村娘の変身/女神の誕生 その2
作:爺

5.一変した生活
翌朝アネットの様子を窺いにきた村人が目にしたのは、それはもう惨憺たるありさまだった。柔らかに生い茂った牧草は彼女の途方もない重量で押し固められ、豊かな土も捲り上げられ、かき回されている。
そんな中暢気に欠伸をする少女の目は、寝不足なのか半分閉じたままだ。

……~~っ、べちゃぁぁぁああああ

半開きの口から垂れ落ちた涎の塊が、寝返りによって混ぜ返された土の上に落ちる。それだけで手入れの行き届いた牧草地に一つ、似つかわしくない泥溜りが生まれた。

「これは一つ、しっかりした寝床をこさえてもらわんとのぅ……」

村長のつぶやいた一言が村の総意であった。

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バキバキ……ズズゥゥゥウウウン、ゴシャッ……ズズズズズズズ!!!

大木がへし折られ、大岩が宙を舞う。茂みが丸ごと毟り取られ、絡み合った蔦もまとめて引きちぎられる。時折影に潜んでいた魔獣が飛び出すが、「きゃっ」という可愛らしい悲鳴とともに、無慈悲な掌によって弾き飛ばされる。
村人たちがその光景を呆気にとられて見つめている間に、村始まって以来の大工事と思われた「巨人の寝床造り」は誰が手伝う必要もなく、少女一人の手によってあっという間に完了したのだった。

ところで、一仕事終えたアネットは一つの懸念を抱えていた。

(お腹、空いてきちゃったな……やっぱり、いっぱい食べなきゃいけないのかな?)

ただでさえ戦が絶えず、民に回る食料の少ないこの時世、こんなに大きくなってしまった自分が食べるだけの蓄えなど、小さなこの村にあるはずがない。皆を心配させるまいと、空いた腹に力をこめた彼女だったが

グルルルル、グゴゴゴゴゴゴォォォオオオ!!!

突如雷のような低い音が大気を揺らした。言うまでもないが、アネットの腹の虫である。
堪えきれぬものを我慢していたがために余計に響いてしまった大音量を聞き逃した者などいないだろう。風や雷雲のせいにしようにも、空は雲ひとつない青空。

「あはははは……もう、いやぁああああ!!」

乾いた笑いを上げても誤魔化しきれぬと知った彼女は、両手で顔を覆って駆け出していってしまった。
不憫に思った村人が呼び止めようとするが、轟音をたてる巨大な足に近寄る勇気も、追いつけるだけの健脚も持つものはいなかった。

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村を飛び出し木々をなぎ倒して走り続けたアネットは、我に返ると自分があの湖の前に立っていることに気づいた。自分に水を勧めた、あの声が呼びかけていたのか……そう思うと少々不気味にも思えたが、今は水でもなんでも良いので腹を膨らませて、村の皆を安心させたい。

「飲んではならない聖水……だけど仕方ないよね?普段使っている小川は、今の私が水を汲むには小さすぎるし」

そう理由をつけてまず一杯、口に含む。するとどうだろう、たちまち喉の渇きも飢えも満たされ、身体に力が漲ってきたのだ。

「すごい……あんなにお腹、空いてたのに……、っ?」

その効能に感心していたアネットだが、すぐに小さな違和感を覚える。

「もしかして、背が……また伸びてる?」

ほんの僅か、ほんの僅かにだが、湖を見下ろす自分の視点が高くなったように感じたのだ。それに驚いて身じろぎしてしまった今ではもう感じられないくらいの小さな差異。しかしそれが彼女には大きな問題だった。

「この水を飲み続けたら、際限なく大きくなってしまうかも……けど、なにも食べないわけにもいかないし……」

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結局アネットは次の日もその次の日も、心配する村人を誤魔化しては一人で湖を訪れ、水を飲み続けた。そして、自分の感じた違和感を確信へと変えたのである。
三週間のうちに加速度的に成長した彼女の身長は、最初に巨大化した頃の2倍にまで達し、既に寝床は幾度も拡張を余儀なされた。その広さたるや昼間は村中の子供たちが遊び場として駆け回ってもなおその大半が空き地となるほど。
しかし、大きくなったのは彼女の体の大きさだけではない。
未だ成長し続ける体に戸惑いは覚えるものの、人のつくった物を扱う大体の力加減を覚えた彼女は、農作業に土木工事にとその力を遺憾なく発揮した。
彼女がちょっと力を加えるだけで、どんな木も斧で切るより格段に早く倒れ、彼女がつま先でちょいと土を穿り返せば、どんな農具を使うよりも深く畑は耕される。
おまけに彼女が傍で寝ているだけで、魔獣が家畜を襲うのを躊躇うようになり、羊飼い達の間では「湖の女神」と讃えられるほどに彼女は村に溶け込み、尊敬される存在となったのである。

(魔獣も私を怖がって村を襲ってはこない……この村を守る力になれているんだ)

その大きな身体を活かして村人たちの出来ないことをやってのける。そうして皆の賞賛を集めるうちに、かつて無力さを嘆いていた引っ込み思案な少女は、日に日に自分に自信を持った快活な性格へと変わっていったのである。
そして最初の巨大化から一月余り経ったある日、彼女の自信を決定的なものとする事件が起こる。

6.国境の制定
その日、最初の巨大化時から3倍以上にまで成長したアネットは、坐りながらにして村の遥か遠方に煙が上がっているのを見つけた。
不審に思っていると、足元にもぞもぞとした感覚が走る。視線を下に移すと、いつの間にかやってきていたらしい通信兵が彼女に何かを伝えるべく、必死になって足を叩いていた。

「どういうことなの?あの煙、まさか戦いが……」
「うひゃあああ、食わないでぇえええ!!」

あまりに急いでいたためだろうか、兵士と会話すべく替えを摘み上げたとたん、彼は悲鳴を上げだした。

「失礼しちゃう、取って食べたりなんてしないわよ!それより何があったの?」

突如目の前に家よりも大きな顔が迫ってくれば当然の反応かもしれないが、彼女にとっては心外だったらしい。
怯える兵士を宥めすかして聞き出したところによると、煙の正体は帝国内のいざこざ、アネットの住むノーブルの領主と、隣接するルブルグ領主との領土争いによるものとのことだった。
国境として定められていた川の湧き水が数年前より枯れ、曖昧になった境界線をめぐっての衝突はお互い譲らず二年に渡って続いており、村の悩みの種となっていた。
前回の衝突の際、まだ普通の少女だったアネットは自分の部屋に閉じこもり、戦火がいつか村に飛び火するのではと怯えていた。

(でも今は違う……わたしが村を守る、その力があるんだから!)

伝えることを伝えると泡を吹いて気絶した通信兵を丁寧に横たえると、彼女はまさに暴風のような速さと勢いで、一目散に東へと駆け出した。

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ノーブル公爵とルブルグ辺境伯、両名が轟音と共に現れた闖入者に目を奪われていた。
小高い丘のような大きさの靴とそこから突き立つ二本の搭、それを途中から覆う当方もない大きさの布の海。視線を前に向けて見る事ができたのはそれだけだった。
首を曲げ、そこでやっと確認できるのが二つの膨らみ、これまたちょっとした丘ほどはあるだろう。そしてこちらを睨み付ける二つの瞳、遥か高みにあってもその大きさを推して知ることができる。教会の大窓にも劣らぬ大きさだ。
噂には聞いていたがこれほどとは……内心の動揺を隠し、支配者然とした態度でこの化け物に接することが出来るだろうか?直属の部隊でない傭兵達は早々に逃げ出している。
溢れ出る唾をなんとか呑み下し、先に口を開いたのはノーブル公爵だった。

「お前の噂は聞いているぞ、小娘。何用で此処に参った?」
「無益な戦いをやめて頂くためでございます。お願いです、剣をお納めください!」

見た目の大きさに反し、下手に出た彼女に調子を良くしたルブルグ伯がそれに対して断じて否と言い放つ。

「神聖な戦場に無断で、それも女が入り込んで剣を収めろと申すか!無礼極まる!」
「この戦いのどこが神聖なものですか!魔王軍が進撃している最中に人間同士が争うなんて!!」
「小娘風情が我々に説教だと?!頭が高いわ!!」
「私がどんなに頭を下げたって、あんた達の頭が上になるわけ無いじゃない、だってそんなにちっちゃいんだもの!」

売り言葉に買い言葉、アネットの言い放った言葉に二人の領主は激昂し、まず不愉快な娘を戦場から叩き出すということで意見の一致を得た。

「騎兵隊前へ!弓兵隊は構えーッ!!」「ファランクス突撃隊形!弩砲装填!!」
(ちょ、ちょっと待ってよ!本当に戦う気なの?!)

槍の穂先がこちらを向き、鏃が鋭く光るのを目にして、アネットの心の中に今更恐怖の感情が渦巻きだした。巨体を持ってはいるが、ただの少女に過ぎない彼女には武器を持った軍隊に殺気を向けられた経験など、あろうはずもない。

「ふははは、どうした?身体は無駄にデカいが、所詮は小娘ということか!」
「生意気な行いを悔いるが良いわ!全軍突撃せよ!!」

慌てふためくアネットを目にして気を大きくした二人が命ずるままに、両軍から兵士と矢弾が殺到する。

「やだ、来ないで!来ないでよ~!!」
先ほどまでの威勢はどこへやら、気弱な少女へと戻ってしまった彼女は手足をばたばたと振り回すだけで、すっかり冷静さを失っていた。
二人の領主は高笑いで巨人退治を見物していたのだが……

常人の百倍以上にまで成長した彼女にとっては、その動きだけでも軍隊相手には十分だった。

迫りくる矢弾は振り回した両腕から発せられる風圧で叩き落され、味方へと降り注ぐ。途方も無い体重から発せられる地響きは、軍馬を恐れ戦かせ、多くの歩兵が地面に平伏すことになった。矢の雨霰を掻い潜り、激しい揺れに耐えた一部の兵が彼女の足に槍を突き立てたが、皮膚に達するどころか、その全てが靴を破ることすらできずに中途半端に突き刺さり、手にした兵士を足踏みに合わせて上下左右に振り回し、やがて空へと跳ね上げた。

アネットがパニックから立ち直ったころには全てが終わっていた。両軍合わせて1000は下らないと思われた軍勢も壊滅状態。生き残った者にも最早抵抗の意思など微塵も感じ取れない。全員が彼女から視線を逸らすことも出来ずに、尻餅をついた情けない格好でジリジリと後退していく。その顔にありありと浮かんだ恐怖の表情を目にして、彼女は小さく笑みを浮かべた。

「はは、なぁんだ」

靴に突き刺さった長槍を、まるで小さな草の棘のように引き抜きながら、愉悦の表情で二人の領主を見下ろす。

「びっくりして損しちゃった。……そうよ、こんな小さなおもちゃで怪我するかもだなんて、どうかしていたわ!」

軍隊の突撃すら自分にはなんの意味もなさない、その事実がたまらなく可笑しく思え、盛大に笑い声を上げるアネット。彼女の手の中で弄ばれていた数本の長槍がまとめて砕け散り、大音量の嘲笑と共に降り注ぐ。
あまりの光景に、死線を潜り抜けてきた領主達もすっかり震え上がり、ただただ呆然と彼女を見上げるばかり。
命ずる者と命ぜられる者との立場は完全に逆転し、優越感に浸りながらアネットは二人に告げた。

「こんな戦、さっさと終わらせていれば痛い目を見ずに済んだのに……これで懲りたでしょう?
 御執心の国境線なら、私が引いて差し上げますから、醜い争いはお止めなさい!」

大木のような指を突きつけられ、巨大な瞳に睨まれての命令に、反論など出来ようはずもなかったが、それでも不満の残る領主たちはもごもごと

「小娘一人に……ぁいや、一個人に決められる問題では……」

などと擦れた声で、呟いた。その声がはるか上空のアネットの耳に届いたかどうかは甚だ疑問だったが、彼女は二人を見下しながら得意げに語った・

「大丈夫。小さなあなた方とは違って、私の高さからなら川の流れていた跡くらいはっきり見えているから。
 たとえば……ここ!!」

ガッ……、ズゴゴゴゴゴゴゴォォォオオオオ!!!
アネットは突如その巨大な足を持ち上げると、踵を大地に押し付け、地面を掘り返し始めた。彼女の目から見れば、子供の砂遊びのようなものでも、“小人の視点”を味わわされている領主たちにとっては、この世の終わりのような現象がそこでは起きていた。
最初の踵の一撃で大地が裂け、一掻きで地面が抉れる。大人の身体ほどもある岩が宙を舞い、蹴り上げられた土砂が轟音と共に舞い降りる。土煙が日の光を遮り、多くの兵士が目や鼻を押さえてむせび泣いた。
彼らの苦しみにも気づかずに掘り進めたアネットが足を除けた時、そこには唐突に谷が形作られており、大人の背丈三~四人分ほどの深さの谷底には、なるほど確かにわずかだが水が染み出している。

「これで納得していただけたかしら、領主様方?
 それじゃあ私は川沿いに目印を置いてきてあげるから、それをしっかり守りなさい。」

有無を言わせずそれだけ言い置くと、アネットは悠然とその場から立ち去っていった。
残されたのは未だ立ち込める土煙と、染み出す水の音、そして徐々に遠ざかる地響きのみ。
二人の領主と配下の兵らは皆が皆力なくへたり込むと、敵味方の区別無く、互いに生き残ったことを祝福しあうのであった。