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 〜 魔王クラナ 〜


番外 「エリーゼの一日」

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絶海の孤島。
四方を海に囲まれたこの島に山よりも大きな城が建っている。
エリーゼの城だった。

城の中は恐ろしいほどに質素で、家具と呼べるものはほとんど無い。
床にはホコリがまるで雪のように降り積もり部屋の隅などは10m近い高さの塵の山が出来上がっている。
そんな城の奥にある寝室。
この部屋だけはそれなりに綺麗だ。
とは言ってもそれはホコリが積もっていないという程度の話。
隅には塵がたまっているしゴミだって落ちている。
そしてその部屋の真ん中に設置されたベッドで眠るのはエリーゼ。
いつもどおりの格好。
被る布団も無く、ベッドの上で大の字だ。
流石に普段使われているベッドの上にはホコリは積もっていなかった。

「ふぁ〜…」

やがて、むくりとエリーゼが起き上がる。
目が覚めたのだろう。眠たげな目をぐりぐりと擦る。
そしてベッドから立ち上がると城の外へと歩き出した。

外へと出たエリーゼは島の海岸まで来ると自分のお腹をさすった。

「お腹空いたな〜…」

暫く海を見ていたエリーゼはやがてその海へと飛び込んだ。


 *


海を行く大型漁船たち。
計3隻からなる船団の船内には無数の魚を満載しておりまさに大量だった。
そしてさらにはそれぞれの船の後ろに引っ張られる大きな鯨。それぞれ20mほどはあるだろう。
その船団の船員が船長に話しかける。

「お頭、今回は大量でしたね」
「当然だ。ここは誰も近づかない海の果てだからな」
「しかしお頭。魚なんて1日で満載になっちまったのになんでその後3日も粘って鯨なんかとったんすか? それも3頭も」
「ここいらの海域は通過するときたまに化け物が出るんだ。そしたら鯨を渡した隙にとんずらするんだよ」
「化け物っすか。でもこの船、銛も大砲も積んでるんだから戦えばいいじゃないっすか。せっかくの鯨っすよ?」
「鯨なんか無くったってこの満載の魚で十分金になる。いいか、もし化け物が出ても絶対逆らうんじゃねえぞ!」

お頭こと船長の一声に船員は閉口した。
これだけの装備を整えた船なのに。
まるで軍艦を彷彿とさせるこの漁船を以てしても戦ってはいけないのか?
それほどの化け物とはなんだ? 大ダコ? 大サメ?
ふぅむ。船員は首を捻った。

そのときである。
マストの上で周囲を警戒していた船員が騒ぎ出した。

「頭! 右舷方向からでっかい影がこっちに向かってくるっす!」
「なにぃ!?」

確認しようとお頭が船の淵に走り寄ると、遠方に大きな影とそれを追従するように大きな波が打ち分けられているのが見えた。
その影はこの船よりもはるかに大きい。
お頭は舌打ちをした。

「出やがったか! 船につかまれ!」

 ザバァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!

お頭の怒声が発せられるのとほぼ同時にその影の主は大量の海水を滴らせながら姿を現した。

「み〜っけた」

現れたのはエリーゼ。
船団の船員たちは突然現れた巨人を前に混乱した。
この船団の船はいずれも全長30m超級だがそれらすべてを集めても比較にならない大きさの巨人なのだ。
巨人は笑ったままこちらを見下ろしている。
海面から出ているのは胸から上だけだというのに、マストの上の船員さえ高みの双眸から見下ろされていた。
なんという大きさだ。
慌てて攻撃準備をしようとする船員達をお頭が静止する。

「馬鹿野郎! やめろっつっただろ!!」
「し、しかしお頭…」
「いいからとっとと鯨を切り離しやがれ! 間に合わなくなるぞ!」

怒鳴り散らすお頭。
その号令は2番、3番の船にも轟いていた。
船員たちが大慌てで船尾の鯨を外すために動き出した。
そんな船団を見下ろしていたエリーゼは、

「この鯨もらうよ」

それぞれの船に牽引されていた鯨に手を伸ばす。
エリーゼの巨大な手が海中より現れ鯨を掴んだ。
ギリギリその直前に鯨を切り離せたお頭は盛大に安堵の息を漏らした。
1番目、3番目と鯨を掴んでゆく巨大な手。
あの巨体の鯨が尾を掴まれて持ち上げられてゆく。
鯨の総重量はこの船よりも重い。つまりはその気になればこの船も簡単に持ち上げられるということだ。
船員達があまりに圧倒的な力を前に震え、エリーゼが2番艦の引く鯨に手を伸ばしたときだった。

「撃てぇ!!」

 ドォン! ドォン!

2番艦の準備された大砲がエリーゼに向かって放たれた。
砲弾は迫る手に当たり爆発する。
お頭は驚愕の表情を浮かべ、大慌てで船尾に走り寄ると2番艦に向かって怒鳴った。

「な、なんてことしやがる!」
「折角の鯨だぞ! 逃す手はないだろう!!」
「馬鹿が! 今までにそうした連中がどうなったか…」

ハッとしてお頭はエリーゼの顔を振り返った。
見下ろす顔からは笑顔が消えていた。
殺される…と思ったがそこに殺意の冷たい表情はなく、かわりにきょとんとした表情を浮かべていた。
目をパチクリさせ、今起こったことを考えているようだ。
にかぁ。
エリーゼは笑った。

「あはは、全然痛くないよ」

ケラケラと笑っている。
一発で船を沈めることができる大砲を食らったにも関わらず。
実際そこに傷などなく、火傷すら負っていなかった。
エリーゼは再び手を伸ばす。

「ダインと約束したからもう人間は殺さないの。これももらうね」

鯨を掴み持ち上げる。
ところが2番艦は鯨を切り離していなかったためにエリーゼが鯨を持ち上げたとき一緒にあがってしまった。
垂直に宙吊りになる2番艦。
船員は慌てて船にしがみついたが何人かは海へと落ちて行った。

「あ、これはいらないのに」

言うとエリーゼは鯨と船を繋いでいる鎖をちぎった。
切り離された船は海へと落ちていったが垂直に落とされてまともに着水できるはずもなく転覆してしまった。
船を切り離したエリーゼは船員達に手を振った。

「ありがとー。じゃあね」

くるりと向き直ったエリーゼは鯨を3頭抱えたままザブザブと泳ぎ去って行った。
残った1番3番の船員たちは慌てて2番の船員の救助に当たった。
そんな中、凍りついたように固まっていたお頭は盛大に息を吐いた。
額にはびっしりと汗をかいている。
そうだ。今まさに生死の分け目を通過したのだから。
これまであの巨人に遭遇した船団は例え食料を渡したとしても壊滅させられることが多かった。
船をぐしゃぐしゃに壊され島ひとつ見えない大海原に取り残されるのだ。
かつて、お頭がまだ下っ端だった頃、同じ様にあの巨人に遭遇し、船団は壊滅させられた。
酷いものだった。
10以上いた漁船たちは代わる代わる掴まれて、握り潰されたり両手で挟み潰されたり遠くへ放り投げられ海面に叩き落された。
人間が乗っていようがお構いなし。むしろ人が多い船から狙っていった。
当時のお頭が乗っていた船も巨大な手で持ち上げられたあとに壊されバラバラと海面へと降り注いだ。
それら船の残骸と共に海へと落とされたお頭は、近くに浮かぶ木片にしがみつきその船団を襲った化け物を見上げた。
女の巨人だった。
まだ餓鬼のような顔つきの。
そんな化け物が笑いながら次々と船を壊している。
最後、船団の旗艦がその大木よりも太い巨大な腕で抱き潰された。
バラバラと降り注ぐ残骸がお頭や船員たちの浮かぶ海に波を立てる。
無事な船が一隻もなくなると化け物は何処かへと泳いでいった。
そこに無数の船員を残したまま。
あれから数十年。
またあの化け物にあっても、決して逆らうまいと誓っていた。
敵う存在ではないと理解していたからだ。
どんな装備を整えたとしても、13からなる船団を数分で藻屑に変えてしまう化け物に抗えよう筈もない。そう決めていた。
そしてまたあの化け物に遭い当時の恐怖を思い出し今にも震え上がりそうになりながらもなんとか最善の方向へ運ぼうとした。
とにかく逆らってはいけない。
機嫌を損ねればそれこそかつての二の舞。
瞬く間に壊滅させられてしまう。
あの時は3日後、運よく船が通りかかったから助かったもの。今度も同じ様な奇跡が起こるとは限らないし今度こそ殺されるかも知れないと。
だからこそ貢物として鯨を捕っておいたのだ。この海域に来るときはいつもそうしていた。
だが、鯨を捕る本当の意味を部下達が理解していなかった。
あろうことか鯨を守るために巨人に攻撃。
その瞬間頭は全身から血の気が引き、身体が凍りついた。
殺される!
そう思って巨人の顔を仰ぎ見たが予想外、巨人は笑顔だった。
それから巨人は鯨だけを回収して去っていた。
2番艦が壊れたがそれは鯨の提供を渋ったのが原因だ。

今、自分は生きている。
お頭はまた盛大に安堵の息を吐き出した。


 *
 

近くの海を渡っていた人間の船から鯨を貰ったエリーゼは島まで戻ってくると砂浜に座り込んで海を見ながら鯨を食べ始めた。
生のままでも問題ない。それに海の動物は塩気が効いていて食が進む。
結局鯨三頭はペロリと平らげた。

「はぁ…お腹いっぱい〜」

お腹を撫でながらパタリと砂浜に横になる。
が、すぐに起き上がる。

「このあとどうしよっかな〜…」

う〜ん。
と唸りながら砂浜の砂でペタペタと山を作る。
あっという間に10mを超え、20mを超え、30mを超えた。
エリーゼが思考する1分の間に高さ30m超の砂山が作られた。
人間の作るそれの100倍。人間はその山に登山することができる。
そして山の完成と同時に閃く。

「お散歩しよ」

立ち上がったエリーゼはたった今つくった山を踏み壊した後、島の反対側へと向かった。
そちら側の海は浅くエリーゼやクラナほどの巨体なら歩いて横断できる。
海の上をザブザブと歩く。
靴を履いたままなので中に水が入ってくるがエリーゼは気にしない。
30分ほどの歩行の末に大陸にたどり着く。
上陸を果たしたエリーゼはキョロキョロと辺りを見渡す。
どこに行こう。
この辺りは住み着いて数千年になるので地形に関して知らないことはない。
だからちょっと遠くに出かけてみようか。
とりあえずは右。
エリーゼは水の入った靴をじゃぽじゃぽ鳴らしながら海岸にそって歩き出した。

再び30分。
いけどもいけどもエリーゼの興味を引くようなものはない。
山川森はいくらでも見かけるが人間に縁のあるものは出てこなかった。
というのも過去にエリーゼがここら一帯の人間の街を滅ぼしてしまっているからだが。
歩く途中、その成れの果てらしき廃墟のようなものもあった。
といっても既にエリーゼの記憶の中にここに街があったという記憶はなく、唯一残っていた廃墟はしっかりと踏み砕かれ街は完全に消え去った。
街を二度滅ぼしたことに気付きもしないエリーゼはキョロキョロと辺りを見回しながら歩く。
エリーゼの散歩とは歩くことを楽しむのではなく何か面白いものを探すことである。
だから足元を見るときも遠くを見るときも常にくるくると首が動く。
しかし何か面白そうなものを見つけたときはうってかわってわき目も振らずに走り寄る。
そう、丁度こんな風に。
ピタ。
くるくる回っていたエリーゼの視線が止まった。
その視線の先には切り立った岬とそこに立つ灯台。
キラーンと目を光らせたあとダッと走り出すエリーゼ。

あっという間に傍まで駆け寄る。
視界に捉えたそれは思ったより小さく、崖の上に立っている事を含めても50mほど。それだけの高さだと20mほどだろうか。
どちらにしろエリーゼの膝よりも少し高い程度。

「なんだろうコレ」

エリーゼは目を光らせたまま灯台の周りをくるくると回る。
崖の側からでも四つんばいにならなければ視線を同じ高さにあわせることができない。
陸の側からだと四つんばい+上半身を伏せるような格好になっても視線は上だ。
その格好のまま顔をぐいと寄せる。
加工された石で造られているそれは間違いなく人間が作ったものだ。
なんのために造ったんだろう。
なんでこんなところに建てたんだろう。
エリーゼは灯台を知らない。
ここにダインがいれば解答を得たかも知れないが。
よくみると表面に幾つか穴が空いていた。窓だろうか。
大きさは1mほどで、エリーゼはその穴から中を覗き込もうと更に顔を寄せた。
前髪が灯台にかかるほどの距離だ。
残念ながら内部は暗く詳細を伺うことはできなかったが、目を近づけてみて改めてその建物が精巧に作られていることがわかった。
未知の物体を間近で観察できてわくわくする。
エリーゼはまるで犬がしっぽを振るようにお尻を左右に振っていた。
もしもその光景を背後から見ている人間がいたら、山のような巨大なお尻がぐいぐいと動いている様は圧巻だっただろう。
手を伸ばし灯台に触れるエリーゼ。
石造りの冷たさと頑丈さを肌に感じた。
直径は7mとさほど太くは無く、片手で掴むことができた。

「えへへ、ダインに見せてあげよっかな〜」

これを持って帰ってダインを入れて遊ぼうか。
きっとこの小さな穴からひょこっと顔を出してくれるはずだ。
面白い。
うん、持って帰ろう。
そう思ってそれを引っこ抜こうと手に力を入れたのだがそうしたらそれはぐしゃりと壊れてしまった。

「あ!」

エリーゼの小さな悲鳴も空しく、瓦礫となった灯台はエリーゼの手からガラガラと崩れ落ち海へと落ちて行った。
残念そうに眉を寄せ手に残った瓦礫を払い落としながら立ち上がる。

「あ〜あ、せっかく面白いもの見つけたのに」

暫し灯台のなくなった岬を見下ろしていたがやがて別の面白いものを探すため歩き出した。
ちなみに、灯台は使われなくなって久しく、中に人間はいなかったそうな。


 *


あれから30分。
まだエリーゼは歩き続けていた。
散歩に出てまだ1時間半と少ししか経っていないがすでに400㎞以上の距離を歩いている。
今は海辺を離れ内陸を突き進んでいる。
足元を見ながら歩いているのでそれなりに気も使っていた。
木や森は避けるし川も跨ぐ。
なるべく平地を歩くようにしていた。
もう面白いものを壊したくなかった。
ピタ。
そんなエリーゼがふと視線を上げたとき、目はそこにあるものを捉えた。
大きな山。
標高2000mほどの緩やかな山だ。
当然だが巨体を誇るエリーゼでさえ見上げる大きさだ。

「あ。あれに登ったらもっと遠くまで見えるかな」

思いついた後の行動は早い。
エリーゼは山に向かって走り出した。
こうなるともう足元は眼中にない。
森のど真ん中を突っ切りあとには竜巻が通ったように木がなぎ倒されていた。
山の麓を通過してその斜面を登っていくがその速度は変わらない。
強靭な脚で山肌を駆け上がりあっという間に頂上へと到達した。

「とうちゃ〜く!」

ズン!
水のたまった火口へと踏み入った。
山の発見から1分と掛からぬうちにエリーゼはその山頂へと立った。
2000mの山。
人間から見れば数時間の登山となるほどだが、エリーゼから見ればちょっと高い砂山だ。
人間に換算すると20mの山だ。斜面がきついわけでもないし楽に登りきった。
頂上から辺りを見回してみるといつもよりもずっと遠くまで見ることができた。

「すご〜い」

360度どこを見渡しても視界を遮るものはない。
どこまでも見通すことができる。
こんなにいい眺めは見たことない。
森も山も、大地と空が交じる地平の果てへと続き、一方に見える海は陽光に照らされキラキラと光りまたその碧もすごく澄んでいることがわかった。
雲も手がとどきそうなほど近い。
青い空を流れてゆく白い雲。
あまりにのどかな光景に、エリーゼは火口に座り込んで見とれていた。

ちなみに、遠方の人間の村では、山の上に巨人が座っている光景がシルエットになって見えていたという。

しばらくぼーっと空を眺めていたエリーゼ。
そのお腹が鳴った。

「お昼たべよ」

立ち上がり山を下りたエリーゼは麓の森へと足を踏み入れた。
なかなか広い森だ。高さ10mほどの木々がぎゅうぎゅうに生い茂っている。
森の中を歩きながらエリーゼはくんくんと鼻を利かす。
ピクン。
何かの匂いを嗅ぎ分けた。
視線を一点に集中させ、そこの木々の間に手を突っ込んだ。
するとエリーゼはにかっと笑った。

「つっかまっえた〜♪」

ズボッと手を引き抜くと指の間には1匹の動物が捕まっていた。
猪のようだ。
エリーゼはおもむろにそれを口に運ぶ。

 パクッ モグモグ

猪はあっという間にいなくなった。
もちろん猪一匹でエリーゼの腹を満たせるはずもなく手は次々と木の間に隠れている動物を捕らえていく。
エリーゼはなんでも食べる。
ダインの調査によると好き嫌いは無く肉の生か焼きかも区別しない。
クラナ曰く、口に入るものならなんでも食べる、とのこと。
雑食この上ない。
あらゆる動物を胃におさめてお腹も膨れた。
だが手にまだ動物が一匹。これを最後にしよう。
エリーゼは手に乗っていた動物をポイと上に放り投げ落ちてきたところをパクンとキャッチした。

「はぁ、お腹いっぱい」

たくさんの動物のつまったお腹を撫でてエリーゼはまた歩き出した。


 *


しばらく。
あれからかなりの距離を歩いたがめぼしいものは見つけられなかった。
今日一番の収穫はあの岬に立っていたものと山の上から見た景色だけ。
もう帰ろうかな。
そんなことを考えながら次の一歩を踏み出したときだった。

「うわぁ!」


声がした。
足元を見下ろしてみると自分の靴の周辺で数人の人間が尻餅を着いている。
で、よくよく見てみると近くには家らしき建物がちらほらと建ちその周辺にはまたたくさんの人間がいた。
考え事をしていたので気付かなかった。
先程までは森を歩いていたのだがどうやら今は森を抜けてその近くの村に差し掛かっていたらしい。
今気付かなければ確実にその村に足を踏み入れていただろう。
結果、ダインとの約束を破ってしまっていたかもしれない。

「あ!」

そうだ。
今、足の周辺にはたくさんの人間がいた。
もしかしたら足の下にも…。
エリーゼは恐る恐る足を持ち上げて下を確認した。
だが何かを踏みつけたような痕跡はなかった。

「よかった…」

ほっと一息。
足の周辺で尻餅を着いていた村人達はエリーゼの足が持ち上げられると慌てて逃げ出していた。
潰されると思ったのかもしれない。
別にそんなつもりは無かったのに人間達は必死になって逃げてゆく。
面白い。
そういえば前は人間は見つけたらすぐ殺していたからこうやってじっくり見ることなどなかった。
エリーゼは改めて村を見渡してみた。
たくさんの小さな人間たちがこっちを見上げている。
逃げ出しているものや家の中に隠れているものもいた。
しゃがみこんでみよう。
するとよりはっきりと彼等の動向がうかがえた。
逃げ出すものと隠れるものが増え自分の周囲にはひとりもいなくなった。
ちょっとしゃがんだだけなのに大慌てで逃げ出して。

「くすくす、かわいいなぁ」

少し前ならこんなこと思いもしなかっただろう。
ダインと出会って価値観が変わった。殺す必要はない。
エリーゼは暫く逃げ惑う彼等を見つめていた。
その時、逃げ出した一人の若者が盛大に転んだ。

「あ、大丈夫?」

起こしてあげようと手を伸ばした。
自分に向かって巨大な手が迫ってくるのを見た若者は慌てて立ち上がり脱兎の如く走り去った。
残されたエリーゼは複雑な気持ちだった。

「そっか〜、やっぱりあたしたちと接してくれるのはダインだけなんだね」

伸ばした手を引っ込める。
村にある家。この家の中には何人もの村人が隠れているだろう。
エリーゼなら屋根を引っぺがしたり家をひっくり返すのは簡単だ。
でもそんなことをしたらダインが怒ると思ったのでやめておく。
やがて逃げ出した村人たちは村の反対側に集まってこちらを伺っていた。
この村は森の中にぽっかりと空いた木のない場所に位置する。
四八方を森に囲まれているので隠れるには適するが逃げるとなると話は別。
きっと自分がいなくなるのを待っているのだろう。
まぁもともと彼等をどうこうしようというつもりはないのでこのまま立ち去るとしよう。
エリーゼは立ち上がった。
そしてこの村を後にしようと背を向けたとき背後の逃げ出した人々の中から悲鳴が上がった。
何かと思って振り返ってみると彼等の背後の森から大きな動物が現れていた。
体長10mはあるかという大きな熊だ。
二本足で立ち太い両腕を広げ唸り声を発している。

「ぐ、グリズリーだ!!」
「でかすぎる…!」

そんな村人の声が聞こえた。
村の外に固まっていた村人たちは村の方に向かって逃げ出してきた。
その背後からグリズリーが襲い掛かる。
太い腕を振り回し次々と村人を殴り飛ばしている。
動物の巨大化はままある。
生息する環境が素晴らしく適しているとその成長は止め処ない。
かつてダインを襲った虎がそうであったように。
人間が介入しない森などではよくあることだった。
ただ、ここら一帯の森はこの村人もよく入るだろうにも関わらずその村人がその存在を知らないということは、どこかから流れてきたのだろう。
もしくは突然変異。
魔力に取り込まれた動物の肉体異常で巨大化したか。
だが取り込まれることはあっても、動物が魔力を操るということは無い。
魔力の源は意思。知力がなければ操れない。
本能だけではそれを操ることはできないのだ。
もしかしたら森の奥地で暮らしていたがエリーゼの出現に混乱して森から出てきたか、だ。
もちろんエリーゼがそんなことを知る由も考える由も思いつく由もなく、グリズリーを目にしても「あ、熊だ」というほどの感想しか浮かばなかった。
その熊に村人は次々とやられている。
死人は出ていなそうだがやられた人間はその場に蹲ってしまっていた。
村人も桑やら何やらを持って戦おうとしているが小さな人間から見れば10mでも巨大な猛獣だった。
まるで歯が立たない。
その様子を眺めていたエリーゼは「ピコーン!」と思いついた。

「人間を助けたらダインが褒めてくれるかもしれない」

エリーゼはダインが頭を撫でてくれるところを想像した。
うん。それはいい。
早速行動に移ろう。

グリズリーの腕が振られるたびに数人の村人が吹っ飛ぶ。
かれこれ10人近くがやられてしまっている。
そして次に腕が振り下ろされる先には、先程転んでもエリーゼに助けられるのを拒んだあの若者がいた。
彼はまた尻餅を着いていた。
既に周りの村人は逃げてしまいそこに残っているのは彼一人。
怯え腰の抜けた彼は振り下ろされる2m近い太さの腕をただ見上げていることしか出来なかった。

 ドン!

その音を、彼は腕が振り下ろされたときのものだと思った。
しかし彼の両目は未だ健在で目の前の光景をしっかりと見ている。
振り下ろされていた腕とその腕の持ち主であるグリズリーが視界から消えていた。
なのに音は聞こえたのだ。
混乱から覚めてくると現状がどうなっているのか見えてきた。
目の前には二本の巨大な脚。
視線を上に上げて行くとはるか上空であのグリズリーが巨大な手に捕まっているのが見えた。

「はい、つっかまえた〜」

巨人は笑顔で手の中のグリズリーに話しかけている。
村人が束になってもかなわなかった巨大グリズリーが片手であっさりと捕まえられてしまったのだ。
腕と両足を動かしじたばたとしているがその指の檻は微塵も揺るがない。
するとグリズリーは巨大な指にガブリと噛み付いた。が、巨人は気付いてもいないようだ。

「大きくておいしそうだけど今はお腹いっぱいなんだよね。だからここの人間のご飯になっちゃえ」

言うとエリーゼは自分の指に噛み付いているグリズリーの頭部を摘み、くいっと捻った。
グリズリーの首は180度ひっくり返った。同時に暴れていた両手もだらんと垂れ下がる。
その様子にエリーゼは満足そうな笑顔を浮かべる。
ふと自分の足元で人間が尻餅を着いているのを見つけた。
しゃがみこんだエリーゼは空いている手を伸ばしその人間を摘まみ上げた。

若者は巨人の圧倒的な力に畏怖していた。
この巨人は女なのであろうに、あの恐ろしい猛獣グリズリーを簡単に縊り殺したのだ。
その巨人が自分を見下ろした。
瞬間、座りこんできたのだ。
布に覆われた女巨人の股間が凄まじい速度で下りてくる。
このまま潰されるのではないかと錯覚したほどだ。
座り切ったとき、若者の上にはとてつもなく巨大な女の股間があった。
あっけに取られていた若者を巨大な指が摘まみあげる。
潰される。
そう思って身体を強張らせたがそうはならなかった。
指は器用にその掌の上に自分を降ろした。
今、目の前には巨人の巨大な顔。
家よりも二周り以上大きな巨大な笑顔だった。
巨大だったが、とても可愛い顔だった。

「大丈夫?」

巨人が語りかけてくる。
が、若者は起きていることを理解しきれずに呆然としてしまっていた。
巨大な目がくるくると動く。
エリーゼはその人間の身体を見てみたがどこもは大きな怪我はなさそうだ。
人間が乗っている手に持っている熊を近づける。

「はいこれ、悪い熊はやっつけたよ。これはあなたたちにあげるね」

言うとエリーゼはグリズリーを地面へ降ろした。
若者は突然目の前にあの巨大グリズリーを持ってこられて驚いた。
先程自分を捉えようとしていた猛獣だ。
それが目の前に、物言わぬ姿になって掴まれていた。
あの巨大な腕で殴られれば骨折、最悪死んでいたかもしれない。
そんな屈強な猛獣を、この巨人は笑顔のままにひと捻りにした。
なんという力だ。
その巨人の顔がまたにこっと笑ったかと思うと彼は地面へと降ろされた。
若者を地面へと降ろしたエリーゼは立ち上がり手を振った。

「じゃあね〜」

そして村に背を向けると再び森を横断して歩いて行った。
残された村人たち。
巨人と巨大グリズリーの襲来からなる混乱もだんだんと収まり、やがて村人全員で歓声を上げた。
ケガ人も大事にいたる者はいなく、更に巨大グリズリーの肉も手に入り今日は村人全員で熊鍋との事だった。
そんな沸き立つ村人たちのなかでひとり若者だけが呆然とあの女巨人が歩き去った方を見つめていた。
動悸が激しい。
身体が熱い。
脳裏に浮かぶはあの巨大な笑顔。
とある村の若者の心に、台風の様にやってきた巨人の娘。

若者は、巨人の娘に恋をした。


 *


ポツ。
何かがエリーゼの顔に当たった。
ポツポツポツ。
それは全身に降ってくる。
見上げるとそこには先程の青空が嘘のように分厚い暗雲に覆われていた。
それはすぐに豪雨になった。
エリーゼの全身をシャワーのような雨が洗い流す。

「むぅ! もー、せっかくいい気分だったのに!」

膨れるエリーゼ。
エリーゼは雨が嫌いだった。
雨が降ると海は濁るし森から動物はいなくなるし山は崩れやすくなるし太陽の明りもない。
何よりもあの青空を見ることができないのだ。
エリーゼは青空が好きだった。自分の髪と同じ色の空が。
大好きな空は灰色の雲に隠された。
その雲の下ではみんな同じ様に暗い色になってしまう。
太陽の下でキラキラ輝いているほうが好きだ。
だから、あの雲を吹き飛ばしてしまおう。

 ボン!

エリーゼの手に光の玉が現れる。
まばゆい光。
陽光を遮られたこの雲下の大地に新たな太陽が現れたようだ。
それはかつてクラナが森を焼き払ったときに放ったものと同じ。しかしそれ以上にまばゆい輝きを放っている。
拳大の大きさの光の玉。
エリーゼは大きく振りかぶるとそれを空に向かって思い切り投げた。
ズズン!
投げたときに体重の移動した前足が地面へとめり込んだ。
それだけの勢いもあり、玉はあっという間に雲の中へと消えて行った。
そして、数秒後------

 ドオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ……………ン!!

雲の中で大爆発が起こった。
それは雲が空を覆っていたように空を埋め尽くし一面に太陽の何倍という光が降り注いだ。
目も開けられ無い爆光。
それは世界が元の景色を取り戻すまでに更に数秒の時を必要とさせた。
そしてその爆光が去ったあと、その空に雲は無かった。
一面が青。空は青空を取り戻した。
その青い空を見上げてエリーゼは微笑む。

「うん、やっぱり青空が好き〜」

くるくると小躍り。
だが、ピタッと止まる。

「そう言えば…」

前にダインが読んでくれた絵本。
その中の一つに、雨が降らなくて困ってる村の話があった。
もう何ヶ月も雨が降らない。
このままでは畑も村もダメになってしまう。
そうだ山の精霊様にお祈りしよう。
それから村人たちは毎日毎日高い山のてっぺんにある小さな社にお祈りに行った。
そして社に通い始めて100日目の日の夜、一人の村人の夢に山の精霊様が現れて言ったのだ。

「あなたたちの願いは確かに私の元まで届きました。他の村人にも伝えなさい。明日の昼、雨が降るでしょう」

次の日その村人は夢のことを村中に伝えた。
そしてその日の昼。村人たちは固唾を呑んで空を見上げていた。
するとどうだろうか。
先程まで雲ひとつ無い快晴だったのに雲が出てきたではないか。
その時。
ポツン。
村人のひとりの頬に一粒の水が落ちてきた。
雨だ。
それはポツポツポツポツ、村中の村人たちに落ちてきた。
やがてザ------------…と音を立てて振ってきた。
村人達は大手を振って喜んだ。
それからも村人達は毎日欠かさず山の精霊にお祈りし、村はいつまでも平和だったという。

そんな内容の絵本だった。
教訓としては善行は自らの為に成るとか信ずる者は救われるというものだがエリーゼはその辺までは考えない。
話の内容だけに興味を持つ。
で、その内容。雨を心待ちにしている人達もいるということ。
だが今自分は雲を吹き飛ばしてしまった。
せっかく雨が降り始めたと思ったら雲が消えてしまい雨も止んだ。
きっとその人達はひどく落胆したことだろう。

「あわわどうしよう…」

ビクビクキョロキョロと挙動不審になるエリーゼ。
つい先日まで人間など歯牙にもかけなかったくせに落胆した人達を思うと申し訳なくなる。
単純…もとい純粋なエリーゼは絵本の村人に感情移入していたので自分が彼等を傷つけたと思い込んでいた。
だがどうしようもない。
雲を吹き飛ばすことはできるが作り出すことはできない。

「そうだ! 『山の精霊様』に…」

頼もうと思ったがエリーゼはその山の精霊の社のある山の位置を知らなかった。
もっとも空想の話なのだから実物は無い。
ますます慌ておろおろとするばかり。
そんなエリーゼの頬にポツリの水が落ちてきた。
空を見上げるとなんと薄いが雲ができ始めていた。
エリーゼは驚いた。思いっきり吹っ飛ばしたはずなのに。
でも今は雲ができて雨が降り始めているのが嬉しかった。
これで村人達は大丈夫。

「わーい!」

エリーゼは嫌い雨の中でくるくると踊った。
実際、雲は広大な範囲を覆い尽くす巨大さを持っていた。
エリーゼは吹き飛ばしたと思ったが、それはその広大な雲海の一部に穴を開けたに過ぎなかったのだ。
しかしそれでも視界内のすべての雲を吹き飛ばしたことに変わりは無い。
ただそれほどの大穴が突然空けられれば、その空いた部分に、周辺の雲が流れ込むのは当然の事。
結果、吹き飛ばし青空が見えたはずなのに、すぐ雨が降り始めたのだ。
たがエリーゼにそんなことがわかるはずもなく、ただ奇跡が起きたと嬉しかった。
エリーゼがもう少し強い光の玉を投げていたら結果は変わっていただろう。
まぁ例えそうだとしてもここらに人間の村は無いし、雨の頻度も少ないわけでは無いので今回の雨雲を吹き飛ばしたとしても問題はなかったのだが。
そこまで考えの回らないエリーゼは、ただ自分の所業が誰も落胆させなかったことが嬉しかった。
エリーゼはそのまま散歩を続けた。
初めて、雨が降って嬉しいと感じていた。


 *


夕暮れ時。
薄暗くなった森の中で得物を探して歩き回るエリーゼ。
くんくん。見つけた。
森に手を突っ込みそれを捕まえる。
虎の様だ。
エリーゼの親指と人差し指、中指の三本で掴まれて目の前まで持ち上げられる。
その圧倒的な力に挟まれながら身体を動かし抗おうとする様はまさに猛獣と呼べる。
だが、その身体が一瞬光ったかと思うとジュッという音と共に香ばしい匂いが広がった。
掴まれていた虎の体は丸焼きになっていた。
ポイと口の中に放り込みよくかんだ後に呑みこむ。

「ん〜…やっぱりダインのつくったお料理の方がおいしいな」

とは言ってもダインはここにいないので仕方が無い。
それにやはり焼いても生でもあまりかわらない。
いちいち焼くのも面倒だ。何回か失敗して丸焦げにしてしまった。
焼きか生かは気にしないが、焦げすぎは気にする。
焦げてしまったものは食べずに捨てた。

ポイポイポイポイ得物を口の中に放り込むエリーゼ。
動物がどれだけ上手く隠れても見逃さない。
木に空いた穴の中に隠れていれば木を引っこ抜き口の上にその穴を持ってきて振り落とす。
岩壁に空いた穴の中に隠れていれば岩を砕いて穴を広げた後に手を突っ込んで捕まえる。ただ大半の動物がエリーゼの拳骨が岩を砕き崖にめり込んだ時に崩壊した洞窟の中に埋まってしまったが。
とにかく構わず手当たり次第に食べて行く。
ダインに会う前のエリーゼなら人間の街を襲って家畜を攫ったりしただろうが今のエリーゼの頭の中にはその選択肢はカケラも浮かんでいなかった。
大型のものだと鹿、虎、猪。
小型は狸からなんと栗鼠まで捕まえる。
エリーゼから見れば相対的に2㎜ほどの大きさしかない栗鼠だが、エリーゼは爪を器用に使ってその裏側に掬い取ると指を空いた口の上でひっくり返す。
もちろん腹の足しにはならない。
だがそれは大型の動物でも同じこと。
猪でさえエリーゼの奥歯と同じくらいの大きさしかないのだ。
口に放り込んだ猪を舌を使って奥歯の上に持っていき噛み潰す。
歯には一瞬の抵抗。
だがすぐにガチリと噛み合わさって猪の姿は消える。
ミンチになった猪をこのまま呑みこんでも腹は膨れないので、動物を口内にある程度詰め込んでから噛むのだ。
多種多様の動物達が蠢く口の中でエリーゼの歯だけが元気良く動く。
ひと噛みごとに次々と動物は減り、やがて口の中に流動体しかなくなったら唾とともにゴクリと呑みこむ。
こうすることで始めて何かを腹に収めたと感じることができる。
また、騒ぎに驚いた鳥の群れが木から飛び立って逃げようとするときもあるが、思い切り息を吸い込むことで、一羽も逃すことなく群れの鳥すべてを口の中に口に収めたりもする。
食事中のエリーゼからは、どんな動物も逃げられない。
どんな屈強な外皮や骨を持っていてもあの巨大な歯には抗えなず、動物の骨はエリーゼにポリポリという触感を楽しませるものでしかない。
また次の得物を捕らえ、それを口元に運んでゆく。
得物を大きく開いた口に入れようとしたとき、その得物が人の形をしていることに気が付く。

「え? 人間!?」

慌ててそれを口から離しよく見てみる。
だがそれは人間ではなく、ゴリラの一種のようだった。

「よかったー…人間じゃないや」

ほっと胸を撫で下ろすエリーゼ。
そして捕らえていたゴリラを口の放り込んだ。

 もぐもぐ

他の動物達と一緒に良く噛む。
それが人型をしていたとしても人間で無いと分かれば食べ物にかわりない。
他の動物よりも肉質が硬かったが強靭な歯の力の前にはやはり大差無かった。
呑みこんでしまえばみんな同じだ。
ふと、エリーゼは、自分の足元にたくさんの動物が集まっているのに気付いた。
目を凝らしてみるとそれは今しがた飲み込んだものと同じゴリラのようだった。
いずれのゴリラも大きな声で唸りドラミングをしている。
どうやら、今エリーゼが食べたゴリラの群れの仲間達のようだ。
仇を取らんと怒りをむき出しにしてエリーゼの周囲を取り囲んでいる。
人間がそうなったらあまりの恐怖にそれだけで天に召されてしまうかも知れない。
だがエリーゼは違った。

「わぁかわいい〜♪」

足元に集まるゴリラたちを見て笑った。
体長3m弱、換算すると3㎝ほどの小さな動物が群れをつくって自分の周りに集まっている。
とても微笑ましい光景だった。

「う〜、いつまでも見てたいけど、あたし今お腹空いてるんだ。みんなの方から来てくれてありがとう」

エリーゼは腰を屈め手を伸ばした。
ゴリラたちは、空から巨大な手が迫ってくるのを見つめていた。
ドラミングの響く夕暮れの森にエリーゼの手が下りていった。



そして、その森から、ゴリラはいなくなった。



食事を終えたエリーゼは大きく伸びをした。

「ふぁ〜お腹いっぱい。もう帰って寝よ〜っと」

 ズズン!

  ズズン!

地響きを立てながら夕日の沈み行く地平線の向こうへと歩いて行くエリーゼ。
自分のお腹を撫でながら思う。

「うん、やっぱりダインのご飯の方がおいしいや。明日はダインのところにいこ」

今日食べたものは明日の朝にはすっきり外に出されるだろう。
そうすればダインの料理をお腹いっぱい食べられるはずだ。

「どんな料理つくってくれるかな〜」

たった今夕食を食べ終え満腹になったばかりだというのに、明日のことを考えよだれをたらすエリーゼだった。


 *


夜。
エリーゼの城にて。

城には最低限の明りさえも無い。
夜目が利くので必要ないのだ。
もとよりエリーゼにとって、夜とは眠るためだけの時間であり、明りを点けてまで起きてて何かをすることはないのだ。
ただ、今日は明りがついていた。
寝室。
ベッド以外大した家具の無い部屋。
エリーゼはベッドの上でうつぶせになり足をパタパタと動かしていた。
そのエリーゼの顔の前、指先の先にはたくさんの絵本が並べられていた。
相対的に約3㎜。爪の上にだって並べられるような大きさだ。
それがベッドの上にずらりと並んでいる。
みんなダインに買ってもらったものだ。
それを、手の甲にアゴを乗せながら見下ろしていた。

「明日はどの本を読んでもらおうかな〜」

エリーゼがクラナの城に遊びに行ったとき、ダインに絵本を読んでもらうのは最早日課だった。
いつもいつも違う本を読んでもらっているが、すでに全ての本を内容を暗記できているのではというくらいに読んでいる。
少なくともダインは8割ほど暗記してしまっていた。
エリーゼは自分ひとりでは絵本を読まない。
字は読めなくとも絵を楽しむことはできる。が、それ以前の問題。
絵本は小さ過ぎてエリーゼにはページをめくれないのだ。
そして縮小化するつもりもない。
エリーゼとてひとりのときに進んで自らを危険にさらしたりはしない。
縮小化するのはダインやクラナといるときだけだ。
だから自分の城で絵本を開くことは無い。

「よし、これにきめた!」

たくさんの絵本の中からひとつの絵本を指差した。
と、同時に欠伸をした。

「ふぁ〜あ……ねむいよ…」

エリーゼは指先で本を集めると、それを他には何も入っていない棚に入れた。
エリーゼサイズの棚から見れば、小さな絵本の束など、何も入っていないと同意だ。
絵本を棚に仕舞い終えたエリーゼはベッドの上にパタリと倒れこんだ。

しばらくして、部屋の中には微かな寝息が聞こえ始めた。
寝息をたてる眠り姫の寝顔は実に安らかで、きっと今は楽しい夢を見ているのだろう。
青空のように青い髪が、夜空に輝く月の光に照らされてキラキラ光る。

エリーゼの楽しい一日が終わった。



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 〜 魔王クラナ 〜


番外 「エリーゼの一日」 終

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