※「ぼの」ときどき「グロ」



 「 勇者くんと魔王ちゃん 」


 ゴシゴシ

俺は今、皮パン一枚でデッキブラシを手に地面をゴシゴシ洗っていた。
硬いブラシが擦れる度にぶくぶくと白い泡が膨れ上がる。
泡で滑りやすくなった地面に足を取られないよう俺は湯けむりに霞む中、必死に汗を流していた。

「ほらー勇者くん、もっとがんばってよー」

湯けむりの向こうから大気を揺るがすような巨大な声が聞こえてきた。
同時に地面がグラグラと揺れ、俺は足を取られそうになる。
僅かに煙が晴れて見えてきたのはそこかしこに岩の様な大きさの泡が散らばる肌色の地面。
水に濡れ、泡の気泡も相まってキラキラと光る。
今、俺がデッキブラシで必死にこすっているこれは、この地面は、巨人の背中なのだ。
俺の100倍もの大きさの巨人。俺が立つその背中は、街の公衆馬房ほどの広さがある。
この広い背中を洗い始めて何分経ったかわからない。広すぎて洗っても洗っても終わる気がしない。
キメ細かい肌は温かく俺が足を乗せるとぷにっとへこむ。だがその綺麗は肌が災いして泡が立つと滑るのだ。
それでなくとも巨人が俺が背中を歩くのをくすぐったがってむずむずと動くのに。なんどこの背中の上で転んだかわからない。
背中の上で転べばまだいいが、そのまま滑って背中から滑り落ちればそこは十数m以上の落下とその先に硬い風呂場の床が待っている。落ちれば命は無いだろう。
俺の正面、湯けむりの向こうにはうすぼんやりと山が見える。あれは巨人の頭だ。巨人は今、床に俯せて俺に背中を洗わせている。呑気なものだが、俺には死活問題だった。

不意に俺の背後から湯けむりを突き破り何かが迫ってきた。
先端は鏃のように鋭く尖り、胴体は細く黒光りしている。
これは、巨人のしっぽである。
しっぽは俺の体にぐるりと巻きつくと、俺の体をその背中の上からひょいと持ち上げた。
直後、たった今まで俺が立っていた地面でもある背中が大きく動き出した。簡単に言えば俯せていた巨人が起き上がろうとしているのである。

 ズズゥゥゥウウウウウン…!

やがて重々しい音と地響きとともに巨人が起き上がった。床の上に座り込んだのだ。
しっぽに巻かれた俺の前に座っているはずだが、湯けむりが立ち込めて姿は見えない。
ふと、その湯けむりを突き破って巨大な手がぬっと現れ、周囲の煙をぶんぶんと振り払った。
巨大な手の巻き起こす風に全身を煽られながら俺は晴れた煙の向こうに現れた巨人の姿を見た。
そこにいたのは巨大な全裸の女だった。いや、顔立ちや体つきは少女と言った方が正しい。幼い、あどけなさを残す顔だった。
その幼さを漂わせる体に不釣り合いな巨大な乳房をぶるんと揺らし、巨人の少女は床の上に軽くあぐらをかくようにして座っている。

巨人が俺の下に巨大な手のひらを差し出してきた。
手のひらが下に来ると俺に巻きついていたしっぽがゆるみ、俺は手のひらの上に落とされた。しっぽはしゅるしゅると巨人の背後に戻って行った。
俺は巨人の手のひらの上から、やや湯けむりで霞む巨大な顔を見上げた。まさに雲の上から見下ろされるような気分だ。

「もう、あんまりのんびりしてたら勇者くん風邪引いちゃうよ」

温まり血行が良くなって朱くなった唇が開かれ言葉が紡がれる。
巨人が喋ると、その吐息と振動で顔の周囲の煙が霧散した。吐息が風となって半裸の俺に吹き付ける。

「す、すみません…」

吹き付ける風と、目の前を埋め尽くす顔の威圧感に押され、俺はそう呟くのが精いっぱいだった。


   *


俺は勇者。いや、かつて勇者と呼ばれた男。
混沌の根源たる魔王を討つため世界を旅していた。
長い旅路の末に遂にたどり着いた魔王の居城にてその主たる魔王と戦ったが、俺は負けた。
戦ったなんて言えるザマじゃない、巨大な指に摘まみ上げられて丸められただけだ。
そして俺は、魔王であるこの巨人の下僕にされたんだ。


   *


今、俺は魔王の入浴に付き合わされていた。
全裸の魔王の上半身が俺の視界を埋め尽くしている。
捕らわれて数日、魔王はことあるごとに俺を使って何かをしようとする。俺の弱さを知らしめるように。

「勇者くんはもう疲れちゃった?」

魔王が、手のひらの上の俺の顔を覗き込もうと上目遣いに顔を寄せてきた。
視界を、今度は巨大な顔を上半分が埋め尽くした。そうだ、眼球だけで俺の体より大きいんだ。
勇者、勇気ある者と言われた俺だが、目の前に真っ赤な瞳の目が迫ってくる様には恐怖を覚えた。

「つ、疲れました! もう動けそうにありません!」

そう答えていた。疲れていないと言えばまた別のことをやらされるだろうと思ったからだ。
答えると、顔はまた離れていった。魔王の赤い髪がふわりと揺れる。

「そっか、残念。じゃああとは自分で洗うから、勇者くんはそこで待っててね」

魔王は立ち上がって移動すると、勇者を棚の上に降ろし自分は椅子に腰掛けた。
棚の上に降ろされた勇者からは、未だ見上げる大きさだが、魔王のほぼ全身が視界に入った。
座っても、小さな山のような大きさがある。湯気の雲海に聳える肌色の山の様だ。
だがその体つきはやはり子どものそれだ。人間で言う、年の頃13~14くらいか。ある種、華奢な印象を覚える。
しかしあの巨大な乳、くびれた腰、ずっしりとした尻はその幼さには似合わない。
表現が矛盾しているが、相反する二つが確かにそこに共存していた。
あどけないこどもっぽさと、魅惑的な女性らしさが融合しているのだ。
それが人間ではないとわかっていつつも、勇者は魔王の体から目が離せなかった。

石鹸で泡立てたタオルを使って体を洗う魔王。
腋の下や膝の裏も。鼻歌混じりに洗ってゆく。
魔王は、そこに男がいると言うのに、自身の裸体を隠そうともしない。
それどころか、股を開いて股間を洗い始めた。
勇者のいる高さは、低い椅子に座る魔王の丁度股間の高さだ。
魔王は両脚をガバッと開いて股間をタオルで擦る。
あまりに大胆な様に俺は度胆を抜かれてしまった。
俺と言う男がいながら何故こうも平然と股を開けるのか。

俺が驚愕している間に魔王は体を洗い終えていた。

「今度は勇者くんの番ね」

言って魔王が微笑むと、その泡だった巨大な指が近づいてきて俺の体を摘まみ上げた。
ごろんと巨大な手のひらの上に転がされてしまった俺の上に、巨大な指がのしかかってきた。
指の第一関節から先だけでも俺の身長ほどの大きさがあるのだ。そんな指にのしかかられたら身動きなど取れなくなってしまう。
巨大な指が、全裸俺の体を手のひらにぐりぐりと押し付ける。

「や、やめてください! やめてくれ!」

俺は叫んでいた。だが魔王が指を止める様子は無い。

「ふふ、抵抗しても無駄だよ勇者くん。ちっちゃい勇者くんはボクの指にも勝てなかったもんね」

実際、勇者と魔王の戦いは魔王が指先で勇者をこねくり回して終わった。
その指がのしかかってきているのだから、丸腰となった今ではさらに勝ち目がない。
巨大な指の指紋が俺の全身を撫でまわす。
股間も指紋のその妙な起伏を受けて反応し始めてしまった。
幸いにも、魔王は気づいていないようだが。

「あ、それとも、勇者くんも男の子なんだし、こっちの方がいいかな?」

言うと魔王は俺の体をあの尻尾で持ち上げると、その巨大な胸の谷間に持って行った。
俺が谷間に来たのを確認すると魔王は両胸をズンと押し合わせ俺を挟み込み、しっぽは俺をそこに残したまま谷間からするりと抜けていった。
つまりは俺だけが、あの巨大な乳房の合間に生き埋めにされたことになる。
そんな俺を挟んだ乳房を、魔王はぐいぐいと上下に擦り合わせ始める。

「どお? 気持ちいいかな、ボクのおっぱい」

んふふ~と笑いながら乳房をこすり合わせる魔王。
勇者は逃げ場の全くない乳の肉の檻にみっちりと閉じ込められている状態だった。
指一本動かせないほどの圧迫感と窮屈。
そして魔王が乳房を擦り合わせると、その間に挟まれた俺の体はミチミチと悲鳴を上げていた。
鍛え上げてきた俺の体も、魔王の乳房の前には無力だった。

暫くして谷間から解放された俺はすでに虫の息だった。
足を摘ままれて目の前に持ち上げられた俺はだらんと全身の力が抜けていた。

「あらら、ちょっとやりすぎちゃったかな」

ちょっと顔を赤らめながら魔王が笑う。
そして勇者に口を近づけて

  ふぅっ

と息を吹き付けると、勇者はハッと息を吹き返した。
一瞬にして、あの死にかけの状態から回復していた。

「ごめんね勇者くん。調子に乗っちゃった」

魔王はまた俺の体にしっぽを巻きつけ、今度は高く掲げるとその間に自身の泡を洗い流し、次に俺の泡を洗い流した。
そして今度は手のひらに乗せられ、立ち上がった魔王は湯船に向かって歩き出した。


   *


  カポーン

湯船に浸かる魔王と勇者。
勇者はどこぞの魔王と騎士よろしく巨大な乳房の間に下されていた。

「ふぅ~…」

魔王が気持ちよさそうに息を吐き出すと俺の左右の巨大な乳も呼応するように動いた。
先ほどの恐怖がよみがえる。
この左右の乳房が、また俺を潰さんばかりに挟み込んでくるんじゃないのかと。
緊張が精神を消耗させる。
それともうひとつ、俺の体力を消耗させるのはこの場所だ。
胸の谷間というのは前述だし放り込まれたからってどうこうできる場所じゃない。
問題は、俺の足が風呂の底に着かない事だ。
魔王が胸まで浸かれる深さなんだから俺の足がつくわけがない。
そして背後と左右を囲む魔王の肌はキメ細かくすべすべで、とっかかりも無ければ寄りかかる事も出来ないのだ。
必然的に、立ち泳ぎを強制されていた。
それがまた疲れる。

が、突然俺は巨大な指で摘まみ上げられた。

「ごめんね気づいてあげられなくて。はい、どうぞ」

魔王は俺を左の乳首の上に跨がせた。
丁度乳首が浸かるくらいの深さまで沈んでいる乳首は、俺の体が湯船に浸かって丁度いい高さだった。
だが、なぜこんなところに。
勇者は羞恥のあまり頭に血が上りのぼせそうだった。
自分がやっとこ脚を広げ跨いでいるのは乳頭だ。
ぷるんとしたピンク色でツンと飛び出ている。
へばりつく格好になっている乳首も、両手を広げてもその範囲から外に出せないほど広い。
巨大な巨乳の、ほんの一部分である乳首だ。
俺は今、その上に乗せられてへばりついている。
この大きさだ。中には恐ろしい量のミルクが詰まっているのだろう。
へばりつく俺の耳に、その乳房のずっと奥からドクンドクンという心臓の音が聞こえてくる。
脳に響くような力強さと、心の底から安らげる安心感を供えていた。
もう俺からは魔王の姿は見えない。巨大すぎる乳の向こうになって見えなかった。
だがくすくすという笑い声が聞こえるという事はきっと笑っているのだろう。
魔王は、男の俺を乳首の上に乗せる事になんの周知も覚えていないのだろうか。
乗せられている俺の方はすでにゆでだこのように赤くそまり破裂しそうになっているというのに。

魔王の鼓動を聞いていて落ち着きを取り戻してきた俺は考える。
俺はこんなところで何をやっているのだろう。
勇者として世界を平和にするために魔王を打倒しに来たのに、その魔王に敗れて下僕にされ乳首に乗せられている。
こんな事をするために俺は勇者になったのか? いや違う。
だが、俺程度の力では、この魔王をどうこうする事はできないのだ。
この大きさの差とこの扱いが、何よりの証拠だった。
乳首にちょいと乗せられてしまうような俺では、魔王の宿敵であるはずの勇者を下僕にして簡単に乳首に乗せてしまえるような魔王には勝てない。これが現実なのだ。

俺は無力だった。
この魔王の少女を前にあまりに無力だった。
何もできない。何をしても魔王は何も感じない。
俺がどんなに歯を食いしばり渾身の一撃を放とうとも、魔王は笑いながらそれを受け止める。
俺が技を繰り出すのを心の底から楽しんでいた。
俺の全力を、ものともしていないのだ。
俺は、本当に無力だった。

俺は気づけば涙を流していた。
己の無力とこんな扱いを受けても抗おうとしない不甲斐ない心を呪う涙だ。
幼い女の子の乳首にへばりついている自分が情けなかった。
かつてどんな凶悪なモンスターと戦い、どんな酷い怪我をしても流れる事の無かった涙がポロポロと零れていた。
悔しい。心の底から悔しかった。
歯噛みして、拳を握って、それでも涙は止まらない。

気づけば俺は涙を流しながら、遠くから聞こえてくる鼓動を子守唄に眠ってしまっていた。すでに心身はボロボロだったのだ。


  *


はっと気づけば、そこはもう風呂場でも乳首の上でもなかった。
白い布団のベッドの上。俺はそこに寝かされていた。
頭を振りながらゆっくりと体を起こした。

「のぼせちゃったかな。ごめんね勇者くん」

声が聞こえた方を見れば、壁一面を埋め尽くす巨大な顔。目元しか見えないが、申し訳なさそうな表情をしているだろうことが、八の字に寄せられた眉に想像できる。
俺が今いるのは家の中だ。魔王から見ればドールハウスのようなものだろう。縦に切断され、断面図のように中が丸見えになった家を横から覗き込んでいるのだ。

家は巨大なテーブルの上に置かれ、魔王は椅子に座って俺を見ているのだ。
当然、部屋の中となれば服を着ている。赤と黒を基調とした服だ。上半身はところどころにフリルが波打ち、胸元は紐の締めの強弱で開閉できる仕様。故に胸元は、巨大な乳房が締め付けられみっちりとした谷間ができているのが見えていた。
腰のミニスカートは赤と黒のゴシックで、ほとんど太ももの半分までのぼろうかというニーソックスは赤と黒のストライプだ。
赤い髪は短いツインテールに纏められ、風呂に入ってほんのりと上気した顔が心配そうに見つめてくる。

本当に心配そうだ。
仇敵だった俺の事を気にかけている。
俺にとって魔王は倒すべき敵だ。だが、魔王にとって俺はなんなのか。
命を取ろうとしてやってきた俺を下僕にし、今度はその下僕の身を案じている。
命を狙われながらも、その相手を案ずるというのか。

俺は顔を魔王の顔から背け、俯いた。
布団を掴む手がぎりりと握られる。
俺の全力は魔王には通じず、本気で挑みかかる俺を、魔王は心配している。
俺の全力は、魔王に身を心配されてしまうのか。

再び俺の目から涙がこぼれ、白い布団にしみこんだ。

「どうしたの勇者くん? どこかいたいの?」

魔王の顔が、より一層ドールハウスに近づけられる。
前髪はすでに触れていた。
パチクリとまばたく、その赤い目だけが壁を埋め尽くしていた。

その時である。

  コンコン

「失礼します」

ガチャリ。すべてが魔王サイズの巨大な部屋の、その一部にある小さな扉が開き、向こうから人間サイズの影が現れた。
だがその姿は異形。人間ではなく魔族だった。

「魔王様、闇の沼の伯爵様がお見えになっておりますが」
「うん、あとでね」

従者と思わしき魔族の言葉に、魔王はそちらを見ようともせず、背中を向けたまま応えた。

「へ? し、しかし火急の要件であると…」

  ヒュン!  ズドンッ!!

突如、魔王の穿くミニスカートの中から伸びるあの黒いしっぽが空を裂き、従者の目の前の床に突き刺さった。
磨き抜かれた強固な石材でできていた床にしっぽの先端は深々と突き刺さり、周囲に破片が飛び散った。

「ひィッ!」
「あとでって言ったでしょ。殺すよ?」

ゆっくりと振り向いた魔王の赤い目は悍ましい光を放っていた。
まるで地獄の炎で血を沸騰させているような濃厚で恐ろしい赤い光を。

従者は慌てて扉の向こうに走って逃げていった。

顔を勇者の方に戻したとき、すでにその瞳の恐ろしげな光は消えていた。

「大丈夫? いたいなら治してあげるよ?」

この小さな部屋の中に魔王の巨大な人差し指が差し入れられてきた。
指先がポウ…と優しく光る。
魔王の力を以てすればどんな傷もたちどころに癒してしまえるのだろう。
先ほど死の淵に落ちかけた勇者を、息の一吹きで蘇らせたように。

指先が、そっと勇者の体に触れ、勇者の体が指先と同じように優しい光に包まれた。
これで勇者の体にはどんな傷も残っていない。持病も不治の病も、すべてが治ってしまった。
先ほど、しっぽの先だけで硬い床を貫いた行為とは真逆の力だ。

だが、勇者の心は晴れなかった。
むしろ、仇敵である魔王に傷を癒される、それが勇者の心に自身の無力感を募らせる。

「勇者くん…」

俯いたままの勇者を見て魔王は心配そうに声をかけた。

すると、先ほど従者が開けたままだった扉から声が聞こえた。

「魔王様、此度は火急の要件と申したはずですが?」

現れたのは豪奢な衣服とマントを身に着けた魔族。
先ほど話に出た、闇の沼の伯爵である。

だが、魔王は振り向かなかった。
それどころか、言葉を無視して勇者に声を掛け続けていた。
伯爵はため息をつきながら言う。

「お人形遊びも良いですがほどほどにしてくだされ。すでに我が闇の沼の軍勢は最寄りの人間の国の王都を包囲しており、魔王様のお声があればすぐにでも攻め入る事ができるのですぞ。今はかような遊びなど控えて…」

  ドス!!

再び空を切り裂いた魔王のしっぽが、伯爵の体を貫いた。
鏃状の先端は腹部を貫き、切っ先が背中へと飛び出ていた。

「がはっ…!」

伯爵の口から鮮血が飛び出た。

ヒュン! そのまま振るわれたしっぽは先端に伯爵を貫いたまま魔王の顔の横に持って行かれた。
魔王が、そのハヤニエ状態の伯爵に顔を向けた。

「ボクのせいにしないでよ! お前が勝手にやった事でしょ!」

フーッ。
魔王が息を吹き付ける。
だがそのすぼめられたプルンとした唇の間から出てきたのは真っ赤な炎。
獄炎とも称せる地獄の炎だった。
魔王の口から噴き出した炎は伯爵の体を包み込んだ。

「ぎゃああああ!! があああああああ!!」

すでに死にかけていた伯爵の口から更に悲鳴が出た。
吐き出していた血は炎の熱で蒸発し、伯爵は火だるまになっている。
しっぽも一緒に炎に包まれているが、魔王はそれを気にした素振りすら見せない。
しっぽの先端で、火だるまの伯爵がバタバタと悶えていた。

やがて伯爵の体は燃え尽き、炎が消えると、あとには魔王のしっぽだけが残った。

「ふん!」

魔王が鼻を鳴らすと同時に黒いしっぽも空を切って引込められた。
そして魔王は勇者の方に顔を戻したが、すると勇者はこちらを見上げていた。

「う…」
「お、お前が世界征服を指示してたんじゃないのか…?」
「え…えへへ、実はそうなんだよね~」

明らかに汗をダラダラ流しながら、魔王が無理矢理笑いながら言う。

「なんで…。だってお前あの時…」

過去、それは勇者が魔王討伐の為にこの城を訪れたときのこと…。

『お前が世界征服を企む魔王か!』
『え? んーと……そうだよ? だったら何かな?』
『平和の為に…お前を倒す!』
『んふふ~ボクに勝てるかな? ボクは世界征服を企む魔王だぞ~♪』

「…って、自分が世界征服を企んでるって言ってたじゃないか」
「い、いやぁ、折角かわいい人間が来たのに、ボクが世界征服を企んでないってわかったら帰っちゃうでしょ? ずっと一緒に遊びたかったんだ」
「………。…それじゃあ…今日まで、俺が下僕に身を落としてまでお前の首を狙ってきたのは……全部無駄だったのか…」

勇者は愕然とした。
自分が狙ってきた相手が、実は世界征服とはなんの関係もなかったとは。
まったくの無駄だった。貴重な時間を無駄にしただけだった。
この間にも世界は魔物に侵攻されつつあるというのに。

これまで以上に深く項垂れる勇者に、魔王は慌てて声を掛けた。

「ご、ごめんねごめんね! ちゃ、ちゃんとお詫びはするからね!」
「詫びられたところで…」
「ううん、ちゃんとするから!」

俺が覇気を無くした表情でゆっくりと見上げた先で、魔王は眉を八の字にし、手のひらを合わせて謝っていた。


  *


「ぎゃあああああああ!」
「うわあああああああ!」

無数の悲鳴が荒野に響き渡る。

ここは人間の王都のある地。
その城壁のすぐそばでは人間の衛兵たちが、周囲を取り囲む魔物たちから城を守らんと徹底抗戦の構えを見せていた。
が、今彼らが見ているのは、王都を包囲していたその魔物たちが、突然現れた巨人によって次々と駆逐されている様だった。

「ふんふ~ん♪」

魔王は鼻歌を歌いながら足元を埋め尽くす魔物たちを、その赤と黒で塗り分けられたブーツで踏み潰していた。
一歩足を下すたびに十数の魔物が下敷きになり、赤い鮮血を周囲に飛び散らせる。
足は小刻みに下され、一匹の魔物も逃しはしない。

魔王が同胞であるはずの魔物を次々と踏み潰してゆく様を、勇者はその肩の上から見下ろしていた。

「な……」
「まかせて。一匹も残さないからね」
「い、いい…のか?」
「うんうん、全然かまわないよ。どうせただのクズだし」

踏み付けた魔物たちをぐりぐり踏みにじりながら、魔王は肩の上に勇者に笑いかけた。
かわいらしい仕草にツインテールがふわりと揺れる。

魔王に踏み潰されるのを避けようと空に飛びあがった魔物もいたが、そういった者は魔王のしっぽによって打ち取られていった。
鋭いしっぽに5匹も団子のように貫いたかと思えば、その刃のように飛び済まされたしっぽを振り回し、周囲の魔物たちを切り裂いてゆく。
鞭のようにしなやかに、剣のように華麗に。
ヒュン! と、しっぽが空を裂けば、同時に複数の魔物の体も真っ二つに裂けた。

魔王が、その血のように赤く煌めく爪のついた人差し指を立て、それを魔物の群れに向けてたあと、スーッと横に動かした。
直後、その魔物たちの足元の大地が幅100m長さ1kmにも及ぶ亀裂となって避け、空を飛べぬ無数の魔族が地割れの中に呑み込まれ消えていった。
魔王が同じように指を動かすと、地割れは地響きを立てながら閉じ、中にあの魔族たちを幽閉したままピッタリと元通りに閉じた。

「ふーっ」

魔王の口から炎が発せられ足元の魔物たちに襲い掛かる。
炎は瞬く間に魔物たちを包み込み、魔王の足元は炎の海となった。
無数の魔物たちの悲鳴が炎の中から聞こえてくる。
ゴウゴウと燃え盛る炎の中に、魔物たちの小さな影が蠢いているのが見えた。

「あはは。なんか踊ってるみたいだね、勇者くん」

魔王が炎の中の魔物たちを指さしながら言った。
だが勇者は言葉にならなかった。
無数の魔物が炎の中でのたまっている。すべては苦痛からだ。
体が焼ける。呼吸もできない。吸い込めば肺が焼きつくされた。
それが、今魔物たちが味わっている苦痛だ。

それからややあって、城を包囲していた魔物たちは全滅した。
地を風のように駆けたり、空を鳥よりも速く飛んで逃げようとした魔物もいたが、それらも魔王の巨大な足の下に踏み潰されるか、指先の間で捻り潰された。
城を包囲し、大地を埋め尽くすほどに展開していた魔族は、一匹残らず魔王に滅ぼされたのだ。

「あーあ終わっちゃった。これで勇者くんともお別れかー」

魔王は残念そうに言いながら、肩に乗せていた勇者を地面に下した。

「でもしょうがないよね、もう世界は平和になったんだし。また勇者くんと遊びたくなったら世界征服するから、そのときは遊びに来てね。じゃあね」

足元の勇者に手を振って、魔王はその背中にばさりと巨大な翼を広げ宙に舞い上がり、空の彼方へ消えていった。

ひとり荒野に残された勇者は彼方へ消えゆく巨大な魔王の姿を、呆然と見送った。