※ひたすらにやりたいことだけをやる男・十六夜。段々巨大娘関係なくなってきたぞ。



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 ~ 魔王クラナ ~


   『 誰が為に Ⅱ 』

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魔界。
その空は薄暗くまるで黄昏時のようだ。
草木の疎らに生えた平原は所々に動物の姿が見える。
豊かな自然なのは間違い無いが、その姿、そこに住まう者たちはみな見慣れぬ者ばかりだった。
肌に感じる空気に違和感を覚えるのはここが自らの住む世界とは違うからなのだろう。
何度訪れても背筋に冷たいものが走る。
人間の住む世界ではない。
魔族と魔獣が住まう地、魔界なのである。

そこ行くクラナとダイン。

ダインを肩に乗せ大地を踏みしめながら歩くクラナは大層ご立腹だった。
その怒りはズシンズシンという足音と振動に変じられ大地の怒りとなる。
赤い瞳が更に爛々と輝くように見えるのはその内に怒りの炎を滾らせているからか。
ふぅと吐き出される吐息に含まれる熱気は炎にも匹敵した。

 クラナ 「まったく…突然手紙を寄こしたかと思えばすぐに来いとは。私をパシリか何かと勘違いしているんじゃないか」
 ダイン 「まぁまぁ。急用みたいだししょうがないだろ」

憤慨するクラナを宥めながらダインは言った。

今朝 届いた突然の手紙。
書いてあった内容も実にシンプル。

「用があるから来い」

みたいなものだったらしい。
故にクラナは城を出てからずっとこんな感じだ。
揺れるクラナの肩の上で苦笑するダインである。

 クラナ 「大体 用の内容も書いていないとはどういうことだ! 何をしたらいいのかわからんではないか!」
 ダイン 「手紙じゃ伝えづらいことだったんじゃないのか?」
 クラナ 「だったら手紙を寄こさずに本人が私のところにくればいいだろうに。何故私の方から出向かねばならんのだ!」

フン。
鼻を鳴らクラナ。
イライラを表すように腕が組まれ、その腕に持ち上げられた胸がグイと突き出され盛り上がる。
ブーツを履いた巨大な足でのっしのっしと通ったあとには靴の跡がくっきりと残されていた。
一歩ごとに地震が起き、周囲の森の木々がざわめいて中から動物が飛び出たり、遠くの山では落石が発生したりしている。
魔王の怒りは自然にも影響を与えるのだ。

まぁ実際はクラナも本気で怒っているわけではないのだろう。
そうであったら、こうやって律儀に出向いたりしない。
そんなところも友達思いだな、とダインは思った。

肩のダインが笑いながら自分の顔を見上げているのに気付いたクラナはきょとんとした。

 クラナ 「む? 何をニヤニヤしている?」
 ダイン 「ふふ、いや別に」

くすくすと笑うダインを見て首を傾げるクラナ。
おかしな奴め。
そう言ったクラナは再び顔を前に向け そして鼻を鳴らした。

  ビュウウウウウ!

突然 強い風が吹き、ダインはクラナの肩から落ちそうになったが、クラナの髪の毛を掴むことでなんとか耐えた。
束になったクラナの髪は綱よりも逞しい。
真紅のそれが風に靡く様は正に紅い波の様であった。
僅かに翻ったその髪に光が輝くがそれはすぐに収まる。
髪を手に取り、ダインの安否を気遣うクラナ。

 クラナ 「大丈夫か?」
 ダイン 「ああ…。なんか今日はやけに風が強いな」
 クラナ 「今の時期、ここいらはそうなのだ。向こうにある山脈でまとめられた風がこの平野に向かって一気に吹き込む」
 ダイン 「へぇ、季節風か」
 クラナ 「そういうことだ。時にドラゴンさえ落とすほど強い風が吹くから注意が必要だ」
 ダイン 「それは怖いな…」

ドラゴンさえ落ちるとは恐ろしい。
ダインが かつてアークシードで見たドラゴンは翼を持っていなかったが、あれが空を飛んだと仮定してそれを地に落とすほどの風が吹くのを想像すると体が震える。
人間の町など容易く吹き飛ばしてしまうだろう。
見舞われたくない。
警戒したダインはクラナの髪を掴む手にギュッと力を込めた。
と、そのとき、

  ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!

爆風にも似た凄まじい風が押し寄せてきた。
それはクラナですら思わず顔を背けるほどの勢いであり、まるで空気の壁がぶつかってきたようだった。
赤く長い髪がバタバタと暴れる。

それも束の間のこと。やがて風は収まり、元の弱い風に戻っていった。

 クラナ 「ふぅ、今のは大きかった。なぁダイン」

髪を掻き揚げながら肩を見下ろすクラナ。
しかし、そこにダインの姿は無かった。

 クラナ 「ッ!? だ、ダイン!?」

髪を手に取り見てみるも、身体をよじり背中を見てみるも、胸元を開いて谷間を見てみるも、ダインの姿は無かった。
慌てて風が吹き抜けていった方向を見るが、そこにあったものはすべて吹き飛ばされ、何も残っていなかった。


   *
   *
   *


  ひゅぅぅぅぅぅううううううううううううううううう!

  バキ バキ パキッ    ドサッ!

無数の木々の枝をクッションにして、大事無く地面に墜落するダイン。
無論、ダインだから無事だったのであって常人ならば墜落の衝撃で粉々に飛び散っている。
危機に面し研ぎ澄まされた魔力が全身を覆ったのだ。

 ダイン 「いたたた…」

頭をさすりながら身体を起こし辺りを見てみると、そこはどうも森のようだった。
たくさんの木々が間隔を空けて生い茂っている。その背は高く、ものによっては20mほどはありそうだ。
多くの葉に遮られ、地表は僅かに薄暗くなっている。
だが陰湿な雰囲気は無く、逆に心が落ち着く程よい陰り具合であった。
木々の間に差す木漏れ日が美しい。
一見して豊かな森であることがわかった。

しかし俺はいったいどこまで飛ばされたのだろう。
腕を組み首をかしげたダインは上を仰いだ。
そこには茂る葉々の間にぽっかりと穴が開いていた。
ダインが落ちてきた穴だった。
かなり長い間 風に飛ばされていた気がする。
こうやって森の上に落ちられたのは幸運だった。
身体を見回してみるも肉体に大きな傷は無い。精々、服が擦り切れたくらいである。

…だが、これからどうしよう。

どこを見ても木があるばかり。
森の中に落ちたのだから当然であるが。
更にここからでは太陽を望むこともできず方角もわからない。

 ダイン 「とりあえず森から出るか」

ダインは歩き出した。
落下した向きから飛んできた方向を予想し進む。唯一、方位を掴む手がかりだった。
初めて、クラナもシャルもいない一人での魔界。
ここはシャルの領地でシャルは危険な魔族や魔獣はいないと言うが、前回のサイクロプスの例もあるし油断はしないでおこう。
ダインは、薄暗い森の中を進み始めた。


   *
   *
   *


巨大なガラスから差し込む眩いばかりの陽光が部屋の水晶製の像の中で煌いている。
その巨大な部屋の中で同じく水晶製の巨大なテーブルに着く人影が一つ。
煌びやかに飾られているわけでもないのに美しさに目を奪われるのはその衣服がまさに完成されているからである。
ほんの僅かに散りばめられた宝石と最高の手法を以って織られた質素にして高級な服。
手の込んだ装飾は見る者の眼を惹きつけて止まぬ。
芸術の域にまで達したそれにはため息すら出てしまうだろう。

そしてそれら至高の美が飾る者こそその生みの親であり従うべき主。
白い肌の細い指が湯気の立つ紅茶の注がれたカップを取り、艶のある薄紅色の唇にそれを運ぶ。
陽光に照らされ、光がその金色の髪の表面をまるで水の様に滴り流れていた。
美に身を包みしこの者こそ、この屋敷の主にして魔王の名を冠せし少女であった。

その金色の魔王シャルは、一人憤慨していた。

 シャル 「まったくクラナったら遅いですわね! 火急の用件だと言うのに…!」

未だここに現れぬクラナに不満を募らせながらすでに何杯目とも知れぬ紅茶を一気飲みするシャル。
またすぐカップに新しい紅茶を注ぐ。
そこには普段心がけている優雅さなど欠片も見られなかった。

 シャル 「大体いつも大切な用件のあるときに限ってやれ眠いだのやれ気が乗らないだのぶつくさ文句を言いながら遅れて…。一魔王として魔界の自治と平和の為に貢献する気概に欠けているんですわッ!!」

怒気を込めての一喝。
だがその怒りもすぐに鬱陶しさへと変わる。

はぁ…。ため息すらも艶っぽい。
物鬱気に頬杖をついたとき、二つのドリルがふわりと揺れた。

と、そんなシャルの着くテーブルの上に執事が舞い降りる。

 執事 「失礼します」
 シャル 「なんですの!?」

ギロリと視線を向けられ、あの鉄の笑顔に無数の脂汗を浮かばせる執事。

 執事 「実はその…ウェースの森にて魔王様がお一人暴れておられると…」

その迫力に圧され尻すぼみになりながら言う。

ピク。執事の言葉にシャルの眉が跳ねる。
ウェースの森は自分の管理する領土である。
火急の用件を片付けるためにクラナの到着に焦らされているこのときに、別の面倒事が起きるとは。

 シャル 「~……ッ!」

シャルは拳をプルプルと震わせるとテーブルの上にドンと叩きつけた。
その上に置かれていたティーセットが1mは飛び上がったのではないか。
ついでに執事も。

 シャル 「あーもーこの忙しいときに余計な真似をしてくれるわ!! いったい誰よ!? その大バカ野郎は!!」

怒りのあまり地が出る主の凄まじい怒声を浴びて、執事は顔を逸らした。

 執事 「はぁ…それが…」

顔を背けたまま、頬を掻く執事。

 執事 「…その……どうやら…ベリアル様のようでして…」
 シャル 「……は?」

シャルは呆けた。


   *
   *
   *


歩き始めて暫く経つが、森の終わりは一向に見えてこない。
木は枝が細く登ることができなかったので僅かな木漏れ日の方向から太陽の位置を予測して進んでいるのだが、どうやらより奥の方へと来ていたようだ。

 ダイン 「んー…。たしかこっちの方角でいいと思ったんだがな…。まいった」

不慣れな魔界の森。
生い茂る木々も、見慣れたそれとは若干違う。
時折姿を見せる動物も、見たことのないものばかりだ。
取り乱しこそしないものの、内心では不安が大きくなってきていた。

 ダイン 「なんとかして俺の居場所をクラナに伝えないと。もし今 他の魔王に見つかったら…」

それが不安の原因。
例えば魔族や魔獣ならそれなりに戦えるという自信があるが、魔王相手ではそれは無い。
すべてが通用しない相手に捕まれば抗う手段は存在しないのだ。
もしも、あのベルのような魔王にでも捕まったら…と思うと身震いを抑えられない。
右も左も分からぬ見知らぬ土地の見知らぬ森の中で、それが一番恐ろしかった。
気を張り巡らせていた。
たまに見かける見たことも無い動物の一挙一動に過敏に反応してしまう。
精神的にも肉体的にも疲れるが、それでも神経は周囲に結界を張っていた。
一時休めることが、恐ろしいからである。
何が出てくるか分からない森。魔王の僕に当たったら終わりだった。

森が僅かに開けた。
とは言ってもただ木が密集していないだけで森の中であることにかわりは無かった。
木が無く、低い草が生い茂り、葉に遮られない空がそこに広がっていた。
森の中に入って初めてこんなに大きな空を見た気がするダインだった。

周囲に目を配らせればこの中には藪も何も無い。
地面も足首ほどの高さの草が茂るばかりで岩などが転がっているわけでもなかった。
森の中にぽっかりと空いた穴のようだった。
何も無く何もいないことを確認したダインはふぅーと息を吐き出した。

 ダイン 「少し休めそうだ。何か来てもすぐにわかるし」

森に入って初めて緊張を解く。
瞬時に対応できる最低限の緊張だけを残し、そこに腰を下ろして体を休めた。
森にぽっかりと空いた穴から見上げた空は、やはり雲と晴れ間の入り混じる不思議な天気。
明るくなるときもあれば薄暗くなるときもあった。
不思議な事象には大体魔力が関連しているが、この天気もそうなのだろうか。
空を見上げ、そんなことを考えるダインだった。

と、そのとき、


  ガサリ


 ダイン 「ッ!?」

突然、この広場を囲む茂みの一角が音を立てた。
跳ねるように立ち上がり、腰の剣に手をかけるダイン。


   *
   *
   *


  ドサ

地面に下ろされた小さな籠にはたくさんの薬草が入っていた。
青々しい色合いにはその新鮮味が見て取れる。

そんな薬草の詰まった籠を見下ろす小さな人影。
布製の衣服に身を包む、小さな背負子を背負った少女はにっこり笑うと後ろを振り返り言った。

「おじちゃーん。いっぱい採れたよー」

その声に、その少女の後ろで背を向け地面の薬草を採っていた大きな影がむくりと体を起き上がらせた。
筋骨隆々の褐色の肌とその肌の色に映える白色の短髪。五部に刈り上げられた髪の生え際からは玉のような汗が滴っている。
薄手の布と腰巻を穿き、むき出しになった上半身には多くの傷跡が残る。
歴戦の兵の証。
しかし厳つい顔に粗暴さは見えず、逆にその柔和な笑みには爽快感さえ感じられた。

「よし、がんばったな。じゃあその籠の薬草もこっちのでかい奴に入れてくれ」

言いながらその大柄の男は横に置いてあった自分の籠を指差した。
少女が両手に抱えて持ってくるものよりも遥かに大きい。
この少女をそのまま入れてしまえる大きさだった。

その籠の横には巨大な斧が置かれていた。
大男である男の身長と大差無い大きさであった。
それがこの男の武器であることは言わずもがな。
今、その男は首から吊るした布で 固定した左腕を釣っているが、残された右腕だけでもその大斧を振るうのにはなんの支障もないだろう。

籠を持ってとことこと歩いてきた少女は、自分の籠を大きな籠の上で逆さにした。
中からたくさんの薬草が飛び出てきて大きな籠の中に吸い込まれていった。
籠にはまだまだ余裕がある。

「まだいっぱい入るねー」
「ああ。少し休憩するか。そろそろ弁当の頃合だしな」
「うん、もうお腹ぺこぺこだよー」

お腹を押さえる少女の頭を笑顔でポンポンと撫でる男だった。

「じゃあ先に行っていつもの広場で準備しててくれ。俺もこいつらを籠にいれたらすぐ行く」
「うん」

元気良くうなずいた少女は、自分の背負子に二人の弁当を乗せるとその広場に向かって走り出した。
それを笑顔で見送った男は採っていた薬草と斧を籠の中に投げ入れ背負子に乗せるとそれを片手で背負った。
薬草のこすれる音と重い斧が動く音がした。
そして少女の向かった方向へ歩き出したとき、先に行ったはずの少女が慌てて戻ってくるのが見えた。

「ん? どうした?」

短い距離でも全力疾走を経て息を切らした少女は自分が向かっていたはずの方向を指差した。

「こ、こ、声が…したの…!」
「声? 村の連中じゃないのか?」
「し、知らない声…!」

はぁはぁと肩で息をする少女の頭を撫で、男は少女の指差した方を見た。
この先にある森にぽっかりと空いた広場。
村の奴なら誰でも知っている。
さして大きくもない村の誰の声でもないとしたら、別の村の奴か。

「ふーむ。だとしたら挨拶しておかないとな。いくぞ」

男は広場に向かって歩き始め、少女もそのあとをステテテとついていった。
ここから広場に出るには大きな藪を通らねばならない。
藪と藪の間の僅かな隙間から広場へと抜けるのだ。


   *
   *
   *


  ガサリ

揺れる茂み。
動物かとも思うがここは魔界、どんな凶暴な動物がいるかわかったものではない。
ダインは、その揺れる茂みを睨みながら気を張り巡らせていた。

「よっこらせ…っと」

するとその茂みの中から現れるものがあった。
茂みに意識を注いでいたダインと茂みを抜けた男の視線が重なる。
一瞬、茂みから出てきたものが動物で無いことに安堵したダイン。
平静、そこにいる別の村の住民に声をかけようと口を開きかけた男。
刹那の間。
だがすぐに、その場に緊張が走る。

 ダイン 「魔族!?」
 男 「人間!?」

ダインの目に映る茂みから出てきた人間に酷似した男。その頭には人間にはあり得ぬ角が生えていた。
男の目に映る広場にいた男。見たことの無い顔は他の村の誰のものでもなく、そしてその男に感じる霊素の気配が、奴が人間であることを裏付けていた。
剣の柄を握る手に力を込め臨戦態勢へと移るダインと、斧を取り出し籠を放り捨てる男。
放られた籠の中から薬草が散らばった。
殺気とも闘気ともつかぬ鋭い気が広場を埋め尽くした。

魔族との遭遇。それはどうしても避けたいことのひとつだった。
通常、魔族と人間が相容れられないのは、アークシードととある村の一件で理解していた。
魔界においては、自分こそが異端の存在である以上、常識は通用しない。
いつでも行動に移れるよう、下半身に力を入れるダインだった。

男は大きな斧を片手で振り上げ肩に背負った。
片腕でもっとも楽に斧を持ち且つすぐに攻撃へと移れる構えだった。
明らかな敵意の篭った目で、正面の人間を睨みつける。
悪態を込めながら小さく穿き捨てた。

 男 「奴隷だった奴が脱走したのか捨てられたのかは知らねぇが、なんでこんなところに人間がいやがるんだ…」

ダインは肌がチリチリと焼け付くような感覚を覚えた。
目の前の魔族…。片腕は使えないとは言え、その身から迸る闘気は凄まじいものであった。実力の程を尋ねる必要すら感じられない。
まるで向かい風に晒されたように顔を覆ったダインはその片腕ながら凄まじい威圧感を放つ魔族の男を睨んだ。
良い魔族がいるのも知っている。戦いは避けたかった。
ダインは男に向かって叫んだ。

 ダイン 「待て! 俺は敵じゃない! 戦うつもりは…」
 男 「人間が何言ってやがる!」

ダインの言葉を遮りズンと前へと踏み出した大男は肩に掛けていた斧を振りかぶり一文字に薙ぎ払った。

  ブォンッ!

跳躍によって回避したダインの真下を大斧が風を巻きながら通り抜けて行った。
直撃を食らえば、そのまま真っ二つである。
超重量の巨大斧でありながら軽々しく扱われるその様には畏怖を覚えた。
その恐ろしい威力を肌に感じられた。

一撃目は外れた。手を抜いたわけでもない。避けられたのだ。
そこに湧き上がる感情は驚愕ではなく、初撃を敵の手の勝利で飾られたことによる怒りだった。
ギリリと歯を食いしばり、唾と共に言葉を投げつける。

 男 「人間の言う事なんか信用できねぇ! 他人を騙して食い物にするクズ共が!」
 ダイン 「なにぃ!?」

よりにもよって魔族にクズ呼ばわりされるとは。
魔族のせいで国を失ったダインの脳内が真っ赤に染まる。
ギリ…! 柄を握る手がより強く締められた。

地に下りたダインは男に向かって飛び出し、同時に腰の剣を抜き放った。薄暗い陽光に白刃が閃光の如く煌めいた。
強靭な脚力と身のこなしで瞬く間に間を詰めたダインはその勢いを殺さぬまま姿勢低く男の懐へと飛び込んだ。
抉りこむようなダインの鋭い一撃を、男はを斧の柄で受け止める。
速攻に、ダインは感情を乗せた。

 ダイン 「お前たちこそ! 人間を陥れて愉しむ歪んだ種族のくせに!」

  ガキィン!

剣の刃と斧の柄が交差し火花が散る。
ギリギリと金属の擦り合う音が広場に響き、互いの獲物越しに相手の目を睨みつける二人。
入り混じり研磨し合う闘気が空気を押し潰す。
そこには一瞬にして戦場が形成された。風の声が消え、辺りに戦慄が走り始めた。

男は斬りかかってきたダインを押し返し距離を取らせたところで再び大斧を振り抜いた。
重い憤怒の気合とともに振り抜かれた斧は身をかがめてそれを避けたダインの真上を通過し、その際に巻き起こされた風は足元の草原に波立たせた。
斧を避け一足飛びに間合いを詰めるダインだったが、その先ではすでに男が斧の柄の部分で待ち構えておりダインは足を止めた。
あれだけの大斧を片手で振り回しながらも攻防の間に隙が無い。
強い。
ダインの本能が相手の実力を悟る。
力も技も完成されたものだった。それはただの獣と戦うのとはわけが違うのだ。
柄を握る手を締め直した。

男もまたダインの力量に舌を巻いた。
貧弱な人間が魔族である自分と切り結んでいる。予想していなかった強さだ。
…だが、強いということは危険である証だ。
ますます、野放しにはできない。

 男 「ぬぅん!!」

一度大きく振り回した斧をダイン目掛けて唐竹に振り下ろす。
一刀両断の一撃を左右に避けることに一瞬不信感を覚えたダインは回避し易い横ではなく後方へと思い切り跳び退いて斧の間合いから脱出した。

 男 「…ッ! …ちぃ!」

舌打ちをした男は地面に向かって振り下ろしていた斧の向きを変えてもう一度振り回し肩へと乗せた。
飛び退き、地面を転がりながら間合いを取ったダインは息を切らしながら肝を冷やした。

 ダイン 「なんて力だ…」

それはもしも斧を左右に避けていた場合、そのまま追撃されていたということだった。
思い切り振り下ろしていた大斧を片手で操り向きを変える。
あの逞しい体はそれが可能なのか。
ケガでもしているのか今は片腕を釣っているが、もしも両手が使えたとしたらその強さは更に上だったことだろう。
とんでもない力だ。

思いがけない強敵を前にしたダインの頭は冷静だった。
冷静に、敵を倒すことだけを考えていた。
自分でも気付かないうちに頭に血が上り、アークシードを一匹の魔族に滅ぼされたことを思い出し、魔族を前にして『逃げる』という選択肢を失わせていた。
戦って、勝つ。
憤怒の裏に、雪辱の炎を燃やす。

  ズバンッ!

広場の端まで追い詰められていたダインを再び横薙ぎの斧が襲った。
地を蹴り、真上に飛び上がって避けるダイン。
斧は、ダインの背後にあった森の大木を三本もなぎ倒した。
木々は周囲の木とぶつかりバキバキと音を立てながらゆっくりと倒れ、やがてズズンと重々しい音ともに横たわった。
やや離れたところに着地したダインはその威力の恐ろしさを改めて知る。
万が一にも直撃は受けられない。
緊張を解けば、震えてしまいそうだ。

この人間の身軽さ、その強さは厄介だった。
なんとしてもここで仕留めなければ近隣の村に大きな被害が出てしまうだろう。
ただでさえ忙しいときに、どうしてこうも続けて面倒事が起こるというのか。
男は歯軋りをしながら仇敵である人間を睨みつける。

互いの視線が交錯したのは一瞬のこと。
すぐに二人は駆け出し互いの武器を押し交えた。

  ガキン!

火花が散り、反動で髪が揺れる。
両者は地に足を着いたまま互いの武器で押し合っていた。
剣と斧の鍔迫り合い。
振り抜かせなければ、体格と力に劣るダインにもその一撃を受け止めるのは可能だった。
再び獲物の向こうに見る相手の瞳には憎悪の色。許すことのできない怒りがそこにあった。

そのとき、男の背後の茂みから声が聞こえる。

 * 「おじちゃん、大丈夫ー!?」
 男 「来るんじゃねぇ!」

少女の声。
男はそちらを見ずに声を張り上げた。
同時に、その声にダインも脳裏に一筋の空白ができる。

 ダイン 「(子供…? 子供がいるのか!?)」

迷いが生まれる。
一瞬のことだったが、その隙は迫り合いに負けるのに十分な時間であった。
押し負かされたダインの上に被さるように迫る巨大な斧。
剣で受け止めていても、腕にかかる重量は果てしない。

 ダイン 「くそ…!」
 男 「よし…ッ!」

更に腕に力を込め、ようやくそこに捕らえた人間を始末するべく斧を押し倒す。
斧と剣の刃が交錯する。
その点は、徐々に下がっていった。
追い詰められてゆくダイン。

 男 「な…!?」

男は目を見開いた。
それはまさに刹那の出来事。
ダインは膝を着かんという状況で真上から迫る斧を剣で辛うじて受け止めている状態だった。
だがこの体勢になることで、この魔族が斧を振り下ろすことに全力を出しているのに気付き、ほんの一瞬、全神経を集中させ斧を僅かに押し返し、その隙に刃の下から転がり出たのであった。凄まじい魔力が迸らせていた。
支えを失った斧はそのまま地に振り下ろされ地面に沈み込んだ。
全力だったのが仇になり、切り返しができなかったのだ。
男の目が驚愕に見開かれているとき、ダインは跳ねるようにして間合いを取り、武器を構え直して息を整えた。
男はすぐに斧を地面から引き抜き、肩に乗せ構え直す。
未だ決着は着かない。間合いを取ったことで戦いは仕切り直しとなる。
再び獲物に闘気を込めた二人がぶつかった。
剣の刃と斧の刃の間に激しい火花が幾度も弾け、幾つもの剣劇の音が周囲に響き渡った。
互いに狙う一撃必倒。渾身の一撃を叩き込み、それを捌く。
振り抜かれた斧を避け、男の懐に飛び込んだダインの一撃を、斧の柄で受け止める男。
両者の攻防は膠着を見せていた。一瞬にして傾き得る膠着だ。
小さな隙が致命傷となるだろう。
しかし両者の間には、その一分の隙も存在しなかった。


そして再び距離を取った二人が、目の前の敵に向かって飛び掛かろうとした、そのときである。


 「キャーーーーーーーーーーーーーーー!!」


 ダイン 「ッ!?」
 男 「何ッ!?」

突然の悲鳴。
ダインと男がそちらを振り返ると藪の中から少女が飛び出してきた。
そしてそのあと、

  「ウォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」

木々をなぎ倒し、藪を蹴散らし、巨大な動物が現れた。
高さにしても周囲の木々に匹敵し全長ならば10数mはあるだろうか。
漆黒の肉体。短い体毛に覆われた体は重厚な筋肉の隆起が良く見える。
太い四肢と尻尾は、それぞれが周辺の木々の幹よりも太く逞しい。
剥き出しになった牙。頭部に生えるねじれた二本の角。
ダインの頭の中に該当する動物はおらず、ここが魔界であることを考えれば答えは一つ。つまりはこの動物は魔獣だ。
熊の強靭な肉を得た牛の様な姿、としか考えが及ばない。

そう考えていたのも刹那のこと。
魔獣の太い腕が藪から転がり出てきた少女目掛けて振り下ろされているとき、すでに二つの影が魔獣に飛び掛っていた。

 ダイン 「だぁぁあああああああ!」
 男 「うぉぉおおおおおおお!」

ダインの放った剣が、男が振り抜いた斧が、魔獣の体へと食い込んだ。

  「グォォオオオオオオオオオオオオオオオ!!」

強靭な体毛と筋肉に阻まれ深く刻み込むことはできなかったがそれでも傷口からは血が噴き出した。
身を捻り二人を振り払う魔獣。
振り下ろされていた腕は二人を迎撃するために使われた。

二人の挙動に迷いは無い。
たった今まで互いの首を討ち取らんとしていたことなど全く意中に無かった。

飛び上がったダインはその巨大な顔を切り付けた。
片方の角が折れ、顔の傷口から青い血が流れる。
魔獣が悲鳴を上げながらダインを振り払った直後、その横っ面を振り抜かれた斧の峰が打った。
男の渾身の一撃は魔獣のその巨体を大きく吹き飛ばし少女から離れさせた。

男たちの雄叫びと魔獣の咆哮が鬩ぎ合う。
火蓋が切り落とされてから数分もの時が流れ、死と隣り合う空間にようやく変化が起きた。
森の木々をへし折りながら倒れこんだ魔獣はすぐに身を起こしそこに立つ二人の男に牙を向けた。
剣を構えるダイン。
斧を構える男。
二人の男が魔獣の前に立ち塞がる。

  グルルル…!

殺気立っていた魔獣が大人しくなる。
そこに立つ二人の男の放つ闘気に気圧されて一歩退く。
獰猛な殺気が見る見るうちに弱くなっていき、やがて魔獣は踵を返して森の中へと逃げ帰って行った。
森にぽっかりと空いた広場に立ち込めていた重々しい空気が霧散する。
そして、そこには静かな森が戻っていた。

 ダイン 「ふぅ…」
 男 「…」

右肩に剣を担ぎ、左手で額の汗を拭ったダインは緊張から開放されて息を吐き出した。
身に纏っていた、その右手に持つ刃のように鋭い闘気がフッと霧散し、ダインの周囲の空気が幾分和らいだ。

その横では男が右手に持った斧の先を地に下ろし構えぬまま魔獣の去った方を見ていた。
背後には少女が倒れこんだまま固まっていたが大きな怪我などは無さそうである。
戦いは終わったのだ。

だが、それですべてが決着したわけではない。

 男 「…おい」

声を掛けられ振り向いたダインの先では魔族の男が少女を背に庇いながら自分を見つめていた。
闘気こそ醸していないがその目にはまだ敵意が滲んでいる。
低い重々しい声が、疑問符を乗せて投げかけられた。

 男 「何故…、助けた?」
 ダイン 「助けた?」

ダインは男を見た。
先ほどではないが未だ圧迫感のある空気を漂わせてこちらに鋭い視線をぶつけてきていた。
その迫力は並の者に尻餅を着かせるだけの威圧感があるだろう。
視線はそのままに、更に言葉が続けられる。

 男 「人間のお前が何故魔族の俺たちを助けたと訊いているんだ」

探るような瞳で睨む男。
疑心のチラつくくすんだ鋼色の瞳は決して錆付いたものでは無かった。
その目を同じように睨み返しながら、ダインは言った。

 ダイン 「そっちの子が襲われてたから助けた。それだけだ」
 男 「なんだと?」

男は眉を潜めた。
魔族にとって人間が仇敵であるように、人間にとっても魔族は忌むべき敵であるはずだ。
その魔族を背に守るほどの理由が、たったの一言に収められてしまった。
繰り言、ではないのか。答える前もその後も、男の空気に違いは見られない。

 ダイン 「魔族が好きじゃないのは違いない。俺は国を滅茶苦茶にされたし、村が滅ぼされたところも見た」

そう言うダインの瞳には確かな憎悪の炎が揺らいだ。
その揺らぎに、男は僅かに身を強張らせた。
しかしそれはすぐに収められる。

 ダイン 「でも目の前で子供が襲われてれば助ける。当然だろ。魔族の全員が悪い奴じゃないってものわかってる、つもりだ」

そこには護るべきものを護る者としてのプライドがあった。
これまで何度か魔界に来て、魔族が人間と同じように平和に暮らしている様を見てきていたから。
人間であればアークシード王が闇に堕ちたように、魔族にも善悪があるのだろう。
例え魔族でも、善を見捨てるのは許せなかった。

 男 「…」

魔族の男は目の前の人間を見据えた。
全身を値踏みするように見た後、その目を見つめる。
澄んだ湖のように深い青の瞳には穢れが無くそこに宿る覚悟には僅かな迷いも無かった。
今 口にしたことは嘘ではないということか。
男はにやりと笑った。

 男 「ふん…、人間にしちゃあ随分とまともじゃねぇか」
 ダイン 「どうも。もう武器は収めてもらえるか?」

チャキ。
ダインは剣を鞘に収めた。
纏う気も、構えも、立ち方も、すべてが臨戦態勢を解いた。
平時の穏やかな状態だった。

 男 「…ふっ」

男も同じく気を霧散させた。
気を張る理由がなくなった。
目の前の者が構えを解いたならば、それ以上こちらも気を張る必要は無い。

自分の後ろに隠れる少女の頭を撫でる男。

 男 「妙な日だ。まさかこんなところで人間を見つけて、そいつがこうも偉ぇ奴だとはな」
 ダイン 「危害を加えるつもりは無いってのはわかってもらえたみたいだな」
 男 「さっきお前がこいつを守るために本気で戦ってたのはわかった。とりあえずは信用してやる」
 ダイン 「十分だよ。人間の俺を信じてくれてありがとさん」

人間と魔族が相容れないのは古より続く互いの関係故に仕方の無いこと。
突然、「はい」と信用できるものではない。
それでも、一瞬とは言え力を合わせる事ができれば、それは互いの意識を近づける。
少なくとも今、刃を向ける気にはならなかった。

 ダイン 「ん?」

何かが左腕を伝う感触に視線を落として見てみると、腕から血が滴っていた。
流れてきた血が手の先から地面に落ちる。

 男 「ケガしたのか?」
 ダイン 「さっきあいつの攻撃を受けたときだな。まぁでもこのくらいの傷ならすぐに治るさ」

袖をまくり傷口を確認するダイン。
見えた傷は決して小さなものではなかったが、治癒能力の高いダインにとって、大した傷ではない。
それを見た、男の影に隠れた少女はビクッと体を震わせたあとその場から走り去った。

 男 「おい、シーリア!」
 ダイン 「う…流石に子供の前で見せるものじゃなかったか…」

苦笑しながらダインは千切った袖の一端を咥え、もう一端を右手に持って左腕に巻きつけ始めた。
だがすぐにシーリアは戻ってきた。
その手には、籠の中からばら撒かれていた薬草が握られていた。

おどおどと怯えながらダインに近づき、その手に持った薬草を差し出してくる少女。

 シーリア 「…あ、あの……これ……」
 ダイン 「…」
 男 「…」

少女は震えながら薬草を差し出していた。
慣れぬ人間を前にした恐怖に逃げ出したいのであろうに、それ以上に、ダインの傷を気遣ったのか。
魔族が人間である自分に薬草を差し出してきたことに少し唖然としたダインだが、すぐに笑顔でその薬草を受け取った。

 ダイン 「ありがとう。使わせてもらうよ」

ダインが薬草を受け取るとシーリアは笑顔になって頷いた。
しかしダインは、シーリアこそが怪我をしていることに気付いた。
あの魔獣を前に転んだとき、膝を擦り剥いたのか。

 ダイン 「君の方が怪我してるじゃないか。これは君が使いなよ」

ダインはもらった薬草のひとつを少女に差し出した。
だが少女は首を横に振った。

 ダイン 「何故…」
 男 「その薬草は俺たちには効かねぇよ。それは霊素でできてるからな。魔族の俺たちは使えないんだ」
 ダイン 「そう…なのか」
 男 「心配してもらわなくとも俺たちの使える薬草もその辺に生えてる。この森は薬草の類が豊富なんだ」

言いながら男は身をかがめ足元に生えていた草を抜き取るとそれをシーリアに手渡した。
シーリアはその薬草をくしゃくしゃに丸め、出てきた汁を傷口に塗った。
若干沁みるのか、シーリアの顔が僅かにこわばった。

ダインも薬草を傷口に当て、その上から傷口を縛り付ける。
高い治癒能力も、薬草と併用できれば効果は倍増する。
血が止まるのも時間の問題だ。

 ダイン 「これでよし。そうだ、道を訊いてもいいか?」
 男 「道? そういやなんで人間がこんなところにいやがるんだ? 奴隷が脱走したようには見えねぇが」
 ダイン 「ちょっと用があって魔界に来たんだけど、突然の風で飛ばされてさ。連れとはぐれて困ってるんだ」
 男 「ふん、自分から魔界に来るなんざ妙な人間だぜ。で、どこに行きたいって?」
 ダイン 「えっと、シャルって魔王の屋敷」
 男 「なにィっ!?」

男が驚き目を見開いたのを見てダインは首をかしげた。
あ、もしかしなくともシャルは周辺の土地の領主であり魔王だ。
その名を人間の俺が口にしたことに驚いたのか。

 ダイン 「よ、呼び捨てはマズかったか…。えーと、ミリシャリオット・スカルミリオーネ……様の城へ…」
 男 「お前、お嬢様にいったい何の用だ!?」
 ダイン 「お嬢様?」
 男 「お嬢様の奴隷か? いや、お嬢様が人間を逃がすような失敗を犯すはずが…」
 ダイン 「いやいや、俺、奴隷じゃないから。それに用で呼ばれてるのも俺じゃなくてクラナだし」
 男 「べ、ベリアル様!? お前、ベリアル様の奴隷なのか!?」
 ダイン 「いやいやいや、だから俺は奴隷じゃないって。……似た様なものかも……。それはそれとして、お嬢様? あんたシャルに仕えてるのか?」

こちらを見つめてくる人間の視線は真っ直ぐだった。
裏に黒い意図は見えない。
二人もの魔王様と、しかも一人はあのベリアル様…。
あの方々と繋がりを持つとは、この人間はいったい……。

 男 「……」
 ダイン 「……え? 俺、なんかマズいこと言った?」
 男 「……用…と言ったな。それは…俺が聞いてもいいことだろうか…」
 ダイン 「いや、俺も内容は知らない。でもなんか急用だったらしいけど」
 男 「……」

男は口を閉じダインを睨んだ。
いや、睨んだと言うよりはただそこに視線を乗せたまま思考を巡らせたと言う方が正しい。
実際、ダインはプレッシャーを感じたりはしなかった。

男の様子が変わったことにはダインも気付いた。
自分の言葉の中に何か間違いがあったかとも思ったがそうではなさそうだ。
男の視線に、負の感情は篭っていない。
そこには焦り、困惑の色がチラついていた。

そんな男は意を決したかのように頭を振り、ちゃんとした意思を持ってダインを見た。

 男 「…お前、名前は?」
 ダイン 「ん? ダイン」
 男 「そうかダイン。俺はオグル。この近くの村に住んでるんだが、今からお前にも一緒に来てもらいたい」
 ダイン 「へ?」
 オグル 「今、俺たちの村はひとつ問題を抱えててな。このままじゃ村が他の魔族から迫害を受けるかも知れないんだ」
 ダイン 「え? ちょ、ちょっと待った! え? 迫害? あんたの村が? いやでも、俺は人間だぞ? 困ってるんなら助けてやりたいが、人間を連れてったらマズいだろ」
 オグル 「お前は魔王様の信頼を得てるみたいだし、村の連中だってわかってくれるはずだ。それにもう、時間が無い…」
 ダイン 「……そんなに大事なら俺じゃなくて直接シャルに話せばいいんじゃないか? ここの領主はシャルなんだろ?」
 オグル 「………それはできねぇんだ。魔王様に話せば……下手打ちゃ村が消される」
 ダイン 「な…ッ!?」

苦悶の表情を浮かべるオグルを驚愕の表情で見つめるダイン。
村が消される?
それはつまり滅ぼされると言うことか!?
シャルが? シャルがそんなことを?
…いや、以前領地を荒らしていたサイクロプスを殲滅してみせたように、ときに王として主として冷酷になれるのがシャルだ。
ならばこの男、オグルが言うことも間違いではないのだろう。
それほどのことが、その村では起こっているのか…。

 ダイン 「…しかし俺が行ったところでどうにかなるのか?」
 オグル 「……わからねぇ…。だが俺たち魔族じゃもうどうにもできねぇんだ。まだ会って間も無いが、お前は信頼できる人間だと俺は思う」
 ダイン 「…でも……」

魔族が自分に頭を下げる。妙な気分だった。
会って間もない、しかも人間に、頭まで下げねばならない事態なのか。
ちらりと見たシーリアも心配そうな表情でオグルを見上げていた。
重大な何かが起きているのは本当だろう。

 ダイン 「…。…わかった。どこまでできるかわからないけど、俺でよければ」
 オグル 「本当か!」

右も左も分からない魔界。
しかしここがシャルの領地と分かれば、何も急いでクラナの元に戻ることはない。
話しぶりからしてオグルもシャルの城の場所を知っていそうだし、ならばその問題を片付けた後で城の位置を訪ねてもいいだろう。
何よりも、目の前で困っている人がいるのに、それを見捨てるのは無い。まぁ、人じゃ無いが。
先ほど自分で言った言葉だ。
助け合うのは当然だ。
たとえ魔族とでも。

オグルは落ちていた籠を拾いなおすと肩に引っさげた。

 オグル 「着いてきてくれ。村に案内する」

そう言って歩き始めたオグルを籠を背負ったシーリアが早足で追いかけてゆく。
そんなふたりの背を見つめた後、一度振り返り、上を見上げた。
森の中の広場からは、確かにそこに空が見えた。
届くとも思えないが、ダインは苦笑しながら一言断りを入れた。

 ダイン 「悪いなクラナ。ちょっと行ってくるよ」

前を向き直ったダインは、二人の後を追いかけた。


   *
   *
   *


地形の境目。
森と草原の境界。
つまりは森の端である。
片や広々とした草原が広がり、片や豊かな森が広がる。
普段ならば草原にはたくさんの動物の姿が見え、それらがのんびりと足元の草を食べている様子はここが平和な地であることの証だが、今その姿はどこにも見受けられない。

森の端の木。
樹齢もそこそこに重ねた立派な木である。
天然自然の森だからこそ、こう逞しく力強く育つのだろう。

突然その木の幹を、巨大な手が掴んだ。
幹がミシリと鳴った。
がっしりと下ろされた木の根はその地に磐石の強靭さを穿ち、自らをしっかりとそこに根付かせていたはずだ。
自然災害にすら立ち向かわんとする、木にできる最強の防御であった。
ところが幹を掴んだ手はなんの苦も窺わせることなく易々と木を地面から引っこ抜き、そして放り投げた。
木はその無数の根に大量の土を抱えたまま宙を舞い、やがて轟音を立てながら草原へと落ちた。
そうこうしている間にまた別の木が空を飛んできて、今落ちた木のすぐ近くに落下した。
また別の木が落ちてきた。
何本も何本も、たくさんの木が宙を舞った。

 クラナ 「ダイーーーーン! どこだーーーーーーっ!!」

涙目になりながらダインの名を呼ぶクラナ。
森に膝を着き、足元の木を引っこ抜きながらそこにダインの姿を探してゆく。
ポイポイポイポイ。
次々と木が飛んでいった。

 クラナ 「うぅ…風向きからしてダインがこっちに飛んできたのは間違いない。この森に…この森に落ちているはずだ」

膝を着いていてもクラナの目の高さからは足元の森を見下ろせた。
連なる山々の麓から広がるその森は広大な範囲を誇り、まるでどこまでも続いているかのような錯覚さえ覚える。

 クラナ 「いくら毟っても一向に無くならん…。ならばこんな森焼き尽くしその後でダインを探すまで!」

立ち上がったクラナは右手を天に向けて突き上げた。
ギュン!
右手の上に拳大の火の玉が現れる。
まるで太陽の如き輝きと熱。
周囲に、熱風が吹きすさぶ。

火球はどんどんその輝きと熱を増していき、それに比例して周囲の大気の様子が変わる。
熱風が荒れ、雲が散り、大気が鳴動した。
天然自然最強の存在である「太陽」の出現に、すべてが恐怖していた。

クラナは足元の森を見下ろし、そして右手の内にある太陽をその森にたたきつける。

 クラナ 「はぁぁぁぁぁああ……………! やぁぁあああああああああああああああああゲフッ!!」

直前、クラナの後頭部を巨大な扇子がはたき、クラナは森の上に突っ伏した。
その手にあった太陽は霧散していた。

森の中に大の字で俯せるクラナの背後に立っていた影、シャルは、扇子を振り切った体勢のまま肩で息をしていた。

 シャル 「はぁ…はぁ……! ヒトん土地で……いったいなにやってんのよこのバカ!!」

森に突っ伏していたクラナがガバッと顔をあげ、ぶるぶると頭を振って顔に着いていた葉っぱを落としシャルを振り返った。

 クラナ 「うるさい! お前の言いつけで出向いてきたからダインが飛ばされてしまったのだ! ならお前の土地がどうなろうと知ったことか!!」
 シャル 「そんな八つ当たりが通じるはずないでしょ! いいからとっとと来なさい!」

シャルはクラナの首根っこを掴むとずるずると引きずって歩き出した。

 クラナ 「あ、待て! まだダインを見つけてない!!」
 シャル 「ダインさんがそう簡単にどうにかなるはずないでしょう! それに…、今この場所は大変なのよ…!!」
 クラナ 「そんなこと知らん! ダインの方が大変だ!」
 シャル 「ああもうこの一途バカは!」

じたばたと手足を動かして暴れるクラナを引きずりながら屋敷へと戻ってゆくシャル。
森から屋敷へと続く道には妙な線が残されていたという。


   *
   *
   *


暫くして森の合間に小さな村が見えてきた。
山の麓に面しているようで、背後には大きな山が見える。
背後を山に、周囲を森に囲まれている村のようだ。
だが完全に孤立していると言うわけでもない。
外へと続く道があり、一方には小さな畑が見える。
道は石で舗装こそされていないものの整備はされていて、そこに残った轍がそこを荷車などが通ることを示している。
実際、村の入り口付近にはその姿もあった。
今は森の中を突っ切ってきたので、丁度村の横合いをつく形になったようだ。
村人たちの姿も見えた。
遠目には人間にも見えたが、皆が角があったり皮膚が紫色であったりと一目でただの人間ではないことを疑わせた。
しかし、ダインから見ればそんな異形の者たちが暮らすその村も実に平和な様子で、それは、自然の中で暮らすものに人間も魔族も違いは無いのだと理解させた。
結局は皆平和が一番なのだ。

森から出た三人を近くで作業していた若者らしき魔族が迎えた。

 若者 「オグルさん、薬草は採れたかい?」
 オグル 「ああ一応な。なんとか数だけはそろえた」
 若者 「そいつは良かった。あんなの、とっとと治ってもらわにゃ困る……ん?」

そこで若者はオグルとシーリアの他にも誰かいることに気付きそちらに視線を向けた。
一瞬硬直した若者はその後、持っていた桑を投げ出して尻餅を着いた。

 若者 「に、人間だぁぁああああ!!」
 ダイン 「え!?」
 オグル 「バカ野郎! 声がでけぇ!」

オグルが一喝したときにはすでに遅く、周囲にいた村人たちもそちらを見てダインの存在に気付いて騒ぎ出した。
小さな村は一瞬でパニックになった。

 オグル 「ったく、いちいち騒ぎやがって」
 ダイン 「すまん…」
 オグル 「気にすんな。もともと今この村はパンパンに張り詰めてたところなんだ。遅かれいつかはこうなるとは思ってたが…」
 若者 「オグルさん! なんなんだその人間はイガッ」(拳骨ゴツン)
 オグル 「だらしねぇぞ。男ならもっと堂々としやがれ」

そうやってオグルが若者に拳骨を落としている間に、周囲には村人たちが集まっていた。女子供は急いで家の中に隠れてしまったが。
ダインにすれば皆が異形の者。若干、背筋が寒くなった。

村人たちはみな疑惑や恐怖、怒りを込めた視線でダインを見ている。
周囲を囲まれた。
手に桑やら鎌やらを持ち、下手をすれば血を見るかも…。

とその時、囲う人垣から一人、こちらに向かって歩いてきた。
老人だろうということが、その長い髪と髭、そして顔に刻まれた深い皺に窺えた。
その魔族はオグルの前まで来ると皺だらけの唇を開いて声を発した。

 老人 「…オグルよ、これはどういうことだ? 何故人間がここにいる」
 オグル 「族長、もうこの問題は俺たちだけじゃどうにもならねぇ。俺たちじゃねぇ誰かの手が必要なんだ」
 族長 「それが人間だと言うのか。人間など欲と憎しみに溺れた穢れた種族ぞ」
 ダイン 「う…」

族長の目がダインを捉えた。
その目にはまるで深い沼の様に澱んだ憎悪と侮蔑が込められていた。
この族長と呼ばれた魔族はそれ相応の年月を生きているのだろう。
それほどに憎しみが込められた視線を送るとは、それは今までに培ったただの知識以上に、実際に人間に何かをされたことがあるのか。
ダイン個人を憎むのでない、人間全てを憎んでいる光だった。

周りの村人も、族長ほどではないにしろ同じような光を宿した目をしている。
伝承の中で伝えられる人間の印象がそれを物語っている。

初め、ダインから見る魔族も、彼らにとっての人間のようなものだった。
しかし多少なりとも魔族と関わりを持つ事で、それが全ての魔族ではない事も知った。
人間も魔族も、互いを恐れる。
恐れるからこそ、何かあったときに、その全てを恐れ、憎み、否定する。
気持ちは良く分かった。

そんな族長の視線をオグルが遮った。

 オグル 「こいつは違う。森の中でシーリアが魔獣に襲われたとき自分の身を省みず助けてくれたんだ。それに、お嬢様やベリアル様とも面識があるようだしな」
 族長 「ぬ…!? まことか…ッ!?」
 オグル 「話しぶりからするに間違いないと思う。なぁ族長…魔族の俺たちじゃこれ以上何もできねぇ。ここはこの人間にも手伝って貰おうぜ」
 族長 「うむ……」

考え込む族長。
当然と言えば当然。
村の命運を、仇敵である人間に託すなど。
話を聞いていた周囲の村人たちの間でもざわざわとざわつき始める。

 ダイン 「なぁ、そんな無理強いするつもりは…」
 オグル 「俺たち魔族にどうすることもできないってのは本当だ。魔王様には相談できねえし進退窮まってるのも事実だ。他に手がねぇのはわかってるだろ」
 ダイン 「そんなに信用されてもね…」
 オグル 「魔族でも魔獣でも人間でも、目を見りゃいい奴か悪い奴かなんて大体分かるさ。助けて貰っておいてケガ人を放り出すのも悪いしな。族長、この時期は風でただでさえ大変なのにここでこれだ。このままじゃいずれ周りの村や魔獣にも感づかれるし、お嬢様にも顔向けできねぇぞ」
 族長 「うむむ…」

悩む族長だが、NOと即答しないのは揺れ動くものがあるからだろう。
人間に頼ることと村を守ること。これが天秤にかけられている。
いや、それだけではあるまい。仮にここでダインの力を借りて今ある状況を収めたとしても、その後、周辺の村から、人間の力を借りた、手を組んだと迫害を受けるかもしれない。最悪は村そのものが潰されるやも。
そういった事態まで考え、それらすべてを計算しての熟考なのだ。
手を借りるのは魔族として容易ではない。
手を借りた後もどうなるかわからない。
しかし今、直接魔王と話もできない。
八方塞である。
必死に思考を巡らせる族長を前に、二人はその反応を待った。

と、その時である。

 * 「シーリアーーーーーっ!!」

 ダイン 「!?」
 オグル 「ん?」

突然、周囲を囲う人ごみの中から一人の少女らしき魔族が大声と共に飛び出してきた。
呆気に取られるダインなど見もせずに、その少女はオグルの横にいたシーリアに抱きついた。

 * 「シーリア! よかった、どこに行ったかと思ってたのよ!」
 シーリア 「お姉ちゃん、苦しいよ」

ぱたぱたと暴れるシーリアをぎゅっと抱きしめたままほっと安堵の息を吐き出すシーリアの姉らしき少女。

 * 「着いて行っちゃダメって言ったのに! 今、森の中はとっても危険なのよ! もう、オグルおじさんもなんで連れて行くのよ!」
 オグル 「いやなアリーネ、シーリアがどうしてもって言うから俺は…」
 アリーネ 「それでシーリアに何かあったらどうするの!? おじさんは今怪我してるんだからもっと気をつけてくれなきゃ!」
 オグル 「す、すまん…」
 アリーネ 「だいたいおじさんはいつもそうなのよ! シーリアを甘やかしてばっかり! 私はちゃんとしつけてるんですからね! 大人なら子供のことも考えてください!」
 オグル 「わ、悪かった…」

物凄い剣幕でまくし立てる少女の姉アリーネの迫力にあの屈強なオグルが怯む様を、横からポカンと見るダイン。

 ダイン 「…凄いな…」
 オグル 「まぁな…」
 アリーネ 「何よあなた!」
 ダイン 「ぎくっ!」

オグルに向けられていた矛先が横のダインに向けられた。
その凛とした視線に捉えられたダインは体が震えた。
迫力だけで負けてしまった。

 アリーネ 「おじさんの知り合い? あなたも大人ならシーリアを危険なところに連れて行かないで頂戴! 怪我でもしたら大変でしょ!」
 ダイン 「あ、あぁ、ごめん」
 アリーネ 「…ん? あなた、見ない種族ね? なんていう種族? どこから来たの?」
 ダイン 「や、俺は…」
 オグル 「こいつは人間だ、アリーネ」
 アリーネ 「へ……? …ににに人間!?」

今度はアリーネがビクリと体を震わせた。
目を見開いて驚愕していたが、その目もすぐに侮蔑の光を宿すと探るようにダインの全身に視線を走らせシーリアを抱いたまま後ろに下がり始めた。

 アリーネ 「…に、人間がいったいなんの用よ! 私の妹に何したの!?」
 ダイン 「別に何も…」
 アリーネ 「シーリア、行きなさい! 人間は魔族をバリバリ食べてしまうのよ!」
 ダイン 「いやいや、食べないから」
 シーリア 「この人間はそんなことしないよー」

アリーネの背中に庇われながらシーリアが言う。
ダインはそんな二人を見ながら唖然としていた。
まさか、人間が魔族を食べる、などという話があるとは…。
人間が魔族を恐れる話はあるが、それでも食べられる話は早々聞かない。
あの姉の知識が若干偏っているような気もするが、魔族の間ではそんな話も語られているのか。
誰がそんな伝説を作ってくれたのか知らないが後世の者が非常に迷惑する内容だ。

そのまま姉妹は人ごみの中へと消えてしまった。
人ごみの中に開いた穴に残されるダイン、オグル、族長の三人。

 ダイン 「………まぁ、いい姉妹…だよな…」
 オグル 「大切にしてるのは分かるが、ちっと過保護だとも思うんだよな…。で、族長、腹は決まったかい?」
 族長 「むぅ……確かにこれまでの言動の中だけならば然したる悪意は見られないが、そう無条件に信用しても良いものか…。これは我が村の命運を左右することぞ」
 ダイン 「族長さん、あなたが俺を信用できないのはわかります。でもこのままじゃこの村は危険だとも聞いてるし、困っているなら俺も助けてやりたいと思っています。直接手を借りるのが難だと言うのなら俺からシャルに何か事情があるのだと話してきても…」
 族長 「…」

鈍い疑心の色の族長の目がダインを捉える。
だがダインはその視線をまっすぐに受け止めた。
周囲の村人たちも、すでに敵意ではなく現状打破に向けた困惑にざわついていた。
暫し、二人は目を合わせ続けた。
喧騒が遠くなる。

 族長 「……よかろう」

はぁー…と深く息を吐き出した。
辺りが静まり返る。

 族長 「もとより人間一匹紛れ込んだところでどうこうなるものでもあるまい。ただし、腰の獲物は預からせて貰うぞ。オグルよ、この人間の監視はお前に任せる」

もう一度ジロリとダインを睨んだ後、族長は割れた人並みの間を通って歩いて行った。
残っていた魔族たちも互いに顔を見合わせた後、やはりダインをじろじろと見ながら解散した。
何人かは遠巻きに観察していたようだが。

囲いが解けた後、ふぅと息を吐き出すダイン。

 ダイン 「ふぅー…。ま、とりあえず許可は下りたわけだ」
 オグル 「すまねぇな。気分悪くしただろう」
 ダイン 「村を思うのを考えれば当然のことさ。ほい」

言ってダインは腰から剣を外すとオグルに差し出した。

 オグル 「俺は別にそのまま持っててもらって構わないんだがな。これでも人を見る目はあるつもりだぜ」
 ダイン 「でもそれじゃ族長の顔が立たないよ。村の人たちも安心できないだろ。あんたのメンツだってある」
 オグル 「ふん、会って早々、他人のお人好し加減に呆れたのはお前が初めてだ」
 ダイン 「よく言われるよ」
 オグル 「魔王様を知る人間か。なるほど、普通じゃねぇってことだな」

オグルは苦笑しながらダインから剣を預かり、それを背負っていた籠に入れた。

 オグル 「じゃあ着いて来い。この騒動の原因のところに連れてってやる」

オグルは目配せすると村の後ろにある山へと向かった。


   *
   *
   *


シャル邸。
日の差し込む明るい部屋にてテーブルを挟み湯気の立つティーカップに口をつける二人の魔王。
ふぅ…。
その内の一人、陽光に金色の髪を輝かせるシャルがため息と共に語りだした。

 シャル 「実は…もうすぐ領地内の視察して回る案件がありまして、そのために一度、村の使者に屋敷に来て頂くことになっているのですが、すでに手紙をルフに届けて貰って伝達はしているはずなのに、返事の無い村がありますの」
 クラナ 「あぁダイン…私のいないところで魔族に襲われてはいないだろうか…」
 シャル 「もちろん、村全体での急な用事と言うのはさして珍しいことではないのですが、まったく返事が無いというのは稀ですわ。もう一度ルフに飛んでもらっても結果は同じでした」
 クラナ 「いやもしかしたら魔族どころでなく魔獣にも…。この季節は僻地の凶暴な魔獣が風に飛ばされてくるというが…」
 シャル 「仕方なくこちらから使者を送ったのですが、なんと追い返される始末でして……はぁ…いったいどうしたらよいのかと…」
 クラナ 「むむむ…ダインほどの腕なら問題ないと思うが、もしも武器を取り上げられ魔族どもに捕らわれているとしたら……。ぐぬぬ、私はいったいどうしたらいいのか…」
 シャル 「……」

ベシッ。
正面のクラナの顔に扇子を投げつけるシャル。

 シャル 「わたくしの話を聞いていますの!? 今とても大切な話をしてるんですのよ!!」
 クラナ 「お前の都合など知ったことか! ダインの方が大事だ!」
 シャル 「ぐぐ…あなたはすっかり変わりましたわね!!」
 クラナ 「だいたい気になるならとっとと直接見に行ってみればいいだろうが」
 シャル 「もちろんそのつもりですわ。腰が軽いと思われるのも嫌ですけれど、それ以前に領主としての責任がありますもの」
 クラナ 「というか使者を追い返してくるなら謀反を企んでいると考えるべきじゃないか?」
 シャル 「いいえ、あの村には家臣のオグルがいますわ。彼はよく働いてくれますし、わたくしも信頼しています。その彼がいる村で反乱が企てられるとは思えませんの」
 クラナ 「ふむ、忠臣のいる村か」
 シャル 「恐らくは何かしらの事情があってのこととは思いますけど、このままでは他の村に示しがつきませんわ」
 クラナ 「…仮にだ」
 シャル 「え…?」

クラナが声を僅かに潜めたことに、シャルは僅かに緊張した。

 クラナ 「仮にその忠臣のいる村が実際に謀反を企んでいたとしたらどうする?」
 シャル 「それは…」

クラナの視線の先で、シャルの碧い瞳が僅かに揺らいだ。
まるで波打つ湖面のように光が煌く。
その揺らぎが意味するものは…。

フン。
クラナが鼻を鳴らす。

 クラナ 「で、何故私が呼ばれたんだ? 話を聞くだに、すでにお前の中で答えが出ているようだが」
 シャル 「もちろん……それは心得ていますわ。ただそれでも、一度あなたに相談しておきたかったんですの」
 クラナ 「……ふん、まぁできるだけのことはしてやる」
 シャル 「ありがとう、クラナ」
 クラナ 「そのかわり、この件が片付いたらダインを探すのを手伝えよ。元々お前の用事で呼ばれてきたからこうなったんだぞ」
 シャル 「それはもちろんですわ。わたくしも迷惑をかけてしまったとは思っていますのよ」
 クラナ 「あと、それとは別に貸しひとつな」
 シャル 「なんでそうなりますの」
 クラナ 「ダイン捜索はお前の失態の責任。で、私がお前を手伝って+1だ」
 シャル 「はいはい……好きになさって…」

にやりと笑うクラナを前に呆れ顔で手を振るシャル。
だがその身に纏っていた張り詰めた気は霧散して穏やかなものになっていた。


   *
   *
   *


ダインはオグルと共に村の裏手にある山を登っていた。
木の生えていない岩山のような山。
切り立ったその山々の合間を走る深い谷間を進んでゆく。
たまに枯れ木が横たわっているが、葉の生い茂る木はほとんど見られなかった。

 ダイン 「ずいぶんと緑の少ない山だな」
 オグル 「ここらの山は植物の成長には適さない鉱物でできててな。だから麓は森が広がっても山肌には生えないんだ」
 ダイン 「そうなのか」
 オグル 「代わりに結構希少な鉱物の取れる鉱脈があって、俺たちの村はそれを生業にしてる。ま、力自慢のオーガだしな」
 ダイン 「オーガ…それがあんたたちの種族か」
 オグル 「おうよ。お前は人間のなんて種族なんだ?」
 ダイン 「え? 人間には…これと言った種族分けは無いと思うけど」
 オグル 「ほう? じゃあたった一種なのか」
 ダイン 「俺はそういうの詳しくないけど、細かく分ければそりゃいくつかには分かれるさ。でも羽が生えてたり力が強かったりって違いは無いね」
 オグル 「ふーん、変な種族だな」
 ダイン 「いや、俺から見れば羽があったり力が強かったり鱗があったりって極端に分かれてるほうが驚きだけどな」
 オグル 「みんな自分に合った土地により適した形に変化したのさ。………ところがだ、今、たくさんの魔族や魔獣が適応してるこの土地がやばいことになってる」
 ダイン 「それがあんたの村の抱えてる問題なのか?」
 オグル 「そうだ……ん?」

オグルが視線を前に向けたとき二人の会話が途切れた。
何かと思いダインもオグルの視線を追ってみれば、この上り坂の先から岩が転がり落ちてくるのだった。

 ダイン 「ら、落石か!?」

転がり落ちてくる岩は直径が1mほどもある。
その速度と相まって危険性は絶大だ。ぶつかれば命を落とす可能性が高い。
ダインは右手をオグルに差し出した。

 ダイン 「剣をくれ! あのくらいの岩なら集中すれば…」

魔力で強化された肉体とダインの腕を以てすれば岩石を切り裂くことも可能である。

しかし、オグルはそれを認めなかった。

 オグル 「やめておけ。この山の岩には近づかない方がいい」
 ダイン 「え?」

訝しげにダインが振り返った先でオグルは自分の斧を手に取ると、それを岩目掛けて放り投げた。
切っ先の重い戦斧はブンブンと音を立てながら飛んでいき転がってくる岩に直撃した。
その瞬間!

  ドカーーーンッ!!

その岩は爆発した。

 ダイン 「なっ…!」

ダインの目が見開かれる先で岩は粉々にはじけ飛び爆炎が広がった。
飛び散ってくる礫から顔をかばいながらダインはオグルに尋ねる。

 ダイン 「なんなんだいったい…」
 オグル 「この山は火山でな、表面上はなんともねぇが内部では大量の炎のエネルギーが動いてやがる。ここいらの岩はみんなそのマグマが固まったもんで岩になったあとも中にはまだ強いエネルギーを宿したままなのよ。そのエネルギーがこうやって爆発する石を作り出してるわけだ」
 ダイン 「…随分と危険なところだな」
 オグル 「とは言っても全部の岩がそうだってわけじゃねぇ。ま、とにかくこの山はそういうところなのさ。俺たちの村は鉱物の採掘とこの山の管理を任されてるんだ」

オグルは投げつけた斧を背負い直すと足元に落ちていた小さな石を拾い上げた。

 オグル 「こんな小さな石にもエネルギーは詰まってる。採掘が生業の村だが、危険だから山の奥まで入れるのは腕の立つ男だけだ」
 ダイン 「あんたみたいに屈強な大人じゃないと入れないってわけか」
 オグル 「ああ、お前みたいにエラい強い人間じゃないとな」

二人は笑い合った。
こうやって笑えるのも、一度全力で刃を交えたからこそ。
本気になれば心の内さえも曝け出せ、それは言葉で語るよりも多くのことを真摯に物語る。
二人は互いを認め合ったのだ。

 オグル 「さぁ目的の場所はもっと上だ。泣き言抜かすなよ」
 ダイン 「上等だね。ま、これでも魔王と暮らしてるわけだから? 苦難苦境には慣れてるつもりさ」

ちゃらけて言うダインを鼻で笑ったオグルは手に持っていた石を肩越しに後ろに投げ捨てた。
二人の背後で小さくボンと石の弾ける音がした。
同時に悲鳴も。

 * 「きゃっ!」

 ダイン・オグル 「!?」

二人が振り返れば、爆発跡と思われる地面から煙の立つ場所のすぐわきで尻餅を着くシーリアの姿が。

 ダイン 「え!?」
 オグル 「シーリア!? なんでここにいる!」

二人は尻餅を着いたシーリアを見た。
「あう…」とお尻をさすっていたシーリアだが二人が見ているのに気付くと慌てて近くの岩陰に身を隠した。

 ダイン 「いや、もう見つかってるよ…」
 オグル 「ったく、山には登るなってあれほど言ったろうに…。こないだ痛い目みたの忘れたのか?」
 シーリア 「で、でもぉ……シーリアも鳥さんに会いたいの…」

岩陰から顔を出したシーリアがぼそぼそと言う。
ふぅ…。オグルがため息をついたのがダインにもわかった。

 ダイン 「『鳥さん』?」
 オグル 「今回の事件の原因だ。これからお前に見せようと思ってたんだが……」

そこで一度言葉を区切ったオグルが岩陰から顔を出すシーリアをにらみつけた。
それを見たシーリアはびくっと体を震わせて岩陰に隠れてしまった。

 オグル 「……シーリアを連れて山を登るのは危険だ。この辺りは大型の魔獣も出るからな、連れて回すわけにはいかねぇ」
 ダイン 「…そうだな」
 オグル 「まったくなんで着いて来やがった。アリーネは何してんだ」
 ダイン 「大人しい子かと思ったけど、結構おてんばなのかな?」
 オグル 「じゃじゃ馬ってんだよ。ったく貴重な時間が…」

オグルは頭を押さえながら苦虫をかみつぶしたような顔でシーリアに近づいて行った。
怒られるかもと思ってビクビクしていたシーリアは、その大きな手で頭を撫でてもらうと途端に笑顔になりオグルの周りを走り回り始めた。
結局のところ、いつもこんな感じに振り回されているのだろう。
自分と互角以上に刃を交えあった魔族の男が子供一人に振り回される様は妙な哀愁を漂わせた。
大人とはそういうものなのかもしれない。
ダインはくすっと笑うと山を下りる二人のあとに着いて行った。


   *
   *
   *


山から下りたオグルはシーリアを送り届け(その際またアリーネが文句を言いオグルはそれに反論したのだが妹を気遣う姉の凄まじい剣幕に引き下がらざるを得なかった)ダインを家に招き入れた。
今から山を登っては夜になってしまう。
夜行性の魔獣も動き出すし、夜は更に風が強く吹き、下手をすれば飛ばされかねない。
今日の山登りは諦めるしかなかった。

日が暮れる。
村の家の中では火が焚かれ、それが明かりとなって窓から光が漏れる。
家畜の動物たちは納屋で眠りにつき、森の中からは梟のような鳴き声が聞こえてくる。

 ダイン 「はいよ」
 オグル 「おお!」

テーブルの上に夕飯のおかずを並べてゆくダイン。
目の前に並ぶ料理を見てオグルが感嘆の声を漏らした。

 オグル 「すげぇな、結構なモンじゃねぇか」
 ダイン 「人間界のものと似たような材料だったからね。でも味は保証できないな」
 オグル 「十分だぜ。普段は肉に食らいついてるからな」

食器を手に次々と皿に手を伸ばすオグルを見て苦笑するダイン。
これは、とりあえず一晩泊めてもらうということでダインが夕飯の支度を願い出たのだ。
家の中の生活感からオグルは家事などが不得手なのだろうと予想してのことだったのだが、どうやら当たりだったようだ。

 オグル 「いや男でこれだけ作れれば大したもんだろ」
 ダイン 「ありがと。あんたはダメなのか?」
 オグル 「全然だな。器用さには自信があるんだけどよ、料理ってのはどうも女の仕事な気がしてな」

ガハハハハと笑うオグルに釣られてダインも笑った。
その最中に ふと思う。

 ダイン 「(女の仕事か…。そうは言ってもクラナも料理ダメなんだよな。あいつの場合は面倒くさいからやってないような気がしないでもないけど…)」

考えてダインは苦笑した。

 ダイン 「…そう言えばクラナどうしてるかな。別れてからなんの連絡も取ってないけど、心配してるだろうか…。…でもこの村のことだって放っておけないし、早く解決して会いにいかないと」

そんなことを考えながらダインは夕飯を口に運んだ。

そうやって夕飯を食べているとオグルの家に村人が駆け込んできた。

 村人 「オグルさん! またスカルミリオーネ様からの使者が…!」
 オグル 「またか…いや、当然だな。なんとかして帰ってもらえ。出来ればあと数日だけ待ってほしいと伝えてくれ」
 村人 「いやそれが今度は招集の件じゃないんだよ。なんか重要な話があるとかって…」
 オグル 「なに?」

食器を口に運ぶ手を止めてしばらく考え込んだオグルは顔を上げると席から立ちあがった。

 オグル 「わかった、俺も行こう。族長には話したか?」
 村人 「いや、これからだけど…」
 オグル 「ならお前はすぐに族長に知らせて村の入り口まで連れてきてくれ。俺は先に行ってる」
 村人 「わかった」

言って村人は族長の家に向かって走って行った。
立ち上がったオグルは身支度を整え始める。

 ダイン 「俺も行こうか?」
 オグル 「いや、面倒な話になりそうだから村の俺たちだけでいい。お前は待っててくれ」

そう言ってオグルは家を出て行った。
一人残されたダインは、とりあえず自分の夕飯を食べる事にする。

 ダイン 「……あ、どうせならその使者に俺がここにいるとシャルに伝えてくれるよう頼んでもらえばよかった。今から行けば間に合うかな」

と、食器を片づけたダインが村の入り口がどっちか思い出そうとしたところで家の入り口から小さな影が顔を出した。

 ダイン 「シーリアか?」

ダインのその言葉に影は一瞬びくっと引っ込むも、すぐにまた顔を出して中を覗きこんでくる。

 シーリア 「…おじちゃんは…?」
 ダイン 「シャルから使者が来て出かけてるよ。しばらくは戻ってこないと思うけど」
 シーリア 「そっかぁ…」

そう言ったシーリアは家の入り口から顔をのぞかせたままもじもじとしていた。
チラチラとダインの方を見つめてくる。
それに苦笑したダインはシーリアを招き入れた。

 ダイン 「入りなよ。俺でよければ遊び相手になるよ」
 シーリア 「……」

ダインの言葉に暫く迷っていたシーリアだが、やがてトテテテと走り寄ってくるとにっこりと笑った。
そしてテーブルとセットの椅子によじ登って座るとまたダインの方を向いて笑う。
んーやっぱり子供なんだな。
ダインはそう思った。
なんとなく、言動の端々がエリーゼに似てる気がする。
………いや、エリーゼの年齢を考えるとそれはどうなんだ? 何年生きてるのか知らないけど。

 ダイン 「でもいいのかい? こんな夜に出歩いたらお姉ちゃんに怒られるんじゃないのか?」
 シーリア 「んーん大丈夫。ちゃんとお布団膨らませてそぉーっと出て来たから」
 ダイン 「…」

キラキラと輝くシーリアの笑顔とは対照に顔を引きつらせるダインだった。
逞しいな、ほんと。
魔獣の出る森に着いて行ったり危険な山道に着いて来たりこうやって夜に姉の目を盗んで遊びに来たり…。
あのアリーネっていう姉も過保護で甘やかしてるとか思ったけど、この子はそれ以上に奔放だよ。
その笑顔を見てダインは乾いた笑い声を漏らすばかりだった。

 ダイン 「……。さて…どうしよ」

遊ぶとは言ったが具体的に何をするのか決まっていたわけではない。
第一ここはヒトのうちであり勝手に遊ばせるわけにもいかないし。
ふむ…、と考えを巡らせているとシーリアの視線がテーブルの上の食卓に注がれているのが分かった。

 ダイン 「ん? どうしたの?」
 シーリア 「このごはん、人間が作ったの?」
 ダイン 「人間……。ねぇシーリアちゃん、俺もシーリアちゃんみたいにダインって名前があるから名前で呼んでくれるかな?」
 シーリア 「ダイン?」
 ダイン 「そ、ダイン」
 シーリア 「うん、わかったー」
 ダイン 「よしよし。……人間って呼ばれるのはなぁ…」

犬をワンちゃんと呼ぶのと一緒だろうか。
いや、そういうのとはまた別の次元の呼び方な気がする。
なんか、ものすごい寂しい呼び方だった。

 ダイン 「…で、このごはんを作ったのは俺だけど。どうしたの?」
 シーリア 「……食べてもいーい?」
 ダイン 「いいけど、ウチでご飯食べたんじゃないの?」
 シーリア 「うん。でもまだお腹すいてるのー」

テーブルの上に並ぶ食卓を見つめてキラキラと瞳を輝かせながら涎を垂らすシーリアを見てダインは苦笑した。
ま、育ち盛りかな? この子の行動力を考えればお腹がすくのも当然だし。

 ダイン (さてどうしよう…)

ダインは考えた。
食卓に残っているのはオグルの分であって自分のものはもう食べ終わってしまった。
オグルも戻ってきたら残りを食べるかもしれない。それをこの子にあげてしまっていいものか。
暫くダインは悩んだが、その食卓を見つめるシーリアの瞳の輝きを見て、

 ダイン 「…。まいっか」

と、その盛り付けられた皿をシーリアの目の前に持ってきてその手にスプーンを手渡した。

 ダイン 「はい、いいよ」
 シーリア 「わーい!」

きゃっと喜んだシーリアは目の前に出されたスープをスプーンですくうと「あーん」と開けた口に持って行った。
ぱくん。口を閉じスプーンを抜き取る。
するとシーリアの顔が一段と輝きを増した。

 シーリア 「おいしー!」
 ダイン 「ははは、そうかい?」
 シーリア 「(パクパク)うん、とってもおいしー! お姉ちゃんのごはんよりおいしいよ!」
 ダイン 「いやそれは…」

キラキラした瞳でそう言い切ってしまうシーリア。
ダインは微妙な顔になった。

 ダイン 「(これは…喜んでいいのか……? ていうか今のセリフ聞いたら姉は卒倒するんじゃないか…)」

これはキツイな…。姉の前で夕飯の話題が出ないようにしないと。
そんなダインの考えを余所に、セリフを吐いた本人であるシーリアはご機嫌にごはんを食べまくっている。

が、こうやって見てると本当にただの女の子だな…。
嬉しそうにスプーンを口に運ぶシーリアを見ながらダインは思う。
その頭に角が見えていなければ人間と言われても分からないかもしれない。
しかし彼女は歴とした魔族だ。オグルもこの子の姉も、この村の人はみんな魔族だ。
なのに、人間の村となんら変わらない平和が確かにある。

今、この村は危機に瀕している。
それがどういうものなのかまだ分からないが、この村の存亡の危機なのだ。
それはこの平和が壊されるかもしれないという事。
オグルも村人たちも、なんとかそれを避けようと必死になっている。
なら、人間の俺にできることはなんなのか。
してやれることはないのか。
ダインは自分の右腕に問いかけた。
一度失った右腕に。
これはクラナが命懸けで取り戻してくれたものだ。
人間である俺の為に、魔王であるクラナが。
魔族の王とも呼ばれるあいつが命を賭して与えてくれた腕ならば、魔族の為に使うのになんのためらいも無い。
この腕で、できる事は無いのか。
ダインはその右手の拳をぎゅっと握り考える。

とそこでダインの思案をかき消すほどの大声が入り口から飛び込んできた。

 アリーネ 「シーーーーーーーーーーリアァァァアアアアアアアアアア!!!」
 ダイン 「げっ! 姉の方も来た!」

凄まじい怒声に耳をキーンとさせながらダインは襲来した姉ことアリーネの姿を見た。
ウチからここまで走ってきたのだろう、頬を赤く染め息を切らしている。
そんなアリーネはダインのことなど目に入っていないかの如くスルーして椅子に座りごはんを頬張るシーリアに話しかける。

 アリーネ 「あんたはまた勝手に家を出て!! 夜は出歩いちゃいけないって言ってるでしょ! 何かあったらどうするの!」
 シーリア 「(もぐもぐごっくん)…大丈夫だよー村の中だもん」
 アリーネ 「村の中でも危ないものは危ないの! 特に今この村には人間が一匹紛れ込んでるんですからね! 何があるのかわかったもんじゃないのよ!」

憤慨した様子で言うアリーネの剣幕に、横にいるダインは押され気味だった。
凄いよ…マジで。
妹を思う姉の気持ちだろうか、何者であってもここまで堂々と不満不安をぶちまける事が出来るものか。しかも本人の目の前で。
その覇王の如き威圧感はダインを尻込みさせた。
冷や汗が流れ、顔が引きつる。

 ダイン 「(気合の勝負だと勝てない気がする…)」

自分をも一歩下がらせる気迫。
それは、彼女が魔族である事とは関係ないだろう。

一歩下がって、改めて二人を見るダイン。
姉妹ということで顔の造形や髪の色などは似通うものがある。
二人とも髪は紫色で布製のワンピースのような服を着ていた。
姉のアリーネはその長い髪を後ろに縛り一本にまとめている。ポニーテールというのだったか。
年の頃は背格好からして10代の前半。まぁ、人間に換算しての話だが。しかし迸る威圧感は大人顔負けの迫力がある。
目はつり上がり猫の様。相対して見るとわかるが、それはまるで肉食獣のそれのように鋭いのだ。
妹のシーリアはセミロングの髪をそのまま後ろに垂らし頭の左右にはリボンで縛った髪がちょろんと出ている。
見た目の歳は一桁で、仕草も相応の子供のものに見えるが、実際魔族の寿命はわからないので本当の年齢は予測できない。魔王が数万年を生きるんだ、魔族だって長寿かもしれない。
目元も姉に似ているが、醸し出す雰囲気はもっと穏やかなものだ。というよりキラキラ輝く瞳にはその好奇心旺盛さが見て取れた。

見た目の年齢は二人とも子供だ。
だがアリーネのこの妹の過保護っぷりは何か家庭の事情があるのだろうか。
それともただの性格なのか。
まぁ、それは俺が詮索することじゃあないな。

横で観察するダインを蚊帳の外に置いたままアリーネはシーリアに話しかけている。

 アリーネ 「ほら早く家に帰りましょ。夜更かしすると起きられなくなるんだから」
 シーリア 「平気だもん」
 アリーネ 「平気じゃないでしょ! 寝るのが遅くなるとすぐ体調崩したりおねしょしたりするくせに」
 シーリア 「もうひとりでおトイレいけるから大丈夫だよー」
 アリーネ 「そう言ってこの前トイレとパパの部屋間違えたの忘れたの!? ほんとにあんたは…」

妹の体にため息をつくアリーネだが、その話しかけているシーリアが何かを食べている事にようやく気付いた。

 アリーネ 「ちょっとあんた、何食べてるの?」
 シーリア 「ごはん。お姉ちゃんも食べる? おいしいよ」
 アリーネ 「おいしいよ、じゃないの! なに余所のウチのごはんを勝手に食べてるの! ちゃんと晩ご飯食べたでしょ!」
 シーリア 「だってお腹空いちゃったんだもん」
 アリーネ 「そういう問題じゃないの! ああもうオグルおじさんは!?」
 ダイン 「オグルはいないよ。今 使者が来たって村の入り口の方まで行ってる」
 アリーネ 「!?」

答えたダインの方をバッと振り返るアリーネ。
本当に気づいてなかったのか。ダインは苦笑した。
そんなアリーネはシーリアの前に立ちふさがるようにして割って入った。

 アリーネ 「に、人間! なんであんたがこんなところに…!」
 ダイン 「いや…今夜 泊めて貰うからだけど…」
 アリーネ 「もうおじさんは人間を信用し過ぎよ! 野放しにして何かあったらどうするつもりかしら!」

ガルルル…と唸るように見上げてくるアリーネに落ち着けと言って聞かせるダイン。
当然、それで落ち着くアリーネではない。

 アリーネ 「とにかくもう妹には近づかないで頂戴! もしも妹に何かあったらただじゃおかないから!!」
 ダイン 「(この剣幕は本当にただじゃ済まなそうだ…)」

わかったわかったと言いながらダインは両手を上げ部屋の壁際まで下がった。
それをにらみ続けながらアリーネは背後のシーリアに話しかける。

 アリーネ 「シーリア帰るわよ! 出口まで走りなさい!」
 シーリア 「でもまだご飯食べたいよー」
 アリーネ 「ごはんなんか食べてる場合じゃないでしょ! そんなに食べたいなら帰ったら作ってあげるから!」
 シーリア 「おいしいんだよ。ダインが作ったんだって」
 アリーネ 「ダイン?」
 シーリア 「うん。人間の名前」
 アリーネ 「な、なんですって!? シーリア! すぐ吐き出しなさい! 人間が作ったものなんか食べるんじゃありません!」

驚いたアリーネはダインから視線を外し、更にスプーンを口に運ぼうとする妹を止めにかかった。

 アリーネ 「止めなさい! もしかしたら毒が入ってるかも知れないのよ!」
 ダイン 「酷い言われ様だ…」
 シーリア 「こんなにおいしいのに」
 アリーネ 「そんなわけないでしょ! あんたは騙されてるのよ!」
 シーリア 「そんなことないよ。お姉ちゃんのごはんよりもおいしいよ」
 アリーネ 「な゙…ッ」
 ダイン 「(げっ! 言った!)」

ビシッと固まるアリーネ。だがそれはダインも同じだった。
凍りついたように動かなくなる二人。
ダインに背中を向けるアリーネはシーリアに手を伸ばした形のまま完全に停止していた。思考が停止したのだろう。
対しダインは体こそショックで固まったものの頭だけは動いていた。

 ダイン 「…」

ショックだったんだろうなー…。
愛する妹に自分の料理よりも敵視する俺の方のがうまいと言われて。
俺はこのあとどうすればいいんだ…。

ふと、そんな風に凝固していたダインの視線の先で、アリーネが体を震わせ始めた。
怒ってる…。ダインは背筋に冷たいものが流れた気がした。
肩を震わせながら、アリーネはゆっくりダインを振り返った。

 アリーネ 「ふ…ふふ…! あいつの料理の方がおいしいですって…? 姉の私のよりも…?」

振り向いたアリーネの口元がひくひく動いているのがダインにも見えた。
顔も、怒っているのか悲しんでいるのかよくわからない表情になっている。
爆発寸前の爆弾を見ている気分だ。
………逃げるか?
いや、もう事が起きてる以上逃げる意味は無い。
アリーネがそれを知ってしまった時点でこの展開は避けられなかった。
考えられる展開としては…
①アリーネ 「そんなことあるわけないじゃない!」と突っぱねて終わる。
②アリーネ 「そんなことあるわけないでしょ!」と俺に殴り掛かってくる。
……いやいや落ちつけ俺、なんでこんなに慌ててるんだ。

アリーネのあまりの気迫に混乱するダイン。姉の愛は偉大である。
で、その姉は顔をひきつらせ非常に微妙な笑みを浮かべながらダインをにらんでいたが、シーリアの持っていたスプーンを手に取ると皿の上の料理を掬い取る。

 アリーネ 「そんなこと…あるわけないじゃない…。人間なんかの作った料理が……私の作ったのよりも…なんて…」

うわ言のようにブツブツと言いながらばくっとスプーンを口に入れるアリーネ。
まさに断頭台に立つような鬼気迫る勢い。毒を食らわんばかりである。
スプーンを口に入れたまま固まり、やがてゆっくりともぐもぐ動き出す。
長い長い…吟味する時間。
それが長く感じたのは実際に長かったからなのか、それとも緊迫のあまり時間の感覚がずれたからなのか。
いつしか周囲から音が消え去った。

そして…、

  カラン

アリーネの手に持たれていたスプーンがテーブルの上に落ちた。
長い時間の中での大きな出来事。
ダインの中の時が動き出す。
しかし、アリーネは未だその流れに乗らず、固まったままである。
ダインからは背中しか見えず、その表情は窺がえなかった。

夜の獣か鳥の鳴き声がどこか遠くに聞こえた。
それが、世界に色と音を取り戻した。
しかしアリーネが動かない以上ダインも動く事ができない。ダインが受け手に回っているからだ。
先んじて動けば衝突を招く。
ダインは唾を呑み込んでアリーネの動きを見守った。

世界が動き始めた後もアリーネだけは固まったままだ。
そんな姉の顔を正面から覗き込むシーリア。

 アリーネ 「……こんな…」

アリーネが呟いた。
アリーネの世界が動き始めたのだ。

 アリーネ 「…こんな事が……人間の作った料理を…おいしいって感じるなんて……」

凄い言われ様だが、実際そう言うもんかな。
例えば自分が得意だと思ってる事を、他人が「え? 簡単でしょ?」と更にレベルの高いものをもっていたとき、それはちょっとガックリくる。

 ダイン 「…でもほら、俺はもう何年もそういう自炊とかやってきたんだから、別に若い君の腕が悪いってわけじゃ…」

慰めに入るダインだが、そんなダインを完全に無視してアリーネは一人打ちひしがれている。
床にorz入った。

 アリーネ 「あたしの人生(?)はなんだったの…?」
 ダイン 「いやそこまで落ち込む事…」
 アリーネ 「あたしの……あたしの、妹を、家族を想って料理を作り続けたこの1400年はいったいなんだったの!?」
 ダイン 「せ……っ」

なんとこの魔族の少女、俺よりはるかに年上だった。
1400年とか…。
具体的な数字が出ていながら「1400年前って何年前ですか?」と聞き返したくなる。
人間からしたら途方も無い数字だ。
おじいちゃん計算式を使うと、俺のおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんが生まれたくらいだろうか。
一見幼く見えるあの体に、とんでもない年月を重ねているんだなぁ…。
魔王も数万年とか生きるらしいし。
…もしかして、人間の寿命が短すぎるのか?
人間の俺にはわからんな…。

でもってこの状況はどう片付ければいいんだ。
取り立てて重要じゃない問題でも俺の居場所がここしか無い以上なんとか円満に解決しないと路頭に迷う。
魔界の路頭に迷ったらもう帰れないんじゃなかろうか。

 アリーネ 「ちょっとあなた!」
 ダイン 「ぬぉっ!?」

ふと気づけばアリーネが目の前まで来て俺を見上げていた。
アリーネの身長は俺の胸にも届かないが、俺を見上げる瞳はそのまま射抜かんばかりの威圧感を放っている。

 ダイン 「な、なんだい…?」

俺はその威圧感に圧倒されながら尋ねていた。


   *
   *
   *


村の入り口から家までの暗い夜道をオグルは思案を巡らせながら歩いていた。
たった今までオグルと族長を含めた村人数人とシャルからの使者数人で話し合いが行われていたのだ。
会議の場に族長の家をとの案も出たが、オグルとシャルの使者の一人が村にこれ以上の緊迫感を与えたくないとの理由からそれを断った。
話し合いは村の入り口を場として始まったが、実際には会議と言うほどのものはされず、使者の持ってきた言伝を聞くだけで終わった。
会議はその場で解散となり、使者はシャルの屋敷へと帰り、オグル達もそれぞれ家へと戻っていった。
今はその帰り道。使者の持ってきた言伝はオグルとしては願っても無いものだったが、同時にそれはもう後が無い事も示している。
その言伝を持ってきた使者がシャルが最も信頼を置く執事セバスチャンだった事からも言伝の重要性と信憑性が図れる。
オグルは悩んでいた。
左手は釣ったままだ。
果たしてこれで勝算を持てるだろうか。

勝ち目の薄さに足取りも重くなり家に戻るのに随分と時間がかかってしまった。
しかし余分に時間をかけたにも関わらず名案は浮かばない。
家の前まで戻ってきたが、まだ散歩を続け思案したいくらいだった。

 オグル 「ふぅ…どうしたもんか…」

オグルは深いため息をついた。
その筋骨隆々の逞しい体も、心なしか小さく見える。

家へと入ると、中が妙に騒がしい事に気付いた。
数人の話し声が聞こえる。
今はダインしかいないはずだが。
首を傾げながら家の奥へと進むオグル。
そして覗き込んだ部屋の中では、アリーネが調理台に立ってフライパンを振り、その横でダインが指示を出していた。

 アリーネ 「こ、こうでいいの…?」
 ダイン 「もう少し手首のスナップを利かせて野菜を混ぜよう。このままだと火の通りにばらつきが出るから」
 アリーネ 「ぐ…む、難しいわね…」

ザッザッとフライパンを動かすアリーネ。
フライパンの中では野菜か何かを炒めているようだ。

 オグル 「なにやってんだお前ら?」
 アリーネ 「げっ! おじさん!?」
 シーリア 「あ、おじちゃんおかえりー」
 ダイン 「ああ悪い、ちょっと台所借りてるよ」

部屋の中に入ったオグルにそれぞれが別々に声を掛ける。

 オグル 「そりゃ別に構わねえが…。ってかなんでアリーネとシーリアがここにいるんだ?」
 アリーネ 「わ、私はちょっとシーリアがいなくなったから探しに来ただけよ!」
 シーリア 「おじちゃん、あそぼー」

シーリアがオグルの足元にトテテテと近づいていき、オグルはそのシーリアの頭を撫でた。

 オグル 「それでなんでアリーネが料理してんのかが分からねえんだが…」
 シーリア 「お姉ちゃんね、ダインの方がお料理上手で悔しくて、ダインに教わってるの」
 アリーネ 「し、シーリア! 何言ってんのよ! わ、私はただ人間のする調理法にも興味があって…!」
 ダイン 「まぁそんなとこだ」

苦笑、というよりは微笑ましげに笑うダイン。
…。何があったのかはよくわからないが、少なくとも悪い方には転んでいないらしい。
あのアリーネが人間に調理法を教わるなんざ、この村の一大事だ。

くくく。オグルは笑いを噛み殺した。

 ダイン 「どうした?」
 オグル 「くくく。いや、なんでもない。…ふん、シーリアに懐かれ、アリーネに料理を教えるか。お嬢様とべリアル様に認められているのも納得だ」
 ダイン 「ありがとさん。俺自身は大したことしてるつもりはないんだけどな」

ハハハと笑うダインのその顔には余裕が見て取れた。
それはこれまで数々の苦難を乗り越えてきた自信から来るもの。
うぬぼれではない確固たる自信を、実力が裏付けしている。
デカいな…。オグルはそう思った。
すでに確信していた事だが改めてそう思う。

そして閃いた。

 オグル 「……。ダイン、一つ頼みがあるんだが…」
 ダイン 「ん? なんだ?」
 オグル 「………いや、待て。ちょっと考えさせてくれ」
 ダイン 「へ?」

頼みがあると切り出したオグルが吊っていない右手を前に突出し「ちょっと待て」と言ってきたのでダインは肩透かしを食らった。
だがオグルがふざけているわけでは無いことは、その顔を見れば一目瞭然だ。
葛藤があるのだ。
ダインに頼む事は、何かに反する。
その二つを天秤にかけ、何度も何度も思案にかけ、結論を導き出そうとしている。
それは、待つしかないのだ。急がせても、何にもならない。
時間が許す限り、考えつくすしかない。それが葛藤なのだ。
ダインはいつまでもオグルの言葉を待つつもりだった。
しかし…。

 アリーネ 「ちょっとダイン! 次はどうすればいいの!?」
 シーリア 「ねぇねぇおじちゃん、遊ぼうよー」

アリーネとシーリアに手を引かれ、二人の男の時間はあっさりと終わりを告げた。
ダインとオグルは顔を見合わせ、ため息をついて苦笑した。


  *
  *
  *


明朝。
まだ陽も昇らないような時間である。
族長、オグル、ダイン、そして村の男達は村を発った。
道は暗く、何人かが持つ松明の明かりが周囲をぼんやりと照らしている。
暗いことに加え雲が出ているらしく星明りは望めず、また、霧が出ていて周囲の景色も分からない。

 ダイン 「(俺一人だったら確実に道に迷ってるな…)」

土地勘の無い魔界で更に暗く霧が出ているとなればもう位置を知ることは不可能だ。
それは自身の実力とは別のところで足かせとなる。
ただの土地ならいざ知らず、ここ魔界において異端である自分に居場所はない。見知らぬ土地で誰にも見つかってはいけないということだった。
人間のいない世界。
人間は自分一人の世界である。

そこまで考え孤独感に襲われたダインはかぶりを振って思いを散らすと考えを逸らすようにオグルに話しかけた。

 ダイン 「…なぁ、いったいどこに向かってるんだ?」
 オグル 「森を抜けた先にある大荒野だ」
 ダイン 「荒野?」
 オグル 「そうだ。見渡す限りの荒地でな、草木もロクに生えてなくて動物一匹いやしねぇ。…そこが、俺たち一族の儀式の場だ」
 ダイン 「儀式…」

それはどんな内容なのか、ダインは問うことができなかった。
濃い霧の中、松明の明かりでぼんやりと照らされるオグルの横顔が、張り詰めたように強張っていたからだ。
極度の緊張がオグルの顔を険しい表情で塗り固めているのだ。
今オグルが口にした儀式がこれから行われるのであろうことをダインは察した。
内容はわからないが、それが村の存続を左右するであろうものは十分に予想できた。
周囲に意識を向けてみれば、村の男たちはみな同じように息を詰まらせ緊張しているようだ。
ダインは、これから自分が、村の存続をかけた儀式の場に参加するであろうことを理解し、自身の体にも緊張が走るのを感じた。

それから数時間は歩き続けただろう。
例の、大荒野というところに着いたらしい。
すでに陽は高く上り、視界を遮っていた朝霧も、だいぶ薄いものになっている。
だが未だ周囲を見渡せるほどの薄さにはなっておらず、見えるのは、この儀式に参加した村の男達の集団を一望できる程度の距離である。

陽に照らされ白く染まる霧の中、ダインを含む男達は、来たるその時を、ただジッと待ち続けた。


  *


すでに霧は晴れ、周囲には大荒野を臨むことができた。
話に聞いていたとおりかなりの広さだ。周囲には枯れ木がポツポツと立っている程度で、他に動植物の姿はほとんど無い。
他には聳え立つ岩山や、森だったと思われる朽ち果てた木が大量に転がる地、数百年、数千年前までは湖であったのだろうくぼんだ大地。
まさに荒れ果てた地、荒野。魔界の気候とは別に、薄ら寒い印象を覚える。

ダインは、自らの立つ死の大地の光景に生命としての危機感を感じていた。

そのときである。


  ズウン…

    ズウン…


最早感じ慣れた規則的な振動が近づいてきているの感じた。
それは暗雲立ち込める正面方向より轟いてきていた。
黒雲からは雷鳴が聞こえてくる。ダインには、その地に魔力が渦巻いているのが感じられた。

しかし次の瞬間、

  ブワァァァァアアア!!

その、空を覆っていた暗雲はたちどころに吹き散らされた。
あの分厚い雲は一瞬で消え去り、かわりに、雲ひとつ無い晴天がその地の空に、そしてこの大荒野の上空に広がった。
すべての雲が散らされ、空は青一色に染め上げられた。

同時にダインは、たった今、膨大な魔力が行使されたのを感じていた。
魔力を帯び、瘴気によってつくられた分厚い暗雲を一瞬にして散らしてしまう凄まじい魔力。
ダインの体をビリビリと震わせた。
冷や汗を流していた。
それは周囲の村人達も同じだった。
ただ、オグルだけが、そのすべてを受け入れるように、じっと佇んでいた。


  ズウン…

    ズウン…


地響きがより大きくなる。
そして、その地響きを引き起こしている張本人の姿も、よりはっきりと見えるようになってきた。

深い海のように澄み切った青空に映える黄金色の髪を靡かせながら歩いてくる、シャル。
その後ろ、血のように底の見えない赤さに輝く髪を翻す、クラナ。

二人の魔王が、ただの歩行にその絶対たる力を示しながら、ダインたちの待つこの『儀式の地』にやってきた。

 ダイン 「クラナ…」

ダインは小さくその名を呟いた。


  ズズン!!


   ズズン!!


ある程度近づいたところで、シャルとクラナは歩を止めた。
シャルはその顔に遊び心の一つも見せぬ真剣な表情を見せ、村人達を見下ろしている。
オグルを含む村人達も、身にかかる魔王の眼光という重圧に耐えながら、その目を見つめ返した。

両者の間を、一陣の風が吹き抜ける。

 シャル 「お待たせ致しましたわ」
 族長 「……いえ、此度は我が一族の勝手な振る舞いで魔王様にご迷惑をおかけしております…」
 シャル 「…。その話はあとで構いませんわ。今日、この地に参じたのは…」
 族長 「はい…」

シャルも、族長も、声が重くなる。
互いのその身にかかる重圧が、声さえも重くさせた。

 シャル 「…とにかく、今日わたくしがこの地にやってきたのは貴方の一族とこの地を統治せし魔王との間に交わされた誓いを果たすため。儀式ののち、我らが絆がより強固なものとなることを、わたくしは心より望みます」
 族長 「はい。我ら一族も、この儀式に全身全霊をかけることを地に伏して誓いま(ry」
 クラナ 「むっ! ダイン!」

村人達の中にダインの姿を見つけたクラナが族長の言葉を遮って言った。
ズシンズシン! 歩み寄り、ダインの前に膝を着く。

 クラナ 「無事だったのか!」
 ダイン 「ああ、なんとかね」
 クラナ 「うむうむ! お前のことだから万一ということもなかろうと確信していたが。さあ、こんな辛気臭い地は離れ、とっととウチに帰るとし(ry」

ズバン! 後頭部を扇ではたかれる。

 シャル 「クラナ! 今、大切な話をしているんですのよ!」
 クラナ 「やかましい! ダインさえ見つかればもうこの地に用は無い! あとはお前の問題だ!」

言いながらクラナはダインに手を差し出したが、ダインは首を振ってそれを拒んだ。

 ダイン 「…悪いなクラナ、俺はまだ行けないよ」
 クラナ 「な、何故だ!? 人間のお前が魔界の問題に関わる必要は無いぞ!」
 ダイン 「魔族にも人間と同じ平和があるんだって知った。その平和が壊れようとしているなら、それは黙って見過ごせない」
 クラナ 「し、しかしだな…」

更に食い下がるクラナだが、その首根っこをグイと掴まれた。

 シャル 「ああもう! あなたはこっちに来なさい!」

そのままずるずると引きずられてゆく。

 クラナ 「ああ放せ! ダイン、ダイーン!」

両手足をバタバタと動かす動かすクラナ。
周囲には地響きが発生していた。

駄々っ子かお前は…。
ダインはため息をついたが、とりあえずクラナの顔を見られて安心した。

そんなダインの肩が叩かれる。

 オグル 「ダイン、ちょっと来てくれ」
 ダイン 「ん?」

オグルに呼ばれ、着いてゆくダイン。

 ダイン 「なに?」
 オグル 「今まで説明してやれなくて悪かったが、俺達の一族の『儀式』についてだ」


 シャル 「いいですのクラナ、彼らの一族とこの地を治める魔王は、忠誠の証としてひとつの契約を交わしていますの」


 オグル 「俺達の一族は魔王様への忠誠を誓っているが、もしもその忠誠にたがうようなことになったとき、何故そうなったのかを魔王様に闘いを挑むことで示すんだ」


 シャル 「闘うと言っても本気で闘うわけではありませんわ。飽くまで、何故忠誠を違えたのか、忠誠に背いてまでしなければいけなかったことはなんなのか、それを確かめるためですわ」


 オグル 「魔王様との忠誠に背いてまでしなければならなかったことが、決して間違っていないことを示すために、一族は全力で魔王様に戦いを挑む」


 シャル 「魔王は彼らの全力に、『魔王に刃を向けてまで果たさねばならなかった』という意志を見出すわけですの」


 オグル 「もちろん、魔王様に勝てるわけなんかない。それでも全力で挑むという覚悟を見せなければならないんだ」


 シャル 「魔王とて本気で彼らを滅ぼすように闘ってはいけませんわ。しかし手を抜いてもいけない。彼らが全身全霊を賭けてまで挑んでくる意志と覚悟を、迎え撃ちながら汲み取らなくてはいけませんの」


 オグル 「だがな…」
 シャル 「ただ…」

オグルとシャルはふぅ…と息を吐き出した。

 オグル 「本当ならそれは村一番の強者である俺がやらなきゃいけないんだが…この左腕じゃ到底全力なんざ示せねぇ…」
 シャル 「いくら儀式とは言え、やはり忠実な家臣に力を振るうことはできませんわ…」

オグルは悔しそうに釣った左腕を見た。
シャルは申し訳なさそうに顔を伏した。

そして…

 オグル 「だからダイン、お前が儀式に出てくれ!」
 シャル 「だからクラナ、あなたが儀式に参加してくれませんこと?」

 ダイン 「へ?」
 クラナ 「は?」

ダインとクラナは呆けた。

 オグル 「俺の村にお前以上に闘える奴はいない。村の危機に『人間の手を借りてまで成さなくてはならない事があるんだ』と、お嬢様もお許しになるはず」
 シャル 「わたくしよりもあなたの方が小さな魔族や人間との触れ合いには慣れていますわ。あなたの方が彼らの全力を引き出しその真意を見極めることができるはず」

オグルはダインに、シャルはクラナに頼むように言う。
その言葉にキョトンとしていたダインとクラナはしばし唖然としたあと、呟くように口を開いた。

「そ、それはもしかして…」
「それはつまり…」


 ダイン 「俺とクラナが…」
 クラナ 「私とダインが…」


「闘うってことかぁぁぁぁあああああああああああああああああ!?」


ダインは顔面を蒼白にして。
クラナはニヤリと笑った。

 クラナ 「ほうほうほうほう、それは面白そうだ…」
 ダイン 「む、無理無理無理無理! 俺がクラナと闘って勝てるはずが無い!」
 オグル 「勝ち負けじゃねぇさ。飽くまで魔王様に刃を向けてまで我を通さねばならないという意志を示すためのものだ。お前の実力と、その純粋な心なら出来ると俺は思ってる」
 シャル 「遊びではありませんことよ。飽くまで儀式ですわ。真摯に臨んで下さいまし」
 クラナ 「ああ、もちろん。わかっているさ(にやーり)」
 ダイン 「う、うぅ…やらなきゃダメか…」

クラナは嬉々として。
ダインはずぅん…と重い足取りで。

儀式の場に立った。


  *
  *
  *


ゴオオオオオオオオオオオオ!!

この季節特有の風が吹く。
それはこの荒野に砂塵を巻き上げ、相対するその両者の髪と衣服をはためかせた。

魔王代表・クラナ。
一族代表・ダイン。

シャルやその家臣たちとオグルや村の一族達が見守る中、両者が決闘の場にて対峙する。


 クラナ 「くくく…まさかこうしてお前と相対することになるとはな」
 ダイン 「な、なぁクラナ、どうしても闘わなきゃダメか?」
 クラナ 「当然だ。私とお前はそのためにこの場に立っている」
 ダイン 「で、でもわざわざ闘う必要もないじゃないか。話せばわかることだって。この村にも事情が…」

食い下がるダインに、クラナは静かに首を横に振った。

 クラナ 「ダイン……それではダメだ、ダメなのだ」

急にクラナが真剣な口調で言ったので、ダインは言葉に詰まった。

 クラナ 「確かに話し合いで済む問題かもしれない。闘う必要は無いのかも知れない。しかしそれではいかんのだ。この地の魔王とその一族の祖先はこうなったときは儀式で解決すると誓いを果たした。これは魔王と一族の互いへの忠誠と真摯な想いでありプライドなのだ。両者の誇りが、この儀式を果たすべきものとしている。話し合いで解決できるからと言ってやめるわけにはいかないのだ」
 ダイン 「クラナ…」

クラナの真摯な言葉に、ダインは聞き入っていた。

 クラナ 「私達はその儀式に参加する者として選ばれた。両者の誇りある世界に踏み入ることを許されたのだ。これを否定してしまっては、彼らがこれまでの永い年月で築き上げてきたその誇り高き魂に傷をつけることとなってしまう。この儀式に参加する者として選ばれたなら、その役目を全うするのが義務であり使命だ!」

クラナの言い放つ言葉に心を打たれるダイン。
そこには、普段のおちゃらけて悪戯好きな少女の姿は無く、魔界にて君臨し多くの魔族の頂点に立つ王としての威厳ある魔王の姿があった。
威風堂々たる言葉。
周囲に渦巻く風さえも、その王たる気風の前にはそよ風の如く儚いものだった。

 ダイン 「………。…そっか、そうだよな。一族と一族の誇りを賭けた儀式に臨むんだ。俺も覚悟を決めなきゃいけないよな」

ダインの中に、もう迷いは無かった。
全身に力と誇りを漲らせ、一つの一族の運命と未来を背負い、一戦士として決闘の場に立つ。
腰から剣を抜き放ち、それを眼前に立つクラナ向けて突きつける。

 ダイン 「さぁ勝負だ! クラナ!!」

研ぎ澄まされた白刃がギラリと閃光を放つ。
稲妻のように鋭いその閃光は天光のように周囲を照らした。



 クラナ 「よくぞ言ったダインよ。………お前がやるといったのだからな、遠慮はしないぞ!」

威厳に満ち溢れていたクラナの顔が、にやーりと悪戯っぽく笑った。

 ダイン 「え…?」

剣を突きつけた格好のまま、ダインは固まる。

直後、ズン! と一歩踏み出したクラナは、次なる一歩をダインの頭上へと掲げた。
ダインの周囲が、クラナの履くブーツの作る影で暗くなる。陽光が遮られた。

 ダイン 「え…! ちょ…!」

ダインは狼狽した。
が、そんなクラナの足は何の遠慮も無く踏み下ろされる。


  ズウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウンンン!!!


大地が激しく揺れ動いた。

間一髪のところで横に転がる出るダイン。

 ダイン 「うわっと! ハァ…ハァ……く、クラナ! お前、どういうつもりだ!」

クラナのブーツの横に転がるダインは、自分の横に足を踏み下ろす、山のように巨大な紅い魔王を見上げた。

 クラナ 「何を言う。両者が闘いその狭間に真意を見出すのがこの儀式の目的だろう」
 ダイン 「そ、それはそうだがお前は!」
 クラナ 「だから私はお前の全力を試してやろうと言うのだ。さぁいつまで寝ているつもりだ?」

再びクラナの巨大な足が持ち上がりダインの頭上に翳された。
不意打ちでは無い今度は、ダインも全身に気を張り巡らせ余裕を持って回避する。

ザザッ! 距離を取り、眼前のクラナを見上げる。
その顔はにやにやと笑っていた。
遊ぶつもりなのは明白だった。

あんにゃろう…。まともなこと言っといて…。

ダインは全力でため息をつきたい気持ちでいっぱいだった。
しかしそんな暇も無いようだ。

 クラナ 「さぁどうした! まだ始まったばかりだぞ!」

クラナの足がまたダインのいる場所を踏みつける。
逃げたところをまた踏みつける。
また踏みつける。


  ズズウウン!! 


  ズズウウウウウウン!! 


  ズズウウウウウウウウウウン!! 


クラナが足を下ろすたびに大地が激しく揺れる。
地表には亀裂が走り、岩山では落石が発生した。
絶対的たる魔王の力である。

ダインはそれをすべて避けていた。
人間の家々を軽く数件はまとめて踏み潰せる巨大な足のその一撃すべてを。
最早超人的な身体能力を持つダインにとって難しいことではない。
強大な力を持つ魔王と言え、そう動作の過程は人間と変わらぬ。
動きを見切ることは容易だった。

  ズズウウウウウウン!!

クラナが次の一歩を踏み下ろしたときだ。
その一歩を避けたダインは、その足を伝い、スカートの生地を引っつかんで、自身の体を引っ張り上げた。
クラナの、その山のように巨大な体を飛ぶような速度で上っていく。
タン! タン! タン! タン!!
体の様々な部位を足がかりにして跳ぶダインは、一気にクラナの顔の高さにまで飛び上がった。

 クラナ 「むっ!?」
 ダイン 「はぁぁぁぁぁあああああ!」

背に構えた剣で、勢い良くクラナを斬りつけた。
刹那、クラナは右手で自らの顔をガードする。

バシッ!

ダインの剣は、クラナの掌によって防がれた。

 ダイン 「ち…っ!」

舌打ちしたダインは自分を狙って迫ってくる巨大な手を避け、更にそれを足がかりにしてクラナのもう片方の腕へ跳び、更にそれを足場に肩へ跳び、そこから更にクラナの顔に迫る。

その攻撃もまた巨大な手によって遮られ、また更なる追撃をかわし、今と同じようにクラナの体の部位を足場に体勢を整え、再び攻撃に転じる。

それもまた防がれるがまたすぐに復帰し攻撃に行く。それを防がれてもすぐにまた攻撃に行く。
攻撃。攻撃。攻撃。
何度も何度もクラナの顔を目掛けてダインは迫る。
しかもその間、ダインは一度も地に下りることなく、常にクラナの体の上を足場とし、クラナに攻撃を仕掛け続けていた。


顔の周囲を飛び回るダインに対し、まるで虫でも払うかのように手を動かすクラナ。
しかしただの虫よりも速く、そして確かな意思を持って迫るダインは簡単には落とせなかった。
間髪入れずに攻めてくるその動き。常に死角へと回るその判断。
自分の両手を掻い潜り、確実に急所を攻めに来る鋭さは感嘆に値する。

  パシ パシ パシ パシ

飛び掛ってくるダインの攻撃を掌で受け止め続ける。
秒間複数回の突撃。めまぐるしく動くダインの小さな影を追って双眸を走らせその小さな刃を防ぐ。
とても捕まえる余裕は無い。掌で攻撃を受け止めたと感じたときにはすでにダインはそこにいなかった。

  パシ パシ パシ パシ

迫り続けるダイン。
時に攻撃を防がれたダインは追撃をせず一度地面に下り、着地の瞬間から地面を飛ぶような速さで移動しクラナの目を撹乱、背後に回りその巨大な体を駆け上がって再び上半身への攻撃へ移る。

注意していなければ目で追うことも難儀な速度。こちらが踏みつけようとする間もなく飛び上がってきたダインはすでに顔の高さにいた。
叩き落とそうとする右手を避け、捕まえようとする左手を避け、眼前に迫ったダインに対し、クラナは顔を思い切り横に振って見せた。

  バサッ!

クラナの赤く長い髪が翻り、迫るダインのいた場所をなぎ払う。
同時に体を回転させたクラナは数歩引き、ダインから距離を取った。

一回転して見た同じ視界の中にダインの姿は無い。
しかし迎撃に成功したわけではない。

クラナはすぐに左手を右顔面の前に立てた。

  バシィ!

迫っていたダインの攻撃を防ぐ。
自分の髪がダインをなぎ払ったとき、ダインがその髪にしがみついたことにクラナは気づいていた。
回転で翻る髪をロープ代わりに体を支え、そのまま肩を越え顔を狙ってきたのだ。

再び、ダインとの攻防が始まる。
バシ、バシ、バシ、バシ、瞬きする間もない連続攻撃を防ぎ続けるクラナ。
時に反撃に出るが攻撃に集中を割けばすぐにその防御の隙を突いてダインが攻めてくる。
掌を盾にする防御を割り込ませる時間も無い刹那、ダインの剣がクラナの頬を狙う。
そんなダインの攻撃を、クラナは顔を後ろに引くことで回避した。

それでもダインの攻撃は止まらない。
再び連続攻撃でクラナを追い詰める。
自身の癖とも取れる体の動かし方に攻略法を見出したのか、自分を攻めるダインの攻撃はどんどん鋭くなっていった。
行動がより正確に、そして無駄なく隙を衝いて来る。

  バシ バシ バシ バシ

ダインは攻め続けた。
何度防がれようと攻撃を繰り返した。攻めるより他に道は無いからだ。
不退転。圧倒的な力を持つ魔王に、小手先の戦略など通用しない。
ならばとにかく、攻めるのみ。

目にも留まらぬ速さのダイン。
その姿を捉え焦点が合う頃にはもうそこにその小さな姿は無かった。
縦横無尽に飛び回るダインを、目で追いかけるのは不可能だ。
ダインを捕まえようとする手は影ばかり掴んで空を切り本体を捕らえることが出来ない。

しかしクラナは、その小さく素早い影の動きを線で捉え、次の一撃を先読みした。

 クラナ 「……そこだっ!」

  バシッ!

迫っていたダインを叩き落とす。初の手応えのある一撃。
しかし、すんでのところで逃げられ捕まえることは出来なかった。

払われたダインはくるくると回りながら落下して行き、スタッと地面に下り立った。

 ダイン 「ふぅ、あぶないあぶない」

グルグルと肩を回すダイン。
ダメージどころか、疲労すらほとんど見えない。

 クラナ 「ふっ、流石はダインだ」

ダインを捕らえ損ねた手を引っ込め、不敵に笑うクラナ。



そんな二人のやり取りを横で見ていたシャルやオグルたちは口を開け唖然としていた。

 シャル 「な…」
 族長 「なんという…」
 オグル 「すげぇ…」

クラナの攻めはそれなりのレベルだった。
大抵の魔族がまずあの足の一撃を避けられず踏み潰され、それを避けてもあの巨大な手からは逃れられないだろう。
しかしあの人間はそれらの攻撃をかわすばかりかその間隙を縫って魔王への攻撃を行っている。
常人ならざる反射神経。超人的な運動能力。未来視のような判断力。
魔王と相対している。
それは、魔族のオグルや族長たちにとっては信じられないような光景だった。

シャルはかつてダインの戦いを見たことがある。
自分のパーティーの場で、ペットであった3頭のブラックドッグの相手をさせたときだ。
あの時ですらすでに驚異的と思えたその人間の強さは更に増していた。
今 相手取っているのはただの魔獣ではなく世に君臨せし魔王なのだから。魔獣と戦うのとは次元が違う。
思わず唾を飲み込みながら、友人とその人間との闘いを見つめていた。


 クラナ 「楽しいな。こんなに楽しいのは久しぶりだ」
 ダイン 「俺としては、もう十分儀式として誠意を示せたつもりなんだけど」
 クラナ 「ふふ、バカなことを言うな。これからもっと楽しくなるというのに」

くくくく…! クラナが実に楽しそうに笑う様をダインは見ていた。
そして、ふと気づく。
クラナの纏うオーラがこれまでと違うことに。

 ダイン 「クラナ…?」
 クラナ 「ふふ、ふふふふふふ…! 楽しい、ああ楽しいな…。…ダイン、折角お前と闘う機会に恵まれたんだ。ならば私も魔王としてお前と闘ってやろう!!」


  ゴウッ!


クラナの体から魔力があふれ出し、暴風となって周囲に吹き荒れる。
砂塵が巻き上がり、枯れ木は砕け、礫が舞う。

 ダイン 「うわっ!」

突風に思わず顔をかばうダイン。
それは、横で闘いを見ているシャルたちも同じだった。

 シャル 「きゃあ! ちょっとクラナ、何する気ですの!?」
 オグル 「すげぇ魔力だ…! これがべリアル様の……!!」

二人の言葉さえその暴風に飲み込まれクラナとダインには届かなかった。

轟々と魔力が渦巻く。
先ほど雲の一つすら残さず散らされた青い空を、今度はそれ以上の暗雲が覆い始めた。
強大すぎる魔力の中で生まれた暗雲の中に稲妻が走る。
快晴だった空は、一瞬にして暴風吹き荒れる嵐のそれとなった。

 ダイン 「す、すごい魔力だ…。体が…震える…」

自身の闘争本能が、絶対的な強者を前に怯えを見せる。
これが『魔王』クラナなのか。

 クラナ 「さぁ始めるか! 楽しませてもらうぞ、ダイン!!」

ぐわっ! と足を大きく振りかざすクラナ。
また踏みつけるつもりか! とダインは回避の構えを見せたが、彼我の距離は如何にクラナといえど一歩で届くものではなかった。

クラナは振り上げた右足を、自分の足元へと思い切り踏み下ろした。


  ズシイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイインンンンン!!!!


地面が恐ろしく激しく揺れた。
地震などと言うレベルではない。上下に10mほどは波を打っているのではないか。

 ダイン 「ぐぅぅう!!」

全身に魔力を漲らせて揺れに耐えるダイン。
しかし揺れはいつまで経ってもおさまらず、また揺れ幅もあまりに異常で、ダインは、これがただの揺れでないことに気づく。

 ダイン 「ま、魔力を使ったのか…っ!?」

あの足を地面に思い切り踏み下ろしたときに魔力を行使し、この凄まじい揺れを引き起こし持続させているのか。
大地そのものが崩落しているのではないかと思うほどに恐ろしい力が轟いている。

更にダインは、地面に大きくめり込んでいるクラナのその右足が、更にズボッと沈み込むのを見た。
瞬間、足元に爆発的に膨れ上がる魔力を感じ、その未だ揺れ動く地面の上から大きく飛び上がった。

次の瞬間、

  ズドドドドドドドドドドドドドドドドドドド!!!

そこら中の地面という地面から鋭く尖った巨大な岩が無数に隆起し飛び出してきた。
一つ一つが数mから数十mの大きさの巨岩だ。それが、地面に食い込んだクラナの足に押し出されるように次から次に突き出てくる。

あのほとんど何も無かった荒野が、一瞬にして岩石の山岳地帯のような光景に変わっていた。

 ダイン 「な……」

宙に飛び上がっていたダインはそのあまりに常軌を逸した現象を前に言葉を失っていた。
しかし、

 クラナ 「どうしたダイン! まだまだ休むには早いぞ!!」

言いながらクラナが腕を振り下ろした。
するとあの空を覆い尽くす黒雲から無数の落雷が地表に振り注いだ。

  バリバリバリバリバリバリバリバリ!!!

幾つもの雷が地表に落ち、その凄まじい威力で穴を穿つ。
未だ落下の途中のダインの横を雷がかすめる。

バチィッ!! 想像を絶する電圧が真横を通過し、ダインの体を弾き飛ばした。
魔力で強化され、魔力の電気への耐性があるといっても、雷ともなれば当然ダメージはある。

 ダイン 「がは…っ!」
 クラナ 「はっ!」
 ダイン 「…っ!?」

降り注ぐ落雷をものともせず飛び込んできたクラナの巨大な手が迫る。
その手を間一髪で避け、地面に下り立った後もクラナの足や落雷の豪雨を避け、なんとか距離を取るダイン。

が、

 クラナ 「ふん!」

クラナが腕を振ると飛び退いたダインの周囲の地面から水が噴き出した。
ボッ! ボッ! ボッ! ボッ! まるで間欠泉のように噴き出す水はダインの周囲に水の壁を作り出す。
逃げ道が失われた。

更に、

  パキン!

水の壁が一瞬で凍りついた。
同時に空間そのものが凍りついたのではないかと思うほどの異常な寒さがダインをその場に氷付けにする。

そしてそんな氷の壁に囲まれたダインの頭上から、直径50mにはなるかと言う巨大な岩が落下してきた。
この氷の壁に囲まれた空間よりもずっと巨大な岩だ。
それが、その氷の壁ごとその空間を押し潰した。

  ズウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウン!!

岩に押し潰された氷の破片が飛び散りキラキラと輝く。
その中に、極寒の冷気を振り払い、氷の壁を切り裂いて、巨岩の落下から逃れ出たダインの姿があった。

しかし、

 クラナ 「さぁ捕まえたぞ」

脱出したダインの正面から、待ち構えていたクラナがその巨大な両手を合わせダインを捕まえようとしていた。

  バン!

手が合わさる。
捕らえた。
と思いきやその姿はそこには無く、感知してみれば少しは慣れた地面の上に立っていた。

刹那の時間。
極限の極限まで研ぎ澄まされた神経と魔力によって、閉じられ行くクラナの両手の間から脱出し距離を取ったのだった。
瞬きにも勝る細かい時間のできごとである。

 クラナ 「くくく…これでも捕まえられないか」

荒れ果てた大地の上に立つクラナは実に愉快といった感じに笑いながら言った。
全身ボロボロになりながら立つダイン。

 ダイン 「ハァ…ハァ…! お、お前なぁ!!」
 クラナ 「お前なら避けられると信じていたさ」
 ダイン 「死ぬ寸前だったっつーの!」
 クラナ 「生きているのだから良いじゃないか。さぁ、まだまだ行くぞ!」
 ダイン 「げ!」

直後、ダインの足元が盛り上がり、直下から何かが飛び出してきた。
それは植物である。うねうねと動く無数の巨大な根がダインに襲い掛かる。

四方八方から迫る根をダインはバッサバッさと切り落としてゆく。
それでも根は動きを止めない。もともと植物は末端を切り落とされた程度では止まらない。

これも魔力で操られているのか、とダインが考えていると、その魔力の張本人が消えていた。

 ダイン 「な…! どこに…」
 クラナ 「後ろだ」
 ダイン 「い…っ!?」

振り返ってみればいつの間にかそこにいたクラナがダインを捕まえるべく手を伸ばしてきているところだった。
植物は囮か。

迫り来る巨大な手をすんでのところでかわし、ダインはクラナから距離を取ろうとする。
巨大な体から繰り出される攻撃に加え魔力まで使われては対応し切れない。
少しでも体勢を整えるべく、ダインはクラナから離れようとし地面を蹴って跳んだ。
が、

  ゴオオオオオオオオ!

突如背後から突風が吹き、ダインは前へと飛ばされてしまう。
クラナの方へと。

 ダイン 「ぐ…! 風を操って…!」
 クラナ 「くく、お帰りダイン」

クラナが手を差し出して待つ。この風はクラナの手に向かって吹いている。
ダインは意識を集中した。
そしてクラナの掌の上に連れてこられ、その風が止んだ瞬間に地面である掌を蹴って飛び出す。
ばふっ。直後、クラナの手が合わさった。半秒遅れていればあそこに捕まっていただろう。

 クラナ 「む」

捕獲をしくじったクラナの隙を突いて距離を取るダイン。
しかし、

  ズオッ!

突然 体が重くなり、その場に膝を着いてしまう。

 ダイン 「な、なんだ…!?」
 クラナ 「なに、少しお前の周囲の重力を操ってやっただけだ」

クラナの言葉を、重くなった体を何とか支えながら聞いていたダインだった。
体が、まるで自分のものではないかのように言うことを聞かない。
全身にふりかかるとてつもない重量に屈し、今にも倒れこんでしまいそうだ。

 ダイン 「重力……そんなものまで操れるのか…」
 クラナ 「ふふ、あまり魔王を見くびるなよ、ダイン」

膝を着いていたクラナはすっくと立ち上がると地面の上で跪いたまま動けないダインに歩み寄って言った。
巨大なブーツが岩を踏み砕く音が響き渡る。
地面が揺れた。ダインの体が、クラナの作り出す巨大な影に包まれる。

ダインは、目の前に仁王立ちするクラナの前に跪いていた。

 ダイン 「くっそ……!」
 クラナ 「くくく、如何にお前と言えど実態の無い重力をかわし避けることはできないようだな」
 ダイン 「ぐ…!」

ダインは全身を気張らせた。
全力を振り絞り、体を奮い立たせようとする。
しかし、全身に掛かるこのとてつもない重圧はダインに立ち上がることを許さなかった。
クラナに跪く形のまま、動くことが出来なかった。

自分に向かって跪いたまま動けないダインを見下ろし、クラナはフンと鼻で笑った。

 クラナ 「いい格好だぞダイン。お前を跪かせることがこんなにも心地よいものとは知らなかった」
 ダイン 「……」

不敵に笑うクラナ。
しかしダインは、そんなクラナの挑発を受けても動くことは出来なかった。
そんなダインを、クラナはニヤニヤと笑いながら見下ろした。

 クラナ 「フン、もう少し遊んでもよかったんだがな、動けないようでは仕方ない。まぁ今回は仕舞いとするか」

クラナは地面に膝を付き、超重力の中で地面にうずくまるダインに手を伸ばす。
指先に摘んでしまえば、それで終わりだ。
クラナは右手の親指と人差し指をダインに近づけていった。

が、

 ダイン 「………ハァァァァアアアアッ!!」

ダインの気合いが響き渡る。
同時に、超重力の中で振り上げた剣を、足元の地面に向かって思い切り振り切った。

  ズバン!!

地面が、ダインの一閃を受け縦に大きく裂けた。

 クラナ 「なんだと!?」

もともとのダインの剣技に加え、超重力のおかげで振り下ろした剣の威力が増し、大地を切り裂くまでの威力になったのだった。
ダインは超重力のせいで亀裂の中に落ちていった。クラナの指が、ダインを捕らえるギリギリのところであった。
クラナの指を避けたダインの姿は亀裂の中に落ちて消え、見えなくなった。

そして、

  ズバン!

別の場所の地面が裂け、そこからダインが飛び出してきた。

 ダイン 「はぁ…はぁ…」

地面の中を斬り開いて進んできたのだろう。全身ドロだらけだった。

 クラナ 「……。ふふ、ふははははは! 流石だな! まさかそんな方法で重力の檻から逃げるとは思わなかったぞ!」
 ダイン 「はぁ…はぁ…やかましい…、こっちだって必死なんだよ」

ふぅ…。とダインは額の汗を拭けばそこについていた汚れが横に引き伸ばされた。
そんなダインの様を見て、フンと鼻を鳴らすクラナ。

 クラナ 「まったく楽しませてくれる。さぁ、続きだ」
 ダイン 「ちょっと待った! もう終わりにするって言ってただろ!?」
 クラナ 「それは無しだ。お前がまだまだこんなにも闘えるのだから、どちらかが負けを認めるまでは続けようじゃないか」
 ダイン 「じゃあ負け! 俺の負け!」
 クラナ 「却下だ」

ズン! ダインに向かって飛び出すクラナ。
指先をダイン向け、その先から稲妻を放つ。
それを避けたダインの頭上からクラナの足が迫る。
更にそれを避けたダインに水と風が襲い掛かり、踏み込んだクラナの足が先と同じように地面に沈み込み、地面から無数の岩と巨大な植物の蔓を出現させた。
落雷、突風、鉄砲水、地震、地割れ、芽吹く樹海、隆起する巨岩たち。
まるで天然自然を相手にしているような感覚にダインは囚われていた。
この世界を形成するすべてのモノが襲い掛かってくるような感覚。
これが魔王の力なのか。
襲い掛かる大自然たちを避けながら、ダインはその力に畏怖していた。

 クラナ 「どうしたどうした! もっと掛かって来い!」
 ダイン 「く、クラナ! もう良いだろ!」
 クラナ 「何を言うか! こんなにも楽しいことをやめられるはずが無い! さぁ避けてみろ!」

  バン!

クラナが地面を叩いた。
するとクラナの手から無数の雷が放たれ地面の上をクモの巣のように走り回った。
刹那、空中に跳んで回避するダイン。

 クラナ 「フン!」

クラナが手を横に切ると風が吹きすさび、いくつもの竜巻が発生した。
うねりを上げ吹き荒れる突風の中で岩と氷の礫が飛び交いダインに襲い掛かる。
ダインはそれらを避け、剣で叩き落す。

 クラナ 「ムン!」

クラナが念じると周囲の重力の強さがずれた。
強い場所、弱い場所、天地が逆さになった場所。
そんな異常な力場の中で襲い掛かってきた蛇のように動く巨大な水の束を、ダインは渾身の一撃で一刀両断にした。


ボッ! クラナの手の上に拳大の大きさの炎の塊が現れた。
もちろんクラナにとっての拳大なので、実際は10m以上の大きさがある。

 クラナ 「はッ!」

それをクラナは、天高く放り投げた。
高く高く、空へと昇りゆく火球。
やがてそれは見えなくなるほどにまで高く昇ったところで、まるで花火のようにポッと爆ぜる。

そして、無数の火の雨となってこの大荒野に降り注いできた。

 ダイン 「なにぃ!?」

驚愕するダインの頭上から炎の雨が迫る。


  ザザザザザザアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!


火の雨はあっという間に大地を炎で埋め尽くした。
荒野が、一瞬で火の海へと変わる。

 ダイン 「あのバカ! ここを焼け野原にする気か!?」
 シャル 「あのバカ…。ここを焼け野原にする気ですの…?」

ダインとシャルはクラナに悪態をついた。

 クラナ 「ハハハハハ! さぁ来いダイン! 私はここにいるぞ!」

火の海、立ち上る黒煙の中で天地を轟々と震わせながら笑うクラナは、まさに魔王と称するにふさわしい様だった。
恐ろしく、おぞましく、禍々しい。
森羅万象をその手に従える、絶対たる王の姿である。

  ボッ!

 クラナ 「ぬっ!」

  バシ!

クラナは炎の中から飛び出した影が自分の顔に向かって飛び掛ってくるのを掌で受け止めた。

 クラナ 「フン、ようやく来たな」
 ダイン 「来たくて来たんじゃないってーの」

攻撃を受け止められ、地面に向かって落下してゆくダインをにやりと笑って見下ろすクラナと、そんなクラナをうらめしそうに見上げるダイン。
ダインは、眼下の炎の海の中に、まるで小島のように飛び出ていた岩の上におり立った。

暗雲の立ち籠める魔界の地、炎の海にて君臨せし巨大な魔王と相対する人間という構図は、まるで魔王と勇者の死闘である。

ゴッ! ダインを捕まえようと伸ばされた手が、すんでのところで回避したダインの乗っていた岩を砕いた。
ダインはまた別の大岩の上に着地する。
その岩は今度はクラナのブーツによって踏み砕かれた。
そのブーツも回避して、また別の大岩の上に飛び移るダイン。

 クラナ 「くくく、足場が無くて困っているようだな」
 ダイン 「うるせー」

炎の海に浮かぶ小島を渡り歩くダインはその炎の中を悠々と歩いているクラナをにらみつけた。

 クラナ 「ならば…」

パチン クラナが指を鳴らすと、燃え盛っていた炎たちは一瞬で消えうせた。
一帯が、ただの荒野に戻る。
しかし、

  ズゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!!

今度はその荒野から無数の岩石の突起が飛び出してきた。
しかも先ほどのようにただの岩ではない。
山のような大きさの突起だ。
炎の海が一瞬で失せたと思ったら、今度は付近一帯が一瞬で岩山の山岳地帯に変わった。

 ダイン 「うわっと!」

地面から飛び出してきた鋭い突起を避けながら、ダインはその岩山の一つの頂点に上った。
見渡せし光景は、数秒でまったく違うものに変わっていた。
周辺はクラナの胸ほどの高さの岩山で埋め尽くされていた。

 ダイン 「む、むちゃくちゃな奴だな…」
 クラナ 「そら、足場は作ってやったぞ。これで文句はあるまいな!」

ドゴン! ダインの立っていた山をクラナの拳が撃つ。
山岳地帯をなす山の一つが、その巨大な拳の一撃を受け粉々になり吹っ飛んだ。
山一つが、拳の一発で消し飛んだのだ。

 ダイン 「化け物め…」
 クラナ 「くく…なに、お前ほどじゃない」

バゴン! 次にダインが飛び移った山も粉砕された。

  ズズン!  ズドン!

たった今 作られたばかりの山脈は、そこで暴れるクラナのせいで次々と更地に戻されていった。
山を粉々にする巨大な拳。岩を踏み砕く巨大なブーツ。
大自然が、その強大すぎる肉体の前に屈服している。
相対して初めて分かる、魔王たるものの強さ。

 ダイン 「(ったく、いったいどうしろってんだ。クラナ相手に人間の俺がどうこうできるわけないってのに…)」

別の岩山に飛び移ったダインは、またすぐに別の岩山に飛び移った。
直後、その岩山はクラナのブーツによって蹴り砕かれた。

 ダイン 「(クラナの弱点、弱点ねぇ…。野菜…なんてこの状況で役に立つとは思えないしなぁ…。せめて何か意標をつければ…)」

と、クラナの攻略法を考察していたときだった。

 クラナ 「動きが鈍ったぞ! そこだ!」
 ダイン 「!?」

岩山の表面に下り立ったダイン。
そのダインを指すクラナの手の指先から稲妻が走りダインの足元に直撃する。
その瞬間、


  ドカァアアアアアアアアアアアアアアアアアアン!!


 ダイン 「うわっ!!」
 クラナ 「ッ!?」

大爆発が起きた。
それは、稲妻を放ったクラナ自身も予想していなかったことだった。

吹っ飛ばされ、山の斜面に叩きつけられるダイン。

 ダイン 「ぐ…っ、げほっげほっ」
 クラナ 「だ、大丈夫かダイン!?」

クラナが慌てた様子で走り寄って来る。

 ダイン 「はぁ…なんとかね」
 クラナ 「すまん、どうやら山脈を作るのに掘り返した岩の中にサーマルライトが混ざっていたらしい…」
 ダイン 「サーマルライト?」
 クラナ 「マグマのエネルギーが凝縮して出来る爆発する石のことだ。爆弾岩とも呼ばれる。山などの炎のエネルギーが集約するところに形成されるのだが、どうやら地中深くのマグマ帯から岩を掘り返してしまったようだ」
 ダイン 「爆発する石……オグルの村の火山にあったものと同じものか」
 クラナ 「すまなかった、すぐにこれらの岩山は地中深くに沈めよう。そしたらこの儀式にかまけた遊びを再開だ」
 ダイン 「お前なぁ…」

安堵の表情を見せたクラナは着いていた膝を浮かせ立ち上がった。
やれやれ、と立ち上がろうとしたダインはハッと思う。

 ダイン 「遊び…」

その言葉が、ダインに現状を再確認させた。

そうだ、今はこんなことをしている時間は無いはずだ。
この儀式そのものは、なんらかの理由で魔王への忠誠に背いてしまった村と魔王との関係を改善させるものだが、それで村の抱える問題が解決するわけじゃない。
こうして儀式としてクラナと闘ってる間も村の問題は依然として放置されたままだ。
同胞である魔族たちから迫害されかねない重大な問題が放置されたままなんだ。

急ぐべきは、この儀式よりも村の問題の解決じゃないか。

 ダイン 「…」

立ち尽くしたまま動かないダイン。
そんなダインを見下ろしてクラナは首をかしげた。

 クラナ 「どうしたダイン?」
 ダイン 「……悪いなクラナ、遊びは終わりだ」
 クラナ 「ぬ?」

きょとんとするクラナを見上げたあと、ダインは周辺の岩山に目を走らせた。
意識を集中すれば、そこかしこに魔力らしきものを感じることが出来た。

自分の足元にも。

 ダイン 「…」

ダインは、おもむろに剣を振り上げると、それを足元の地面に突き刺した。
瞬間、


  ドカーーーーーーーーーーーーーン!!!


爆発が起き、ダインの姿が爆発の閃光の中に飲み込まれる。

 クラナ 「ッ!? だ、ダイン!」

驚いたクラナは慌てて身をかがめダインがいたはずの爆発した場所に顔を寄せる。
すると、

 ダイン 「はぁぁあああああ!!」

爆炎の中からダインが飛び出してきた。

 クラナ 「うおっ!?」

そこに顔を寄せていたクラナは、目の前の爆炎の中からダインが高速で飛び出してきたことに驚いて後ろに飛び退いた。
バシッ! ダインの振った剣はクラナの眉間を斬っていた。当然、そんなもので傷つく魔王の肌ではない。

が、ダインが爆発にのみ込まれたことと、顔を寄せていたために至近距離だった爆心地からダインが高速で飛び出してきたことと、そのダインに眉間に一撃を入れられたという驚きの3連星に、クラナは大きく一歩後ずさった。

そのクラナの足が地面に落ちた瞬間、


  ドカーーーーーーーーーーーーーン!!!


足の下で爆発が起きた。

 クラナ 「う…っ!?」

クラナの足の落下の衝撃でそこに埋まっていたサーマルライトが爆発し、地面が大きく吹き飛んだ。
それは、後ろに倒れかけていたクラナが、なんとかバランスを保とうとした最後の一歩を掬われる形だった。

横の山に手を掛け倒れ行く体を支えようとするクラナ。
が、クラナが手をかけようとした部分に先回りしていたダインが、そこに埋まっていたサーマルライトを爆発させた。
山肌が吹き飛ぶ。
結果、体を支えようとしたクラナの手は空を切った。

体を支えようとした手段すべてが、奪われていた。

ぐらり。クラナの巨体が後ろに向かって傾く。

そして…


  ずずううううううううううううううううううううううううううううううん!!!


クラナの体は、その山脈の谷間に倒れこんだ。
凄まじい揺れが山脈を揺るがし、ところどころで爆発が起き、崩落する岩山もあった。
粉々に砕かれた岩が砂塵となって山脈に吹き荒れる。



その谷間、岩山の合間に倒れこむクラナ。
体の上には砕かれた岩などが乗っかり、周囲には砂煙が立ち込めている。

 クラナ 「………。くくく……! ハハハハハ!! 流石ダインだ! まさか魔王を地に倒れさせようとはな!」

地面に大の字に倒れたまま、クラナは豪快に笑った。
周囲の山々は震え、空は轟々と鳴動する。

 クラナ 「ふふふ、面白くなってきた! さぁ続きを始めるか!」
 ダイン 「…いや、これで終わりだよ」
 クラナ 「ぬっ!?」

砂塵の巻き上がる岩山の谷間。
間近に聞こえたダインの声に、クラナの声が止まる。

砂塵はゆっくりと地に戻り、視界がゆっくりと晴れてきた。

大の字に倒れるクラナ。
ダインは、そんなクラナの顔の両目の間に跪き、鼻根に剣を突き立てていた。

 クラナ 「な…」

完全に砂煙が晴れれば、そこには大の字に倒れるクラナと、その顔に剣を突き立てるダイン。
まさに、討ち倒した形だった。

その光景は、シャルやオグルたちにも見えていた。

 シャル 「…ッ」
 オグル 「…!」

唖然と、口を開いて立ち尽くす一同。

クラナの顔に乗り、剣を突きつけるダインは言う。

 ダイン 「これで終わりにしようクラナ。儀式は大切だけど、こんなことを続けていても問題は解決しないんだ。これ以上、抱える問題を先送りにしたらあの村の存亡が危ういんだ! だから…っ!」

懇願するように言うダイン。
それは、剣を突きつける者が言うにしてはあまりにも不釣合いな弱い立場の言葉だった。





不意に、そんなダインの背後から巨大な指が迫り、ダインを摘み上げた。
顔の上からダインを摘み上げたクラナはゆっくりと体を起こした。体の上に乗っていた岩たちがガラガラと落下してゆく。

ダインを掌に乗せたクラナはその逞しく弱々しい体を可笑しそうに笑いながら見下ろした。

 クラナ 「まったく、どこに行ってもお前は他人のことばかり気にして…」

やれやれ、とクラナのついたため息が温かい風となってダインの髪を揺らした。

 クラナ 「とは言え、魔王たる私が人間のお前に倒され地に伏してしまったのは事実だな。誰が見ても、文句は言うまい」
 ダイン 「……じゃあ…」
 クラナ 「…ああ」

クラナはクク…と笑いをかみ殺したあと微笑んだ。


 クラナ 「……まいった、私の負けだ」


その言葉は、凍り付いていたかのように固まっていたシャルや村人達の時間を取り戻していた。


「……」

「……おお…」

「うぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

村の男達が歓声を上げた。

これまでの儀式は手加減する魔王に対し全力を示しその覚悟を認めてもらうという、言ってしまえば消極的なものだった。
しかし今 目の前では魔族ですらない人間が魔王の繰り出す天変地異にも等しい攻撃の数々を潜り抜け、その魔王を押し倒して見せたのだ。
こんなことは、一族の儀式の歴史だけではなく、魔界の歴史を何万年と遡っても例を見ない。
とんでもないことが目の前で起きていた。

 シャル 「まさか…こんなことが…」
 オグル 「ハハ、なんて奴だ…」

シャルは唖然と立ち尽くし、オグルは呆れながら笑っていた。



クラナはダインを乗せていない方の手で自身の体につく砂埃をパタパタと落としていた。
そんなクラナに、ダインは言う。

 ダイン 「ごめん、クラナ…。結局最後はだまし討ちする形になっちゃって…」
 クラナ 「何を言っている。お前は状況を利用し、私を倒すために最善の手を尽くしただけだ。謝ることなど無い」
 ダイン 「でもホラ、お前は楽しそうに闘ってたわけだし…」
 クラナ 「ククク…確かに楽しかったのは事実だ。だが、お前のあんな泣きそうな顔など見せられては諦めるしかないだろう。闘うだけなら、帰ってからいくらでもできるのだからな」
 ダイン 「そ、それは勘弁してくれ……もうゴメンだよ…」

クラナの掌の上、ぐったりとした様子で座り込むダインを見て、クラナはクスクスと笑った。

そこに、

 シャル 「く、クラナーーー!!」

シャルが地響きを立てながら走り寄って来る。

 クラナ 「おーシャル、待たせたな。儀式はこのとおり無事終りょ(ry」

ゴッ! クラナの顔面にシャルの拳が突き刺さり、そのまま吹っ飛ばされるクラナ。
その過程でダインは宙に放り出されていた。
岩山を幾つも粉砕して吹っ飛ぶクラナ。

 シャル 「こんのド阿呆!! ヒトんちの領地をなんだと思ってるの!? 雷は落とすし火の雨は降らすし隕石は落とすし大地はいじくり回して滅茶苦茶にするし!! 地脈に影響が出て魔力の吹き溜まりが出来てるわ!!!」

ゼーハーゼーハー。肩で息をしながら拳を振り抜いた状態で立ち尽くすシャル。
ダインは近くの岩山の上に下りていた。

ガラガラガラ! 山脈の欠片を落としながらクラナが体を起こす。

 クラナ 「いきなり何をするか。私はお前の要望で儀式に代行で参加してやったと言うのに」
 シャル 「だーれーが大地を焼き払えと言った!! 見なさい! あたり一帯が焦土と化してるじゃない!」
 クラナ 「もともと荒れ果てた荒野だったではないか。今更かまうこともあるまい」

ヘラヘラと笑うクラナに髪を逆立て憤慨するシャル。
さっきから地が出てるけど気づいているのだろうか。

ということをダインは山の上から思っていた。

「おーい」

ふとダインは、岩山の麓からオグルたち村人が手を振っているのに気づき、そちらに向かった。

 オグル 「おうダイン! お前ホントにやりやがったな!」
 ダイン 「クラナが手加減してくれてたからだよ。俺は結局遊ばれただけさ」
 オグル 「何言ってやがる! 魔王様とここまで闘えた奴なんて、魔界中探しても他にいねぇぜ!!」

釣っていない方の腕でダインの背中をバシバシと叩くオグル。
その顔は本当に嬉しそうだ。
他の村人達もダインの事を褒め称え歓声を上げている。
人間とか魔族とか、そんなものは今は関係なかった。

 ダイン 「で、これで儀式は終わりなんだろう? あとはどうするんだ?」
 オグル 「ん、そうだな」

オグルは岩山のほうを見た。
見ればそちらではシャルの猛攻をクラナがのらりくらりとかわしていた。
まだやってたのか。

不意に、オグルや村人達の視線に気づいたシャルはコホンと咳払いをしてこちらに向き直った。

 シャル 「みなさん、よくやってくれました。あなた方の覚悟と忠誠、確かに受け取りましたわ」
 オグル 「いやいや、全部このダインのお陰でさぁ」
 シャル 「そうですわね、ダインさん、あなたには本当にお世話になりましたわ」
 ダイン 「俺は村の人たちを助けたかっただけだよ。今この人たちの村は大変な問題を抱えてるらしいんだ。だからあんたの招集に応えられなかったのも事情があってのことなんだ。どうか許してやって欲しい」
 シャル 「ふふ、もちろんですわ。さきほどのあなたの活躍ですべてのわだかまりは払拭されました。此度の件の一切は不問といたしましょう」

その言葉を聞いて村人達はまた歓声を上げた。
オグルと族長は肩の荷が下りたように安堵の息を吐き出していた。

これであとは、村の問題を解決するだけだ。

よし! とダインは拳を握った。


そんな一同の様子を、鼻血を流しながら見ているクラナがいた。
さきほどのシャルの剛拳を受けたときに流れたらしい。


  *
  *
  *


村の裏手にある、例の岩山を登る一同。

 ダイン 「ふぅ…、大丈夫か?」
 クラナ 「フン、なんてことはない」

今度は100分の1の大きさに小さくなったクラナもいた。
そして…

 オグル 「お、お嬢様…、あまり無茶をしないでくだせぇ…」
 シャル 「く、クラナでさえ小さくなって同行しているのに、りょ、領主たるわたくしが着いていかなくては皆にしししし示しがつきませんわ!」

ガタガタと震えながら一緒に山道を登る100分の1サイズに小さくなったシャルも。
小さくなるということは無敵たる魔王が脆弱な少女になってしまうということだ。
普段は取るに足らないもののすべてが、今は自身の命を脅かす危険がある。
いつもは絶対無敵の魔王も、100分の1サイズになってしまってはすべてが脅威だった。

虚勢を張りながらキョロキョロと落ち着かず周囲を見回すシャルに、オロオロといった感じのオグルが着いて歩く。

そんなシャルを鼻で笑うクラナ。

 クラナ 「やれやれ、魔王たる者が情けない姿だな」
 ダイン 「お前はリラックスしすぎだ」

ダインは呆れてため息をついた。


  *


山も山頂へと近づいた。
行き着いた先には、大きな洞窟がぽっかりと口を開けていた。

 オグル 「この中だ」

オグルを先頭に洞窟に入る。
と言っても洞窟自体は深くなくただの大きな洞穴と言った感じだ。
洞窟の入り口から最深部までが見える程度の深さだ。

そして洞窟に入り、そこに横たわっていたものを見た一同は言葉に詰まる。

 シャル 「な……っ!」
 クラナ 「ほう…」
 ダイン 「これは…」

ダインは、洞窟の最奥にてうずくまり丸くなっているその大きな生き物を見た。
傷ついているのか、呼吸がとても弱々しく見えた。
驚いたのは、その生き物がぼんやりと発光していることだった。
薄暗い洞窟の奥なのに、その生き物の周囲は淡い光に包まれている。
そのうずくまっている生き物は、鳥のようだった。

その姿を見たクラナは、いじわるそうな顔で笑い出した。

 クラナ 「くくく…なるほど、フェニックスか。これは確かに、誰かに知られるわけにはいかないし、シャルに相談することもできんな」
 ダイン 「すごいな…こいつも魔獣なのか?」
 クラナ 「その対極に位置する種族だ。魔素を根源とする魔獣に対し、こいつは霊素を根源とする霊獣と呼ばれる種だ。どちらかと言えば、同じく霊素を根源とするお前たち人間に近い存在だな」
 ダイン 「霊獣…そんなものもいるのか。確かにこんなに大きな生き物をかくまってると知れたら、騒ぎになるよな」
 クラナ 「くく、それは違うぞダイン」

クラナはいかにも可笑しいといった感じで吹き出していた。
きょとんとするダイン。

 ダイン 「ん? 何が違うんだ?」
 クラナ 「別に魔獣の1匹や2匹かくまったからってどうこう言う奴はこの辺にはいないだろう。もともとこの山は魔獣の住処だし、そうでなくとも魔獣なんてそこら中にいるのだからな」
 ダイン 「それじゃあいったい…」

とクラナを見下ろすダインに、クラナはひとつ頷いて見せた。

 クラナ 「うむ。このフェニックスという生き物はな、霊素を生み出すのだ」

 ダイン 「霊素を?」
 クラナ 「そうだ。体内に魔素を取り込み霊素へと変換して放出する。まるで植物が二酸化炭素を取り込み酸素を放出するようにな」
 ダイン 「……。たったそれだけで、そんな騒ぎになるのか?」
 クラナ 「くくく、ダイン、後ろの連中を見てみろ」
 ダイン 「?」

言われたとおり、ダインは後ろにいたシャルやオグルや村人たちを見た。
すると皆息苦しそうに胸やら口やらを押さえていた。

 ダイン 「ど、どうしたんだ!」
 クラナ 「霊素で構成された人間が魔素に侵されると体に異常を来たし最悪魔物化してしまうように、魔素で構成された魔族にとって霊素とは劇毒のようなものだ。取り込みすぎれば体に影響が出る」
 ダイン 「だ、大丈夫かみんな!」

ダインはシャルやオグルたち魔族に駆け寄った。

 オグル 「し、心配いらねぇ、ちょっと息苦しいだけだ」
 シャル 「えぇ、すぐにおさまりますわ…」
 クラナ 「ふむ、一度洞窟の外に出るか」

一同は一度、洞窟の外に出ることにした。
それでシャルやオグルたちは「ふぅ」と息を吐き出し落ち着けた。

 クラナ 「わかっただろう、こういうことだ。霊素を生み出すフェニックスを匿うと言うことは、魔界に破滅をもたらすに同意なのだ。そんなことをすれば、殺されても文句は言えないだろうな」
 ダイン 「…」
 シャル 「フェニックスは渡り鳥とも聞いていますわ。まぁ…魔界の空を飛んでいたとしても不思議ではありませんわね…」
 クラナ 「しかしいくらフェニックスと言えど霊獣が魔素の濃いこの魔界の地に下りてくるとも思えんが、お前は何を知っているんだ?」
 オグル 「…」

クラナの視線がオグルを射抜いた。
本来の100分の1の大きさになっても鋭いクラナの眼光が、オグルの瞳の奥底の狼狽を貫く。

 ダイン 「オグル…」

ダインも、オグルのその大きな体を見た。

 オグル 「…。あれは特に風の強い日だった…」

記憶を遡るように、オグルは目を閉じて語り始めた。

 オグル 「轟々と風が渦巻き、大型の魔獣さえも飛ばされるような凄い威力の風が吹く日、俺達の村はみな家から出ないようにと建物の中に閉じこもった。だが…」

オグルは深く深く溜めた息を、ゆっくりと吐き出した。

 オグル 「…シーリアが山に登っちまったんだ…」
 ダイン 「……」

ダインは、オグルの目に縦線が入っているのがわかった。
ああ…シーリアならやりかねないな…。
肩がガクッと落ちた。

 オグル 「俺達はシーリアを探して山に登り、そしてここ山頂付近で、風でどこかから飛ばされてきたんだろうデカイ魔獣に襲われてるシーリアを見つけたんだ」

言いながらオグルはここ山頂部のある方向を見た。
おそらく、そこがシーリアが襲われていた場所なのだろう。

 オグル 「俺達も駆け出したが間に合わず、魔獣の爪がシーリアに届こうかと言うとき、突風の吹く空の彼方からあの鳥が現れて、シーリアを助けてくれたんだよ」

ふぅ、オグルが息を吐き出した。

 オグル 「あいつは魔獣を追っ払ってくれたが傷を負ってな、そのせいでこの風の中じゃ飛べなくなっちまった。いくら俺達に害成す霊素を生み出す霊獣だからって村の娘を助けてもらっておきながらそのまま放っておくなんてことはできねぇし、しかたねぇから村の男達であの洞窟の中に運んで手当てしてたってわけだ…」
 ダイン 「……もしかして、俺と出会ったときに集めてた薬草は…」
 オグル 「そう、こいつの傷の手当に使うものだったんだよ」

オグルは頷いた。
話を聞いていたシャルも、得心がいったようだ。

 シャル 「そういうことでしたの…。しかし不死鳥とも呼ばれるフェニックスなら大概の傷なら瞬く間に治るはずですが…」
 オグル 「どうやら傷口から魔獣の毒が入っちまったみたいで傷の治りが遅いんですよ。だから今は霊素を含んだ薬草を使って毒を抜きながら傷を治してるところです。ただ、それでも毒が強力すぎてすぐに完治とはいかない状況です」
 ダイン 「もっと強力な解毒の薬草は無いのか?」
 オグル 「残念だが無いな。そもそもこの魔界に霊素を含んだ薬草が生えてること自体稀なんだ。そう強い効果のある薬草は見つからねぇさ」
 ダイン 「そう、だよな…」

魔素に染まるこの魔界で数少ない霊素を吸収して育っている薬草だ。
絶対数も少なければ、その効力も、人間界のものより劣るのかもしれない。

ならば人間界から持ってくるのはどうだろうか、とダインは考えた。
多少時間はかかるが、より大量に用意できるのでは。
いや、大量に用意したからって治るものではないし、人間界からここまで保存がきくかもわからない。
もしかしたら人間界と魔界との気候の違いで適応できないかもしれないし、まず毒の種類もわからない。
例え種類がわかってもその魔獣の毒を解毒できるほどの効力のある薬草があるかもわからない。
そもそも相手は魔界の魔獣だ。人間界の解毒薬では解毒できないかもしれない。

分からないことばかりで思案が進まない。
ダインは頭をガシガシ掻いた。

毒。それは力押しでどうにかなるものではないのだ。
ダインはかつて毒に関わったときの事を思い出していた。

 ダイン 「(毒と言えば……エリーゼと初めて二人きりになったときは酷かったな…。潰されかけて殺されかけて……よく生き残れたもんだと今でも思うよ)」

遠い日でも振り返るように、ダインは苦笑しながら空を見上げた。

 ダイン 「(あの時エリーゼはうっかり毒薬を傷口にかけちゃって、それで傷が悪化して、しぶしぶかけたエリクサも効果が無くて、大泣きしたんだよな。仕方ないから解毒草を探しに行って、そんで魔物化したワニと戦って、なんとか持ち帰った解毒草を煎じて、ようやくエリーゼの傷の毒が………………ん?)」

あれ?
ふと、何かに思い当たる。


そんなダインの横ではクラナたちが今度について話していた。

 クラナ 「で、どうするんだ? 今の話を聞くだに、現状維持が最適に思えるが?」
 シャル 「…そうですわね、これ以上の手段が無い以上、ゆっくりとであれ回復しているならそれを待つのが良いですわね」
 オグル 「この風が吹いている間は誰も山へは近づかねぇから他の村へバレる心配もねぇとは思いますが、フェニックス自身とこの山には良く無いかもですなぁ…」
 クラナ 「確かに、いくら魔素を吸収できるとは言え霊素を根源とした霊獣であることに変わりは無いんだ。この魔素に溢れた魔界に長いこと居ては、傷の治癒は出来たとしても、将来的になんらかの影響が出るかもしれん。最悪の場合、魔物化するかもな」
 オグル 「この山もフェニックスの生み出す霊素に長いこと晒されれば環境に異常を来たすかもしれねぇです。魔素と霊素のバランスが崩れて、この山岳一帯のエネルギー流が変動するやも…」
 シャル 「しかし現状これがベストである以上はどうすることもできませんわ。今のうちに将来や周囲の環境に与えられるであろう影響を考慮して対策するくらいしか…」

う~む……。
居合わせる魔族と魔王たちはみな腕を組んで首をひねった。



 ダイン 「いや、もしかしたらなんとかなるかも…」

その場にいる唯一の人間の言葉に、一同が一斉に振り返った。

 クラナ 「なんとかなる、だと?」

クラナが訝し気な顔で言う。

 ダイン 「ああ。可能性…ていうレベルでしかないんだけどね」
 オグル 「なんだっていいさ。どうせ他に手も無いんだ」
 シャル 「いったいどういう方法ですの?」
 ダイン 「ああうん、その前にちょっと訊きたいんだけど……エリクサって今ここにあるかな?」

 一同 「エリクサ?」

ダイン以外の一同が声を揃えた。

 クラナ 「ダイン、まさかエリクサでフェニックスを治そうと言うのか?」
 シャル 「残念ですがダインさん、エリクサは傷を治癒する力はありますけど、毒を消すことはできませんの…」
 クラナ 「それにあれは高濃度の魔力を圧縮して作るものだ。いかに魔素を吸収できるフェニックスと言えど、たちどころに魔物化してしまうぞ」
 ダイン 「うん、わかってる。別にエリクサをフェニックスに使うわけじゃないんだ」
 クラナ・シャル 「?」

二人は同じように首をかしげた。

 オグル 「一応あるが…これっぽっちしかねぇぞ?」

オグルは指に摘んだビンを見せた。

 ダイン 「んー…ちょっと心許ないけど、まぁやってみよう」

ダインはオグルからビンを受け取ると洞窟の中へと入った。
クラナたちも、ダインを追って再び洞窟の中に入る。

洞窟へと入ったダインは壁際に積まれていた霊素を含んだ薬草の山に近寄るとそこから薬草をいくつか手に取った。
それらを地面に並べ、エリクサを一滴垂らしてみる。

ポチャン。薬草の上にエリクサが落ちた。

ブシュウ…! するとその薬草は一瞬で腐ってしまった。
魔力に侵されてしまったのだ。

 クラナ 「何をやっているんだ? そんなことをしても薬草が駄目になるだけだぞ?」
 ダイン 「もう一回」

ポチャン。再び薬草の上にエリクサが垂らされた。
しかしやはり薬草は腐ってしまった。

次の薬草も。
また次の薬草も。

皆が疑うような目で見る中、ダインは薬草にエリクサを垂らし続けた。

そして次の薬草にエリクサを垂らしたときである。

  ポゥ…

薬草に含まれる霊素の輝きが飛躍的に増した。
目に見えて、その薬草の効力が増しているのがわかった。

 クラナ 「なんだとッ!?」
 シャル 「そんな…ッ!!」
 オグル 「なにぃっ!!」

 ダイン 「ふぅ…なんとか一つ出来たか…」

皆が驚愕し目を見開く先で、ダインはふぅと息を吐き出し額をぬぐった。

 クラナ 「いったい何が起きた! 何故薬草の霊素がこんなにも力強く輝いている!?」
 シャル 「霊素が元の薬草にエリクサなど垂らしたら、一瞬で腐ってしまうはずでしょう!?」
 オグル 「ど、どういうことなんだダイン…!」

驚いた様子のオグルがダインに問う。
その気持ちはその場にいる魔族全員の気持ちだった。

 ダイン 「俺もよくわかってないけど、多分薬草に含まれる霊素がエリクサの魔力に取り込まれないように抵抗して強くなったんだと思う。それに付随して薬草本来の効能も強化されたんじゃないかな」
 オグル 「霊素で出来た薬草が魔力で強化される…。そんなことが有り得るのか…」
 ダイン 「まぁすでに俺自身がその例みたいなもんだし。もちろん、そうやって魔力に打ち勝てる固体は少ないから、そんなにたくさん揃えることはできないと思うけど」
 シャル 「魔力を取り込んだ霊素がそれに打ち勝ちより強い力を生む…」
 クラナ 「なるほど、ヒュンケル理論というやつだな」
 ダイン 「おい。とにかく、こうやって強化された薬草はその効能が桁違いに良くなってるから、魔獣の毒にも効果があるんじゃないかと思うんだ」

そうやって強化された薬草を持ちながらダインが困った風に笑うのを、一同は唖然と見つめていた。

 オグル 「んんっ! まぁ確かに現状では最善…いや、もしかしたらこれが最高の手段かもしれねぇな」
 シャル 「霊素で作られたものを魔力で強化する…。そんな話聞いたこともありませんわ」
 クラナ 「これが霊素で構成されるものすべてに適用できるとしたら大事だな。もしかしたら、あらゆる解毒がこの薬草ひとつで可能になるかもしれんぞ」
 ダイン 「でも成功する確率は低いしエリクサ自体も貴重だからね、量産は無理でしょ。とにかく今は、フェニックスの治療だ」

強化された薬草を手に持ったダインは、洞窟の奥でうずくまるフェニックスに近づいていった。
フェニックスはそれに気づくも、特に何する風もなく、ダインの行動をジッと見つめていた。

ダインは横たわるその大きな体の横に立った。
見ればその一部に、変色した大きな傷がある。これが、魔獣との戦いのさなかに毒を打たれた傷なのだろう。
ダインはその傷の部分に、薬草を搾って出たエキスをそっと垂らした。
すると傷口周辺の変色していた部分はみるみるうちに鮮やかな色になっていった。これが元の色なのだろう。

しかし、この薬草一つで完全な解毒とまでは行かなかった。

 ダイン 「これひとつじゃ足りないか…。もうひとつ作れれば…」
 オグル 「しかしダイン、もうエリクサはほとんど残ってないぞ…」

オグルが見せたビンの中はほぼ空だった。薬草3枚分くらいしか残っていないだろう。
それは、薬草が強化される確立と比べると絶望的な値だった。
最初の一枚は、運よく少ない回数で成功したに過ぎない。
もともとエリクサは貴重な薬なのだ。

 ダイン 「う…じゃあどっかに取りに行くしかないか…。それとも残りの毒は普通の薬草でなんとかするか…」
 シャル 「いえ、わたくしの城にありますわ。取りに行っても数時間で戻って来れますわよ」
 オグル 「うーむ…、それがいいですな。お嬢様に苦労をかけてしまうようで申し訳ねぇですが…」
 シャル 「領地の安全のために動くのも領主たるものの使命ですわ。気にしないでくださいまし」
 ダイン 「うん、じゃあとりあえず一度外に出よう」

エリクサの補充のため、一度洞窟を離れることにした一同。



 クラナ 「くくく」

そんな一同の背後で、クラナが笑い出した。

 ダイン 「ん? どうしたクラナ?」
 クラナ 「水臭いぞダイン。こういうときこそ私を頼れ。私を誰だと思っている」
 ダイン 「へ?」

ダインが首をかしげ見つめる先、言いながらクラナは壁際の薬草の山に寄ると、そこから薬草をひとつ手に取った。

 クラナ 「……フン」

手に持った薬草にクラナが意識を集中する。
すると、

  ポゥ!

その薬草が光り輝いた。

 ダイン 「な…!」

驚愕するダイン。
クラナの手に持たれた薬草は、霊素が強化されていた。

 ダイン 「そんな、エリクサも無し…」
 クラナ 「エリクサは魔力を高密度に圧縮したものだ。そのエリクサで薬草の霊素を強化できるというのなら、魔王の魔力で出来ないはずがあるまい」

クラナはダインのもとに歩み寄ると、「ほれ」と その薬草を手渡した。

 ダイン 「クラナ…ありがとう」
 クラナ 「ふん、礼ならあいつを治してやってからにしろ」
 ダイン 「…ああ」


 シャル 「またあなたはそんなことに魔力を使って…。今わたくしたちはとても小さくなっていて使える魔力が少なくなっていることを忘れてますの?」
 クラナ 「私はお前より遥かに膨大な魔力を持っているからな。小さくなっていても、この程度のことはなんの問題も無い」
 シャル 「そうやって魔力の多さの上に胡坐をかいていて死にかけたのでしょう!? もっと自己を見つめ後先考えて行動なさい!」
 クラナ 「器の小さい奴め。この程度のことで先行きに不安を感じる程度の器しか持っていないなら、今のその大きさは器の大きさに合っていて似合いだぞ」
 シャル 「なんですってェ!!」

ガルルルと牙を剥くシャルとフフンと鼻で笑うクラナ。二人をオロオロしながらなだめるオグル。恐ろしさにガタガタと震える村人達と家臣達。

そんな周りの彼らを置いて、ダインはひとりまたフェニックスのもとに向かう。


フェニックスの横に立ったダイン。
目の前の傷はもうほとんど治りかけている。これが不老不死たる所以なのか。
そしてその最後の一押しが、体内に残ったほんの僅かな毒によって阻害されている。
その毒も、この強化された薬草の効能で取り除けるはずだ。
クラナが 縮小化し絶対量が減っているも関わらず魔力を注いで作ってくれた薬草だ。
うまくいかないはずが無かった。

ダインは薬草を搾り、その一滴を傷口に垂らした。

エキスが傷口にしみこむ。
すると傷は瞬く間に完治し、うずくまっていたフェニックスがその首をもたげた。

 「クーーーーーーーーーー!!」

不死鳥の力強い嘶きが、洞窟の中にこだました。
全身に精力が漲っている。
ぼんやりとしていた輝きが、今は目を覆うほどに強くなっている。
火の鳥と呼ばれるように紅く輝くその羽は、まさに燃えるように輝いていた。

 クラナ 「ふむ、なんとかなったようだな」
 シャル 「美しい…」
 オグル 「これで俺達の村も御役御免ってわけだ。よぉし、洞窟から出ろ!」

オグルの言葉に村人達や家臣達がゾロゾロと洞窟の外に出て行く。
シャルとオグルもそれに続いた。

 クラナ 「ダイン、私達も出るぞ」
 ダイン 「ああ、今行くよ」

ダインは、まるでその行為そのものを楽しむように翼を翻していたフェニックスを見上げていたが、クラナに続いて洞窟を出た。

全員が外に出た後、洞窟の中がより一層強く輝いたかと思うと、そこからフェニックスが飛び出てきた。
そのまま大空へと舞い上がる。
吹き荒れる暴風をものともせず、その光り輝く翼で雲間を縫い、天空へと飛び立った。


その光景は麓の村からも見えていた。

 シーリア 「あー鳥さんだー!」
 アリーネ 「あんたは家の中に入ってなさい! まだ風が強いんだから!」

空を指して叫ぶシーリアとそんなシーリアをずるずると引きずって家に戻るアリーネ。
村に残っていた村人達もそれに気づきその輝く姿を見上げていた。
族長もそのひとりである。

 族長 「やったのか……。これも…あの人間のお陰…かのう」

悠々と空を舞うその姿は、魔族にとって害悪とも言える霊獣でありながら、とても美しかった。


ダインたち山に登った一同も、その姿に見とれ言葉を失っていた。


フェニックスはしばらく山の周囲をぐるぐると回っていたが、やがて空の彼方へ消えていった。



 ダイン 「行ったな…」
 クラナ 「ああ…」

ダインとクラナは並んでその姿を見送っていた。

 オグル 「ダイン…」

そんな二人に、背後から声が掛けられる。
振り返ってみれば、オグルが頭を下げていた。

 オグル 「今回は本当に世話になった。お前がいなけりゃ、俺達の村はどうなってたかわからねぇ」
 ダイン 「よしてくれよ。俺は自分のやりたいようにやっただけさ」
 クラナ 「そうだぞ。こいつは人助けが趣味みたいなものだからな」
 オグル 「だが俺達の村が、ひいてはこの山一帯が助けられたのは事実だ。感謝しても仕切れない。本当に、ありがとう」

オグルは更に深々と頭を下げた。
それを見て他の村人達もダインに頭を下げていった。

 ダイン 「やめてくれ。頭なんか下げられて恥ずかしいよ」
 シャル 「いえダインさん、わたくしからも感謝の言葉を贈らせてください」

村人達に道を開けられ、シャルが歩み出てきた。

 シャル 「此度の一件は一村だけの問題ではありません。この山、他の村、この地に暮らす多くの魔族と魔獣の命に関わる問題でした。いえ、もしかしたら地脈の霊素と魔素のバランスが崩れ魔界全土に影響を及ぼしてしまったやも知れません。あなたはそれを、ひとつの犠牲も出すことなく収めてくださいました。この地を治める領主として、この地に立つ魔王として、そして魔界の一住人として、心より感謝しておりますわ。ダインさん、本当にありがとうございます」

シャルが優雅な仕草で頭を下げた。
王たる気品。
淑女たる気品。
一見すればただの少女だが、その華奢な体には 多くの領民の暮らす土地を統治し命を預かる王としての義務と責任を背負っている。
その責任が、彼女を律ししゃんと立たせている。
王たるが故の美しさ。

その美しく優雅な振る舞いに、ダインは狼狽した。

 ダイン 「い、いやだから俺は俺のしたいようにしただけだから! そんな感謝なんて…!」
 クラナ 「くくく…ダイン、顔が赤くなっているぞ」
 ダイン 「う、うるさい! お前も茶々をいれるな!」

顔を赤くして抗議するダインと、ニヤニヤと笑うクラナ。

それを見ていてくすくすと笑っていたシャルはふと何かを思いついたような顔をした。

 シャル 「そうですわね、ダインさんは命懸けでわたくしたちの問題を解決してくださいました。でしたら、わたくしも相応の対応をいたしませんと…」

え…? と、ダインがシャルの方を見ると、シャルはダインに向かって一歩近づいてきていた。
また一歩、また一歩。
手が届く距離まで来るとシャルは両手を前に差し出し、その両手をそっとダインの顔に添えた。

 ダイン 「…ッ!?」

時間の止まるダイン。
シャルは目を閉じ顔を赤らめながら、手を添えたダインの顔に自分の顔を近づけていった。

二つの唇が、距離を縮める。


  ズズウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウン!!!


直後、大揺れが山を襲った。
見れば元の大きさに戻ったクラナが、シャルの真横に拳を叩きつけていた。

 クラナ 「それ以上は流石に見過ごしてやれんな…」

口元をヒクつかせ額に青筋を浮かべたクラナが空と山を震わせるような低い声で言った。
身に纏う怒りのオーラは先の闘いなど比べ物にならぬほどダインの体を震え上がらせた。

 シャル 「……ふふ、邪魔が入ってしまいましたわね」

シャルはクスッと笑うとダインから離れた。

 クラナ 「まったく、油断も隙も無い。だいたいダインもダインだ!」
 ダイン 「ご、ゴメン!」

ギロリと睨まれたダインは心臓が止まりそうだった。

 クラナ 「目の前で女が唇を寄せてきたのだぞ! 何故自分から行かん! 押し倒すくらいの根性を見せてみろ!」
 ダイン 「…………は?」

ダインは胡乱げな目でクラナを見上げた。

 クラナ 「だいたいいつもお前は女にされるがままでだな! 少しは男としての気概を…(ry」
 ダイン 「もーいいや。問題も解決したわけだし、帰ろうか」
 シャル 「そうですわね、バカは放っておきましょう。みなさん、参りますわよ。あ、そうですわ。このたび魔界の平和の為に尽力してくださったダインさんの為に城でパーティーを開きましょう」
 ダイン 「そんな、悪いよ」
 シャル 「わたくしがダインさんをもてなしたいのです。どうかやらせてはいただけませんか? もちろん、村の方々も招待いたしますわ」
 オグル 「そいつはありがたいですな。最近はこの風や事件のこともあってみんな滅入っちまってるんで、パーッと盛り上がりたいと思ってたところでさぁ」
 シャル 「ふふ。ええ、盛大に行いましょう」

歓声を上げる村人や家臣たち。
皆はわいわいと楽しげに山を下っていった。




 クラナ 「待て! 私を置いて行くな!」

ボン! 小さくなったクラナは慌ててみんなを追いかけた。


  *
  *
  *


その日の夜、シャルの屋敷では村人達が招かれ盛大なパーティーが開かれた。
山と積まれた御馳走。湖のような酒。
この季節、暴風に窮屈な思いをしていた村人達は盛大に沸き上がり酒や肉を手に歓声を上げた。
浴びるように酒を飲み、両手に持ったご馳走を口いっぱいに頬張った。
村の存亡に関わる事件が解決したと言う開放感は、村人達を心から湧き立たせた。

途中、救世主であるダインに挨拶してもらおうという場面もあったが、それはダインが全力で断った。

みなが踊り、歌い、飲み、食い、心の底から楽しんでいる。
そんな村人達に混じってお酒を飲もうとしたシーリアはアリーネに見つかって説教されていた。片手に肉を持った状態で。

パーティーはいつまでも続いた。
誰も終わることを望んでいなかった。
まだまだ楽しい時間はこれからなのだ。


  *


大広間でパーティーが盛り上がっているころ、屋敷の裏手にある大露天風呂では二人の魔王が湯浴みをしていた。

 クラナ 「ふぅ…、いい湯だな」

湯船に浸かり両手を淵にかけもたれかかるクラナは、湯煙の向こう、高い山脈の上に昇る月を見上げながら言った。

 シャル 「わたくしの自慢の温泉ですもの。当然ですわ」

クラナの横から、湯にそっと足を入れるシャル。

当然湯に入るのだから二人は衣服を一切纏っていない。
月光の下にその美しい肢体を惜しげもなく晒していた。

 シャル 「…でもクラナ、今回は本当にお世話になりましたわ」
 クラナ 「私は何もやっていない。全部あいつがやったことさ」
 シャル 「ええ、ダインさんにも本当にお世話になりましたわ。今回の件は、彼がいてくれなかったらどうなっていたことか…。最悪わたくしは、忠臣のいる村を滅ぼす決断を下していたかもしれません……」
 クラナ 「もう終わったことだ、気にするな」
 シャル 「……ありがとう、クラナ」

シャルは自分の目から流れ落ちたものをぬぐった。

 クラナ 「……ふん」

クラナは鼻で小さく笑って降り注ぐ月光に身をゆだねた。

 クラナ 「しかしまーダインが薬草をエリクサで強化してみせた時は度肝を抜かれたな。まさかそんなことが可能だとは…」
 シャル 「霊素と魔素…。水と油のように相容れぬが混同することで、より強い力を生むなんて…」
 クラナ 「もちろんダインみたい魔素を取り込んで強くなった人間や動物の例はいくつもあるが、無生物での話は聞いたことも無い。知れ渡れば大事になるな」
 シャル 「そうですわね…。霊素を魔素で強化できるということは魔素を霊素で強化できるということ。既存のものを霊素で強化しようと人間界に行く魔族が増えるかも知れませんし、もしかしたらダインさんのように強くなろうとして霊素を取り込もうとする魔族も出てくるかもしれませんわ」
 クラナ 「大勢の魔族が現れて人間界が大混乱に陥るか、霊素を取り込むのに失敗して魔物化する魔族が大勢出るか。いずれにしてもいい結果にはならんな」
 シャル 「ええ…、この件は秘密にしていただくよう村の方々にもお願いしておきましょう。今回の事件を大事になる前に食い止めることが出来たのは幸いでしたわね」
 クラナ 「ふぅ…。まったく、ちょっとした呼び出しがとんだ事件になったものだ」
 シャル 「あなたが儀式にもっと静粛に取り組んで下さればもっと慎ましく済ませられたと思いますけど?」
 クラナ 「それは無理だ。公然とダインと闘える機会など滅多に無いからな」
 シャル 「はぁ…ダインさんの苦労が知れますわ…」

クククと笑うクラナの横でため息をつくシャルであった。

 クラナ 「さて…」

ザザー!
大量の湯を滴らせてクラナが立ち上がった。

 シャル 「あら、もう上がりますの?」
 クラナ 「くく…いやなに、そろそろ頃合かと思ってな」

にやりと笑いながら言うクラナを、シャルは首をかしげながら見上げた。


  *


同じく露天風呂。ただしこちらは魔族たち用の大きさの風呂である。
そこに浸かる、ダインとオグル。

 ダイン 「はぁー…いい湯だな」
 オグル 「なんせお嬢様自慢の温泉だからな」

オグルも、左腕を釣ったままであるが湯に浸かっていた。

 ダイン 「しかしいいのか? パーティーの主役が会場を抜け出して」
 オグル 「そりゃお前だろ。今頃村の連中が探してんじゃねぇのか?」
 ダイン 「う……俺はわいわい担がれるのは苦手なんだよ…」

恥ずかしそうに身震いするダインにオグルはハハッと笑って返した。

 オグル 「気の小せぇ男だな。魔王様と互角に渡り合った男とは思えねぇぜ」
 ダイン 「互角なもんか。クラナは全然本気じゃなかったよ。もし本気だったら1秒も持たないさ」
 オグル 「そりゃそうだ、相手は魔王様だぜ。だがそんな魔王様とあそこまで張り合える奴は他にいねぇ。お前は英雄だよ」
 ダイン 「英雄!? やめてくれ! 恥ずかしくて死にそうだよ…!」

肩まで身を沈めるダインを、今度は豪快に笑い飛ばしたオグル。
が、その笑い声もすぐに収められた。

 オグル 「ふぅ…だがダイン、今回は本当に世話になった。いくら感謝してもしたりねぇ」
 ダイン 「だから俺は俺のやりたいようにやっただけだって」
 オグル 「それでもだ。俺は今までお前みたいにいい人間がいるなんて知らなかったぜ」
 ダイン 「…それは俺も同じだよ。魔族も、人間と同じように平和に暮らしてるんだなって思ったから」

ダインは、空に浮かぶ月を見上げながら言った。

 オグル 「……大した奴だ。お前に会えて良かったぜ」
 ダイン 「よせよ。おだてたって何も出ないぞ」
 オグル 「ハッハ! 期待してねぇから安心しろよ」

オグルは笑いながら立ち上がり湯船から上がった。

 ダイン 「ん? もう上がるのか?」
 オグル 「どうにも左腕が疼いていけねぇ。お前とべリアル様の闘いを見てたら体が疼いちまった。この腕が治ったらまた闘ろうぜ」
 ダイン 「勘弁してくれ。あんたみたいに強い人とはもう闘いたくないよ」
 オグル 「魔王様と闘った奴が何言ってやがる。おう、この温泉は怪我に良く効くからお前はもう少し入ってろよ」

言いながらオグルは釣っていない右手を振って風呂場を出て行った。

一人残されたダインは、一人で使うには広い露天風呂でふぅ…と息を吐き出しながらまた空を見上げた。
月明かりに照らされて外は明るく、そしてとても静かだ。あの凶悪な季節風などまるで嘘みたいに感じられる。

ぼんやりと月を眺めていると色々なことを考えられた。

魔界にひとり放り出されてしまったこと。
オグルと戦ったこと。
そのオグルと一緒に魔獣と戦ったこと。
初めて魔族の村に行ったこと。
その村の代表として儀式に参加したこと。

そして、クラナと闘ったこと。

 ダイン 「…」

月明かりの優しさと温泉のぬくもりの中、ダインは深く息を吐き出した。

クラナと闘ったのだ。
到底『闘った』と言えるような内容ではなかったが、確かに闘ったのだ。
自分は本気だった。本気でクラナに剣を向けていた。
それは儀式に則ったことであり今更どうのこうの思ったりもしないが。

 ダイン 「はぁ…全然相手になんなかったなー…」

ダインはくすっと笑った。
言ってみればクラナと、魔王と同じ舞台に立っての闘い。
同じ舞台に立ってさえ闘いにもならなかった。
当たり前と言えば当たり前なのだが、あれが魔王の実力なのか。
森羅万象を跪かせ畏怖と絶対を以って君臨する。
相対したときの絶望感はハンパではなかった。
あれが、『魔王』クラナなのだ。

初めて『闘うクラナ』を見た。
もちろん、あいつにとってはただの遊びみたいな闘いだっただろう。
だがその遊びみたいな闘いをするクラナでさえ、それまでのクラナとは見間違えるような強大さを覚えた。
普段のクラナからは見ない、強大な存在感、圧迫感、恐怖、絶望、闘いの中だからこそ感じる、威圧感があった。

もうそれなりに長いこと一緒にいるが、敵としてクラナの前に立ったのは初めてだ。
それが、どんなに絶望的なことなのかを、身を以って味わったのだ。

遊んでいて天変地異に匹敵するのなら、本気を出したらどうなるのか。
考えるのもアホらしい。

 ダイン 「まったく、あいつは…」

ダインは、闘い時のあの圧倒的な姿と、普段のやる気のない姿のギャップに苦笑した。

見上げた先では月に雲がかかっていた。
薄い雲が月にかかり月光を遮る。
風に流れる雲が月の前を流れてゆく様は、とても美しかった。



なんて月を見上げていると、

  ボン!

という音と共に突然何か巨大なものが現れ月を遮った。

 ダイン 「…は?」

と、ダインが訝しむ間に、それはダインのもとへ落下してきた。
視界が、それに埋め尽くされる。
肌色のそれに。


  ズシイイイイイイイイイイイイイイイイイイイン!!!


ダインの眼前に落下したソレは温泉の湯を悉く吹き飛ばした。
湯の無くなった温泉の淵にそのままの体勢でもたれかかっているダイン。
眼前には、巨大な股間。

 クラナ 「待たせたな、ダイン」
 ダイン 「お前なぁ……」

ダインはうんざりした表情で目の前の股間の持ち主であるクラナの顔を見上げた。
クラナは今、ダインの浸かっていた温泉に尻餅をつき、軽くM字開脚した右足は建物を押し潰し、左足は塀を超え庭園を破壊していた。
周囲は低めの山岳地帯になっており、ダインのいる温泉は周囲の山岳よりはちょっと低い小山の頂にある。
クラナは、そんな温泉の上に座り込んでいるのだ。
むき出しの股間が、ダインの前に絶壁として立ちふさがる。

 ダイン 「何やってんだよ…」

ため息をつくダイン。
むき出しの股間とか、もう見慣れたわ。

 クラナ 「いやな、お前と闘ってたら股間が疼いてしまってな。一発ヤろうかと」
 ダイン 「やらん。帰れ」

満点の星空の下、月光を浴びるクラナの肢体は淡く輝いて実に妖しく美しい様相であったが、だからどうしたという感じである。
今しがたまで温泉に浸かっていたのであろうその肌からは湯気が立ち上り、周囲を薄い雲のように漂っている。

そんなことをしていると、

  ズシィン…

   ズシィン…

再び地面が揺れ始めた。
見ればクラナの背後、低めの山々の間を歩いてくる巨大な影。

当然、シャルのものである。

 シャル 「あなたはいったいどれだけ他人の土地を破壊すれば気が済みますの…?」

シャルはうんざりとした様子で文句を言いながらクラナの横に立った。

ダインからも、そこに聳え立つシャルの巨体は十分に見上げることが出来た。
それは、たった今までこのクラナと一緒に湯に浸かっていたのであろうことから当然と言えば当然の、一糸纏わぬ姿を余すところ無く見上げられるということだ。

月光が金髪に反射し、その長く美しい髪をまさに黄金色に輝かせている。
白く美しい肌はまだ濡れているのか星明りに照らされ煌いている。
まるで象牙で作られた像のように美しく完成された肢体が、シャルのその優雅で女性的な動きによってより美しく見える。

普段なんだかんだ見慣れているクラナのそれと違って、シャルの裸を見るのは初めてだ。
というよりも、異性の素肌を無遠慮に見つめてしまった。

 ダイン 「わわっ!」

慌てて顔を背けるダイン。

 シャル 「あら、ダインさん? どうなさいまして?」
 クラナ 「お前が露出狂の如く晒している肌がキツかったんだろう」
 シャル 「その言葉はあなたが言っても全く説得力がありませんわね。(ダインを見下ろして)ダインさん、顔を上げてください。わたくしは己の体には自信を持っています。それを殿方に見て頂けることは、誉れであれ恥ではありませんわ」
 ダイン 「そ、そういうわけにも…」

ダインは顔を真っ赤にし俯いたまま言った。
この温泉は低い山の頂にあるが、それでも、立ったクラナたちの腰の高さにも及ばない。
ということはつまり、この温泉からは全裸である二人の女性たる部分を眼前に見上げることが出来てしまうのだ。
ダインが思うにもっとも秘すべき部分を、手が届くような距離に見てしまう。
あまりにも不躾だ。というのがダインの持論なわけだが、どうやらそれは魔王たちには通用しないらしい。
悩ましいものだ。

そんなダインをクスッと笑ったシャルは膝を折り、ダインのいる温泉に寄り添うようにしゃがみこんだ。
座っても、頂にある温泉はシャルの目線の下だ。今、ダインの視界の正面と左右はクラナの巨大な股間と太ももに遮られているが、その一方、ダインから見て左、クラナから見て右の位置に優雅に腰を下ろしたシャルの顔が、ダインの左手、クラナの右太ももの上に見ることが出来た。

 シャル 「ではこれでいかがでしょう。これでダインさんも気に病むことも無いかと思うのですが」

確かにこの位置からならシャルの顔、せいぜい胸から上しか見えないので、股間を見上げながら会話するよりはずっと楽だった。
ダインはようやく顔を上げた。

 ダイン 「……すまん」
 シャル 「くすくす、ダインさんは紳士でらっしゃいますのね」
 クラナ 「ただのヘタレというものだ」
 ダイン 「お前はもう少し隠せ!」

二人の魔王がくすくす笑いながら見下ろしてくる中、ダインは悲鳴に近い怒声を上げた。

 ダイン 「まったく……。でもクラナはともかく何でシャルまで来たんだ?」
 シャル 「ええ、今回の件でダインさんにお礼を申し上げたくて」
 ダイン 「だからあれは俺が好きでやったことだし、お礼もう何度も言ってもらったから大丈夫だよ」
 シャル 「しかしどうしてもまだ感謝し足りなくて…」
 ダイン 「……律儀だね。いい領主だよ」

ダインが困ったように笑いながら見上げると、シャルはクスッと笑った。

 シャル 「というわけでダインさんのお体に御奉仕させて頂こうと参りました」
 ダイン 「ぶはっ!」
 クラナ 「ほう? まさか私の目の前でダインに手を出すのか?」
 シャル 「あら、わたくしはただダインさんのお体を洗って差し上げるだけですわ。あなたの桃色の頭はいったいどんな想像をしていたのかしら、クラナ」
 ダイン 「う…」(赤面)

クラナをせせら笑うシャルの言葉に、いたたまれなくなるダイン。

 シャル 「いかがでしょう、ダインさん?」
 ダイン 「い、いや、体くらい自分で洗えるから…」
 シャル 「ふふ、わたくしに任せていただければ体の隅々までじっくりと洗わせていただきますよ?」
 ダイン 「ッ…!」

くすっと笑うシャルに、思わずタオルで覆われた股間を隠すダインだった。

 クラナ 「まったくお前は。お前がダインに奉仕してしまっては私がここに出向いた意味が無いではないか」
 ダイン 「お前、一発ヤりにきたとか言ってなかったか?」
 クラナ 「うむ。一発ヤったあとで汚れた体を洗ってやろうと思ってな」
 シャル 「そんなことをすればあなたの行為でこの温泉が滅茶苦茶になってしまいますわ」

すでに滅茶苦茶な気もするがな。

ともあれ二人とも一応背中を流しに来てくれたというわけか。
魔王の二人に気を使ってもらえてると思うと、この小さな体にはこそばゆいな。 

ダインはなんだかんだ言い合いをする二人の巨大な魔王を苦笑しながら見上げていた。
そのときだった。

 シーリア 「ダイーン、一緒にお風呂入ろー」
 アリーネ 「シーリア! あんたもタオルを巻きなさい!」

クラナの足のせいで半壊した建物の入り口からアリーネとシーリアの姉妹が現れ、ダインやクラナとシャルもそちらを向いた。

 ダイン 「あれ、お前達…」

そうやってトテチテ走ってきたシーリアだが、湯船の上に腰を下ろす巨大なクラナを見上げ固まった。

 シーリア 「わー、おっきいオマn」
 アリーネ 「言うな! …っていうか、ま、魔王様!?」

シーリアの口を押さえた姉のアリーネは、自分達を見下ろしてくる二人の魔王の姿を見上げ、体を震わせた。

そんな魔族の姉妹を見下ろしていたクラナはニヤリと笑った。

 クラナ 「くくく、おいダイン。確かにこいつらはお前よりもずっと年上かも知れないが、だからってこんな見た目の幼い娘達に手を出すとは…」
 ダイン 「出してねぇよ!」
 シャル 「ダインさん、本当に苦労してますのね…」

シャルのため息が、咆えるダインや姉妹の髪を揺らした。

 ダイン 「はぁ……、で、どうしたんだ? ここはご覧のとおりの有様だけど」

クラナの巨大なお尻のせいですでに温泉なのか廃墟なのかもわからない露天風呂に腰掛けるダインは周囲を示すように手を軽く振りながら言った。

 シーリア 「お姉ちゃんがね、ダインと一緒にお風呂に入りたいってー」
 アリーネ 「ち、違うわよ! 私はただ村を救ってくれた恩返しに背中を流してあげてもいいと思っただけで…! で、でもまさか魔王様がいらしてたとは…! 決してお邪魔をするつもりはなくて……お、お許しください…!」

アリーネは床に跪き頭を下げた。
体は震えたままだ。
つまりこれが、魔王と魔族の立場の関係なのだろう。
見た目にまだ幼い少女ですら、その身を震わせて赦しを請うほどに恐るべき存在。
それが、魔族にとっての魔王なのだ。
恐れ、敬い、崇め奉るかのように頭を垂れる。
魔王の癇に毛ほども障ると言うことは自身の死を意味しているのだ。

ダインは子犬のように体を震わせ赦しを請うアリーネの姿を見て、魔族にとって魔王が如何に絶対的な存在であるかを改めて認識した。

 ダイン 「…この魔王がねー……」

視線を前に戻せば、そこには自身の秘所を恥ずかしげもなくおっぴろげながら頭をポリポリと掻くなんともだらしない魔王の姿があった。

 ダイン 「あー…、そんなに頭を下げなくていいよ。この二人はそんなこと気にしないさ」
 シャル 「ふふ、そうですわ。魔王たる器を持つ者、些事は気になら無いものですわよ」
 クラナ 「私が温泉を壊したことには不満を言ったではないか」
 シャル 「当たり前ですわ! 私がどれだけ手をかけてこの温泉と庭園を作ったと思ってますの!?」

ガーッ! というシャルの怒鳴り声にアリーネの体が更に震え上がる。

流石に見ていられなくなったダインは、すでに湯の無くなった温泉から上がると震えるアリーネのもとに向かった。
跪く姉を横でキョトンとしながら見下ろしていたシーリアが、近づいてくるダインに気づく。

 シーリア 「あ、ダイン!」
 ダイン 「ああ。アリーネ、そんな怖がらなくても大丈夫だよ。たしかにあの二人は圧倒的な力を持つ魔王で、君達魔族にとっては絶対的な存在なんだろうけど、だからって理不尽に君達を罰したりしないさ。まぁ少々茶目っ気もあるのは事実だけどね」
 アリーネ 「だ、ダイン…」

アリーネは恐る恐る顔を上げた。
ダインは笑いながら手を差し出した。

そんな二人を見下ろしながら二人の魔王は、

 クラナ 「ほれみろ、お前が短気を起こすから娘を怖がらせたではないか」
 シャル 「く…っ! あなたという存在そのものがわたくしの鬼門ですわ…! いいからあなたはとっととそこから下りなさい! いつまでたっても直せないではありませんの!」
 クラナ 「やれやれ、一々うるさい奴だ」

クラナはいかにも「やれやれ」と言った感じのリアクションをするとボン! と音を立てて小さくなり風呂場に立った。

 シャル 「まったくあなたは…」

クラナがどいたあと、シャルはブツブツと文句を言いながらクラナの体で破壊された温泉と庭園を魔力で修復していった。


  *


シャルの手で元の美しい景観を取り戻した温泉。
そんな温泉に浸かる一同。

 クラナ 「ふぅ…なかなかいい湯じゃないか」
 シャル 「よくもまぁぬけぬけと…」
 ダイン 「ま、まぁまぁ…」

リラックスした様子で言う小さくなったクラナに、同じく小さくなりその横で湯に浸かるシャルが拳を震わせ、ダインが仲裁に入る。
ちなみにクラナとシャルもタオルを巻いている。シーリアが真似をしてタオルを取ろうとしたからだ。
ちなみにそのシーリアは広い温泉を泳いでいる。

 シーリア 「お姉ちゃーん。気持ちいいよー」
 アリーネ 「シーリア! お風呂で泳いじゃダメって言ってるでしょ!」

ホントにもう!
と言った感じで、ダインの横で湯に浸かるアリーネは憤慨している。

 ダイン 「まぁ…元気があっていいんじゃない?」
 アリーネ 「ダメよ! あの子はすぐ調子に乗るんだから! だいたいおじさんもあなたも何でシーリアを甘やかすの!?」
 ダイン 「いや、甘やかすって言うか、単純に手に余ると言うか…」
 アリーネ 「まったく、他人事だと思ってテキトーなこと言って! 姉の私の身にもなって欲しいわ!」
 ダイン 「でもまだ子供だし、そんな無理にしつけなくても…」
 アリーネ 「あなたたち大人がそうやって甘いことを言ってるからあの子がつけあがるのよ!! 子供を育てるのは大人の義務! その大人が教育に手を抜いたら子供は立派な大人になれないじゃない!!」
 ダイン 「ご、ごめんなさい…」

ビシッと指差して言うアリーネに頭を下げるダイン。
気迫では勝てる気がしない。

 アリーネ 「大人は自分の教えたことが子供の人生の基盤を作ることになると理解しているの!? 半端な覚悟で育てられた子供が将来どんな思いをするか考えたことがあるの!? あなたも大人なら子供の教育にはしっかりと責任を持ちなさい!!」
 ダイン 「すみません…」

立ち上がって言うアリーネに、湯の中で正座をして話を聞いているダイン。

それを横から見る魔王たち。

 クラナ 「くくく…あれが昼間魔王と張り合った男の姿とは信じられんな」
 シャル 「あなたも他人の事は言えないでしょう? それより体を洗いましょう。あの調子だとあの二人、あのままのぼせてしまいますわ」

シャルは、放っておけばいつまでも説教を続けそうなアリーネとそれを聞いているダインを見ながら言った。


  *


そんなこんなで体を洗う。

椅子に座るダインのもとに、

 シーリア 「ダイーン、体洗ってあげるー」

タオルを持ったシーリアと、

 アリーネ 「こ、これはただお礼の為にやっているんであって、人間に心を許したわけではないわ! 勘違いしないで頂戴!」

ぶつくさと文句を言うアリーネがやってきて、二人でダインの背中を流していた。
ダインは苦笑しながら二人に背中を預けている。

その横で、

 クラナ 「随分と好かれたものだ。これもダインの力だな。うむうむ」(うなずく)
 シャル 「そうですわね。それはそうと頭を動かさないでくださいまし、洗えませんわ」

椅子に座るクラナはシャルに髪を洗ってもらっていた。

 シャル 「美しい髪…。もっと手入れをしないともったいないですわよ?」
 クラナ 「髪などただ漫然と伸びるだけのものだ。邪魔になれば切ればいい」
 シャル 「あなたはもう少し身だしなみに気を遣うべきですわ」

クラナの、さも鬱陶しいという物言いに、ため息をつくシャル。
そんな二人のやり取りを見て、

 ダイン 「(本当…なんだかんだと仲いいよな)」

ダインはクスッと微笑んだ。


ダインは空を見上げた。
そこには薄い湯煙の向こうに満天の星空と大きな満月が浮かんでいる。
人間界で見るのと変わらない夜の空だ。

自分は今、二人の少女に背中を流してもらっている。
自分の横では、二人の少女が体を洗っている。

しかしそのいずれも、人間ではない。
背中を流してくれている少女達は歴とした魔族であり、横の少女達は歴とした魔王だ。
ここは人間の土地ではなく、彼女達魔族の住む世界である。
人間である自分は異端。相容れない存在。
しかしここには、人間のそれと変わらない平和があり慈愛と優しさがある。
姿形や意思や常識は違えど、平和を願う心は一緒である。
手を取り合える。こうして共に湯に浸かるくらいに。

今日と言う日も終わりを迎え、ダインは自分の中にあった魔族に対する偏見がなくなっているのに気づいた。
魔族は忌むべき存在。人間を絶望に堕とすことに愉悦を感じる種族。そう思っていた。

しかし実際はこんなにも温かい種族なのだ。
確かに邪悪と呼べる魔族もいた。だがそれはほんの一握りであり、ほとんどの魔族が平和な日常を望んでいると理解した。
人間もそうであるように、はみ出し者はいるのだ。しかしそれがすべてではない。

人間と魔族。住む土地、姿は違えど、その心に違いは無い。
ダインは、今日と言う一日で、それを心にしみるほどに理解していた。
自分がそうであったように、互いに対する一方的な偏見が無くなれば、両種族はいい関係を築けるだろう。

もちろん、今はまだそれは夢物語だ。
今は、自分ひとりが魔族を理解したと言うだけの話。まだまだ先はずっと長い。


でも、いつかはきっと…。


そんなことを考えながら、ダインは頭上に浮かぶ真白い満月を微笑みながら見上げていた。



 クラナ 「おいおいダイン、幼女たちに体を洗われて興奮するなよ」
 アリーネ 「えぇっ!?」
 ダイン 「してないよッ!!!」

ダインの怒声が満天の星空に吸い込まれていった。

同時にダインは、人間と魔族が偏見無くお互いを理解するためには、まずこの赤い魔王をどうにかしなければならないのだと悟った。



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 ~ 魔王クラナ ~


『 誰が為に Ⅱ 』 END

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