注意しながら歩けという話だな」

ダインはクラナに拾い上げられ3人は城の中へと戻っていった。

 エリーゼ 「ねぇ、可愛いものを言うとき『目の中に入れても痛くない』って言うよね」
 クラナ 「言うな。というかよくお前がそんな言葉を知ってたな」
 エリーゼ 「じゃあさ、ダイン、目の中入ってみない?」
 ダイン 「なにぃ!?」
 エリーゼ 「ダインかわいいから、きっと痛くないよ」
 ダイン 「ま、待って、比喩だから! 例えだから! それに俺もうさっき片腕突っ込んだからいいよっ!」

クラナの手を後ずさるダインにエリーゼの指が迫る。

 ダイン 「や、やだ…クラナぁ!」
 クラナ 「いくらダインが小さくても入れるような空間は無いだろう。やめておけエリーゼ」
 エリーゼ 「やだ〜! 絶対入れるの〜!」

ひょいとエリーゼに摘み上げられたダイン。
そのままダインはエリーゼの顔の上、開けられた目の上に持っていかれる。

 ダイン 「ちょ、ほんとにやるのか!?」
 エリーゼ 「やるよー。はい」

指が放された。
ダインはその池ほどの大きさがある大きな目の青い瞳に向かって落ちていった。
実際には落ちても大丈夫だと思うし自分が落ちたくらいでは目が傷つかないだろう事もわかる。
だが、瞳に向かって落ちていくのは、生まれて初めての経験だった。
見た事も聞いた事もなかった。
もしかしたら、その瞳の中に沈んで中に呑み込まれてしまうのではないか。そんな風にさえ思ったのだ。
得体の知れない事への恐怖だった。


 ダイン 「あーーーーーーーーーーー…」


ダインは、笑うエリーゼの瞳に落ちてゆく。


 

 

 


結局、ダインはエリーゼの瞳でバウンド、そのまま床に落ちてゆくところをクラナにキャッチされた。
その後、クラナのチョップがエリーゼの額をビシッと打った。

 クラナ 「全くお前は。考えてから行動しろと言っただろ」
 エリーゼ 「あーん、ごめんなさいー…」

涙目でうずくまるエリーゼを置いてクラナは歩き出す。

 ダイン 「助かったよ…」
 クラナ 「気にするな。………だが」
 ダイン 「え?」

と、振り向いたダインの前には顔を寄せたクラナの赤い瞳があった。

 ダイン 「うぇっ!?」

先程の恐怖が蘇り悲鳴を上げるダイン。
目は間近のダインを捉えたままぱちくりとしている。

 クラナ 「なるほど、こうやって近くで見るのも楽しいものだな。お前の驚く様も鮮明だ」
 ダイン 「く、クラナ!」
 クラナ 「くくく、怒る様もな。ハハハハハ」

抗議するダインの声を掻き消してクラナの笑い声が薄暗い廊下に響き渡った。



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 〜 魔王クラナ 〜


 第10話 「目が痒い」 おわり

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