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 〜 魔王クラナ 〜 



『ティーパーティへご招待』


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山の間を歩くクラナ。そしてその肩に乗るダイン。
二人は、手入れの行き届いた広大な大自然(?)の中を進んでいた。

それは、シャルから招待の文が届いたからだ。

 ダイン 「でもなんだろうな突然」
 クラナ 「さぁな。だが恐らく大した用事ではあるまい。茶の湯に誘ったか、ただの気まぐれか…。まぁ行けばわかる」

鼻を鳴らし風を切ってずんずんと進んでゆくクラナだった。
そしてその後ろに、いつものふたり、エリーゼとマウの姿は無い。
ダインは招待の文を受け、二人にも来るかと訊いたのだが、

 エリーゼ 「やだ!」
 マウ 「わ、私も遠慮します…」

と、二人はにべも無く断ったのだ。
まぁ二人にしてみれば当然かもしれない。
マウはシャルに殺されかけたわけであるし、エリーゼもクラナ以外の魔王とは不仲なのだから。
結局、シャルのところへはクラナとダインの二人きりで行くことになった。

クラナの肩の上から辺りを見渡すダイン。
眼下に広がる豊かな自然は人間界では滅多に見ることのできないすばらしいものだった。
完全に放逐された天然の自然はこうまでは美しくならないだろう。
手入れがされるからこそ、自然はより自然らしく育まれるのである。

そんな風に辺りを見渡していて、見える光景が以前と違うことに気づいた。

 ダイン 「あれ? シャルの屋敷に行くんじゃないのか?」
 クラナ 「あれはパーティ専用の屋敷だ。普段は別の場所にある本宅にいる」
 ダイン 「パ……! 専用…!?」

ダインの目が見開かれる。
あのクラナの城よりもはるかに大きく豪奢な城がパーティ専用のもので、普段は使われていないとは…。
恐ろしいほどの贅沢である。

 クラナ 「他にも幾つか別宅があったはずだが、まぁ文には本宅にいると書いてあったしそこにいけば会えるだろう」

さらりと言うクラナにダインは再び驚愕した。
あの超巨大なパーティ専用の屋敷と本宅以外にもまだ家を持っているのか。
富とは、あるところにはあるものである。
魔王の凄さよりも、シャルの財力の凄さに驚くダインだった。

そうして歩いていれば、いくつかの村のそばを横切ったことに気づいた。
小さな家が建ち近くには畑らしきものがあり、そして周囲には魔族の姿が見える。
遠方で良く見えなかったが彼等はクラナに手を振っているようだ。
クラナもそれに笑顔で手を振って応えていた。
ちゃんと慕われているようでダインは安心した。クラナの笑顔も嬉しそうだった。

 ダイン 「ちゃんと手を振り返すあたり優しいな」
 クラナ 「易いことだからな」
 ダイン 「…にしても、魔族も人間と同じ様な生活してるんだな」
 クラナ 「この地上で生活する方法に大差は無い。畑を耕し、狩りをし、毎日を過ごすのみだ」
 ダイン 「そっか」

ここは人間界ではなく魔界。
そこのどこにも人間の姿は無く、かわりに魔族が生活している。
が、そこはとても平和だった。
平和とは、人魔に関係なく素晴らしい。
その光景を見て知らず内にダインも笑顔になっていた。

そして更なる歩行の末、見えてきたのは…壁。
幅は右の地平線か左の地平線まで伸び、目の前の豪奢な飾りのついた門ですら高さは数千mはある。
その門と比べて小さなクラナの肩の上でさらに小さなダインは口を大きく開けていた。

 ダイン 「なんだこれ…」
 クラナ 「まったく無駄な大きさだな。昼寝できる部屋があれば十分だろうに」

そうこうしていると門が開いた。
客を招きいれようというのだ。

フン。鼻を鳴らした後、クラナはこれまた広大な敷地内へと足を踏み入れた。
二人が本宅にたどり着いたのはそれから10分後のことだった。


  *
  *
  *


 シャル 「よくいらっしゃいましたわ」

屋敷で二人を出迎えたのはシャル。
身に纏う肩と胸が露出した煌びやかなドレスには宝石がちりばめられ、白い足に履いた真っ赤なハイヒールは同じく真っ赤な絨毯を踏み、細い指には碧く輝く宝石の指輪をはめ、金色の長い髪はさらさらと揺らめき縦ロールが歩くのに合わせてふわふわと弾む。
首から下げられた大きな宝石がその豊かな乳房の織り成す深い谷間に沈みこむようにして置かれていた。
スカートを摘んでお辞儀をするシャルに、クラナは再び鼻を鳴らして答えた。

 クラナ 「まったく急に呼び出しおってからに。要件はなんだ?」
 シャル 「あら、せっかく新しいお茶が入ったので誘って差し上げたのに。冷たいですわね」
 クラナ 「私はお前のように暇じゃ無いんだ。あまり軽々しく呼び出してくれるなよ」
 シャル 「そんな無礼が過ぎてはいつか後悔しましてよ。…あらダインさん。これはこれは挨拶が遅れて申し訳ございません」

シャルは再び頭を、今度はダインに向かって下げた。
ダインは引きつった笑顔を返すばかりである。
確かにシャルには認められたらしいが、かといってクラナたちほど親しいわけではない。
魔王に挨拶されるのは、妙な気分だった。
シャルが挨拶のために前かがみになったとき、その巨大な胸の谷間が深く強調されダインは顔を赤らめた。

 シャル 「ごめんなさいませ。私もこのお茶会を思いついてすぐにお呼びしてしまったもので、良い服を仕立てる時間が無く、恥ずかしいですけれど普段着ですの。あまり見ないで下さいまし」
 ダイン 「ふ、普段着…」
 クラナ 「いいからほれ、とっとと部屋に案内しろ」
 シャル 「挨拶ぐらいゆっくりさせてほしいですわ。ブツブツ…」

フンと踵を返したシャルに二人は着いていった。


  *
  *
  *


広大な部屋。
四方数千mの部屋の壁にはこれまた巨大な絵画がかけられ、隅には巨大だが価値も巨大であろう置物が置かれ、また壁の一つはほぼ全面がガラス張りでそこから陽光を惜しみなく取り入れ部屋の中は光に満たされている。
絨毯の敷き詰められた床。直径数百mはある豪奢なシャンデリア。
あらゆるものが巨大かつ豪華な輝きを放っていた。

そんな部屋の中央にポツンとある小さな丸テーブル。
水晶を加工し磨き抜かれたそれは水の様に透き通りまるでそこには何もないようにさえ見える。
唯一そこにテーブルがあると認められるのはテーブルの淵と脚を飾る白金の彫刻が施されているお陰であった。
クラナとシャルはテーブルの横にある、同じく水晶を加工して作られた椅子に座り、ダインはテーブルの上に降ろされていた。
見えない足場。あまりに透明度の高いそのテーブルにダインは自分が宙に浮いているかのような錯覚を覚える。
下方約100mを見下ろすことができた。
思わず腰が引けた。

 ダイン 「は、はは…すごいな…」

ダインは顔を引きつらせていた。
そんなダインをよそに、クラナとシャルはカップを呷りそこに注がれていた紅茶をひとすすりするとそれを受け皿に戻した。

 クラナ 「ふむ……なるほど、悪くない」
 シャル 「素直においしいとは言えませんの?」
 クラナ 「私はもう少し辛い方が好みだと知っているだろ」
 シャル 「紅茶は甘いものですわ。辛いもの好きも結構ですけど、もう少しこの風味の素晴らしさをわかるようになってくださいまし」

肩をすくめるシャル。
そんな二人を見ながら、ダインも自分の前に差し出された自分サイズのカップに手をつける。

 ダイン 「お、確かにおいしいな」
 シャル 「おわかりいただけますか、光栄ですわ。(クラナを見ながら)ダインさんはあなたよりずっと素晴らしい味覚をお持ちのようですわね」
 クラナ 「フン」

鼻を鳴らしたクラナはカップ大きく呷り中の紅茶を飲み干した。
するとシャルがポットを手にして言う。

 シャル 「おかわりはありましてよ?」
 クラナ 「…いただこう」

顔をしかめながら言うクラナのカップに、シャルは微笑みながら紅茶を注いだ。
やはり二人は、なんだかんだで仲がいい。
そんな二人を見ていて知らず内に微笑んでいたダインであった。

そのダインにも横からポットが差し出された。

 執事 「おかわりはいかがですか?」
 ダイン 「うぇ!? あ、い、いただきます…」

カップを差し出すダインの視線の先には燕尾服に身を包んだ若い男性。
その笑顔はまるで固定されているがのごとく揺らがない。プロの執事だった。
ただその背中にある折りたたまれた蝙蝠の翼のようなそれが、ダインの一挙一動を鈍らせた。
こんな間近でまじまじと魔族を見るのは初めてである。
警戒、唖然、好奇心、恐怖、様々な感情が入り乱れる。
そんなダインの好奇の視線を受けながらも、執事は相変わらず笑顔であった。

 シャル 「それにしても…」

カップを置いたシャルはダインを見下ろしながら言う。

 シャル 「その節はクラナがお世話になりましたわ。あなたがいなければ、きっと今頃クラナはこの世にいなかったでしょう…。心から感謝していますわ」
 ダイン 「そ、そんな礼を言われると…。俺はただクラナを助けたくてやっただけだし」
 シャル 「でもそのお陰で私の友人の命は救われましたわ。クラナがいなくなれば私は絶望に打ちひしがれ命を落としたやも知れません。あなたは、私の命の恩人でもあるのです」

穏やかな口調で言うシャルの瞳には大きな憂いの光があった。
クラナのいない未来を想像してのものである。
それを見て改めて、シャルにとってクラナが大切な友人であるとわかった。
無二の親友。それを失うかも知れなかった恐怖は計り知れない。

 クラナ 「目の前で言われると鳥肌が立つな。シャル、もう一杯くれ」
 シャル 「あなたの話をしてるんですわよ! 今後二度とあんな無茶は控えてくださいまし!」
 クラナ 「くく、いや…ダインが窮地に落ちたならば、私は何度でも身をなげうつ覚悟だ」

フフンと笑いながらダインを見下ろすクラナ。
その視線の先で、ダインはたらりと汗を流した。

 ダイン 「それってクラナを生かすも殺すも俺次第ってことか…?」

万が一、万が一にもクラナが死ぬようなことがあったら、俺はクラナを慕うすべての魔王から追われる身になるのか…。怖いな…。
想像すると汗がだらだらと流れるダインだった。

そんなダインに、シャルが手を差し出してきた。

 シャル 「友人の命の恩人のお顔をもっと良く見てみたいのです。乗ってくださりませんか?」

ダインは目の前の巨大な手を見つめた。
普段、クラナやエリーゼやマウで見慣れているそれだが、今目の前にあるのはシャルの手である。
慣れない魔王の手に乗るのは、少々躊躇われた。
ダインは恐る恐るクラナの顔を見上げる。
クラナは紅茶の入ったカップを口につけていた。

 クラナ 「別にとって食おうというつもりはあるまい。乗ってやれ」

クラナも特に何かを警戒している風ではなかった。
ダインはシャルの手へと向き直るとゆっくりと小さな椅子から立ち上がり差し出された手に向かって歩いてった。
目の前には巨大な中指がこちらを向いてテーブルに着いていた。
自分の身長ほどの太さのある指である。
ダインの身体能力を持ってすれば、これに飛び乗るのも容易である。
軽く跳びあがったダインは指の上へと降り立った。
そして指の上を歩き、手のひらの中央まで来たところで、そこに座り込む。
シャルの白い肌の手のひらは無垢の平原だった。
ダインが座るのを見届けたシャルは手のひらをゆっくりと目の高さ前で持ち上げた。
ダインの視界が、シャルの顔によって埋め尽くされる。
輝く金髪がカーテンの様に揺れ、碧い双眸がじっと自分を見下ろしてくる。

両手の肘をつき、片方の手を顔の前に、もう片方の手で頬杖を着いたシャルは自分の手のひらに乗っている小さな人間を見下ろした。
きょろきょろと頭を動かしている。落ち着かないのだろう。
それも当然か。自分は魔王で彼は人間なのだから。

頬杖を着いたままシャルがはぁ…と吐息を漏らし、ダインの髪が揺らされた。
紅を差したぷるんとした唇がその形をうれしそうにゆがめる。

 シャル 「凛々しいお顔…。人間なのが惜しいですわ」
 ダイン 「ど、どうも…」
 シャル 「ふふ、もしよかったらクラナなんか捨てて私のところへいらっしゃいませんか? 優遇しましてよ?」
 ダイン 「えぇ!?」
 クラナ 「色目を使うなよ、シャル」
 シャル 「あら、私は本気でしてよ。強く美しく勇ましい…そんな殿方なんて今は滅多にいませんもの」

言いながらシャルは、頬杖をしていた手の指を伸ばすと手のひらの上のダインに優しく触れた。
ダインは、薄赤色に彩られた爪の輝く指が自分の頭を撫でるのを感じていた。
クラナは再びカップを呷った。

 クラナ 「他人の男に手を出すとは、お前も嫌な奴になったものだ」
 シャル 「あらあら、そういうのは気になさらないのでは? それに私はダインさんに訊いているのですわよ」

シャルは指をどかし、その下から現れたダインを見つめた。

 シャル 「いかがですかダインさん?」
 ダイン 「えっ!? いやっ…! ………誘ってもらえるのはありがたいけど、…俺はその…やっぱりクラナが……」

顔を赤くしながらボソボソというダイン。
シャルは、ダインの呟きにクラナがほっとするのを見ていた。
強がって…。ほんと、お似合いの二人ですわ。
くすっと笑った。
 
 シャル 「ふふ、ごめんなさい。冗談ですわ。貴方を奪ったら、クラナが泣いてしまいますもの」
 クラナ 「誰が泣くか。ダインが行きたいというなら、私は止めなかった」
 シャル 「そんな決闘を申し込むような目で言っても説得力に欠けましてよ」

フン。
クラナは空になったカップを呷った。
そんなクラナを見て、またシャルは笑った。

 シャル 「しかしあのクラナが人間を好きになるなんて…いまだに信じられませんわ」

ダインを見下ろしながら言うシャル。
ん? ダインは手のひらの上から問うた。

 ダイン 「あのクラナ?」
 シャル 「えぇ、昔のクラナはそれはもう人間嫌いで。酷いときには…」
 クラナ 「シャルッ!」

部屋に響くクラナの怒声。
それはシャルの言葉をかき消し打ち止めた。
シャルとダインが見た先のクラナは表情に怒りを露にしていた。
…いや、それは怒りと言うよりも焦り。恐怖を抱いた焦りだった。
突然クラナが大声を発したことに呆気に取られるダイン。
だがシャルはクラナの顔をしばし見つめた後、ふぅと息を吐いて言った。

 シャル 「ごめんなさいダインさん。これ以上は話せませんわ」
 ダイン 「…」
 シャル 「でもいつかクラナも自分の意思であなたに伝えると思いますので、それまで聞かないでやってくださいな」

シャルは穏やかな笑顔でそう言った。
ダインはもう一度クラナの顔を見た。
それに気付いたクラナは悲しそうな表情で視線を逸らした。
昔のクラナ。ダインがその言葉から連想するのは、数万年前までの人間を虐殺していたクラナである。
幾つもの街を焼き、国を滅ぼし、無に帰していた時代。
今でこそそんなことはしないが、その時代のクラナに何があったのか。またどうしてそうではなくなったのか。
だが、それを聞くことはできない。あのクラナの悲しそうな顔を見ると…。
過ぎ去ったあの時代が、今のクラナに大きな影を落としている。
何故そうなるかも、予想できる。
しかし、今はまだ、それを聞く時ではないのだろう。
クラナが、自らの闇を打ち明ける覚悟を決めるまで。
時間は無限にある。それまで、いつまでも待とう。

ダインは優しい声で顔を伏せるクラナに言う。

 ダイン 「いいよクラナ。俺はお前が話してくれるのを待つから。だからそんな悲しい顔をしないでくれ」
 クラナ 「ダイン…」

ゆっくりとあげられたクラナの顔には確かな後悔。
しかしその瞳は喜びの涙で濡れていた。

そんな二人のやり取りを見て、シャルは笑った。

 シャル 「ふふふ、お熱くてかないませんわ。本当にお二人はラブラブでいらっしゃいますのね」
 ダイン 「ら、ラブラブぅッ!?」
 クラナ 「悪いか?」
 シャル 「いーえ、結構なことですわ。ささ、紅茶のおかわりをどうぞ」

と、シャルがポットに手を伸ばしたとき、揺れ動いた手の上でバランスを崩したダインはその手の上から転がり落ちてしまった。

 ダイン 「わ、わわ!」

一瞬の落下感の後、すぐに何かに着地したので大事には至らなかった。
落下した際にぶつけた頭を摩りながら身体を動かそうとするダイン。

 ダイン 「いてて……。……あれ?」

ところが身体が動かない。
何かと思い、痛みに閉じられていた目を開き辺りを見てみるとそこは薄暗い空間だった。
光は上から差し込み、そして下半身は何かによって挟まれている。
そして自分の左右には肌色の何か。やわらかく暖かいと思う。
なんだ…、と思考すること1秒。これに似た体験を、今まで何度も繰り返していることに気づく。
まさか! と思って上を見上げてみると、そこにはシャルのきょとんとした顔を真下から見ることができた。
答えは簡単、シャルの胸の谷間に挟まってしまったのだ。

 シャル 「あら」

シャルは自分の胸の谷間に挟まったダインを見下ろして呟いた。

 シャル 「まぁごめんなさい。私ったら失礼を。すぐにお助けいたしますわ」

と、シャルはダインに手を差し伸べた。
だが、そのために腕を動かしたとき、腕が広げられたことで胸の谷間の渓谷も大きくなり、ダインはさらに深く沈みこんでしまった。
ダインは、薄暗い胸の谷間の中から、その谷間の上空、自分の口元に手を当ててあらあらと言うシャルを見上げた。

 クラナ 「何を遊んでるんだお前たちは」

クラナはポットを手に取り自分で紅茶を淹れていた。

 ダイン 「だ、誰が遊んでるかーー!!」

というダインの叫び声が、シャルの胸の谷間から聞こえた。
そしてそのダインを助けようと手を差し伸べていたシャルだが、ピコンと何かを思いついたかのような表情になると差し伸べていた手を引っ込めクラナへと挑戦的な笑みを浮かべた。

 シャル 「ふふふ、どうですのクラナ? ダインさんは私の胸を気に入っていただいたようですわ」
 ダイン 「ふぇ!?」
 クラナ 「詰まらん冗談だな。ダインがお前の胸を気に入っただと?」
 シャル 「えぇ。ほら、御覧なさいな—」

言いながらシャルは少し前かがみになった。
するとクラナからも、シャルの谷間に挟まるダインを見ることができた。
シャルはすぐに上体を戻す。

 シャル 「こんなに深くに入られて。私はあなたと違ってちゃんとお手入れをしていますから」
 クラナ 「それ以上は笑えないぞ」
 シャル 「あら、妬いてますの?」
 クラナ 「妬いてなどいない」
 
フフンと勝ち誇ったように笑うシャル。
クラナはカップの紅茶をすすった。

 クラナ 「ダインが女に興味を示すのはいいことだ。むしろもっと積極的になってもらいたいくらいだからな。だが、ダインが胸の谷間にいることでお前が調子に乗るのは気に食わん」
 シャル 「やれやれ、困った方ですこと。それが本音なんですからさらにタチ悪いですわね」

シャルは眉根を寄せ困ったような顔をしながら軽く腕を組み、胸を寄せ上げた。
胸の谷間からダインの悲鳴が響いた。
 

  *
  *
  *


暫く。
ティータイムは続いていた。
この間にクラナはダインを取り戻し、今ダインはクラナの胸の間に収められていた。
抗議も抵抗も、クラナが何度も胸を寄せ上げるうちに小さくなり、そして今、ダインはクラナの胸の合間に下半身を挟まれ上半身は胸の上にパタリと倒れこんでいた。とっくに疲労困憊である。
ダインを胸に挟んだまま、さも当然と、何事も無いかのように紅茶の入ったカップを呷るクラナを見て、シャルは微笑んだ。

 シャル 「ふふ、本当に仲がよろしいですこと」
 クラナ 「当然だ。私とダインだからな」
 シャル 「でもクラナ、そろそろ魔界に戻ってきてもよろしいんじゃなくて? いつまでも人間界にいては魔族たちに示しがつきませんことよ?」
 クラナ 「知らんな。家臣などいないし、今のあそこでの生活も気に入っている。魔族どもが私をどう思おうと関係無いな」
 シャル 「お強いこと。それよりクラナ、アレ以降、体調はどうですの?」
 クラナ 「すこぶるいいぞ。身体の中に凝り固まっていた魔力が解放されて前よりも清々しい気分だ」
 シャル 「ならいいのですけれど。もう、あんな無茶はやめてほしいですわ」
 クラナ 「ふふん、それなら心配いらん。今も、暇を見つけてはダインとやっているからな」
 シャル 「お盛んですこと…。あなたがそんなに淫乱だとは知りませんでしたわ」
 クラナ 「くくく、いつかお前にも好きな男ができたらわかるさ」
 シャル 「そうですの? じゃあダインさんを貸していただけますかしら?」
 クラナ 「ブフッ!(紅茶を噴き出す)」
 ダイン 「うわ!」

クラナは紅茶をこぼし、それらはクラナのあごを伝って滴り胸に垂れ落ちた。
そこに挟まれていたダインは紅茶の豪雨に晒されていた。
クラナの驚く様を見てシャルはにやりと笑った。

 シャル 「冗談ですわ」
 クラナ 「貴様…、バカも休み休み言わねば今以上にバカになるぞ」

用意されていたナプキンで口を拭うクラナ。
そして次に胸の谷間を拭いた。
ダインの身体もつまみ出して良く拭く。が、濡れた服はすぐには乾かない。
ダインは、全身紅茶でびしょびしょだった。

 クラナ 「まったく、お前のせいだぞ」
 シャル 「そうですわね、ちょっと悪ふざけが過ぎましたわ。代えの服を用意させましょう」

シャルが目配せをすると、テーブルの端に控えていた執事が頭を下げた。
そしてテーブルに降ろされていたダインに近づくとその手を取って言う。

 執事 「シュレーフド様、どうぞこちらに」
 ダイン 「え?」

ダインの手を掴んだまま、執事はその漆黒の翼をバサリとはためかせ宙へと舞い上がった。
執事はダインを連れて部屋を出て行った。


  *
  *
  *


広大な部屋。
ダインにしてみれば四方数百mの広さだ。
そして更に驚くべきは、その部屋のほぼ全てを、人間・魔族サイズの服の棚が埋め尽くしていることである。
一つの棚の幅は横100m、奥行き5mはあり、高さも400m以上。棚と棚の間はわずか2mほどで、すべての棚に服がいっぱいに詰め込まれかけられている。
その棚がこの部屋のほとんどを占めるのだから、その総量はとんでもない数があるはずだ。
人間の都市の、いや、下手をしたら国一つにある服の総量を超えているかもしれない。
その壮大さに圧倒されながらダインは運ばれていた。

やがて執事は一つの棚に目を留めそこへ降りた。
そして棚から一つの服を手に取るとそれをダインにあてがった。

 執事 「こちらなどいかがでしょう」
 ダイン 「そ、そうですね…」

だがダインは服よりも今自分がいる場所が気になった。
棚の上に立っているダイン。2mちょっと先には別の棚が見えるのだが、この棚とその棚の間には空間がある。
それは見下ろすと深さ200m超の棚の谷間であり、今自分がそれほどの高さにいる証拠でもあった。
普段、クラナと生活していて高い場所には慣れていたつもりだが、それでもやはり足が竦む。
早く服を決めて帰りたい気分だった。

 ダイン 「うん、これでいいですよ」

ダインは差し出された服を手に取った。
実際、悪くは無かった。
素材もいいし、機能性も良さそうだ。
ふんふん。納得のいくものだった。

 ダイン 「いい服ですね。それもこんなにたくさん…」
 執事 「ええ、すべてお嬢様がご自分で手がけられたものです」
 ダイン 「へ? お嬢様?」
 執事 「ミリシャリオット様です。お嬢様はご器用でして、服作り以外にも多彩な趣味をお持ちなのです」
 ダイン 「シャル!? この服シャルが作ったんですか!? だって…だってシャルから見たらこの服なんか…」
 執事 「はい」

執事は崩れぬ笑みで微笑み返してきた。
ダインはあごがはずれんばかりに驚いた。
シャルがこの服を作ってる。
この服はシャルにとって見れば指先ほどの大きさも無い。広げても爪の広さの中に入ってしまう。
そんな服を、こんな綺麗に仕立て、そしてこんな量…。
手先が器用と言う問題なのだろうか…。

 ダイン 「す、凄いな…シャル。じゃあこれにします」
 執事 「かしこまりました。ではお着替えはこちらで」

案内された先には棚と棚の間にある試着室。
と言っても、四方5mはある部屋で内面は更に細かく区切られ大きな部屋と狭い部屋に分かれる。
大きな鏡が壁を覆い自分のどの角度でも見ることができる。
部屋に入ってまたポカンとするダイン。
その後ろで執事が頭を下げた。

 執事 「ではごゆっくりどうぞ。お着替えはこちらの者たちが手伝いますので」
 ダイン 「え!?」

振り返れば執事の後ろには4人の女中が頭を下げて立っていた。
全員が、翼を持っていたり、動物の耳を生やしていたり、尻尾を生やしていたりした。
当然だが、明らかに人間ではない。
ダインは後ずさった。

 ダイン 「い、いや、自分で着替えられますから」
 執事 「そうは参りません。私どもはお嬢様より貴方様のお着替えを手伝うよう仰せつかっております」
 女中 「ではこちらに」

と、4人の女中が近寄ってくる。
あとずさるが、そこは壁である。

 ダイン 「待って! 俺は自分で…」
 女中 「失礼します」

女中たちは笑顔のままダインの服をするりと脱がせた。
計八本の女中の腕がまるで一つの意思に従うように完璧に統制された動きでダインの身体に触れる。
服とは関係のない肌や頬がそっと撫でられ白い指先がつつ…とダインの背中を走る。
女中の一人の吐息がダインの耳に吹き付けられた。
羞恥。快楽にも似た快感がダインの心をざわめかせた。

快楽に浸っているうちに、あっという間にダインは着替えさせられていた。
女中たちが頭を下げる中、ダインは荒くなった息を落ち着かせていた。

 ダイン 「へ、平常心平常心!」

ダインの着ているのは薄手の布の服。
ただし肌触りは抜群で通気性も良く薄さの割りに強固な繊維だった。
胸周辺は内側に皮でも張られているのか予想以上に頑丈で、それが胸を守るための工夫であるとわかる。
ベルトのバックルには精巧な模様が彫りこまれていた。
これもシャルがやっているとしたら最早ぐうの音も出ない。
ただちょっと気になるのはこの服にマントがセットで付いてきたことだった。
自分が少し動くだけでマントが翻り少し恥ずかしい。鏡の前でダインは頭をかいた。

 ダイン 「恥ずかしいですね…」
 執事 「凛々しい貴方に良くお似合いですよ。さぁお嬢様たちがお待ちです、戻りましょう」

執事に促されダインは試着室を出た。

 ダイン 「じゃあまたクラナたちのところまで運んでもらえます?」
 執事 「かしこまりました。…ですが、その前に…」
 ダイン 「?」

ダインは執事を振り返った。
執事は相変わらず鉄の笑顔である。
そしてそのまま、どこから抜き放ったのか、白刃のレイピアをダインに突き出していた。

 ダイン 「ッ!?」

即座に身を翻し棚の淵にそって距離を取るダイン。
間一髪だったその鋭い剣は、ダインのマントを貫いていた。

 ダイン 「な、なんのつもりですか!」

ダインの抗議。
だが執事はそれに答えず、笑顔のままダインに切りかかってきた。
ヒュンッ! ヒュンッ!
細く撓るレイピアの刃が八方からダインに襲い掛かる。
最低限の身のこなしでそれをかわすダインだが、今しがた着替えたばかりの服は次々と裂けていった。

  タン!

棚の淵から下に向かって飛び込んだダイン。
幅1m少々。床まで百数十mの距離を落下する。
そのダインを、黒い翼をはためかせた執事が落ちるよりも速い飛行速度で追いかける。
その差はあっという間に詰まり、一閃を浴びせられたダインは、瞬時に横の棚へと身体を滑り込ませるも、執事の軽い剣もダインを追いかけて横薙ぎに切り抜かれた。
ズバババン! そこの棚にあり、今しがたダインが飛び込んだ段にかけられていた服たちはあっという間に切り裂かれた。
無数の服の切れ端がまるで木の葉のように舞いあがる。
その中にダインの影を捉えた執事のレイピアが切り込まれ、舞い上がっていた服の切れ端がさらに細かく切り裂かれる。
ダインは横にあった服を掴むと、迫る執事の前にバサリと投げ広げた。
レイピアは、そんな服など気にもせずダインへと振り下ろされる。
ここは棚の角。背面は壁、逃げ場は無かった。
 
  ヒュンッ!

レイピアが、目の前の服ごと、その向こうにいるダインを切り裂いた。

  パキィン!

瞬間、甲高い音とともにレイピアが折れる。
執事の鉄の笑顔が、初めて驚いた表情へと代わった。
切り裂かれた服がひらひらと下に落ちたとき、そこには腰の剣を抜き放ったダインがいた。
レイピアは、あの剣を切りつけてしまった故に折れたのだ。

タン! 屈んでいた体勢から飛び出したダインが執事の喉に剣の切っ先を突きつける。

 ダイン 「なんでこんなことをする! シャルの命令か!?」

ダインの放つ覇気。
だがそれを前にすると執事はまた笑顔になり、そしてレイピアを収めた。

 執事 「流石でございますシュレーフド様。突然の無礼を、どうかお許しください」
 ダイン 「…何?」
 執事 「お嬢様より貴方の力をはかるよう仰せつかっておりました。魔力を取り入れた人間の力を、と」
 ダイン 「なんでそんなことを…」
 執事 「それは聞かされておりません。ですがこの後部屋に戻りましたらお嬢様の方からお伝えになられると…」
 ダイン 「…。そっか」

ダインは剣を治めた。
執事にこれ以上剣を向ける理由が無い以上、刃を晒しておく必要は無い。
ふぅ…ダインは一息ついた。
まぁ力を試されたってところだろう。別に嫌じゃない。自分がどこまでできるのか知りたいのは自分も同じだった。
だが今のはやばかった…。
繰り出される攻撃がどれもまるで手加減の無い真剣の攻撃。
さらにあの笑顔のせいで相手の次の動きが読めないときている。
何度も手合わせをしたくない相手だった。

 執事 「では戻りましょう。…ああ、申し訳ございません。今の戦闘のせいで折角のお召し物が…」

確かに。見れば今の執事とのやり取りでダインの服はほとんどのところが裂けていた。
肌にこそ届いていないものの、それはつまり全ての攻撃が紙一重であったことを意味している。

 ダイン 「ああ…。まぁしょうがな—」
 執事 「ではもう一度着替えましょう。女中たちにも準備をさせますので」
 ダイン 「えぇ!? また手伝ってもらうの!?」

そしてダインはまた4人の女中に身体中を触られながら服を着替えさせられた。
執事に連れて帰られるとき、顔を真っ赤にして俯いていた。

ちなみに着替えた服にはまたマントが付いてきたという。


  *
  *
  *


 クラナ 「お、戻ってきたな」

執事の手に連れられてダインはテーブルの上へと降り立った。
そのダインの格好を見て、クラナは言う。

 クラナ 「なんだお前、その格好は」
 ダイン 「いや、マント…」

…。

一拍の間を置いて、クラナは笑い始めた。

 クラナ 「くくく…。お前、マントって…」
 ダイン 「仕方ないだろ! 服についてきたんだから!」

ダインが抗議するとクラナは更に声高らかに笑った。

 クラナ 「あっはっはっは! 今時そんな格好する奴、エリーゼの絵本にも登場しまい!」
 ダイン 「やかましいわ!」
 シャル 「良くお似合いですわダインさん。貴方の一挙一動に伴って翻るそのマントの勇ましさ。まるで英雄か勇者の様ですわ」
 ダイン 「ゆ、勇者ぁ!?」
 シャル 「着慣れないものを恥ずかしいと思うのも当然のこと。マントとはそこを吹き抜ける風を視覚化するもの。一陣の先頭に立つ者がそれを身に付けたとき、その翻るマントは、自分がどんな逆風にも立ち向かう意を力強く具現化しますわ。英雄の身を飾るだけではなく、その大儀を高らかに示してくれるものですのよ」
 ダイン 「そんな大層なものだったのか…」

ダインは自分のマントを見下ろして呟いた。

 シャル 「まったく、クラナの感性には呆れさせられますわ。せっかくダインさんが着替えられたというのに、その格好を褒める前に笑うだなんて」
 クラナ 「くっくく、だってダインがマントをつけて勇者だと? こいつにそんな華があるわけ無いだろう。泥に塗れて地べたを這いずるほうがお似合いだ」
 ダイン 「言ってくれるな…」

軽くorz状態のダインだった。
そのダインにクラナが優しく手を差し伸べる。

 クラナ 「だからこそ私は気に入っているのだ。なりふり構わず他者を救おうというお前のその意志をな。華やかである必要など無い。お前はお前のままでいてくれ」
 ダイン 「クラナ…」

頬を染め見詰め合うクラナとダイン。
その横でシャルが手でパタパタと顔を仰いだ。

 シャル 「ほんと、お熱いですわね…。のろけもそこまでこられるとからかう気すら失せますわ。大体勇者だってそんなに華やかなものじゃなくてよ。ひたすら自分より弱い者を倒し、強い者からは逃げ、勝手に人の家に侵入してはタンスやツボをあさりまくり、宿屋に泊まっては姫様とお楽しみタイム。挙句には王様から魔王を討伐すると言う名目でもらったお金でぱふぱふしに行く。泥に塗れるどころか太陽の下を歩けないようなことをやってましてよ」
 クラナ 「お前それはどこのRPGだ。そう言えばダイン、結構時間が掛かったな。服を選んでたわけじゃなさそうだが?」
 ダイン 「あぁ、それなんだけど…」
 シャル 「それは私が説明しますわ」

カップに注いだ紅茶を日とすすりした後、シャルは語る。

 シャル 「ダインさんは魔力を内包しているとのことですが、実際人間が魔力を持つなど可能なのかどうか、それを調べるために少しご協力頂いたのですわ」
 クラナ 「そうなのか?」
 ダイン 「まぁ…間違ってはいない…」
 シャル 「報告では、確かにセバスチャン(執事)は貴方の身体から魔力を感じたそうですわ。…ですが、考えてもみてくださいな。人間が少々魔力を取り込んだからと言って、その身体からあふれ出るほどに迸り、生粋の魔族を圧倒するということがあるとお思いですか?」

ピクン。
クラナの眉が動く。
ダインは、わかるようなわからないような按配だった。

 ダイン 「あふれ出たら、まずいのか?」
 シャル 「あふれ出るということはすなわち身体に内包しきれないほどの魔力を有しているということです。それは、少量の魔力でも魔物化する人間にはあり得ないことですわ。例え貴方が運良く魔力を取り入れられる人間であるのだとしても、肉体を溢れるほどの魔力を取り入れて魔物化しないはずは無いのです。つまり…」
 ダイン 「つ、つまり…!?」
 クラナ 「…」

ダインはゴクリと唾を飲んだ。
クラナは静かにシャルの次の言葉を待った。

もう一度カップの紅茶をすすったあと、シャルは言った。

 シャル 「あなたはもう人間ではありませんわ」
 ダイン 「ッ!?」
 クラナ 「…」

シャルの言い放った言葉に、ダインは驚愕する。
自分が…人間じゃない!?
それは自身の根底を否定するに他ならない。
ダインの驚愕を悟ってか、クラナが続きを促した。

 クラナ 「…それで?」
 シャル 「以前の彼なら多少魔力を秘めた人間、ということでも説明できたのでしょうけれど…。…いえ、もしかしたらそれ以前の問題…魔力を内包しても魔物化しない人間…まさか根本からして……」
 クラナ 「シャル!」

ビクン!
一人思案の中に浸っていたシャルの意識をクラナの声が呼び戻した。

 クラナ 「で、何が言いたいんだ?」
 シャル 「こほん…。そう、説明できたのでしょうけれど、今の彼は人間の限界を明らかに超えてしまっていますわ。内包する魔力も、魔物化するというレベルをはるかに超え、上級魔族に匹敵する量を秘めていらっしゃいます。これは人間なら、例え魔物化しても取り込むことのできない量でしてよ」
 ダイン 「…俺は…」
 クラナ 「落ち着けダイン。大した問題ではない。お前が多量の魔力を取り込んでも魔物化しないというだけの話だ。原因も大体わかっている」
 ダイン 「そ、そうなのか!?」
 クラナ 「うむ。…恐らくは、私が魔力の器を分け与えてしまったせいだろう」
 ダイン 「ッ…!」
 シャル 「…」
 クラナ 「私が器を与えてしまった故に、本来ならダインの霊素の中に極小の量であったはずの魔力が、そのバランスを一気に崩すほどの量になってしまったのだ。本来なら瞬時に魔物化するであろうところに魔力の器があったせいで魔力は乱れず、逆に霊素を取り込んで吸収したのだ。つまり今ダインの身体は霊素ではなく魔素を中心に構築されているのだろう。ほぼ、魔族に等しい」
 ダイン 「魔族…俺が……」

落ち込むダイン。
クラナも目を閉じてゆっくりと息を吐き出した。
言うなれば、すべての原因は自分にあるのだから。
ダインの苦悩を考えると、クラナも胸が痛んだ。

だがそんな二人を前にシャルは笑って見せた。

 シャル 「ふふ、お二人とも。そこまで暗くなることはないのではありませんか?」
 クラナ 「む…?」
 ダイン 「…え…?」

ゆっくり顔を上げる二人に、シャルはもう一度笑いかける。

 シャル 「魔素も霊素も、結局は構成するいち元素にかわりはありませんわ。どちらであっても、大してかわりませんことよ。私たち魔王とあなた方人間を見比べてくださいな。その姿形に大した違いはないでしょう? もっと良い例えだと…あなたが助けたあの人間の娘、彼女は魔王になる前となった後で何か変わりましたか。大きさが変わるのは有する魔力のせいですが、姿形を含め、記憶も仕草も考え方も何一つかわらないはずです。それに魔族に等しいと言っても魔族ではありませんわ。ただあなたの有する魔力が人間の限界を超えているというだけの話ですの。これまでとこれからに、大きな違いなんてありませんことよ」
 ダイン 「…」
 クラナ 「つまり、ダインは人間だと言うことか。なんだ、自分で最初に人間じゃないとか脅かしておきながら結局はそれか」
 シャル 「一言で言えばそういうことだということですわ。構成する元素がかわろうとも人間は人間ですもの。お鍋の中身が水から油にかわった程度に考えていただければよろしくてよ」
 ダイン 「そ、そんな単純なものなのか」
 クラナ 「実際、なにか変わるのか?」
 シャル 「そうですわね…あなたは魔力で身体能力を高められるそうですから、それがより強くなってるのではありませんか?」
 ダイン 「強く…」

強く。
確かに言われて見ればクラナから魔力の器を分けてもらう以前は魔物化したワニや雷の魔獣と互角の強さだったが、今はあの巨大なイカの化け物に立ち向かえるほどになった。
単純な修行だけではそうはなれまい。それが、魔力の影響だったのか。

 ダイン 「確かに…身体に漲る魔力は以前よりはるかに強くなった気はするけど…」
 シャル 「そういうことですわ。魔力の絶対量が増えたので強化される強さも増したのでしょう。貴方は今、少量の霊素と多量の魔素で構築されているのです。魔族化することのない人間。すべては、クラナが器を分け与えてしまったせいですわ」
 クラナ 「…その通りだ。それについては、すまなかったと思っている」
 ダイン 「クラナ…。そんな顔しないでくれ。お前は自分の命を犠牲にする覚悟で俺を助けてくれたんだ。お前のせいだなんて思ってない、お前のお陰で俺は生きてられるんだよ。だから、そんな苦しそうな顔をしないでくれ…」
 クラナ 「ダイン…」

見つめあう二人。
その横でシャルが手でパタパタと顔を仰いだ。

 シャル 「あーあー、本当にお暑いですこと。ま、気にならないのなら結構ですわ」
 クラナ 「だが、何故お前はそんなことを調べようとしたんだ?」
 シャル 「ええ、クラナの中に入っても霊素を吸収されない人間。もしや…と思ったのですけれど…」
 クラナ 「ダインが転生体だと言うことか?」
 シャル 「その可能性を調べてみたかったのですの。…ですが異常な霊素反応もありませんし…、恐らく杞憂に終わりそうですわね」
 ダイン 「転生体?」
 クラナ 「お前が何者かの生まれ変わりでは無いかということだ。そういうのが可能な連中がいるのだ」
 ダイン 「へ? でも前にその可能性は無いって…」
 クラナ 「そうだ。お前の中には人間として普通の量の霊素と私が器を分け与えた分の魔力しか見えなかった。だからその可能性は無いと…」
 シャル 「ですが、本来はありえないことですのよ。ダインさんが霊素を吸収されないのであれば、クラナの方が霊素を吸収しない異常があっととしか…」
 クラナ 「だがあの後何度もダインを襲ったがやはりお互い異常はなかったぞ」
 シャル 「…」
 ダイン 「…」
 クラナ 「…」
 シャル 「この色魔」
 クラナ 「好きな男とやって何が悪い」
 シャル 「節操が無さ過ぎですわ! っていうか襲ったって…! 同意の上でやっていたのではありませんの!? 魔王たるものそんな色に酔っていては他者に示しがつきませんことよ!」
 クラナ 「私とダインの愛を示すことができる!」
 ダイン 「く、クラナ…」
 シャル 「…。ま、いいですわ…。そこまでやっても異常が無いのでしたらきっと私の思い過ごし…」
 ダイン 「…あのさ」
 シャル 「はい?」

シャルとクラナの視線がダインに集中する。

 ダイン 「もしかしたら…いや、本当に思いついただけなんだけども…」
 クラナ 「言ってみろ。この際思いつきでも構わん。どうせ明確な答えなど出ていないんだ」
 ダイン 「ああ…。俺の中にはクラナの魔力の器があるんだよな?」
 クラナ 「ああ、その通りだ」
 ダイン 「うん。つまり俺の身体はほとんどがクラナの魔力で作られてるようなものなんだ。だからクラナの一部である俺がクラナの中に入っても霊素を吸収されない…って思ったんだけど」
 クラナ 「…」
 シャル 「…」

二人はあごに手を当てて考え始めた。

 ダイン 「い、いやただの思いつきだからそんな真剣に考えなくても…」
 クラナ 「いや、その可能性はあるな」
 シャル 「そうですわね。もともと器を分け与えるなんて恐らく世界創生以来初めてのこと。誰もしたことのないことなのですから資料などが残っていないのは当然ですが、その可能性は高いですわね」
 クラナ 「自分自身から吸収しようはずもないからな。ダイン、いい勘をしているな」
 ダイン 「そ、そうかな」
 シャル 「調べることは難しいですけれど、それで合っていると思いますわ。なるほど、分身に等しい器の分け与えはそういう可能性を秘めていますの…」
 クラナ 「と言うことは、私以外との性交は不可能だな」
 ダイン 「ん?」
 シャル 「そういうことになりますわね。あなたとダインさんだけに許されたことですわ。他の魔王とやれば、定石通り霊素を吸い尽くされてしまうでしょう」
 クラナ 「そうか…。…くっくっく、つまりエリーゼもマウもダインと契ることは不可能だということだな」
 ダイン 「クラナ…」
 クラナ 「私とダインだけに許された行為。私とダインだけに。くくくく、良いことだ。良いことだぞ!」
 シャル 「この色魔は放っておくとして、今のところはそれがもっとも有力な説ですわね。これ以上は予想の域を出ませんし、悪い異常もないのなら、ひとまずそれで一段落というところでしょうか」
 ダイン 「俺の身体に…そんな変化が…」
 シャル 「今までよりも力が強くなった程度の考えでいいと思いますわ。魔物化しないのなら、霊素と魔素に大きな違いは感じないと思いましてよ」
 クラナ 「うむ。…ちょっと待て、体構造は魔族に等しくなったんだよな? なら寿命はどうなる? もしや魔族並に伸びたり…」

クラナの瞳が輝いたのをダインが見た。
可能性の閃き。
少しでも長い時を…と。
だがシャルはすぐに首を横に振った。

 シャル 「それは変わらないと思いますわ。身体の構造は変わっても、魂は人間のままですもの。あなたのところの娘の様に、死した魂を魔力で呼び戻したりしない限りそれはありえませんわ」
 クラナ 「…なんだ、期待して損した」

あからさまにため息をつくクラナ。
でもそんな風に少しでも期待してくれるのを、ダインは嬉しく思った。

 クラナ 「…さて、面倒な話は終わりにするか。喋ってて喉が渇いた」
 シャル 「そうですわね。紅茶も冷めてしまったことですし、また新しいのを淹れてきますわ。少々お待ちくださいませ」

言うとシャルはポットを持って席を離れた。
その間、クラナとダインは他愛も無い話に花を咲かせたのであった。


  *
  *
  *


あっという間に時は流れ日が傾かんという頃合。
楽しいおしゃべりも終わりのときを迎えようとしていた。

 シャル 「あら、もうこんな時間ですの」
 クラナ 「む、少し喋りすぎたか」

二人とも時間が経つのを忘れていたらしい。
実際、ダインも二人の話に聞き入ってしまっていた。
特にクラナの過去の話は色々面白いことを聞けた。

 ダイン 「湖に落ちて溺れて近くの村の魔族全員で引っ張り上げてもらった…か」
 クラナ 「やかましい! あんなところに湖があるのがいけないんだ!」
 ダイン 「普通、湖があったら気付くよな」
 シャル 「うふふ。今日は楽しかったですわ。またおいでくださいまし」
 ダイン 「ありがとう。お邪魔させてもらうよ」
 クラナ 「気が向いたらな」
 シャル 「屋敷の外までお見送りしますわ」

と、シャルが立ち上がったとき、部屋の外からやってきた執事がテーブルの上に降り立ち頭を下げた。

 執事 「お嬢様」
 シャル 「どうしましたの?」
 執事 「ケメルの水晶穴にドミノメイが生まれたのが確認されました」
 シャル 「あら、もうそんな時期ですの」
 ダイン 「ドミノメイ?」
 クラナ 「七色に光り輝く宝石だ。純度の高い水晶が高密度の魔力に晒され続けて生まれる。だが生まれるまで数万年から数十万年かかり滅多に見ることができない幻の宝石として有名だったな」
 ダイン 「数十万年!? …それは確かに希少だわ…」
 クラナ 「無法な乱獲者たちの手によってドミノメイが生まれる可能性のあった水晶穴はほとんどが掘りつくされ、今は天然のドミノメイの生まれる水晶穴は残っていないと言われているが?」
 シャル 「そのひとつを私の領内にて保護していますわ。そう、生まれましたの。なら担当の者に回収してくるよう伝えなさい。今の担当の者は誰ですの?」
 執事 「オグルでございます。…が、彼は今、ヘルハウンドに襲われたときのケガを治療するため実家で療養しております」
 シャル 「あぁ、そうでしたわね…。どうしましょう、できるなら早めに回収しておきたいのですけれど…」
 執事 「しかしお嬢様、今この屋敷にはオグル以外に水晶穴にいける者はおりません」
 シャル 「そうですのよね…」

左手で右腕の肘を押さえ右手をあごに当てて考えるシャル。
ん? ダインは首を捻った。

 ダイン 「特定の誰かしか入れない洞窟なのか?」
 クラナ 「いや、単純に内部が危険で強い者しか入れないと言うだけだ。さらにドミノメイも、ものによって大きさは違うが大体1mはあるからな、それを担いで狭い洞窟から出てくるのは至難だ。さらに水晶故に洞窟自体が脆く崩れやすく私たち魔王は近づくことができない。つまり洞窟に入れるのは強く、力があり、繊細で、信用の置ける、小さな魔族ということになるな。言うのは簡単だが、ドミノメイを持ち出せるほどの者はそうはいないんだ」
 ダイン 「ふーん。なら俺が行こうか?」
 クラナ 「ぬ?」
 シャル 「え?」

突然のダインの発言に、魔王二人の視線が集中する。

 ダイン 「強くて力があればいいんだろ。それなりに自信はあるし、小さいことが条件なら俺にも入れる。…まぁ、信用できるかどうかはそっちに任せるけど」
 クラナ 「本気で言っているのかお前? 水晶穴に挑むということは単身魔界に出るということだぞ」
 シャル 「確かに貴方の実力なら申し分ありませんけど、流石にお客様にやらせるわけには参りませんわ」
 ダイン 「そっか…お茶に誘ってくれた御礼がしたいんだけどな」
 クラナ 「茶の湯ごときに恩義を感じて命をかけるな!」
 ダイン 「もてなしの心に敬意を表するのは当然のことだろ! それに人間の俺を認めてくれたあんたのために、何かしてあげたいんだ」
 シャル 「…」

シャルは一瞬目を見開くもすぐに落ち着かせ、そして穏やかな目でダインを見下ろした。
なるほど…。確かに、あのクラナが惚れるだけのことはある。
このお茶会はなんの裏も無い本当にただ誘っただけのこと。なのに、こんな些細なこと恩を感じるその心と返礼の志。
気持ちのいい、とはこういうことを言うのだろう。
人間に、そんな者がいようとは…。
知らず内に笑顔になったシャルの視線の向こうではクラナとダインが言い争っていた。

 クラナ 「だからお前がやる必要は無いと言ってるんだ! シャルの問題なのだからこいつらで勝手にやらせておけばいいだろう!」
 ダイン 「だから俺はお礼がしたいんだっての! 人間の俺を誘ってくれたんだぞ!」
 クラナ 「そんなものこいつの勝手だ! 道中、魔族に見つかってみろ。即座に殺されるぞ!」
 ダイン 「逃げりゃいいじゃん!」
 クラナ 「魔獣だってうろついていることもある! お前をそんな危険なところへ放り出せるか!」
 シャル 「…ダインさん、よろしいんですの?」
 ダイン 「え? ああうん、俺にできるなら喜んで」
 クラナ 「シャル! 私のダインを使いっパシリに、あまつさえ使い捨てにする気か!?」
 シャル 「誰がそんな真似しますか! 私はダインさんの御心を汲んでいるだけです! 危険危険言いますけど私の領民はそんな野蛮ではありませんし洞窟の前までつれて行くことはできますわ! あなたの言う危険なんて一つも遭遇しませんのよ!」
 クラナ 「ダメだ! そんなことはさせん! ダインは私のためだけにいるんだ!」
 ダイン 「お前…(ため息)。…ま、クラナは放っておくとして、俺にやらせてくれ」
 クラナ 「ダインッ!?」
 シャル 「…わかりましたわ。その心意気に、感謝いたします」
 ダイン 「いいんだ。俺は自分が誰か役に立てるのが嬉しいから」

ははっと笑うダインとふふっと笑うシャル。
そんな二人の横で落ち込むクラナ。

 クラナ 「うぅ…いいんだ…ダインは私よりシャルの方を取るんだ…」
 ダイン 「…。…帰ったら好きにさせてやるから落ち込むな」
 クラナ 「好きにだと!? ということはあんなことやこんなことも自由自在か!! よし、張り切って行って来い!!」
 シャル 「変わりましたわねクラナ…随分と現金になられて…」
 ダイン 「苦労するよ…」

ダインとシャルはため息をついた。

 シャル 「では私はダインさんを洞窟前まで送ってきますわ。クラナは屋敷から出ないでくださいまし。私の美しい領地を、粗暴なあなたに踏み荒らされてはたまりませんもの」
 クラナ 「フン、歩くこともできない土地になんの意味があるものか。地面は踏みしめるものだ」

言いつつ紅茶の入ったカップを煽るクラナはひらひらと手を振った。
そしてダインの前にシャルの手が差し出される。

 シャル 「参りましょう、ダインさん」
 ダイン 「ああ、よろしく頼むよ」

ダインはシャルの手に乗った。


  *
  *
  *


平原を進むシャル。
整えられた道の上をハイヒールを鳴らしながら歩く。
シャルにとっては細く一人分の道であるが周囲に村を作る魔族やダインにとってそれは幅100mの広大な広さであった。
だが完全な地続きというわけではなくところどろこが飛び石のようになっており魔族や家畜の通行を阻害せず川など自然物の通路も確保されている。
風を切り、金髪を風になびかせながら歩くシャル。
翻る長髪は陽光を跳ね返しキラキラと輝いている。
良く弾む黄金の竜巻こと縦ロールもふわふわと揺れ気品の現れに微塵の曇りも無い。
だが、周囲の村にも愛想よく笑顔で手を振るシャルの肩にも手の上にもどこにもダインの姿は無かった。
その答えは、

 ダイン 「な、なんでこんなとこに…」
 シャル 「貴方の存在を周辺の魔族に知られないためですわ。暫く我慢してくださいな」

自分の胸元を見下ろして言うシャル。
そう、ダインは、シャルの胸の間に挟まれていた。
先ほどと同じ下半身を埋める格好だった。
二つの暖かく巨大な球体がダインの身体を優しく包み込む。
顔を赤らめながら、ダインは今シャルの口にした言葉の意味を問うた。

 ダイン 「知られないため? 知られたら不味いのか?」
 シャル 「ええ。例えば貴方方人間の街に魔族が一人紛れ込んだとしたらどう思います?」
 ダイン 「そりゃ…やっぱ怖いよな。落ち着かないというか…」
 シャル 「同じことですのよ。人間が魔族を恐れているように魔族も人間を恐れています。必要の無い接触は避けるべきですわ」
 ダイン 「なるほど…」

納得するダイン。
自分の魔族に対する想いを思えば、魔族が人間に対して描いている思いも理解できる。
お互いがお互いを恐れている。
ここで俺が魔界にいると知られてしまえば、周辺の村の魔族たちが混乱してしまうということだろう。
かつてはあのパーティの決闘場という場だからこそ許されたものなのだ。
平時の、それも平温に田畑を耕す村のそばに俺がいると知れればそれこそ村は壊滅的な混乱に陥ってしまうのではないか。
自分がこの魔界では異常な存在であることを、深く胸に刻み込んだダインだった。
…だが、シャルの肩なら高さと距離で俺が人間とはばれないだろう。
胸に挟まなくてもよかったのに…。
ダインはため息をついた。

やがては整えられた道も終わり今シャルは森の中を歩いていた。
周囲にはちらほらと切り立った岩山も見え始め目的の洞窟が近いことをうかがわせる。
小さな木々の合間にシャルの巨大なハイヒールが踏み降ろされる。
その度に振動で周囲の木々がざわめくが折れるなどの被害を被る木は出なかった。
気にもせず普通に歩いているように見えるシャルだがちゃんと木々を傷つけぬよう注意して歩いているのだ。

森を抜け山岳地帯へと入り込む。
岩がシャルの足の下に踏み砕かれる。歩く振動で周囲の山から落石が発生していた。
このことから、周囲の岩山が割りと脆いと予想できた。
次の一歩でシャルは止まった。

 シャル 「私が行けるのはここまでですわね。あとは貴方にお任せすることになります」
 ダイン 「わかった」
 シャル 「この先は高い岩山の山脈が続きますわ。その渓谷の麓に水晶穴の入口はあります。まだここからかなり歩くのですけれど」
 ダイン 「いやありがとう。行ってくるよ」
 シャル 「幸運を祈りますわ」

言うとシャルは胸の谷間からダインをつまみ出し足元へと置いた。
シャルに向かって手を振った後、ダインは山間の渓谷へと進んで行った。


  *
  *
  *


水晶穴最深部。
ダインの目の前には七色に輝く大きな宝石の原石があった。
1mほどはあるだろうか。

道中は簡単だった。
多少険しい山道などダインの身体能力を持ってすれば平地と変わらない。
水晶穴の場所も、その洞窟の入口が七色に光っていたのですぐ見つけることができた。
内部も石自体か明るく輝き視界にも困らずにここまで来れた。

 ダイン 「これが…数十万年かけて出来上がる宝石か…」

目の前のそれは原石なのに惹き付けられる様な輝きを放っている。
これが磨き抜かれ輝きがより一層増したとしたら、もう二度と目を離せなくなるのではないかというほどの美しさだ。
はぁ…。思わず感嘆の吐息が漏れてしまう。

原石の根元の岩と一緒に掘り起こし背負子に巻き付ける。
石という事でそれなりに頑丈だがやはり気をつけなければならない。
来たときよりも幾分か慎重な足運びで出口を目指してゆくダインだった。

そして洞窟の出口が見えたとき、

  ドゴォオン!

突然の大揺れ。洞窟の天井からぱらぱらと砂が落ちてくる。
膝を着き揺れに耐えながら大きな落石が無いか警戒。
だが揺れはその後何度も発生した。明らかに意図的なものだが、足跡のように規則的ではない。
なんだ!? ダインは洞窟の出口から飛び出た。
洞窟の外は岩山の谷間に広がる森に覆われている。
森を、山が取り囲むような形だった。
そしてその森の中に、森の木々よりも高い人影が立っていたのだ。
それも複数である。
突然目の前に現れた巨人の集団にダインは目を見開いた。
巨人達は森の木々を引っこ抜き逃げ出してきた動物達を捕らえバリバリと食らっている。
鳥肌が立つ光景だった。
丸呑みならまだマシだったものを。
動物の上半身ががぶりと噛み千切られバリボリと咀嚼されてゆく。
残った部分も次の一口で消えた。

巨人の身長はおおよそ人間の10倍ほどか。
クラナ達魔王ほどでは無いにしろ圧倒的な体躯であることに違いは無い。
全身が盛り上がった筋肉に覆われており凄まじい怪力を持つことを、さきほどの様に木を引っこ抜かれなくても容易に想像できる。
そして一番の極めつけは顔面にギョロリと光る一つの目。
巨大な一つの目が木々の合間に隠れる動物を追っていた。
その異様はまさに化け物と言っていいだろう。
いったい…。
ダインは冷や汗を流しながらを食いしばった。
ここにクラナがいたならば、奴等がサイクロプスという下級魔族である事を教えてくれたのだろうが、今のダインに奴等の正体を知る由は無い。
巨大な棍棒を持つ者がいた。
周辺の木々を一気になぎ倒しそれでも棍の威力は微塵も落ちない。
その様と力の振るい方を見て、奴等が好戦的で友好的では無い事がはっきりと理解できた。
数は10に近い。さらにこの体格差。万全の状態でも五分に戦えるかどうか。更に今は原石を背負っているのだ。重さのせいで無茶は出来ないし、それでなくとも壊れるかもしれないような行動を取るわけには行かない。
だがどうやって奴等の目を盗み逃げるか。
この谷間から脱出する道はあの森を抜けるか左右の岩山に登るしかない。
森は巨人達がいる。山は登ればすぐに気付かれるだろう。
どうすれば…。

と、その時、

  ドサッ!

突如、ダインのいた場所に何かが落ちてきた。
それは鹿らしき動物の上半身だった。下半身は噛み千切られて失われている。

 ダイン 「う…」

思わず一歩あとずさるダイン。
その時、巨人の一体と目が合った。
この動物の上半身を投げた巨人だろうか。投げたものがどこに飛んだのか見ていたのかも知れない。
経過はともかく、巨人に自分の存在を知られた。
不味い! と、思った矢先、

 「グォオオオオオオオオオオオオオオッ!」

その巨人が吼えた。
すると周囲の巨人も自分の方を見た。
完全に、自分の存在がばれてしまった。


  *
  *
  *


  ドゴォオン!  ドゴォオン!


巨大な足、巨大な手、巨大な棍棒が次々と振り下ろされる。
ダインはそれをすべてひらりと、そして全力で避けていた。
一撃もらえば致命傷なんてものではない。跡形も無く潰されてしまう。
特に自分の攻撃が効かないとなれば逃げるしかなかった。
いくら原石を背負い動きが鈍くなっているとはいえ、片手で全力で斬り付けた一撃がその分厚い筋肉に阻まれ傷をつけることができないとは…。
力自慢。真っ向勝負の力押しでは勝ち目が無い。
原石さえなければ…とは思うが、これは大切な届け物である。守らねばならない。
恐らく唯一とも言える外部の急所である目も、今のダインには狙うことができない高みにあった。
倒せない。傷つけられない。ならば逃げるしかない。
ダインは自分の持てる全ての力を逃走のために使っていた。
だが、逃げる理由は保身のためだけではない。これ以上あの巨人達をあそこで暴れさせればあの水晶穴が崩落してしまうと思ったからだ。
あれはこの希少な宝石の原石が取れる最後の場所。この原石同様、守らねばならぬもの。
タン! 地を蹴り、ダインは大きく前へと跳んだ。
するとそのダインの後方から巨大なものが凄まじい速度で追ってくる。
棍棒。放り投げられた棍棒がぐるんぐるん回転しながら迫ってくる。5m以上はある巨大な木の棍棒。
こんなものに直撃された日には表面で爆ぜるか、弾き飛ばされて全身の骨を砕かれるしかない。
宙を跳ぶまま、ダインはその迫り来る巨大棍棒に向き直ると、右手に持っている剣を大きく後ろに振りかぶった。そして…。

  ズバンッ!

棍棒を、真っ二つに切り裂いた。
巨大な棍棒はアンバランスな形に斬られ周辺の岩肌へと墜落した。
スタン。地に下りるダイン。
巨人達はまだ追いかけてくる。動きそのものは速くないがこうも集団で追いかけられると逃げるのも一苦労。
またどこまでも追いかけてくるとなると、この集団を引き連れて動き回ることになってしまう。
今はまだ山岳地帯なので周辺への主だった被害は無いが、この山岳地帯を抜けると確かいくつか村があったはず。
同じ魔族同士で巻き込むことは無いのかもしれないが、俺の存在が外部に漏れてしまう。
そうなってはまた別の魔族を巻き込む事になるだろう。
ここで、ここでとめるしかない。
これ以上は逃げられなかった。
背負子を背負ったまま、ダインは剣を構えた。
正面には数人の巨人。
クラナ達ほどではないが、脅威には違いない。
原石は壊さず、されど敵は取る。
難しいが、やるしかない!
敵に突進するダイン。そして巨人もその巨大な足を振り上げた。
交錯する殺気。狙うは急所。
ダインは、先ほど棍棒を切り裂いたときの様に、意識を自分の分身たる剣へと集中する。
そして、それを思い切り振り抜く。


  ズズゥゥゥウウウウウウウンン!!


振り抜く…ぉおうとした瞬間、眼前で片足を振り上げていた巨人の姿が消えた。
変わりにそこに現れたのは、巨大な赤いハイヒール。
そこから伸びる白い肌の足。
それは白いドレスのスカートの中に消えてゆく。
本物の巨人にして金色の魔王、シャル。

 シャル 「お待たせいたしましたわ、ダインさん」
 ダイン 「し、シャル!?」
 シャル 「えぇ、なにやら物音がしましたので見に来たのですけども、まさかサイクロプスに絡まれていようとは」
 ダイン 「サイクロプス…。それがこいつらの名前か」
 シャル 「のーたりんの下級魔族ですわ。これまで何度も私の領地での暴虐はご法度だと通告しましたのに、まさかお客様に手を出すとは…。もう看過できませんわね」

フンと鼻を鳴らすシャル。
ダインは、目の前に踏み下ろされているハイヒールを見た。
硬い岩山の岩盤を踏み砕き、その足の下にはあの巨人が踏み潰されていた。
つま先部分には下半身が踏み潰され、かかとのヒールの下には巨人の上半身が背中から串刺しにされていた。
足が持ち上げられたとき、その上半身はまるでハヤニエのように突き刺さったまま一緒に持ち上がった。
それはダインでも寒気がする光景だった。
そんなダインを、シャルはにこりと笑顔で見下ろしながら言った。

 シャル 「ダインさん、少々下がっていてくださいまし。私、これから無法者に制裁を加えますので」
 ダイン 「あ、ああ…」

ズン! シャルが一歩前へと踏み出る。
すると巨人達が3歩下がった。
ダインから見たら十分に巨大な彼らも、魔王の前に出るとまさに小人である。

 シャル 「では始めますわ」

ズズン! 一体の巨人が踏み潰された。
足は岩盤を砕きながら足の下に埋められた巨人をぐりぐりと踏みにじる。
次の巨人はその高速で迫るつま先で蹴り飛ばされた。
骨の砕ける凄い音がダインにも聞こえた。
巨人はそのまま岩山の壁面に叩き込まれた。

残りの巨人達は逃げ出し始めた。
決して速くは無い速度でシャルに背を向けて。
だがシャルはそんな巨人達の背中を冷ややかな目で見下ろすと、

  パチン

と指を鳴らした。
瞬間、

  ボゥ!

巨人達の身体が燃え上がった。
悶え苦しむ巨人達。全身を魔王の炎に包まれているのだから。
だが、

 シャル 「まだですわ」

シャルが指をスッ…と横に走らせると、

  バチン!

炎に包まれている巨人達の身体を、更に電撃が包み始めた。
バチバチと身体中で火花が散る。
あの一つの眼球は焼かれ口からは本来出来ないはずの火を噴き出していた。
そして電光が爆ぜるたびに炎の中に見える巨人の影がビクンビクンと動く。

ス—。シャルが指を立てた。
すると巨人達の身体が宙に浮かび上がった。
炎を滾らせたまま。電光をはべらせたまま。

片手を突き出すシャル。
そして人差し指と親指で『C』の形を作る。
親指と人差し指の間にはわずかな空間がある。
その空間を、ほんの少しだけ閉じた。
すると巨人達の身体がベキッと音を立てた。
更に指の間を閉じてゆく。
ベキベキブチブチと、何かが折れて潰れる音が山間に木霊する。
そんな巨人達を見下しながら、シャルは言う。

 シャル 「私の言いつけを守らねばどうなるかわかりまして? 生まれ変わることができたなら今度はもう少し頭をよくするのですね。……もっとも」

指の間が、更に閉じる。
バキボキバキブチブチブチグチュグチュ…。
音が、段々液体のそれへと近づく。
そして、指がピタッとくっついた。

  プチュ

宙に浮かんでいた巨人達の姿は炎とともに消えてしまった。

 シャル 「魂まで潰してしまいましたから二度と転生することはないでしょうけれど」

言いながらシャルは親指と人差し指をすり合わせた。

ダインは、唖然とするばかりだった。
あの巨人達は、例えダインが全力だったとしても苦戦したに違いない。
なのに…。なのに、シャルはあっという間に彼等を全滅させてしまった。
皆殺しである。
唯一形の残っているのは踏み潰された2体と山に突っ込まされバラバラに砕け散った1体のみ。
他は影すら残らず消されてしまった。

先ほどまでの冷ややかな目から一転、シャルは笑顔でダインを見下ろした。

 シャル 「お待たせいたしましたわ。我が領土のお見苦しいところをお見せしてしまいまして申し訳ございません。さぁ、クラナも待っているでしょうから帰りましょうか」

しゃがみ込んだシャルが手を差し出してきた。
一瞬迷ったダインだが、その手に飛び乗る。
それをにこっと笑顔で受け止めたシャルは立ち上がり屋敷へと向かって歩き出した。

 シャル 「その背中のそれがドミノメイの原石ですわね。はぁ…美しい輝き…。美を求めるものにはたまらない美しさですわね…」

うっとりとした表情でダインの背中の原石を見下ろす。
逆にダインはそんなシャルの顔を見上げて考えていた。

シャルは、巨人を一瞬で打ち倒した。
しかしそれは無意味な暴力ではなく、領主としての責任とけじめである。
無法者を許すわけにはいかない。
他の領民を守るためには迷わず手を下す。
強く、そして己を律する者にしかできないことである。
魔王だから、その強さに溺れ遊び倒しているなどということはないのだ。

実力在る者の責任。
シャルは上に立つものとしての役目を果たしている。
それは敬意を抱くのに十分なことだった。

ダインが自分に頭を下げているのには気付かず、シャルは笑顔で屋敷に戻っていった。

途中、ダインはシャルの胸にしまいこまれた。


  *
  *
  *


 クラナ 「なにぃ!? サイクロプスどもに襲われたぁ!?」

道中の話を聞いたクラナがガタンと立ち上がる。

 クラナ 「それで! 大丈夫だったのか!?」
 ダイン 「あ、ああ。シャルのお陰でなんとかなんとか原石は無事…」
 クラナ 「誰が石ころの話をしとるか! お前は大丈夫だったのかと訊いているんだ!」
 ダイン 「いや、俺は見ての通り…」
 クラナ 「うぅよかった。二度とこんなことが起きぬよう今のうちにサイクロプスの種族は根絶やしにしておこう」
 ダイン 「やめろ」

テーブルの上。
再び紅茶を飲みながら制止するダイン。
ズズン! クラナは椅子に座り、そしてシャルをジロリと睨んだ。

 クラナ 「お前の領地は平和なんじゃなかったのか? 力だけの馬鹿どもをのさばらせておくとはとんだ怠慢だな」
 シャル 「あいつ等の頭じゃ他人の話を聞くなんて無理ですのよ。私の言うことなんか聞きはしませんわ」

紅茶のカップを煽るシャル。
フン! 鼻を鳴らしクラナも同じくカップを煽った。

 クラナ 「まぁいい。それより、だ。聞くところによると道中ダインを胸の谷間に挟んでいたようだな」
 ダイン 「ブホッ!」
 シャル 「ええそうでしてよ。それが何か?」
 ダイン 「く、クラナ。シャルは領民が余計な混乱しないようにあえて…」
 クラナ 「嘘だ」
 ダイン 「…え?」
 クラナ 「こいつがそんなこと気にするか。人間が紛れ込んだからと言って魔王の手中にいる以上脅威には成り得ない。領民が混乱することなど無い。それをわからないお前じゃないだろう? シャル」
 ダイン 「…あれ?」

クラナが睨む先で、シャルが含み笑いを漏らした。

 シャル 「くくく…必死ですのね。そんなに私がダインさんを胸で挟んだのが気に入りませんの? ふふ、そうですわ。ダインさんを谷間に入れると心地よい快感に包まれましたの。強く逞しい殿方の御手。それが私の肌を撫でるたびに胸がキュンとしたのですわ」
 ダイン 「い…」
 クラナ 「ダインの女を喜ばせる技術は天性のものだからな。お前もその毒牙に掛かったということか」
 ダイン 「ど、毒…」
 シャル 「谷間だけと言わず、次は全身を触ってみてもらいたいものですわ」
 クラナ 「そんなことすでに私がやったわ。お前の望むことなどとうの昔に私が果たしている」
 シャル 「あら、つっかかって来ますわね。誰もあなたからダインさんを取り上げようなんて思っていませんわ」
 クラナ 「取り上げてみろ。鼻から指突っ込んで奥歯ガタガタ言わせてやる」
 シャル 「ふ、それは恐ろしいですわね。あ、ではダインさんに私とあなたの胸の谷間、どちらが気持ちよかったか訊いて見ましょうか」
 クラナ 「フフン。そんなもの聞くまでもなく私だ。敗者の烙印を押されたいのか?」
 シャル 「あなたの胸より私の胸の方が洗練されているというのに、その自信がどこからくるのか…。ふふ、無意味に過剰な自信は得てして崩れやすいものでしてよ」
 クラナ 「いいだろう…。さぁダイン、お前はどっちの胸が好きだ? …って、あれ?」

二人が見下ろしたテーブルの一点に、ダインの姿は無かった。
キョロキョロガタガタとテーブルの上を探してみるがどこにも見当たらない。
二人の魔王が疑問符を浮かべながら床の上を探し始めた。

その頃ダインは、執事とともに部屋の上空へと飛び立っていた。

 ダイン 「ありがとうございます…」
 執事 「いえ。お客様のお頼みとありますれば。しかし、女性に好かれるのは男性として名誉なことですよ」
 ダイン 「…おもちゃにされているだけです…」

はぁ…。
魔王たちが床の上を見ながら歩き回る様を見下ろしながら、ダインはため息をついた。
 


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 〜 魔王クラナ 〜 



『ティーパーティへご招待』 おわり


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