「はぁ~気持ちいい~…」

海に来ていた少女。
足の届く水深を、波に体を預けながらゆったりと揺蕩っていた。
本来なら彼女の膝にも届く長ーい黒髪は今はまるでワカメのように波間に漂っている。
何のことは無い、バカンスのひと時だった。


  *


しかしただのバカンスで済まないのが、その近くの国であった。
沖合に突如現れたおよそ1万倍もの大きさの巨人に、国中がパニックに陥ったのである。
その国の首脳陣は即座に巨人への迎撃を指示し、十数隻もの軍艦が出動することとなった。

はるか沖合に見える巨人に向かい邁進する軍艦たち。
水平線上に見える巨人の後ろ姿は肩から上しか見えていなかったが、白くうっすらと霞んだ後頭部とその周囲を漂う雲に、その巨人の大きさを推し量ることができた。
軍艦の乗組員たちは国を守るため覚悟を決め、巨人に向かって直進する。

そして間もなくその巨体に攻撃を開始しようというとき、乗組員たちはそこから先の海の色が違うことに気づいた。
深い青色だった水面が、黒く変わったのである。
いったい何なんだろうと乗組員が首をひねった時である。

  バキン!! ガシャン!!

甲高く鈍い音が艦内に響き、同時に艦体が激しく揺れ、乗組員たちは大きく足を取られる。
計器がけたたましく異常を訴え、そして艦の動きが止まってしまった。

いくら機器を操作してもピクリとも動かない艦。
原因を調べると、スクリューが破損してしまっていることがわかった。
何故突然スクリューが壊れたのかは、甲板に出た乗組員が気づく。

海の色が黒いのは巨人の髪の毛が海面に広がっているからで、スクリューはその髪の毛を巻き込んでしまったゆえに破損してしまったのだと。

巨人の巨大な頭から伸びる恐ろしく長い髪の毛は一帯の海域に10km以上もの距離にわたって広がっていた。
たかが髪の毛であるが、とてつもなく強靭なそれは全長300m弱の大きさの軍艦を動かす強力なスクリューへと絡みつき、回転を簡単に止めてしまったのだろう。
巨人の髪の毛は一本一本が直径80cmと、人間の身長の半分近くに及ぶ。まるで大きな吊り橋でも支えられそうなほどに太く頑丈だった。

髪の毛の揺蕩う海域に侵入した軍艦は瞬く間にスクリューと船体を絡め取られ身動きが取れなくなってしまった。
結局、十数隻すべての軍艦が少女の髪の中で動けなくなってしまったのである。


  *


海を満喫していた少女は、ふと、髪に何かが絡まる様な感触に気づく。

「? なんだろう」

少女は海に体を預けるのをやめ、両足をしっかりと海底に着き、半ば寝かせていた体を立ち上がらせながら背後を振り返る。


  *


ザバアアアアアアアアアアアアアアア!!

突如、あの巨人の体が動き出した。
それまで見えていた肩から上だけでも十分に巨大だったのに、今度は更にその下の部分までが海中から飛び出してきたのだ。
遠くから見ていた国民の何人かだけは、それは巨人が立ち上がったのだろうと理解することができた。

大量の海水を引きずりながら巨人の上半身が海上にあらわになった。
あまりに巨大すぎる体に小さいが巨大な水着のトップを身に着けている。
そのまま巨人は背後を振り返ろうとしたのだが、

「うわああああああああああああああああああああ!!」

直後、軍艦の乗組員たちが悲鳴を上げ始めた。

少女が立ち上がって振り返ろうとすると海面に漂っていた少女の髪の毛もその動きに引きずられ、そこに絡め取られている軍艦たちも一緒に引きずられてしまったのだ。
船舶の常識を無視したすさまじい速度で飛び出した軍艦たち。一隻にはおよそ1000人の乗組員が乗っていたが、それが十数隻、すべての乗組員が悲鳴を上げていた。
少女が振り返ると軍艦たちも海の上をぐるんと円を描くように勢いよく引きずられたが、彼女の強靭な髪の毛は捕えた軍艦たちを決して放そうとはしなかった。


背後を振り返った少女は、視線の先に陸地を見つける。
あまりにも平坦で気づかなかったのだ。
何故こんなにも陸地の起伏が無いのかというと、

「あれ? もしかして…」

少女はその陸地の方に近寄ってみる。
当然、その髪に絡まった軍艦たちも一緒に引きずられていく。


海の向こうからあの巨人が進んでくるのを見て国は更にパニックになった。
最初は胸ほどまでしか見えなかった巨人も、今はヘソが見えるくらいにまで近づいてきている。
このままではあっという間に上陸されるだろう。


しかし少女はその時点で足を止めた。
そしてやや前かがみになり陸地の上を見渡す。

「わ~、やっぱり小人の国だ。ということはもしかしてこの国の人を驚かせちゃったかも。ごめんね、すぐに帰るからね」

少女は自身の1万分の1のサイズしかない小さな国に手を振ると踵を返し海へと戻っていった。

ザブザブと海と空をかき分けながら去っていく巨人の姿を国の人々は呆然と眺めていた。
その背後、長い髪に絡まれたままの軍艦たちも。


巨人はそのまますべての軍艦を引きずりながら水平線の彼方へ消えていった。