「い、いや…大丈夫だよ! 今日もここに泊まるから!」
「えーいいよ遠慮しなくて。たまには家に帰りたいでしょ。じゃあ迎えに行くね」

電話の向こうの声が楽しそうに笑うのがわかった。

ツーツー。
ほどなくして電話は切れる。
切れた電話を手に呆然とする少年・海斗(かいと)。
制服姿の彼は駅の公衆電話で幼馴染の空奈(くうな)に電話をしていたのだった。
電話の向こうで空奈は迎えに来ると言った。
海斗は顔が青くなった。
そのとき、

 ガラガラガラガラガラ!

街に響く重低音。
ハッと我に返った海斗は駅を飛び出てある方角を見た。
すると開かれた巨大な戸の向こうに、制服姿の空奈が立っていた。

「かーくん 来たよー」

笑顔の空奈の口から凄まじいボリュームの声が放たれ街が震えた。

ここは縮小病にかかった生徒たちの暮らす仮想の街。
縮小病を発症した人間は100分の1ほどにまで縮んでしまい、通常の生活を送ることが出来なくなってしまう。
当然、普通に学校に通うことも出来なくなり、これを学生の学力低下に繋がると判断した学校は、教室の一つを100分の1の模型で満たし、擬似的な街を作り上げ、縮小病を発症した生徒たちに開放した。
これにより学生たちは生活に不便することなく日常をおくることができ、さらには学び舎にいるということで勉学にも勤しむことが出来る。
街は模型といいながら実にリアルでコンビニや商店なども設置されている。
店員は同じく学生。アルバイトという形で給料も出る。
教室ひとつと言えど、縮小してしまった学生にはかなりの広さである。
そこで移動の不自由が無いように車も多数用意された。
充電式で、しかも運転はほとんどコンピューター制御されており事故も起きない。
当然、本物の車ではないので免許も必要なくこの街の学生なら誰でも使用できた。
立派なビルが立ち並び、それぞれが高級ホテル顔負けの部屋を内包していて、そのすべてが学生の自室として自由に使うことが出来る。
学生たちは、縮小病を発症する前よりも素晴らしく快適な生活を送ることが出来ると喜んでいた。

 ゴゴゴゴゴゴ…!

轟音にまだ街が震え続けている。
何事かと、建物に入っていた学生たちも外に飛び出てきた。

やがて、

 ずずぅぅうううううううううううううううううん!!

空奈が教室に入ってきた。
赤と白のカラーリングの上履きが教室の床を踏みしめる。
そして、街を取り囲む5cmほどの壁を軽々と跨いで街の中に踏み入った。

 ずしぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいん!!

そこにあった5階建てほどのビルが上履きの下敷きになり踏み潰された。
砂煙が巻き上がり周囲の木の葉を吹き飛ばした。
もう片方の足は前に進むために高速で前進し、そこにあったいくつものビルを蹴り砕き、上履きが地表すれすれを通過したために巻き起こされた風は周囲をずたずたに引き裂いた。

空奈は足元を気にしていない。
ただスタスタと歩いていただけだった。
海斗の名前を呼びながら小人の街を蹂躙する。 

学生たちは悲鳴を上げて逃げたが、無慈悲な空奈の上履きは彼らの上にあっさりと踏み下ろされた。
ビルを粉砕しアスファルトを踏み砕いて出来た巨大な靴跡の中に学生服を中心とした真っ赤なシミが出来ていた。

ここが縮小された学生のための街なのに、そこに学生がいるなどと気づいてもいない。
いても気にしない。
用があるのは海斗だけだった。

この街に空奈の身長を超える建物は存在しない。良くても膝までだろう。あのミニスカートに届く建物は皆無である。
ほとんどの建物があの白い靴下の高さ以下なのだ。

ビルを蹴り砕いて大通りに出た空奈は道に沿って歩き始めた。
道は建物から出てきた学生が大勢いたが、足は何の躊躇も無く彼らを踏み潰し通過してゆく。
車で逃げようとしていた者は車ごと踏みしめられ、足跡の中に残る模様となった。

大通りを挟むビルの谷間を歩く空奈。
巨大な脚がそこを通過すると凄まじい突風が巻き起こり、道にいた学生はもちろん、車さえも巻き上げられた。
左右のビルのガラスは、脚を追いかけるように砕け散っていった。

「かーくん、どこー?」

立ち止まってキョロキョロと周囲を見渡す。
交差点の真ん中に停止した巨大な上履き。
爆走していた車は止まりきれず、上履きに激突して大きく潰れた。
24cmの足を内包する上履きは24mという巨大物に変化している。大型バス二台分の大きさである。
幅も10mはあり、それは片道2車線計4車線の道路のうちの3車線を埋め尽くすことを意味する。
小人の街の大通りは、空奈にとって狭い通路なのだ。

すでに何十人と言う学生があの巨大な上履きの下敷きになりミンチにされた。
上履きの裏の溝には瓦礫と肉が詰まっている。
一歩前に進むだけで、そこを走る数人を踏み潰してしまうのだ。
足下に同じ学生を踏み潰していることなどまるで気づかず街の中を歩き回る。
同級生か他学年の学生か。それに関係無く上履きは彼らに襲い掛かった。

小人の街は脆い。
空奈の足がそばに下ろされるだけで普通の家はバラバラになって吹き飛び、足が少しでも触れればビルでさえ崩れ落ちる。
通り過ぎたあとには瓦礫の山が残るのみだった。
家は空奈のくるぶしの高さほどしかなく、普通に歩いていてもその下敷きにされてしまう。
屋根の上から一階までバスンと踏み抜かれ、あっという間に粉々である。
空奈にしてみればまるで紙か砂細工で出来ているような感覚。
踏んだ瞬間に何かの感触を感じたと思ったらすでに踏み潰したあとなのだ。

10階建てのビルをひょいと跨いで通り越え町の中心に向かって進む。
足はそこを走っていた電車を踏み潰し、車両中央を踏まれた電車は二つに分かれた。
線路は大きく歪み、送電線が断ち切られたことで街を走るすべての電車が停止した。
枕木が小枝のように宙を舞って飛んでいった。

踏みしめた電車がその衝撃で空奈の足に絡みついた。
4両編成だったそれは中央を踏み抜かれ、その衝撃で持ち上がり巨大な上履きの上に巻きついたのだ。
中には空奈から逃げようとした学生で満員だった。そのほとんどがこの出来事で致命的な重症を被った。

自分の足に電車が絡んだのに気づいた空奈は身を屈めて手を伸ばしその電車を持ち上げた。
端の車両を無造作に掴み連結を引きちぎって目の前まで持ってきて中を覗き込む。
何十人も折り重なりうめき声にあふれる電車の中では、窓の外に巨大な目が現れたことに悲鳴を上げるものが現れた。
電車の中にたくさんの縮小学生の姿を確認した空奈。空奈が初めてしっかりとその姿を目に捉えた瞬間だった。

乗員の大半が物言わぬ姿に成り果てている電車の中で辛うじて生き残っていた学生はその瞳の動きに寒気を覚えた。
あまりにも、普通の動き。
電車を覗き込み、窓越しに自分たちの姿を、その惨状を見ているはずなのに、なんの感動も示さない目。
窓際で涙と血を流しながら叫んでいる学生がいるのに、目はそれを暫く注視したあとプイとそっぽを向いてしまう。
この女学生は、自分たちの存在に興味が無い。
同じ学生を死に至らしめていることに、まるで関心が無かった。

暫し電車を覗き込んでいた空奈だがその中に海斗の姿が無いのを悟ると電車を投げ捨てた。
残っている車両も同じであった。
すべての車両を確認し終えた空奈は再び地響きを立てて歩き出した。

海斗はビルの間の裏通りを駆け抜けていた。
なんとかして空奈に自分の居場所を伝えなければ。
携帯電話を持つことの出来ない海斗は空奈の電話へと連絡を取る方法を探していた。
駅の公衆電話は使えなくなっていた。空奈が送電線を引きちぎったせいなのだろう。
別の方法が必要であった。

 ずずぅぅううう……ん

街には空奈が来て以降地響きが絶えず、重々しい音と地面の揺れが街の危機を表していた。
今も空奈は自分を探して歩き回っている。
その過程でいくつものビルを蹴り砕き、同じ縮小病の学生を踏み潰しながら。
早く連絡を取らなければ、街は空奈によって壊滅させられてしまう。

と、そのとき、横道から出てきた別の学生とぶつかった。
倒れこむ海斗とその学生。

「ってぇな! どこみてやがる!」
「す、すみません!」

身を起こしながら海斗はその服装と髪型に粗暴さを滲ませる学生に頭を下げた。
同じくかぶりを振りながら立ち上がる不良学生。
海斗はその学生に見覚えがあった。同じクラスの学生だ。
不良も海斗が知っている顔であることに気づいた。

「ん? てめぇは…」

不良はハッと思い出した。

「そうだ。あの女が探してる『海斗』ってのは確かてめぇの…」
「あ…!」

自分の名前を知る学生に出会い、その事に気づいた海斗は慌てて走り出した。
その海斗を、不良が追いかける。

「待ちやがれ! てめぇがあの女を呼んだんだろうが! ぶっ殺してやる!」

不良の怒声を背に浴びながら海斗は走った。
そう、空奈は自分の名を出して呼んでいる。
街の学生全員が、空奈が自分を探していることを知っていた。
それはつまり、自分が空奈を引き寄せたと言っているようなものだ。
自分がその『海斗』だとバレたら、この地獄とも言える騒動の怒りをすべてぶつけられるだろう。
この不良のように。

海斗は裏路地を走り回り不良をまこうとしたがそれは適わなかった。
それどころか不良が自分の名を叫びながら追ってくるので、途中にすれ違った学生の何人かが同じように自分を追いかけ始めた。
捕まれば、冗談ではなく殺される。
息を切らしながら走り続ける海斗だった。

そして裏路地から飛び出し、大通りを横切って対面のビルの裏路地へと飛び込む。
不良を筆頭にした数人もそれを追って大通りに飛び出した。
そのときである。

 ずずぅぅうううううううううううううううううん!!

巨大な上履きが彼らの上に踏み下ろされた。
空奈が歩いてきていたのだ。
ビルの谷間に飛び込んでいた海斗は背後に踏み下ろされた巨大な上履きのその振動と風圧で谷間を吹っ飛ばされる。
なんとか身を起こして見ると、谷間の向こうに見えた上履きが持ち上がり歩いていくところが見えた。
上履きが下ろされていたそこには赤いシミが出来ていた。

「…」

ついさっきまで、自分を追いかけてきていた一団が、今は原型もわからないほどぐちゃぐちゃになっていた。
それに不良は、仲の良い関係ではなかったが、顔見知りであった。
それが、幼馴染の空奈によって踏み潰された。
死。
たった今、目の前で知人が死んだ。
胃の中のものを盛大にぶちまけた。
寒気がした。鳥肌がたった。毛穴が開くような寒い喪失感と恐怖。
体がガクガクと震える。
頭の中に赤色と黒色が渦巻く。

空奈の足音は遠くへと去っていった。その足音に混じってビルの崩れるガラガラという音が聞こえた。
それを聞いた海斗は震える脚でなんとか立ち上がりまた走り出した。
早く空奈を止めなくてはもっとたくさんの学生が被害に遭う。
なんとか、なんとかして止めなければ…。
吹っ飛ばされたときに擦った顔に血を滲ませ、海斗はビルの谷間を走り抜けていった。

阿鼻叫喚。
崩れたビルから黒煙が立ち上り、瓦礫の山に埋もれた道を生き残っている学生が必死になって走ってゆく。
そんな彼らの背景に聳える様に佇む空奈。
いくつものビルを砕いた上履きは薄汚れ、裏や側面にはいくつもの赤いシミができていた。
ビルの瓦礫を更に細かく踏み潰さんばかりに踏みしめて街を見下ろしている。
その上履きの下に、下半身だけを踏まれた学生が断末魔の悲鳴を上げていることなど気にもしていなかった。

「かーくん、どこにいるんだろ」

海斗がまだ生きていることを疑わない空奈。
そして自分がたくさんの学生を殺めたことなどまるで気にしていない。
彼らを殺す。それは空奈にとって、顔の前を飛ぶハエを落とすにも劣る認識だった。

「あっちの方にいるのかな」

言いながら空奈が振り向いたとき、足の下にいた学生は静かにひき肉にされた。
空奈は、またたくさんの学生を踏み潰しながら歩き始める。

息を切らし、そこに佇む海斗。
足元にはビニール袋。中には乗り捨てられた車やビルの中から集めた発炎筒が詰まっていた。
これに火を点し、明かりで気づいてもらおうというのだ。
これらを集め、更には 空奈が気づきやすいように20階建てのビルの屋上まで駆け上がったために、海斗の肺は潰れんばかりに疲弊し、心臓は爆発しそうなほど高鳴っていた。
なんとか息を整えた後、点火した発炎筒を屋上にばら撒く。
屋上全体がまばゆい光に包まれた。
空奈の大きさならこの屋上も見下ろせるので気づくはずだ。
空奈から見ればおおよそ60cmのビル。
その屋上から見下ろせる町並みは空奈が来る前とは一変していた。
ほとんどのビルが崩れ去り街のいたるところからは煙が立ち上っている。火事になっているところもあった。
ようやく、ようやくこの破壊に終止符を打つことが出来る。
あとは空奈が気づくのを待つだけだった。

 バタン!

突然、屋上の扉が開き その向こうから数人の学生が飛び出してきた。
呆気にとられ動けないでいた海斗は瞬く間に取り囲まれる。

「聞いたぞ! あの女子はお前を探しに来てるそうじゃないか!」
「お前が呼んだってのは本当なのか!?」

「え…えぇ…っ!?」

おろおろし後ずさる海斗の背中に触れるものがあった。
それは屋上の柵。背面には60mの絶壁があった。目の眩む高さである。

ふと、取り囲んでいた学生が周囲にばら撒かれた発炎筒の意味を探った。

「なんだこれ…」
「なんでこんなもんばら撒いてんだよ。…まさか、お前! 自分だけ助かろうとしてたのか!?」
「なにっ!?」

学生たちに一気に緊張が走る。
動揺。焦燥。
憤怒。激情。
極度の緊張の中に走った一瞬の不安は、爆発するように伝染し学生たちの感情を暴走させた。

「自分だけ気づかせて助かるつもりだったんだろ!」
「なんて奴だ! このクソ野郎!」

「ち、違う! これはあいつに気づかせて早くこの街から出て行くように…」

海斗の言葉は乱暴に掴みかかってきた腕によって遮られた。
学生たちの手が海斗の制服を掴む。

「俺のダチはあいつに殺されたんだぞ! 必死になって逃げてたのに足を滑らせて…」
「まだたくさん逃げ遅れてる人がいるビルが蹴り飛ばされたのを見た! あいつらがどんな気持ちだったか!」
「それなのにお前は自分だけ助かろうなんて…!!」

ギリリ…。
締められた制服が首を圧迫する。

「ち…ちが…う…!」

抵抗するが、あまりにも数が多い。
我を忘れた学生たちは更に強く海斗に掴みかかる。

そのときである。

 バキン!

海斗の背中を支えていた柵が、かかる重さに耐え切れなくなり根元から折れた。
そこに背中を預けていた海斗と、強く掴みかかっていた数人の学生が、高さ60mの屋上から宙に放り出された。
時間が、ゆっくりになる。
海斗は、仰向けのままビルの側面を落ちていった。
視線の先に、空でもある教室の天井を見つめながら。
思考が停止した。何も考えられなかった。
先ほどまで自分がいたビルの屋上がどんどん遠ざかってゆく。
自分のそばにあるビルの壁面が飛ぶような速度で上に向かって流れている。
それはつまり、自分が高速で落ちているということ。
落下すればどうなるか。
それは、数秒後には身を以って知ることになるだろう。


  ドゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!


突如、そのビルの壁面が爆発するように砕け、その向こうからすぼめられた巨大な手が現れた。
海斗は、瓦礫を四散させながら現れたその手のひらの上に落下する。
スローだった時間が動き始めたが、海斗の思考はいまだ止まったままだった。
手は、ビルを貫通して海斗を受け止めていた。
それが誰の手であるかなど、海斗の止まった思考でもわかっていた。

「ふぅー。間に合ったー」

声が、轟く。
やがて手は軽く握られ、貫いたビルの向こうへと引っ込められた。
ビルの向こうで開かれた手のひらの上の海斗の目の前には、制服を砂だらけにした空奈が座り込んでいた。

「かーくん大丈夫?」
「……空…奈…」

海斗の思考が動き出す。
手のひらの上の海斗が動き出したのを見てもう一度息を吐き出す空奈。

「はぁーよかった。かーくんが落ちたのを見て慌てて飛び込んで手を伸ばしたの。もうダメかと思ったー」

空奈は海斗が屋上から落ちビルの向こうに消えるのを見た瞬間、ヘッドスライディングの様に飛び込みビルに手を突っ込んだのだった。
おかげで制服の前面は砂だらけである。
もっとも、そのスライディングの過程にあった家やビルや学生の被害を思えば、制服が汚れるなど些事であるが。
いくつのビルが飛び込んだ空奈の巨体の下敷きになって潰され、何人の学生が 飛び込み街の上を滑る過程でゴリゴリと地面を削ったその制服に包まれた胸で磨り潰されたか。
パタパタと手ではたかれる空奈の制服からビルの瓦礫が零れ落ちる。

そして、ゆっくり立ち上がった。

 ズズン! ズズン!

再びあの巨大な上履きが街を踏みしめる。
海斗が落ちたビル。屋上に数人の学生を残していたそのビルは、空奈が立ち上がる過程で膝がぶつかりガラガラと崩れ落ちた。

「じゃあ帰ろっか」
「…って空奈! お前、いったいなんてことを…」

と、その後の言葉は、空奈の伸ばされた人差し指の先で口を塞がれたことで言えなかった。
目の前を指先の肌色の壁で遮られる。
その壁がどけられると、目の前にあった空奈の顔は笑っていた。

「あたしは、かーくんだけが大事なの」

そして空奈は手のひらに海斗を載せたまま教室を出て行った。
教室には、廃墟となった縮小都市だけが残された。