※ぼの? 勢いって大事だけど、勢いだけだとダメだね。



 『 やっつけ魔王系 』



「はぁ…勇者様…」

ほぅ…と艶めかしい吐息が漏れる淡い薄紅色の唇。
同時に紡がれた言葉は愛しくて愛しくて堪らないひとりの男に向けて紡がれたもの。
赤く長い髪が煌煌と美しく輝くが、それは見る者を虜にする魔性の光。
その髪の間から伸びる二本の黒い角が、この少女が人外である事を示している。

少女は魔王。
この世に君臨せし、絶対の存在。

だがその絶対たる魔王は、自らを討つために旅を続ける勇者の姿をそこに垣間見てうっとりとしていた。
僅かに赤らんだ顔。潤んだ赤い瞳。
恋い焦がれる存在を待つ乙女のものだ。

「あぁ…愛しい愛しい勇者様…。早く、早くこの魔王のところに来てください。そしたら魔王は、魔王は、あなたにこの想いを伝えようと思います」

玉座の間。椅子に座った体をもじもじと動かす。
魔王の周囲以外は薄暗く、そこは壁すらも見えない闇が広がっている。
光の下にいるのは魔王と玉座と床のみ。まるで世界にそれだけしか存在していないような完全な孤独。

だが魔王にはその愛しい姿がはっきりと見えた。
鎧とマントに身を包み、腰に下げた剣は竜の首でさえ落とすであろう。
周囲に勇者と呼ばれている青年は優しげな笑みを浮かべていた。
しかし時には烈火の如く熱く滾る表情を見せるのを魔王は知っている。
そのギャップが、また魔王のハートを高鳴らせる。

ふと、まるで勇者が自分が見ている事に気付いたかのように振り返り微笑みかけてきて、魔王は卒倒しそうなほど衝撃を受けた。
だが実際は、勇者の背後にいた旅仲間である僧侶と魔法使いに微笑んだのだ。
魔王のそれにすぐ気づき落胆した。
そんな魔王の落胆に気付かず、僧侶と魔法使いである二人の若い娘は、勇者の両腕を取り合って言い合いをしている。
勇者も混乱気味だ。
それを見ると魔王の心は締め付けられる思いだ。

「うぅ…魔王の勇者様なのに…。人間の娘どもめ…魔王の勇者様に手を出すなんて許せません。ちょっと懲らしめてあげましょう」

言うと魔王は左手の指をパチンと鳴らした。
すると魔王の目に垣間見える視界の、勇者たちの目の前に巨大なドラゴンが現れた。
ドラゴンはその巨大な口から火を吐き勇者たち(正確には僧侶と魔法使い)にぶつけた。
だが、直前までの痴話喧嘩から瞬時に復帰した3人は、僧侶は魔法のシールドを張って炎を防ぎ、魔法使いは雷撃を撃ってドラゴンの動きを止め、勇者はその剣で以てドラゴンの首を落とした。
ドラゴンは瞬く間に退治されてしまった。
そしてまたそんな勇者の腕にしがみ付く僧侶と魔法使い。
おろおろとする勇者は二人を振り払えずにいた。

その光景を見ていた魔王。

「あぅ…勇者様に付く虫を払うために放ったドラゴンを勇者様に倒されてしまうなんて…。さすが勇者様…」

作戦の失敗など眼中に無い。
勇者の勇ましい姿を見れた魔王はその姿にうっとりだ。

 *

勇者は魔王を倒し、世界に溢れる魔物を退治するために旅をしている。
遥か大昔、世界は魔王によって封印されてしまい、国を分けられ、自由に行き来できなくなってしまった。
世界を元に戻すためにも、勇者は魔王を倒したいと思っていた。
……だが、この伝説には誤りがあることを勇者は知らなかった。

 *

ドラゴンは倒れ、勇者たちは街の人々に歓迎されている。
照れくさそうに笑う勇者の顔がかわいくて、魔王の心臓は高鳴るばかりである。

「お早くお会いしたい…。でも勇者様はまだ『右手の小指の爪の国』…。まだ先はお長いですね…」

魔王はため息をつきながら自分の右手の小指の爪を見た。
そこには、そこには、非常に小さな世界が広がっていた。
魔王の感覚では、10億分の1の大きさの国がそこにあるのだ。

勇者はバラバラになった世界を元に戻すために旅をしている。
だがそれは誤りなのだ。世界は初めからバラバラだ。
元々は、魔王が自分の爪の上に気まぐれに世界を作ったところそこに人間という種族が生まれたのである。
爪の上にはそれぞれ違う国がある。
その事実が人間たちの間に歪んで伝えられ、世界は魔王にバラバラにされて封印されたと繋がったのだ。
封印されているのではない。それらの国は、生まれたときから魔王の爪の上にあったのだ。

10億分の1。
魔王の小指の爪の長さが1cmだったら、それはそこの国に住む人々にとっては1万kmにも値する長さだ。
爪一枚の上に、国が、世界が構築できる。
実際に、この魔王の小指の爪の上の国だけでも何十億という人間がくらしている。

国は全部で10。
『右手の小指の爪の国』
『右手の薬指の爪の国』
『右手の中指の爪の国』
『右手の人差し指の爪の国』
『右手の親指の爪の国』
『左手の小指の爪の国』
『左手の薬指の爪の国』
『左手の中指の爪の国』
『左手の人差し指の爪の国』
『左手の親指の爪の国』

魔王の両手の爪の上すべてに国があった。
勇者が魔王の下に行くためにはそれらのすべての国を超えてゆかねばならないのだ。
本当は足の指の爪にも国があったのだが、魔王がペディキュアを塗ったためにそれらの国は滅びてしまった。
それらの失敗を繰り返さないため、手の爪の上にはコーティングが施されている。

「魔王はいつまででも待ちますわ、勇者様が私のもとに来てくれるまで。そして私のもとにまでたどり着いた勇者様は、私の大きさにビックリするのでしょうか。その時は、精いっぱいの笑顔で迎えさせていただきますよ」

魔王はにっこりとほほ笑むと、右手の小指の爪にそっとキスをした。
その国では、一瞬夜が訪れると言う不思議な現象が起き、誰もがこれは魔王の仕業ではと思った。
魔王の姿を見たことのある者は誰もいない。
自分たちが、魔王の爪の上で生きているなんて夢にも思わなかった。
勇者たちは、こうやっていたずらに世界の律を揺るがす魔王を撃つために、歓迎してくれていた街を後にし次なる地へ向けて旅立った。

世界に混沌の源であり、同時に母なる大地である魔王を目指して。