どんよりとした雲が頭上を覆う。
都市全体が分厚い雲にずっしりと覆われ、気分すらも沈んでしまう。
まるで都市にフタをするかのようにのしかかる雲。
地上では相変わらず車が行き交い喧騒が絶えないが、薄暗い都市は、普段と比べると心なしか寂しく感じられた。


しかしそれは突然来た。

 「ばぁ!」

突如、その分厚い雲を突き破って、ありえないほど巨大な顔が現れたのだ。

 「こんにちわみなさん。こんな天気ですが、いかがお過ごしですか~?」

都市の中央上空に現れた巨大な顔が喋った。
その巨大すぎる声は雲に覆われた都市全体をビリビリと揺るがし町中のガラスを粉砕した。

雲は町の上空2000mほどの高さに位置している。
そこから、幅2km近い大きさの顔が、文字通り顔を覗かせていた。
目や口や鼻、それぞれが100m単位の大きさなのが分かった。
つまりこの巨大な顔は、1万倍もの大きさの人間の顔なのだ。

顔が現れて十秒ほど。すでに都市全体がその巨大な顔が現れたことの影響で大パニックに陥っていた。
巨人の発した声のせいで地面や車が揺さぶられ至る所で事故が起き、町中で煙が上る。
顔の直下にある都市中央ではほとんどの人間が聴力を失い、また中には声の衝撃そのもので地面から吹っ飛ばされてしまったものも続出した。

その巨大な顔は自分が顔を覗かせただけでパニックになる都市を見下ろしてクスッと笑った。

 「ふふ、今日はこんな天気で気が滅入っている皆さんのためにゲームを用意してきました。たっぷり楽しんでいってくださいね~」

再び巨大な顔が声を発すると世界が震えた。
人々が言葉の意味を理解するよりその言葉に耐えることに必死になっていると、巨大な顔は浮上し始め雲の向こうに消えていった。
上空は元の雲に覆われた空に戻る。
だがすぐにあの巨大な声が轟いた。

 「それじゃ始めますよ~」

巨大な顔が消えたが声は未だに響き渡っている。
いったい何が始まろうというのか。
人々が前代未聞の状況に慄いていると…。


  ずしいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいん!!


突然、雲の向こうから恐ろしく巨大な足が現れて町の一角に踏み下ろされた。
直下にて巻き込まれたビルたちは悉く踏み潰され、その衝撃は街全体を激しく揺るがす。

揺れが収まるころ、そこには半ば廃墟と化した町の上にずしんと乗っかる巨大な足があった。
足の裏は多くのビルのあった地面を踏みつけているのに、上空には足首くらいの部分までしか見えない。それより上の部分は雲の向こうに消えてしまっている。
足首から下だけで、雲の高さに届いてしまっているのだ。

 「おっと、ルールの説明を忘れてましたね。でも簡単だから大丈夫ですよ。わたしがこうやって足をおろすので、皆さんはそれに巻き込まれないように逃げればいいんです。一人でも生き残ればみなさんの勝ち、わたしからは皆さんの町は雲に覆われて見えなくてうまく狙えないので、十分に勝ち目がありますね」

ゴゴ…
町の上に下ろされていた巨大な足がゆっくりと浮かび上がり始める。
その様を遠方から見ていた人々からは、その巨大な足の裏が土でやや汚れているのと、その足があった部分が完全に踏み固められ何も原形をとどめていないのが見えた。

 「ただ…わたしの大きさは皆さんの1万倍なので、わたしの足は長さ2400m幅900mくらいになります。なので…」

持ち上げられた足は、その巨大な足の指の先までも雲の向こうに消えていった。

 「頑張って逃げてくださいね」


  ずしいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいん!!


再びあの巨大な足が踏み下ろされた。
とてつもない衝撃が再び街を襲う。
またいくつもの建物と、無数の人々がその下敷きになった。

ゲームは開始された。
あの雲の向こうから落下してくる、ありえないほど巨大な足を避けるゲーム。
それは、あまりにも分が悪く理不尽な内容だった。

あの足は巨大すぎた。
全長2400m幅900mとは、仮にその中心部から脱出しようとした場合、最短距離を全力で走っても数十秒はかかるだろう。
しかし足が雲を押しのけ頭上に現れてから地面に到達するまで、0.1秒も無いのだ。
つまり足が頭上に現れた瞬間、「負け」が確定するのである。
さらに足の直撃を免れたとしても、地面を踏みつけた際の衝撃は半径数kmにも及び、その範囲内では頑強な高層ビルですら耐えきれずガラガラと崩れ落ちてしまうほどの大揺れに見舞われる。
範囲内ではほぼ無事ではいられず、仮に生き残ったとしても満足に動ける状態ではないだろう。
その状態で「次」の衝撃に、耐えられるはずもない。


  ずしいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいん!!


    ずしいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいん!!


 「さぁ、どんどんいきますよー」

世界に轟く楽しげな声と、大地を揺るがし町を踏み潰す巨大な足とでは、あまりにも大きなギャップがあった。

巨足が地面に打ち付けられるごとに隕石が落下したかのようなとてつもない衝撃が町を襲う。
一歩ごとに、下手すれば万単位で犠牲者が出た。
まるで世界の終焉のような光景、しかし終わりはまだまだ見えてこない。
さらなる絶望がもっと下にある。


 ハル 「あはははは。どうですか皆さん、ちゃんと逃げられてますかー?」

雲海の上に立つハルは、足元の雲の平原を見下ろして言った。
彼らに説明した通り、ハルからは彼らの町は全く見えない。どこもかしこも雲だらけ。しかし踏み下ろした足の裏に、無数のビルが潰れる微かな感触があり、そこに町があることを感じることができる。

 ハル 「ん~、この辺は踏み尽くしちゃったかな。じゃあ次はこっちに行こ」

ハルは雲海を歩き出した。
それは雲下の町にとって、それまで無事だった場所に突如足が襲い掛かるということだった。
今のハルの歩幅は6kmほどになる。数歩も歩けばあっという間に隣町だ。それは今まで町の状況を恐々としながらも対岸の火事として見ていた隣町の人々を、絶望の底に叩き落す行為だった。
もちろん、隣町まで移動する間の数歩も、そこにあった町にとっては壊滅的な破壊力を持っていた。
ハルにとっては歩いただけだが、その間にあった家々も軒並み殲滅されてしまっているのである。

 ハル 「雲の中を歩くって不思議な感じ」

真っ白な綿が敷き詰められたような、一面の雲。
歩くためにそこに足を踏み込むたびボフッと雲が散る。まるで新雪の積もった雪原を歩く感覚。
しかしその感覚の最中には確実に町が犠牲となっていた。
ハルにとっては高さ100mの超高層ビルも1cm程度の大きさでしかなく足に触れただけで崩れる程度の強度しかない。
ビル群を踏みつけたところで枯れ葉1枚踏んだ程度にしか感じられず、足が持ち上げられればそこにはビル一つの痕跡すら残らぬ巨大な足跡があるのみである。

 ハル 「ほらほら、もっと頑張ってくださいねー」

ハルはクスクス笑いながら足を動かした。
ハルからは雲に遮られて見えないが、雲の下では巨大な足が町を踏み潰しさらにそれをグリグリと踏みにじる恐ろしい光景が広がっていた。
ここにはハルの足の指の太さに届く高さのビルは存在しない。あの足の動きに巻き込まれたものは一瞬で粉砕されてしまう。

つま先とトントンと打ち付けると、雲の向こうから現れた巨大なつま先は直下の町を一瞬で消し飛ばした。
踏み下ろした足をそのまま横にスライドさせると、それだけで20平方km巻き込まれ瞬く間に更地になる。
親指だけを立て地面を引っ掻けば、そこには幅200m深さ100mもの巨大な谷が出来上がる。
雲下のあらゆるものが、ハルの二つの足だけで消されていった。

人々にとっては逃げる間もなく雲の上から落ちてくるとてつもなく巨大な足。
雲に遮られ巨足の持ち主の全身像は見えず、次に足が落ちてくる場所を予測することもできない。
いくらかは、それまでの足の落下した方向から向かう先を予測していたが、その速さと大きさの前にはほとんど無意味であった。

それでもほとんどの人は悲鳴を上げながら逃げることをやめようとはしなかった。
生に縋りつくことに必死だった。
しかし、巨人から見た高さ100mのビルが1cm程度の大きさでしかないこと、家が1mm程度の大きさでしかないこと、人が0.2mm程度の大きさでしかないことに気づいたほんの一握りの人々は、逃げるのを忘れその場に立ち尽くしてしまった。


  *


雲海の上を歩き回り雲の中に足をねじ込んでその下にあるはずの町を嬲って遊んでいたハル。
しかし、人々にとってはどこに巨足が落ちてくるかわからず恐怖を煽られるゲームだが、逆に言えばそれはハルからも足元の町を見ることができないので、自身の起こした破壊の結果とそれに慄く人々の姿を見られず、あまり嗜虐心がくすぐられなかった。

 ハル 「はぁ、なんか飽きちゃった。もう終わりにしよ」

再び巨人の声が轟いた瞬間、町を踏みしめていた巨大な足が消え去った。
人々は驚き目を疑い、周囲を見渡してみるもやはりあの巨大な足は見当たらない。
曇天から地面に落ちるあの肌色の塔を見逃すはずがない。巨足はどこにも存在しなかった。
人々の心に、歓喜が湧き上がる。

直後、雲を押しのけて再びあの巨大な足が現れた。
それも先ほどまでとは桁違いに大きな。
先ほどでも一歩で町の数区画を踏みしめてしまうほどに巨大だったが、今度はそんな町を丸ごといくつも覆ってしまうほどに巨大になっている。あの親指だけでも町一つに納まりきらずはみ出てしまうのではないだろうか。

あまりの事にその足を見上げられる人々の思考は停止してしまった。
その足が先ほどまでの100倍。計100万倍の大きさで全長240km幅90kmもの大きさになっていると気づけた者はひとりもいなかった。

足はゆっくりと降下してきた。
その土踏まずの空間に、いくらかの雲を残したまま。
人々の視界はとっくに恐ろしく巨大な足の裏に埋め尽くされていた。


  *


ハルは雲海に足をおろした。
足が地面に着いた瞬間、周囲の雲が巻き起こった風に散らされ雲海に穴が開き、その下の町の様子が伺えた。
なんてことはない。そこにはただ足跡が残されただけだ。
100万倍の大きさになったハルにとっては雲ですら高さ2mm程度しかない。地面に足が着いても指すら隠れない。雲はハルの足の底辺を漂っていた。

 ハル 「はい、誰も残れなかったのでわたしの勝ち。残念でした~」

ハルは、最早 雲ですら地面の一部でしかなくなった足元をグリグリと踏みにじった。
四国とほとんど同じ大きさの足がねじ込まれ、ゲームとは全く関係なかった町がいくつも巻き込まれる。

 ハル 「さーて、もう帰ろうかと思ったけど…」

ハルは周囲を見渡した。
足元には先ほどまでよりもきめ細かく低い雲海。上には星空。

 ハル 「ちょっとだけ散歩してから帰ろうかな」

そう言ってハルは雲海の上を歩き出した。
雲の高さも地面とは変わらない。
まるで白い絨毯のような雲海で覆われた世界を 地響きを立てながら歩いていった。