夕刻。

部屋で寝転がりマンガを読んでいたケン。
その建に台所の母親から声がかかる。

「ケン、ちょっとお隣さんに回覧板届けてきてくれる?」
「えーやだよ」
「お願いよ。母さん今 夕飯の支度で手が離せないのよ」
「…もう」

マンガを閉じテーブルの上にあった回覧板を持って玄関へと向かう。

「あ、そうそう。お隣さん最近引っ越してきたんだけど家が少し離れてるから自転車使いなさい」

そんな母の言葉を背中にケンは家を出て自転車のカゴに回覧板を放り込むとそれに跨りペダルをこぎ始めた。
紅く染まりつつある空を見上げ、ため息をつきながら一本道を進んでゆく。


  *
  *
  *


一時間後。
自転車で走り続けてようやくたどり着いたお隣さん。
ケンは門の前でその大きさに唖然としていた。
縦。道の右から左まですべてが大きな塀に接し、目の前には巨大な門。
それは装飾が豪華とかお金持ちだとかそういうものではなく、単純にサイズがでかかった。
コンクリの塀。高さ100mを楽に越えている。
目の前の巨大な門。恐竜ですら出入りできてしまいそうな隙間のある鉄製の門だ。
とにかく馬鹿でかい。
暫く呆けていたケンは気を取り直して門の横の塀に着いているインターホンを押した。
とにかくとっとと回覧板を渡して帰りたかった。
ピンポーンという音が鳴って暫く、

『はーい』

という女性の声が聞こえた。

「えーと、回覧板を持ってきました」
『まぁありがとうございます。すぐ行きます』

プツン。
通信の切れる音。
ケンは門の向こうを見た。
遥か遠くに家が見える。…なんであんな遠くに。
見た目普通の家だが、いったいこの塀と門はなんなのか。
家の人が来たら訊いてみようか。いや、やっぱり面倒だ。
すると、

 ガチャリ

家の玄関の扉が開き、中からエプロンを着けた女性が現れた。
主婦だろうか。
だが、にしてはとても若いように見える。
20代前半から、10代後半か。
ウェーブのかかったセミロングの髪が動作にあわせて揺れた。
その女性は素足にサンダルを履いてパタパタと小走りで駆け寄ってくる。

「走ってくるのか。何百mあると思って…」

と、ぼやいていたケンは言葉に詰まった。
走り寄ってくる女性の姿がどんどん大きくなってゆく。
その幼い顔を見るために、段々と上を向いていっていた。
足元がグラグラと揺れ始める。

 ズゥン…

 ズゥウウン

 ズウウウウウウウウウウウウウウン!!

女性はあっという間にこの門の前までたどり着いていた。圧倒的な大きさになって。
この百数十mの巨大な門と塀よりも大きかった。
その門の上を手で掴み門を開き、女性が出てきた。
巨大な足がケンの目の前に踏み下ろされ、その振動でケンは尻餅をつく。
目の前にはサンダルを履いた巨大な足。そのサンダルの厚みですらケンの身長に相当した。
おおよそ100倍だろうか。

「あら? どこかしら…」

遥か上空の女性の顔は周囲をキョロキョロと見回している。
足元にケンがいることに気づいていないのだ。
ケンは脚を震わせながらなんとか声を絞り出した。

「あ、あの…すみません…こ、ここです…」
「あら」

声を聞き足元を覗き込んだ女性は口元に手を当て、そしてしゃがみこんだ。
ケンにとってそれは山が落ちてくるような印象だった。

「あらあら、かわいいお客様ね」
「あ、え、えーと…か、回覧板…です」

ケンは横で倒れている自転車のカゴから回覧板を取り出すとそれを目の前にしゃがみこむ巨大な女性に向かって差し出した。
巨大な女性は手を伸ばしてきてその巨大な指の先に回覧板を摘んで受け取った。
そのとき、ケンは思わず悲鳴を上げそうになった。

「どうもありがとうございます。自転車ってことは遠いところからいらしたんでしょう? ちょっと休んでいかれたらどうですか?」
「い、いえ、大丈夫ですから! では!」

慌てて立ち上がったケンは自転車を起こしてそれに跨った。
そしてペダルをこぎ走り始めたのだが、両脇から巨大な指に摘まれて持ち上げられてしまった。

「遠慮しないで。帰りも送っていきますよ」

手のひらの上に降ろされた。
広大な肌色の地面。自分の家がそのままこの手のひらの中に納まってしまいそうだった。
手のひらの上に尻餅を付いたケンは目の前の巨大な笑顔を見上げた。
童顔、なのか。幼く見えるが、振る舞いは主婦のそれである。
ケンを手のひらに乗せた主婦は立ち上がり家に向かって歩いていった。


  *
  *
  *


茶の間。
テーブルの上に降ろされたケンはおろおろと周りを見回していた。
テレビ。茶箪笥。棚。いずれも恐ろしく巨大だった。
それぞれが小さな山のようなものである。
そして目の前にはあの巨大な女性(花恵(はなえ)と名乗った)が床に座りテーブルの上の自分を見下ろしていた。

「ごめんなさい。本当ならお茶をお出ししたいところなんですけど生憎と丁度良い大きさの湯飲みが無くて」
「い、いえいえ、お構いなく…」

ケンは花恵の目の前にあるビルのように巨大な湯飲みを見上げた。
というか、なんでこんなにもみんな巨大なんだ。それとも自分が小さくなったのか。
この人だって自分を見てもそんなに驚かないし。

「あら、私の顔に何かついてますか?」
「え!? い、いえ、そんな…、そ、その…お、奥さまですよね?」
「はい」
「そ、そうですよね、その…随分と若く見えるんで…」
「まぁ、お上手ですね」

巨大な顔がくすくす笑った。

「で、あの…なんでそんなに身体が大きいんですか?」
「あらやっぱり変ですか? 前に住んでた町ではこれが普通だったんですよ。私も引っ越してきてこの街の人の小ささにはビックリしました」
「そ、そうですか…」

巨大な人間の住む町。そんなものがあるのか…。
しかし、こうやって見下ろされ続けるのはどうにも落ち着かない。
そろそろ帰ろうか。
そう切り出そうとしたときだった。

「ママ~、お腹空いた~」

という声と共にズシンズシンという足音が響き、廊下から別の巨大な人影が現れた。
少女のようだ。
見た目、体つきや背格好を見ると小学生か?
しかしその大きさはやはりこの女性と同じようにとんでもないものだった。
ショートヘアーの左右をゴムで縛りちょろんと纏めている。
半そでの服に短パンで裸足。寒くなってきているというのに元気なものだ。

「ママ~ごはん~」
「はいはい、今 支度するから」
「もう早く~。…あれ?」

現れた巨大な少女の視線がテーブルの上のケンを捉え、目が合ったケンは身体をビクリ震わせた。
一瞬、ポカンとした少女は即座に満面の笑みを輝かせると走りよって手を伸ばしてきた。

「わぁ何これー!」

ケンに、車さえも簡単に鷲掴みにしてしまえる巨大な手が迫る。
あまりの速攻に逃げ出すことすら出来なかった。
だがその手はこの巨大な花恵の手で遮られた。

「ダメよ月美(つくみ)、お客様に失礼しちゃ」
「ねぇママ何これちっちゃーいかわいいー!」

花恵の制止などどこ吹く風。
テーブルに両手を着きぴょんぴょんと跳ねる月美と呼ばれた少女。
ガタガタと揺れるテーブルの上で転がるケンだった。

「ねぇ小人さん、月美と遊ぼー」
「ダメよ。お客様だってすぐお帰りになるわ。あなたは部屋に戻ってなさい」
「やーだー! 遊びたいー!」

バンバン!
両手がテーブルを叩く。
その振動と轟音は、まるで爆弾でも落ちているようなものだった。
実に、耐え難い。

「わ、わかった! いいよ! 遊ぶよ!」

すると月美はけろっとして、

「え、いいの!?」
「よろしいのですか?」
「す、少しくらいなら…」

正直あのままだと鼓膜を破られたかもしれないし…。
母・花恵は少し考えた後、

「わかったわ。でも絶対お客様に失礼しちゃだめよ、月美。ケンさんすみません、よろしくお願いします」
「わーいやったー!」
「う、うん…」

そして花恵は立ち上がると地響きを立てながら部屋を出て行った。
時間的には夕食の支度に向かったのだろう。
で、今まで花恵がいた場所に月美は座った。

「おいで、小人さん」

差し出された手のひら。
先ほどまでテーブルをバンバン叩いていた車さえも捻り潰せる巨大な手のひらである。
太さ1mはあろうかという指に何とかして登るケン。
丸みを帯びやわらかい指はとても登り難かった。
恐らく小学生であろう少女の指に登るのに、息を切らしていた。
やっとのことで指に登ったケンは手のひらまでを歩いてゆく。
皮膚は硬いわけではなかったが、歩く際に足を取られるほどへこみはしなかった。

「かわいい~」

視界を埋め尽くす満面の笑顔。
もう片方の巨大な手が現れ、伸ばされた指が近づけられるとその指先が自分にぶつかってきた。
そのあまりの威力に吹っ飛ばされ手のひらに転がるケン。仰向けに倒れたケンの上に指先がのしかかってくる。

「わぁほんとに人の形してるーちっちゃーい」

指先がぐりぐりと動くたびに、まるで馬にでものしかかられているような重圧がかかる。
軽くすぼめらた少女の手のひらの上、指先と手のひらの間に挟まれたケンの鼻に甘いような暖かいような匂いが漂ってきていた。

ようやく指がどけられて圧力から開放されたケンは深呼吸して息を整えた。
勢いで遊ぶと言ってしまったが、これはとんだ失敗を犯したのかも知れない。

ケンを乗せていた手のひらが移動した。
先ほどまでいた机が上に向かって行く様な感覚。つまりは、床に近づいている。
ある程度下降した手のひらは急に傾き、上に乗っていたケンは転がり落とされた。
ゴロゴロゴロ。ドサ。
手のひらを転落したあと落ちたのは畳の床。
打ち付けた痛む身体をさすりながら身を起こすと、そこにはあの巨大小学生を足元から見上げることが出来た。
自分を下ろすためにしゃがんでいるが、それでもビルのような大きさである。
短パンから伸びる巨大な脚が折りたたまれ、その脚の間から巨大な顔が見下ろしてくる。

「小人さん、怪獣ごっこしようよ。月美が怪獣ね」

え…?
ケンが問い返す前に月美は立ち上がっていた。
立った月美はまさに超高層ビルに匹敵する巨大さであった。
身長は120~130mはあるのではないか。
ビルにしておよそ40階建てに相当する。
むき出しの脚だけでただのビルよりも大きい。

「じゃあ行くよ~」

ぐわっ。
畳を踏みしめていた巨大な片足が持ち上げられた。
長さ20mを超える足の裏がケンの上空に掲げられる。
大型観光バスが10m強であるとしても、それでさえこの足の大きさには及ばない。
月実の楽しそうな顔が足に遮られ見なくなった。

 ズシィィイイイイイイイインン!!

持ち上げられていた足がケンの目の前に踏み下ろされた。
その衝撃で吹っ飛ばされるケン。
高さは3m。距離は10m近くを吹っ飛ばされた。
観光バスなど一瞬でぺちゃんこになってしまう威力。
吹っ飛ばされた先、なんとか身体を起こして見た視線の先では巨大な足が畳を踏みしめていた。

「がぉ~踏んじゃうぞ~」

再び足が持ち上げられ、ケンは慌てて起き上がり走り出した。

 ズウウウウウウウウウウウウウウン!!

 ズウウウウウウウウウウウウウウン!!

走るケンの左右に足が踏み下ろされる。
全力で疾走しているのに簡単に追いつかれている証拠だ。
踏み下ろされたとき横を見れば巨大な土踏まずを見ることが出来た。
ケンの身長は月美の足の親指ほどでしかなく、これほどの体格差があれば歩幅など凄まじく開いてしまう。
ケンが普通に歩いて70cmだとしたら月見は30~40mである。
仮に今ケンが100m12秒、時速30kmで走っていたとしても、加減して歩いている月美の時速100kmの歩行からすら逃げることは出来ないのだった。

 ズドン!

走っていたケンの目の前に巨大なかかとが踏み下ろされた。

「ほーら追いついちゃった」

息を切らすケンに降り注ぐのんきな月美の声。
ケンは横に向かって走り出したが、今度はその先に足が踏み下ろされた。
もうどんなにすばやく走り出しても月美が少し足を動かすだけで先回りされてしまう。
逃亡が無駄であると悟り始めたとき、気力の尽きかけたケンはへなへなと座り込んでしまった。
その上に、月美の足が掲げられた。

「えい」

 ズズウウウウウウウウウウウウウウンン!!

踏み下ろされた足が地面を揺らす。
足が落ちてくる瞬間、暗くなる世界の中でケンはぎゅっと目を瞑った。
なので後の衝撃も轟音も暗闇の中に聞こえるばかりで、自分がどうなっているかすらも理解でき無かった。

 ウウウ……ン…

段々と地鳴りが収まってゆき、うっすらと目を開けてみると、そこは薄暗い場所であった。
横から入る光だけが周囲を照らす。
手を伸ばせば触れられるような天井の下、自分は床に押し倒されていた。
ここは、月美の土踏まずの下である。

その足がどけられると遥か彼方に月美の顔が見えた。

「小人さんの負けー。次は何して遊ぼ~か」
「ちょ、ちょっと休憩…」

ケンは息を切らしていた。
強烈な圧苦。転落。爆撃のような衝撃と全力疾走。そしてとどめの踏みつけと、ケンの身体は疲労困憊していた。
回覧板届けに来ただけなのに、なんでこんな目に遭ってんだ…。
畳の上に大の字で横たわるケンをしゃがみこんだ月美が見下ろしてくる。

「小人さんもう疲れたの? 月美もっと遊びたいよ~」
「お願い…ほんと休ませて…」
「ふ~ん」

月美はごろんと寝転びうつぶせになると両手を重ねその上に顔を乗せ目の前のケンを見下ろした。

「ふふ、ちっちゃ~い」

にっこりと笑う巨大な顔。
寝転がっているのに、その顔は見上げねばならなかった。
地面が微かにグラグラと揺れる。
月美が足をパタパタと動かしているのだろう。
片手を伸ばしケンをつつく。

「月美の指の方が大きいね」

再び大木のような指先にのしかかられるケン。

「苦しい…」

ギブアップを宣言するように巨大な指をバンバンと叩く。

「あは、小人さん手もちっちゃい」

月美から見ればケンの手などいいとこ1mmである。
そんな手でペチペチ叩かれたからってどうということはない。

やっとのことで開放されたケンはたたみの上に大の字になって休んでいた。
無論その間もうつぶせになった月美に見下ろされたままだった。
俺という存在が珍しいのだろう。
指先ほどの小さな人間が。
くたくたで頭が回らないが、目の前にビルよりも大きな女の子がいるこれは異常である。
が、今はとにかく休んでとっとと帰りたかった。

そのとき、

「ただいま」

廊下の方から声が聞こえた。
ズシンズシンという足音と規則的な振動が感じられる。

「はぁもうくったくた。お母さん、夕飯まだ?」
「今 支度してるわ。先に着替えちゃいなさい」

花恵との会話が聞こえてくる。
と、その姿が、この茶の間の入り口の向こうの廊下に見えた。
制服姿の少女。髪を黒いリボンで結びツインテールにしている。
紺のブレザーに紅いミニスカート。そして黒いニーソックスを履いていた。
周囲の風景に違和感がないということは、あの少女が花恵や月美のように巨大であるという証拠だ。
制服やカバン、背格好を見ると中学生かそこらだろうか。
廊下の先にキッチンがあるのだろうか、そちらを向いて花恵と会話している。

ふと片足を持ち上げ爪先を摘み黒いニーソックスをするりと脱いだ。もう片足も。
そして脱いだ靴下をこの茶の間に投げ入れた。
丸められた靴下は空中で広がり一つが月美の頭の上に、もうひとつがケンの上に落ちた。

「あーん風麻(ふうま)お姉ちゃんひどい~」

月美が頭の靴下を手で払う。
しかしケンはそれが出来ないでいた。
彼女たちの足は大型バスの倍近い大きさがありこの靴下はその足を内包できるほどの大きさなのである。
こんな大きさのものに覆い被さられたら簡単には抜け出せない。実際、かなり重かった。
布団を何枚も重ねがけされたような重圧。生地には隙間があるので呼吸には困らない。
いや、困ることもある。
大きく息を吸い込んだとき、ツンとする酸味の強いにおいが鼻に飛び込んできた。
これが靴下なら当然か。つい今しがたまで履かれていたのだから。
のしかかる生地も、若干暖かい。
とにかく、出来るだけ口で呼吸するようにして何とか布の下からの脱出を図る。

「風麻、あんまりはしたないことしないの。お客様が来てるのよ」
「客? そんなのどこにいるのよ」
「ここにいるよ」

月美の声に茶の間を覗き込む風麻。
月美は自分の投げ捨てた靴下を指差していた。
その靴下がもぞもぞ動いている?
いぶかしんでいると、その下から何かが這い出てきた。

「ぷはぁ…! 苦しかった…」

なんとか靴下の下から顔を出したケン。
未だにおいもするが、とにかく重圧からは開放された。
そんなケンを見た風麻の目が点になる。

「な、なによこれ!」

走り寄ってきた風麻は足元のそれを見下ろした。
明らかに、人間の形をしている。
ケンはあの風麻と呼ばれたツインテールの少女が駆け寄ってきたのを見て身体を震わせた。
遥か遠くの廊下に立っていたのに、まさに一瞬で目の前まで走ってきたのだ。
今は自分を真上から見下ろしている。
畳を踏みしめる健康的な脚がスカートの中へと続いていた。
ここからだと薄暗くて下着は見えなかったがそんなことは頭に無かった。

「人間なの!?」
「えへへ、小人の町から来たんだって~。今は月美と遊んでるの」

月美が笑顔で得意気に言う。
ケンにかぶさっていた靴下をどけて再び指でつつき始める。
しばし、妹の指でつつかれる指先ほどの小さな人間を見下ろしていた風麻だったが、やがてにやりと笑うとケンを摘み上げて部屋へと上がっていった。

「あー! 月美と遊んでるのにー!」

背中に聞こえる妹の抗議などまるで無視していた。


  *
  *
  *
 

 バタン

自分の部屋に入った風麻は手に摘んでいたケンを机に上に放り出し自分も椅子に座った。
乱暴に転がされたケンは身体を打ち付けていた。

「イツツ…! な、何すんだよ!」
「あ、ちゃんと言葉までしゃべるんだ」

へぇーという風に見下ろす目は明らかに見下したもの。小さな自分の身など、微塵も案じていない。
頬杖をつき、口元には挑戦的な笑みを浮かべている。

「小人の町があるのは知ってたけど、まさかこんなチビが暮らしてるなんてねー。ふふん、面白そう。今度遊びに行こうかな」

今、巨大な家の中でこそケンは小さくなったようなものだが、住宅地に戻れば普通の大きさであることは実感できる。
だがもしもそこにこの巨大な少女たちが現れたら、まさにビルよりも大きな大巨人になり得てしまう。

「あんた、名前とかあるの?」
「け、ケン…」
「ふーん。じゃあケン、あんたは今から私の下僕よ。私の言うことには必ず従うこと」
「…は?」
「あら? 立場がわかってないみたいね」

風麻は軽く握った拳をケンの前に持っていった。
ケンの目の前には家ほどの握り拳。まん前には人差し指が見えた。
その先端に、桜色の爪が見えるが、その爪だけでも自分の身長と大差ない大きさだった。
その指先は親指の腹に引っ掛けられているようだが…と、思った瞬間である。

 ペシ

その指が突然自分にぶつかってきた。
巨大で硬い爪に全身をぶつけ、数m吹っ飛ぶケン。
要は軽いデコピンを食らったのである。

「これでわかったでしょ。あんたみたいなチビ、指先だけで簡単に弾き飛ばせるの。痛い目見たくなかったら素直に言うこと聞くのね」
「ふ、ふざけるな! そんなバカみたいな話が聞けるわけ無い…」

 ズドン!

ケンの横に握り拳が振り下ろされた。
軽く落としただけだが、ケンをひっくり返させるには十分だった。

「あ、ごめん。うるさくて聞こえなったわ。なんて言ったの?」
「うぐ…!」

歯を食いしばり拳を握るケンだった。
自分より年下の少女に見下されいい様に弄ばれて心底腹が立つ。
いったい自分が何をしたと。なんでこんな目に遭わなくてはならない。
だが、抗議は無意味だった。
彼女たちは凄まじく巨大で、自分はとても小さかった。

ひょい。摘まれたケンは目の前に持ち上げられた。
自分の身長と同じくらいの目が見つめてくる。

「ほんと小さいわね。こんな小さな人間がいるなんて、こうして目に見ても信じられないわ」

摘んでいたケンをもう片方の手の人差し指の爪の上に降ろす。
支えの無くなったケンはその指先にうつぶせるようにしてしがみついた。
手もまわせない大木のような指のつるつるの爪の上に乗せられて満足な固定も出来ない。
今 指は机から20cmほどの高さにある。
これはケンにとって20mに相当、おおよそ7階建てビルの上に放り出されているようなものだった。
もしも落ちたら大変なことになる。
必死に、その爪にへばりついた。
その様を見て吹き出す風麻。

「ぷっ、なにそれ。そんなに私の爪が気に入っちゃった? 両手広げても指に回せないんだ」

自分の指先に正真正銘の人間が大の字になって張り付いている。
実に滑稽だった。

「ほらほら、もっとしっかり捕まらないと落ちるわよ」

ケンの乗っている指先をくいくいと動かす風麻である。
暴れ馬に乗るよりも凄まじい揺れ。身体がガックンガックンと揺さぶられる。

「うわぁぁあああ! やめてくれ!」
「こんなことで悲鳴上げるの? チビって大変ね」

小人が息を切らして自分の爪に乗っているのをまさに目の前で観察する。
細い腕と小さな手、細い脚で爪に張り付いている。
爪にかぶさっているのにそれを覆うほどの大きさは無くちゃんと爪を見ることが出来た。
まるでネイルアートのひとつのようだ。

回転する椅子でくるりと後ろを向くと身を屈め指先のケンを床の上に下ろす。
半ば放り出される形で落とされたケンは数回転した後 頭を振りながらゆっくりと身体を起こし風麻を見上げた。
脚と腕を組み勝ち誇ったように見下ろす風麻。
座っている椅子から伸びる巨大な脚という肌色の柱は途中で交差して自分が立っているこの床まで伸びている。
宙に浮いている片足がぶらぶらと揺れる。
ケンの目の前では片足が床を踏みしめているがその幅は実に8mはある。小さな車なら二台がその幅におさまってしまう。
爪先に連なる足の指はケンの身長とほぼ同じ大きさだった。
その足が目の前まで移動してきた。

「さ、登りなさい」

上から からかうかのような声が聞こえてきた。
意味することは明白、この巨大な足に登れというのだ。
白い足。窓ガラスのように巨大な爪の付いた指。
聳え立つビルのように巨大なこの脚は、人間の片足である。

だが自分も人間であり、這い蹲って他人の脚にすがりつきよじ登るなど尊厳の問題である。
今も散々酷い目に合わされ、これ以上の辱めは御免だった。
数歩、目の前の足から後ずさった後 踵を返しドアに向かって走り逃げ出したケン。
しかし、

 ズズゥン!

持ち上がった足に押し倒されその爪先の下敷きにされた。
自分の身長よりも長い指にのしかかられる。

「逃がすと思ってるの? バカ、あんたなんか簡単に捕まえられるのよ」

薄暗い指の下、指の間からせせら笑うような声が聞こえそれがこの空間に木霊する。
逃亡は実に簡単に防がれた。
どうやっても、逃げられない。

「ほら、出てきなさい。それともずっとそこにいるつもり?」

言われなくても…。
歯を食いしばり僅かに空いた隙間から身体を動かし広いところへと移動する。
その過程、ケンは再び鼻での呼吸を阻害された。
靴下に被らされたときとは違う、今度は大元である。
今日一日中 靴下と靴と上履きに押し込められていた足が発するにおいがその隙間に満ちていた。
鼻で呼吸すれば目が眩むかもしれない。
口で呼吸しているがその生暖かい空気は肺に重い。
玉ねぎを切ったように目が痛い。涙が出てくる。
それらをなんとか堪えながら指の下を移動してゆくと、まるで木漏れ日のように指と指の間から光が差し込んでいる場所へとたどり着き、ケンはそこに立ち上がって薄暗い空間から光の当たる場所へと顔を出した。
自分の足の指の下にケンがもぞもぞと動くのを感じながら足を見ていた風麻は、その小人が人差し指と中指の間からぴょこんと頭を出したのを見て吹き出した。

「ぷっ! あはははは! な、なによそれ! ぴょこんって…あはははは!」

腹を抱えて笑う風麻。
ケンは人差し指にすがりつくようにして上半身を指の間から出していた。
指の下よりは幾分かマシだが、ここもかなりのにおいだった。
見れば前後には大木のような巨大な足の指。
自分は今この指の間に挟まれている。横を見れば山の斜面のような足の甲。
そしてその向こうには天へ続く柱の巨大な脚。肌色の表面が蛍光灯の明かりで煌いている。
天へ続く柱を支える山の麓に立っているような感覚。
大きさの違いを思い知るばかりだった。

「…はぁ笑った笑った。なかなか面白いじゃない。さ、今度こそ登るのよ」

ケンは素直に従うことにした。
逆らっても痛い目を見るだけだと学習したし、一刻も早くこの匂いの中から脱出したかった。
指の間からは指が太すぎて直接登ることはできなかったので一度間から出て指先の方から登ることにした。
爪に手を乗せ身体を引っ張り上げる。その後は立ち上がって脚の甲に向かい歩いてゆくだけだ。
軽い斜面の甲を登っている最中、次はこの脚をどう登るか考えたがどう見ても無理である。
斜面の角度もさながらその足がかりも無い表面を素手で登るのは不可能だし、すでに高さ数m、落ちたら危険な高さである。
広い足の甲の上、うろうろしていたら上から巨大な顔が覗き込んできた。

「なにしてんのよ。早く登ってきなさい」
「む、無理だろ…。こんなのロープも無しに登れないし、命綱とかも無いんだから落ちたら…」
「はぁ? こんな高さも登れないの? …まぁいいわ。楽しませてもらったし」

ぬぅ。
空から巨大な手が降りてくる。
ケンは慌てて足の甲を駆け下りたが、足の指まで来たところで捕まってしまった。
指先に捕われたケンはそのまま持ち上げられ、やがて組んだ脚の膝の上に降ろされた。
広大な脚という台地。前方には恐ろしい大きさの太ももがずっしりと鎮座しそれはミニスカートの中へと続いている。
ケンの位置からはスカートの中は見えなかったが。
見上げた先では風麻が腕を組んで見下ろしてきていた。

「こんな小さいのが人間なんだ。気分はどう? あんたは今 私の脚の上にいるんだけど」
「…最悪。早く家に帰りたい…」
「くく、そう言わないで。いいストレス解消になったわ。ねぇ、あんた私のものにならない? 毎日あんたで遊べたら凄いすっきりする気がする」
「ふ、ふざけんな! 俺は絶対嫌だ!」
「あら、生意気」

グラッ。
風麻が脚を少し動かしたせいでケンは太ももの上に転がった。

「う、うわ!」
「ふふふ、何転がってるのよ。もしも脚から落ちたらあんたなんかどうなるかわかってるでしょ」

クスクスと笑う風麻はとても楽しそうだった。
ケンはとにかく落ちないようその肌色の地面に突っ伏すしかない。
そのケンは摘み上げられて手のひらの上に乗せられた。
手のひらの上からその向こうに広がる巨大な顔が言う。

「ほーら、逆らったって無駄よ」
「嫌だって言ってるだろ!」
「ふーん、あっそ」

くくっ。
ケンを乗せた手が握られてゆく。
小さな身体が指の作る影に包まれてゆく。
慌てて周囲を見渡すが、逃げられる場所など無い。
楽しそうな顔が指の向こうに見えなくなった。
周囲が暗くなってゆく。と同時に恐ろしい閉塞感と圧迫感が襲ってくる。
自分を取り囲む空間がどんどん狭くなる。
身体が挟まれ始めた。肉と肉の間に挟まれている。
圧力がどんどん強くなる。
ケンは悲鳴を上げていた。

自分の拳の中から聞こえる悲鳴に風麻はくすっと笑った。
これは楽しい。自分の些細な一挙一動に大仰な反応を示してくれる。
ただ軽く手を握っただけなのに悲鳴なんてあげちゃって。
くく、次は何をしてやろうかしら。もう少し力をこめても大丈夫だろうか。
本物の人間が自分の手の中にいることが楽しかった。
そのとき、

 バン!

「ッ!?」

突然部屋のドアが開けられ、驚いた風麻は拳を解いた。中から手のひらにうつぶせるケンが現れる。
で、ドアの向こうには長いストレートヘアーの女性が立っていた。

「よっ。末っ子から姉に小人を取られたって聞いてな」
「ち、千鳥(ちどり)姉さん…」

Tシャツ ジーパン。ラフな格好。
スタスタと部屋に入ってくる。

「ほうほう、それが噂の小人のお客様かい?」

上体を倒し、風麻の手のひらの上に横たわるケンを見下ろす千鳥。
ケンは新しく出現した巨人を見上げていた。
千鳥と呼ばれたこの女性が上体を倒したとき、そのTシャツの胸元が大きく揺れた。
だが視界がすぐに真っ暗になりまたあの窮屈な状態へと変わっていた。
風麻が手を握り自分の胸元に抱き寄せたのだ。

「なによ! これは私のものなのよ!」
「それはいかんよー。彼だって帰る家があるんだから」

言いながら千鳥は指で風麻の太ももをツー…と撫でた。

「ひゃっ!」

ビクンと身体を震わせた風麻は思わず手を開きケンを放り出してしまう。
そのケンを、千鳥がパシッと受け止めた。

「はい、まいどありー」

上体を起こし風麻に背を向けて部屋を出てゆく。

「あ! ちょっと! 返しなさいよ!」
「男を自由にするなんて あんたにゃまだ早いよ。もう少し経験積んでからにしな」

にひひと笑いながら手を振る千鳥。
もう片方の手の拳の中にはケンが握られていた。


  *
  *
  *


千鳥の部屋。
テーブルの上に降ろされたケンと、テーブルの横にあぐらをかいて座る千鳥。

「いやー、うちの妹たちが悪いことしたね」
「…いいえ」
「あの子達はまだ子供だからね。他人を自由に出来るってのが楽しくてたまらないのさ。特に風麻はSっ気があるから大変だったろ」

くっくと笑う千鳥にケンは引きつった笑顔を返すことしか出来なかった。
テーブルの大地。その向こうに女性の上半身を見上げていた。
Tシャツの凄まじいふくらみが目のやり場に困る。
聞くところによるとこの女性は大学に通っているらしい。
で、ケンの横には小さなビルほどの大きさのある缶ビールが置かれていた。

「キミも飲むかい?」
「いや、俺は未だ未成年なもんで…」
「そっか。少しくらいハメはずしといたほうが後でいい思い出になるよー」
「はは」

そのビルを片手で持ち上げてごくごくと喉を鳴らす千鳥を見上げてケンはこの家に来て初めて安らいだ気持ちになっていた。
この人に頼んで帰らせてもらおかな…。

そんなことを考えたときである。

  ドカァァァアアアアアン!

突然の甲高い爆音と振動でテーブルの上にひっくり返った。
何かと思って見てみるとそこには空になった缶を持った手が振り下ろされていた。
どういうつもりなのか問おうと千鳥の顔を見ると、その顔は紅く染まっていた。

「ヒック…」

目が、据わっていた。

「……酔っ払ったの!? たった缶ビール1杯で!?」

ストレートに驚いたケン。

ぐらり。
千鳥の体が傾いたかと思うと、ケンの方倒れてきた。
ケンの見上げる先からは、あのTシャツに包まれた巨大な胸がぐんぐんと落下してくる。
逃げ出す暇も無かった。
双子山を成す胸はあっという間に目の前まで迫っていた。

  ズズゥゥゥウウウウウウウウウウウウウウウンン!

千鳥はテーブルに突っ伏し、ケンは胸の下敷きになった。

「く…苦しい…」

ガスタンクのような大きさの、しかし内部の質量は桁違いな乳房がケンを押し潰した。
乳房はケンを押さえ込むと胸板とテーブルの間で変形し横に大きく広がる。
大の字のケンは両手の指ひとつ動かせないほどの凄まじい圧迫を受けていた。
膨大な重量のそれに押さえつけられ、そのケンから見れば厚手の生地の向こうから温かみが伝わってくるのが、それが体温を持った人間の体であるという証拠だ。

ガバッ。
突然、千鳥の体が持ち上がり、ケンは圧迫から開放された。

「ふぁ~ちょっと眠っちゃったよ…」

顔を赤らめた千鳥が頭をぼりぼりと掻く。
テーブルに大の字になるケンは息を切らしていた。
指にのしかかられるよりも、足で踏みつけられるよりも、遥かに凄まじい重量だった。
意識が飛びかけていた。

「おっと。大丈夫かいー小人くん?」

爪でケンの体をひっくり返し、背後から服を爪の先に摘んで目の前に持ち上げる。
ケンはぐったりとうなだれ、千鳥の言葉に応えることも出来ないでいた。
すると体が激しく揺さぶられ始めた。

「ほらほらー。寝るにはまだ早いぞー」

指先にぶら下げたケンをぶらんぶらんと振る千鳥。
がっくんがっくんと振り回されるケンは血が逆流するような錯覚の中 目が回り吐き気を催していた。
上も下もない。絶叫マシーンですら、こうも不規則に揺れはしないだろう。

そのとき、

  ずるっ

爪の先に摘まれていた服がすべり、千鳥の指はケンを放り飛ばしてしまった。
高速で飛ばされたケンはTシャツの開いた胸元へと飛び込んだ。
目まぐるしく動く視界。脳が考えることも出来ないほどに疲弊していた矢先、突然 何かに突っ込み身動きが取れなくなる。
疲れた体を満足に動かせず、自分を挟み込むそれに抵抗出来なかった。

ケンを手放してしまった千鳥はケンの消えた先であるTシャツを引っ張り中を覗き込んだ。
するとブラに包まれた自分の胸の谷間に小さな脚が飛び出ているのを見つける。

「んふーやっぱりキミも男の子だねー。好きなだけ堪能するといいよ」

言うと千鳥はTシャツから手を離し再び缶ビールを手に取って呷った。

暖かい。
閉鎖された空間は非常に窮屈だった。
自分が頭を下にしているのを、頭に血が上るので理解する。
視界は真っ暗。空気が通っていないのか、段々と息苦しくなってきた。
耳にはやかましいほどにどっくんどっくんという重低音が聞こえてくる。
ここはいったいどこなのか。
ぼやける意識の中、ケンは思った。

缶を置いた千鳥はうつろな瞳で再び谷間を見下ろした。
そこから飛び出る脚はパタパタと暴れて自分の胸を蹴っている。
それがまたくすぐったかった。

「ひっく」

真っ赤な顔でぼーっとそれを眺めていた千鳥はくすっと笑ったあと、両腕で少しだけTシャツに包まれた胸を寄せた。
すると谷間の小さな脚がよりはげしく暴れるのがわかった。
寄せるのをやめると動きが大人しくなり、寄せるとまた激しくなった。

面白くなって何度も何度も繰り返しているうちに脚はてれんと動かなくなった。

「おー休憩かなー? んじゃー続きは休んだあとにしよーか」

言いながら千鳥は缶に口付けた。
その時である。

  バタン!

千鳥が缶を置くと同時に部屋のドアが勢い良く開け放たれ 妹二人が飛び込んできた。

「姉さん! 私の下僕返してよ!」
「お姉ちゃん! 月美の小人さん返して!」
「あらら、いきなりだね」
「いいから返して! 私はあれで遊ぶの!」
「違うのー! 月見と遊ぶのー!」

長女に食って掛かる次女と次女にすがる三女。
二人の猛攻をひらひらと手を振って交わす千鳥。

「ひっく…。そんなこと言っても小人くんは今ぐっすりお休み中だからねー」
「お休み中ぅ~?」
「そうそう」

眉をひそめる風麻の視線の先で、酒に顔を赤らめた千鳥は自分の大きく盛り上がったTシャツの胸元を指差した。

「ここでね」

それを見た瞬間、風麻と月美の顔が赤くなる。

「な、なななな…!」
「お姉ちゃん…!」

  ゴクゴク

千鳥の喉をビールが駆け下る音がする。
プハァと気味良く吐き出された息には爽快感さえ漂う。

「というわけで帰った帰った。あとは私が相手するから~……ヒック」
「ず、ずるい! 私が先に目ー付けたのに」
「月美が先ー!」

二人の妹が長女に掴みかかる。
姉は笑いながら対応していた。

が、体を揺さぶられる千鳥の胸の間ではケンが悲鳴を上げていた。
左右の巨大な肉球は小さなケンを挟み込み、更には動く過程で谷間の奥へと誘い込む。
上から僅かに覗いていた脚さえも谷間の中へ呑み込まれていった。
体全体が谷間に挟み込まれた。
頭の先からつま先までが、肉の間にみっちりと包まれている。
柔らかい乳房は全身を余すところ無く包み込んだ。
手の指の一本一本さえ肉に包まれ動かせない。
呼吸も難しいほどのミッチミチの空間だった。

更に圧力は急激に増す。
千鳥の胸をシャツ越しに月美が触り始めたからだ。

「小人さんー小人さんーどこー?」

おろおろしながら姉の乳房をぺたぺた触る末妹。
妹の小さな手が触れると胸はたゆんと形を変え、その間に挟まれるケンは「ぎゃー」と叫んだ。
その叫び声も、膨大な脂肪の塊である乳房に吸収され、外の月美には届かなかったが。

自分の乳房を必死に触る妹を見下ろして千鳥はくすくす笑っていた。
それを横で歯軋りしながら観察していた風麻もついに手を出す。

「返せって言ってるの!」

手を伸ばし、シャツの首の穴から胸の間に手を入れる風麻。
姉の大きな乳房の谷間をぐいぐいと押し開いて進んでゆく。

巨大な手が近づくとケンを包んでいた肉も僅かに隙間ができ余裕が生まれた。
ただしそれは手が近づくほどに大きくなり、押し広げられ隙間ができた分だけケンは谷間を下に向かって転がって行った。

そして巨大な指先がケンの小さな体をその先に捉えようとしたとき、ケンは胸の谷間を下に抜け、そこから落ちてしまった。

「ひ、ひぃいいいいいい!!」

千鳥の胸板にぶつかりそのまま腹に向かって転がり落ちてゆくケン。
途中、へその穴にはまりながら、ケンはシャツの下から転がり出てそのままフローリングの床に落下した。

「いってぇぇ……う、うわ!」

頭を振って痛みを払った後、状況を確認するべく周囲を見渡してケンは小さく叫んだ。
周囲には肌色の柱が数本。
風麻と月美の足。フローリングを踏みしめるその足のつま先についた足指ですら自分の身長と変わらないかそれよりも大きなものである巨大な足が。
背後にはあぐらをかいた千鳥の足。横倒しになって重ねられた足は、まるで山のような威圧感でそこに鎮座していた。
いずれも家などよりも遥かに大きい。

見上げた先の姉妹は千鳥の胸に気をとられ、シャツの下から自分が転がり出てきたことには気付いていないようだった。
もう、この責め苦から逃げられるのは今しかない。
ケンは部屋の入り口であるドアに向かって走り始めた。
ところがである。

 ズシィィイイイイイイイインン!!

 ズシィィイイイイイイイインン!!

ケンの周囲にあの巨大な足が踏み下ろされ始めた。
風麻と月美が千鳥に食って掛かろうとしているのだ。
畳とは違い、フローリングの床は衝撃をダイレクトに伝えてくる。
足が踏み下ろされた瞬間、地面が激しくゆれ ケンは宙に放り出されるほどだった。
だが足はすぐに持ち上がりまた別の場所を踏みしめて大地を揺らす。
4本の巨大な足が、ケンの周囲に踏み下ろされ続けた。
更に千鳥があぐらを解き片足を膝を立て床に置いたとき、その足はケンの真横に下ろされた。
衝撃と突風で吹っ飛ばされ転がったケン。
慌てて身を起こす過程で見上げたその足は、とんでもなく大きかった。
親指ですら見上げてしまっている。
そして更に、

 ズドオオオオオオオオオオオオオオオオン!!

千鳥がもう片方の足を前に伸ばし投げ出した。
それはケンにとって長さ70mにもなる巨大な肌色の柱が倒れこんできたに等しい。
高層ビルが横倒しになったのだ。
そんな風にさえ感じられた。
そしてそれは、まだ自分が彼女たちの足の長さにも満たないところをうろついているという事でもあった。
早く逃げたかった。
ケンは、踏み下ろされる巨大な足の振動に振り回されながら、必死に部屋のドアを目指して走った。

ようやく千鳥の足を超え、更に長い距離を走ったケン。
まだ姉妹は気付いていない。
このままドアの近くまで行き、そこにある物の影に隠れて誰かがドアを開けたときにすべり出よう。
そうやって、あの天に遥かに聳える絶壁のようなドアの前に来たときだった。

「お? 小人君、いつの間にそんなところに」
「え!? どこ!?」
「小人さん!?」

千鳥の声にケンが振り返ってみれば、同じく千鳥の声でケンが胸の間にいないことを悟った姉妹が姉の見ていた方を振り返っていた。
お互いに視線があった。
瞬間、ケンは固まり、風麻と月美は駆け出していた。

「待ちなさい! 私の下僕!」
「月美の小人さんー!」

 ズズン!

二人の巨大な足がフローリングの床を蹴った。
ケンが必死の思いで走り抜けてきた距離を、二人はたった二歩で通過した。
二人の伸ばされた手が、ケンの上空から迫る。
視界を埋め尽くす勢い。
もうダメだ…。ケンが頭を抱えた、そのときだった。

 ガチャリ

ドアが開いてひとりの巨人が入ってきた。

「あら、みんなここにいるのね」
「お、お母さん…」
「ママ…」

入ってきたのは花恵であった。
花恵はキョロキョロと部屋を見渡し始めた。

「お客様はどうしたの?」
「う…」
「あぅ…」

母の言葉に次女と三女の言葉が詰まる。
唯一、酒を飲んで上機嫌な長女がくすくす笑いながらそれに答えていた。

「くっくく、母さん、足元足元」
「え?」

娘の言葉に花恵が自分の足元を見下ろすと、素足の自分の足の、足指の下から小さな小さな手が飛び出ているのが見えた。


  *
  *
  *


「すみません。大変失礼なことを…」
「……いえ…」

茶の間。
テーブルの上のケンとそのテーブルの前に座る花恵。
当然だが、床に座っている花恵の方が、テーブルに座っているケンよりも高い。

「それにうちの娘たちが…。あとでちゃんと叱っておきますので…」
「いや…はは…」

ケンは笑うしかなかった。
ふと、花恵が「あっ」という表情とともに台所の方を振り返った。

「いけない、おなべに火を付けっ放しだわ。でもケンさんを一人で残してしまうとまたあの子たちが粗相をしてしまうかも…」
「そ、それは…」

脳裏を過ぎるは数々の危機。
押し潰されそうになり踏み潰されそうになり弄ばれもみくちゃにされてきた過去。
思い出しただけで身が震えた。
そんなケンの前で花恵はうーんと唸っていた。

「んー…そうですね。ではケンさん、夕食の準備が終わるまでこちらに入っていてはいただけませんか?」

言いながら花恵はエプロンの胸元のポケットを指差した。
ケンの顔が赤くなる。

「い、いや、そこまでしてもらわなくても…」
「でもここにいたらきっとあの子たちが来ますよ?」

花恵が廊下を見てケンもそちらを見る。
すると壁の影から ちらりと顔を出してこちらを窺っている風麻と月美がいた。

「う……。すみません…おねがいします……」

うなだれるケン。
そんなケンをにっこりと見下ろした花恵はケンの体をそっと摘み上げると胸ポケットの奥まで手を入れ、ポケットの底にケンを下ろした。
真っ白い布の空間。
右も左も白。
横に広く平たい世界。
上に僅かに別の景色が望めるだけの白に包まれたそこは間違いなくポケットの中だった。

やがて世界がぐんと上に向かう感触。
強烈な重力がケンを底におしつけた。
つまりは花恵が立ち上がったのだ。

その後は規則的な揺れがポケットの中を揺らしていた。
花恵が台所に向かって歩き始めたのだろう。
遠くにずしぃんずしぃんという重々しい音が聞こえた。

ふとケンは、進行方向からして背面であるポケットの白い壁がせり出し上下に揺れているのに気付いた。
何かと思いをめぐらせる事 一秒も無くそれに気付き、ケンは顔を真っ赤にしてそれから離れた。
ここがエプロンの胸ポケットであればその向こうに何があるかなど決まっているのだから。
空間は狭く、このポケットの端から端まですべてがそれの前にあるのだからどこにもそれに触れない場所は無い。
ケンはそれとは反対のポケットの壁にへばりついて少しでも距離を取ろうとしたのだがそれでもこの平たい世界ではそれは目の前なのだ。
対面の壁がその動きに合わせて揺れるのを手が届く距離に見せ付けられていた。
そして花恵の次の一歩のずしぃんという揺れで張り付いていた前の壁から跳ね飛ばされたケンはその揺れ動く壁に寄りかかってしまう。
すると今度はその壁が揺れたときにまた跳ね飛ばされポケットの底に転がる。
ケンは花恵が歩いている間、歩行による振動と揺れる胸に翻弄されポケットの中を跳ね回っていた。

だがすぐにそれも落ち着き、やがて大きな揺れは収まって、代わりにトントンという音が聞こえ始めた。
花恵が包丁で野菜を切っているのだと、シャキシャキッという音からわかった。
瑞々しい音が弾ける。
花恵のかすかな動きがこのポケットの中をハンモックのように揺らし、包丁の素朴で単調な音は一つごとにケンのまぶたを重くした。
気付けばケンはポケットの底に横になり微かな寝息を立てていた。

暫くして、ポケットの中を覗き込んだ花恵はそこに転がって眠るケンの姿を見て微笑むと、それまでより緩やかな動きで続きをはじめた。


  *
  *
  *


心地よいまどろみ。
暖かく雲に乗るような気持ちよさ。

だが意識は覚醒へ向かう。
眠りの終わりは理由無く訪れるのだった。

「ん…俺…」

僅かにまぶたを開く。
その視界には、まさに目の前に超巨大な指先が迫っていた。

「うぇえ!?」

慌てて飛び起きるケン。

「あらら、起こしてしまいました?」
「え、えぇ!?」

そこは花恵の手のひらの上だった。
迫っていた巨大な指は、花恵の人差し指である。

「いったい何を…」
「ふふ、すみません。寝顔があまりにもかわいかったもので、つい」

にっこりと笑う花恵。
ケンの体はずっとこの指先の腹にトン、トン、とテンポ良く触れられ寝かしつけられていた。
ただ、飛び起きたケンは、自分が自分の体よりも遥かに巨大な指先にのしかかられていたのかと思うと心臓がバクバク言うのを止められなかった。

「ふぅ……あ、すみません。うっかり眠ってしまいました…」
「いえいえ、お気になさらないでください。しかしすっかり遅くなってしまいましたね。おうちまで送って行きますよ」
「そんな、そこまでしてもらわなくても大丈夫ですよ」
「でもいくら男の子でも暗くなってからの一人は危ないですよ。すぐ支度しますから」

と、花恵が立ち上がろうとしたとき、

「月美が行く!」
「違う、あたしが行くの!」

風麻と月美が部屋に飛び込んできた。
ケンを手のひらに載せた風麻は眉を顰めた。

「あなたたちはお客様に失礼をしたでしょう? 任せられないわ」
「大丈夫! 月美、がんばるから!」
「あたしだってちゃんとやれば何てこと無いわよ!」

二人がすごい剣幕で迫る。
眉を顰めたまま「あらあら」と頬に手を当てる花恵とその手のひらの上で怯えるケン。
そこに長女が現れる。

「まぁまぁ母さん。二人は初めて見る小人君に興奮してるんだよ。もう少し一緒にいたいだけだろうからそのまま送らせてやればいいさ。私も付き添うし」

缶ビールを片手に頬を染めながら千鳥は言った。
酔いやすく、泥酔しにくく、醒めやすい。
意識はしっかりしたものである。

「そうねぇ……どうですかケンさん?」

花恵に見下ろされたケンは、同時に自分を見下ろしてきた二人の巨大な少女たちの鋭い視線に捉えられた。
肌がチリチリする。穴が開くのでは無いかというほどに見つめられた。

「ま、まぁ…いいんじゃないかな……」

そう答えるほか無かった。
最初に自分の全てを狂わせたのも、確か同じように安請け合いしたのが原因だったと思うが、今ここで断れば二人に叩き潰されかねない。

それを聞いた月美は万歳で喜び、風麻はフンと鼻を鳴らして得心のいったような顔をした。
はしゃぐ二人を尻目に、手のひらの上でうなだれるケンに花恵が話しかける。

「すみませんケンさん」
「だ、大丈夫ですよ……たぶん…」

ケンは渇いた笑みを浮かべていた。


  *
  *
  *


薄暗くなりつつある道。
そこ行く3姉妹と三女の手の上に自転車と一緒に乗せられたケン。
ケンはこの道程を1時間かけて通過したが、歩き始めて数十秒にしてすでに家の近くまでたどり着いていた。

「なんという…」

あまりの速さ。
自分が自転車を転がした1時間はなんだったのか。
巨大な手のひらの上で驚愕するケンを他所に、3人は初めて見る小人の町にはしゃいでいた。

「ほほう、これが小人君の町かー。結構近くにあったんやね」

缶を呷りながら言う長女・千鳥。
素足に履いたサンダルがカランカランと音を立てている。

「ホント。全然気付かなかったわ」

辺りを見渡しながら言う次女・風麻。
素足に履いたローファーは足元の道の幅よりも大きい。

「わぁ! かわいいおうち!」

しゃがみこんでそこにある家を見下ろし言う三女・月美。
素足に履いたスニーカーはその家よりも大きかった。

「ねぇねぇ。このちっちゃなおうち、持って帰ってもいい?」
「たくさんあるし、一個くらいいいんじゃない?」
「だ、ダメだ! 人が住んでるんだぞ!」

月美と風麻の会話を慌てて遮るケン。

「そうだぞー。これでも立派な家なんだから……っとと」
「千鳥さん! しっかりしてください!」

酔いが回ったのかふらつく千鳥。
足は家と家の間を刺すように下ろされ、ケンは顔が青くなった。

「にしてもたくさんあって邪魔ね。潰してやろうかしら」
「馬鹿! やめろ!! …わわ!」

足元にあった家の上に片足を持ち上げる風麻を止めようとして危うく手の上から落ちそうになるケンだった。

「それで小人君のうちはどこなんだい?」
「…あそこ」

月美の手の上からケンが指差す。
住宅街の外れ、暗い地面にポツンと見える明かりがそうであった。
そちらへ移動した3人は家を取り囲むように立つ。

「ふーん、やっぱり家もチビなのね」
「…わるかったな」
「ほらほら月美、小人君を降ろしてやりな」
「はーい」

しゃがみこんだ月美はケンと自転車を摘んで、足元の家の前に降ろした。
ケンはそこから3人を見上げた。
暗い夜空に向かって伸びる巨大な脚。
上半身は夜の闇に呑まれほとんど見えなかった。

「それじゃあな小人君」
「今日は楽しかったわ。またいつでもいらっしゃい」
「じゃあねー」

3人は別れの言葉を告げると地響きを立てながら夜の闇に消えて行った。
暫く消えて行った方をぼーっと見つめていたケンだが、やがて盛大にため息をつき疲れた顔で家の中に入って行った。
もう二度と回覧板を届けに行くまい。
そう誓った。



「あらお帰り。ごめんね、母さん大事なプリント入れ忘れちゃって。明日また届けに行ってくれる?」