村娘の変身/女神の誕生 その1
作:爺

※この小説は寺田落子氏のお絵かき生放送と、放送中のコメントよりシチュエーションや発想を得て制作したものとなっております。

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0.プロローグ
英雄皇帝の率いる神聖帝国軍と、魔王の従える闇の軍勢とが熾烈な戦いを始めてから早三年。いつ終わるとも知らぬ戦に人々の不安は募り、帝国内部での抗争や増税、兵役の増員といった知らせが届くたびに、救いの光が差すのを願わずにはいられない日々が続いていた。

帝国の東に位置するノーブル領の東端、最辺境のルブルグ領との国境にある小さな村。そこに住む少女アネットもまた、日々の暮らしのなかで欠かさずに祈りを捧げていた。戦の最前線からは外れたこの村にも魔王軍進撃の報は伝わっていたし、先日にはとうとうこの村からも兵役に就く者達が出た。アネットのよく知る、兄のように慕っていた青年も剣を腰に下げ、似合わぬ鎧を身につけ旅立っていった。
(あんな人まで駆り出されるなんて……誰でもいいから早く戦いを終わらせて!)
ただの村娘に過ぎない彼女にできたのは、ただ彼の無事を祈り、助けを求めるだけ。それが堪らなく苦しく、ただただ無力感が彼女を苛んだ。

1.湖の光
村の外れには木々に囲まれた広大な湖がある。年に一度公爵が巫女を引き連れ祈りの儀式を行う神聖な土地なのだが、過去には信心深い村人が鬱蒼と茂る枝を掻き分け、湖の裏から祈りを捧げていたという。ただ、公爵専用の参道を使わずに湖まで辿り着くことは、魔物が凶暴性を増した昨今命がけとなっており、庶民の祈り場として建てられた社は訪れる者もなく、ただの廃墟と化していた。
新米兵士達が村を出てから一週間が経った日の朝、その社の傍に一人の娘の姿があった。旅立った彼らの身を案じたアネットが、ここならば祈りも届くのでは、と危険を承知で森を抜けてきたのである。ここまでの道のりで息は上がり、震える声で少女は叫んだ。

「もしも神様がおられるのなら、どうかお聞きください……毎日お祈りしているのに、どうして戦いは続くのですか?!
ついにこの村からも戦いに加わるべく、旅立つ人が出ました。きっと怪我をするでしょうし、もしかしたら帰ってこないかもしれないのに……私には祈ることしかできない……っ、そんなのって……っ!!」

堪えきれずついには嗚咽を漏らすアネット。その瞳から一滴の涙が頬をつたい湖に落ちた瞬間、眩いばかりの光が湖面より発せられた。しばし呆然としていたアネットだが、やがてその手が導かれるように水面へと向かい、湖の水を掬い上げる。両の手に湛えられた水が口に迫るのを彼女は驚きの目で見つめていたが、同時に頭の奥からは神聖で飲むことの許されないはずのこの水を、飲んで良い、いや飲むべきだとする声が聞こえてきた。
彼女がその声の勧めるままに水を口に含み、音をたてて飲み干したとたんに湖面の光はその輝きを増し、あまりの眩しさからかアネットは意識を失ってその場に倒れこんでしまった。


(あれ?私気を失って……お日様がもうあんなところに、夢でも見ていたのかしら)

再びアネットが目を覚ましたとき、仰向けの状態から見た太陽はもう既に西の空に浮かんでいた。家族の寝ている隙に家を抜け出し、暗い森を進んできたせいで、湖に着いた瞬間に疲れて眠ってしまったのだろう。そう結論付けた彼女は、農作業の手伝いをすっぽかしてしまったことを反省しつつ身を起こし、

(え……?何、これ……)

違和感に気がついた。
まず、湖に来るまで木々に隠れて見えなかった空がいっぱいにひろがっている。そしてそれとは対照的に、視界の大半を覆っていた木々は消え去り、代わりに現れたのは小さな茂み。それが膝小僧を少し見せる程度に生い茂り、アネットの体を取り囲んでいる。
まさか寝ながらにして知らない所まで来てしまったのだろうか?そう思ってあわてて辺りを見渡すべく振り返ると、確かにそこには見慣れた湖があった。祈りの儀式に用いる中央の小島と船着場までそっくりそのままである。しかし……

(なんで……こんなに小さいの……?)

 そう、歩いて回れば半日どころではすまない広大な湖が、池とまでは言わないが、いやに小さく感じられる。いつもは遠くに霞む対岸すら、いや、そこから延びる公爵家の参道までもがはっきりと確認できてしまう。

(やだ……なに、何なの?)

 不安に駆られ身動ぎしたアネットの右手に何か脆い物を潰したような感触がすると、同時に「パキパキッ」と小枝を折るような音が聞こえてくる。あわてて下に視線を移すと、そこにあったのは苔むした板の細切れ。ただ、彼女はそれに見覚えがあった。

(これって……もしかして湖のお社?それじゃあ、私まさか……っ!)

 それは湖の神を祀る古い社、その残骸であった。しかしどういうことだろう、本来彼女と同じくらいかそれ以上の高さのあったそれが、今は掌の下で無残にも砕け散っている。つまり……

「まさか、体が大きくなっちゃったの?!!」

常人の数十倍にまで巨大化してしまったアネットの絶叫が水面を震わせた。

2.大山犬の塒
ビキビキビキ……ぐしゃぁあああっ!ズズズズズズズゥゥゥウウウウウンッ!!
太陽が地平線へと沈みかけ、夜を迎えんとするこの時間には相応しくない轟音が村はずれの森に響き渡っていた。音の主は勿論、巨人に変身してしまったアネットである。

(とにかく、急いで村に戻ってこのことを伝えなきゃ……っ!)

道を急ぐ彼女は林立する木々をものともせず、その脚で蹴り倒し、根の深いものは手で根こそぎ引き倒しながら進んでいた。それにしてもなんという光景だろう、彼女の蹂躙する森の木々はいずれもが大人の腕でも抱えきれぬほどの立派な木。公爵家御用達の建材にもなっている代物である。アネットも当然、それを見上げながら湖までやってきた。それが今ではどんなに高い木でも、その梢の先が彼女のスカートの太もも部分を掠める程度。大嵐にも耐えうる幹が巨大娘の突進によってメキメキと音をたてて折れ曲がるのである。
 しかし、当の彼女はそんなことを気にしている余裕などない、とばかりに一心不乱に突き進む。そして往路とは比べ物にならない速さで脚を進める彼女の眼下に、数分と経たぬうちに村の家々の影が映りこんでくる。予想はしていたがそのあまりの小ささに驚きつつ、それでも一安心して彼女が歩調を緩めたその時____

(……えっ?!)

ぐらあっ、と巨体が傾いたかと思うと、そのまま辺りの木々を巻き込み、すさまじい音を響かせながら前のめりに倒れこんだ。濛々と立ち込めていた土埃がはれた頃、ようやくアネットが体を起こした。

「っいたたたー、もう何なのよーっ!」

 腹立ち紛れに口調も荒く足元を見ると、信じられないことに森の入り口付近に点在する洞窟の一つに、彼女のつま先が銜え込まれていたのであった。大人でも楽々入っていくことの出来る穴にカッチリと挟まり、靴はそう簡単には引き抜けなかった。しかし……

「う~~~~ん、っっっっしょ!!!」
ビキビキ……!ピシッ、ガラガラガラァァァアアアア!!!

ありったけの力をその足に込めると、とうとう耐え切れなくなった岩盤にひびが入り、洞窟の天井が音をたてて崩れだした。そして彼女が安堵の溜め息と共につま先を引き抜いた瞬間、

ガサガサガサ……ッ!!

と小さな黒い獣の一群が、蜘蛛の子を散らすように四方八方へと駆け抜けていくのが彼女の目に映った。その一部は崩落した岩盤の下敷きとなったが、生き残ったもののうち体の大きな何匹かが牙をむいてアネットに襲い掛かってきたのである。

「ひぃ…………ッ!!!」

 彼女は声にならぬ悲鳴を上げ、思わず目を瞑りながら闇雲に足を振り回した。狙いもなにもない、防衛本能に任せたでたらめな攻撃だったが、獣たちにとってはそんな地団太でも嵐の襲来に等しかった。あるものは巨大な靴の下敷きとなり、またあるものは振り回された足に吹き飛ばされ、木の幹に強かに体を打ちつけて絶命した。いつまで経っても牙の一撃が訪れないため、ようやくアネットが目を開いたときには、足元は土と岩と木々の破片とが混ぜ返され、獣達の痕跡と言えばわずかに残った毛皮の断片が確認出来ただけであった。

「もうやだ、転んでネズミの巣に足を突っ込むだなんて。……って、こうしちゃいられいられないわ、早く戻らないと!」

 靴についた汚れを払い、つま先でトントンと(巨大な窪みをつくりつつ)地面をついた彼女は、目前に迫った村へと再び轟音をたてながら歩を進めるのであった。

 アネットと、彼女の起こす地響きが遠ざかった頃、彼女によって出来た破壊の爪痕には先ほどの獣達の生き残りが集まり始めた。突然身体が巨大化して戸惑うアネットには、夕闇も手伝ってその姿がネズミか何かに見えたようだがとんでもない。彼らは人里の近くに住み家畜や子供を襲う山犬の群れ、それも熟練の猟師ですら逃げ出す大山犬である。
 彼女がもし元の大きさで彼らと対峙していたら、たとえ一頭相手でも為すすべなく餌食となっていたであろう。自分がどれほど途轍もない力を手に入れてしまったのか、彼女にはまだ知る由もなかった。

3.化け物の襲来
 森を抜け、牧場の柵を壊さぬよう、ひょいと跨いでアネットが村にたどり着いた時には、先ほどの大暴れの際の轟音を聞きつけたのか、村の大人達のほとんどが村の入り口に集まっていた。

(みんな、私だよ、アネット……って、どう説明したらいいんだろう?)

いざという時に肝心の言葉が出てこず、固まってしまうアネット。彼女が言葉を発するよりも早く、農耕用の三叉鋤を手にした村長が、思いも寄らない言葉を発した。

「貴様、魔王配下のサイクロプスか!魔王め、よりによって我が村に最初に遣したヤツがこんな化け物とはっ!!」

 確かに魔王軍には今のアネットほどではないにしろ、巨体で知られる一つ目の巨人族がいる。月明かりを背負った彼女をそれと見間違えたのだろう。しかし彼女にとっては、よもやそのような怪物と見間違えられようとは心外も甚だしかった。

「村長!うら若き乙女をつかまえて誰が化け物ですか、誰が!!私です、アネットです!!」
 ズゥゥゥウウウウンンン!!!

 思わず足で地面を踏み鳴らして叫ぶアネット、それだけで村人全員が武器を取り落としてへたり込むが、彼女の怒りは収まらなかった。

「ほら、ちゃんと見てくださいよ!どこをどう見たらサイクロプスに見えるっていうんですか?!」

 尻餅をついた村長を指で摘み上げ、顔の近くまで持ってくる。そのまま怒りに任せガガクガクと振り回すものだから、堪ったものではない。

「おぉ……アネット、おまえさんじゃったのか……」

 息も絶え絶えにそれだけ言った後、村長は意識を手放した。

4.藁山に身を預け

「なんともはや、不思議なこともあるもんじゃわい……」

目を覚ました村長に今日の出来事を説明したところ、かえってきたのはなんとも期待はずれな返事だけだった。村長でも知らぬ出来事となると、元に戻る手段は今のところ無いと言って良いだろう。
家族もそんなアネットを哀れみ、「まずはゆっくりお休み」と優しい言葉をかけてくれたのだが、今の彼女にはそれさえも追い討ちとなった。家に入ることが出来ないのである。そればかりか、村の中にいては寝返りをうっただけで家々をぺちゃんこに潰してしまいかねない。
結局、彼女が寝床としたのは昼間羊達を放し飼いにする牧草地だった。彼女の身体に見合った大きさの布団やベッドなどあるはずもなく、せめてもと村人たちがありったけの藁をかき集めてくれたのだが、それすらもアネットにとっては頭と腰に当てて枕とするのに足る猟でしかなかった。

(これから私いったいどうなっちゃうんだろう、これは湖の水を飲んだ罰?それとも……)

 いつもの自分の部屋で、古くとも清潔なベッドの上で眠りにつく。そんな当たり前のことすらできない生活がずっと続くのか……そう考えるとゾッ、とする。しかしそれ以上に、彼女の心を動かしたある光景が、目を閉じると幾度も繰り返し瞼の裏に映された。

(あの時の長老、なんか可愛かったかも……それに皆も♪)

 掟に厳しく、子供の頃には幾度も頭を小突かれた思い出のある長老。年齢のために徴兵こそされなかったものの、農作業で鍛え抜かれた身体で幾度も家畜を襲う魔物を追い払ってきた村の男衆。その全員が、彼女が一度足を踏み鳴らしただけで腰を抜かして恐れ戦いたのである。それを思うと言い知れぬ快感が彼女の体を駆け巡った。

(やだ……なんで私、こんなに悦んでるんだろう。自分の部屋にも入れないで、こんな所に寝っ転がってるのに……なんで?)

 無力で非力な村娘だった自分が、絶大な力を振るうことができるようになったことで芽生えた優越感、変わってしまった身体への恐怖と不安。相反する感情の板ばさみとなった彼女はとても寝付くことなどできず、牧草を根こそぎ引っぺがすような寝返りを苦しげに続けるばかりであった。