那珂、秋雲、不知火の三隻の艦娘はバシー沖で座礁した輸送船に急行した。
1300人程乗り込める戦時標準船も、艦娘にとっては肩ぐらいしか無く、模型のようである。
乗っている陸兵や船員になってしまっては、小指の第一関節ぐらいの大きさしか無い。
海のルールに従い、各々が持ってきた内火艇に負傷者重病人を先に載せた後、健康な兵隊を乗せて行ったのだが…
予想外の状況に陥ってしまった。

「あと…100…え、300人も!?」

三人は救助任務が初めてだった。だから、乗員ギリギリ分の内火艇しか持ってこなかったのである。
輸送船の不足から船に乗れる限界を超えた人数を無理やり詰め込んで運行している実態に、司令部がほぼ無知であったことが祟ったのだ。

「那珂さん、陸軍さんを乗せる内火艇が足らないんですけど…」

「不知火もです」

不知火は白手袋に包まれた指で悲鳴をあげる陸兵を摘みながら、いつものきつい目つきで那珂ちゃんを見る。
那珂はしまった、といった表情で二人を見返した。

「どうしよう…」

「艤装に入るかなぁ?」

「私達の艤装は人が入るように作られていません。服のポケットに入れましょう」

見合わせる那珂ちゃんと秋雲をよそに、不知火はまるで海の幸を仕分ける海女さんのように、陸兵を指で軽くつまみ(といっても、つままれている本人はたまったものでない)
今度は自身の服のポケットに放り込み始めた。

「あ、あのぅ…」

秋雲は恐る恐る、不知火に問いかける。

「不知火に何か落ち度でも?」

「あたし達、服にポケット付いていない…」

不知火のブレザー風の服には、腰にポケットが付いていたが他の二人の服はポケットがついてなかった。



「仕方が無いですね…」

不知火は手袋を軽く噛んで、手から引き離した。手のひらは東南アジアの湿気にやられて、仄かなピンク色になって、湿気でじっとりと湿っている。
さらにもう片方の手袋も外し、手袋の口を指さしながら「ほら、ここに入れてください」と言った。
秋雲は陸兵数十人を手のひらに乗せつつ、困惑の表情を浮かべて不知火を見る。

「本当に、いいのかな~…」

白く、ナイロン製の手袋の中は、艦娘にとっては普通の大きさであるものの、陸兵にとっては深井戸のようである。
その通気性の悪そうな暗闇から、不知火の汗の臭いがほのかに香る。秋雲は、もし自分が陸兵で、こんな所に放り込まれたら…と思うと、ぞくっとしてしまった。

「早くしてください」 不知火のいらだちが混じった声が聞こえる。

「じ、じゃあ、入れますよぉ…狭いですけど我慢してくださいね…」

秋雲の手のひらから、不知火の手袋に陸兵達が滑り落ちていく。彼らは悲鳴とともに、手袋の中の闇に包まれていった。
しばらくすると、手袋の口から怒声が聞こえた。どうやら無事に入れられたようだ。

「あ、はは…なんだか魔法の手みたいだね」

那珂ちゃんは引きつった笑いを浮かべて、呟いた。
手袋の五本の指が独りでにぐにぐにと動いている。中に閉じ込められた兵士達が暴れまわってるのだろうか。
外から見るとなんとも滑稽なように見えるが、中の陸兵達の状況を想像したら、アイドル(艦娘)で良かったとつい思ってしまった。

「さてと」 両手袋に陸兵を詰め終わると、何を考えているのか不知火は手袋を着けなおうとし始めた。

「ちょ、ちょっと何やってんの!陸さん入ってんだよ!」

「任務中は正しい艤装、服装を心がける事が艦娘の義務です」

「陸さん窒息しちゃうよ!姉さんの手袋の中で!」

「たまに、空気を入れるから大丈夫です。落ち度でも?」

「大アリだよ!」

止めようとする秋雲を無視して、不知火は手袋をきっちりと指の先まではめた。先ほどまで怒声をあげていた
陸兵達の声が、一気にくぐもり、うめき声が漏れ始めた。
手袋の上に陸兵達の体と思わしきものが所々浮かび上がっていて、それぞれがかすかに、ごそごそと動いている。
不知火以外の二人は、そのおぞましく気持ち悪い光景に顔が引きつりっぱなしだった。

「な、なんだか楽しそうですね…那珂さん」

不知火は嬉しそうに、手袋を時々引っ張って引き締めをきつくしたり、陸兵をつついてイジメたりして、いつものポーカフェイスをよそに微笑を浮かべていた。
多くの人が想像していたとおりだが、彼女は強烈なドSだったのだ。

「那珂ちゃんアイドルだからわからないや…それよりね、まだ人残ってるんだけど…」

那珂の震えるように呟いた途端、不知火の目がきらりと光った。

「それは困りましたね…」

「あっ!不知火姉さんはもういいよ!ポケットも満杯だし、手袋も…ま、満杯でしょ?」

「私が輸送するとは言っていませんが」

不知火はいつもの無表情に戻ると、中指と薬指、小指を畳み、人差し指を突き上げ、二人の方に指さした。
このわずかな一動作を取るだけで、不知火の手からうめき声や叫び声が飛び出してきた。
指の一本、関節の一本を畳む動作ですら、手袋の中に閉じ込められている陸兵を酷く苦しめているのだろう。

「秋雲は足に履いている靴、那珂さんはお口を使って運んでみたらいかがですか?」

不知火の口から予想外の言葉が飛び出してきた。
手袋やポケットならまだしも、靴や口などで運ぶのなど、溜ったものではない。二人は即座に反論した。

「秋雲のブーツ、夏の即売会からずっと脱臭もしてないよ!こんな所に閉じ込められたら、陸さん本当に死んじゃうよ!」

「那珂ちゃんはぁ~アイドルだからぁ~泥んこだらけの陸さんを口に含むなんて出来ないんだよぉ」

二人の反論をガン無視して、不知火はじぃっと二人を睨む。確かに他に方法は考えられない。迂闊に艤装や、頭にでも乗せたら
波の荒いバシー沖の海では、落ちてしまう可能性があるからだ。それに比べれば別の意味で苦痛はあるものの、靴や手袋などの密閉された空間に入れるのも悪くないだろう。
秋雲は諦めがついたのか、片手だけで器用に履いているスニーカーブーツを脱いだ。白く湯気が立ったタイツとそれに包まれた素足がスルスルと、飛び出してくる。
これだけでも、ブーツの仲は手袋以上に蒸し暑く、強烈な臭いのする空間である事がありありと分かってしまう。

「陸兵さん、ごめんねぇ…あの地獄の国際展示場を一日中歩きまわった靴だけど…さあ、入って入って。ブーツの中にいらっしゃいませ~」

秋雲はニヤりと笑い、輸送船の通路をチョコチョコと逃げまわる陸兵達を器用につまみ、ブーツの上で揺らした。
隠れSほど恐ろしいものは無い。今度怯える陸兵を指で追いかけまわし、摘み取り、船内に隠れる者は鉄扉を壊して指で掻き出して、放り込んでいく。

「怖いよねぇ。でも安心して、秋雲さんの靴の中は、3日目の即売会場よりはマシだよぉ、だって太ったおじさんじゃなくてぇ、秋雲さんの体から出た物だけだからねぇ。」

那珂ちゃんは真っ青になってそれを見ていた。やはり不知火の妹である。血は争えないのだろう。
陸兵達は那珂ちゃんが居る方向へと逃げてくる。彼らは那珂に対して手を振り、助けを求めた。
彼らは"一番安全そうだから"那珂ちゃんの方向に向かってきたにすぎない。しかし、那珂ちゃんのビジョンでは"一番美少女で臭くなさそうな"艦娘に向かってきたのだと、脳みそで変換された。

「秋雲ちゃん、ちょっと待ってえ!」

那珂ちゃんの声が海上を轟かす。我を失い陸兵を拾い上げていた秋雲も、手袋の小人をイジメていた不知火も、逃げていた陸兵も、皆が那珂の方を見た。
那珂ちゃんは急いで靴を脱ぎ、二人に靴の中を見せる。汚れ一つ無い。中に五厘貨幣(青銅製)が敷き詰められている。

「那珂ちゃんの靴は、毎日綺麗にしてるから臭くないし、綺麗だよ!」

その声を効いた途端、船上で、秋雲のブーツの中から、秋雲指の間から陸兵達の時の声があがる。

「秋雲ちゃんのブーツの中に入って居る兵隊さん達を、今すぐ移し替えてあげて!」

キラキラと目を輝かせて、ブーツ片手に訴えかける那珂ちゃんを不知火と秋雲は、酷く冷たい目で睨み、こう言った。

「でも那珂さん、私達より古い船じゃん。危ないよ」

「老朽船は航行中に浸水の可能性が高いです。水面に近い靴の中に入れて、陸兵の方々溺れてしまうような事があっては大変です」


"老朽船""古い船"という言葉がハートに突き刺さり、那珂ちゃんのメンタルは崩壊してしまった。
陽炎型駆逐艦に比べれば、那珂ちゃんは大正9年の生まれの旧式艦である。いくら体を取っても、二人よりはずっと古いのだ。

「言い過ぎましたね、ごめんなさい」

背を向けて、水上体育座りをする那珂ちゃんに不知火は歩み寄り、ポンと肩を叩いた。
秋雲も近づき、「那珂さんごめんなさい、古くても私達のアイドルですよ!」とフォローになっているのか、なっていないのかわからない
セリフをかけた。

(もう、皆ったら…)

那珂ちゃんが許そうかな、と振り向いた瞬間―

那珂ちゃんの口の中に、仄かな泥の味と、大量に蠢く何かが押し込まれた。

「今入れたのは陸軍さん方です。絶対に、鎮守府につくまで噛まないでください。死にます」

不知火の手袋に入っている者達のように、秋雲のブーツに入れられた人のように、那珂の口の中で兵隊たちの悲鳴と怒声がこだまする。
その声にまったく気にかんする事の無いように、不知火は、十数人居るだろう残りの陸兵を那珂の口に放り込んでいった。



不知火は、曳航索で引いた内火艇と、ポケットと手袋一杯の兵隊たちを連れて、秋雲は兵隊を入れるだけ詰めたブーツを片手に、そして可哀想な那珂ちゃんは
ほっぺ一杯の兵隊を詰めて、任務の成功を"成果"と共に鎮守府に帰る事にした。

一人は「まぁまぁね」と全身をキラキラさせて歩き、もう一人は「冬の題材にしようかなぁ」と楽しげに歩き、もう一人は(歯は動かせないし、唾飲み込めないし、つらいよぉ)と疲労を赤くさせて歩いた。
いずれにせよ、三隻だけの救出作戦は奇跡的にか一人の死者も出さず、"予想以上"の人数の命を救えたのである。
後日、三人は表彰された。