「変若水(おちみず)病」シリーズ


王子とシンデレラ


第一章 出会いと結婚

(1A)嘉彦様との出会いと結婚(建前)

私、等々力盛子(旧姓・墨田盛子)は、苦学して大学を卒業し、運よく等々力商事の入社試験に合格する事が出来ました。
等々力商事には、新入社員の奨学金を肩代わりして戴ける制度があり、中学時代からずっと借りていた多額の奨学金の返済が無くなり肩から荷が下りた気分でした。本当に等々力商事にはいくら感謝しても足りない気持ちでございました。
荘厳な入社式の後は、合宿所に入り、優秀な同期の皆さんと研修を受けました。研修時の私の班のリーダーは、北原修一郎さんという京王大学政経学部出身の俊英でした。彼は統率力に優れ知識も理解力も素晴らしい方でした。私などと同年齢とは思えません。
優秀な同期の皆さんと、厳しくも楽しい研修後、社長室に配属されました。社長室は若手社員でも特にエリートが揃う精鋭部隊で、上司・先輩・同僚とも特に優秀な方々です。新入社員で最も目立っていた北原修一郎さんも社長室に配属になり、少し心強く感じました。未熟かつのんびり屋の私ですが、上司・先輩の厳しくも優しい指導を戴き、同僚の皆さんとも切磋琢磨して多少なりとも会社のお役に立てるようになって行きました。

そして、入社2年後、取締役社長室長の等々力嘉彦様と私は、盛大に華燭の宴を挙げました。嘉彦様は、等々力グループ会長の等々力嘉三郎様の御長男であり、優秀な後継者として期待されておられる俊英です。そして、素晴らしい美青年なのです。
かくいう私は全くの庶民です。母は女手一つで苦労して私を育て、私が大学に入った年に亡くなりました。私は奨学金を借り、アルバイトで生活費を稼ぎ、大学を卒業する事が出来ました。
嘉彦様は、大企業グループ、等々力グループのオーナー家の御曹司です。嘉彦様に見初められ結婚した私は、「現代のシンデレラ」などと話題になり、週刊誌等で報道されました。
今ですから言えることですが、結婚前、私は怯えておりました。とんでも無く身分違いの結婚です。きっと舅の嘉三郎様、姑の瑤子様は庶民の私など嫁として認めてくれないでしょうと思ったのです。なんせ、等々力家は大企業オーナーで、瑤子様の御実家は旧宮家です。
私にとって意外な事に、舅の嘉三郎様、姑の瑤子様共に、私を実の娘同然に可愛がって下さいました。勿論、嘉彦様と私は相思相愛です。
舅・姑は、私達新婚夫婦に本邸を譲り、草津温泉の別邸に引っ越しされました。こうして、高輪台の等々力家本邸での嘉彦様との楽しい新婚生活が始まりました。

貧窮の中で育った私にとって、高輪台の等々力家本邸での新婚生活は素晴らしい夢のような日々でした。
結婚後、嘉彦様は取締役社長に昇進され、私は取締役社長室長に就任させて戴きました。まだ入社僅か三年目の若手社員でしかない私が末席とはいえ取締役、余りの重責に圧し潰されそうですが、会長の嘉三郎様以下、役員の皆様方が励まして下さいますので、精一杯、会社では頑張りました。
社長室の平社員の頃の私の仕事は、等々力グループ全社の幹部の皆様から本社中枢へのご報告書、稟議書、お伺い書等の整理でした。勿論、中身の殆どは高度に専門的なもので私の理解の範疇を超えておりますが、部門別・機密度別に整理して穴をあけてファイリングする、等の雑用をしている内に「門前の小僧、習わぬ経を読む。」の譬え通り、うっすらとでもグループ全体の業務の概要が分かるようになっておりました。この経験が役員になってから随分、役立ちました。

緊張感と重責で圧し潰されそうな会社と異なり、家では本当に快適でした。お手伝いさんが何人もいるので、私は家事をする必要はありません。結婚前に、嘉彦様に「好みのスポーツは何ですか?」と聞かれたので、「学生時代はアルバイトに明け暮れていたので、部活動とかをやる余裕はございませんでした。しかし、水泳は好きで時々泳いでいました。」とお答えしたら、なんと、25m4コースの屋内温水プールを地下に作って下さいました。
私の学生時代、中学校から大学までアルバイトに明け暮れておりましたので、スポーツなどする余裕はございませんでしたが、アルバイト先のフィットネスクラブの社長様が私を気に入ってタダでプールを使わせて下さったので、清掃前の三十分足らずですが泳ぐことが出来ました。これが学生時代の私の唯一の娯楽の時間でした。
今では私は好きなだけ家で泳ぐことが出来ます。嘉彦様は水泳は苦手なようでしたが、私が泳ぐのを見るのはお好きな様でした。最初は水に入ることが苦手だった嘉彦様ですが、私が少しずつ水泳をお教えしましたら、最近は素晴らしいフォームで泳がれるようになりました。水泳後は嘉彦様と仲良くプールサイドのジャグジーに入り身体を温めます。その後は、夫婦の寝室に戻ります。その後については・・・・、いずれにしても私達夫婦は相思相愛、幸せ一杯でございました。

(1B)嘉彦との出会いと結婚(本音)

(著者注:以下の文は、「身長等を理由とする差別の解消の推進に関する法律」に明確に違反しており、公衆の閲覧に供する事は不適切である。よって、部外秘扱いとする。なお、以下は等々力盛子氏の見解であり、著者の意見や立場と同は異なる。)

私、等々力盛子(旧姓・墨田盛子)が等々力商事などと言う二流企業に入社したことについて学生時代の友人は皆、不審がります。なんせ、私は帝国大学経済学部を主席卒業ですので、四井物産、四菱商事等の一流企業は勿論、国家公務員上級職でも楽々合格だと皆さん思っておられるのです。理由は簡単、奨学金の返済です。等々力商事には優秀な学生が入社すると奨学金返済を肩代わりしてくれる制度があるのです。ついでに私は公的な奨学金の他に等々力グループの運営する奨学金も借りており、こちらも返済を免除されました。要するに私はカネで買われた訳です。

同期入社は、ヤリスだかマーチだか知りませんがほぼ二流大学卒の馬鹿ばっかりでした。一人、利口ぶってイキッている奴がいました。京王大学政経学部を出たという北原修一郎、こいつは新入社員研修開始30分には私に心を折られ私のパシリになりました。新入社員研修の内容は余りに幼稚で、私にとっては無駄そのものでしたので、北原修一郎に仕切らせました。

余りに暇で眠さを堪えるのがやっとの研修を終え、社長室とやらに配属になりました。
社長室とやらの任務は、要するに馬鹿御曹司、等々力嘉彦のバックアップです。北原商事の社長は雇われ社長で、タダの番頭、使用人に過ぎません。無能で少し足りない等々力嘉彦をサポートして粗が見えないようにすることが社長室の仕事です。そういう訳で社長室には等々力商事の中では幾らかでもマシな連中がいました。とは言っても、所詮、京王大学とか情痴大学とか西北大学とか自称一流大学程度です。なお、私のパシリにした北原修一郎も社長室配属でした。私の小学校時代くらいの知恵しかない修一郎が「新入社員のホープ」とか「20年後の重役候補の俊英」とか言われており、私は思わず吹き出しそうになりました。
上司・先輩の知能程度や知識も私の幼稚園時代と同程度と思います。仕事も暇でした。私が10分ほどでチャッチャと終える程の事務仕事を同僚は残業までして一日がかり、余りにも眠くてやってられません。

そして、入社2年後、取締役社長室長の馬鹿御曹司、等々力嘉彦と華燭の宴を挙げました。これで私は等々力商事社長夫人となりました。飾りの雇われ社長は嘉彦の結婚に合わせ引退する事が決まっていたのです。
嘉彦は、社内では「素晴らしい美青年」と言われておりますが、これは完全に阿諛追従です。確かに顔が綺麗で整っている事は事実です。しかし、変若水(おちみず)病患者ですからチビで女顔です。ヒラヒラのフリルの付いたピンクの服でも着せたら、小学校2年生くらいの女子児童に見えるでしょう。なんせ、身長121cm、体重18キロですから、小学校2年生としても貧弱すぎです。もし、彼が小学校2年生くらいでしたら、「素晴らしい美少年」で間違いないのですが、私より4歳年上の28歳の成人男子なのですから噴飯ものです。
かくいう私は八尺病患者です。身長は242センチメートル、体重180キログラムです。身長は嘉彦の丁度倍、体重は10倍となります。

嘉彦に見初められ結婚した私は、「現代のシンデレラ」などと話題になり、週刊誌等で報道されました。この報道も実はヨイショ記事です。等々力グループは一流企業とは言い難いものの一応、大企業でそれなりに広告宣伝費も支出しています。週刊誌だって忖度くらいします。第一、週刊誌とはいえ一応、マスコミ、明確な法律違反は冒せません。
(著者注:前述の「身長等を理由とする差別の解消の推進に関する法律」により、他人の身長を公表し論評する事は明確な差別であり禁止されている。)
利害関係が無く、事実上無法状態のネット上では散々、嘲笑されました。なんせ、私と嘉彦が並ぶと、身長差は2倍です。ママが幼稚園年少組の新入園児を連れている様に見えてしまうのです。ネット上では「世界史上空前の蚤の夫婦」とか「長身ママに連れられて幼稚園に初登園の年少さん」とか、言われておりました。

私にとって意外な事に、舅の嘉三郎様は、私を気に入って下さいました。三代目の嘉彦が会社を潰す事を恐れていた嘉三郎様は、優秀な私が嘉彦に代わって会社を経営する事を期待していたのです。姑の瑤子様は所詮「金で買われた嫁」ですので特に気にする必要もありません。
内緒ですが嘉彦は、高身長女性フェチなのです。それで私は理想の女性なのです。私も可愛くて小さいものは好き、そしてショタコンなので、嘉彦は理想の夫です。
舅・姑は、私達新婚夫婦に本邸を譲り、草津温泉の別邸に引っ越しされました。こうして、高輪台の等々力家本邸での嘉彦との楽しい新婚生活が始まりました。

貧窮の中で育った私にとって、高輪台の等々力家本邸での新婚生活は素晴らしい夢のような日々でした。
結婚後、嘉彦は取締役社長に昇進し、私は取締役社長室長に就任しました。私は末席の平取ですが、事実上、会社の全権を握りました。会長の嘉三郎様は、事実上引退され悠々自適で、取締役会すらテレビ会議システムでの参加、それも冒頭だけです。
嘉彦はお飾りで誰も仕事をさせようとは思っておりません。変若水(おちみず)病患者の嘉彦に会社内をウロウロされたら、(他の役員や社員が)危なくてしょうがありません。変若水(おちみず)病患者の撒き散らす媚薬で理性を失い、取締役営業部長が社長を強姦!などという事件が起こったら大スキャンダルです。
よって、役員・従業員との面談、他社幹部との会談等、全て私が代理せざるを得ないのです。八尺病患者には変若水(おちみず)病患者の媚薬は無効なので私だけは嘉彦と会うことが出来るのです。
専務以下の役員は使用人に過ぎませんし、私の小学校低学年当時の能力しかなさそうです。取締役の業務などテレワークでやれるので、出社する必要もなく、自宅で出来るのですが、貧乏性な私は毎日キチンと出社しました。

社長室の平社員の頃の私の仕事は、等々力グループ全社の幹部の皆様から本社中枢へのご報告書、稟議書、お伺い書等の整理でした。私は速読で全て読み、背景になる関係資料は本社のサーバーで全て見ておきました。まあ、見つかるわ見つかるわ、粉飾決算、使い込み、損失隠し、談合、私的流用、下請け虐め、逆に下請けとの癒着、政治家・官僚への過剰接待、過剰社内接待、パワハラ、セクハラ等々、ワサワサ見つかり、グループ全体の部長以上全員の弱みを握りました。これが役員になってから随分、役立ちました。
反対に上司に功績を横取りされた若手社員、特別な技術がありながら上司の無理解で役立てられない技術者、等の役立ちそうな人材も見つかりました。
家では、まあまあ快適でした。お手伝いさんが何人もいるので、私は家事をする必要はありません。結婚前に、嘉彦に「好みのスポーツは何ですか?」と聞かれたので、「学生時代はアルバイトに明け暮れていたので、部活動とかをやる余裕はございませんでした。しかし、水泳は好きです。」と答えたら、25m4コースの屋内温水プールを地下に作ってくれました。どうせなら、50mプールの方が良かったな、と思いました。ちょっと残念です。
私の学生時代、中学校から大学までアルバイトに明け暮れており、スポーツなどする余裕はありませんでした。なんせ、私は8尺病患者なので、他人の何倍もご飯を食べます。公的な奨学金だけでは到底足りず、等々力グループの紐付き奨学金も貰い、それでも足りずアルバイトもせざるを得なかったのです。
しかし、アルバイト先のフィットネスクラブの社長様が私を気に入ってタダでプールを使わせてくれたので、清掃前の三十分足らずですが泳ぐことが出来ました。これが学生時代の私の唯一の娯楽の時間でした。
今では私は好きなだけ家で泳ぐことが出来ます。嘉彦は水泳は苦手なようでしたが、私が全裸で泳ぐのを見るのは好きな様でした。私も一人で泳いでばかりでは、面白くないので、嘉彦をプールに投げ込んでスパルタで鍛えました。最近はやっとこさっとこ泳げるようになたようです。水泳後は嘉彦と仲良くプールサイドのジャグジーに入りじゃれあいます。その後は、逆お姫様抱っこで夫婦の寝室に戻ります。その後については・・・・、嘉彦のチンチンが短小で包茎なのは不満でしたが、私達夫婦は相思相愛、それなりに幸せ一杯でした。