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 〜 逆襲の夕 〜

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「ふぁ〜あ…」

欠伸を噛み殺しリビングへと階段を降りるのは兄・速人(はやと)。
廊下を越えリビングの暖簾(?)を手で避けて部屋に入りそこにいる先客に挨拶をする。

「うーす、おはようさん」

その声に、席について朝食を食べながらテレビを見ていた少女が振り返りジロリと速人をにらみつけた。

「何が『おはようさん』よ。何時だと思ってるの? もう学校に行く時間なの」

言いながら少女は手に持っている箸でテレビに映った時計を指した。
時刻は、高校に通っている速人にしてみれば既に佳境へ突入している値だった。
それを知っても速人はのらりくらり。冷蔵庫の扉を開けると中から牛乳を取り出し、直接口をつけて飲み始めた。

「ちょっと! 汚い真似しないでよ!」
「は? 別にいいじゃねえかよ」
「家中の人間にバカアニキの唾液を飲ませるつもり!? 冗談なのは顔だけにしてよね」
「へいへい。小うるさい妹がいて俺は幸せですよこのバカ」
「…ケンカ売ってんの?」
「売ったのはお前。俺は客。ケンカの押し売りは儲かるか?」
「ッ…! 知らない! バカッ!!」

食べ終わった食器を桶の中にガシャンと突っ込んで妹・夕(ゆう)は自分の部屋へと上がって行った。
残った速人は何事も無かったかのようにトーストを焼いて食べ始める。
日常茶飯事。
このやりとりも物心ついた頃からずーっと続いているので別にどうしようとは思わない。
夕も今頃はもとに戻っていることだろう。

で、速人登校準備。
制服に着替え鞄を持って玄関へ。
靴を履いていると二階から夕が降りてきた。

「…まだいたの? もうとっくに遅刻なんだけど」
「一時間目はパス。俺は歴史なんか興味ないの。前だけ見て生きるから」
「先の事を考えたらなおのこと学校へは行くべきだと思うけどね。いい加減赤点取るのやめたら?」
「勉強なんかしなくても生きていけますぅー。どっかの誰かさんももう少し俺みたいにゆとりのある心をもって欲しいもんだ」
「はぁ? ダメ人間増やしてどうすんのよ。私はバカアニキと同じ血の流れ方はしてないんですー」
「だからこそ俺はこうやって大らかな人間になれたんだ。カタイのはその洗濯板みたいな胸だけにしとけよ」

速人は自分の胸に手を当ててすーっと撫で下ろして見せた。
夕の顔が羞恥と怒りで真っ赤に染まる。

「な…ッ!! 変態! エロ人間!!」
「あ、そうそう。今日親父達会社に泊まるって言ってたから帰ってこないぞ。俺も少し遅くなる」
「うん。分かってる」

そして立ち上がり玄関の扉を開ける速人。

「じゃあな。俺みたいに遅刻すんなよ」
「バカアニキとは違うの。いってらっしゃーい」

兄を見送った夕。

「さて、私もそろそろ行こーっと」


そして夕は中学校へと出かけていった。


 ***


夕刻。
帰宅した夕は宿題をしていた。
とはいってももともと頭の良い夕。
始めて30分もしないうちに終わってしまう。

「はぁ」

息を漏らして時計を見る。
時刻は5時半。まだ速人は帰ってこない。
遅くなると言っていたからまぁ6時は過ぎるだろう。

と、そんな事を考えていたときだった。

 ジリリリリン!

電話が鳴った。
出ると電話の先は昔からお世話になっている商店のおばさんだった。

「はいもしもし?」
『あ、夕ちゃんかい!?』
「あ、おばさん。いつもお世話になってます」
『挨拶なんていいよ! そんなことよりね、今、速人ちゃんが病院に運ばれたよ!』
「へ…? あ、アニキが!?」
『あたしの店に寄る途中に不良どもにからまれたらしくてね…。かわいそうに…随分ボロボロにされて腕まで折られて…』
「そ、そ、それで病院の場所は!?」
『駅の横の病院だよ。ちょっと待っといで、すぐにおばちゃんが迎えに行くからね』

そして電話は切れた。
夕は受話器を持ったまま立ち尽くしていた。

「そんな…アニキが…」


 ***


 病院。

受付で兄の病室を聞いた夕はナースが走らないでと注意したのも無視して部屋へと走っていった。
そして部屋のドアをガラッと開けはなった。

「アニキ!」

その声に部屋の中で横になっていた速人が手を振って答える。

「おいおいうるさいぞ。病院内はもっと静かにしろ」
「アニキ…」

口はいつもどおりだがその全身はほとんど包帯まみれだった。
さらに固められて固定され異常に太く見えるその腕は明らかに骨折を示唆するものだった。
夕はつかつかと速人に歩み寄るとその顔に向かって怒鳴り散らした。

「バカ! なんで逃げなかったの!」
「逃げられるわけ無いだろ。相手5人だぞ。流石に俺のカモシカのような脚力でも囲まれたら逃げられねぇ」
「そもそもなんでそんなになるまでされたのよ!」
「ああー……どうやら俺が金をおろすところを見られてたみたいでさ。で、その金をよこせと言われたんだけど男らしい俺はそんなことは出来んと言ってやって、そしたらこうボコボコに…」
「バカ…お金なんかさっさと渡して逃げてくれば良かったのよ!」
「渡せるか。これは生活費だぞ? お前はもう少し家の生活費を命懸けで守った兄を労いたまえよ」
「死んだらなんにもならないでしょう!!」

う…。
さすがの速人も夕のその剣幕には引き下がる。 
そして気付く。

「うっ……うっ……」

夕の瞳から大粒の涙がこぼれていた。

「夕…」
「うぅ……あーーん!」

夕は兄の身体に抱きつくと涙をポロポロ流しながら泣き出してしまった。

「…」

速人はだまって夕の頭を包帯で巻かれた手で撫でる。
と、そこに商店のおばさんがやってきた。

「隼人ちゃん大丈夫かい?」
「あ、おばさん。大丈夫ですよ。病院の先生も腕の骨折以外は薬塗っとけば問題ないって。腕の方もギブスやってれば2、3日で退院できるって言ってました」
「そうかい? それならよかったよ。…まったく、世の中にはろくでもない連中が多すぎるね」
「はは、でもホラ、生活費は守り抜きましたからこの勝負は俺の勝ちですね」
「ふふふ、あんたもたいしたもんだよ」
「そりゃ当然、男の中の男ですから」

ははは、病室内に笑い声が木霊する。


 ***


そろそろ夜、といったところか
おばちゃんは言った。

「さてと、遅くなっちゃったね。そろそろ帰らないと」
「すいません、こんな遅くまで」
「何言ってるんだい。これからも困ったことがあったらどんどんおばちゃんに頼りな」
「はは、お願いします」

ドンと胸をたたいて豪快に笑うおばちゃんの横、覇気の無い夕が椅子に座って足をぶらぶらさせていた。

「夕、そろそろ帰る時間だぞ」
「…わかってる」
「夕ちゃん、今日家にひとりだろ? おばちゃん泊まってあげようか」
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」
「んなこと言わず泊まってもらえって。どうせ夜ひとりじゃ怖くてトイレもいけないんだろ?」
「…脳みそゆだってるんじゃないの?」
「いつでもイイ温度を保ってるんだよ。それともなんだ? 兄がいなくて寂しいから病院で一緒に寝るか?」
「…入院のついでにその狂った脳みそもなおしてもらえばいい」

フンと鼻を鳴らすと夕は部屋を出て行ってしまった。

「やれやれまったくあんたたちときたら。で、どうする? なんならおばちゃん本当に夕ちゃんと泊まってあげるけど…」
「いえいえ、あいつは俺なんかよりずっと出来た奴ですから家にひとりでも大丈夫ですよ。明日になれば親父達だって帰ってくるし」
「さすが兄妹。わかってるね」
「ま、兄として当然ですよ」
「はいはい、じゃあお大事にね」
「ええ、ありがとうございます」

そして夕とおばちゃんは外に出た。

「夕ちゃん、本当にひとりで大丈夫かい?」
「はい大丈夫です。ええと…宿題もあるし、それにバカアニキがいないんで久しぶりに静かな夜を過ごせます」
「何かあったらすぐ連絡しといでよ。おばちゃんすぐ駆けつけるからね」
「はい、おやすみなさい」

おばちゃんとも別れた夕は家へと向かった。
その時、夕とすれ違った人がいたら気付いただろうか。
その瞳の奥にギラギラとした炎が灯っていたことを。


 ***


夕の部屋。

その机の上に広げられたのは随分古い本。
書かれている文字も文字なのか図形なのかはっきりしない。
というどこの国の言語なのかも謎だ。
偶然古本屋で見つけたものだ。
変な本ばかり売っている変な本屋だった。その本屋は忽然と姿を消してしまったが。
最初はまるで読めない内容にちんぷんかんぷんだったが、そこは勉強家の夕。
こういうものを解読するのは心がうずく。
そして数ヶ月の研究と解読への格闘の結果、これが持ち主の願いをなんでもかなえる魔法の本である事を知った。
その本を見下ろしながら呟く。

「魔法の本…これがあればなんでも出来る…なんでも出来る………復讐することだって……」

夕が本の上に手をかざすと書かれた文字が光りだした。
その輝きに照らされた夕の顔は笑みを浮かべていた。


 ***


男達はわけがわからなかった。
連れとコンビニの前にたむろっていたのに、ファミレスでだべっていたのに、路地裏で気に入らない奴をボコしていたのに、ふと気付くと知らないところへ来ていた。
何十人もの男達。そのいずれもが学生ほどの年齢のようだ。
そして皆がいわゆる不良というカテゴリにあてはまるだろうオーラを放っている。
キョロキョロと見渡すとそこは夢でも見ているかのような空間だった。
机。椅子。テーブル。タンス。クローゼット。ゴミ箱。ドア。つまりは部屋の中。
しかしいずれのものも高層ビルのようにでかい。
ただのゴミ箱が70m以上の高さがある。
なんだいったいどうなったのか。
その時、地面が揺れ始めた。規則的な振動。どんどん大きくなるそれはまるで近づいてくるように。

 ズウゥン… ズゥンン…

何事かと思って不良たちがあたりを見渡しているとあの超巨大なドアがゆっくりと開かれた。
そしてその向こうからそのドアに相応しい巨大な人間が姿を現した。
な、なんだあれは!
男達は言葉を失った。

ドアから現れた超巨大な人間・夕は自分の部屋の床に5mm弱まで縮小された男達が集まっているのを見てほくそ笑んだ。

「どうやら成功したようね。やっぱりあの本は本物なんだわ」

呟きながらその縮小された不良たちに近づいていく夕。
夕の格好はTシャツに短パンで素足。いかにも夏といった感じだ。
だが不良たちから見れば塔の様な二本の脚が迫ってくるのだ。
巨大な素足が踏み下ろされるたびに、彼等は立っていられなくなる。
そして夕は彼等まであと一歩というところまで近づいた。

「気分はどう? チビの頭じゃ起きていることが理解できてないんでしょ」

夕は足元にひしめく不良たちをせせら笑ってやった。
不良たちの大半はこの現実を理解できないまでも、目の前にある巨大な少女の足の指が自分達の身長よりも高いことに恐怖していた。
夕は足元の不良たちに叩きつけるように言った。

「あんたたちを呼んだのは今日うちのアニキがあんたたちの中のだれかに酷い目に遭わされたから。でも誰がやったのかわからなかったから、とりあえずこの街中の不良を集めたのよ。結構いっぱいいるのね」

ジロリと見下ろす。
まるで蟻の集団だった。

「とりあえずあんたたちの中からアニキを痛めつけた奴を探し出すことにするわ。私の質問には正直に答えなさい」

腰に手を当て、見下すように言ってやった。
すると一部の不良が反抗の声をあげた。
やれ元に戻せだのやれ殺すぞだのバカみたいに同じ言葉を繰り返している。
そしてそこは不良のそれなのか、そういう意志が周囲にも伝達していく。
赤信号もみんなでわたればこわくない。
同調し数を増すことでその声はどんどん大きく過激なものになっていく。
数十人の不良の暴動だった。
だが夕はそれを鼻で笑ってうけながす。

「…立場が分かってないようね」

夕は片足を持ち上げ、そして元あった場所に思い切り踏み降ろした。


 ズドオオオオオオオオオオオオオオオンン!!


その振動と爆音に不良たちは彼等の感覚で10mは吹き飛ばされた。
さらに今の音で片耳の聴力を失ったものまで現れた。
でかいが、その年齢は自分達よりも年下であろうその巨人がただ脚を踏み降ろしただけで、重大なダメージを負ったものが出たのだ。
不良たちは恐怖でがたがた震え始めた。
こうも簡単に一生ものの傷を残されたのだ。

「わかった? 私はいつでもあんたたちを皆殺しに出来るのよ。でも私が用があるのはアニキを痛めつけた奴等だけ。あんたたちの中からその5人を差し出しなさい。そしたらあとの連中は見逃してあげるわ」

その瞬間からそこは暴徒の巣となった。
殴り合いけり合い、死に物狂いでその5人を探そうとしている。
その様子を見てため息をついた夕はもう一度足を思い切り踏み降ろした。
その振動で暴動は簡単に止まった。

「あんたたち人を殴ることしかできないの? そんなんじゃキリがないから私がやってあげる」

言うと夕は手を伸ばし机の上にあった魔法の本に触れた。
すると不良達の集団の中の数箇所で光が灯った。
それはその不良の身体が光っているのだった。

「クス…見つけた」

言うと夕はしゃがみこみ、その不良の一団の中に手を伸ばしていった。
不良たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。自分達の身長の倍以上の太さのある指が迫ってくるのだ。
身体の光った不良たちの周囲から人がいなくなる。巻き込まれるのを恐れたためだ。
光った不良は泣きながら逃げていた。
そんな不良の全力疾走も空しく、巨大な夕の指は簡単にその不良を人差し指と親指で摘み上げた。
だが…。

 プピュッ

「あれ?」

指が不良の身体に触れたと思った瞬間その感触は無くなった。
見てみると不良は指先で潰れていた。

「…」

人を殺した。この手で。今。
だが、夕の中に罪悪感なんて芽生えなかった。
血をティッシュでふき取るとすぐに次の光っている不良に指を近づけた。
今のを見ていた不良たちは狂乱していた。
人間がひとり簡単に殺されたのだ。このままではみな殺される。
更に走る速度を上げた。

次の光った不良は潰されなかった。
だがその巨大な指の恐ろしい力に摘ままれてあばら骨と右半身の骨をバキバキに折られてしまった。
激痛にのたうちたくともこの力の前ではどうしようもない。
その不良は夕のもう片方の掌の上に降ろされた。
そこから見上げる巨人の顔は床から見たものよりも更に巨大だった。
目も鼻の穴も自分より大きい。口は家さえもぺろりと食べてしまえる大きさだ。
夕は更に次の不良へと手を伸ばしていた。
その不良は集団の中へと飛び込んだ。自分を捕まえられなくしようと考えたのだろう。
だが指はまわりの不良など簡単に弾き飛ばして目的の不良を捕らえた。
身長の倍以上の太さのある指。桜色に輝く巨大な爪。それらは不良の集団の中を何も無いかのように突き進み例の不良までたどり着いた。
途中指に弾き飛ばされた不良は背骨を折るなどの大怪我をした。
摘み上げられた不良は先に捕らわれた不良の様にその力によって下半身を潰されてしまった。
残る光る不良は二人。
きょろきょろと床を走る不良たちを見渡す夕。
目標はすぐに見つかった。結構遠くまで離れている。足の速い不良だったのだろう。
夕は立ち上がるとその不良に向かって歩いていった。
途中何人もの不良が夕の素足によって踏み潰され、足の裏と床に赤いシミを作った。
ものの数歩で追いつくとしゃがみこんで不良を摘み上げる。
大分手馴れてきた。今度は腕を1本潰すだけで済んだ。
最後の不良はどこだろう。
部屋を見渡すとそれは部屋の隅で別の不良ともみ合っていた。
光る不良に近寄られたくない別の不良と、その別の不良と一緒にいて摘み上げられるのを免れようとしている光る不良。

 ズズン!

 ズズゥン!

 ズドオオオオオオン!

三歩でそこに到着。
不良達は夕のつくる影に包まれながらもまだもみ合っていた。
しゃがみこんだ夕は指を伸ばしその光る不良を摘み上げる。
だがその不良は組み合っている別の不良を離さなかった。
一緒に持ち上げられた不良は宙吊りになっていた。
夕が呟いた。

「あんたはいらない」

不良を摘まんでいる手を左右に振った。
その動きに振り払われた不良は床に墜落して飛び散った。
そしてその指を持ち上げようとした時、夕は指先に摘まんでいる不良が何かしていることに気付いた。
目を凝らしてみてみるとその不良は指にナイフを突き立てていたのだ。
何度も何度も、まるでピッケルで穴を掘るように指の皮膚に向かってナイフを振り下ろしていた。
しかし指はまるで傷つかなかった。鋭利な刃物で切られても、一筋の傷もついていない。

「…」

 プチャ

夕はその不良を捻り潰した。

「まだ立場がわかってなかったんだ。虫けら以下の脳みそね」

手についた汚れをまたティッシュでふき取る。
そして掌に乗っている不良たちに話しかけた。

「ふふ、最初は5人だったのにあっという間に3人になっちゃったわね。ちゃんと5人に復讐したかったけど、仕方ないからあんたたち3人に5人分の復讐をすることにするわ」

ニヤリと笑う夕の掌の上で3人はガタガタ震えた。

「でもその前に…」

夕は足下をうろつく虫けらの不良たちを見下ろした。

「折角社会のゴミがあつまってるんだもの。丁度いいから処理しておこ」

夕は足下にいた2、3人の不良を一回で踏み潰した。
そして歩き出す。

 ズン!

 ズズン!

一歩ごとに確実に不良を踏み潰していく。
不良も必死に逃げているが逃げられるはずが無い。
なぜなら今の彼等は通常の500分の1の大きさなのだ。
それは逆に夕が500倍の大きさの巨人であることを示している。
23㎝の夕の足は、彼等から見れば115m。
100m走を走りきってもまだそれは夕の足の長さにも及ばないのだ。
歩幅は大体65㎝。今の夕は500倍。それは一歩で325m進む計算になるのだ。
人間の歩行速度を約時速4kmとして夕の歩行速度は時速2000km。
文明の利器を使用しても逃げるのは難しい。
次々と不良は踏み潰されていった。
ある不良は家ほどに大きな指の下で。
ある不良は降りる時全体重の乗る踵の下で。
ただ夕が歩くだけで不良たちは消えていった。

ズンと振り下ろされた足。
その振動で腰を抜かし動けなくなってしまった不良がいた。
夕の指の先でへたり込んでいる。
夕はその不良の上に足の親指が来るように調節して足を降ろした。

 ズズン!

だが不良は潰されていなかった。
足は完全に床に付いていたが親指だけは持ち上げられていて床についていなかったのだ。
今その不良は完全に親指の下に捉えられていた。
薄暗い空間。少女の足の匂いが漂う。
不良が見上げるのは空を覆い尽くす巨大な足の親指だった。
その親指が突然下ろされた。
彼は逃げることも出来なかった。

 ズン  プチュ

再び親指だけが持ち上げられた。
その親指の裏には引き伸ばされた真っ赤なミンチとその赤いシミの中央で大の字になってそこに張り付く不良の服があった。

 ズズン!

 ズズゥン!

3人。5人。数人がたった一歩で踏み潰されどんどん不良は数を減らしていく。
あるときは踏み降ろされた足の横を走っていた不良たちが足を取られ動けなくなっていると、足が踵を軸にキュッと動き彼等を跳ね飛ばす。
足にぶつかった彼等は手足をぐにゃぐにゃに曲げてぶっ飛ぶか足の側面に赤いシミを残すのみだった。




気が付けば部屋の中を駆け回る虫けら共も最初の半分くらいになっていた。
そろそろ次の段階に移行しよう。

「えーと、どこにあったかな…」

夕は部屋の棚に向かって歩いていった。
途中、数人の不良を踏み潰したが夕は気付かなかった。

「あったあった、これこれ」

夕が手にしたのは工作用のジェル状の『のり』だった。

「これでよし。さぁおまたせ、掌のチビ共」

彼等は既に船酔いにも似た症状に見舞われていた。
人の歩くときの振動と言うのは、本人以外にとっては耐え難い揺れだ。
夕はのりを自分の右足の親指、人差し指、中指の爪の上に垂らした。
そして掌に乗っている3人をその上に降ろす。
夕の右足の3本の足指の上に、それぞれひとりずつが乗った。
指だけでもなんて大きさだ。特に親指の上に乗った不良はその爪の広大さにおののいた。

「どうチビ共。文字通り足元から見る景色は」

見上げるとほぼ垂直に見上げた先にあの巨人の笑顔があった。

「あんたたちにもゴミを処理する感覚を味わわせてあげるわ。ちゃんと感じなさい」

言うと夕は、3人を乗せた足を一歩前に進めた。
それは3人にとっては絶叫マシーンよりも恐ろしいものだった。
指が持ち上がる瞬間、少し指が動いたかと思うと時速2000kmで前進するのだ。
息も出来ない。重力に身体が潰れそうだ。実際折れていない骨が何本か折れた。
そして着地した時の衝撃。飛行機が墜落したような衝撃だ。しかも身体がのりで固定されて満足に受身も取れない。
これがあの巨人が一歩前進するだけで発生する。歩くなら、何度も味わわなければならないのだ。

 ズドオオオオオオオン!

 ズドオオオオオオオオオオオオン!

衝撃もさることながらその轟音も凄まじい。耳が痛い。
が、その轟音もかき消して巨人の声が轟いた。

「じゃあいくから」

そう言った。
そしてつま先の先、それは視線の先、そこには数名の不良がいた。
足が持ち上げられその不良たちの上にゆっくりと降ろされた。

 ズシイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイン!

爪にはりつけられている不良たちには足がその不良たちの上に降ろされたことが分かった。

「どう? ちゃんと感じられた?」

巨大な顔がこちらを見下ろしている。
だが実際、彼等はそれを感じることが出来なかった。
彼等の乗っている足が前にいた不良たちの上に降ろされただけ。
それ以上何も感じる事はできなかった。
潰れる感触なんて感じる事はできなかった。
膨大な足の肉に吸収されそんな小さな感触なんて爪の上の彼等には届かないのだ。
だが不良が潰された事は分かる。
なぜならこの至近距離なら、その断末魔の叫びがいやというほど聞こえるのだ
その断末魔が突然途切れる。それはその不良が潰されたということの証だ。

「それじゃあ次いくよ」

グワッ! また足が動き出す。
そしてその足が踏み降ろされるたびにあの断末魔が耳を劈く。

「ぎゃああああああああああああああ!」
「いやだああああああああああ!」


 ズズウウウウウウウウウウウウウウウウンン!!


「く、来るなあああああああああああああ!」
「たすけ、助けてくれ! 助けてく」


 ズシイイイイイイイイイイイイイイイイイイイン!!


「お袋…お袋おおおおおおおおおおおお!」
「いやだ! 死にたくない! 直美いいいいいい!」


 ズドオオオオオオオオオオオオォォオオオオオォォォォォォン!!


突然途切れる断末魔。死の瞬間だ。
自分が乗っている足の下で何人もの人間が潰されている。
だが足はその余韻を感じることもなく前へと歩を進める。
人間を殺しても何も感じていないのだ。

3人ほどの不良だった。腰を抜かしていた。
その不良の前に指が持ち上げられたまま足が降ろされた。
そしていつぞやの不良の様に指だけで彼等は潰された。
その時の断末魔はこの厚い足の肉を通したときとは違い、指の間から鮮明に聞こえた。その潰れる音も。

 ブチュゥ! ビチャ!

持ち上げられた足が少し手前に下がった。
お陰で爪の上の彼等からもそこにできた血の水溜りがはっきりと見えた。
あれが、さっきまで人間だったものの成れの果てなのだ。



「もう見えるところにはいなくなったわね」

見渡してみても部屋の中には無数の赤いシミが点在するばかりで動くものは見えない。
皆、物陰に隠れたのだ。きっとびくびく震えていることだろう。

「でも無駄だよ…」

夕は片手を掌を上にしてすぼめ、もう片方の手で本に触れた。
するとすぼめられた手の上に光と共に不良たちが現れた。
不良たちは突然視界に見えるものが変わった事に驚いているようだ。
そんな不良たちを見下ろして夕は笑った。

「ごめんね。せっかく隠れてたと思ってたのに。あんたたちは今、私の掌の上にいるの」

そう、夕の掌の上には、隠れていた30人ばかりの不良がワープしてきたのだ。
突然の絶望。彼等は掌の上を走り出した。どたばたとその広大な掌の上を行ったり来たり。
あるものは手の端や指の間から落ちて数百mの落下のあと床の赤いシミになった。
逃げられない。ここは閉鎖された空間なのだ。
やがて不良たちが動かなくなってきたのを見届けると夕は彼等を見下しながら言った。

「もう気は済んだの? なら死になさい」

そして彼等を乗せた手をゆっくりと握り締めていく。
手の中は阿鼻叫喚だった。
掌から飛び降りるものが続出した。
だが大半の不良がそんな勇気も無く、指が迫ってくるのをただ震えて待つしか出来なかった。
どんどん指が迫ってくる。
不幸な不良はすでに掌のシワに挟まれて潰れていた。
指はドンドン降りてくる。巨大すぎる指が。
自分達が手をまわすことも出来ないほどあの指は大きかった。
たかが少女の指の1本なのに。
掌の中に闇が訪れた。
不良たちは指と手の間に挟まれて身動きが取れない。
そして…。

 ギュッ

手は握られた。
夕は一瞬だけ何かがプチプチと潰れる感触を感じた。
開いてみると掌は赤く染まっていた。
そしてそのシミの中や指には彼等の着ていた服がくっついていた。
夕は空いている手で本に触れた。
すると手の汚れは一瞬で消え去った。
その代わりに足指の爪にくっついていた3人が現れた。

「もう生き残ってるのはあんたたちだけ。アニキを傷つけた分、苦しんで死んでもらうよ」

すでに掌の上の彼等も半死半生だった。
そんな彼等に更に苦しみを与えるという。
夕は手を口の前に持ってくると傾け始めた。
そして口は大きく開けた。

「あーん」

ぽっかりと開けられた口。
それは小さなビルさえ飲み込んでしまえる大穴だった。
内面は赤い肉がてかり、ぬめぬめとした光沢を放っている。
グロテスクな洞窟だった。
暖かい吐息が3人に吹き付けられる。

自分達はこれから、この巨人に食われるのだ。

悟った瞬間、3人は口の中にポイと放り込まれた。
柔らかく巨大な舌でバウンド。
直後、バクンと巨大な口が閉じられた。
一丈の光も無い闇。
聞こえるのはゴウンゴウンという体内器官の動く音だけ。
やがてジャブジャブと唾液が出てきた。それは傷口に沁みる。
全員がまともに歩けないほどの重傷を負っている。この唾液の海を、泳ぐことなんて出来るはずが無い。

 ザブン!  ザバァン!!

唾液の津波に翻弄されていた3人。
だが突然、世界が動いた。

 ゴゴゴゴ…

轟音と共に唾液が一方向に向かって流れていく。
つまり、飲み込まれる。

 ゴクン…

3人はその物を飲み込む音を初めて周囲360度から聞いた。
間違いなく喉を通過したのだ。
ぬめぬめした器官を通過。
やがてぽっかりと空いた空間に放り出される。
真っ暗で何も見えない。が、いくら不良とて喉を通った先に何があるかくらい分かる。
そこは胃だ。
ものを消化するための器官。
3人は胃液の海へと落下した。
その瞬間だった。

 ジュウウウゥゥゥゥゥゥ…!

その音と共に身体が焼けるような灼熱感を感じた。
激痛だった。
実際、身体が焼けるように溶けているのだ。

「ぎゃあああああああああああ!」

激痛は悲鳴を上げさせ、そして満足に泳げない彼等は水面に顔を出すのも難しい。
つまり水中で悲鳴をあげ、開いた口から夕の胃液が大量に体内に侵入する。
口の中にも灼熱感を感じる。
そして空気を求めて身体は口の中のものを飲み込む。
夕の胃液を自分の胃へと送るのだ。
だが夕の胃液は、普段彼等の胃液に晒されているはずの胃壁まで溶かし始める。
全身の皮膚が溶け、口の中が溶け、胃の中からも溶けていく。
外にも内にも激痛が走るのだ。
まぶたが溶けた。むき出しになった眼球がどろりと溶ける。
耳が削げ落ち、鼻の穴も広がり、頬には穴が空き、そして腹にも大穴が空く。
指は骨がむき出しになり腕や足は皮がむけ筋肉があらわになる。
舌は無くなり、目や耳や鼻や喉から侵入した胃液は脳さえも溶かし始める。
彼等の股間についている棒と袋。
袋はすでの破れ中の睾丸は胃液に晒されていた。
棒も包茎ではなくなっていた。なぜなら皮がなくなっていたから。

そんな彼等はとうの昔に息絶えていた。
やがて人間だった彼等の身体は深い深い胃液の海の底へと沈んでいった。



夕は自分のお腹を撫でていた。

「もう死んだかな。まぁいいや、どうせ生きては出られないんだし」

そして本に手をかざし、床と足の裏から赤いシミを消した。
この部屋で彼等が惨殺されたという痕跡は完全に抹消された。

「アニキの仇もとったし…ん〜っ、お風呂に入って寝よっと」

夕は風呂へと向かった。


 ***


 後日。

退院した兄・速人。

「いや〜、迷惑かけたな」
「本当に。もう少し考えて行動しなさいよ」

速人はあれからすぐに退院し今は自宅療養って感じである。
あとはこの腕の骨折させ治れば完璧完治なのだ。

「はぁ。せっかく家の中が静かだったのに…。またうるさくなるのね」
「俺も病院のベッドが恋しいよ。口うるさい洗濯板が居なくてさ」
「何ですってぇえええ!!」

と夕がいきり立った時だった、テレビが次のニュースを映した。

「…次のニュースです。例の○○市内学生集団失踪事件から数日立ちましたが、未だ何の解決の手がかりもつかめておらず事件は謎に包まれたままです。目撃者の話によりますと、失踪した学生と話をしていたら突然その姿が消えたとの意見が相次ぎ、当初は大掛かりな悪戯ではないかと考えられていましたが、数日経ってもなんの音沙汰も無く、学生と面識の無い通行人も他の目撃者と同じ証言をしていることから、一部では真剣に神隠し、または宇宙人の仕業であるともささやかれています。警察は、今後も事件解決のために全力を尽くすと…———」

ニュースは続く。
それを見ながら速人は呟いた。

「怖いよな、俺達の街でこんな事件が起こるなんて。これって俺が入院した日に起きたんだろ?」
「…そうよ。それもいなくなったのは皆素行の悪い生徒だったんだって。だから最初警察も悪質な悪戯だと思ってたみたい」

数十人の学生の集団失踪。
学校も場所も怨恨もなんの共通点も無い学生が突然消えた。唯一共通点を挙げるとすればそれは素行が悪かったこと。
だが一部にはそれほど悪さを働くわけでもなく、ただタバコやお酒に手を出していただけの学生もいたようだ。
この事件のせいで今○○市では幼・小・中・高問わずすべての学校が休校となっている。
なので今二人は家のリビングでくつろいでいた。
夕はソファに腰掛けるとフンと鼻を鳴らして言った。

「別にいいんじゃない? だっていなくなったのみんな不良だったんでしょ? そんなのいたって社会の邪魔になるだけじゃない」
「……でも俺は怖いよ…」
「なんで?」
「今回は不良だけだったけどそのうち無差別に消えるようなことがあるかも知れないと思うとさ。この事件のこと聞いて、俺はあの日、お前を一人で帰らせたの後悔したんだよ。もしあの日、お前も消えてたかも知れないと思うと……」
「アニキ…」

頭を抱える速人。
それを見て夕は少し罪悪感に苛まれた。
アニキが頭を抱える原因は私にあるのだから。

「…」

夕はソファから飛び降りると速人の頭をわしゃわしゃと撫でた。

「イタタタ…! …なんだよ」
「大丈夫だよアニキ。例えまた誰かが消えても、アニキと私は絶対に大丈夫だから」
「? なんでそう言い切れるんだ?」

問いかける速人の頭から手を離しリビングから出て行く夕。
そして部屋を出る直前にくるりと隼人を振り返って笑いながら言った。



「ひ・み・つ♪」



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 〜 逆襲の夕 〜


     完
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