パッカパッカパッカ・・・
リズムを刻んだ軽快な馬の足音が辺りに響き渡る。
それに伴って、あたりの景色も穏やかに流れていき、一陣の風が私の頬を撫でていく。
半開きになっている窓から外を眺めると、見渡す限りの田園風景に、小川のせせらぎと小鳥のさえずりが聴こえてくる。
遠くには緑豊かな山々と川。渓谷が延々とその姿を連ねており、青と緑のコントラストが見事に調和していた。
時々いくつかの集落が点在する以外には人の住処らしいものも見受けられない。
西洋で見られるフィヨルドの風景がこれに該当するかしらね?
正直私は今感動している。
この大自然の風景を穏やかな気持ちで眺めることが出来ている私はきっとこの上なく幸せなのだろう。
エノクの家の中から見える景色も素晴らしいが、馬車から見えるこの風景もまた格別だった。
現代日本に住んでいたらこの感動はとてもじゃないけど味わえなかったんじゃないかな。
私は馬車の窓際に腰掛けて足をブラブラさせながら移りゆく風景を楽しんでいた。
外に出るときはいつもエノクの防護カバンの中に身を潜めているんだけど今はその必要はない。
ていうかそれだとせっかくの景勝を満足に見ることが出来なくて勿体ない。
どうせ今馬車の箱の中にいる人間は私とエノクの二人だけだ。
周りに遠慮する必要もないし、危険性もない。
私は久しぶりに感じる自由と解放感を存分に味わっていた。
思えばこうやって生身を晒して外の世界を見るのは随分久しぶりのような気がする・・・
あのネコに追いかけられて以来じゃないの?
私は窓の外の眺望に見惚れながら、これまでの事を思い返していた。
突然の死と異世界への転生。強欲な兄弟との出会い。脱出と逃走劇。そして、エノクとの出会い・・・
この世界に来てからまだ1ヶ月しか経っていないとは信じられない。
もう転生したのが随分昔のように感じられた。
しかし、改めて思い返してみると自分の持っているこの世界の認識が驚くほど狭いことが分かる。
エノクの家の窓から見える景色とカバンから見える町の風景が私の認識している世界のほぼ全てだった。
転生前とは違い今の私は小人であり、満足に外を出歩く自由もない。
外界は危険に満ちていて一歩外を出ればあらゆる脅威が襲い掛かる死の世界。
世界は危険なもの、恐ろしいもの。
そうやって外の世界への興味を諦めさせていた部分が少なからずあったのかもしれない。
ところが、今私の目の前に広がっている光景はどうだ。
そんなことも忘れさせられるほど、雄大な大自然が私の網膜に眩しい光を照り付けてくる。
この感覚はなんか久しぶりね・・・
世界はこんなに綺麗で広かったのね・・・
自分の中にある飽くなき探求心がふつふつと蘇ってくる。
そんな私の様子を見てエノクが微笑みながら声を掛けてきた。
「レイナ、そんなに見ていて飽きないかい?」
私は彼の方に顔を向けて言葉を返した。
「全然飽きないわね。今の私にとってはこういうの貴重だもの」
「それに前の世界でもこういう風景を目にすることはほとんどなかったのよ」
「そうだったんだ・・・」
エノクは若干考える素振りを見せながら頷き、言葉を続けてきた。
「レイナのいた世界はこういう風景は珍しかったの?」
「珍しいっちゃ珍しいけど、私が住んでいた場所がとりわけ都会だったからというのが大きいわね」
「こういう緑豊かな風景自体なかなかお目にかかれないのよ」
東京でも植林された木などはあったし緑に触れる機会は多いけど
流石に山々を間近で見るとなると都心から大きく離れないと拝むことは出来ない。
天気が良い日だと遠くに富士山が見えたりするけど、まあそれは例外と言っていいだろう。
「都会って・・・ちょっと大げさに言っているのかい?」
「町からちょっと離れればどこでもこういう風景は見られるもんだと思うけど」
エノクがちょっと驚いた顔をしながら私に問いかけてきた。
彼にとっては現代日本の風景など想像することは出来ないのだろう。
しかも東京なんて規格外に大きい都市なんてものはなおさらだ。
私は一応彼に説明をした。
「大げさじゃないんだけどね・・・それくらい大きい都市だったのよ」
「単純な面積で言ったらクレスの町の100倍くらいでかいわよ」
「はぁ・・・冗談だよね?さすがに・・・」
「それが冗談じゃないのよ。端から端まで行こうとしたら徒歩だと丸1日掛かるって言えば想像つくかしら?」
「・・・す、凄いねそれは」
エノクは信じられない様な顔をして私を見ていた。
まあ、無理もないか・・・
クレスの町だって決して小さな町という訳ではない。
都市の中心部には各地からの行商人や冒険者、さらに町の住人などが集って大いに賑わいを見せている商業都市だ。
エノクから以前小耳に挟んだんだけど、クレスの町はカーラ王国でも有数の巨大都市であり、人口は10万人を超えているという。
彼からしたら、そんな町のさらに100倍でかい都市があるなんていわれても中々信じることが出来ないのだろう。
エノクは苦笑いをしながら言葉を返して来る。
「いやぁ・・・なんかレイナの言葉に度肝を抜かされちゃったよ」
「これから行く”王都カーラ”もとても大きい都市なんだけど、レイナが以前住んでいた都市には負けるね」
「そう考えるとちょっと残念だな・・・」
「んっ・・・なんでよ?」
何が残念なんだろう・・・何も残念がる必要はないと思うんですけど。
私が疑問に思っていると、彼はさっきまでとは変わり晴れやかな顔をして言ってきた。
「ははっ、レイナを驚かすことが出来なくて残念って事だよ」
「王都を初めてみる人は大抵はその威容に驚くからね」
「レイナもきっと驚くと思って黙ってたんだ」
エノクはそう言って無邪気な笑顔を私に向けてきた。
どうやら彼は私をビックリさせたかったようだ。
今の彼からは年相応の雰囲気を持った少年という印象を受ける。
工房の親方から貰ったという衣服にその身を着飾ったとしても、やっぱりこう見るとまだ幼さが残っている。
黙っていれば知的な紳士にも見えるんだけど、まあこういう彼も悪くはない。
彼の無邪気な笑顔に私も自然と顔がほころぶ。
「ふふっ・・・それは残念でした」
「でも、私はもう十分この自然に驚いてんだから安心してよ」
「そうかい?長旅だから飽きてくる頃かと思って心配しちゃったよ」
「大丈夫よ。十分楽しんでいるんだから、気にしないで」
「うん。それなら良かった」
エノクはそう言った後、手元にある本の読書を再開した。
・・・クレスの町を朝方に出発してそろそろ夕方に差し掛かろうとしている。
馬車に揺られている間彼は手元にある本の読書、私は景色の鑑賞を主に行っていた。
そして、時たまこうやって僅かばかりの会話も交わす。
特に内容のある面白い会話をしているわけではないし、
会話よりも沈黙の時間の方が長いのだけど、それでも私はこの時間が好きだった。
私は再び窓の外に視線を向ける。
馬車の周囲には馬の足音と車輪の音が響き、窓の隙間からは風の音がこだまする。
馬車が向かう先に視線を移してみるとそこには延々と石畳(いしだたみ)の舗装された大通りが続いていた。
その幅10メートルにも及ぶ長い長い街道である。
私はしばらく街道の先を何を思うのでもなく眺めていた。
・・・あれ・・湖かしら?
しばらくすると街道に並行するような形で辺り一面を覆う湖があった。
しかし、湖にしては水が一定方向に向かって力強く流れている。
えっ・・・もしかして川かしら?
そう、それはとてつもなく大きな川だった。
しかしあまりにも大きい。対岸の陸地が見えてこない。
まさに大河と呼ぶにふさわしい大きさだ。
大きな川が街道と並行するように流れているのだ。
「あっ、どうやらもうすぐ着きそうだよ」
エノクが本をしまって窓を覗き込んできた。
どうやら王都がもう近いらしい。
私は周囲を見回してみたがそれらしいものは見えなかった。
「本当?まだなにも見えてこないけど・・・・」
「あの丘を越えれば見えるはずだよ」
エノクはそう言って街道の先にある小高い丘を指差した。
馬車はゆっくりと丘の上を昇っていく。
そして、頂上を昇り終えた時、あたり一面に開けた大地が広がっていた。
「うわぁ・・・」
私は感嘆の声を上げた。
空けた大地に大河から水が流れ込み、これまた大きな支流の川を作っていた。
支流の上には大きな石の橋が掛けられており、大地の向こう側へと街道を渡している。
そして、そのすぐ向こう側。
つまり大河が枝分かれしている大地の先には・・・・あたり一面の石の壁。
それもとてつもない高さの塀が何層にも渡り見るものすべてを威圧している。
それこそ城壁の高さは低いものだと10メートル・・・高いものだと20メートルはあるかもしれない。
しかも、それが肉眼でその終点を目視することが不可能なくらい横への広がりを見せていた。
それこそ、地平線のかなたまでこの城壁が続いているんじゃないかと思うくらいだ。
えっ・・・まさか、これが・・・
「もしかして、あれが王都?」
「そう。あれが王都カーラだね」
「おおっ!」
私はそのあまりの威容に思わず唸ってしまった。
馬車はゆっくりと王都の前に架けられた石の橋を渡っていく。
石灰岩でできた橋は所々苔や草が絡みついていて王国の長い歴史と共に歩んで来たのだろう。
橋の欄干には王家の家紋と思われる戦乙女のレリーフが埋め込まれていた。
鎧兜を身に着け、盾を掲げているそれは年季を感じさせると共に重厚感をこれでもかというくらい旅人に見せつけている。
これまで街道を通り過ぎていく人の数はまばらだったが橋を渡る前から急激にその数を増していた。
どうやら橋の前が王都へ向かう街道の合流点になっているようだ。
橋を渡るとその先には長い長い人の列が帯をなしていた。
さらにその先を見ると王都の市街に続いている街道の幅と同じくらい巨大な門がそびえ立っており、
冒険者の団体や商人の荷馬車などが王都の中へ外へ絶え間なく出入りしていた。
馬車が列の最後尾に着きピタリと止まると、「ガヤガヤ」と騒々しい群衆の声が辺りに響き渡る。
「凄い盛況っぷりね・・・」
私はそれらの人の山を見てぽつりと感想を漏らす。
「うん。クレスの町も中心街は人通りが凄いけど、流石に王都には負けてしまうね」
エノクはそう言って私の呟きに答えてきた。
人だかりは多いが流れていくのもまた早い。
門の前では検問をしているだろうたくさんの兵士たちが、行き交う通行人たちを迅速に処理していた。
「ごめん。レイナそろそろ僕のカバンの中に入ってくれるかな?」
「人が多くなってきたし、検問もあるからこの中を見られるかもしれないんだ」
「まあ、招待状があるからさっさと通してくれるとは思うんだけど、一応ね」
エノクが窓際に腰かけていた私に声を掛けてきた。
「分かったわ」
私はエノクにそう返事をして窓際から客車の椅子に飛び降りると、彼の横に置いてある防護カバンの中に身をひそめた。
検問があるのは最初から分かっていたことだ。
まさかカバンの中まで調べられることはないと思うけど、
もし調べられたらその時は私に人形のふりをして欲しいみたいなこともエノクには言われている。
まあ、私は今お人形さんのようなひらひらなフリルのワンピースを着ているから、理にかなっているっちゃいるんだけどさ。
意外にエノクはちゃっかりしているのよね・・・
ガラガラガラ・・・
馬車はその間もゆっくりと列を進んでいる。
空はそろそろ日が沈もうとしているが人の波は途絶える気配を見せない。
この馬車の後方にも気づくと順番待ちの行列が出来ていた。
馬車が門のある場所に近くづくにつれ、カバンの中からでも一目で分かるくらい巨大な城壁が眼前に迫ってきた。
私は立ち並ぶ城壁の姿に目をやる。
川に沿うように配置された城壁は直線ではなく少し弓なりに湾曲していて、扇形のような形状をしていた。
川底から一番高い城壁の天辺まではゆうに25メートル以上はあるだろう。
さらにそれが目視が不可能なくらいまで延々と向こう側まで続いているというから、その威容には恐れ入る。
”難攻不落の巨大都市”
そういう言葉がまさにぴったりな都市だ。
大きいとは聞いていたけどまさかこれ程とはね。
エノクが驚くと言っていた意味がよく分かったわ・・・
もちろん東京とは比べられないだろうが、それでも城壁がぐるりと都市の周囲を囲むその姿は圧巻の一言だった。
やがて周囲の様子が石の壁だけになると、馬車はその動きを止めた。
どうやら検問所に着いたようだ。
馬車を牽引していた御者が客車に姿を見せ、扉を開けてくる。
「お客さんすみません。検問所に着いたんでチェックを受けてくだせえ」
御者の人は少しフランクな感じでエノクに声を掛けてきた。
まだ、年若い青年でいかにも平民と言った井出達の人だ。
「分かりました」
エノクがそう返事をすると、御者は再び前に戻っていった。
直後、馬車は扉が開いたまま、緩やかに前進する。
扉の外に衛兵の姿が見えるところまで来ると馬車はぴたりと止まった。
辺りには長槍を構えた兵士が複数人いて、先頭の人がエノクに声を掛けてきた。
その眼光はギロリと鋭く、僅かな不正も見逃すまいという気迫を感じられる。
「よし次!身分証を提示しろ」
衛兵の大きな声が辺りに響き渡る。
エノクから聞いていたけど、王都に入るにはカーラ王国の臣民以外の者、臣民だとしても身分証を持っていない者は通行税を取られるらしい。
他国から商人や冒険者として入国している場合はそれ相応の高額の税金が課されるとの事だ。
「はい」
エノクは衛兵に促されると、懐からトランプくらいの大きさのカードを取り出して提示した。
衛兵はしばしそのカードの中身を確認している。
大丈夫かな・・・?
私はその様子を静かにカバンの中から伺っていた。
大丈夫とは言っていたけど、いざとなるとやっぱり緊張する・・・
もし調べられたらどうやって人形の振りしようかな。
目をつぶっていた方がいいかしら。
じぃ~っと見られたら瞬きするところとか見られちゃうかもしれないもんね。
それともなんかポーズをして誤魔化すとか・・・う~ん・・・
私がそうやって悩んでいると兵士は簡潔にエノクに尋ねてきた。
「王都に入る理由はなんだ?」
「オークションに参加する為です」
エノクは即答する。
「招待状はあるか?」
「これです」
エノクはそう言うとあらかじめ準備していた招待状を兵士に渡した。
再び兵士は中身を確認している。
さて・・・それじゃ私の方も一応人形の振りして待ってましょう。
男は度胸・・・女も度胸よ!
私はそう決心し、不動の姿勢を作って取り調べを待ち構えた。
しかし・・・
「うむ。本物のようだな。通ってよし。次!」
私がサボテ〇ダーのような格好で待ち受けているとあっさりと通行許可が出てしまう。
私の華麗なポーズも全くの無意味になってしまった。
この右に45°傾いた状態で不動の姿勢を保つのがどれだけ難しいのか分かっているのかしら?
心配して損しちゃった・・・
私が感慨にふける間もなく、許可が下りるとすぐに兵士の横に控えていた御者が客車の扉を閉めてきた。
そして、程なくして馬車は再びゆっくりと前進を始める。
この町を覆っている何層に及ぶ城壁は視界一面を覆っていて、それはまるで石のトンネルの様にも見える。
しかし、ややもしてトンネルを抜けた先には王都の街並みがその姿を見せてきた。
私は街並みをよく見るためにカバンからひょっこりと顔だけ覗かせた。
視界いっぱいに広がる町の風景をその目に宿しながら感嘆の声を呟く。
「わぁ・・・すごーい・・」
今日はずっと驚いてばかりのような気もするが、それもしょうがない。
私のイメージとしてはクレスの町の中心街に毛が生えた程度のものを想像していたのだけど、王都の街並みはそれとはまったく異なっていた。
簡単に言えば、クレスの町は雑然としているが、カーラ王都は整然としている。
建物の多くは屋根部分と側面を赤と白を織り交ぜた煉瓦で出来ており、窓や扉は全て等間隔で配置され、模様も左右対称を基調としている。
数学的な”美”とでも言えば良いかしらね。長方形の煉瓦造りの美しい調和を感じることが出来るのだ。
建物だけではない。その立ち並んだ姿にも美を感じることが出来る。
ここら辺りは商店街なのか大通りの両側には多くの商店が並んでいるが、露天商などはなく、通りに面した場所に商品は置かれていない。
クレスの町は外だろうが中だろうが物が溢れるように展示されていたが、王都では建物内だけに収められている。
また、建物一つ一つが巨大な建築物でありこれが等間隔できちっと立ち並んでいる。
なんというか徹底して調和を意識した街づくりをしているという感じね。
もっとも、人に関してはあまり変わってはいないようだけど・・・
私は建物から視線を移し、今度は周囲の人々を見まわした。
辺りは耳がつんざくような人々の声で溢れている。
冒険者、商人、職人、聖職者、子連れの主婦、コック、どこかの屋敷の使用人や兵士に、果ては人間以外と思われる者まで・・・
行きかう人々は様々な装いでその身を着飾っている。
異種混合の様相を呈しているのは王都だろうがクレスの町だろうがそれは変わらなかった。
もっとも、一般の人達はクレスの町と比べて裕福そうな格好をしている人が多いとは思うけどね。
王都だからやっぱりお金持ちの人が多いのかしら?
物価高そうだもんね・・・
私が王都の情景に思いを馳せている間も馬車は目の前の石畳の大通りをゆっくりと闊歩(かっぽ)していく。
人が多いのでぶつからないかとひやひやするが、そこは御者が上手く手綱を捌いているようだ。
「どうだい、王都の感想は。大きい町でしょ?」
私が周囲の光景に釘付けになっていた時エノクが声を掛けてきた。
「そうね。想像以上に大きさだったわ。それに綺麗な町よねぇ・・・」
私はしみじみとエノクに答えた。
「カーラ王都は王国のみならず人類が住んでいる都市でも指折りの巨大都市だからね」
「人口も50万人を超えているし、カーラ王国の文化の粋を集めた綺麗な街並みと強固な城壁」
「さらに、王国の400年を超える歴史の中で幾たびも外敵の侵入を阻止した実績から”不滅の都カーラ”の異名を持っているんだ」
「へえ・・・随分カッコいい異名を持っているのね」
だけど、それも分かる気がする。
この世界は魔法があるから一概には言えないけど、あの城壁の強固さはそう簡単に破られるものではない。
加えてこの町の華やかな雰囲気はその二つ名を取っても全然名前負けをしていない。
「ははっ、格好いいでしょ?一応僕もカーラ王国の臣民だからね。この王都は僕たちの誇りでもあるんだ」
「そうやって、褒めてもらえるのは素直に嬉しいよ」
そう言ってエノクは笑顔をこぼした後、さらに話を続けてきた。
「王都には宮殿があるのはもちろんの事、大聖堂や競技場、カジノや公共浴場、劇場や修道院といった各種公共施設も充実しているんだ」
「今回の旅は2泊3日で行程を組んでいるから、明日の昼間だったら王都の中を観光できると思うよ」
「せっかく王都に来たんだからレイナにも案内してあげるね」
「うん、ありがとう。楽しみにしてるわ」
私は頷きながらお礼を返した。
そのあと、再度町の風景に視線を移す。
それからも馬車はしばらく大通りを道なりに進んでいった。
周囲の人の声は途切れず、いくつもの商店が立ち並ぶ区画を過ぎた後、やがてとある宿屋の前で馬車は止まる。
「どうやら着いたようだね」
外を見ると大通りから少し外れた裏通りの路地に入っていた。
人の気配はメインストリートと比べると幾分か少ない。
辺りの建築物も大通りの建物と比べるとこじんまりとしたものが多かった。
「ここが泊まる宿?」
「うん。オークションの会場まではちょっと距離があるけど、見晴らしが良い宿なんだよ」
「僕が王都に来るときにいつも泊まっている宿なんだ」
そう言ってエノクが荷物をまとめると馬車の扉を開けて外に出た。
外は既に日が大分落ちているが、ここらあたりは周囲に建物が少ないせいか日当たりは良いようだ。
黄昏れた太陽光が宿屋全体を照らしている。
周囲の建物に負けず劣らずこじんまりとしているが夕映えした窓は黄金色に輝いていて、どこか趣が感じられた。
「お客さん、お疲れさまでしたぁ・・・」
「次の送迎は明後日の朝9:00で良かったんでしたよね?」
エノクが外に出ると、客車の傍で待っていた御者が声を掛けてきた。
カバンの中から御者をちらりと伺うと、その声にも顔にも若干の疲労が見て取れた。
途中いくつかの集落で休憩を取ることはあったが、それ以外はほぼノンストップで朝から夕方まで手綱を握っていたのだ。
疲れるのは当然だろう。
「はい。それで大丈夫です。また、お願いします」
一方、エノクはハッキリとした口調で御者に答えた。
彼も客車で座っていただけとはいえ、ずっと本を読んでいた。
それなのにその顔に疲労は全く見えない。
あんな揺れる車内で何時間も活字を追いかけていたというのによく疲れないわね・・・
私がエノクの意外なタフガイさに驚いていると、御者はまたフランクな言い回しで別れの挨拶を告げてきた。
「了解でさぁ。それじゃ明後日9:00にシルバーストリートの駅前で待ってますんで」
彼はそう言って一礼をした後、さっと、御者台に戻っていく。
そして馬の「ヒヒーン」といういななきと共にゆっくりとその場から去っていった。
後には荷物用のカバンと防護用のカバン2つを背負っているエノクと、その中の片方に入っている私だけが残される。
私がホテルの入口の方を見ると四角いシンメトリーなデザインが施された赤色の木の扉が見えた。
「ふう。お疲れ様」
「これからチェックインするからもうちょっとそのままでいてね」
エノクがカバンの中にいる私に声を掛けてきた。
「へ~い・・・」
私は気だるそうな声でエノクに返す。
カバンの中は決して居心地が良い訳ではない。
自分の身を守る為とはいえ、危険が無かったら当然生身のまま外の風に当たりたいと思うのが私の心情だ。
まあ、こんな狭い中に長時間押し込められる事が好きだなんて人はいないと思うけど・・・
エノクは私の反応に苦笑しながらそのまま宿屋の中に入っていった。
ギィ・・・
重たい木製の扉が開く音がすると同時に煉瓦で造られた宿の内装が姿を見せる。
決して豪華という訳ではないが、シックで落ち着いた空間がそこには広がっていた。
宿の中にも魔力で灯っているランプがいくつかあるが、明かりは最小限にとどめられており
窓から入ってくる夕焼けの光が内装を赤く染めていた。
外から見ても思ったことだけど、この宿屋は日当たりがとても良いようだ。
日中はあまりランプを点ける必要がないのだろう。
宿屋の中をカバンの中から見まわしてみると、ロビーの待合所には旅人と思われる人影がちらほらと見える。
彼らは雑談の真っ最中の様だ。エノクが宿の中に入ってもこちらを気にする様子もなく、話すことに夢中になっている。
チェックインカウンターの方に目を向けると宿屋の主人と思われる女の人が来客の対応を行っていた。
しかし、その人がエノクの姿を認めるやいなや、その目を大きく見開きカウンターの内側から外に出てきた。
「あ~らエノクちゃんじゃない!待ってたわよ~!!」
宿屋の喧騒を打ち破る甲高い声が辺りに広がった。
周りの人はなんだなんだ・・・という感じでこちらを振り返った。
さっきまで雑談に夢中だったお客さんまでこちらを見ている。
声の主は恰幅がよく、その手をいっぱいに広げ、エノクに声を掛けてきた。
満面に笑みをたたえていて、エノクの来訪を心待ちにしていたかのようだ。
どうやらエノクとは知己の関係のようね。
エノクちゃんって・・・・随分と親し気に言ってくるのね・・・
彼女はいかにも宿屋のおばちゃんという感じで、体格的にも雰囲気的にも包容力に満ちた女性だ。
「クレアさん。お久しぶりです!」
エノクも出迎えたカウンターの女性に対し、嬉しそうに答える。
二人は再開を喜び合って抱き合った後、にこやかに会話を交わした。
カウンターでさっきまでチェックインをしていたお客さんが呆然とこちらを見ているんだけど、
いいのかな・・・放ったらかしで・・・
「本当よもう!『すぐまたくるね!』なんていっておいて半年ぶりじゃない」
「ははっ、ごめんなさい。王都での仕事が中々なかったんですよ」
「たっく・・・仕事なんかなくても遊びにくればいいじゃない」
「エノクちゃんだったらいつでも大歓迎なんだからさぁ・・・」
そう言ってクレアと呼ばれた宿屋の女主人は口を尖らせた。
その態度は拗ねた子供の様だ。とても中年の女性がやる行動とは思えない。
・・・なんか微笑ましい光景ね。
よほど親しい間柄の相手じゃないとこんな事はまずやれないと思う。
エノクにこんな仲の良い人がいたなんて意外だわ・・・
こう言っちゃなんだけど彼って人付き合いとか苦手そうだし。
私もエノクとは1ヶ月過ごしてきた仲だけど、彼は基本的にインドア派だ。
あまり、社交的とは思えないし、交友関係もそれほど広いわけではないだろうことは容易に想像がつく。
それでも彼と深く付き合っていれば人柄の良さと懐の広さが分かるだろう。
宿屋の女主人もそんなエノクの人柄に惹かれたのかもしれない。
エノクはそんな女主人の言葉に苦笑いで言葉を返した。
「ははっ、許してくださいよ。クレアさん」
「出来るだけ長期の休暇が取れた時は来るようにはしてますんで、それでご勘弁を」
「あらあら相変わらず忙しそうね。今回は少しはゆっくりできるの?」
「ええ、2泊3日の行程で予定を組んでいますよ」
エノクの言葉に女主人は意外そうな顔して見返す。
「あら、今回は珍しく1泊じゃないのね。それにどうしたの?そんなおめかししちゃって・・・仕事で来たんじゃないの?」
「ええ、今回は旅行なんですよ。王都で開かれるオークションに参加しに来たんです」
「オークション・・・?ああ、エノクちゃんもあれに参加するの?」
女主人はオークションに心当たりがあるようだ。
大して驚きもせずにエノクの言葉を受けいれている。
「御存知なんですか?」
「そりゃあね・・・ここ数日王都にお偉いさん方が集まっているし。みんなその噂で持ち切りだもの」
「貴族連中の付き添いでいつもより王都中心は賑やかよ」
「へえ・・・やっぱりそうなんですね」
エノクは頷ずきながら答えた。
予想はしていたけどどうやらかなりの大所帯になるようね。
まあ、一種のお祭りに近いのかもしれない。
オークションの主催が王族が関わっているのなら、王国の威信に関わる行事になるはずだもんね。
「そうよ。うちも珍しくここ数日宿泊客が多くてね。大変よまったく・・・」
女主人はそうは言っているものの、内心は嬉しい悲鳴だろう。
言葉にもどこか高揚感が見え隠れしている。
一方エノクの方はその言葉に若干顔を曇らせながら言葉を返した。
「あれ、もしかして・・・お部屋空いてなかったりします?」
ええっ!?・・・・・・まさか予約してなかったの!?
エノクの今の台詞に私は思わず驚いてしまった。
彼は以前からオークションの準備をしていたはずだ。
服の調達や馬車の手配なども段取りをしていたというのに、なぜ宿泊の手配だけはしてなかったのか?
馴染みの宿だから大丈夫だと思ったのかしら・・・
今更ながらエノクがちょっと抜けているのを思い出したわ・・・
しかし、私の心配をよそに女主人は陽気な笑顔でそれを否定してきた。
「あっはっはっはっ、そんな訳ないじゃないの」
「それに例え満室でも、他の客追い出してでもエノクちゃんを優先するから安心しなさいな!!」
そう言って宿屋の女主人は高らかに笑う。
おいおい、いいのそれで・・・?
今のやり取りを見ていた周りのお客さんの目が点になっているんだけど。
それにチェックインカウンターのお客さんはそろそろ我慢の限界だろう。
足を踏み鳴らしてまだかまだか・・・と待ち続けている。
・・・よくこれで宿屋の経営やっていられるわねこの人。
まあ、エノク相手だからこそこんなやっているんだろうけどさ。
オーゼットさんの時も思ったんだけど、エノクって絶対に年上の女性キラーよね・・・
「はは・・・それはありがとうございます」
流石にエノクもクレアさんの言葉にたじろいでいるようだ。
ただでさえ彼女の声は大きいのに、周りが見ている中であんなに贔屓発言されてしまったら、誰だってそうなるだろう。
「あのぅ、すみません・・・積もる話はまた今度にして、そろそろカウンターに戻った方が良いと思うんですけど・・・」
「お客さんその・・・待たせているようですし・・・」
そう言ってエノクはカウンターの方を指差した。
彼も周囲の客の目は内心気になっていたんだろう。
今の立ち位置だと、チェックインカウンターがクレアさんの丁度背後にあり、
そこから来るイラついた目線がダイレクトに彼に突き刺さっている形になる。
エノクに非はないんだろうけど、流石にこれだと居心地悪いもんね・・・話を切って正解だわ。
クレアさんはエノクが指さすと同時に「あら?」と声を発して後ろを振り返り、「あはっ!、ごめんなさいね~」と甲高い声を発しながら待っている客に声を掛けた。
どうやらエノクに夢中になっていて待たせている客の存在を忘れていたようだ。
それなのにその態度は凄いあっけらかんとしている。
・・・なんというか憎めない人ね。
ここまで泰然自若の態度を取られてしまったら、客も怒るに怒れないだろう。
クレアさんは客に短い詫びをした後、再度こちらを振り向き今度こそ本題に入ってきた。
「え~と、それでエノクちゃんは今回は2泊でいいのよね?」
「・・・ええ。それでお願いします」
エノクは小声でそう答えると財布から1000クレジットに相当する銀貨を1枚取り出し、クレアさんに渡した。
「はい、ありがとう。いつものお部屋空けといているからそこ使ってね!」
「ええ、お世話になります」
「それじゃ、ごゆっくり・・・今度時間あった時またね!」
そう言って宿屋の女主人は再度エノクにハグをすると、小走りにカウンターの方に戻っていった。
エノクはクレアさんが戻っていく姿を見届けた後、そのままフロント前を通り過ぎて行き、荷物を持って奥の階段を上っていった。
そして3階に到達すると、短い回廊の一番奥まで歩いて行く。
1Fとは異なりここには窓もないため回廊はとても薄暗かった。
備え付けのランプも今は点灯はされていない。
「随分暗いのね・・・」
私がポツリと感想を述べると、エノクが言葉を返してきた。
「ランプは夜遅くじゃないと点けないんだよ」
「クレアさんはいい人なんだけど、まあ、正直言ってあまり景気が良い宿ではないからね・・・」
「ああ・・・なるほどね」
エノクが言わんとしていることが分かった。
ランプを点けないのは経費削減の一環なのだろう。
日ごろは閑古鳥が鳴いているこの宿で年がら年中ランプを点けておく余裕はないということか。
「でもね、部屋に入ったら印象が変わると思うよ」
「えっ?」
エノクが「ニッ」っと不敵な笑顔で私に思わせぶりな台詞を吐いてきた。
しかし、私がそれを確認する間もなく私達は回廊一番奥の部屋に到達する。
「着いたよ」
ガチャ!・・・ギィ・・・
エノクは木製の扉を開けると、そのまま中に入っていった。
中に入った途端真っ赤に燃える赤色の光が辺りを包む。
それは黄昏の太陽光で、まるで部屋一面を燃やしているような幻想的な空間がそこには広がっていた。
To Be Continued・・・