木星上空
全長約120kmはある円筒状の宇宙船が木星の重力に捕まり、落下しつつあった。
下部のスラスターが必死に噴射しているが、その半分以上が沈黙しているため実力を発揮出来ていない。
ゆっくりと、しかし確実に落下しつつある宇宙船のブリッジでは、クルー達が絶望に顔色を失いながらも必死に現状の回復に奔走していた。
「エンジン内温度さらに上昇!融合炉隔壁の限界突破!」
「第27~第55下部スラスター停止!船長、これでは姿勢制御もままなりません!」
この船の船長である立派なカイゼル髭の男性は、船長帽を目深にかぶって頭を振る。
「ここまで……か」
船長の苦しげに呟きに、クルー達は肩を落とす。
「そんな……」
「折角アレから逃げられたのに……」
その時、突然の縦揺れと共に船が急激に上昇する感覚がクルー達を襲った。
凄まじいGに一人残らず床に叩きつけられ、苦しげに呻き声を上げる。
「船が急速に上昇中!このままだと数十秒でこの惑星の重力圏内を離脱出来ます!」
嬉色よりも困惑を含んだ声音でクルーが報告してくる。
船長は厳しい表情のまま声を張り上げる。
「居住区画の重力制御!」
「やってます!居住区だけなら何とか維持出来ます!」
床に押し付けられながらも、必死にコンソールを操作するクルーが呻き声で返答する。
「うむ。しかし、いったい何が起こっている?」
船長が椅子に押し付けられながら疑問を呈する。
「船長!あ……アレを……!?」
「これは……!?」
船外カメラの画像を見たクルー達は、顔色を真っ青にして絶句した。



木星上空
姫乃は木星に墜落しつつあった宇宙船をヒョイと拾い上げる。
縮尺的にはジュースの空き缶のように見えるが、言うまでも無いが姫乃が大きいだけだ。
手の平の中のそれを持ち上げて、姫乃はまじまじと見る。
「1282?」
側面に描かれた地球のモノではない数字を読み、首を傾げる。
周囲を見るが、この船以外に船影は見当たらない。
「はぐれたのでしょうか……?まぁ、どうでもいいことですか」
中の人間の混乱や恐怖を完全に考慮外にした動きで引っ張り上げ、そのまま持ち帰る。

数分後 某アパート
仮設住宅から越してきたアパートの一室で、姫乃は回収した宇宙船を眺めていた。
無重力にした50cm四方の空間内で十数cmサイズになっているそれが浮いている。
側面には乗っている人々の文字なのであろう1282を示す数字と、何かの紋章……国旗か何か?が記されている。
しかし、それ以上に目につくのは船体のあちこちにある大小の傷や破孔。
小さいモノは数百mから、大きなモノは数kmに渡って船殻を傷付けている。
「さて、どうしたものでしょうか」
助けてみたはいいが、どうコミュニケーションを取ったものか。
姫乃は空中に寝転がりながら、困り顔で宇宙船を眺めていた。
その間にも、様々な人々の恐怖や怨嗟の叫びや命乞いなんかが引切り無しに中から響いてくる。
「ん~、出来れば代表者の方と話したいんですけれど」
すると、船首方向にあるフェーズド・アレイっぽい平面アンテナから電波ではない何かによる通信波が発され始めた。
どうやら超光速通信が可能なようだが、現在の人類では解析するどころか受信することすら困難であろう。
姫乃はケータイで受信させてしまうが。
「はい、もしもし」
<初めまして、大きなレディ。私は移民船ラマヌサ1282船長のカークランド・ドランドだ>
当然地球の言語ではないが、姫乃は平気で会話を続ける。
「じゃぁカーク船長で。私は桜庭 姫乃と申します」
こちらは日本語だが、相手側ではしっかり向こうの言葉になっている。
<ふむ、それではミス・ヒメノ、君は我々をいったいどうするつもりかね?>
「……?」
カーク船長の声音には警戒と恐怖、さらに殺気の成分までもがたっぷりと含まれている。
警戒するのは分かるのだが、いくらなんでも警戒し過ぎだ。
「どうするって……ただ宇宙船が落っこちかかってたから引き上げただけじゃないですか」
<では、君は我々を嬲殺したりはしないのかね?>
ジト目で宇宙船を見据え、つまらなそうな声になる姫乃。
「して欲しいなら今すぐ皆殺しにしてもいいのですが?」
その言葉に船内の恐怖が一気に高まる。
<そうか。いや、済まなかった、善意を疑ってしまって>
しかし、船長は紳士的に返事をしてきた。
何となく気に入らなくて、姫乃は宇宙船が揺れない程度に人差し指で突く。
「ほんとですよ、無視してもよかったんですからね。……あ~、いえ、今のは無しでお願いします」
<?>
どこか自己嫌悪を浮かべる姫乃を見たのだろう、ケータイの向こうからも困惑を感じる。
「私が勝手に引き上げただけで、助けようと思った訳ではないですよ?」
<そうかね?>
「そうです」
恩着せがましいように感じるのが嫌で否定する姫乃に、船長は困惑を隠せないようだった。
<ところで、この星の人間は君のように皆巨大でかつ生身で宇宙へ出られるのかね?>
「いえ、今はあなた方が小さくなっているだけです。さらに言うと、巨大化したりモノの縮尺を自在に操ったり生身で宇宙とか普通生物として有り得ないでしょう」
<そ……そうか>
「さらに言うとこの星は未だ本格的な宇宙進出を果たしていません。系内航行すらマトモに出来ていませんから」
<だから我々を縮小して個人的に助けたと?>
「そう言うことです。今のうちに船の修理とかすればいいと思いますよ」
<そうか。乗員乗客三百万人の代表として感謝する>
「だから、私が勝手にしただけですってば」

「ふぅん、巨人ですか」
<うむ、君ほどではなかったが非常に巨大であった>
姫乃は、修理中の宇宙船を模型のように眺めながらこれまでの経緯を船長から聞き出していた。
<我々の船団も必死に抵抗したが、数人も倒さぬうちに船団のほとんどが沈められてしまった>
悔しさが滲み出た口調がケータイから聞こえてくる。
「弱肉強食は宇宙の真理なのでしょうね」
<……そうなのだろうな>
姫乃の淡泊な言葉に船長は声のトーンを落とす。
目の前の少女もその食う側に回る存在だということが分かり切っているからだろう。
「しかし、1隻で三百万ということは、船団全体は」
<軍民合わせて約七千万人だ>
「それほどの人間が宇宙に移民していたんですね」
<必要に迫られただけだ。我が母星の寿命が尽きそうだったから星を挙げて宇宙移民を実施した>
船長はどこか寂しそうに説明してくれた。
<行き先もほとんど決まっていなかったが、それでもほぼ全ての住民が惑星から脱出に成功した>
「でも、宇宙には理解を超えた敵対種が存在した……ということですか」
<うむ。これでは、他の船団も平穏無事とはいかないかも知れんな>
「宇宙に出ずに、故郷と共に滅びた方が幸せだったかも知れませんね」
<そんなことはない>
「!」
船長は姫乃の言葉を、激しくはないがキッパリと否定した。
<自らの敵わない存在や、移民先への不安があろうとも、我々は座して滅びを待つなど選択する気はない。生きることは全ての生命の義務だと私は考えている>
船長の言葉を聞いて、姫乃はただ考え込むだけだった。





数日後 オールトの雲外縁
「さて、こんなところですか」
<すまないな、修理の手伝いだけでなくこんな所まで送ってもらって>
件の宇宙船が浮いているのを、通常サイズの姫乃がケータイ片手にのんびりと眺めている。
「気にしないでください、ただの気紛れです」
<それでもありがとう。何の礼も出来ず申し訳ない>
「あなた達如き虫けらに何かしてもらうことはありませんよ」
<そんなものかね>
「そんなものです」
虫けら、と称されながらも船長は機嫌を悪くすることはなかった。
<また何時か会おう>
「会えるといいですね」
数秒の沈黙の後、宇宙船は光と共に光速を超えて太陽系から去っていった。

さらに数日後 とある宇宙空間
「くそ、やはりか」
船長が苦々しげに呟き、帽子をかぶり直す。
視線の先にあるモニターには、凄まじい速度で接近する十数人の中性的な容姿をした巨人が映っている。
15~18kmある体躯の背には、光が翼のように広がっている。
「目標接近!」
「こんな所でやられて堪るか……!全砲門開け!虫けらの意地を見せてやれ!」
宇宙船の表面のハッチが開き、粒子ビーム砲の発射口が現れる。
「ファイアァ!」
船長の叫びと共に発射口が発光し、遠方で多数の爆発が起こる。
しかし、爆光の中から全く無傷な巨人達が飛び出してくる。
『この程度で我らを退けようと言うのか?愚かな』
音がないはずの宇宙空間で平気でしゃべりかけてくる巨人達。
両刃剣や槍を構え、宇宙船に突っ込んで来る。
『劣悪種が宙に在るのは害悪。これは浄化である』
船団を襲った時と同じ言葉を言い、近接防御用のレーザー砲をものともせずに巨人達は宇宙船に襲いかかる。
(ここまでか……!)
船長は悔しげに、モニターに映る巨大な顔を睨みつける。
しかし、その振り上げられた剣は宇宙船を傷付けることはなかった。
巨人よりも遥かに巨大な物体が凄まじい速度でソレを掬い上げ、攫っていく。
『これが件の「巨人」ですか』
指先で摘んだ「巨人」を、目の前に持って来て姫乃が嘯く。
『貴様!なにもゲァ!?』
摘まれていた巨人が指先で磨り潰され、呻きと共に血塊を吐き出す。
「ミス・ヒメノ!?」
『久しぶりですね、カーク船長』
微笑みを浮かべ、宇宙船をジュースの缶のように持ってしまう手の平を振っている姫乃。
「なぜここに!?」
『ただの気紛れですよ』
数日前と同じ何の気負いもない言葉。
しかし、周囲は違った。
『我々に手を出すとは、どうなるか分かっているのか!?』
「巨人」の一人が槍を構えながら叫ぶ。
『でも凄いですね、たった数日で約千光年ですか。羨ましい科学力です』
当の姫乃はそれに返事をするどころか、完全に眼中に無い様子で宇宙船に話しかけてくる。
『貴様ぁぁ!』
無視されたことに激昂した「巨人」の一人が槍を構えながら突っ込んで来る。
それは姫乃がソレを指で弾いたことで中断される。
自身よりも巨大な爪と衝突し、砕け散る。
『邪魔ですね』
残りを冷たく見下ろしながら呟く姫乃。
『な……何なんだ貴様は?この劣悪種のなかガェ!?』
『彼らが劣悪?寝言は寝てから言ってください』
「巨人」を指先で潰しながら冷たく言う。
『まるで自らが秩序と言わんばかりの傲慢ですね。自分のテリトリーから出ずに大人しくしていればいいものを』
さらに「巨人」の集団を手の平で叩く。
超光速で巨大な質量が叩きつけられ、「巨人」達は粉砕される。
『人間でいられなかった「劣悪種」が。あなた達は虫けらにも劣ります』
逃げ出そうとした残りは睨まれただけで内部から破裂し、四散した。
「ミス・ヒメノ……君は」
『…………』
船長の疑問は明確な形になることはなく、当然姫乃が答えることも無かった。

『最後の最後まで世話になってしまったな』
「何度も言うようですが、私が好きでやったことです、あなた達が気にすることではありません」
手の中にいる宇宙船に答える姫乃。
「ただ、あなた達はこの私に守られるような存在になったのです。そこは誇っていいと思いますよ」
『君も大分傲慢ではないかね?』
「私は自分の力量を正確に把握していますよ」
『そうかね?』
片や200cmもない塵芥と、片や1000kmを遥かに上回る絶対者が笑いあう。
「それと、あの時に忘れてしまったことがあるんですよ」
『何かね?それは』
宇宙船から距離をとり、敬礼する姫乃。
「貴船の安全な航海と、前途の幸運を祈ります。さようなら、お元気で」
『こちらも、君の壮健を祈らせてもらおう。さらばだ、また会う日まで』
再び宇宙船は光と共に消えた。
今度こそ自らの未来を掴むために。