※暴力的な表現が含まれていますのでそれらを望まれない方はまたまた次回お会いしましょう。

−−−−−−−−−−−

 〜 魔王クラナ 〜


第16話 「憤怒」

−−−−−−−−−−−


------------------------------------------------------------------------------------------------------
------------------------------------------------------------------------------------------------------



  ガタン!

クラナが立ち上がった衝撃で横にあったテーブルが倒れた。

 クラナ 「なんだ…この胸騒ぎは…」

身の毛がよだつ、全身の毛が逆立つような不気味な感覚。
喪失? そうだ。何かが失われようとしている。

 クラナ 「…」

凄まじい焦燥感に駆られクラナは駆け出し、部屋を飛び出した。


  *
  *
  *


傷口を押さえ蹲るダインに向かって伸ばされた主の手。
主はその手の指先で、ダインの身体をテーブルに押し付けた。

 ダイン 「…ッ」
 主 「ほらほら、がんばらないと潰れるよ」

巨大な人差し指がダインにのしかかる。
ただでさえ重傷の身体が更に壊されてゆく。
指がぐりぐりと動かされるたびに傷口から血があふれ出た。

  ピン

指で軽く弾かれた。
テーブルの上をゴロゴロと転がり、そこに血の跡が残る。
それでもダインはぼろぼろの身体を震わせて立ち上がった。
それを見た主の顔が一段と輝く。

 主 「すごい! ホントに頑丈だよ!」

そしてまた主は手を伸ばした。
だがダインは今度はその手を避けた。
それでも何度も何度も自分を追ってくる手。
ダインは痛む身体にムチを打ち避け続けた。

 ダイン 「ハァ…ハァ…!」

血を流しすぎている。意識が朦朧とし、足もふらつく。
それでも止まれば弄ばれ殺されるだけだ。
このままでも同じだが、とにかく逃げて、脱出するしかない。

その時、手が追いかけてくるのをやめた。

 主 「そっか。鬼ごっこも楽しそう。フィアー、真ん中のケース取って」
 フィアー 「かしこまりました」

フィアーはケースの一つ、中年の男女ばかりが入ったものを主の元へと持って行った。
それを受け取った主はそのケースをテーブルの上でひっくり返した。
中から数十の男女が転がり落ちてくる。
ドサドサドサ! 落ちたときの痛みに身体を悶えさせていた。何人かは落ちた瞬間から動かなくなり、その周辺に赤い血が広がった。

 主 「あ、死んじゃった」

生き残った全裸の男女はガタガタと震えながらその巨大な少女の笑顔を見上げた。
一見、無垢な美少女の笑顔だが、彼等は彼女がこれまで自分達にしたことを見て来ているのだ。
殺される。
この笑顔の巨人は、実に楽しそうに笑いながら人間を殺すのだ。

 ダイン 「…」

突然人間を解放して何をするつもりだ。
人間が何人集まったところで魔王に勝てるはずも無いが…。
すると主はにやりと笑いダインを指差しながら言った。

 主 「人間達、あそこにいる人間を捕まえた子は逃がしてあげるよ」

ぞくり。
ダインの背筋が凍りついた。
男女達が一斉にこちらを向いたのだ。
いずれの人間も、目に光が無い。絶望の中で生きる希望を失った証拠だった。
その目がダインを捉えた。
希望の欠片の光が差した。

 主 「…でも捕まえられなかった子は…」

主は一人の女性を摘み上げた。
女性は長い髪を振り必死に抵抗しているが少女である主の指はびくともしない。
金切り声がテーブルの上に響く。
両足の先端を主の左右の手の指で摘まれ宙吊りになる女性。長い髪が怒髪天の如く地を指す。

 主 「─…殺すから」

主は手を少しだけ横に動かした。

  ピリッ

女性の身体は、股から真っ二つに裂けた。
それぞれの女性の断面から夥しい血とともに、細長い管のようなものがずるりとはみ出てきた。

それを見た男女達は悲鳴の様な叫び声を上げながらダインに迫っていった。
ギリ…! 歯を食いしばるダイン。
鬼ごっこ…そういうことか!!
ダインは掴みかかってきた男の腕を後ろに跳んで避けた。
だが次の瞬間には別の女が掴みかかってきていた。
数十人が我先にと手を伸ばしてくる。

軋む身体を震わせて、無数の腕を掻い潜りながらダインは考える。
彼らに掴まれば魔王に嬲られ殺されるだろう。
だがそれはいつか迎えること。隠れるなり脱出するなりして、このテーブルから離れなければそうなる。
この男女達は今まであの魔王が行ってきた非道を目に焼き付けさせられているからここまで必死になって襲い掛かってくるのだ。
彼等の目は血走り、形相は亡者のそれだった。
俺を捕まえなければ、彼等は殺される。俺を捕まえれば、生き残れる。
選択肢の無い、究極の二者択一だった。
…しかし…俺を捕まえたところであの魔王がその人間を生かすとは思えない。
人間を嬲ることを当然と思っているような魔王だ。虫けらを、条件付でも逃がすような、そんな譲歩をするはずが無い。

その時、背後から男が飛び掛ってきた。
足に意識を集中し、飛び上がってそれをかわす。
普段よりずっと低い跳躍だ。
身体が限界なのだ。
更に男女の包囲は狭まるばかりでもう逃げ場が無い。

 ダイン 「ハァ…ハァ…! …くそ!!」

本来守るべき人々が襲い掛かってくる。
俺が彼等に捕まれば、恐らく俺を含め全員が殺されるだろう。
だが、捕まらなければ、俺は暫く生きていられる。
決断。
全滅か、自身のみの生か。

…。


 ダイン 「……ちくしょぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」


  ドゴッ!


ダインは、残っている左腕で、正面の男を思い切り殴り飛ばした。
ダインの魔力を込められた本気の拳を受けて男は背後にいた数人と一緒にはるか後方に吹っ飛んだ。
拳を受けた男の顔面は、もとの形がわからないほどにぐちゃぐちゃになり、血を流しピクピクと震えていた。

 苦渋の選択

生き残るために、同胞である人間を殴る。
捕まって全員殺されるなら…。

ダインは掴みかかってくる男女を片っ端から叩き伏せていった。
右腕を失い、全身に激痛を走らせ、疲労の極みにあろうとも、ただの人間より強い。
蹴り飛ばし、殴り飛ばし、次々と再起不能にしてゆく。
そんなダインの目からは涙があふれ出ていた。
自分の覚悟に反する行いをしているのだ。
本当なら罪の無い人々を殴り飛ばしているのだ。
彼等は被害者だ。何一つ悪くない。
なのに俺は…。

すでに彼等の大半を地に這い蹲らせ動けなくした。
そして次の掴みかかってくる男に向かって拳を振りかぶったときだ。

  ブチャ

その男が巨大な指の下敷きになって潰された。

 主 「弱いなぁ。そんなにいて同じ人間一匹捕まえられないの?」

更に指は別の人間の下へと向かいそれを押し潰す。

  ブチャ  ブチュ  グチャ 

生き残っていた男女が次々と潰されて行く。
主は頬杖を着き退屈そうな顔をしていた。

たった今までダインを取り囲んでいた数十人の男女は、あっという間に全滅した。

次に主は別のケースに手を伸ばすとそこにいた人間数人を摘み上げた。
それは幼い子ども達の入っているケースだった。
年の頃10かそこいら。見た目、主と大して変わらないような子ども達だ。
主の指の太さと大して変わらない身長の彼等はその巨大な指先の間でピーピー泣いていた。
主は上を向くとそれを顔の上に持ってきて─。

 主 「あ〜ん」

指を離した。
数人の子ども達は、主の口の中へと落ちていった。

  もぐもぐ

主の口が動く。
ダインの目が見開かれる。
人間が、食われた。
そんな…。
呆気に取られるダイン。
そんなダインを見下ろす顔はいかにも詰まらなそうな表情だった。
今しがた食べた人間のことなどもう意中に無い。
菓子をつまんだ様なものだった。

 主 「でもホントに凄いやこの人間。他のよりずっと強いよ」
 フィアー 「スカルミリオーネ様のペットを打ち倒したのも、偶然ではなかったということですね」

言いながらフィアーが主の口元に垂れた赤いものを拭った。
今しがた食べられた子ども達の血だった。

ダインの目には、泣き叫ぶ子ども達があの口の中に消えてゆく様が焼きついていた。
人間が食われた。
ただ殺されたのではない。
食われたのだ。
戦場で敵兵を討ち取るときの覚悟も無ければ、目の前を飛ぶ虫を払い落とすのとも違う。
食料として処理されたのだ。
覚悟もうっとうしさも無い。ただ食べられた。
あの子ども達のこれからの人生が、未来が、あの口の中で噛み砕かれた。
その間、主は終始詰まらなそうな顔をしていた。
他人の人生を咀嚼しているというのにそんなことまるで気にしていないのだ。
魔王にとって人間は虫けら以下。それは今まで何度も体感してきた。
だが今のは違った。
虫けら以下というのは、それでも同じ生物として捉えられた位置にある。
命を奪うにしても、気付かずに殺すにしても、それでも生物を殺めるという意識が必ず発生する。
だが今のは…、さきほどの光景はそうではなかった。
そこに、それを思う感情は何も無く、ただペロリとたいらげられた。
虫けら以下の下、糧としか見られていなかったのである。
一個の命ある、自分達と同じ考える力を持つ人間を食べ物扱いしているのだ。
恐怖。
かつて魔物化したワニに食われそうになったときとは違う。
生きるための糧ではない、飽食を満たすための糧。
弱肉強食の、歪んだ形だった。
あの子ども達は生きるための糧として空腹の末に食べられたわけではなく、ただなんとなく食べたくなったから食べられたのだ。
怒り。ダインの中にある怒りが凄まじく滾る。
だが、同時に同じくらい凄まじい恐怖を感じていた。
殺されることとは違う、捕食されることの恐怖。
そしてそれを止めたくとも止められない無力感。
すでに守るべきものに手を上げてしまったダインの心は折れかけていた。
更には周囲にいたその数十人を一人残らず捻り潰され、血肉が散らばり血臭漂う中その地獄にただ一人残されて気が狂いそうだった。

 主 「さぁ次はどんなことして遊ぼうかなー」

ダインに向かって巨大な手が伸ばされる。
視界が、影を作る巨大な手のひらで埋め尽くされた。
 
 
  *
  *
  *
 
 
間もなく夕暮れとなる山の間。
夕日が山の形に平野に伸びる。
空もオレンジ色に染まり、太陽の向かいの空には星空が見え始めていた。

そんな山の間を、猛烈なスピードで走りぬける3つの巨大な人影があった。
木々を薙ぎ倒し、山を蹴り砕き、湖の水を吹き飛ばしながら。
クラナ、エリーゼ、マウである。
あの後エリーゼとマウを捕まえたクラナは街に向かって走り出したのだ。
3人の足元で美しい自然が完膚無きまでに破壊されているが、マウは、クラナのそのあまりに深刻な表情に、それを咎めることが出来なかった。
先頭を走るクラナに、追従するエリーゼが話し掛ける。

 エリーゼ 「クラナちゃんどうしたの!? まだ早いよ?」
 マウ 「どうなさったんですか!?」
 クラナ 「…嫌な予感がする……ダインの身に何か起きたんじゃ…」

それを聞いてハッとする二人。
3人は走る速度を増した。
 
  *
 
やがて街近くの山の前にたどり着いた。
この山の向こうには街がある。
クラナはその大きさのまま、山の上から顔を出し街を見下ろした。今の時分、この暗さならばれないだろうと踏んでの強行だった。
見て、即座にその異変を察知することが出来た。
祭りの準備の最終段階か準備が出来ているであろうこの時分に、街のどこにもそんな雰囲気は見られず、逆に街のいたるところから黒煙が立ち昇り、家々が瓦礫と化していた。
明らかに、何かあったのだ。
クラナ達は即座に小さくなり街へと駆け下りていった。
 
  *
 
街。
すっかり夜となり、辺りは闇が支配している。
街の一角は完全に瓦礫となり、周辺では篝火が灯されていた。
瓦礫の周辺では男達がそれを取り除いているが、その羽織っている法被が、祭りを楽しみにしていたことをうかがわせる。
祭りの威勢のいい声はどこにも聞こえず、かわりに瓦礫の下に埋まっている者を探す声や角材の場所を示す声などが響いていた。
崩れた櫓。潰れた出店。祭りの準備をしていた面影が見える。

 マウ 「酷い…」
 エリーゼ 「なんで…」
 クラナ 「…」

3人はそんな瓦礫の間の薄暗い道を歩いていた。
すると見知った顔が瓦礫をどけているのが目に入った。

 クラナ 「八百屋の店主か」
 店主 「おお、嬢ちゃん達か! 無事だったのか!」
 クラナ 「今、街に着いたところだ。……この有様は…いったい何があった?」
 店主 「あのバケモンめ!! …信じられねぇと思うけどよ、山みてぇにでけぇ人間が現れて何もかも滅茶苦茶にしていきやがった…」
 クラナ 「ッ…!」
 マウ 「え!?」

店主の言葉にクラナの眉がピクリと動き、マウは悲鳴を上げた。

 店主 「まだ何人も瓦礫に埋まってるんだ…。俺の店も壊されちまった…」
 クラナ 「…その巨人がどんな奴だったかわかるか?」
 店主 「いやすまねぇ…恥ずかしい話がすっかりビビッちまって、女房守るので精一杯だった…」
 クラナ 「そうか…そうだな…。いや、それは夫として当然のことだ。これほどの状況で女を守ろうとしたのは敬意に値する」

クラナは辺りを見渡した。
瓦礫に交じってところどころに大穴が見えた。
これは、その巨人の足跡。
そしてその巨人は、恐らく魔王。
この街に魔王が襲来したのだ。
…だが、そうだとしたら何故この程度の被害で済んでいるのだ?
破壊するつもりなら、それこそ一帯が更地になっていてもおかしくは無いのに。
何か別の目的があったのか…。

 クラナ 「…店主、ダインはどこにいる? 確か祭りの手伝いに来ているはずだが…」
 店主 「昼に休憩のために別れたんだがよ、その後あのバケモンが来て大騒ぎになって、それ以来会ってねぇんだ」
 マウ 「え…? お昼って……もう何時間も経ってますよ!?」
 店主 「街のモンに探してもらったんだがどこにも見当たらねぇんだ。万が一なんてことは考えたくねぇんだが…」
 マウ 「そんな…」
 エリーゼ 「うそ…」
 クラナ 「…」

マウとエリーゼの顔が青ざめてゆく。
するとその時、

 * 「あ、あの…私、その方がどうなったか知ってます…」
 マウ 「っ!?」
 エリーゼ 「え!?」

振り向いた先には小さな女の子を寄り添わせた女性。
二人とも全身が土で汚れ、少女はその母親と思しき女性にしっかりと抱きついている。

 マウ 「あ、あの…ダインさんの行方を知っているって…」
 * 「はい…その方は私達を助けるためにあの巨人の気を引いてくださったんです」
 エリーゼ 「そ、それでダインは!? ダインはどこ!?」
 * 「やがて巨人に捕まってそのまま…」

女性は顔を俯かせた。
マウもエリーゼも泣きそうな顔になり、お互いの手を握り締めた。
一歩、クラナが前に進み出た。

 クラナ 「ダインが捕まったところを見たんだな。その巨人がどんな奴だったかわかるか?」
 * 「…はい、女性だったと思います。そちらの方のような女中の服を着ていました」

女性が指した先にはマウがいた。
マウの服装。つまりはメイド服。
ピクン。
クラナの眉が動く。

 クラナ 「…他に何か特徴はあったか?」
 * 「えっと…髪を後ろで縛っていました。…あとは……そう、眼鏡をかけていました」
 クラナ 「ッ…!」

クラナの目が見開かれる。
そしてゆっくり目を閉じた後、ため息をついた。

 クラナ 「そうか…あいつの仕業か…」
 マウ 「く、クラナさん…?」
 エリーゼ 「わかったの!?」
 クラナ 「戻るぞ」

言うとクラナはマウの肩に手を置いた。
そして…。

  カッ!!

周囲の夜闇をかき消すほどの閃光が街を照らした。
店主や女性、周辺で瓦礫をどけていた男達は目を覆った。
やがて光が収まり、何が起こったのかと目を開けてみると、そこにはあの巨大な人間が立っていた。
しかも3人もである。

 店主 「う、うわぁああああああああああああああ!!」

思わず悲鳴を上げる店主。
聳え立つ3人の巨人の一人、クラナは片膝を着いてしゃがみこむと懐に手を入れた。

 クラナ 「迷惑をかけて済まなかった。これは街の修復のための金に当ててくれ」

言いながらクラナは取り出した金のインゴットをそこに置き、そして立ち上がった。

 クラナ 「いくぞ」


  ズズゥウウウウン!


    ズズゥウウウウン!


そしてクラナ達は街を後にした。
それを呆然と見送る街の人々。
あとには高さ10mにもなる巨大な金の塊が残されていた。

  *

夜闇に包まれた山の間を行く3人。
マウが、クラナに話し掛けた。

 マウ 「クラナさん…どうしたんですか? もしかしてダインさんの居場所に心当たりが…」
 クラナ 「お前達は城に戻っていろ。私はダインを連れ戻してくる」
 エリーゼ 「やだ! あたしも行く!」
 クラナ 「だめだ!!」

クラナの怒声。
周囲の木々を揺らし、山を崩した。
思わず一歩引くエリーゼとマウ。

 クラナ 「お前達は来るな」
 マウ 「…もしかして魔界だからですか?」
 エリーゼ 「え……だ、大丈夫だよ!」

二人が気後れた。
二人にとって魔界とは絶対に近寄りたくない場所なのだ。
それでもダインを助けるためならば…。と意気込むも、クラナはそれを止める。

 クラナ 「来るな。来ないでくれ…」
 エリーゼ 「う…」
 マウ 「クラナさん…」
 クラナ 「案ずるな。ダインは必ず連れ帰る。ダインと一緒に帰ってくるさ」

暫しの間を置いて二人は肯いた。
それを背に感じたクラナはひとり夜闇の中へと走り去った。


  *
  *
  *


 ダイン 「ハァ…ッ! ハァ…ッ!」

息を切らすダイン。
その左腕は折れ曲がってだらんと垂れ下がり、潰れ光を失った左目からは血が流れ出していた。
腕は投げつけられた子どもを受け止めたときに、目は顔を指で弾かれたときに失った。
頭から流れ残っている右目に入る血を、頭を振って払う。
両脚もすでにヒビが入り、歩くだけで激痛が走る。
折れた肋骨が肺を傷つけたか、呼吸も満足にままならない。
何をしようとしても、痛みしか感じられなかった。

そんなダインをクスクスと笑いながら見下ろす主。
楽しそうだが、そこに入り混じる嘲りが容易に見て取れた。
見下す目。
自分は生きているのではない、生かされているのだ。
圧倒的な力の差。愉悦のために、命を消費させられている。
現に、ケースに入っていた人間達はもうほとんどが殺されていた。
老人達を鷲づかみにした主はそれをダインに向かって叩きつけてきた。
十数人の人間だ。とても受け止められるものでもなく、人間一人分の肉の塊など当たれば即致命傷になる。
高速で飛来する老人を、避けるしかなかった。
人間の弾幕だった。
肉の絨毯爆撃。
ダインの周辺で叩きつけられた老人達が弾け飛んだ。
次に子ども達を手の上に乗せた主はそれをダインの上で握り締めた。
無数の肉が潰れる音。そして指の間から血が滴ってダインに降り注ぎ、それを顔を振って払ったダイン。
次々と人間を使った責め苦のせいでケースの人間はいなくなっていったのだった。
そして次に主がケースに手を伸ばしたとき、そこには一人の女性しか残っていなかった。

 主 「なーんだ、これで終わりか」

主は摘み上げた人間を口に入れた。
そして…。

  プッ!

ダインに向かって吹き飛ばした。
身を屈め避けたダインの背後で、テーブルに激突した女性の身体が飛び散った。

 フィアー 「お嬢様、お行儀が悪いですよ」
 主 「あはは、ごめんね。でもこれでまた人間集めなくちゃ」

ダインを見下ろす主。

 主 「でも本当によく生きてるなぁ。さすがあのクラナ姉のお気に入りなだけあるよ」

指で押し倒されるダイン。
その上に指先が乗せられ、身体がペキペキと音を立てる。
すでにヒビだらけだった骨が次々と折れてゆくのを感じる。
死ぬ…。
かつてないほどに死を感じていた。
未だ自分が生きていられるのが不思議だった。
魔力のせいか。生命の危険を感じた魔力が無意識に生存能力を高め命を繋いでいるのか。
でもだとしたら、この責め苦を味わい続ける地獄は終わらない。
だが楽になろうとは思わない。
最後まで諦めるつもりは無かった。
必ず、必ず帰ってみせる。
クラナのところまで。

その時、

  バキン

 ダイン 「ッ…! …ぐぅぅぅうううううううう……ッ!!」

片脚の腿の骨が折れた。
これでもう歩くことすら出来ない。

 主 「あれ? なんかポキッていった。死んだかな?」

指をどけてみるとそこの人間はまだ動いていた。
ピクピクとではあるが。

 主 「よかった。まだ遊べそう」

主は笑顔で言う。
ダインは何とか立ち上がり、折れた片足を引きずりながらテーブルの奥に向かって進んでいった。
少しでも主から離れるために。
一歩一歩。それは目の前のガラスケースまでの距離でさえ、途方も無く見える速度だった。

そんな様をくすくすと笑いながら見下ろす主はダインの後ろに軽く握った手を持っていった。
歩くダインのすぐ背後に、親指に引っ掛けられた人差し指が現れる。
それに気付いているダインだが、何もすることができず、ただ前へ前へと進み続けた。
そして…。

  ペチッ

ダインは放たれた指で弾かれた。
硬い爪に激突され背骨を砕かれながら弾き飛ばされたダインは正面のガラスケースの壁面にぶつかり、そこに真っ赤な血飛沫を散らした。
まだ無事だった肋骨や鼻の骨、歯が折れた。
暫くその威力のせいで壁に押し付けられていたダインの身体はやがてその圧力から解放されゆっくりと壁面から剥がれるとそのまま十数mを落下し、

  トチャ

テーブルに叩きつけられた。
再びそこに赤い飛沫が散った。
落ちたダインは動かなかった。

主は「はぁ」と息を吐き出し詰まらなそうな顔で言った。

 主 「あ〜あ、死んじゃった。ま、しょうがないっか。しょせん人間だもんね」
 フィアー 「死骸はどういたしましょう。標本にしますか?」
 主 「え〜いいよ。手とか無いしボロボロだし、このまま潰しちゃうから」

言うと主の指がダインの身体に向かって伸ばされてゆく。
ちょっと遠くのケースまで飛んでしまったため身体を椅子から立たせねばならなかったが、大した苦ではない。
伸ばされた巨大な手がダインへと迫りその周囲が、手の作り出す影に入る。
そして指がダインの身体を潰そうか、という瞬間だった。


  バタン!!


 主 「?」
 フィアー 「!?」

部屋の扉が勢い良く開かれ、二人はそちらを見た。
そこには走る過程で跳ねた土で汚れた衣服を纏い、靡かせ続けたために乱れた長い髪の、魔界までのこの間を走り続けてきたために息を切らした赤い魔王が立っていた。
クラナである。

その姿を認めた主は苦笑すると再び椅子にもたれかかった。

 主 「なーんだクラナ姉、もう来ちゃったの?」

くすくすと笑う主。

 ダイン 「……クラ…ナ…?」

血の海に沈むダインも、か細い意識の中、その名を聞いた。
切れた息も整え無いクラナは、主の言葉に真実を悟る。

 クラナ 「やはりお前だったか……ベルフレア・グラフィアカーネ!!」

ズン! と部屋に踏む込むクラナ。
テーブルの上のケースが震える。

 クラナ 「…ダインはどこだ」
 ベル 「えー? なんのこと?」

主…ベルと呼ばれた魔王は笑ったままだ。
更にクラナが詰め寄ってゆく。

 クラナ 「ダインはどこだ」
 ベル 「何言ってるのかわからないなー」


   ズシン!!


クラナの次の一歩が床を踏み砕く。


 クラナ 「ダインはどこだと訊いているんだ!!!」


  ピシィ!

ケースにひびが入った。
フィアーがクラナと主の間に入るように移動する。
くすくすと笑っていた主だが、やがて堪えきれなくなったのか吹き出した。

 ベル 「…ぷっ! あははは! そんなに怒んないでよ。………ほら、クラナ姉のお気に入りはそこにいるよ」

主が机の一角を指差し、クラナはゆっくりとその先を追った。
するとそこには血の海に沈むダインがいた。

 クラナ 「ッ…!!」

クラナの目が見開かれる。
慌てて駆け寄るクラナ。

 クラナ 「ダイン!?」
 ダイン 「………く……クラ…ナ……か…?」

蚊のようにか細い声。
同じ人間にさえ聞こえないような声だった。
クラナの震える手がダインに近づけられてゆく。

 クラナ 「ダイン……そんな…」
 ダイン 「…はは………来て…くれたん……だな……」

真っ赤に染まったダインの顔が微かに笑った。
片腕は無く、片目も無く、残された片腕と片脚は折れ曲がり、全身から血を噴き出し倒れるダイン。
致命傷である。本当なら死んでいる。

震える指が近づけられてゆくが触れるのは躊躇われた。
ほんの少しでも触れようものなら、ダインは死ぬ。
クラナの巨大な指が触れれば、即座に全身の骨という骨が砕け、砕けた骨は肉を破り、ダインを殺す。
ただ触れるそれだけで、凄まじい激痛を与えてしまう。
指は、ただ震えることしか出来なかった。

 ベル 「あれ? まだ生きてたんだ。ねぇクラナ姉、その人間ボクに頂戴。なんならボクのコレクションと交換でもいいよ?」

ダインを見下ろすクラナの背中に笑いながら声をかけるベル。






 クラナ 「……貴様ぁあああああああああああああああああああ!!!」






城を振るわせるほどの怒声とともに振り向いたクラナはベルへと詰め寄った。
その怒声に圧されたベルはビクリと震え玉座から立ち上がっていた。
更に間合いを詰めるクラナ。
その前にフィアーが立ち塞がる。

 フィアー 「お待ちください。いくらベリアル様と言えどそれ以上の無礼は…」

 クラナ 「どけッ!!」


  ボン!!


クラナが睨んだ瞬間、フィアーの上半身が弾け飛んだ。
一瞬だった。
飛び散った無数の肉片は雨となって部屋中に振り注いだ。
クラナが前へと進む。
数秒後、残されていた下半身が思い出したかのようにその場に倒れた。

予想していなかったクラナの怒り、そして目の前で従者を殺され、ベルの顔が恐怖に引きつった。
その眼前から、クラナが見下ろす。

 ベル 「え? あれ? く、クラナ姉…」

 クラナ 「よくも……よくもダインを!!」

クラナはベルの首を掴みその身体を持ち上げるとそのまま壁へと叩き付けた。
壁にヒビが入り崩れた壁面にベルの身体がめり込む。
地に足の着かないベルの喉からは酸素が搾り出されていた。
ブシュウ! クラナの手がベルの喉を破り肉に食い込む。

 ベル 「か…っ…く…クラ……姉……ゆ…ゆるし……」
 クラナ 「お前にもダインと同じ苦痛を味わわせてやる!!」

クラナは空いている左手でベルの右腕を掴むと、それを引っこ抜いた。

  ボキィ!

 ベル 「!! あぁあああああぁぁああああああ!!」

ベルの口から苦痛の悲鳴が漏れる。
腕は肩から引っこ抜かれ、肩口からは大量の血が噴き出した。
ズズン! ベルの腕を投げ捨てたクラナは次に右足の膝でベルの左足の太ももを蹴り上げた。
バキンッ!! という甲高い音が鳴り響いた。

 ベル 「あああああぁぁぁああ!! あぁぁぁあぁ…!」

絶叫。
だが身体は完全に押さえつけられ身動きをすることも出来ない。
激痛だけが走り回っていた。

クラナの手がベルの顔面に突っ込まれた。突き刺さったのだ。
手は、左目を抉り取った。
大量の血とともに白い眼球が抜き取られた。
投げ捨てられたそれはダインの横に落ちた。
眼球はダインの身体よりも大きかった。


意識も朦朧とし虚ろになったベルの片目に、クラナの顔が映る。
そこに映るクラナの瞳は真っ赤に染まりまるで燃えている様だった。
太陽などではない。それは地獄の業火だった。
憎しみが、憎悪が、爛々と燃え盛る。
凄まじい怒気だった。

  ドスゥッ!!

クラナの手がベルの胸に深く突き刺さる。

 クラナ 「消えろ…」

その瞬間、傷口から光が漏れ始める。
凄まじい閃光。クラナの手に、魔力が集中する。
それはかつて、魔力に犯された森を焼き尽くしたあの炎の光だった。
そんなものが体内で爆ぜれば、例え魔王でも、塵一つ、影すらも残らない。

光はどんどん強くなり、クラナとベルの顔を照らす。
終末を告げる光だった。


 クラナ 「消え失せろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」


傷口から漏れる光が弾けた。











光が収まったとき、まだベルの身体はそこにあった。
あの傷口の光も、まだ消えたわけではない。
だがまだそれは放たれていなかった。

 ダイン 「…やめろ…クラ…ナ…」

閃光と静寂が支配する地獄にダインのか細い声が聞こえる。

 クラナ 「何故だ! 何故止める! こいつはお前を! お前をぉ!!」
 ダイン 「…」

ダインの声は最早言葉にはならなかった。
だがその意思だけがクラナに語りかける。

 ダイン 「やめろクラナ。残り少ない魔王を、残り少ないお前の友達を、手にかけるな」
 クラナ 「…こんな奴、友などでは無い!」
 ダイン 「同じ魔王だろう」
 クラナ 「同族殺しにでもなんでもなってやる! こいつを殺せるなら、すべての魔王を敵に回してもいい!」
 ダイン 「クラナ…」
 クラナ 「何故止めるんだダイン! こいつはお前を殺そうとした! なのに何故止める!」
 ダイン 「俺はお前に、残り少ない自分の友達を殺して欲しくないだけだ」
 クラナ 「…!!」
 ダイン 「クラナ頼む。お前の手を友達の血で汚さないでくれ」
 クラナ 「…」
 
ものも言えないダインの意思。
それが、クラナに届く。

  ズズゥウウン…

手を放されたベルの身体が落ちて壁にもたれかかる。
意識は虚ろなまま、ベルは失禁していた。

すぐに振り返りダインへと駆け寄るクラナ。

 クラナ 「ダイン! ダイン!!」

ダインの狭い視界がクラナの顔で埋め尽くされた。

 クラナ 「ベルの仕業と気付いたとき、私は…私はもうダメかと…!!」
 ダイン 「お…前………泣い…て…?」

ポタポタと落ちる水滴。
クラナの瞳から大粒の涙が零れ落ちている。
それを拭いもせず、クラナはダインに手のひらをかざした。

 クラナ 「…待ってろダイン、すぐに治してやる」
 ダイン 「…! やめ…」

魔力による治療。
かつて、マウを蘇らせたときのように。
だがそれはクラナの命を懸けた博打だった。
多少の手違いでマウが魔王になってしまったが、それでも結果はなんとか成功である。
魔王の生命力である魔力の大半を分け与えて、マウは蘇った。
あれからまだ時間も経っていないのに、また同じようなことをしたら今度こそクラナは死んでしまう。
ダインは使い物にならなくなりつつある喉を振り絞ってクラナを止める。

 ダイン 「やめろ…クラナ……」
 クラナ 「黙れ!!」

クラナが叫ぶ。
涙に濡れる瞳がダインを見下ろしている。
そこにはあの地獄の炎は見えず、あるのは大きな覚悟。

 クラナ 「お前は治す! 絶対だ! お前の意見も誰の意見も聞かん!! お前に拒否権は無い!!」

治療する相手の意見をもねじ伏せてもの治療。
絶対に死なせないと言う強い意志。
目に浮かぶ涙をまばたきで吹き飛ばし赤い瞳をあらわにする。

 クラナ 「いったいどれほどの時、お前に会うために待ったと思っているのだ! お前は必ず助ける!」
 ダイン 「クラナ…」
 クラナ 「絶対に動くな。指一本、毛の一本、眉一つ動かすな。まばたきもするな。マウのときのような失敗は、絶対に出来ないんだ」

そしてダインは自分が温かいものに包まれていることに気付いた。
クラナの魔力である。
まるで全身をその手に包み込まれているような温かさだ。
クラナのぬくもりが、ダインを癒す。
痛みが引いてゆくのを感じる。
だが、前にクラナ本人が言っていた。
魔力でも、失った部位までは再生出来ないと。
失ったのは左目と、剣の要である右腕。
もう剣を取ることは出来ない。
誰かの為に剣を振るうことは出来ない。
ダインの中に、無力感と喪失感が募る。

暫くするとダインの身体が光り始めた。再生が始まったのだ。
傷が塞がる。骨が繋がる。クラナが、命を削って癒してくれている。
悔しい。自分の無力が。
自分がこんなに弱くなければ、クラナにこんなことをさせる必要は無かったのに。
俺が、クラナを危険な目に遭わせている。
マウのときも、いつも俺が原因だ。
悔しさに両手を握るダイン。
…両手?
ダインは自分の右腕を見た。
やはりそこには何も無い。
しかし確かに右腕の感触を感じる。腕の存在を感じる。
何かと思っていると右腕に光が集まり始めた。
それは腕の形をとりなしていった。
見ることは出来ないが、左目にも光が集まる。
ダインは動くようになりつつある身体で思わずクラナを見上げた。
クラナはにやりと笑っていた。

 ダイン 「クラナ…」

しっかりと声を発せるようになっていた。

 クラナ 「くくく、驚いたか? もうすぐ腕も目も元に戻る。まったく、動くなと言ったのにお前と言う奴は」
 ダイン 「なんで…再生は出来ないって…」
 クラナ 「ああ。再生は出来ない。人間はトカゲのしっぽやタコとは違うからな。…だったら、新しく作り出せばいいんだ」
 ダイン 「…なに?」
 クラナ 「再生出来ないなら、またそこに新しく腕を作ればいいと言ったのだ。前の腕の様に自在に動かせるようになるには慣れが必要だと思うが、無いよりはマシだろう?」

クラナはさも得意気に言った。
…だがダインはその言葉の裏にあるものを見逃さなかった。

 ダイン 「クラナ…お前…」
 クラナ 「止めても無駄だぞ。私はお前を完璧に治す」
 ダイン 「やっぱり…、これは凄い危険なことなんだろ」
 クラナ 「くく、まったくどうして、お前は誤魔化せないのか。そうだ、今私はただ魔力を分け与えているわけではない。魔力の器ごとお前に与えている」
 ダイン 「器ごと…」
 クラナ 「魔力は分け与え消費しても、また蓄えることが可能だ。水と同じだ。だが器は分け与えてしまえばそれまで、その分の魔力は蓄えられない」
 ダイン 「…自分の寿命を削ったってことか!?」
 クラナ 「なに、どうせお前がいなくなったあとは生きる意味が無いのだ。それを考えれば多少寿命が縮もうがどうということはない。たかが数万、十数万年…安いものだ」
 ダイン 「クラナ…」
 クラナ 「泣くなよダイン。これは私が決めたことだ。死んでもいいと、本気で思っている。今お前に与えた器に魔力を注ぎ腕を生み出している。細かい説明は省くが、要は今まで霊素で構築されていた腕を、今度は与えた器に込めた魔素で作り直しているのだ。見た目や機能は変わらない。それは私達を見ればわかるだろう?」
 ダイン 「…」
 クラナ 「そう心配するな」
 ダイン 「するよ! だって! だってお前は今、命を使ってるんだぞ!」
 クラナ 「だとて今回は死に至るほどではないな。マウとは違い生き返りでは無い分消費する魔力も少なくて済みそうだ。消費した魔力は食って寝てればそのうち元に戻るさ」
 ダイン 「…」

やがてダインの身体を包んでいた光が消える。
するとそこには腕も目も元通りになり、身体中の傷が癒えたダインがいた。
あれほどの重傷、無数の致命傷を受けていた身体が、完全に。完治であった。
手足の感触を確かめるように、ゆっくりと立ち上がるダイン。
すると、

  ポタリ

ダインの頭に水が落ちてきた。
見上げると、またクラナの瞳には涙が溜まっていた。

 ダイン 「クラナ…」
 クラナ 「ダイン…! ダイン!!」

ダインを抱え上げ頬に摺り寄せるクラナ。

 クラナ 「よかった…生きていて本当によかった…!」

クラナの瞳から流れる大粒の涙がダインの身体を濡らす。
涙の一滴一滴が、ダインの頭より大きいのだ。
ポロポロと流れてくる涙で溺れそうだった。
自分をその頬に押し付ける力も半端ではなかった。
ダインの身体がクラナの頬に沈む。
ぎゅうぎゅうと。それでいてクラナも頬を動かすのだからそこに感じる圧力は尋常ならざるものだった。

 ダイン 「く、クラナ…苦しい…!」
 クラナ 「うぅ…うぁーん! あーん!」

クラナが本気で泣いている。
今まで、一度もこんな風に泣くところなんか見せなかったのに。
それだけ、俺の身を案じてくれていたということか…。

ダインは、クラナに頬ずりされながら辺りを見渡した。
テーブルの上には無数の赤黒いシミと肉塊。
何百と言う人間がいたはずなのに、一人も生き残らなかった…。

テーブルの向こうには、座り込み壁にもたれかかったまま動かないベル。
死んでしまったわけでは無さそうだがあの深手では…。
そのベルの手前には下半身だけとなったフィアー。
残りたった20人弱しかいない魔王の二人が、同じ魔王であるクラナの手で死を迎える。
少ない同族を手にかけてでも、俺のことを助けてくれたのだ。
俺が無力だったばっかりに。
ダインの目からも涙が溢れてきた。
しかしそれは膨大なクラナの涙に流されすぐわからなくなった。

 ダイン 「クラナ、ごめん。俺が弱いばかりに…」
 クラナ 「ぐす…お前のせいではない。私が、あのパーティで注目を集めたお前が狙われる可能性に気付いていれば、こんなことにはならなかった…。…さぁ帰ろう。エリーゼとマウも待ってる。もうこんなところに用は無い」

ダインを手に乗せたまま立ち上がったクラナ。
そしてそのまま部屋の出口に向かって歩き出す。

 ダイン 「クラナ…あの二人は…」
 クラナ 「ベルは生き残ればそれだけだ。死ねばそのうち腐って果てる」
 ダイン 「そ、そうか…」

結局クラナが同族を手にかけた事実は消えないのか。
俺一人のためにクラナを、魔王全ての敵にしてしまった。
これからクラナは数少ない仲間からも迫害されてしまう…。
俺のせいで…。

 ダイン 「はぁ…」

ダインはため息をついた。
すると、

  パチン!

クラナが指を鳴らした。
何かと思ってみてみるとクラナが自分を見下ろしていた。

 ダイン 「クラナ…?」
 クラナ 「やれやれ、お前はいったいどこまでお人好しなんだ」

困ったような笑ったような顔だ。

 ダイン 「何を…」
 クラナ 「あれを見ろ」

クラナが指差した方を見る。
するとベルやフィアーの身体が光り輝いていた。さきほどの自分と同じだ。
ベルの右腕と左目は一段と強く輝いていた。
あのフィアーの飛び散った上半身すら、光で形作られていた。

 ダイン 「…まさか!!」
 クラナ 「今度お前に手を出せばそのときは問答無用で殺す」
 ダイン 「お前そんなことしたら!!」

だが見上げていたクラナの顔はフッと笑った。
クラナの片手が伸ばされダインを撫ぜる。

 クラナ 「あまり私を見くびるなよ。本気になれば造作も無い」
 ダイン 「クラナ…」
 クラナ 「フフ…さぁ、今度こそ帰ろう」

クラナは部屋を出た。


  *
  *
  *


ベルの城の外へと出ると辺りは完全に夜だった。
星々が煌いている。
その帰り道、

 クラナ 「入れ」
 ダイン 「は?」

  むぎゅ

ダインはクラナの胸の谷間に押し込められた。

 ダイン 「ぎゅ…何するんだよ」
 クラナ 「入ってろ。そこが一番安全だ。もう誰の手にも触れさせたくは無い」
 ダイン 「クラナ…」
 クラナ 「いっそこれからはずっとそこに入れておこうか。寝るときも風呂に入るときも、お前が死ぬまで。たった数十年だ」
 ダイン 「やめてくれ…苦しくてたまらないよ…」
 クラナ 「だが一番安全なのは事実だ。いつでもお前の存在を感じていることが出来る。もう二度と手放したくない…」

クラナはダインの挟まった自分の胸を抱きしめた。
そのせいでダインを挟む乳房の圧力がぐんと増した。

 ダイン 「く、苦しい…本当に勘弁してくれ…」

だがクラナが自分を思って言ってくれているのも事実。
この二つの巨大な乳房に挟まれているだけで、何人たりともダインに手を出すことは出来ないのだ。

 ダイン 「女の子の胸に守られるってどうよ…」
 クラナ 「そんなこと気にするな」

はぁ…。
クラナの歩行に伴い揺れる胸の間でダインはため息をついた。
何故いつもこうなるのか。
でも…。

 ダイン 「クラナ、ありがとう…」
 クラナ 「礼を言われるようなことはしていない。私は自分のしたいようしただけだ」
 ダイン 「でもそのせいでお前は…」
 クラナ 「だから気に病むなと言っているのだ」

クラナはダインの頭を指で押し込んだ。
ダインの姿は胸の谷間に完全に消えてしまった。
ダインが何かを叫んでいるがくぐもってよく聞こえない。

 クラナ 「くく、あまり動くな。くすぐったい」

言いながらクラナは胸をきゅっと寄せた。
するとダインはおとなしくなった。

 クラナ 「そうだ、それでいい。…お前はそうやってそこにいてくれればいいんだ」

クラナは、今度はダインが苦しくないようそっと胸を抱きしめた。
自分の胸の間にダインを感じる。

 クラナ 「さて、これからは忙しくなるな。まず壊れた街を復興させねば。あのインゴットだけでは足りんかも知れんし、祭りを潰した埋め合わせもしなくてはな」

クラナは城へと向かって歩いていった。
ダインとともに。
月光をその身に浴びながら。



ちなみにダインはそれまで散々クラナの胸に挟まれていたと言うのに、城に戻るや否や、泣きじゃくるエリーゼとマウの間に抱きしめられサンドイッチ状態にされた。
数分間ダインを挟んで抱き合っていた二人。
二人が身体を離したとき、ダインは気絶していた。



------------------------------------------------------------------------------------------------------
------------------------------------------------------------------------------------------------------

−−−−−−−−−−−

 〜 魔王クラナ 〜


第16話 「憤怒」 おわり

−−−−−−−−−−−