悠歴1942年11月中旬 リディアグラード付近
オルネ川を挟んでリディアグラードを臨むそこでは装甲工兵車や工兵が展開し列車砲を分解している。
1000mmという規格外の巨砲は分解だけで一週間を擁し、他の406mm、240mm列車砲が撤収を完了しているというのに現在もここで足踏みしている状態だ。
そんな雪がちらつく現場を、〈アイゼン・マウルベーレ〉は隣の複線で護衛していた。
「うー、さむっ!」
防寒具を体にピッタリと巻きつけた見張りが白い息を吐きながら呟く。
現在気温は-12℃を記録している。
「おう、交代だ。ココアでも飲んでリラックスしな」
「何か知らんがその言い方は不安を煽るな」
そんな無駄口を横に聞きながら、ヒメノはぼんやりとリディアグラードから昇る煙を眺めていた。
「なんだ?今日は昼寝してないのか?」
「いやいや、死にますから普通に」
サカキの軽口に手を振って答える。
指揮車の袂まで歩いてきたサカキは肩を竦めて笑った。
「これでこの戦争も一段落だな」
「そうですね。はい、どうぞ」
「ん、ありがとう」
ヒメノは指揮車から飛び降りると、コップに注いだココアをサカキに差し出す。
受け取ったサカキはそれを美味そうに飲み干した。
「リディアグラードは占領したし、東からは日彰が攻めてきてるし、これで帝都ヴォトリアの包囲網はほぼ完成したようなもんだ」
「冬将軍さえなければ今年で終わってたかも知れないのですがねぇ」
「ま、こっちも消耗してない訳じゃないからな。戦力回復には丁度いいかも知れん」
冬将軍吹き荒ぶリディアグラード攻防戦は壮絶な市街戦、そして消耗戦となり、シュバニアもリディアも多大な戦力を消耗した。
市街地という遮蔽物が多数存在する場所ではクリーグの機動性が遺憾なく発揮され、戦車のような索敵能力の低い兵器は不利になったのだ。
歩兵との緊密な連携、相手を大きく凌駕する装甲と火力、強力な補給線の構築等戦略面で相手を凌駕せねば撃退されていたかも知れない。
勿論、第七七鉄道大隊も補給線構築に多大に貢献し、勲章を3つも頂いている。
「と言うかですね、ゲリラに悩まされなくていいというのがもう精神的に楽過ぎてもう……もうっ……!」
ただし、それが搭乗員達にとって如何かというのは別問題だが。
「それで?これが終わったら俺たちどうするんだ?休暇とか貰えたら嬉しいんだけどな」
「残念ですが、次の任務は決まっていますよ。次はマーシェ軍の支援です」
二人は顔を見合わせると、どちらともなく溜息を吐いた。
戦争が終わるまで彼らに安息は無いのだ。






12月中旬 マーシェ共和国前線付近
マーシェ戦線はリディア軍の弱体化によって立て直されたものの、予断を許さぬ状況が続いていた。
冬季装備の充実したリディア軍はこの時期でも攻勢に出る気のようで、それを阻止すべくマーシェ、シュバニア軍共同の迎撃作戦が展開されていた。
重厚長大な対戦車砲陣地を前線に構築し、連日に渡って物資を備蓄している訳だが、当然敵もそれを指を咥えて見ているだけではない。

ズバンッ!

炸裂音が響き、編成前方の空貨車が吹き飛ぶ。
『警戒車より指揮車へ!先頭貨車が脱線しました!地雷と思われます!』
「緊急停車!総員衝撃に備えてください!」
ヒメノの命令に皆またかと呆れた表情を浮かべながら近場の物に掴まり自身を固定する。
ギギギギ!と軋むような音と共に停車すると、歩兵がワラワラと降車し周囲の警戒を開始する。
同時に編成前後の戦車搭載貨車からレーベンツァーンが降車し、周辺警戒に参加。
しかし、5分10分待っても敵から攻撃される気配は無い。
偵察からも周囲に敵影無しの報告が上がってくる。
ヒメノは周囲には分からないように溜息を吐くと、再び命令を下す。
「工兵隊展開用意!修理目標、前方路線!」
『ヤー!』
工作車から重機が引き出され、搭載された資材の展開も始まった。
「コレで何回目でしたっけ?」
ヘルマンが心底呆れた表情で呟くように言う。
「50回から先は数えてない」
周辺警戒は止めないものの、サカキの口調もウンザリしているのがよく分かる。
「それでも敵襲自体はずっと減りましたよ」
これまた感情を感じさせない平坦な声音でヒメノが言う。
勿論双眼鏡からは目を離さない。
視線を移せば他の装甲列車搭乗員達も、周辺警戒する歩兵隊も、戦車のキューポラから半身を乗り出すゲルラッハ達も全員仕事はしつつその表情はげんなりとしている。
特に線路を切除したり溶接したり重作業を担う工兵隊は酷い。
戦線維持のために補給線を全力稼働させねばいけないのは分かるが、それでも辛いものは辛い。
内心愚痴をこぼしていると、通信士の一人が近付いて来た。
「隊長、司令部から通信です」
「はい?」
電文を打ち出した紙を受け取りながらヒメノは首を傾げる。
突然何だと言うのか?
「えーと、ナニナニ?『セピア地区近辺にて輸送列車が破壊された為、貴隊は物資を回収し目的地に輸送せよ』……?」
「結局輸送かよ」
サカキの嘆きが虚しく指揮車の中に響いた。







12月末
リディア帝国帝都ヴォトリア近郊
新型戦車を受領した第一神兵旅団改め第一機械化旅団は最終防衛ラインになるであろうヴォトリア近郊の陣地に居た。
「何と言うか、私達が古参って本当に末期よね」
カテーリンは並んだ戦車とそこに乗る顔見知り達を見ながら苦笑する。
誰もが若く、一部は幼いと言ってもよさそうな連中だ。
「古参だから新型戦車を回してもらえたんですよ」
無理に前向きに解釈する副官も年若く、下手すれば少尉任官されてすぐのはずなのだ。
副官にそうねと返答しつつ、内心意味無いけどと付け加える。
VC‐3重戦車
最初から78mm五二口径砲搭載戦車として開発された唯一シュバニア機甲部隊と渡り合える車両だ。
とは言え、重戦車相手では厳しいし、クリーグの装備が優先して生産されているため絶対数が足りない。
さらに言うなら、以前戦った超重戦車や別途の新型中戦車も戦線に現れだしたらしく、この戦車でも戦いきれそうにはない。
しかも、徹鋼弾も足りない。
燃料も足りない。
予備部品も足りない。
何もかも足りない状況で、クリーグの盾として死ねと言われている。
(いっそ脱走しようかしら)
これまでも頭にチラついていた考えが大きく膨らんでいくのがカテーリンには分かった。
監視に派遣されたクリーグを遠目に眺めてその算段をつけていると、ふと巨大な影がさした。
空を見上げると空中軍ご自慢の装甲飛行船が飛んでいくのが見えた。
「〈リディユツキー・リデューズ〉ですね。よく燃料があったもんです」
300mを超える巨体に30cm連装砲2基を装備した空中要塞。
すでに巨大飛行船が時代遅れになった現代でも、開戦初期はその装甲と火力によってシュバニア軍をはじめ敵に多大な損害を与えた功労艦だ。
しかし、あの艦含め空中軍を稼働させる燃料のせいでここ最近は帝国全体の物流すら滞り始めていた。
〈リデューズ〉自体最近は燃料不足と敵の防空網構築のせいで帝都の基地から動かなかったはずだが。
「あれとクリーグは100年先まで物笑いの種ね」
ハンと鼻で笑い、カテーリンは戦車の整備に戻った。






吹雪とまではいかないが、それでも動いている乗り物の上で目を開けるのは辛いくらいには風が吹いている。
そんな中をヒメノは佇んでいた。
ここはマーシェ共和国のセピア地区東端の地方都市フェリペ。
主戦場から大きく外れており、戦火に全く見舞われなかった土地だ。
一時はリディア帝国の勢力下に組み込まれていたが、リディア軍が撃退されると再びマーシェ共和国に復帰していた。
第七七鉄道大隊は、奇妙な物資をこの街まで運搬してきた。
先日の急な命令を受け向かった先には、重砲の砲撃を受け転覆した輸送列車が転がっていた。
それに積まれていたのは、重機関銃なら跳ね返せる装甲に全面を覆われたコンテナだった。
それを回収し、運んできたという訳だ。
「今日も寒いですね」
「そうですねぇ」
ヘルマンが砲車のハッチから降りながら声をかけてくるのに若干曖昧ながら返事をする。
「下手に装甲に触るなよ?手の皮が剥がれるぜ」
「ここはリディアグラードじゃないから大丈夫ですよ」
外出から帰って来たゲルラッハの冗談に苦笑を返す。
戦車隊副官のクランシュタインがその後ろをトテトテと付いてくる。
二人の腕には食材の詰まった紙袋が抱えられていた。
「お?今日はクラン中尉の料理が食べられるのか?」
砲を弄っていたサカキが振り返って嬉しそうな声を上げる。
「はい!期待して頂いていいです!」
クランシュタインが明るい声で答えると、周囲の兵士達が歓声を上げた。
この小柄な可愛らしい女性戦車兵は短期間で隊のアイドルとなっていた。
「ちょっと違うけど休暇になったみたいでいいな」
サカキが車体脇ハッチから降りてきて笑顔でそんなことを言う。
「全くです。最初はナニを運ばされたのか疑心暗鬼と言うか戦々恐々と言うか、とにかく超不安でしたけどね」
最初、ヒメノやサカキは前述の奇妙な輸送物資が何であるかを噂し合って邪推していた。
まさか核?とか生物兵器では?とか。
この街にある大規模な魔術工房に運ばれたことから、敵から鹵獲した魔導兵器か何かだと二人は推測し、特に問題ないと結論を出した。
ただ、司令部から第七七鉄道大隊含めいくつかの部隊にこの街へ駐留するよう命令が出ていることから余程重要視しているようだ。
「ま、胡散臭いことには変わりないのですけどね」
「全くだ」







12月31日深夜
街中に響く警報。
民間人は指定された避難所に向かって急ぎ、軍人は各々の配置について武器を構える。
郊外の駅でも〈アイゼン・マウルベーレ〉が車庫から引き出され、戦闘態勢を整えていた。
「敵大型装甲飛行船接近中!」
「高射陣地戦闘準備完了とのことです」
「これは私たちの出番は無さそうですね。ですが、なぜこんな辺境に虎の子を……?」
双眼鏡で空を眺めるヒメノが呟く。
その先にはなぜか異様に低空で接近する〈リディユツキー・リデューズ〉が見える。
「俺たちが運んできたアレはヤバいものみたいだな」
渇いた笑い声を上げるサカキ。
「ま、何にせよたった1隻ではどうしようもないと思いますけどね」
周囲に展開する高射部隊は最新鋭の155mm長砲身高射砲や40mm四連装機銃等の新型装備が大量に装備されている。
これだけの装備なら重装甲の〈リデューズ〉と言えどすぐ撃墜出来るだろう。
『攻撃開始!』
防空司令部の命令を受け、一斉に対空射撃が始まる。
夜空に曳光弾が赤い光を引きながら撃ち上がり、空中に浮かぶ黒々とした影に吸い込まれていく。
〈リデューズ〉側からも反撃が始まるが、副砲以下の砲しか撃っていないため有効弾はほとんどないように見える。
いくら全金属装甲飛行船と言えど155mm六〇口径高射砲の重徹甲榴弾相手ではスパスパ抜かれているようで瞬く間に火の手が上がった。
それ以外にも127mm砲や88mm砲、40mm機銃、20mm機銃、12.7mm機銃等が空に向けて砲火を撃ち上げ続けている。
「これは……」
「本当に何しに来たんだよ……」
それは呆れよりも哀れみの色の濃い呟きだった。
爆炎と黒煙を上げながら、それでも街に向かって猛進してくる〈リデューズ〉。
「……何のつもりですか」
飛行船に再度双眼鏡を向けると、主砲を街中に向けようとしているのが見えた。
「!」
轟音と共に主砲が発射され、街中に爆炎が上がった。
さらに次弾。
今度は最初と全く違う場所に砲撃する。
高射部隊どころか歩兵すら配置されていない全く見当外れの場所だ。
街中への無差別攻撃が3発目を数えた頃、爆弾倉に高射砲の射撃が飛び込んで〈リデューズ〉は盛大な爆炎を上げた。
真っ二つに裂けると、火達磨になりながら街の遥か手前で墜落し巨大な爆炎を上げる。
「……これで……終わり?」
「戦闘態勢を解除。警戒態勢に移行して……」
ヒメノがそう言いかけた時、通信機が叫びを上げた。
『こちら第87歩兵小隊!メアリースン通りにクリーグ!歩兵を随伴させている!』
『なにぃ!?』
「!」
通信機の届く範囲の人間は例外無く驚愕した。
言うまでもないが、ここは主戦場から大きく離れている。
さらに、地方都市としては過剰な戦力が駐留している。
気付かれずに街中に現れるなど不可能だ。
『776戦車中隊は街中へ!敵部隊を排除せよ!』
『さらにオクロア通りに敵部隊!』
『こちら第82魔士小隊!オクロアに急行します!』
『671対戦車中隊市街地へ突入します!』
『こちら777戦車中隊!メアリースン通りの敵部隊を補足!迎撃する!』
『第122魔士隊より全部隊へ!中央通りにすでに敵兵が侵に……うわぁぁ!?』
錯綜する通信から、すでにかなりの数の敵がフェリペ各地に現れたのが推測された。
「どうする?俺たちも郊外を迂回して基地の防衛に……」
「本車はこれより市街地へ突入します!総員戦闘配置!」
『えぇぇえぇえぇぇ!!!?』
サカキの意見具申を遮り、ヒメノはトンデモないことを言い出した。
搭乗員達の叫びが夜闇に響き渡る。
「何考えてるんですか!?どうやって街中に装甲列車なんて……」
「路面電車の線路を使います」
「確かに中央線は使えますが……」
「これで迂回せずに基地に行けます!」
ヘルマンの不安そうな顔に対して、自信満々に頷きヒメノは断言した。
確かにこの街には、街を十字に貫くように幅広の路面軌道が敷かれている。
そこなら装甲列車だって通れるだろう。
「敵の集中攻撃を食らうことになるぞ」
「〈アイゼン・マウルベーレ〉にとっては本業みたいなものですね」
ヒメノの答えを聞いてゲルラッハは笑みを浮かべた。
「よし、戦車隊はその話乗った!先導は任せろ」
後ろでえぇ!?と悲鳴を上げるクランシュタイン。
しかし、搭乗員のほとんどは乗り気になっていた。
悪乗りの好きな連中である。
「よし、征くか」
サカキの苦笑に満面の笑みで頷き、声を上げる。
「はい!総員戦闘配置!〈アイゼン・マウルベーレ〉はこれより市街を横断し基地へと向かいます!」
『ヤーボール!へルコマンダ!』