※【破壊】



 『 天空人と地上人 』



かつて人々は空に夢を見た。
この青く広い大空を鳥の様に飛んでみたいと願った。

やがて人は飛行機を発明し空を飛ぶ力を手に入れた。
しかし人々の空を求める心はそれで満足などしなかった。
遂には町や城さえも空に浮かび始めた。
町の乗った大地ごと空に飛び上がり、人々は果てしない空を行く。
かつて誰もが思い描き、妄想し、空想の物語に夢を募らせた、空。
人々は空を手に入れていた。

しかし、そんな彼らとは逆に地上に残った人々もいた。
彼らも空に夢を見る事はあったが、母なる大地を離れる事を嫌ったのだ。

いつしか空を求める人と地に残る人との間で争いが起き、人は二つに分かれて戦った。
戦いは空を求める人々が勝利を手にし、敗北した地上に残る人々は散り散りになりながら命からがら地上のどこかへと逃げて行った。
空を求める人々を邪魔する者はいなくなり、人々は晴れて大空へと旅立っていった。

もう遠い昔の話である。
あれから幾星霜の月日が流れ、空を求めた人々は、いつしか自分たちが空にいるのが当たり前になっていた。
自分達は空で生まれ空で生活してきたのだと思うようになっていた。
自分達の先祖が地上にいたなどと話せば笑われる世界になっていた。
かつて自分達と袂を分かち、地上に残った人々がいたなどと、誰一人覚えてはいなかった。


ふと、その空に浮かぶ大地の上の町で、誰かが彼方を指さして叫んだ。
見れば、この雲海の流れる青い空のずっと向こうに、ぼんやりと何かの姿が見えたのだ。
山か? 人々は、これまで文献や資料でしかその山と言うものを見た事は無かった。
彼らの居る浮遊都市に届くほどの山は存在しなかった。
だから、彼らが雲や星以外に何かを見上げるのはそれが初めての事だった。

浮遊都市は風に流れている。ゆっくりと、その影に向かって流れていた。
そして近づくにつれ靄が消えその姿がはっきりと見えてくると人々は悲鳴を上げた。
そこに現れたのは、間違いなく人間だったからだ。
どこからどう見ても自分達と同じ人間だ。
だが、途方も無く巨大だった。
この全長で10kmにもなる浮遊大陸など比べ物にならない大きさだ。
長年この浮遊大陸で暮らす彼らも、この大陸が地上からどのくらいの高さに浮かんでいるのかは知らなかった。
だがこの目の前に現れた巨人は、その見果てぬ大地に足を着いてなお天空に浮かぶこの街を見下ろしているのか。
町で暮らすすべての人々が震え上がっていた。
未知の恐怖だった。
これまでこの天空にあって恐怖と言うものとはほぼ無縁だった人々が感じる初めての感情だ。
巨人は、顔の周囲を漂っていた巨大な雲を片手で払いのけ、まっすぐと自分たちの浮遊大陸を見下ろしてきていた。
未知との遭遇を果たしたようなきょとんとした表情だ。
この世にはこんな巨大な人類が存在していたのか。
町の人々はこの浮遊大陸よりも巨大な顔を見上げて恐怖のあまり近くにいた人々と抱き合い体を震わせていた。


その巨人は、かつて地上に残った人の末裔だった。
資源の限られる浮遊大陸とは違い地上の大地には栄養の豊富な食べ物が満ち溢れていた。
それらを食べ生活するうちに地上の人々の体は段々と大きくなっていった。
長い年月を得るうちに大きくなり続けた地上人は今やかつての10万倍もの大きさにまで巨大化していた。
もちろん今の地上人はかつての地上人の大きさを知らない。
自分達地上人は最初からこの大きさだと思っている。
そして天空人と同じように、自分達地上人と袂を分かった天空人の事など長い年月のうちに忘れ去っていた。

地上人の少女は、自分の胸の高さほどの位置をふわふわと浮いているそれが何かまるで分らなかった。
こんな風に空をふよふよ浮かぶのは雲以外には知らなかった。
少女から見るそれは大体10cmほど。片手の掌に乗ってしまう大きさだった。

「なんだろう、これ?」

少女はきょとんとした表情で首をかしげた。
そしてその浮かんでいるものを手に取ってみる。


そのあり得ないほどに巨大な巨人がそのあり得ないほどに巨大な手を伸ばしてきた事で天空人の恐怖はピークとなった。
直径1kmを超える巨大な指々が大陸の端を掴んだ。
大陸の下部分を人差し指以下の4本の指が掴み、親指は町などがある大陸の上方面へ押し当てられた。
巨大な指が触れた瞬間大陸は空に浮かび上がって初めて地震というものを体感した。
だがその揺れは単に地震と呼ぶにはあまりに巨大すぎた。
揺れ幅数百mというとんでもない大揺れに見舞われた大陸の上ではあらゆる建物が崩壊し人々は大陸の上を凄まじい速度で転がり倒れてきた建物や塀などに激突して真っ赤な飛沫を上げて飛び散った。
大陸の外周にいた人々は大陸から放り出され高度100km超の空を落下していった。
また大陸の表面に押し当てられた親指はそこにあった町の一区画を押し潰し、そこにいた何千と言う人々全員を町ごと消し去った。
人々は一瞬、上空を埋め尽くす巨大な親指の指紋を見る事が出来た。
5本の超巨大な指が触れた瞬間大陸はその全体が軋むような音を立てていた。
強大過ぎるその指の力に大陸が耐えきれていないのだ。
指はその恐ろしい力で大陸を掴み離そうとしない。
大陸の至る所からメキメキと言う音が聞こえていた。

直後、大陸は巨大な手によって凄まじい速度で移動され、天空人の何割かが空に放り出された。
移動した先は地上人の顔の目の前だった。
この大陸よりも何倍の大きな顔が天空人たちの視界を占領した。
巨大な目が覗き込んでくる。直径1kmを超える巨大な目だ。
天空人達はこれまで使った事も無い兵器というものを使ってその巨人に攻撃を仕掛けた。
何百というミサイルが上空に広がる巨大な目に向かって飛んで行った。
いくつものミサイルがその目に吸い込まれるように飛んでいきそして命中した。
が、目はそれを気にした風も無くキョロキョロと動き大陸を見渡し続けている。
追撃として更に多くのミサイルが投入されたが、それらは今度は目に届く前に分厚い瞼によって遮られその表面に無数の爆発の炎を巻き上げた。
巨人の瞬きだった。
効果はそれだけだった。
天空人の攻撃は巨人の目と瞼を相手に全くの無意味だった。
大地を切り取って浮かばせるほど偉大な科学力を誇る天空人の攻撃は、巨人にとって砂が目に入った程度の意味すら持たなかったのだ。

再び大陸は僅かだが移動させられ、今度は上空に巨大な暗黒の穴が二つ現れた。
これまで天空人が見た事も無い巨大な穴だ。


さくっと観察してみた少女だがそれが何かはわからなかった。
ちょっと匂いを嗅いでみるも、これといった匂いは無い。


町の上空に現れた巨大な鼻の穴は直径数百mもの大きさを持っており、人々にとっては奥の見えぬ完全な暗闇に包まれた魔窟だった。
ゴゥッ!! その巨大な鼻の穴が周囲の空気を吸い込み始めた。
恐ろしい吸引力だった。
穴は町の上空1000mほどのところにあったが、その凄まじい吸引力は大陸に残っていた天空人の半数ほどを宙に舞い上げ鼻の穴の中に吸い込んで行った。
人々が悲鳴を上げる間もなく穴の中に消えてゆく。
車も、家までもがバラバラに崩壊し瓦礫になりながら吸い込まれていった。
時にビルさえも土台となる地面ごと大陸から剥がされ穴の中に消えて行った。
地上人の少女がその匂いを嗅ごうとし僅かに息を吸い込んだだけで大陸の上の天空人の町は壊滅していた。
直後、吸い込んだ分の息が、たった今 万余の天空人が吸い込まれ消えた鼻の穴から吐き出され、直下にあった大陸に吹き付けられた。
ゴォォォオオオオオ!!
それはあの凄まじい吸引力以上の威力を持っていて、直下にあった町はその鼻息の直撃を受けて消し飛ばされ完全な砂漠に変えられてしまった。
大きな建物に隠れ先の吸引から身を守る事が出来た天空人も、吹き付けてきたその爆風のような鼻息によってビルごと押し潰され吹き飛ばされた。
大陸の半分以上が更地に変えられた。
山も鼻息の直撃を受け粉々に砕けるか削られ高度を減らされ、豊かな森は根こそぎ吹き飛ばされ砂漠になった。
湖の水は一瞬で吹き飛ばされただの大地のくぼみになり、町の家やビルなどは砂粒の様に吹き飛ばされていった。
町に近かった天空人は爆発さえ消し飛ばしてしまう凄まじい鼻息を受けてまるで消えるよう粉々に砕け散り、町から離れていた天空人はその爆風によって大陸から吹き飛ばされ空に落下していった。
少女の鼻息によって大陸にあった町は壊滅しその大陸の上で暮らしていた天空人のほとんどが消えてしまった。
少女から見て大陸の反対側で暮らしていた一握りの天空人だけが生き残っていた。
大陸の上には未だあの凄まじい鼻息によってかき混ぜられた大気の鳴動するゴゴゴ…!という音が轟いていた。

直後、また大陸全土がぐらりと揺れた。
あの大陸を掴む大陸以上に巨大な手が動いたのだ。
そしてそれまで町の上空にあった山のように巨大な鼻が消え、かわりに、大陸の横に巨大な洞窟が姿を現した。
恐ろしく巨大な少女の、口だった。
大陸は、その口の中に向かってゆっくりと進み始め、生き残っている天空人はこれまで以上に悲鳴を上げた。
薄紅色の唇に縁取られた口が大きくあーんと開けられ、大陸の上の天空人からは上の歯しか見えなかったが、上下を山脈の様に並ぶ巨大な真白い歯がまるで門のように大陸を受け入れて行った。
口の中に入っていった大陸の端が陽光を遮られ薄暗くなってゆく。まるで陽が沈み夜になってゆくように。
偶然にもその部分は先の被害から僅かに生き残った天空人の居る部分だった。
超巨大なふっくらとした唇と、恐ろしく巨大な歯が彼らの上を通過し、彼らにとっての空だった場所は少女の上あごが占領した。
赤く生物的な薄暗い空だ。
生温かく甘いような酸っぱいような空気が風となって大陸の上を吹き抜ける。
その後、あの山脈の様な白い歯が下りてきて大陸に食らいついた。
山脈の様な前歯が大陸に食らいつくと口の中に取り込まれた天空人たちは暗闇に包まれ、その白い歯達はまるで壁のように大陸を寸断した。
そのままその巨大な前歯は大陸にゴリゴリと沈みこみ、大地が抉り削られ齧られる音に天空人達は耳を押さえうずくまった。
天空人達にとってはこれまで何万年という長い月日を過ごしてきた大陸は少女の巨大な前歯によってあっさりと喰いちぎられ切り離された。
天空人達のいる喰いちぎられた部分はその部分よりも広大で巨大な舌の上に乗せられ口の中を揺蕩った後、恐ろしく巨大な奥歯によってぐしゃりと噛み潰された。
ズシン! ズシン! 巨大な奥歯はプレス機のように何度大陸を噛み潰し、先ほどまで天空人を乗せていた大陸の一部は少女の唾液と混じり泥のようになっていた。
じゃぶじゃぶとあふれ出る大量の唾液に呑まれる大陸だった泥は段々と薄く、そして原形を失っていく。
だが直後、その大陸の一部を内包した口全体が異常な動き方をし、そしてすぐ、大陸だった泥を含んだ夥しい量の唾液は口から吐き出されていた。


匂いが無ければ味はどうなんだろうと、地上人の少女はそれの端っこを少しだけ齧って味見してみた。
だがそれは失敗だった。それは土の味がしたのだ。
たまらず少女は口に入れたそれをペッと吐き出していた。
吐き出した唾液交じりのそれは地面に堕ちるとピチャッと小さな音を立てた。

「ぺぺっ! なんなのよもう…!」

少女は地面に落ちた唾に向かって今度は言葉を吐き捨ていた。
そしてまだ手に持っている残りのそれを睨みつけると、それも地面にたたきつけた。
それは地面にぶつかると粉々に砕け散った。
砕け散ったそれを、更に足で踏み潰す。
少女の24kmある足が、足元にあった他の山々共々落ちた浮遊大陸を踏み潰し、山岳地帯だったそこいらは少女の足によって綺麗に平らにされた。
かつて天空人の超科学によって空へと飛び立ったその浮遊大陸は、何万年ぶりかに母なる大地へと帰ったのだ。

「……でも浮かぶ土なんて珍しいわね。もっと無いかしら」

そして少女は、他の浮遊大陸を探してきょろきょろあたりを見渡しながら地響きを立てて歩き去っていった。


それから暫くすると地上人の若い少女の間ではその浮かぶ土をインテリアとして飾るのが流行し多くの少女達がそれを求めて探し回った。
かつて天空人は地上人を排撃し追放したが、数万年の時を経て、今度は地上人が天空人を蹂躙する事となったのだ。
先祖の無念を子孫が晴らしたのだ。
もっとも当事者である天空人と地上人のどちらもその事実には気づいていなかったが。
浮遊大陸は次々と地上人の少女達のの手に落ちて行った。
時に浮遊大陸の集団がたった一人の少女によって根こそぎ攫われてしまう事もあった。
天空人は彼女達が地上人だとは気づかない。
地上人はそこに天空人がいるなどとは夢にも思わない。
数万年ぶりに袂を分かった人類が遭遇したが、それに気づいた者はいなかったのだ。

かつて天空人が求め夢見て手に入れた大空は、地上人にとっては見下ろせる程度の高さになっていた。
排撃された地上人が、自分達を排撃してまで天空人の求めた空を見下ろしている。

またひとつの浮遊大陸が地上人の少女に見つかった。
この上空十数万mに浮かぶ浮遊大陸を、遥か彼方の大地に足を下しながらも見下ろしてくる少女の巨大な笑顔を浮遊大陸の天空人達は見た。
その巨大な少女が笑顔のまま手を伸ばし、その恐ろしく巨大な手が浮遊大陸の上空を覆い尽くしてゆくのを、天空人達は泣き叫びながら見上げる事しかできなかった。