西暦2203年5月5日八百境港
遥か昔に巨人の攻撃によって出来た巨大な湾を改造してつくられた巨大な港湾施設。
その軍管区の片隅に改ファーゴ級戦艦48番艦〈クニャージ・スヴォロフ〉が停泊していた。
哨戒活動を終え、補給と整備のために母港へ帰還したのが5月の2日。
今は出港を控えて待機状態である。
その艦橋横に少女が一人。
将官用の白い軍服にモノクルをかけた三白眼の少女だ。
柵に寄りかかり港を眺めているその眉根には、深いシワが刻まれている。
「かんちょー!もー巨人は撃ちは飽きたであります!戦艦を撃ちたいのであります!」
その後ろでがなるデカい図体の色黒男が原因だ。
眉根のシワを揉みほぐしつつ、振り返る。
「貴官の気持ちも分からんではないがな砲術長。諦めろ、撃つ相手が居ない」
肩を竦める少女を見て、砲術長と呼ばれた男は悔しそうに呻いた。
「分かっているのであります!だからかんちょーに叫んで我慢しているのであります!」
「私をストレス発散に使うな」
偉そうなモノクル小娘がこの艦の艦長であるソフィア・G・S・南条少将、色黒男が砲術長の敷野 伊丹少佐だ。
ソフィアは溜息を一つ吐いて、艦橋に足を向けた。
将官用の軍服がサッパリ似合っていない小太りハゲ頭の男性が、笑い声を上げながら彼女を迎えた。
「砲術長のご機嫌取り、お疲れ様であります艦長」
副長の小野峰 洋三中佐である。
「若いからって馬鹿にしおって」
「いえいえ、そんなことはありませんよ、決して」
洋三はぬふふ、と含み笑いをしながら前に向き直る。
「それにしてもスカッとしましたなぁ、あの戦闘は」
ソフィアの隣に並んで洋三が言う。
「あぁ、大戦果だった」
ソフィアも満足げに頷く。
彼らの言う通り、安価な通常徹甲弾数発で百倍倍率の巨人を、しかも被害無しで倒せたのは確かに大戦果だ。
間に合わなければタンカーが沈んでいたし、距離があったならば高価な誘導弾を多数投入せねばならなかっただろう。
「しかし、最近また巨大生物の出現が増えましたな!」
と、伊丹。
「確か、先月は40m級の怪獣でしたね」
洋三が顎を抓んで唸る。
確かに巨大生物の出現率は増大傾向にあるが、誤差の範囲内だ。
こんなことまで警戒していては過労死してしまう。
だからこそ、三人共本気で心配はしておらず、軽い話題として口にしている。
「我が軍の本領だ、不満はあるまい」
ソフィアの言葉に二人は不承不承に頷いた。
「そんなに戦艦が撃ちたいのか?」
それを見たソフィアが再び眉根にシワを刻みながら聞くと、二人は顔を見合わせてから真顔で頷いた。
「「当然!」」
ソフィアは思わず頭を抱えた。




5月6日 〈クニャージ・スヴォロフ〉艦尾甲板
そこからは八百境軍港の全景が見渡せた。
390mの全長を誇る空母が水上ドッグでその巨体を休め、ドッグには巡洋艦群がズラリと並ぶ。
駆逐艦溜まりには小柄ながら高い性能を秘めた駆逐艦やフリゲート達が集まって待機している。
ソフィアは火の付いていないパイプを咥えながらその光景を眺めていた。
「艦長、別に吸っても大丈夫ですよ?」
チーフオペレーターの館花 純子少佐が苦笑しながら声をかけてくる。
「一応禁煙だからな」
苦笑を返しながら手を振る。
視線を港に戻し、パイプを口から離す。
その時だった。
「……ん?」
穏やかな湾内にポツンと浮かぶ物体。
動き一つなく、一見ただのゴミにも見えた。
しかし目を凝らしてよく見れば、仰向けで漂流する人間だった。
目を閉じ口を半ば開き、完全に意識を失っている。
「なんっ……!」
ソフィアは上着を脱ぎ捨て、躊躇無く手摺りを乗り越えた。
「艦長!?」
慌てて駆け寄る純子に振り返ると怒鳴りつけた。
「内火艇を降ろせ!医務室に連絡しろ!溺者だ!」
「でも……はい!」
一瞬戸惑うものの、頷き走り出す純子。
本来なら艦長自らが飛び込み救助活動するという軽挙を制止すべきであろうが、どうもこの無鉄砲な艦長のこういう行動を純子は嫌っていなかった。
「人が溺れてるの!手伝ってぇ!」
純子は走りながら大声で叫び、周囲の兵を呼び集めることから始めた。

溺者は裸の少女だった。
染料で染めたとは思えない自然な緑色の……不思議な髪の色をした彫りの深い容姿をしている。
意識はないが呼吸はしているようで、溺れていると言うよりただ浮いているようにも見えた。
だが、この時期に海水浴客など居る訳が無いし、裸体で泳ぐなどまず有り得ない。
何か薄ら寒さを感じるが、今は救助が先だ。
気道を確保しながら曳航し、航行してくる内火艇に近寄る。
すぐに舷側から兵が身を乗り出し、少女を引き上げてくれる。
「艦長!大丈夫ですか!?」
「あぁ、水も飲んでいないようだし呼吸も安定している」
「いえ、そっちではないんですが……」
自らも内火艇に乗りながら答えると、彼女の身を案じていた兵は苦笑した。
その苦笑も、少女を見た時には消えていたが。
何かがオカシイ、という言葉は口にせずとも互いに理解していた。
軍管区に裸の溺者。
しかも意識がないだけで外傷も呼吸の乱れも無い。
嫌な予感がした。

〈クニャージ・スヴォロフ〉医務室
あれから大体1時間後。
ソフィアと純子、そして老人特有のシワを顔中に刻んだ艦医、ユリウス・ユーリッド大尉が机を挟んで顔を突き合わせている。
「それでドクター、彼女の状況は?」
ソフィアの問いに生真面目な表情を返すユリウス。
「若干の脱水症状と衰弱が見られますが概ね健康と言っていいでしょう。それと、人体構造は我々人間と酷似しています」
「酷似……という事は違う所があるのですか?」
純子が首を傾げると、ユリウスは若干の困惑混じりで頷いた。
「心臓と直結するカタチで地球人類には無い器官が存在しております。何か、エネルギーを生成する構造のようですが細かいことまでは分かりかねます」
「そうか……いや、ありがとう。ご苦労だったな」
「いえ」
謎の器官を有した奇妙な漂流者。
これは面倒なことになったなと内心溜息を吐きながら、ソフィアは少女が眠っているベッドを見た。
カーテンで覆われた上、脇には武装こそしていないが女性の歩哨が二人立っているのを見て、今度こそ本当に溜息が出た。
司令部にはどう報告したものか……。
手続きの為の書類の山を想像しながらインカムのスイッチを入れようとして、その瞬間に洋三の声が聞こえてきたのに驚いた。
『艦長!至急復帰してください!非常事態です!』
その言葉を聞くなり反射的に立ち上がり、CICに向かって駆け出した。
同じく通信を聞いていた純子が後に続く。
「何が起こった?」
『軍港上空に空間歪曲が発生しています!誰かがここにやって来る気なんです!』
インカムを握る力を強め、ソフィアは目を眇めた。
「全艦戦闘配置だ、急げ」