§3 彩香の無意識の攻撃


彩香のフラストレーションは溜まる一方であった。
何故かはわからないが、例年に比べて蚊に刺されることが多くなっているのだ。
窓を開放することを避け、蚊取り線香や虫除けスプレーも使用して、万全の態勢を取っているつもりだ。
にもかかわらずだ。何故か、彩香の素足だけ血を吸われるのだ。
疑心暗鬼になっている彩香を察知して、大祐は録画しておいた番組を再生する。
テレビ「・・・・・・、というわけで、代謝が良い人は蚊に刺されやすいわけですね。」
彩香「え?」
彩香が蚊にまつわる情報番組に食いつく。
テレビ「運動した直後や入浴直後、お酒を飲んだりしても蚊に刺されやすいんですね。」
彩香「体温・・・。なるほど・・・。」
テレビ「蚊は嗅覚で獲物をとらえることもありますので、においがきついところにもよく吸血をします。とりわけ、足のにおいは格好の獲物です。」
彩香「え・・・。」
大祐「ぷっ、ははははは・・・。」
的確なテレビの解説に思わず大祐は吹き出してしまう。
笑いの止まらない大祐に彩香はキッと睨みつける。
大祐「そうか・・・。蚊も姉貴の足がくさいということを分かって・・・。あっはははは・・・。」
彩香「・・・・・・。その臭い足で長時間押さえつけてあげましょうか?」
大祐「おっととと、冗談、冗談に決まってるじゃない!」
彩香「はぁ、でもショック・・・。足がクサくなってるのかしら・・・。」
彩香は自分の右の爪先を鼻先に移動し、臭いを嗅ぎ始める。
彩香「うーん、自分だとわかんないのよね・・・。大祐も嗅いでみてよ。」
そう言うやいなや、彩香は大祐の顔の真ん前に右の素足を差し出す。
その刹那、モワッとした臭いが大祐の鼻腔をくすぐる。
大祐「くさっ!」
彩香「ええっ?」
大祐「う・・・、フグは自分の毒では死なないしね・・・。」
彩香「大祐、それ以上言うと、私の爪先で小さくした大祐を挟み込むからね。」
大祐「あ、いや、なんでもないです。」
無味乾燥な応答をして、大祐はそそくさと自室へと戻っていく。
大祐「ふう、このタイミングで番組を見せておかないとね・・・。余計な詮索をされると、擬人蚊のことがばれちゃうし・・・。」
こういう時の大祐は至極冷静だ。
先手を取られると、ミニチュアの街のように姉に主導権を奪われることもある。
しかし、必要な情報を一切与えずに余計な情報でカムフラージュさせるなど、相手を攪乱させるのであれば、大祐もまた彩香に負けることはない。
ニヤニヤとほくそ笑みながら、大祐は机上にあるパソコンを操作する。
大祐「さてっと、たしか台風が接近してきてるはずだよね・・・。」
インターネットで天気図を確認すると、日本の南の海上に発達した台風が出現していた。
大祐「この天気図だと・・・、あと2~3日後もすれば熱帯夜になるかな・・・。」
大祐は頭の中で必要な情報を整理しつつ、玄関の戸を開け外へと出る。
大祐「となると・・・、こいつを少しいじっておけば・・・」
そう言いながら、玄関近くにある機械をポンポンと叩きながら大祐は思案に暮れる。
大祐「あとは、性格を読み切るだけか・・・。タイミングが重要になるわけだね・・・。」
大祐は、丹念に自らの悪企みを推考する。そして、確かな自信を掴んだ大祐は、再び家の中へと戻る。
大祐「よし・・・、あとは天気予報通りに進めば・・・」
大祐は、リビングで先程の情報番組を観覧する彩香を見つつ、自室へと戻っていった。

2日後。
大祐の見立て通り、大祐の住んでいる地域に大型台風が到来し、朝から猛烈な風雨が吹き荒れていた。
当然、交通機関もほぼ全線がストップし、多くの店、学校等が休みの措置を取っていた。
彩香と大祐もまた自宅に居残り、各々の時間を過ごしていた。
しかし、彩香だけはテレビで川の氾濫情報や土砂災害の起こる危険性などに真剣に耳を傾けていた。
素の状態の彩香はどれほど真面目な人間なのだろうと大祐は改めて感じ入っていた。
弟に尊敬のまなざしを向けられているなど微塵にも思っていない彩香は、おもむろに立ち上がると風呂場の方向へと向かった。
大祐「あれ、姉貴ー、どこにいくの?」
彩香「・・・・・・。シャワーよ。」
大祐「え、なんで?朝も浴びてたじゃない。」
彩香「・・・・・・。することがないからよ・・・。」
何故か困惑したような表情で彩香はスタスタと急ぎ足で脱衣所へと入る。
このとき、大祐もまた第六感が働く。
大祐(彩香は風呂場で何か別のことをしているはず・・・)
考えるよりも行動が先に出た大祐は、すぐさま擬人蚊の器械を用いて蚊へと変身する。
そして、戸の隙間から脱衣所へと侵入する。
脱衣所では、彩香が服を着たまま浴室へと入ろうとしていた。
大祐「む?これはどういうことだ・・・?」
大祐は、大急ぎで彩香のお尻付近へと近づき、彩香と共に浴室へと入った。
浴室へ入った彩香は、浴槽の縁に腰かけると、洗面器に湯を貯めて丹念に素足を洗い始めたではないか。
この光景に大祐は思わず爆笑してしまう。
彩香は、昨日の情報番組で指摘された足のにおいのことを気にかけていたのだ。
蚊に刺されやすいという明白な事実から逃れるべく、足を清潔に保ちたいという女性の心理が働いたのであろう。
余りにも女性らしい行動に、普段の彩香とのギャップを感じた大祐は腹を抱えて笑っていた。
大祐「よし、それなら今日は仕方がないなあ・・・。」
ひとしきり笑い続けた大祐は、彩香の意識が爪先に向かっていることをいいことに、彩香の首筋へと移動する。
彩香は前傾姿勢になっているため、首の後ろ側は完全に無防備の状態になっているのだ。
大祐は鼻歌交じりに、悠々と彩香の首の3か所から吸血すると、その場を後にした。
大祐「ふう、面白かった。さて、帰るかー。」
いまだ、丹念に素足を洗っていた彩香を尻目に大祐は浴室から脱出しようとする。
しかし、ここで大祐は初めて自分が窮地に追い込まれていることに気が付く。
浴室には、戸に隙間が無いのだ。
考えてみれば水が漏れないように設計されているのだから、当然の結果なのだが、大祐はそこまで考えが及んでいなかったのだ。
擬人蚊の器械を作動させておおよそ5分程度が経過しているはずである。
このまま、彩香の素足洗いを待っていれば、器械の効果が消え大祐の姿が元に戻ってしまう可能性もある。
当の彩香はというと、洗面器から泡だらけの右の素足を出し、シャワーで洗い流そうとしている。
大祐「はっ!! 姉ちゃん、待って!!!」
浴室入り口付近の床で右往左往していた小さな大祐目がけて、シャワーから放たれた大粒の水滴が襲いかかる。
床にぶつかった水滴は、さらに跳ね上がり空中へと飛散する。
大祐「姉ちゃあああん、そのシャワーを止めてー!!!」
降りかかる水の滴を懸命に避けるため大祐は懸命に浴室の天井を目指すも、シャワーからの膨大な水量がその行く手を阻む。
大祐は、右に左へと1分近くは飛行を続けていただろうか。
とうとう、その小さな大祐にとっては巨大な水滴が、大祐を直撃する。
ビチャッ!!!
大祐の意識は一瞬で朦朧となり、そのまま床へと落下。
やがて、床に作られた水流に乗り、排水溝へと流され始めた。
彩香の足を洗うという行動は、今の大祐にしてみれば大型台風の大雨が巻き起こす被害でしかなかったのだ。
小さな大祐は、懸命に飛び立とうとするも、水流が強すぎてなす術がない。
また、彩香の素足を洗った水を強制的に飲まされ、溺れる寸前の状態になっていた。
大祐は、刻一刻と排水溝へと流されていったのであった。

(続く)