それはほんの時々現れる、体全体が甘く疼くような、心を鋭く貫くような、痛みとも快感ともつかない感覚。
例えば夜寝る直前。
例えばお風呂の中。
例えば月から地球を見ている時。
例えば模型の組み立て途中。
例えば勉強のふとした合間。
例えばご飯を食べ終わった時。
例えば日向ぼっこの最中。
例えば……彼を見ている時。
これまでの生涯で一度も感じたことの無かったその感情に、私はよく振り回される。
それを何と呼べばいいのか、幼稚な私は未だ知らない。


その日、珍しく賢樹さんの方から呼び出しがあり、私は大湊野邸へと向かいました。
ふと思う疑問。
これまで……それこそ気の遠くなるような時間、時折ではあるけれど私を識ってしまう者も居なかった訳ではないのです。
賢樹さんほどではないにせよ、街とか国とか星とか世界とか宇宙とか諸々を造ったり壊したりする所を「見られて」しまったこともある。
そういった輩はその事象を受け入れられず自殺するか廃人と化すか、狂喜して崇拝するか教祖面するか。
少なくとも、一緒に大判焼きを食べようと誘われたことはありません。
「岩谷屋が再開してくれてよかったな。お前、これ好物だっただろ?」
「賢樹さんだってそうでしょう?」
「白餡が美味いんだよあのオッサンのは」
まるで漫画の光景のように皿に山盛りの大判焼きを、二人で無駄話しながら食べる。
それだけなのに何物にも代え難いことに思えます。
最近はモノ不足でめっきり食べる機会の減ったクリームの味を楽しんでいると、ふと賢樹さんが真剣な表情でコチラを見ていました。
「どうかしましたか?」
「実はな、色々頼みがあって」
「はぁ……?」
これはまた珍しい。
彼に面と向かって真剣に頼み事されるなど数える程度しかないと言うのに。
そんな感慨を通り越す爆弾が賢樹さんから投げ込まれました。
「地球での破壊活動は辞めてくれないか。何かと戦う時も周囲の被害はナシだ」
「!」
「お前の力ならそのくらい朝飯前だろ?」
駄目ならば力尽くで止める、と言わんばかりの語調。
出来る訳もないのに。
ひどい変人の癖に根っこの部分では蕩けるほどにお人好しなのだ、この男は。
瞬きする間も無く、賢樹さんは1/100のサイズになっていました。
勿論、自分が犯人なのですが。
「少しおこがましくはないですか?それとも幼馴染ならそんな無礼が許されるとお思いで?」
人差し指の先でトントンとテーブルを叩く。
100倍の大きさがある相手に目の前でそんなことされればマトモな人間は動けなくなるだろう。
やっておきながら非常に気分が悪くなる。
別に聞き入れたっていいではないかと自分の一部が呟く一方で、何だか賢樹さんに自分の全てを否定されたように錯覚して素直に頷けない。
ふと指先を見れば、賢樹さんが目を見開き顔を真っ青にして腰を抜かしている。
少し指に近過ぎたかも知れない。
……いや、血の気は引いて歯の根も合っていないが、涙を浮かべた目にはまだ意志の光が灯っています。
「勿論一方的に懇願するつもりはない!対価は考えてある!」
「へぇ?」
思わず笑みが浮かぶ。
この変人が今度は何を言い出すのか期待してしまう。
誤魔化すように指先で軽くテーブルに押さえ付けながら蔑むように聞き返す。
「で、幼馴染様はこの私に願いを聞いてもらうのにどのような対価をお考えですか?」
すると、僅かながら押し返す感覚。
「お前を超える何かを造り出して見せる!」
「……は?」
呆気に取られて弄くり回していた指を思わず止めてしまう。
「どの位かかるか分からないが、お前が「本気」で参ったと思うモノを造り出してやるって言ってんだよ!そういうの好きだろお前!」
ほんの一瞬の沈黙。
「……またトンデモナイこと言い出しましたね」
文字通り宇宙よりも巨大な私を超える「何か」。
それが何なのか見当も付きませんが、そんな言葉を吐けるのはただの狂人かはたまた救いようの無い楽天家か。
勿論、賢樹さんはそのどちらでもありません。
自らの意思で自らの言葉で真剣にそんな酔狂なことを言っている。
普通に考えれば「お前をぶっ倒せるモノ造ってやるからそれまで俺の言うことを聞け」なんて言われて「はいそうですか」と言う輩もいないでしょう。
ですが、困ったことに指先でもがく虫けらの真剣な表情に、甘く疼くような鋭く貫かれるようなあの形容し難い感情を抱いてしまうのです。
この感情は、いつも私を振り回す。
「いいでしょう、一種の契約ですね」
ふとした気紛れ……だと思う、彼の願いを聞く気になったのは。
「そうか」
「言っておきますけど地球だけですからね!」
喜色満面の賢樹さんの笑みを見て慌てたように付け加える。
「俺もそこまで聖人君子じゃねぇよ」
「…………」
見知らぬ他人を想い人外の暴挙を止める為に己の命と生涯を捧げる者をそう呼ばないのなら、一体何がそれに当たるのだろうか?
「全く、本当にモノ好きなんだから」
「まぁな。あ、サイズ戻すのちょっと待ってくれ」
「へ?」
賢樹さんはそう言うと小走りで皿に向かって行きます。
まさか……!
「縮小化して巨大な食べ物を食う!全人類の夢だな!」
「ズルイです!私も餡子とクリームの海で泳ぎます!」
慌てて縮小化して賢樹さんを追いかけたのは言うまでもありませんね。