§4 大祐の計画の全貌


彩香「ふう、きれいになったかな?」
彩香の発言から程なくシャワーからの湯が止められる。
やがて、綺麗になった右の素足は、勢いよく床に振り下ろされる。
ドスウウン!!!
シャワーからの水量は断たれたものの、床を流れる水流は変わらず排水溝へと続いている。
流される大祐はもがき続けるが、水流から逃れる術がない。
大祐「ね、姉ちゃん・・・、助け・・・て・・・」
彩香「さてっと、次は左足を洗うか。」
彩香は、洗面器に溜めていたお湯を床へと流す。
この彩香の動作は、大祐にとっては実にラッキーであった。
というのも、流れた洗面器の湯は床にきれいに拡散し、排水溝付近まで流れていた大祐は再び戸の付近まで戻されたのだ。
この機会を逃すまいと、大祐は懸命に羽をはばたかせる。
水を吸った大祐の羽は想像以上に重かったが、それでもふらふらと宙を舞うことができた。
このままこの場にいると、再びシャワーの攻撃を受けることから、大祐は持てる力を振り絞って天井付近まで舞い上がった。
大祐「くっ、はぁ、がはぁ・・・」
辛うじて、浴室の窓の縁まで到達できた大祐は、肩で大きく息をする。
おそらく人生でここまで体を酷使したことは今までになかったであろう。
人間の女の子が足を洗うという何気ない動作は、今の大祐にとってどれほど危険な行為か身をもって知ることができた。
とはいえ、擬人蚊の機械のタイムリミットは刻一刻と近づいてきている。
このままでは、彩香が足を洗っている浴室で大祐は元に戻ることになる。
それこそ、様々な意味で面倒なことが発生する。
体感時間では、もう8~9分程度は過ぎているはずなので、もはや一刻の猶予もない。
そう感じた大祐は、まず羽を思い切りよく震わせ、水分を飛ばす。
そして、ある種の覚悟を決めて、一息深呼吸をする。
大祐「はぁ・・・、もう仕方ないよな・・・。」
大祐はボソッと呟くと、彩香の顔に狙いを定めて窓の縁から飛び立った。
彩香は、爪先を洗うことに集中していたため、ほとんど障害なく彩香の鼻先まで接近することができた。
姉の顔を間近で見ることはなかったが、切れ長の瞼は一定の曲線を描いており、そこに程よい睫毛が生え、麗しい瞳が覗いていた。
改めて、美人な顔立ちなんだなと感心しつつ、大祐は、彩香の鼻先で右往左往を始めた。
彩香「ん? ヤダ!!蚊じゃないの!!」
蚊の存在に気ついた彩香は、電光石火のごとく両の掌を顔の前で勢いよく合わせる。
バチイイン!!!
彩香の俊敏な攻撃は見事に眼前の蚊を始末した。
当然、小さな大祐にとっては、何が起こったかわからぬまま彩香に叩き潰されてしまったことになる。
彩香「ふう、ついに退治できたわね!!」
そう言いながら、彩香は浴室の窓を開け、掌にこびりついた蚊を息で軽く吹き飛ばした。
彩香「さ、また足を洗おうっと。」
こうして、彩香は何事もなかったかのように足を再び洗い出す。
一方、外に投げ出された圧死状態の大祐は、そのまま地面へと落下していた。
そして、程なくして、大祐は意識を取り戻す。
大祐「く・・・、1回は復活できるからな・・・。ううっ、全身が痛い・・・。」
大祐は機転を利かせて、一度死ぬ覚悟をしたのだ。
この擬人蚊は、死ぬ程のダメージを食らっても一度だけは復活できる。
擬人蚊の性質を上手に利用した脱出の手口であった。
やがて、タイムリミットの10分が過ぎたらしく、大祐は元の大きさに戻った。
元に戻った大祐を待ち構えていたのは、激しい暴風雨。
びしょ濡れになりながらも大祐は小走りで自分の部屋の窓を開けて家の中へと入っっていった。
大祐「うひゃあ、ひどい目にあった・・・。とにかくベッドに横になろうっと。」
彩香に叩き潰された衝撃は、復元された体にもしばらくの間残っていた。
こうして、命からがら逃げ果せた大祐は、ベッドの横になるとそのまま深い眠りについてしまった。

そうこうしているうちに、午後になると台風も過ぎ去り、徐々に青空が見え始めてきた。
足を綺麗に洗うことができた彩香も、再び外出し、図書館から様々な本を借りてきたようだった。
天気も回復しつつある夕方に目覚めた大祐は、改めて明日の予定を頭の中で思い返す。
先週の彩香との会話で、彩香のレポートの提出期限が3日後に迫っていることは確認済である。
つまり、翌日になって彩香は外出することはあっても、遠出はせず自宅でレポート作業をすることは間違いない。
しかも、参考文献をまとめて情報を整理していたので、必要な文献が無い場合は、さっさと就寝する可能性が高い。
これは、前日、前々日ともに午前12時ころに就寝しているので、これもほぼ確定。
となれば、蒸し暑い中寝るのを避けるため冷房を効かせつつ、ゆっくりと睡眠をとることも容易に想定できる。
大祐は、実に論理的かつ客観的な分析で彩香の行動を予想した。
以上から導き出される結論は・・・、午前2時周辺に冷房を故障させると、彩香の性格上着衣を脱いで就寝を続行するということ。
今まで、散々蚊が出没して彩香の至る所を攻撃しており、たとえ蚊取り線香等で対処したとしても窓を開けるという行為に出ることは考えられない。
しかも、就寝して2時間程度なので、彩香はわざわざ室外機を点検したり、修理したりしようという行動を起こすことはありえない。
なぜなら、彩香は短気であり、わがままでもあるからだ。
つまり、「睡眠」という欲を満たすために、面倒な作業を強行することは考えにくく、着ているものを脱いでそのまま就寝する可能性が極めて高いわけだ。
この状態を確実なものにするには、あとは大祐自身がその日どこかに宿泊する設定にしてしまえばいいのだ。
そして、ひそかにサイズ変換器等で自室のどこかに隠れて、彩香の巨体を散策する機会を窺えばいい。
一連の大祐の緻密かつ明瞭な作戦に自画自賛しつつ、大祐は夕食をとり、勉強に精を出し、風呂に入って眠ることとした。
一方、彩香は、大祐の予想した時間通り、12時15分頃に就寝していた。

その翌日。
大祐の予測通り、高温多湿でそよ風すら起こりえない不快な天候が街を支配していた。
計画が順調に進みそうな気配に大祐の胸は大きく高鳴っていた。

(続く)