この物語は初期の「兄と妹」と同時に書いたものです。
でもお蔵入りしてました。
何故かって?
だって人魚って素足ないじゃん。
「妹」シリーズ出したあとには出しにくくて…。





     〜 血の繋がっていない妹は人魚 〜



どこかの世界のどこかの国のどこかの島。

俺はとある理由でこの島に一人で住んでいる。
いや、厳密に言えば一人ではないのだがもう一人が人間ではないので、まあ一人だ。
何故こんな島に住んでいるのかを説明するためには、まずこの世界の伝説から話さなければならない。


「昔々あるところにおじいさんとおばあさんがいました」


…冗談だ。

この世界では昔から満月の夜は海や湖に近付いてはいけないと言われている。
それは人魚が現れるからだ。
人魚は満月の晩になると美しい声で歌い人々を魅了する。
その声に魅せられた者は虚ろな瞳のままふらふらとその声の主のもとに引き寄せられてゆくのだが、
人魚は声に引き寄せられてきた者を水中に引きずり込んで食べてしまうのである。
だから満月の晩は大人も子ども早く寝なきゃいけませんよ、と。


さて、説明の通りこの世界にはそんな伝説が残っている。
単なる伝承の様だが田舎の人々は今でもその伝説を信じ、
満月の晩がグランマグロ(良いマグロ)の繁殖期と知りながらも決して漁に出ようとはしなかった。

で、何を隠そう俺は昔、人魚に会ったことがあるのだ。
タブーを破り、満月の夜に山中の湖へ魚を取りに行ったのだが、そこで人魚と会ってしまった。
しかし食べられる事はなく今もこうして生きている。
それは何故か。

その理由は……———。




「お兄ちゃーーーーーーん!!」

「ぱぐふっ!」

突然、浜辺に立っていた俺に向かって海からミサイルのように何かが飛んできた。
それは俺のみぞおちにタックルをキメるとそのまま俺を地面に押し倒した。

「ねぇお兄ちゃん、今日は何して遊ぶ〜♪」

…。

俺が食べられなかった理由。


それは……———懐かれたからだ。


あの晩、俺たちは満月に照らされた湖畔で幻想的な雰囲気に包まれながら出会った。
その人魚は水面から上半身だけを出してこちらを見つめていた。
もちろん俺は伝説を知っている。人魚に出会うことが何を意味するかを。
お互いに見つめ合い、しばしの沈黙が訪れる。
俺は恐怖で動けなかった。心臓のみが速過ぎるくらいの鼓動を打ち鳴らしていた。
そして幾ばくかの間を置いて、人魚は口を開いた。

「わーーーい! お兄ちゃんができたーーーーー!!」

…。

…まぁそう言うわけだ。ありがとうご都合主義。ちょっと違うか。

そして今に至る。あのあと俺は人魚を連れてこの無人島に居を移した。
さすがに町民の目を盗みながら会いに来るのも難しかったし、
何よりこの世界では人魚は見つかったら即殺されるか捕まえられて見世物にされてしまうのだ。
だからこうして人のいない島に移り住んだというわけだよ。
もちろん人がいないという事は店も何もないというわけで、週に一回、少し離れた大陸に船で買出しに行かなくてはならないのだ。
不便な生活ではあったが、まぁこいつも満足しているようだし、俺もこれ以上の不満はない。

「ねぇねぇ、何して遊ぶ? 何して遊ぶの? ねぇったら〜」

…。

不満もないわけではない。

「ああー…、その前に飯を食わせてくれ。まだ起きてから何も食べてない」
「はーい。じゃああたしも朝ごはん捕ってくる」

そう言って人魚は宙で弧を描いてから海中に消えて行った。
この島は島の内部に海が入り込んでいて入り江の様になっているのだ。
あれだ、『紅○豚』に出てくるようなやつ。
周囲が崖に囲まれているのであいつが外から見られるような心配もない。
入り江の正面の崖は縦に割れていて、出入りはそこからする。
さらにその割れ目の下、海中には大きな穴が空いていて多少大きな魚でも出入りすることが出来る。まぁホラ、そういうジャンルの話だしね。

俺は砂浜に設置されたテーブルの上に皿を並べていく。
皿の上にはトーストと目玉焼き。ミルクもセット。飾り気はないが、別に困らないしな。

「さてと…——」

とトーストに手を伸ばしたとき、

 ザバアアアアアアアアアアアアア!!

と入り江に、轟音を立てながら水柱が立ち上った。
そこから出てくる、先ほどの100倍近い人魚の顔。
100倍? この入り江ってそんなに大きかったの? まあいいや。
よく見れば入り江にはもうほとんど余裕がない。
100倍の大きさになった人魚はなんだか窮屈そうだ。


ここで人魚の能力を明かそう。
 まず第1の能力。それは歌である。古来より人魚の歌には魔力が宿ると言われている。
人魚の歌声を聴くと人が正気ではいられなくなってしまうのはこの魔力の所為なのだそうだ。
その魔力が恐れられて、昔から人魚は見つけ次第殺すよう決められていたが、最近ではその美しい歌声を求めて捕獲するケースも増えてきている。
捕えられた人魚は薬物や魔法で人格(人魚格?)を破壊された後、生きた蓄音器として売りに出される。
貴族の間では、如何に美しい声で歌う人魚を所持しているか比べるのがブームとなっている程だ。
だが人魚はもともと数が少なく捕まえるだけでも危険な種族であり、さらに近年の乱獲で数が著しく減少し非常に珍しい存在となった。
故に今や人魚には1匹につき数千万から数億の値段が付けられる。すごいときには何十億にもなる。
これが業者や密猟者による人魚の乱獲に更に拍車をかけ、今もどんどん人魚の数は減っているのだそうだ。

「コイツのことも気をつけて見ててやらないと…」

俺は目の前のどでかい人魚を見つめた。

 そして第2の能力。人魚の中には魔法を使える者も存在する。
海の恩恵を受けている人魚はもともと強い魔力を秘めているのだ。
ただし全ての人魚が魔法を使えるわけではなく、ある種、才能の有無で分かれるらしい。
そしてコイツは才能の有る方に分類されるようだ。
と言っても出来る事は身体を拡縮させられることのみ。
今の状態みたいに巨大化したり出来るのだ。
もっとも、この能力が有益に使用された事はないが…。


で話は戻る。

目の前には100倍に巨大化した人魚がいた。
さっきも言ったが、入り江いっぱいに巨大な身体を詰め込みなんとも窮屈そうである。

「…なんででかくなってるんだよ」
「へへー、じゃーーーん!!」

ザバァ!! と音を立てて海中から人魚の腕が現れた。
その手には何か大きな黒いものが捕まえられている。

「今日の朝ごはんだよ」
「なんだそれ……———鯨かぁ!?」

そこには人魚の手に尾びれをつかまれ、ジタバタと身をよじる体長30メートルほどの鯨の姿があった。

「すぐ近くを泳いでたんだ。ちょっと小さいけど少しくらいならおなかの足しになるよね」

いや全然小さくないって。
てか今のお前から見たらどんな生き物も小さく見えるんじゃないか?

「…まぁいい。じゃ、食べるか」

トーストをかじる俺。
チラリと人魚の方を見ると…。

「あーん」

口を開ける人魚。
鯨はじたばたと身体をよじらせ必死に逃亡を図っているが、頭と尾びれをつかまれて逃げることが出来ない。
そして…。

 ガブリ

人魚は鯨に噛み付いた。噛み傷から大量の血が溢れる。それに連動して鯨の動きが一段と激しいものになる。
あまりの痛みにのたうっているのだ。だがそんなことには全くかまわず、人魚は食事を続けた。
人魚がかぶりつくたびにその箇所から大量の血が噴き出し、鯨は激しく暴れた。
だがその動きも、人魚が一口、また一口とかぶりつくたびに小さくなり、やがて全く動かなくなった。
段々と鯨はもとの形を失っていき、やがて尾びれだけを残して消えてしまった。
最後、人魚は顔を上に向け、残っていた尾びれを口の上に持ってくると、それを口の中に落とした。

 パクッ  モグモグ…

鯨は骨も残さず食べられてしまった。

俺「…」

口元から大量の血を流しながら微笑む人魚。なんか夢に出そうだ。
もともとは水中で暮らす人魚に獲物を焼く習慣などない。だからまぁこの光景は当然の事なのだが…。

鯨を丸ごと一頭平らげたにも関わらずその顔はまだ物足りなそうだ。

「あ〜あ、やっぱり足りないや。もう一匹捕ってこようかな」
「…」

あまりにも凄惨な光景だった。お陰で食欲が完全になくなったよ。

「あれ? お兄ちゃんは食べないの?」
「いや…、丁度今、食欲がなくなって…」
「ええ〜、ちゃんと朝ごはん食べないと元気が出ないよ」
「…。誰の所為だと…」

その後、俺は拒否する腹に無理やりトーストを詰め込んだ。
なんか血の味がするような気がするんですけど…。



ちなみに伝説にもある通り人魚は人間も食べる。
前にコイツに人間を食べたことがあるか訊いてみたんだが…、

「人間はまだ食べたことないよ」

サラリと返しやがった。しかも『まだ』と来たもんだ。

「でもみんなおいしいって言ってたよ。
 動物と違って肉が柔らかくて甘いんだって。
 心臓はコリコリとした歯ごたえがあるし。
 血と脳髄の一気飲みは鱗の艶を良くしてくれて。
 腸(はらわた)は脳味噌をつけると丁度いい塩加減になるとか。
 眼球を口の中でコロコロ転がすのが楽しいの。
 あ、骨をとっといてコレクションしてる子もいたな〜。
 でもやっぱり最高なのはこどもなんだって。
 お肉も骨もとても柔らかくて、まるでトロみたいな……」

「やめろおおおおおおおおおおお!!! それ以上何も言うんじゃねえええええええええええ!!!」

当時もの凄い震えたのを思い出した。1週間はこいつに食われる夢を見続けたからな。
やっぱ人間じゃねぇや。考え方が全然違う。いや人間じゃないのは最初から分かってるんだけど。

で、なんで俺を食わなかったか訊いてみると、

「あたしずぅ〜〜〜(中略)〜〜〜っとお兄ちゃんが欲しかったんだ。人魚は男の子いないし。
 だからお兄ちゃんに出会ったときとっっっ(中略)っっっっても嬉しかったんだよ」
「…。つまり運が良かったのか…。他の人魚に見つかってたらまず間違いなく食われてたんだろうな…」
「あはは、そうだね」
「…」



現実に戻ってきた俺。
結局食べたものはみんなリバースした。あんなもん見たあとで飯が食えるか!
とりあえずこの腹に渦巻く吐き気が収まるまでじっとしていることにする。
テーブルの横に添えた椅子にもたれかかり、降り注ぐ日光からパラソルで身を守った。
人魚はというともとのサイズに戻り入り江内をちゃぷちゃぷと泳ぎ回っている。

「あぅ〜、やっぱりまだおなか空いてる気がする。もっと大きいの捕ってくればよかった〜」
「…。いや、もとのサイズに戻って食べればよかったんじゃないか?」
「あっ! そっか! お兄ちゃん頭いい!!」
「…」

はぁ〜。盛大なため息とともに再び椅子にもたれかかった。


 *****

    そうだ。大変今更だがこの兄と人魚という登場人物に名前をつけることにしよう。
    本当は固有名詞?は付けたくないんだが、セリフで名前を呼べないってのはあとあとツラくなるだろう。
    まずは兄。えー、なにか…(辞書をパラパラ…)…レオ。獅子座? うん。なんとなく粗野な感じもするし、これでいいだろう。
    次は人魚だ。人魚、人魚…と…(辞書をパラパラ…)…えーと、英語でマーメイド。ドイツ語で…シレーヌ!?
    やべーよ! デビ○マンと決戦だよ! …今時知ってる人おらんか。まぁ冗談は置いといて…。んー…人魚、魚、海…。海?
    あ、『マリン』にしよう。あたりさわりもないし、なんとなくイメージもつかめてるしね。

    というわけで兄の名前は『レオ』、人魚の名前は『マリン』に決定したしました。パチパチパチ〜。

    …。

    それでは引き続き本編をお楽しみください。

 *****


 ザザーン

波の音がする。意識が無かったが俺は眠っていたのか? なんか変な夢を見ていた気がするが…。
太陽の高さや照り具合からして今は昼前ぐらいだろうか。
あ、今日は買出しに行かなくてはいけない日だった。
今出ないと夕方までに戻ってこれないぞ。
俺は身を起こした。そういえばマリンの姿が見えない。

「あれ? あいつどこ行ったんだ?」

で、周りを見渡してみれば俺の椅子の横でうつぶせになって寝ているマリンの姿があった。

「うぉっ!?」
「むにゃむにゃ…すぅすぅ…」

確かにここから海までそんな距離は無いが、それでも人魚が砂浜をここまで移動してきたのか。

「…。それ以前にこいつ、陸で昼寝して大丈夫なのかよ…。ったく」

俺はマリンを抱えあげた。するとうっすらと目を開けるマリン。

「あれ…? お兄ちゃん…?」
「あ、悪い。起こしちまったか。もう少し海の近くに移動させてやろうと思ってよ」
「え? エッチ? いいよ。あたしはいつでも」
「そんな話してねえよ!! 寝ぼけてんのか!?」
「うん」
「…」

俺は額に手をあてたくなったがマリンを抱いていたので出来なかった。

「…まぁいい。俺はこれから町に買出しに行って来るから留守番よろしくな」
「あたしも行く〜」
「…。人魚が人間に見つかったら大変なのは知ってるだろ。おとなしく待ってろ」
「大丈夫だよ。あたしを見た人はみんな食べちゃうから」
「デスサイズかお前は! いいから待ってなさい。何かおいしいもの買ってきてあげるから」
「ホント!?」
「…」

俺はマリンを海に戻した後、唯一の足である小型船に乗り込んだ。
エンジンをふかし、やがてゆっくりと発進した。
だんだんと速度を上げながら船は入り江の入り口に向かったのだが、突然前に進まなくなってしまった。

「…」

それは巨大化したマリンが後ろから船を掴んでいるからだった。

「…何してるんだ」
「えへへ、ちっちゃい船で遊んでみたくなったの」
「…。おいしいもの、1個減少」
「ごめんなさ〜い」

マリンから解放された船は無事島の外へ出た。
水平線の上に目的の島が見える。

「さて行くか」

船は島に向かって海面を走り出した。
その横を元のサイズに戻ったマリンが併走していた。

「どうした?」
「お見送り〜」
「ったく、島に近付いたら帰れよ」

軽快に海の上を進む船。
俺は風を身体に感じていた。
上を見ればかもめも同じ方向に向かって飛んでいる。
なんていうか、平和を実感できる瞬間だった。



だいぶ島も近付いてきて、正面にはちらほら船も見え始めた。

「見送りはここまでだ。ちゃんと家に戻ってるんだぞ」
「はーい。行ってらっしゃ〜い」

マリンはくるりと宙に弧を描いてから海中に消えて行った。

「さて——」

俺は島へと向かっていった。


 *****


買い物はすぐに終わった。
もっとも買いながら町を回るのではなく、それぞれの店で品物を指定し先にお金を払っておいて帰る時に船まで送ってもらうのだ。
買い物を済ませた俺は知った喫茶店で遅れた朝食兼昼食を食べていた。

「はぁ、やっぱプロが作るのは美味いな。自分で作ったのとは比べ物にならん」

言いながら俺は熱いコーヒーをすすった。
普段は無人島で暮らしているせいもあって、こういう町に来るとなんかこう心が満たされていく気がする。

「ふぅ…」

カウンターの椅子に持たれかかってリラックス。
すると向こうのテーブルに座っている客たちの会話が聞こえてきた。

「知ってるか? この辺りの海に人魚がいるらしいぞ」

『ぶっ!』(←コーヒーを噴き出しかけた俺)

「人魚が? そりゃ本当か?」
「ああ。なんでもこの間マグロと一緒に遊泳してるのを見たって奴がいてよ」

『(そういえばあいつ、この前マグロかじってたな…)』

「その前には、夜に海から綺麗な歌声が聞こえてきたって言う奴もいてよ。
 でもただ綺麗なだけで惹き付けられる様な感じは無かったそうだが」

『(あいつが突然歌いたいって言い出して、「魔力を込めなければ歌ってもいい」って言った記憶が…)』

「そういや最近この付近で取れる魚が減ったなぁ。鯨も随分と見かけなくなった」

『(わざわざでかくなって食べるから余計に食べる量が多くなるんだよな。今朝も鯨一頭食べて足りないとか言ってたし…)』


………。

……。

…。



『(マリンのことじゃん!!!)』

ぶわっと体中から汗が吹き出る俺。

「人魚がいるのか。出来れば捕まえたいなぁ」
「天然の人魚なら生け捕れば億を超える額がつくんじゃないか」

『(ドキドキ…)』

「でもやっぱ危険だよなぁ」
「人魚に会ったら食われちまうんだからな」

『(ほっ…)』

「あ、そういえば俺、今日人魚を見たって奴に会ったぜ」
「本当か」
「ああ、なんでも小型船の横を泳いでたって…」

『(ドキーーーーン!!!)』

「船の横? じゃあどっかの貴族に飼われてる奴じゃないのか?」
「人魚を放し飼いにはしないだろ。それに船に乗ってた人間も貴族にゃ見えなかったそうだぞ」
「へぇ、じゃあいったいどんな格好してたんだよ?」
「ほら、丁度あそこのカウンターに座ってる奴みたいな…」

と、客はカウンターを指差したが、そこには誰もいなかった。

「…あれ?」

 カラン カラーン

喫茶店のドアが閉まった。


 *****


俺は喫茶店を飛び出した。

「ハァ、ハァ…、あ、危なかった…」

体中から汗が噴き出し、肩で息をしていた。

「だいぶ噂が広まってるな…。しばらく外に出るの控えさせるか」

とりあえず歩き出した俺。
暫く歩いていると、なにやら正面が騒がしい。

「なんだ?」

すると人だかりが左右に分かれ、中から鎧を着た一団が歩いてくる。
胸の部分には白い十字架が輝いていた。
俺は驚愕した。

「聖十字騎士団!?」


    「聖十字騎士団」
    この世界の国連のような組織に所属する世界最強の軍の一つである。
    胸に白い十字架が彫られている鎧を着込んでいるのが特徴。
    だが国連所属の騎士団でありながら、その行いはいささか残虐非道である。
    危険因子は徹底的に排除し、さらに自分たちの行動に異を唱えた者や非協力的な者は重罪人として処刑してしまうこともある。
    特に人間を喰らう人魚に対しては厳しく、隊員は人魚を見つけたら即殺すよう義務付けられている。


「その聖十字騎士団がなんで…。まさか…」

騎士の一団は俺の前で止まった。
そしてリーダーと思わしき男が進み出てきた。

「貴様が『レオ』だな?」
「は、はい!」
「ひとつ訊きたいのだが…、貴様は人魚を見たことがあるか?」
「(ギクゥ!!)」
「どうなのだ?」
「な、ないと思いますけど…」
「そうか…。実はな、貴様が人魚と一緒にいるところを見たという者がいるのだよ」
「そ、それは…」
「詳しく話を聞かせてもらおうか…」

他の騎士たちが俺を囲み始める。
聖十字騎士団に人魚に関わってると容疑をかけられた人間は問答無用で処刑される。
ここは…

 ドンッ

俺は騎士の包囲が閉じる直前に、そのうちの一人を押し倒して脱出した。

「逃がすな!! 奴は人魚と関わっているぞ!!」

リーダーの声に反応して走り出す騎士たち。
皆が俺を追いかけてくる。

「くそっ! 早くアイツに知らせないと…!」

俺は港に向かって駆け出した。





俺と騎士達が去った後、そこにはリーダーだけが残っていた。

「逃がすものか。必ずやこの剣で貴様を斬り捨ててやる」

腰の剣に手を当てるリーダー。
そんなリーダーに一人の町民が近付いて来た。

「あ、あの、騎士様…」
「貴様等も奴を捕らえるのを手伝え、でなくば奴をかばったものとして斬り捨てるぞ」
「は、はい! それはもちろん喜んでお手伝いさせていただきます! ところで…」
「なんだ?」
「その人魚なのですが、殺さなくては駄目ですか? 折角の人魚、もしも生け捕れば何億もの金に…」
「人魚は危険な存在だ。見つけ次第殺さねばならぬ」
「は、はい…」

しょんぼりと落ち込む町民。
それを見てリーダーはニヤリと笑った。

「…我等、聖十字騎士団は人魚は見つけ次第殺すよう命じられている。
 が、もしも我等ではなく貴様等が生け捕ることに成功したなら、あとは貴様等の好きにするがいい」

しょぼくれていた町民の顔がパァっと輝いた。

「は、はい! ありがとうございます!!」

町民は浮かれておぼつかない足取りで走り去っていった。
その後残されたリーダーはその笑みを更に深くする。

「フフフ、単細胞共が。貴様等を操る事など造作もない事なのだよ。これでこの町に奴の居場所は無い。
 精々、抗ってもらおうか。フフフ、フハハハハハハハハ!!!」

町民を見送ったリーダーはひとり高笑いをした。


 *****


なんとか船着場までたどり着いた俺。
まだ周囲に騎士の姿は見えない。

「…よし!」

俺は自分の船まで走った。
近寄って見た限り何かされたようすもない。
すぐに動かせそうだ。
俺は颯爽と乗り込むとエンジンに火を入れた。
その時、

「わあああああああ!!」

大勢の怒号が聞こえてきた。
振り返ってみてみれば、騎士と共に大勢の町民が武器を持って走ってくる。

「……どうやら、売られたようだな…」

額が額である。
欲に駆られるのも仕方ないことではあるが…。
俺の心は猛烈な寂しさに包まれた。
さっきまで気前良くものを売ってくれていた店主のおじさんやたまに野菜をおまけしてくれた八百屋のおばさん。
他にも今まで随分と良くしてくれた町の人々がみんな手に剣やら鎌やらを持って走ってくる。

「…」

俺は船を走らせた。
間一髪彼等の到着前には海へ出ることが出来た。

「逃がすなああああ! 船を出せえええ!!」
「網だ! 網を用意しろ! 人魚を生け捕りにするんだ!!」

「…」

後ろから次々と船が追いかけてくる。
それぞれの船が網やら銛やらを積んでいる。
完全に俺とマリンを捕まえるつもりなのだ。
さらにそれらの船の後ろから大型の帆船が3隻現れた。
帆には白い十字架が描かれている。
聖十字騎士団だ。
大砲など強力な武器を搭載していて速度も俺の乗ってる小型船なんかよりもはるかに速い。
港を抜け、広い海に出てからその速度は増すばかりだ。
間はどんどん縮まっていく。

「くそっ…!」

と気付けば悪態をついていた俺の船の横を併走するように影が泳いでいる。

「…ん? …まさか!」

 ザブン それは水面に姿を現した。

「やっほ〜。お兄ちゃん、お迎えに来たよ〜」

やはりマリンだった。

「ば…」
「?」
「馬鹿野郎!! なんでここにいるんだ!!」
「えぅっ!? だ、だってうちで待っててもつまらなかったから…」
「あああ畜生!! とにかくさっさと逃げろ!! 殺されるぞ!!!」


 *****


 聖十字騎士団旗艦

マストから前を行く小型船を監視していた騎士は人魚の姿を見つけるとすぐさまリーダーに通達した。

「隊長! 出ました、人魚です!!」

「おお!!」

周囲から小さな歓声が漏れる。

「うむ。全艦、攻撃準備!」

 ゴゴゴゴゴゴゴゴ…

3つの船から幾つもの砲身が小型船に向けられる。

「隊長。町民のやつら、人魚を捕獲するつもりのようですが…」
「好きにさせておけ。どうせ奴等に捕まえることなどできん。弾幕の中に飛び込んで網を投げる事はできなかろう」
「は。それもそうですね」
「それに…」

リーダー改め隊長はニヤリと前行く小型船を見下ろした。

「やつらがあそこにたどり着くころには、すでに人魚は蜂の巣になっているわ」

隊長はゆっくりと手を上げ、そしてそれを振り下ろした。

「攻撃開始!!」

 ドドドドドドドドド!!

全ての機関銃が火を吹いた。


 *****


 バババババババババ!!

無数の弾丸が一直線にこの船の横を駆け抜けていき、水面に規則的な幅とタイミングで水柱を立てた。

「くぅ! 撃ってきたか!」
「お、お兄ちゃん! 大丈夫!?」
「俺のことはいい! それより早く逃げろ! あいつらの狙いはお前だぞ!!」
「え…、じゃああたしのせいでお兄ちゃんはこんな目に遭ってるの…!?」
「そんなことどうだっていいんだよ!! 早くしろ!!」
「やだよ…、お兄ちゃんを置いていけない!」
「俺のことはいいって言ってんだろ!!」
「それでもいや!」
「うるさい! お前俺のことを兄だと思ってんだろ!? だったら俺の言うこと聞けよ!!」
「いやッ!!」
「この馬鹿や……———」

その時、狂ったように弾丸を撒き散らしていた機関銃の1機が、マリンを射線におさめた。

 バババババババババババ!!

弾丸は水面に着弾し等間隔で水柱を立てる。
まるで水面を白い龍が走っているようだ。

そしてその龍はマリンに向かって高速で走ってくる。

「あ———!」

ポツリと声をもらすマリン。

「ちぃっ!」

俺は舵を思いっきり切った。
急遽進路変更された船はマリンと弾幕の間に滑り込むようにその船体を割り込ませる。
そして…。

 ドガガガガガガ!

船体に開く無数の穴。
そのうちの数発が俺の身体を貫いた。

「ぐ…ッ!!」

無理に曲がり、斜めになった船体の上で弾丸の直撃を受けた俺はその反動で海に放り出された。

 ボチャン!

「お、お兄ちゃん!!」

 バシャン 追いかけるマリン。


 *****


 聖十字騎士団船上

「隊長! 人魚が逃げました、どうします?」
「案ずるな。恐らくあの男を助けに行ったのだろう。あの男が生きていたら息継ぎさせるために顔を出すはずだ」

隊長は声を張り上げて、言った。

「よいか! 人魚は必ずもう一度現れる!! 海面をくまなく見張るのだ!!」
「はっ!!」


 *****


 町民船上

「人魚の奴逃げちまったぜ。それとも騎士団の奴等、殺っちまったのか!?」
「いや連中がまだあそこを動いていないということはきっとまだこの辺にいるんだ」
「そうか! 網の準備をしとけぇ!! いつ顔だすか分からねえぞ!」
「おお!!」


 *****


 それから十数秒後

マストに登り望遠鏡で周囲を見渡していた騎士の一人が海面を指差して言った。

「隊長! あそこに魚影らしきものが!」

隊長は甲板から望遠鏡で指された方向を見てみた。
すると約200メートル先の海面にゆらゆらと揺らめく黒い影があった。

「よし! 機関銃構え!」


 *****


「おい! やつら見つけちまったようだぜ!」
「急げ!! 数億の人魚を殺されちまう!」

急ぎ船を走らせる町民たち。


 *****


「ククク…、さぁ出て来るがいい。その時がお前の最後だ」

隊長は海面の影を睨みつけていた。
影が段々大きくなる。
段々、段々、どんどんどんどん大きくなる。

おかしい。あの人魚の大きさならもう姿が見えてもいいはずだ。
騎士も町民も首をひねった。

影はまだ大きくなる。大きく。大きく。
そして突然数百メートルはあろうかという巨大な水柱が上がった。

「うわああああああ!」
「ふ、船が…!」

巨大な波に巻かれ、町民の船のいくつかが転覆してしまった。
なんだ! 何が起こった!?
揺れる甲板で隊長は水柱を見上げた。
段々と落ちる水の量が減ってきて、そこにあるものが見えてきた。

「なんだと!?」
「あぁ…!」

出てきたのは巨大な手。

巨大な腕。

巨大な肢体。

巨大な頭。


巨大な…人魚。

そこには先ほどと同じ、しかし桁外れに大きくなった人魚がいた。
海上にはへそから上だけが出ている。
しかしそのへそでさえ、自分たちの視線の上にあるのだ。
視線をどんどん上に上げてゆく。
200メートルほど上に巨大な二つの乳房が見える。
胸板に張り付いた山の様に前へと突き出ている。
まるっこい乳房は我々の乗っている船よりも大きい。
その胸の前では巨大な手がおわん形に形作られている。
その手に遮られて、人魚の顔を見ることが出来ない。

隊長をはじめ、全ての騎士と町民が呆然と立ち尽くしてしまった。


 *****


素早く水面に上がるために1000倍まで巨大化したマリン。
兄をその手に抱えたまま水しぶきを上げて海上に飛び出た。
自分の起こした津波で翻弄される騎士団と町民の船。
滑稽な様子だ。優越感すら覚える。
だが今はそんなことより兄だ。
マリンは自分の手のひらの上に転がる兄を見た。
自分の感覚で2ミリくらいの大きさだ。
とてもかわいいと思うが、その小さな身体の周りが段々と赤く染まってゆく様を見て、マリンは半ば悲鳴の様に兄に話しかけた。

「お兄ちゃん! 大丈夫!?」

かすかに兄が動くのを感じる。よかった…。

「待っててお兄ちゃん、すぐに消毒するから!」

そう言ってマリンはペロッと舌を出した。
舌の幅は兄の何十倍もある。潰さないよう慎重にやらないと…。
マリンはチロチロと舌先をゆっくり兄に近付けていった。

そして舌先がおっかなびっくり兄に触れた、そのときだ。

 ペン

舌先に何か違和感を感じた。
あわてて舌を引っ込めると、兄が拳を振り上げていた。
あれで舌先を殴ったのだ。
俺は抗議した。

「こらぁ!! お前は俺を食う気か!?」
「ち、違うよ、傷を舐めてあげようと思って…」
「でかすぎんだよ! 全身なめまわすつもりか!」
「だってお兄ちゃん小さいんだもん」
「お前がでかいんだろうが! マジで食われるかと思ったぞ!」
「大丈夫だよ。あたし、お兄ちゃんは食べないから」

『は』って…。そんなニコやかに言われても…。

「でも傷は大丈夫なの?」
「…痛みで自由は利かないけど、かすっただけだからすぐに治療すれば問題ないはずだ」
「そっか。じゃあやっぱり消毒は必要だね」

再びペロッと舌を出すマリン。

「お前はそんなに俺を食いたいのか? 押し潰したいのか!?」
「らいよーうらよ」
「喋るんなら舌をしまえ」
「(ニュルン)大丈夫だよ、そっとやるから」
「はぁ…、とりあえず本格的な治療はあとだ。今は服をちぎって傷に当てておくから」
「本当に大丈夫…?」
「ま、すぐには死なないから大丈夫だよ。イテテテ…」

手のひらの上でビクリと身体を震わせる兄。
決して大丈夫ではない。
あたしを心配させまいと無理をしてくれているのだ。
早く治療してあげたい。

でも…。

「お兄ちゃん…。手当てするの、少し遅くなってもいいかな…」
「ん?」

見ればマリンは下の船たちを見下ろしていた。
その瞳は憎しみの炎でギラギラと輝いている。

「…」

俺は考える。
騎士団はともかく、町民は本当にいい人たちだった。
だが欲に駆られ、マリンを傷つけようとしている。
俺が人魚を連れていることを知った以上、どこまででも追いかけてくるだろう。
マリンを守るためには…

「……好きにしな」
「うん!」

俺は町民の運命を決定した。


 *****


騎士団、町民は混乱していた。
こんな化け物殺せるはずがない。
勇猛果敢で知られる騎士でさえ、すくみあがってしまっている。
こんなことなら人魚狩りになんか付いて来るんじゃなかった。
町民全員が後悔していた。

その時 巨大な人魚がこちらを見下ろしたのだ。
巨大な目でこちらを睨んでいる。

「あんたたち、よくもお兄ちゃんを傷つけてくれたわね」

あまりの声量に船が揺れた。
左手には兄を乗せているので使う事はできない。
人魚は右手を振り上げて、それを船団の向かって右翼に叩き下ろしたのだ。

 ドカーーーーーーーーーーーーーン!!

いくつもの船が、70メートルの拳を叩きつけられ粉々に砕け散った。
直撃を受けなかった船も、発生した大津波によって飲み込まれるか、宙に放り出された後海面に叩きつけられバラバラになった。
右翼を狙ったはずなのに、すでに全体の半分の船が転覆した。
聖十字騎士団の大型船は3隻ともなんとか大波に耐え転覆を免れている。

圧倒的な力に皆震え上がってしまった。
自分たちはなんてことをしてしまったのだろうか。
隊長を除く、全ての騎士が己を呪った。


その光景を冷ややかな目で見ていたマリンはポツリと呟いた。

「ダメ…」

騎士団はその言葉の意味を探るために彼女を見上げた。

「こんな簡単に殺しちゃったらあたしの気が治まらない…」

言いながらマリンは手を伸ばし、町民の船にデコピンをかました。
この船よりも大きな指のデコピンを受けて、
船は乗っていた数名の町民と一緒に、一瞬でバラバラに砕け散った。

「もっと、じっくり殺してあげる…」

マリンは今デコピンした船の横の船を人差し指と親指でつまみあげた。
だが船は巨大な指の力に耐えられず、海面を離れた瞬間指の間で潰れた。

「あたしから見たらあんたたちの船なんて1㎝もないの。こんなことだってできちゃうんだよ」

巨大な手はいくつかの船をまとめてすくい上げ、彼女の顔の高さまでくるとゆっくりと手のひらを返していった。
手から水がこぼれ始める。
船に乗っていた町民たちは悲鳴を上げながら船を、巨大な手が作る滝とは反対の方向に走らせた。
遅い船が2つほど奈落の底へと落ちていったが、その他の船はなんとか手の上にいることを維持した。
だがやがて水がなくなってくるとその角度も非常に急なものになってくる。
そしてついに水がなくなった。船は巨大な手の上に取り残されてしまった。
だが手の動きは止まらなかった。そのまま傾き続け、結局全ての船を遠い海面へ叩き落したのだ。

「はい、残念でした〜」

巨大な人魚は残酷な笑みを浮かべて落ちていった彼等を見送った。
なんということだ。これは生殺しだ。
逃げることも出来ない。倒すことも出来ない。
ただ殺されるのを待っているしかないのか。

騎士団の船の3番艦で、恐怖に駆られた騎士が勝手に船を動かして逃亡を図った。
その時町民の船が2、3つ船体にぶつかり転覆した。
だがこの逃亡劇は成功しなかった。

「あれ? 逃げるつもり?」

マリンは船を摘み上げた。
町民の船よりは大きく頑丈なのでミシミシと悲鳴はあげたもののその形は保っていた。

「お兄ちゃん、こっちに移っててね」

マリンは自分の頭を手の高さにを持ってくる。
そして兄を乗せた手を頭の上に乗せた。

「はい、降りて」
「いやだから自由には動けないと…」
「あ、そっか。どうしよう…」
「そこまで考えておけよな。…わかった。とりあえず手をくっつけてくれ」
「こう?」

頭と手が重なった。

「ああ。そしてたら少しずつ手を頭の方に傾けるんだ」
「え!? そんなことしたらお兄ちゃん転がっちゃうよ!」
「滑ればいいんだよ。体勢は直したから傾けてくれていいぞ」
「う、うん…」

ゆっくりと手を傾けるマリン。
それに伴って兄の身体も段々とその肌色の平原を滑り出した。

「おお、けっこううまくいくもんだな。あとはこの30メートル近い滑り台を滑りきるだけ…」

だが手の傾きは止まらずやがて斜面は垂直に近くなっていた。

「なんだとおおおおおおおおおおおお!?」

そして数秒後、俺は無数の髪の毛が生えるマリンの頭に激突した。

「イテテテ…!」
「お兄ちゃん、大丈夫?」
「大丈夫じゃねえよ! 傷が増えたじゃないか!」
「あぅ、ごめんなさい…」
「まぁ言い出したのは俺だから強くは言えんがな。それじゃあとっとと済ませてくれよ」
「うん、がんばる」

そしてマリンの手は空に消えていき、俺のいる頭も元の状態に戻された。

「がんばる…って言ったってことはすぐに終わらせるつもりはないな。嬲り殺す気か…」

俺は自分の足下でもある巨大な人魚の行いを見守った。



「お待たせ。退屈してなかった?」

マリンは右手に捕らわれていた船に話しかけた。
船の上では幾つもの点のように小さな人影が動いている。

「ふふ、ではみんなにはこっちの手に移ってもらいま〜す」

言うとマリンは船を摘んだ右手を左手の手のひらの上に持ってくるとそれをひっくり返した。
小さな人影がぽろぽろと手のひらに落ちてゆく。
人影は落下したあとのろのろと動き出したが、一部の者は二度と動かなかった。

「あれ? 今ので死んじゃったの?」

マリンは馬鹿にしたように言った。
手足が変な方向に折れ曲がった仲間を見て騎士たちは怒りに震えた。
しかしすぐにそれは恐怖による震えに変わった。
どんな頑丈な鎧に身を包んでいても意味がない。
この巨大な人魚のちょっとした動作で殺されてしまうのだ。
彼等の視界は巨大な顔で埋め尽くされている。
そしてその巨大な口が開かれ、言葉を発したのだ。

「じゃあまだ生きてるみんなにはチャンスをあげます。あたしの言うとおりにしたら見逃してあげるよ」

手のひらの上の50名ほどの騎士の間に動揺が走った。
見逃す? 助けてもらえるのか!?
皆が期待に胸を躍らせた。
助かるのなら何だってやってやる!
騎士たちの士気が上がった!

「殺し合って」

騎士の動きが止まる。
…………え?
今、なんて…。

「みんなお互いに殺し合って。最後まで生きてた人は助けてあげる」

馬鹿な! そんなことできるわけがない!
今まで苦楽を共にし、同じ釜の飯を食らってきた仲間だぞ!


…。

マリンはしばらく待ってみたが、誰一人動く気配はない。

「? 助かりたくないの?」

助かりたくないはずなどない!
だが、仲間を殺すなんて…。

「そっか。じゃあいいよ」

 クルッ

マリンは手のひらを返した。
手のひらの上に乗っていた50人の騎士は300メートルほど落下して海面か、仲間の船の上に墜落した。
どちらも、砕け散ることに変わりは無かったが。


 ***** 


マリンが騎士を手のひらに幽閉している間に、逃亡を企てた町民たちがいた。
人魚にばれないように腕の影を進みながら人魚へと近付いていったのだ。
近付いてみると改めてその大きさに驚かされる。
腹のところに近付いたときは、あのへそがこの船なんかすっぽり入ってしまうほど大きいことがわかった。
見上げてみれば、はるか上空には巨大な二つの乳房が陽を遮っている。
その乳房に遮られ人魚の顔をうかがう事は出来ない。
チャンスだ。このまま背中へ抜けてしまおう。
まさか背中に目がついているはずもあるまい。
あそこまで行けば安全だ。
数艘の船がわき腹の横を通過していった。

そしてしばらく経過して、今彼等は人魚から1キロメートル以上離れた沖合いからその背中を見つめている。
ついにここまで来た。
人魚は気付いた様子もない。
きっとこのまま逃げ切れるだろう。
逃亡に成功したのだ。

「やった…! 俺達、助かったぞ!」
「ああ! 俺達は家に帰れる!」

彼等は抱き合って喜んだ。

その時だった。


「気付いてないと思ったの?」


人魚の巨大な声が轟いた。

「ま、まさか! そんな…!」

あわてて人魚の方を振り返る町民たち。
だが人魚は背中をこちらに向けている。
顔もこちらを向いてはいない。
手を伸ばしてくる様子もない。
なんだ、自分たちに向けて言ったのではないのか。
彼等はほっと胸を撫で下ろした。

だが突然それはやってきた。


急に波が荒れ狂いだしたのだ。
恐ろしい勢いだ。
船が宙に放り出されては船体をきしませながら海面に着水する。
まるで嵐の中に放り出されたようだ。

「な、なんだ!? 何が起きてるんだ!?」

揺れに耐えながら町民は周りを見た。
依然人魚はこちらに背を向けたままだ。
その手を——ここから見えないということは身体の前に在るのだろう——伸ばしてきてもいない。
いったいなぜだ!? この嵐はなんだ!?
彼等は荒波にもまれ、船体にしがみつきながら必死に考えた。
突如彼等の船の下に巨大な影が現れた。
なんだあれは!? 鯨か!? いや、鯨であるはずがない。
その大きさは500メートル以上ある!
さらに大きくなる影。
そしてそれは巨大な水柱とともに現れた。

「う、うわあああああああああああ!!」」

2つの船がその水柱に乗って上空に連れ去られたあと、数百メートル下の海面に激突し粉々になった。
大嵐に翻弄されながら、無事だった船の町民は浮上してきたそれを見た。

「ひ、ヒレ…!?」

そう、現れたのは巨大は尾びれであった。
700メートル近くあるのではないか!?
彼等は鯨のそれを同じように見上げたことがあるが、目の前のそれは桁が違う!
この船の70倍以上の大きさだ!
尾びれから大量の水が滴り落ちてくる。
その水だけでもこの卑小な船を沈めるには十分だった。
逃亡を図っていた船は1艘を残して皆沈んでしまった。
ひとり取り残された町民は天にも届きそうな巨大な尾びれを見上げていた。
それが段々とこちらに迫ってくる。目の前のそれはどんどん大きくなる。
おそらく尾びれで海面を叩くつもりなのだろう。そこにいる自分も一緒に。
彼女はひれが海面に触れる直前、小さな船に触れたことに気付くだろうか。いや気付かないな。
俺の視界を埋め尽くすこの巨大な尾びれを見れば一目瞭然だ。
人間がバタ足をするときそこに虫が浮いていても気付かないように、きっと彼女も気付かないだろう。
もうすぐそれも証明されるさ。
俺を使ってな。
全てを諦めた彼は、尾びれの作る巨大な影の中で目を閉じた。

尾びれが海面を叩いた。


 *****


 バッシャーーーーーーーーーーーーーーーーーーンン!!

巨大な水柱が立ち上る。
さらに巻き起こされた津波が近くにあった小さな島を飲み込んでしまった。
そして大量の水を滴らせながら、再び尾びれが海中から現れた。


「バッカみたい。逃がすはずなんてないのに」

マリンは一連の行動を見もせずにやってのけた。
局地的な大シケを作り出し船を沈めたのだ。
というよりマリンとってみれば、ただ尾びれをチャプチャプさせただけ過ぎない。
町民がそっちに逃げていくのが分かっていたから、ちょっとからかってやろうと思っただけなのだ。
ほんのお遊びだった。
無論、最後尾びれを叩きつけたとき、そこに船が巻き込まれていたなんて気付きもしなかった。
実際なんの感触もなかったのだから。

「逃げられないってわからなかったのかな〜」

言いながらマリンは、たった今、数艘の船を沈没させた場所で尾びれをヒョイッヒョイッと動かした。

「さ〜て、あとはあなたたちだけだね」

そして自分の腹の前を見下ろすマリン。
大量に居た船も、今は騎士団の大型船2隻と町民の小型船10艘あまりを残すのみとなった。

「どうしよっかな〜。ただ潰しちゃうのももったいないよね〜」

その瞳は獲物を狙う動物の目だった。
逃げられない。彼等は悟っていた。
後は死が訪れるのを待つだけだ。
願わくばせめて楽に死ねることを…。
彼等は天に祈った。

不意に人魚は舌なめずりをした。

「えへへ、実はお昼ご飯も鯨1匹だったんだ。だからまだ物足りないの」

巨大な人魚は顔を近付けてきた。
彼等にとっては空が落ちてきたようなものだ。
同時に巨大な乳房が水面を打った。

マリンはそっと一艘の小船をつまみ上げた。
船は多少崩れてしまったが、人は落ちていないので問題ない。

「それじゃあみなさんにはあたしのおやつになってもらいま〜す」

ザワッ! と騒ぎ出す町民達。

おやつだって!? 冗談じゃない!! 
この巨大な手で一瞬で叩き潰されるならまだ諦められた。
だが食うだって!?
俺たちは人間だぞ!! 食い物じゃない!!
乗っていた5人の町民は猛抗議を上げた。

「あたし、これが人間デビューなんだ。満足させてね」

マリンは口を開けた。

「あ〜ん」

ぽっかりと開けられた口は、町民の船を軽々と中に入れてしまえる大きさだった。
内壁はぬらぬら輝き、巨大な歯が並び、中央では巨大な舌が、入ってくる獲物を今か今かと待ちわびる巨大な龍の様に首をもたげている。
町民たちの船は段々とその暗い口内へと運ばれていく。
既にこの時、彼等は抗議するのをやめていた。

伝説にもある。


人魚は、人間を食べる。


自分たちが人魚にとってただの食べ物であることを、目の前の現実をもって再確認したのだ。
伝説は偉大だ。
こんなにも単純で大切なことを教えてくれるのだから。
指は彼等の船を巨大な舌の上に置き去りにして出て行ってしまった。
やがて巨大な口が閉じられ始めた。
世界が、段々と闇に包まれてくる。
完全に闇に包まれたとき、この龍のような舌や大理石のような歯が動き出すのだろう。
その時が自分たちの最後だ。

そして、口は閉じられた。

その瞬間、暴れだした舌によって彼等は船ごと上あごに叩きつけられて潰れた。

結局 手で潰されるのと時間も結果も大差なかったのだ。



マリンは不満だった。
いざ食べようと思って舌を動かしただけで獲物が潰れてしまったからだ。

「ぺっ」

マリンはもと船と船の乗組員だったものを遠くへ吐き出した。

「もう! もっと味わわせてくれないとおいしいかどうかわからないじゃない!」

水面に激突して飛び散った唾液に包まれたそれに文句を言った。

「もういいよ。食べるのはおっきい船だけにするから」

その瞬間、騎士たちは悲鳴を上げた。
そして町民たちは安堵の歓声を上げた。

「その代わりちっちゃい船はこっちを手伝ってね」

え?
彼等が訝しむその前に、巨大な指はまた船を一艘摘み上げていった。
その間、もう片方の手はその巨大な胸を覆っていた水着を外していた。
船は、今度は巨大な乳首の前に持っていかれたのだ。
乳頭だけでもこの船と同じくらいの大きさだ。乳輪全体で見れば3倍以上ある。
綺麗なピンク色をしていて、ツヤツヤな肌が光を反射している。
だが、性的欲情する者はいなかった。
自分たちの知るそれとはサイズが違い過ぎたし、何より今、生命の危機にさらされているのだから。

「今までここに触れたのはお兄ちゃんだけなんだよ。今日は特別」

そしてマリンは船を乳首にこすりつけた。
船は指と乳輪の間で一瞬にして粉々になった。
まだ本格的な愛撫にはいたっていない。
ただ触れただけなのに…。

指がどけられたあと、乳首には船の残骸と幾つかの赤いシミがくっついていた。



マリンはまた不満だった。
少しは感じてやろうと思っていたのにあっという間に砕けてしまったのだから。
触れた感触なんてほとんどなかった。

「ほんと役に立たないチビ達だね」

マリンは冷ややかな目で彼等を見下ろした。
そしてため息をつきながら言った。

「もういいや。お兄ちゃんの手当てもしないといけないし、終わりにしよっか」

彼等は言葉の意味を探った。
すると巨大な手が下りてきて、隊長の乗っている騎士団の旗艦を摘み上げていった。

その後、残っている船を見下ろし手を振りながら笑顔で、言った。


「バイバイ」


その瞬間、船団の横からあの巨大な尾びれが現れ、あっという間に彼等をなぎ払った。
彼等は悲鳴を上げることすら出来ず、一瞬で波に呑まれたのだ。
波が収まったときには全てが流され船の破片一つ残っていなかった。

「さてと、約束どおりあなたたちは食べてあげるよ。でもその前に…」

マリンは船を顔に寄せ、その上を見渡した。
そして目当ての人物を見つけると、その真下の部分の船の底を指で弾いた。

 ピン

するとその人物は周囲にいた騎士と一緒に宙に舞い上がり、マリンはそれを空いている手で受け止めた。他の騎士は見捨てられたが。
マリンは手に顔を近付けると、その人物に向かって話しかけた。

「あなたが隊長でしょ? お兄ちゃんにケガさせるよう命令した一番悪い人」

彼は口をパクパクさせている。
恐怖に言葉を忘れてしまったのだ。

「あなたには特別なお仕置きをしてあげる。でもちょっと待ってて。先におやつを食べちゃうから」

言うとマリンは持っていた船を口に運んでいった。

「あ〜ん」

再び巨大な口が開かれる。
隊長には、部下たちが自分に向かって必死に助けを求めている声が聞こえた。
しかし彼にはどうすることもできない。
そして…、

 バクンッ

さすがに一口では入りきらなかったのか、人魚は船を途中で噛み千切った。
騎士団の誇る大型船は人魚の口であっさりと噛み千切られてしまったのだ。
断面には綺麗な歯型が残っている。
そしてその断面から、内部に隠れていたので何が起こったかわからないという顔をした数人の部下の姿が見えた。

「モグモグ…」

 グシャッ グシャッ

部下と船を噛む咀嚼音が当たりに響き渡る。
その後数回の咀嚼を経て、船と部下だったものは飲み込まれた。
残された船半分も同じだった。

「やっぱりこんなちっちゃな船じゃ全然足りないね。味もあんまりおいしくないし」

マリンは笑いながら隊長を見下ろした。

「さぁ。最後はあなたの番だよ」
「ま、待て! 俺が、俺が悪かった! 彼にした事は謝る! 謝るからどうか、どうか命だけは!!」
「クスクス…ダ〜メ。あなたは絶対に殺すの」

隊長の上に巨大な人差し指が現れた。
その指先が作る影に彼の身体はすっぽりと入ってしまう。
指はどんどん近付いてくる。
隊長は足をもつれさせながら慌てて影の中から逃げ出した。
そこが人魚の手のひらの上で、もうどこにも逃げ場が無いことにも気付けないほど隊長は追い詰められていた。

「おバカさんだね〜。それじゃあ鬼ごっこしようか? 10数える間あたしの指から逃げ切れたら許してあげるかも知れないよ」

彼が正気であったなら10秒もの間あの指から逃げ続けるなど不可能だと理解しただろう。
だが、わらにもすがらんという今の彼はその言葉に全てを懸けた。

「じゃあいくよ〜。よ〜い…スタート!」

彼は駆け出した。
走りながら重い鎧を脱ぎ捨てる。

「い〜ち、に〜い…」

ふと彼の周囲が黒い影に包まれた。
彼の上には人魚の巨大な指先が来ていた。
指は彼目掛けて降りてきた。
隊長は飛び込むようにして影から逃れ、その直後彼のいた場所に巨大な指がつき立てられた。
その衝撃で手のひらは大きく揺れ、彼は手のひらの上を転がった。

「あはは、よく避けたね。それじゃあ続き〜」

3秒。4秒。
その間も指は彼目掛けて何度も突っ込んでくる。
それら全てをダイブで避けては次いで来る大地震によって肌色の平野をゴミの様に転がるのだ。
この巨大な人魚からすれば俺などまさにゴミの様な存在。
今こうして俺の命を奪い去ろうと追いかけてくるのは一本の指。俺が命懸けで走り回っている場所は手のひらの上なのだ。
奴にとってみれば俺のこの命を懸けた逃走劇も、気まぐれのうちに行われた暇つぶしと大差無い。
相対的に蜘蛛の子の様に小さい人間が蛞蝓よりも遅い速度で手のひらの上を走り回り、それを潰そうと指の1本を差し向ける。
その気になれば瞬く間に終わる作業。しかし未だ終わらせるつもりがないのは俺を嬲って愉しんでいるに他ならない。
あの忌々しい人魚の手のひらの上で弄ばれるのは非常に屈辱的だが、生き残るためには仕方が無い…。

とその時、

「うッ!」

余計な考え事をしていたのが仇になったのか、手のひらの作る皺のひとつに足を躓かせた。
倒れてから起き上がる間もなく彼の周囲はあの巨大な指先の作る影に包まれた。
その指は一直線にこちらに迫ってくる。
立ち上がり駆け出そうにも身体がすくんで動かない。
既に指は視界を埋め尽くしていた。

「うわあああああああああ!!!」

 ピタッ

…。

指が止まった。
目と鼻の先。手を伸ばせば触れることの出来る距離でその指は止まっていた。

「はい10秒。がんばったね〜」

ゆっくりと指は遠ざかっていった。
必死になっていて気付かなかったが、もう10秒経ったのか。
あまりに長い10秒だったが、それももう終わった。

俺は、助かったんだ。



「これで遊ぶのは終わり。えい」

 ズン

突然、今しがた宙に去っていったはずの指が再び現れ、その爪で俺の両足を押し潰した。

「ぎゃああああああああああああ!!!」

のた打ち回り、手のひらの平原を転がる隊長。
痛みを堪えながら下半身を覗き込んでみれば、腿から下が無くなっているのが見えた。
傷口からは血が噴き出していた。

「狙いバッチリ。次はこっち」

指が持ち上げられた。
その爪の先には潰された俺の両足が肉片となってこびりつき赤い血を滴らせていた。その指がまた俺目掛けて突っ込んでくる。
避けようにも脚を無くしバランスが取れず、身動きも取れない。このままじゃ…。

 ズン

右腕が、潰された。

「ぎゃああああああ!! あああぁぁああ…!!!」
「やったぁ今度も成功。小さいからうまく狙うのが大変だよ。身体全部潰しちゃいそう」

そしてそのまま隊長の左腕も潰す。
あっという間に聖十字騎士団隊長はダルマになった。
隊長はあまりの痛みに意識が朦朧としていた。流した血の量も多い。目がかすむ。

「ふ〜ん、もともとチビだから、手足がなくなっても大きさは大して変わらないね」

言いながらマリンは隊長を指の腹で捕らえるとコロコロと転がした。
その度に隊長は身体中を走る激痛に悲鳴を上げた。

「どお? 苦しい? でもお兄ちゃんはもっと苦しかったんだよ」

ぎゅうぎゅうと押し付けてくる指に身体中の骨がミシミシと音を立てる。
圧迫され、傷口からは更に大量の血が噴き出した。

 ボキィ!

どこかの骨が折れたのだろう。
甲高い音を立てた。

「あ、今、変な感触がした。骨でも折れたのかな」

構わず指を動かし続けると、指先は次々と新しい感触を得た。

「わぁなんかプチプチいってる。きっとたくさんの骨が折れてるんだね」

そしてマリンは指をどけた。
指のあった場所には血溜まりの中、真っ赤になった隊長の身体があった。

「そろそろ死にそう? じゃあもういっか」

マリンはペロリと舌なめずりをした。

「さっきの人間は船と一緒だったから味はよくわからなかったけど、今はあなた一人だから大丈夫。じっくりと味わってあげるから」

開かれた口から出てきた巨大な舌は、血の池に横たわる隊長を舌先に捕らえると再び口の中に戻っていった。
舌に触れている部分が痛い。ただ触れているだけなのに、恐ろしい速度で身体が溶けているようだ。

「あぁ…あなたの味が舌に染み込んでくるよ。人間ってこんなにおいしいんだね。癖になっちゃいそう」

口の中で反響する声に鼓膜を破られ、すでに彼にその言葉を聞く事はできなかった。
程なくして目も見えなくなった。身体の感覚がなくなっていくのがわかる。
これが、溶けるということなのだろうか。
声を出したい。叫び声を上げたい。しかし出るのはヒューヒューという空気の通る音のみ。喉もやられたのだろうか。

そして最後、彼はドロリと自分の顔面から何かが滑り落ちるのを感じた。恐らくあれは、顔の肉だったのだろう。
それを感じた瞬間、彼は完全に溶けて消えてしまった。


「くすくす…とってもおいしかったよ。ごちそうさま」


マリンは口の中に溜まっていた唾をゴクリと飲み込んだ。



 *****



キョロキョロと辺りを見渡して、生き残りがいないことを確認したマリンは兄に声をかけた。

「終わったよ〜、お兄ちゃん」

頭の上から声が帰ってくる。

「…見てたよ」
「どうしたの? 声が変だよ?」
「…よくお前は平気だな…」
「? なにが〜?」
「…たくさんの人を、殺してさ…」
「うん。だって人間は食べ物だもん。食べても食べないで殺しても同じだよ」
「…。まぁ人魚のお前はそうなんだろうけどさ…。俺は暫く飯が食えそうにないよ…」
「ダメだよ。ちゃんと食べないと元気が出ないよ」
「お前の所為だろ!」

とにかく、すべて終わったのだ。
俺は一刻も早く家に帰りたかった。

「じゃ、帰ろうぜ」
「あ、待って。まだやることが残ってるの」
「やること?」
「うん、見てて」

そうするとマリンはくるりと後ろを向いた。
そして尾びれを天高く突き上げ…、

俺「…まさか」

振り下ろした。
幅700メートルの尾びれは高さ1000メートル以上の大津波を巻き起こした。
津波はさきほどまで俺が買い物をしていた港町に向かっていく。
あそこには今回の騒動に参加しなかった町民や子どもたちが残っているはず。
津波はどんどん大きくなりながら町に近付いてゆく。
すでに陽光を遮り、町はその影に包まれた。

そして…。



 ザバーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン!!!



津波は町を飲み込んだ。

町全体が一瞬にして洗い流されたのだ。
きっと今頃大勢の人々が大洪水の中で溺れていることだろう。
彼等に罪はないのに…。

暫くすると港町とその周辺を覆っていた大量の水も、途中の家や木や馬車や人を押し流しながら海に戻ってきた。
町は全体が水浸しになり、再び元の活気を取り戻すためにはいったいどれほどの月日がかかるだろうか。
それは分からない。
なぜなら周辺の人間は一人残らず溺れてしまったのだから。

俺はここいら一帯で唯一の人間になってしまった。

「ふぅ、すっきりした〜」
「…」
「どうしたの? お兄ちゃん」
「ここまで…、ここまでする必要があったのかよ!」
「うん。あの町はお兄ちゃんにひどいことした人たちが住んでたからお仕置きしたの」
「だからってなぁ! あそこに残ってた人たちは何もしてないだろ! 子どもだっていたんだぞ!!」
「お兄ちゃんにひどいことした悪い人と一緒に暮らしてたんだから同じ悪い人だよ」

あっさりと言うマリン。
こいつが人魚だからこうなのか。それともこいつだからこうなのか。
恐ろしい。
この調子だと、いつかそんな理由で国のひとつくらい滅ぼしてしまうんじゃないだろうか…。

「うん。どっかの国の人がお兄ちゃんにひどいことしたら、その国の人は皆殺しだね」
「…」

マリンはにっこりと笑った。
俺は…、今日まで自分が生きてこられたのが不思議でならない。
見れば太陽はまだ上の方にあるが、俺にはこの海が赤く見えた。

夕日でではない。 血の色で…。



 *****



夕刻。
今度こそ海が夕日で赤く染まっている。

入り江のビーチで、身体中を包帯でぐるぐる巻きにした俺はうんうんうなっていた。

「う〜ん…う〜ん…」
「どうしたの? お兄ちゃん」

元のサイズに戻ったマリンが話しかけてくる。

「…引っ越そうかと思ってさ」
「お引越し!?」
「ああ、もう近くに町も無いからこの島で生活することは出来ないし、どっか別の場所に行きたいんだ」
「そんな…、じゃあ…じゃあもうお兄ちゃんとはお別れなの…?」

うるうると目に涙を溜めるマリン。
とても先ほどまで大虐殺を繰り広げていた奴とは思えない。

「別れないよ…ちゃんと連れてく。恐ろしくて野放しになんか出来やしない…」

ほーっ と安堵の息を漏らすマリン。

「でもなんで急にお引越しすることにしたの?」
「…いずれ異変を聞きつけた聖十字騎士団や他の軍がこの辺を調査しにやって来るはずだ。奴等には見つかりたくない」
「大丈夫だよ。来たらあたしがみんな食べちゃうから」
「……それが嫌なんだよ。できればもうお前にあんなことさせたくないんだ」
「なんで? あたしは全然平気だよ?」
「…」

あまりにあっけらかんと言い切ったマリンは屈託のない笑顔で俺を見つめている。

「はぁ…、今はわからなくても、いつかはわかってくれると信じてるよ」
「なにが? なにが? 教えてよ〜」
「まぁいい。それよりも引越し先と引っ越し方も考えないと。なにせ…」

ちらり俺は横を見た。
そこにはもと俺の船のだったものの破片の山が積み上げられていた。

「…」
「あぅ…ごめんなさい…」

そうなのだ。
一連の騒ぎの後、こいつはあのサイズのまま船を持って帰ろうしたのだが、力加減を間違えて指の間で潰してしまったのだ。

「…どうやって移動しようかな…。それにこの島以上にこんな都合のいい場所なんてあるかどうかも分からんし…」
「じゃあこの島ごと移動しようよ」
「無茶言うな。いったいどうやって」
「うん。待ってて」

マリンは海へと消えた。

「?」

俺は首をひねった。
すると突然島を覆う崖の向こうで超巨大な水柱が上がった。

「なッ…!?」

そしてその水柱の中から、先ほど町を滅ぼした時よりもさらに大きくなったマリンが現れた。

「やっほー! お兄ちゃん見てる?」

島の空を埋め尽くすマリンの顔。
巨大な胸が今にも落ちてきそうだ。

「そんなにでかくなってどうするんだよ!」
「えへへ、こうするんだよ」

突然島が激しく揺れ始めた。
なにやら岩を砕くような音も聞こえる。
俺はあまりの振動に立っていることが出来なかった。

「まさか…」

その大地震に続いて一瞬、浮遊感の様なものが感じられた。
だがすぐに揺れは収まり、元の穏やかな海と島が戻ってきた。

「はい。これでこの島ごと自由にお引越しできるよ」
「……何をした」
「この島を地面から引っこ抜いたの。今はあたしが手に持ってるんだよ」
「……島を持ってるのか…」
「それじゃあお兄ちゃんどこに行きたい? 好きなとこに連れてってあげるよ」
「……ああもう……見つかりたくないから移動するのに…これじゃあかえって目立っちゃうじゃないか…」


俺はマリンに抱かれた島の上で頭を抱えた。

これからいったいどうなるのだろうか。





 *****


 後日。

騎士の一団が戻らないことに異変を感じた国連は現地に調査団を派遣した。
調査団の見たものは数千平方メートルにわたって荒れ果てた土地と何があったのか完全に廃れた町。

そして、地図には載っているのに、目の前には影も形もない不思議な島の存在であった。