悠歴1942年3月12日未明に第二次大陸戦争又はクリーグ戦争と呼ばれる世界規模の大戦は勃発した。
開戦初日でリディア帝国はマーシェ共和国、アルトポリ王国、そしてシュバニア皇国等の主要国家へ侵攻。
東洋においても、新華蓮光帝国や日彰列島連邦等への侵攻を開始した。
最大の難関であるシュバニア軍の誇る要塞線〈シェリモア・ライン〉に攻勢を集中しながら、各地に戦線を拡大。
各国はマトモに反撃出来ず、急速に後退していった。
作戦の第一段階は大成功を収め、「巨人による世界の蹂躙」は現実の驚異となりつつあった。
しかし、3月26日にシュバニア方面作戦であるルアム山脈越山攻撃が失敗に終わると一転してリディア軍の先行きには暗雲が垂れこめた。
続く4月。
〈シェリモア・ライン〉でのシュバニア軍の反撃が本格化すると、リディア軍の誇るクリーグ兵に大損害が発生し始めた。
魔術が主力であった各国と違い軍の機械化が進んでいたシュバニア軍の反撃は猛烈だったのだ。
同時期に、シュバニアと同じく軍の機械化が進んでいた日彰連邦が本格反撃を開始し、江州方面からリディア軍を追い返した。
5月に入り、機械化軍に対しては力押しが不可能と悟ったリディア軍前線部隊は、クリーグや戦車を組み合わせた高機動軍団である各神兵旅団に以前より研究していた「急速侵攻による一点突破戦法」を敢行させる。
これが功を奏し〈シェリモア・ライン〉は中枢にダメージを受け瓦解。
勢いに乗じシュバニア国内へと浸透作戦を開始したが、この時点でリディア軍は予想を遥かに大きく上回る損害を受けていた。
さらに東洋の江州方面ではその戦法が裏目に出て、日彰軍機甲部隊に各個包囲撃破され侵攻軍が壊滅する憂き目に遭う。
この事態に焦りを覚えたリディア帝国は、シュバニア方面侵攻軍にさらに前進速度を上げるよう命令を下す。
これがさらなる悲劇を呼び込んだ。
5月半ば、シュバニア皇国ハルディホム平原で発生した会戦では江州方面での戦闘よりも広範囲で包囲網が展開され、リディア軍侵攻部隊の80%は完全に撃滅され残存軍も大損害を負って撤退した。
さらにシュバニア軍はこれを追撃。
侵攻が急がれたが故に再構築が全く進んでいなかった〈シェリモア・ライン〉は5月の内にシュバニア軍に奪還された。
これを抑えるべくリディア軍は空中軍の誇る大型飛行船部隊による大規模な空襲を連日実施したが、高性能高射砲や大口径機関砲を多数持ち込まれた〈シェリモア・ライン〉には近付くことも出来ず悪戯に空中軍を消耗させるだけの結果となった。
7月20日にはリディア帝国侵攻作戦「バルバロッサ作戦」が発動する。
マトモな防衛作戦を準備していなかったリディア軍に対し、シュバニア軍機甲部隊は破竹の勢いで侵攻。
これに連動し、マーシェやアルトポリへ侵攻していたリディア侵攻軍が主力を防衛の為に引き抜かれ弱体化。
両国は辛うじて戦線を立て直す。
さらに日彰連邦もこれに呼応しリディア帝国へ侵攻。
東西から攻撃を受けた帝国は窮地に陥るが、首脳であるクリーグがこの事態を受け入れられず無意味な死守命令が連発される。
8月15日。
リディア帝国との密約によりアルメルア連合国が日彰列島連邦に突如宣戦布告。
日彰列島と江州、新華蓮光帝国の領土割譲を条件にしたそれはリディア帝国起死回生の策となるはずだった。
宣戦と同時に日彰連邦の南領、本土にアルメルア魔導軍団が奇襲上陸を果たすが、連邦本国防衛軍は即座にこれを包囲。
さらに、8月18日には補給線を担うべく展開していたアルメルア太平洋艦隊とそれを分断するため出撃した日彰連合艦隊との間で発生した西太平洋海戦において連合艦隊が日利戦争における日彰海海戦以来の大勝利を収める。
補給線を絶たれたうえに質量ともに上回る機甲軍に包囲されたアルメルア軍は9月末に壊滅。
苦し紛れに行われた飛行船による奇襲上陸、空襲も日彰軍の防空網に阻まれ消耗するだけに留まる。
この時点で10万を超える死傷者を出したアルメルア合衆国では首脳陣が退陣を迫られる。
日彰連邦からの圧力を弱めシュバニア皇国に注力するはずが、全く無意味な結果に終わったのだ。
しかし、ここでリディアの冬が本格的に到来。
冬将軍に阻まれリディア戦線は膠着状態に陥るのだった。