続きになります。
少し短いですが、宜しくお願いします。

今回は少し、GTSの要素があるかな……




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「ふむ、悪くない。私としてはもう少しこじんまりと収まっているほうが好みなのだが、贅沢は言うまい」

 部屋に入るとすぐに、マリー・クリケットが言った。マリー・クリケットは私の手の平に乗っている。
 貨物室での悶着の後、私たちは金を払い、魔法使いしか乗せないこの客船の正式な乗客となった。
 マリー・クリケットと私の正体がばれてしまった今、マリー・クリケットが魔女であることを隠す理由はないのである。
 幸い部屋は開いていた。豪華ではないが、機能性のよさそうな、いい部屋だった。

「あのテーブルの上がいい。降ろしてくれたまえ、アリス」
「かしこまりました」

 私は手をテーブルの上に下ろした。
 マリー・クリケットが安全に私の手の平から降りられるように、ゆっくりと下ろしていったのだが、私の手のひらが机に着く前に、マリー・クリケットはテーブルの上に飛び移った。じれったかったようである。
 そして彼女は、おもむろに服を脱ぎ始めた。

「少し汗をかいた。雨にも濡れたし、風呂に入りたい。温かいお湯を用意したまえ」
「仰せのとおりに」
 
 出来るだけ平静を装っていたのだが、声が上ずってしまった。
 無理もない。心の準備をしないままに、マリー・クリケットの美しい肌を見てしまったのである。興奮しないわけがない。
 欲望の負けて襲いかかってしまいそうな自分が、心の隅にいた。恥ずべきことである。私は目を閉じ、唇をかみ締めて自分をたしなめた。

「どうかしたのかね、アリス?」

 マリー・クリケットが言った。ゆっくりと間延びした、誘うような声だった。

「いえ、何でもありません。今すぐにお湯をご用意いたします」

 私はキッチンへと足を向けた。

「目を閉じたままでは危ないぞ」 

 背中から、マリー・クリケットの声が聞こえた。微かな笑い声を含んだ、意地悪な声だった。
 キッチンで火をおこし、なべに入れた水を温める。燃料は圧縮ガスだった。揺らめく炎は幻想的な青色で、純然たる科学の炎色である。
 美しい。興奮で高ぶっていた感情が徐々にほだされていくのを感じた。
 
 小さくため息をつき、私はマリー・クリケットのこと、そして自分のことを考えた。
 災厄のマリー・クリケットと人喰いアリス。私たちは、忌み嫌われている。
 そもそも魔法使いとは、人間に忌み嫌われるものである。
 それはこの、魔法使いという存在の権利が明文化された法律で認められた現代においてもなお続く、宿命のようなものである。
 しかし、マリー・クリケットと私はその上をいって、嫌われている。人間にも魔法使いにも、どちらにも忌み嫌われる存在なのである。
 災厄のマリー・クリケット。その名のとおり、彼女の周りでは必ず不幸が起きる。例えば人が死ぬ。一人の場合もあれば、二人の場合もある。あるいは、多くの人間が住む町全体が滅んでしまうことすらある。
 それは彼女の意思とは関係なく起こる。それゆえに性質が悪く、防ぎようもなく、咎めようもない。ゆえに忌み嫌われる。
 
 そして、私。人喰いアリス。

「ふっ」と、私は思わず笑声をもらしてしまった。
 
 人喰いとは、なんて的外れな例えなのだろう。それではまるで、人喰い熊や狼と大差ない印象ではないか。
 確かに私は人を食べる。人の肉の味が好きだ。血の味も好きだ。その点では、人喰い熊と変わりない。しかし私は、逃げ惑う人間の姿も大好きなのだ。
 瞳を閉じて想像する。
 箱庭の中に落とされた小さな人間たち。
 それを見下ろす自分。
 絶望的な表情を浮かべて、必死で逃げていく人間達。私はそいつらをゆっくりと追いかける。一歩、一歩、なぶる様に追いかける。
 人間達は逃げられないことを悟ると、今度は命乞いを始める。私はそれを聞いてやる。一言一言、しっかりと耳を傾けてやる。
 すると人間達は、ほんの少しだけ希望を見たような顔になる。
 そこで私は踏み潰す。
 二、三匹、狙いをつけて踏み潰す。
 すると人間達はいっせいに悲鳴を上げるのだ。
 こみ上げてくる笑いを抑えきれずに、私は大声で笑う。すると人間達は、蜘蛛の子を散らすように一斉に駆け出すのだ。
 そこを私は踏み潰す。
 丁寧に、丁寧に、一匹ずつ踏み潰すのだ。
 湧き上がる絶叫。怒号。悲鳴。その全てが、私の体を熱くさせる。
 そして、最後に一匹が残る。それを食べるのである。しかし、ただ食べるのではない。口の中で転がして、甘噛みをして、十分に恐怖を味あわせてから丸呑みにする。
 いや、丸呑みではもったいない。血の味、肉の味、久しく味わっていない人の味を楽しみたい。
 そう、舌を使って上手に奥歯に持っていって、一思いに―― 

「アリス!」

 と、マリー・クリケットの大きな声が聞こえたのは、妄想の中で人間を噛み潰したのと同時だった。

「君は私を煮殺すつもりかね!」

 怒気を含んだ声だった。私はあわてて火を止めた。なべの水は沸騰しきっていた。
 私はすぐに冷たい水で薄めて、人肌よりも少し温かい温度に調節した。そして、大き目のコップに注ぎ、すぐにマリー・クリケットの待つテーブルへと運んだ。
 マリー・クリケットはすぐさまコップの中に入り、お湯に浸かった。もちろん、一糸まとわぬ姿である。

「何を考えていたのかね?」

 マリー・クリケットが言った。

「その……少し、いやらしいことを……マリー・クリケットの美しいお体を……」

 顔をそむけて、私は嘘をついた。愚かである。マリー・クリケットは当然、すぐに嘘を見破った。

「頭の中で『縮めた』のは、一人かね? 二人かね?」

 静かに、しかし強い口調でマリー・クリケットは言った。

「それとも、町を一つ丸ごとかね? 一体何を箱庭に入れて、弄んでいたのかね?」

 マリー・クリケットは怒っていた。
 私は怖くなった。このままでは、マリー・クリケットに嫌われてしまう。それだけは嫌だ。死んでも嫌だ。

「ごめんなさい……もう、いたしません……お許しください、お願いです……お願いでございます、マリー・クリケット。どうか、どうか私を……」

 ぽたりと小さく音がした。私の目からこぼれた涙が、マリー・クリケットの入っているコップのお湯に落ちた音だった。

「人喰いアリス」

 マリー・クリケットが私を呼んだ。「はい」と、私は小さく返事をした。

「そう、君は人喰いなのだよ。それ以上でも、それ以下でもない。人を食べる怪物。そして、マリー・クリケットの使い魔。それだけだよ」
「はい……」
「私はもう、あんな地獄は見たくはないよ?」 

 悲しい声で、マリー・クリケットは言った。 
 私は言葉を発せなかった。馬鹿な自分が悔しくて、悔しくて、しょうがなかった。
 とめどなく涙が溢れ、その全てが、マリー・クリケットの入るコップの中へ落ちていった。