※思いついたので…。


俺は今、この薄暗くてジメジメした場所を掃除している。
広大な範囲は俺一人でやれば何時間とかかるだろう。
だがやらなければならない。
もう、俺しか残っていないからだ。

俺はブラシを使って黒ずんだ地面をゴシゴシと擦る。
頑固な汚れは思い切り力を込めてようやく少し落とせる程度だ。
あいつの途方も無い体重でガチガチに押し固められている。
この黒ずんだ地面からは鼻のもげそうな臭いがゴウゴウと湧き出ていて周囲は息をするのも辛い空気だった。
しかもここは逃げ場のない閉鎖された空間。空気が流れずこもっている。
鼻で息をしないようにしながら俺はこの永遠に終わらぬ地獄の苦行にも思える作業に意識を集中させた。
そうしなければ理性を保てないからだ。

突如、薄暗かったこの空間が更に暗くなった。
振り返り見上げてみれば、この閉鎖された空間唯一の開口部である天井の一部を、まるで蓋をするかのように何かが覆っていた。

『ねー、終わったー?』

まるで目の前で雷鳴が轟いたかのような爆音に俺は数mは吹っ飛ばされ全身を強く打ちつけた。
それでなくてもその声の衝撃は一瞬だが俺を気絶させるほどの破壊力があった。
俺は痛む体で蹲りながら声を振り絞る。

「ま、まだです…」
『そうなの? 早くしてね』

天井の穴を覆っていたものが移動した。
同時に恐ろしい大地震が規則的な間隔で発生しながら遠ざかってゆくような感じを覚えた。
俺は痛みと悔しさに歯噛みしながら拳を握りしめた。


  *


「はぁ。やっぱ一人じゃ遅いか」

私はしゃがみこみ床に置いてある上履きの中を覗きこんでいた。
その右の上履きの中では2mmもない小さな小さな小人が動いている。
彼にはこの上履きの掃除を命じているのだ。

立ち上がった私は自分の机へと移動するとその上に広がる極小の町並みを見下ろした。
1000分の1サイズのそれはまるでヘリコプターか何かで空から見下ろしているような光景だった。
それがただの作り物で無いのはその中に蠢く無数の車と人の姿を見れば一目瞭然。
およそ40cm四方の空間だが、その空間の境目からも人や車が自由に行き来している。
つまりは3次元立体カメラの映像を映し出しているかのような状態だ。
ここに現物があるわけではなく、現実の街並みを立体映像のように投映しているのである。
ただの立体映像と違うのは、それに触れる事も出来る点だが。

「でも連れて来ようにも今は面倒なのよね」

私は横に置いてあった適当な雑誌を手に取った。
ただ週刊誌であるが、どんな週刊誌も見れば必ず「集団失踪事件」の記事を載せている。
雑誌だけではなく、新聞、テレビ、インターネットでも連日のように報道が続けられている。
当然と言えば当然、ひとつの町から数百人が同時に失踪したのだから。
先に、私が攫ったのだ。
だがここまで大事になるとは思っていなかった。
しっぽを掴まれることはないと思うが、それでも面倒はできるだけ避けたい。
ほとぼりが冷めるまでは、彼一人に頑張ってもらうしかないだろう。

 *

当初は攫った数百人で掃除をさせていた。
極小の人間は細かい汚れまで手が届く。数百人もいればそれなりに綺麗に掃除ができた。

で。そうやって自分の靴下の中で作業している人たちに何かハムスターのような愛玩的なかわいらしさを覚えた私はその中から一人を摘まみ上げ掌に乗せた。
掌にちょんと乗せた小人はゴマ粒の様に小さくて私の掌と比べると本当に小さかった。
小人は摘まんでいた指から解放され掌に下されるとその辺をうろうろと歩き回り始めた。
指で摘まんで怖がらせてしまったのだろうか。まぁ小人から見れば私の指も直径10mを超える巨大さなのでそんなものが自分を挟み込んだとなればそれは驚いて当然か。
でも、指でちょっと摘ままれたくらいで怖がってしまうとはなんともかわいいものだ。
そして自分がうろうろしているそこが私の掌だとわかっているのだろうか。
小人から見たら野球場のグラウンドくらいの広さはあるかも知れない。
広すぎて、肌色の平野に見えるのかも。

「キミは私の掌の上にいるんだぞー」

私は掌の上の小人に教えてあげた。
すると小人は驚いたように立ち尽くしあとふらふらと後ずさり始めた。
そして私の掌のシワに躓いて転んでしまった。
あまりのかわいさに妙な興奮を覚える。

そして暫くその掌の上の小人で遊んでいたわけだが、一つの事に集中すると他の部分への配慮は疎かになるわけで、私は椅子に座っていたわけだが、気付いたら私は足元に置かれた上履きを足で弄んでいた。
淵を足の指で挟み持ち上げたり、左右の足で転がしていたりした。
中に入れられていた小人はどんな気分だっただろう。
自分の居る建物をひっくり返されるようなものだったはずだ。

ハッと気づいたときには、私の右足は数百人の小人が入れられていた上履きにねじ込まれしっかりと履いていた。
私の足に丁度良い大きさの上履き。その中に入れられていては逃げ場なんて無かっただろう。
実際、履いた右足にはなんの動きも感じなかった。

 *

そんなわけで残ったのは掌に乗せていたあの小人ひとり。
彼まで失うわけにはいかなかった。私の上履きを掃除してくれる唯一の人なのだから。
早く掃除し終わらないだろうか。また彼を掌に乗せて遊びたい。

机の前の椅子に腰かけた私は頬杖とため息をつきながら、極小の町のビルの一つを指で軽く弾いた。
ビルはガラガラと崩れ落ちた。