※やや【ぼの】



  『 回覧板を届けたら2 』



学校からの帰り道。
夕日に染まりつつある住宅街の中をトボトボと歩くケン。
一日の終わった帰り道は開放感と同時に疲労感が感じられる。
ふぅ。大きく息を吐きだし前を見ればそこには我が家。
カチャリ。門を開け、敷地に入ろうとしたところで…。

 ズシン!

 ズシン!!

 ズシン!!!

 ズシン!!!!

以前にも感じた規則的な大揺れが近づいてきた。

「あ。いたいた」

聞いたことのある声にギクリと体を震わせ恐る恐る振り返ればそこには見上げるほど巨大な人間が立っていた。
ブレザーにミニスカ。黒いニーソにツインテール。右手に鞄を持ち、左手を腰に当て、足元に立つケンを威圧的に見下ろしている。

「丁度あんたも帰りだったのね。ラッキーだったわ」
「お、お前は…」

にやりと笑いながら見下ろしてくる巨人を見上げ、ケンはかつての出来事を思い出す。
目の前に立つ巨人はおとなりさん。
次女・風麻(ふうま)。
以前、回覧板を届けに行ったときは、踏みつけられ、嬲られ、脅かされ、散々な目に遭わされた相手である。
夕日を背負う巨大な風麻の影が住宅街を染め上げる勢いで大きく伸びる。
ミニスカートから伸びる巨大な脚の先はケンからは家々に隠れて見えなかったが、恐らくは道路の上に下されているのだろう。片足で、道を塞いでしまう巨大なローファーが住宅街の狭い道路の上に下されているはずだ。

「な、なんの用だ!」

かつての苦痛を思い出し、後ずさりしながら言うケン。

「別に。ちょっと付き合ってもらいたいだけよ」
「い、いやだ! また俺に酷い事するつもりだろ!」
「あら、誰も下僕に意見なんか聞いてないわ。でも、どうしても断るつもりなら…」

言いながら風麻は家々の向こうに下していた右足を持ち上げた。
思わず頭をかばうような動作をするケン。
しかし持ち上げられた右足はケンの頭上を通り過ぎ、その後ろにあるケンの家の上に掲げられた。

「わかってるわよね?」

風麻のせせら笑う声が夕日に染まる住宅街に轟く。
足元のケンからは巨大な脚に邪魔されてしまってもう風麻の顔を見上げることもできない。
頭上は巨大な太ももと、スカートの中の薄暗い空間が埋め尽くしていた。

「ッ…!」

ケンの見上げる先に掲げられた風麻の巨大な足が履くローファーはそれだけで全長25mはある。
そんな巨大なローファーが掲げられたせいで、真下にあるケンの家はそこだけがすでに夜の様に暗くなっていた。
ケンの家など、そのローファーの作る影にほとんど覆われてしまっている。
巨大な風麻から見れば足元の家々など10cmも無い小さな小箱だ。
そしてそんな小箱が家であるケンからすれば、風麻のローファーは恐ろしいほどに巨大だった。

風麻のローファーの影に入り暗くなったことで、家の窓から漏れる明かりが余計に目立つ。
家に明かりが点いているのはそこに母がいる証拠だった。
今頃は夕飯の支度でもしているのだろう。
家の上空に巨大なローファーが掲げられているなどと知らず。
もしもこのローファーが下されれば、相対的に、こんなに小さな家などひとたまりも無く潰れてしまう。
バスン! 一瞬でバラバラ粉々になる家がありありと想像できる。
そしてそんな事になれば、当然中にいる母も…。

ローファーの底に着いていた小石などが落ち、屋根に当たってカラカラと音を立てるのを聞いて、ケンは今 我が家に迫っている危機が現実である事を改めて認識した。

「わ、わかった! わかったから足をどけろ!」

ケンは両手を大きく振り暴れるようにして風麻の注意を引いた。
一刻も早くその足を家の上空からどけたかった。

ケンが了承したのを見て風麻は足を家の上空からどけ、元の道に戻した。

「くくく、最初から素直に従えばいいのよ」

風麻がしゃがみこみ手を伸ばしてきた。
差し出された巨大な指が足元のケンをひょいと摘まみ上げもう片方の手に乗せる。
ケンを乗せた掌は軽く握られ、ケンは風麻の拳の中に閉じ込められた。
巨大な指が握りこんでくるそこはもう脱出する事の出来ない指の檻だった。

立ち上がった風麻は自分の家を目指して歩き出す。
ケンを握った手は歩く所作に合わせて当たり前の様に前後に振られ、振り子のように動く手の中でケンはジェットコースターのような急激な動作の中に振り回されていた。


  *


風麻の家。
今、風麻は自分の部屋で机に向かいノートにペンを走らせている。
ケンは、そんな机の上に五冊ほど積み上げられた本の上に下されていた。
たかが五冊だが、ケンからすればその本の端は高さ10mの断崖絶壁だった。
飛び降りるなんて到底無理な高さである。本の上は広大で落ちることは無いと思うが、手すりも何もない高台に取り残され、ケンはその中央に縮こまるようにして座っていた。

カリカリと、風麻の走らせるペンの音がケンにも聞こえる。
何をやっているのかと思えば勉強だった。

「もうすぐ試験があるから勉強したかったのよね」

とのこと。

「…別に勉強するだけなら俺いらないだろ」
「んーあたしって一人じゃ勉強できなくて、他に誰かいないと集中できないの」

巨大な指で電柱の様に巨大なペンを走らせながら風麻が言う。

「いや、だったらお姉さんか妹に頼めばいいだろ?」
「あの二人と一緒にいて勉強になると思う? 月美は騒ぐし姉さんはお酒飲みだすし。その点あんたなら静かだし邪魔にならないし気も使わなくていいしね」

「にっ」と笑いながら風麻は持っていたペンをケンに向けた。
電柱のように巨大なペンでの突き刺すような動作はミサイルでも向けられてるような恐怖を覚えたが、いちいち反論していてはきりがない。
ビルよりも大きな巨人の所作が俺には酷く大事であることを、早く理解してもらいたい。

(ったく横暴な奴だ。…見てくれはかわいいのに…)

本の真ん中に座りながら、やることも無いケンはぼーっと風麻の顔を見つめていた。
この陸の孤島から見える景色の大半を占める顔だ。
ノートの上を追う目はケンの身長ほどの大きさがあり、その鼻、その口、どれをとっても一人の人間であるケンよりも大きい。
だが、その造形や仕草は、間違いなくただの女の子である事が、この至近距離からでは十分に観察できた。
ケンにとってはそれなりの距離があるが、風麻にとっては目と鼻の先の距離。その香りが届くのに十分な近さだった。
シャンプーと石鹸の香りだ。最初は香水か部屋全体にアロマでも漂わせているのかと思ったが、よくよく見ていれば風麻の仕草に合わせて流れてくる空気の乗って匂いがやってくることに気付く。


考えてみれば今、ケンは年頃の女子の部屋で二人きりになっているわけだった。
陽も沈み、すでに辺りは夜の帳に包まれつつある。
日中の喧騒の聞こえなくなって、今ケンの耳に届く音は風麻が走らせるペンの音と、風麻の微かな呼吸の音だけだった。
視界も鼻も耳も、一人の女の子に占領されていた。


が…、思い出されるのは以前踏みつけられたり弾き飛ばされたり散々痛い目に遭わされたこと。
情緒もへったくれもない。思い出して、また少し気分が悪くなる。

嫌でも視界に入る風麻から視線を外そうとケンは乗っている本束の端まで来ると風麻が走らせているノートに目を落とした。
テニスコートよりも巨大なノートの上にこれまた巨大な字が無数に書き込まれている。地面の模様の様だ。
しかも今やっているのは数学だ。数式やら方程式やらでまるで魔法陣のようになっている。


ふと、そうやってノートの視線を落としたケンはそこに書かれた数式に間違いがあることに気付く。

「おい、そこ間違えてるぞ」
「え!? どこ!?」

手を止めてノートの上に目を走らせる風麻。
そんな風麻に、ケンは指を指して場所を指示した。

「そこ、その3つ目の問題」
「これ間違えてるの?」
「yの値が違う。=を跨いだらプラスマイナスは逆転するだろ」
「……あっ、そうだった!」

ケンの指摘を受けて慌てて消しゴムで式を消す風麻。
自動車のような大きさの消しゴムを摘まみ上げ、それを地面にゴシゴシと高速で押し付ける様はやや寒気がするものだった。
万が一にでもあれに巻き込まれたら自分は消しカスにされてしまうだろう。
ケンは顔を引きつらせた。

その後も風麻の間違いを指摘していくケン。
どうやら風麻は勉強が苦手であるらしいことがわかった。
もっとも、そうでもなければいちいち俺を捕まえに来たりはしないだろうが。

そうやって間違いをしていくと、風麻が言った。

「意外…あんた結構頭よかったのね」
「別に。こんなの解けて当たり前だろ、中学で習う公式なんだから。俺、高校だし」
「うそ! あんた高校生だったの!? こんなチビどう見ても年下だと思ってたのに!」

風麻が驚愕の表情で俺を見た。
何歳だろうと普通の人間が巨人族に体の大きさで勝てるわけがない。
てか体の大きさで年齢が決まってたら地球上の全人類がお前より年下って事になるだろ。
ケンは思った。

「ふーん、あんた年上だったんだー。くく、高校生のくせに年下の女の子の指にも勝てないのかな」

突如、風麻が手を伸ばし、ケンを本の上から摘まみ上げると机の上におろし、その体に指先を押し付けた。

「ぐ…! 何するんだよ!」
「ほらほら、どけて見なさいよ。中学生の指先よ。年下の女の子の指先よ」

風麻がにやにや笑いながら人差し指の指先を押し付けてくる。
指先と言ってもその太さは1mを超えるのだ。そんなものにのしかかられたら身動きすら取れない。

「うぅ…! ん、んなことよりとっとと勉強終わらせろよ! いつまでも帰れないだろうが!」
「ちょっとした息抜きよ。それに私、いいこと思いついたから勉強なんてもういいわ」
「は…?」

一瞬呆けるケンの視線の先で、風麻はにやりと笑って見せた。

「あんたを学校に持ってってあんたにやらせればいいのよ。小さいし、筆箱にでも隠しとけばばれないでしょ」
「おま…! それはカンニングだろ!」
「あら、でも『学校に小人を持ってきてはいけない』なんてルールは無いわよ?」

にやにやと笑いながらケンを指先で転がす風麻。
まるで消しカスのように丸められたり、時におはじきのように弾かれたり。
その度に小さなケンの体は大きな机の上を転がりまわった。

「はぁ…はぁ……。…いい加減にしろ! やる気ないなら俺を帰らせろ!」

たまりかねたケンは怒鳴っていた。
そんなケンに、風麻はくすくすと笑う。

「くく、ほんの冗談よ。そんなに怒ることも無いじゃない」

言うと風麻はまたあの巨大なペンを持ち上げノートへと向き直った。
そして、カリカリ、ペンを走らせ始める。

風麻が真面目に勉強を再開したのを見てケンは盛大に息を吐き出した。
風麻にとってはちょっとした息抜きかもしれないが、ケンにとっては全身を痛めつけられ嬲られる拷問だった。
体中がジンジン痛む。特にあの爪で弾かれたときは気を失うかと思うほどの衝撃だった。背骨が痛むような気がした。

ケンは痛む体を支えながら、例の積み上げられた本束へと移動した。
とても登れる高さではない。ケンはその麓に腰を下ろすと本にもたれかかった。
体を休める。たった一瞬で、立っているのも辛いほど疲弊していた。
ふぅ。苦労の吐息を吐き出した。

本にもたれかかるケンの視界の先では風麻が教科書とノートを見ながらペンを走らせている。
ふと、目が合った。
風麻はくすっと笑うとまたペンを走らせるのを再開した。


  *


しばらく。
風麻は辺をカリカリと走らせ、ケンはそれをボーっと見つめていた。

その時である。

 コンコンコン

風麻の部屋のドアがノックされた。

「っ!?」

それはケンの驚きの声でもあり風麻の驚きの声でもあった。
突然のノックにビクンと体を震わせた風麻は直後ケンを手に取った。
ケンは目にもとまらぬ速さで迫ってくる風麻の巨大な手を前に身構え声を出す暇すら与えられないまま摘まみ上げられそして握りしめられた。

「ぐ…く、くる…しい…」
「しっ! 静かに!」

風麻がケンを握る手に更にキュッと力を込める。
そうするともうケンの声は聞こえなくなった。

『風麻、入るわよ』

ドアの向こうから聞こえてきたのは風麻の母、花恵(はなえ)であった。

「う、うん」

詰まりながらも風麻が答えるとドアがガチャリと開けられた。
明けられたドアの向こうからお盆を持った花恵が部屋に入ってくる。
お盆の上には夕飯が乗せられていた。

「調子はどう?」
「う、うん、バッチリ!」
「そう」

やや顔を引きつらせながら答える風麻に花恵はにっこりとほほ笑んだ。
部屋の中の小さなテーブルの上にお盆を下す花恵。

「キリのいいところまで行ったら食べちゃいなさい」
「う、うんありがとう」

言うと花恵は部屋から出て行った。
パタン。ドアが閉まる。

「………。…あーびっくりしたー…」

はぁー…と息を吐き出す風麻。
そしてケンを握っていた手を開く。

「ゴメン、大丈夫?」

風麻の見下ろす自分の掌の中央には大の字に寝転がりゼーハーゼーハー息を切らすケンがいた。

「い、いきなり、何するんだよ…」
「だ、だって部屋に男を連れ込んでるなんてお母さんに知られたら大変だし…」
「そのせいで俺は握り潰されかけたんだぞ…」

ぎゅうぎゅうと締め付けてくる風麻の巨大な指。
ひとつひとつが手を回すこともできない巨大な指だ。そんなものが自分の体を包み込みぎゅーと握りこんでくるのだ。
ケンがどれだけ抵抗してもビクともしない風麻の指。体中の酸素を絞り出されるような圧迫の中、ケンは自分の体がメリメリ音を立てるのを聞いた気がした。

「ま。もうそれはいいじゃない。ご飯食べましょ。あたしもうお腹ペコペコ~」

掌にケンを乗せたまま椅子から立ち上がった風麻は部屋の中央に置いてある低いテーブルの横に腰を下ろした。
ケンもその低いテーブルの上に下される。

「おー、から揚げ。流石お母さん、あたしの好みわかってる~」

パンと掌を合わせて喜ぶ風麻。

「じゃあいっただっきまーす」

そしてお盆の上に夕飯に箸をつけた。
ぱくぱくもぐもぐ。
勉強で疲れ空腹だったお腹が求めるままに風麻は食べ物を口に運んで行く。
もぐもぐ。

その様子を、ケンは睨むようにして見つめていた。

そんなケンに気付いたのか、風麻は口に運ぼうとしていたから揚げを挟んだ箸の手を止めた。

「なに? あんたも食べたいの?」
「当たり前だろ。こっちだって夕飯食べてないんだから」

ぶーたれるケン。
家に帰る前に攫われたのだから、当然、夕飯など食べる時間は無い。
しかも風麻の家に連れてこられてからはずっと机の上にいたのだから。

そんなケンをしばし見下ろして、風麻はにやりと笑い、そして止めていた手を動かし、これ見よがしにから揚げを口に運んで行った。

「あ~ん」

大きく開けられた口にから揚げをわざとゆっくり運びケンにその様が見えるようにした。
薄紅色の唇の間に、から揚げが侵入してゆく。
そしてそれが半分ほど入ったところで口が閉じられる。
ガブリ。風麻はから揚げを半分ほど噛み千切った。
もぐもぐ。
口を動かしよく咀嚼する。
そして

 ゴクン

呑み込んだ。

「う~ん、おいし~。肉汁たっぷり~」

風麻はかぶりを振りながら言った。

そんな風麻の様にケンは唾を吐き捨てるような勢いで言った。

「本当に嫌な奴だな! お前は!」
「あら? おチビちゃんも欲しいのかな? じゃあ『自分は風麻様の下僕です。これからも風麻様の命令に従います』って言ったらちょっとくらい分けてあげてもいいわよ?」

ん? 風麻が言う。
風麻の言葉にケンは拳を握り歯を食いしばった。
体が震えるような憤怒に駆られた。

が、しかし、

「…」

あの風麻が半分食べたから揚げの断面を見る。
確かにジューシーだ。肉汁が溢れている。
あれにかぶりつけたら、どれだけ幸せだろうか。

風麻の横暴に対する怒りと、空腹による欲求が交錯する。
憤怒と空腹が天秤に掛けられた。
震える拳も、決断できずにいた。

「ぐ…」

答えを出せず、ただただ風麻を睨むケン。

「ん? いらないのかしら?」

にやにやと笑いながら風麻がから揚げを近づけてくる。
近くで見れば湯気が立っているのがわかる。
かぶりつけば熱い肉汁が飛び出てくるのだろう。
それは、空腹のケンにはたまらない至福に思えた。

 ぐ~

ケンのお腹まで催促し始めた。
食欲が、目の前の食べ物を全力で欲している。

「…!」

ケンの頭の中はプライドと食欲で揺れていた。
一方に傾いたかと思えば即座にもう一方に傾く。
どちらと決められない究極の選択を迫られていた。

「ほらほら~、食べたいんじゃないの~?」

風麻が近づけてくるから揚げはすでに手の届きそうな距離まで来ていた。
その熱さ、そして美味そうな匂いまで伝わってくるような距離だ。
ケンの拳が更に強く握られた。

そして

「…………いらん!!」

ケンはぷいっとそっぽを向き、背中を向けた。
最後は、プライドが勝った。
文句を言う腹の虫も、気合で封じ込めていた。

ケンが背を向けると、風麻は手を引っ込めた。

「あっそ。じゃあこれは私が食べるわね」

そしてそのから揚げを口にぽいと放り込む。
ケンが求めてやまなかったから揚げは、あっさりと風麻の口の中に消えてしまった。

「う…」

そんなから揚げを見てケンも小さく唸る。
後悔の念が湧きたってくるが、それもプライドを取るために仕方の無い事。
歯を食いしばり、耐えた。

不意に、風麻が笑い出した。

「あっははははは! 何ムキになっちゃってんのよ、こんなから揚げ一個でさぁ!」

風麻の笑い声が空腹のケンの体をビリビリと震わせた。
ただでさえデカい声なのに、空腹時は余計に大きく感じる。
ケンは振り返り風麻をキッと睨みつけた。

だが、

「くははは。ふふふ、冗談よ冗談。ちゃんとあんたにもあげるわ」

言うと風麻はティッシュを一枚手に取りそれをケンの前に敷いた。
風麻の言葉に呆けるケンの前に、風麻はから揚げを一個置いた。

「はい、あんたの分よ」

風麻の箸が離れていき、そこにはから揚げだけが残された。
直径5mにもなる大きさの。

「…」

先ほどは空腹のあまり失念していたが、実際巨大な風麻の口に合うサイズのから揚げなのだから、ケンから見ればそれは巨岩のように大きな肉の塊であるのは明らかな事だった。
目の前には、湯気を立てるから揚げが鎮座している。まるで隕石の様だ。
その畏怖すべき存在感を放つ巨大なから揚げを見上げ、ケンは立ち尽くした。

「ほら、早く食べないと冷めるわよ」

そう言う風麻は自分の夕食をぱくぱくと平らげてゆく。
風麻にとってはから揚げ一個。しかしケンにとってはトラックにも積めないような巨大な塊だ。
とても、食べ切れる量ではなかった。
しかも今は箸も無い。
手で食べようにも、この頑強な威圧感を放つから揚げの表面すら破れそうにない。
から揚げひとつ向けない腕力なのだ。

目の前に食べ物があるのに食べれない。
から揚げさえむしることのできない自分の力。
これが巨人族と人間の差なのだと、ケンはどうでもいいところで理解した。


ケンがいつまでたってもから揚げに手を着けないのを怪訝そうな表情で見ていた風麻だが、ふとその理由に思い当たりため息をつきながら手を差し出した。

「ったく、世話がかかるわね。から揚げひとつほぐせないなんて」

箸を使ってから揚げを二つに割る。
更にもう一度二つに割る。
計四つほどに分解した。

「これで食べられるでしょ。とっとと食べてよね」

言うと風麻の箸は引込められていった。

「…」

ケンは驚愕していた。
自分ではどうあってもほぐせないであろうから揚げが、風麻の差し出してきた箸によって瞬く間にバラされたからだ。
巨大な岩の様な存在感でそこに鎮座していたから揚げを風麻の箸はあっさりと小分けにし見事に分解してしまった。
ケンはピッケルか何かを使わなければ自分はこのから揚げに傷をつけることもできないだろうと思っていた。
しかし風麻は箸の先だけであっという間にバラバラにしたのだ。
ケンは改めて巨人族である風麻に恐れを感じた。
そしてそのバラされたから揚げの一つに近寄るとその断面から肉の一切れを掴みだした。
熱かったが、持てないほどではない。
ただ、むしり取った肉は、それだけで1000gはありそうだった。

「…」

たった一切れ取り出しただけで1000g。
残りは何tだろうか。

「……もぐもぐ」

とりあえずケンは食べることにした。



「はぁ~ごちそうさま。お腹いっぱい」
「うぷ…食べすぎた…」

普通に満腹の風麻の横、食べ過ぎて横になるケンがいた。
結局のところケンはから揚げ全体の100分の1も食べることはできなかった。
風麻が4つに割ったから揚げの、その一切れの、端っこのほんの一部しか食べられなかった。
もともと見上げるほどに巨大なから揚げなのだから、食べ切れるわけがないのだが。
ケンが食べ切れなかった分は風麻が一口で平らげていた。

「こんなちょっとでお腹いっぱいになれるなんて、小人はいいわね~」

テーブルの上に転がるケンを見下ろして風麻は言った。
そしてそんなケンの体をちょいと摘まみ上げ、自身も立ち上がる。

「さぁもうちょっと頑張ろうかしらね」

ギシ。椅子に腰かけ、ケンをテーブルの上に放りだし、ペンを手に取る風麻。


  *


カリカリ。
チクタク。
風麻がペンを走らせる音と時計の音だけが部屋の中に聞こえる。
すでに外からは物音は聞こえなくなっていた。
カーテンの向こうも暗い。
壁に掛かった巨大な時計を見れば、もう結構な時間だった。

「ふぁ~…とっとと終わらせてくれよ…」

満腹になり眠たくなっていたケンは大きなあくびをした。
いったいいつまでここで勉強を見続けなければならないのか。
見たいテレビもあったのに…。

「……ん?」

ふと気づけばあのペンを走らせる音が聞こえなくなっていた。
怪訝に思い風麻の方を見てみれば、その巨大な頭がこっくりこっくりと舟を漕いでいた。

「ちょ…っ! お前が寝たら俺はどうやって帰ればいいんだよ!!」

机の上で大声で抗議するケン。
だがケンの声では巨大な風麻には目覚ましにはならない。
そしてそのまま…。

  ずずううううううううううううん!!

風麻は机に突っ伏して眠ってしまった。
その振動で机の上を転がるケンだった。

打ち付けた部分をさすりながら起き上がれば、目の前には机に突っ伏しすーすーと寝息を立てる巨大な風麻の顔があった。

「………どうすんだよ…」

ケンはへなへなと座り込んだ。
相手がこうも巨大では押して揺らしたところで起きはしまい。
むしろ下手に触れれば鬱陶しがった風麻によってぺいと弾かれてしまいかねない。そうなれば机の外に放り出されることは必死だ。何十mもの距離を落下することになる。
こうなってはもうここで一晩明かすしかない。明日は学校なのに家にも連絡を入れていない。布団もトイレも何もないこの場所で明日を待つしかないのだ。

「はぁ…」

ケンはため息をつきながら、積み上げられた本にもたれかかり部屋の天井にある巨大な蛍光灯を見上げた。
そのときである。

  コンコンコン

「!?」

ドアがノックされた。
さすがに眠りこける若い娘の部屋に男が居るなどシャレにならない。
ケンは慌てて本の裏に身を隠した。

ドアを開けて入ってきたのはやはり母である花恵だった。
ドアの向こうから現れた巨大な花恵の顔は部屋の中を一瞥するとくすっと笑って部屋に入ってきた。
スリッパを履いた足でズシンズシンと机に近寄ってくる。
グラグラと揺れる机の上、ケンは見つからないよう身を縮こまらせた。

花恵は毛布を手に取るとそれを机に突っ伏して眠る風麻の背にかけた。
そして

「ふふ、ケンさん、隠れなくても大丈夫ですよ」
「ッ…!」

突然名を呼ばれ、ケンは本の影でビクッと震えた。
そろりそろりと影から顔を出すと笑顔の花恵が明らかに自分を見下ろしていた。
ケンは本の影から出る。

「き、気づいてたんですか…?」
「はい、この子が一人でこんなに長く勉強できるはずありませんもの」

言いながら花恵は寝ている風麻を軽く指差した。
最初から全部知られていたということだ。

「あ、あの…すみません。俺、娘さんの部屋に…」
「気にしないでください。どうせこの子が無理を言ったのでしょう? こちらこそご迷惑をおかけしてすみません。ご両親には連絡しておいたので心配はいりませんよ」

そして花恵は手を差し出してきた。

「とりあえずいつまでもここで立ち話をしているのも難なので部屋を出ませんか?」

ケンは差し出された花恵の手に乗ることにした。
ケンをその手に乗せた花恵は微笑むと風麻の部屋を出て行った。


  *


「本当に申し訳ありません。ウチの娘が迷惑をかけて…」
「いえ…」

リビングのテーブルの上、ケンは頭を下げる花恵を見上げていた。

「以前ケンさんに回覧板を届けていただいて以来ウチの娘達はケンさんに夢中でして、この間も月美がケンさんのところに遊びに行くと言って聞かなかったんです」
「…」

花恵がふぅと吐き出したため息が温かい風となってケンの体に吹き付けられた。
最年少の月美。もしあの天真爛漫の巨大小学生に遊びに来られていたらウチの住宅地は壊滅していたかもしれない。

「でも…」

と言いながら花恵はくすっと笑った。

「それだけ娘達にとってケンさんは特別なんでしょうね」
「そ、そうなんですか?」
「はい。特に風麻なんか今まで男の子には見向きもしなかったくせに、今じゃウチに帰ってくるたびに『今日はあいつ来てないの?』ですから」

くすくすと楽しそうに笑う花恵。
とは裏腹に、ケンは冷や汗がだらだらと流れた。
それはつまり、今後もこういう事が起きまくるかも知れないということだ。
ケンの頭の中には、ウチの住宅地で暴れまわる三人の巨大娘の姿がありありと浮かんでいた。
月美。
風麻。
千鳥。
3人の巨人に周囲を囲まれ、逃げ場を失った自分を悠々と見下ろしてくる娘達。
三つの巨大な影の中でガタガタと震える自分を想像してケンは今も体をガタガタと震わせた。

「ところで…」

という花恵の言葉でケンは妄想から帰ってきた。

「大分遅くなってしまいましたし、今日は泊まっていかれてはどうですか?」
「え? あ、いえいえ、そんな迷惑はかけられませんよ! もう帰りますから」
「そうですか。ではお家までお送りしますね。この辺りは明かりも少なくて道も分かりづらいですし、ケンさんの足ですときっと何時間もかかってしまいますよ」
「そ、それは確かに…」

自転車を使って1時間かかる距離だ。
それを徒歩で、しかも不慣れな暗い道とくれば何時間かかるかも分からないし下手すれば迷うのでは。
それを考えれば花恵に送ってもらうほうがはるかに安全だった。

「じゃあすみません、お言葉に甘えさせていただきます」
「ふふ、はい。あ、どうせならお風呂に入って温まってから行かれてはどうですか? 最近は夜も寒くなってきましたし、ちょうど私もこれから入るので」
「あ、はい。……はい?」


  *


風呂。

「…」
「大丈夫ですか? 熱くありませんか?」

股間にタオルを巻き、顔を真っ赤にして湯船に浮かぶケン。
その背後から、あのウェーブの髪を今はタオルで纏めた花恵が話しかける。

基本、風呂に入るのであればタオルは身に着けない。
ケンは意識して巻いているが、意識しなければ巻かないものだ。
つまり、花恵はタオルを身に着けていない。

「どうかなさいました?」

反応を示さないケンに花恵は首を傾げて尋ねる。

「あ、あの…その……、お、俺! 男なんで! そんな…女性の裸を見るわけには…!」

ケンは顔を真っ赤にしながら何とか言葉を搾り出した。
しかし花恵はそんなケンの言葉を受け口元を手で隠し「まぁまぁ」と微笑んだ。

「ふふ、大丈夫ですよケンさん。私ももう3人の娘の母ですから」
「い、いや、なんですかそれ!」

花恵の呑気な言葉に呆れつつもケンは後ろは振り返らなかった。
背後には、明らかに同じ湯船に浸かっている花恵がいるのだ。初見のときに花恵が何も身にまとっていないのは見ていた。つはり背後には花恵が一糸纏わぬ姿で目の前にいるのだ。
キツク閉じていた目をうっすらと開き、自身の正面の水中に視線を向ければ、そこには花恵の脚があるのが見えた。
ケンから見れば湖とも呼べる広さのこの浴槽も花恵にとっては足を伸ばすことも出来ない大きさなのである。
そのまま視線を更に手前に向け、うっかり花恵の股間が視界に入ってしまったことでケンは再び目をきつく閉じた。

ケンが顔を赤らめるのも無理無い話。
実際3人の子供がいるとはいえ花恵のプロポーションは中々のものだった。
単に女性の裸というだけでなく、それが魅惑的なボディラインをしているのだから若いケンが反応してしまうのも仕方の無いことだった。

ケンの背後にはガスタンクとまでは行かないまでも、ケンからしたらとても抱えることも出来ないような途方もない大きさの乳房が存在していることだろう。
浴槽の閉鎖された空間で跳ね返り打ち付けてくる波を受けても揺るぎもしないずっしりとした乳房だ。
とは言えその内に詰まった大量の脂肪のおかげで浮力を得ており、大きな波を受けたり花恵が身を動かしたりすれば水に浮かぶ乳房はたぷたぷと重々しく動く。
自然で、やさしく、それでいて圧倒的な存在感を放つそれはなんとも雄大だった。

「くすっ、やっぱりケンさんも男の子なんですね」
「す、すいません…」
「いえいえ、本当は男の子が欲しかったのに、どうしてかみんな女の子でして。実は私もケンさんに来ていただくのを楽しみにしていたんです」

不意にケンの前に回された花恵の巨大な指先がその小さな体をするすると自分の方に引っ張り始め、そのままケンは、湯船に浸かる花恵の胸の谷間へと連れてこられた。
ケンの左右には胸板からバインと飛び出した二つの巨大な乳房、そして上には花恵の巨大な笑顔があった。

「あ、あの!?」

ケンの裏返った悲鳴が花恵の乳房の谷間で木霊した。
花恵の顔を見上げるまでの過程には、左右の大きな乳房の表面が視界に入った。
自分が花恵の胸の谷間にいるという証拠だった。
そんなケンへの返事は無く、代わりに花恵の楽しそうな笑顔が送り返され、同時に谷間の上から下りてきた花恵の手の指先によってケンは頭を撫でられた。

それからしばらく、ケンは自分を谷間に置いて楽しそうに頭を撫でる花恵のされるがままになっていた。


  *


「大丈夫ですか?」

脱衣所。
花恵の掌の上で大の字に倒れこむケン。

「のぼせてしまいましたね。少し長湯しすぎちゃったかしら」

心配そうに掌の上のケンを覗き込む花恵。
のぼせたには違いないが、その理由の大部分は湯あたりではないとケンは確信していた。

すでに花恵もケンも着替えは済ませている。
花恵はケンを連れてリビングへと戻ってきていた。

「うーん、このままお帰りいただくわけには行きませんね。やっぱり今日は泊まっていってください。すぐにお布団を用意しますね」

言うと花恵はケンを掌に乗せたまま寝室へと入っていった。